中国新疆自治区/甘寧省小旅行 2004年10月
北京〜敦煌
北京首都空港を出発して4時間弱
眼科には広大な砂漠が延々と広がる
二〇〇〇`離れたオアシス都市−敦煌へ向かい僕らの乗る中国東方航空は下降を始めた…
空港には他に飛行機は一機も無い。
ずいぶん遠いところへ来た。
敦煌は砂漠の中のオアシス都市という表現は正確ではないかもしれない。
確かに敦煌は古来よりのシルクロードの中継都市であった。
しかし今は一見すると中国の他の都市とあまり変らない。
街中央のロータリー、漢字の看板で飾られた白いコンクリートブロックの建物群、そしてそこから流れるけたたましい物売りのリピート録音...
シルクロードのイメージを期待して来ると、むしろその没個性が目立ってしまう。
実際敦煌の見所は町の外にある。
鳴沙山
敦煌の南へ目を向けると遠くに山らしきものが。自転車で20分。
鳴沙山は小さな山の様。
この巨大な砂丘が幾重にも連なるのを駱駝に揺られながら見上げることができる。
片道30元の稼ぎ。何頭も続く駱駝の列が観光客を乗せて進む。
カランコロンと駱駝のキャラバン隊商が進む
昔と異なるのは、商人ではなく、観光客を乗せていること。
今も昔も変らないのは商人根性
歓迎迩乗騎駱駝遊覧
らくだが悲しい声で鳴く
目の前にこの砂山を見るとぜひぜひこの砂丘を登ってみたい!と思った。
しかし砂丘に足を踏み入れるとズブズブと砂の中に潜ってしまう。
粉雪のようにきめ細やかで軟らかい砂丘は容易には登れない。
加えて砂風もひどい。
しかしなんとか登りきり、その山頂に立つ。
見渡すと連峰はまだまだ延々と続いていた。
砂はとても軟らかくて気持ちがよいので、跳ねたり、滑ったりころんだりして遊んだ。
頂付近では風が最も強い。だが砂山を背に腰をおろせば、不思議なほど静か。腰を置くとひんやりと冷たい砂の上。遥か遥か遠くまで見渡せそう。
莫高窟
敦煌からこんどは車で20分、砂地を抜けれと右手に崖が見える。
この崖壁に大小700余りの洞窟があり、それぞれに仏教彫刻/装飾が施されている。
これがUNESCO世界文化遺産にも登録されている敦煌の莫高窟
莫高窟では5世紀北魏時代から9世紀唐代末期までの仏教美術群が一堂に会し、チベットやインド又はトルコ等の仏教美術からの影響も伺うことができる。また洞窟内に彫られた30メートルを越す大仏も圧巻。入場料は125元(1500円位)と高いが「一見」、といわずじっくり見る価値有り。
敦煌の夜市
夜市は屋台
屋台はウイグル、屋台は炭火、屋台はやっぱりおいしい
恰幅の良いおじさんが切り盛りする屋台。 ウイグル帽を冠りてきぱきと
水槽には魚が泳ぎ、炭火の上には羊の串焼きが並ぶ
炭で焼いた魚はカラッと揚がって、すんごく美味しかった。これにはおもわずかぶり付いた!
