しょうもな文

しょうもない雑文っす。どうしようもないっす。

■2001/10/09 (火) 95.神無月の頃

 神無月の頃と言う言葉は、まるで枕詞の様によく使用されるが、この言葉の語源は、神様がいない月と言うことである。
 日本中の神様が、この月には出雲国に集まって会議をすると言うことだ。そのため、出雲以外の地方ではその間神様がいない月になるので神無月と呼ばれる様になったらしい。だから逆に、神様達が集まる出雲では神在月又は神有月(どちらも読み方は「かみありづき」)と呼ぶらしい。
 その会議で、何が議題になっているかと言うと、男女の縁結びについてらしい。だからなのか、結婚式の祝詞では「出雲の神様…」と言う科白があった様に思う。そう思うと神無月には地元の神様に頑張ってほしいところである。私は既に議題になったのかんな?

 神無月のころと言うと、この言葉で始まる有名な随筆を思い出す。
 ただ気をつけておきたいのは、神無月とは旧暦の十月のことなので、現在の暦では11月ころを指すと言う点である。季節感的には、もうすぐ冬と言う寂しさを感じる言葉なのである。それでこそ「大きなる柑子の木の枝もたわわになりたるが」が生きてくる。柑子とはみかんなのだが、やや季節はずれだと言うことがお分かりだろう。だからみかんな訳だ。

 カンナ好きと言えば、神津カンナは独身である。ちなみに彼女の本名は神津十月と書いて「こうづかんな」と読む。母の中村メイ子は、神津善行と結婚して、本名は神津五月。これで「こうづさつき」と読む。メイ子と言うのは5月の英語名「May」のことだろう。何とも安直のような気もする。
 ところでカンナの妹は神津はづきと言って旦那は杉本哲太なのだが、本名は神津八月と書く。いや、今は結婚したから苗字が変わっている筈だが。兎も角旧姓では、そうだ。彼女らは、たぶんみんな誕生月を名前にしているのだろう。しかし頗る読みにくい。どうせなら名前を仮ん名書きにすれば良かったのに。

 鉋屑が好きだ。腕の良い大工の手になる鉋屑になると、木とも思えない程滑らかで美しい艶が浮かび、その幅の広さと薄さ、くるっと丸まった形、あたかも花びらの様な風情がある。しかも一回一回がかんならず同じ厚みである。

 カンナと言う花がある。背が高く、真っ赤で、真夏の暑さに対抗しているように思える、ちょっと我の強い花だ。今時分は球根になって冬を越す準備状態になっている。カンナは、歌のモチーフにもなっている。
 想い出ーに〜ひーかれて〜ああここまで〜来たけれども〜お〜あの頃ーの〜二人は〜もうどこにも〜いなーい〜♪「カンナ8号線」
 環七ではない。カンナ8だ。
 しかし、この歌詞はどうか。昔は今に還れない。ユーミン、そんなこともワカンナイのか?

 かんなしいことに今回はかんなり苦しい。これでは読者の皆さんに総スカンな。


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