敦煌〜吐魯番(トルファン)
ここは夜行に乗る、硬ベッドで181元也
敦煌の駅は柳園というところにあるがこの「最寄」駅までバスで2時間以上というのが此処らしくて笑える。でもおかげで途中、綿畑や羊使いとその群れなど長閑な風景を楽しむことができた。
さて列車だけどBGM付きである。チャイナPOPが流れている。
僕らの乗る硬ベッド席:一間に3段ベッドが2対、料金は地面に近い程、料金が高くなる。
敦煌あたりまで西へ来るとウイグル族も多く、同じコンパートメントの人はウズベク人だった。目が青く、髪の毛がブロンドなのに気づく。
服務員がカーテンを閉めに来た。一つ一つ丁寧に周る。
思っていたよりも、サービスが行き届いている。
激辛の即席らーめんを少しすすり、心地よく揺れる列車のベッドに落ち着く。
長距離列車もなかなか快適。
明朝は5時40分に吐魯番着。
火焔山、高昌故城とベゼクリク石窟千仏洞
周りは山ばかり…
西遊記で有名な火焔山
本物は赤褐色ではあったが無論燃えてはいなかった。
しかし盛夏、陽炎が揚がると燃えているように見えるらしい。
途中、大規模な石油の採掘場を通る
結婚の行列も通る
ロバも負けじと...通る
そして高昌故城
ここは古代栄えた王朝の遺跡で、その昔、天竺(インド)へ向かう玄奘僧も通った場所。
かつての繁栄は荒野の城壁跡にその面影を偲ぶしかない
しかし収票処付近での物売りは今だ大盛況である(苦笑い...)。
シシカバブと妙に口当たりの軽いソフトクリームを買う。
火焔山を間近に見るところにべゼクリク石窟千仏洞はある。
ここの石窟は莫高窟に比べ保存状態が良くなく、ほんの一部しか公開されていなかった。
ただひとつ11世紀高昌時代の壁絵が印象に残った。
紫、トルコ、青、朱、白で彩られた仏は
西洋の写実画のように細部まで丁寧に描かれていた。
特に数珠を持つ手の滑らかな描写が印象的であった。
トルファン−吐魯番
世界でも有数の低地に位置するこのまちは人口30万人。
実際とても小さく、どこへも歩ける距離
町の外れには砂色レンガのモスクと大きな塔が建つ
至る所に葡萄がなる。天井欄干から葡萄のつたが垂れる。
ここを闊歩するウイグル人たちは一見
欧州人の様
しかし振り返って二見ると、
欧州人とアジア人の中間
さてトルファンも夜には市が立つ。
油の滴る鶏の丸焼き
茶色に揚がった大きな餃子
羊の頭蓋骨が顔を出す大鍋
暗い野外で明かりに照らされ、どれもなかなか食欲をそそる
市場には幾頭ものロバ車タクシーが客待ちをしていたので
鈴を付けたロバはカランコロンと僕らを乗せて進んだ。
蘇公塔
自身、初めて訪れるモスク(清真寺)
色取り取りの絨毯が敷かれた間に、信者が数人腰を下ろし静かに祈っている。
このモスク、天井には天窓が空き、白い光が差し込む
支え木柱の間を突き抜け、ひらひら揺れる光のカーテンとなってモスク内部に届く。
威厳あるも優しい光が室を満たす。
祈りにきているムスリムは僕らのような観光客が邪魔であろうに静かに祈っている。
こういう場所にも団体旅行客は来ていた。祈りを捧げている最中にフラッシュを向けたり、大声で話したりしていた。無神経な振る舞いをしては去っていく。ただし、そのとき何を言わなくとも、これを彼らウイグル人がこれを快く思うはずは無い。旅行者の見たいという欲求と現地に住む人々の静かに生活する権利。このバランスを考える必要がある。
ウルムチ−烏魯木斉
トルファンからウルムチ行きのバスに。
トルファンからウルムチへ向かう路はまず荒々しい山々を通る
しかし次第にゆっくりと表情を変えていき、
黄緑に茂る平原となっていく。
小さな湖が浮かび、牛が放牧される。
そして、緑色の客運列車も並走し自治区都ウルムチへ向かう。
こんどはウルムチ〜カシュガルへ
寒い寒いウルムチから更に西へ進む
ピカピカのウルムチ国際空港からカシュガルまで飛行機で1000km
カシュガルでの宿はチニワク賓館。
昔カシュガルが中央アジアで貿易だけでなく政治上も重要であったとき
イギリス総領事館だったそうだが残念ながら今はそう優雅でもない。
ローカル新疆TVをつけてみるとマトリックスが放映されている。
ウイグル語の吹き替えで中国語の字幕という外国人にとってはかなりレアな組み合わせ。
カシュガル旧市街とエイティガール清真寺
カシュガルまで来ると既に異国の様子
大通りから外れた旧市街を彷徨ってみると
赤く熱された鉄を打つ男たちや
ブレスレットや短刀などの金銀細工を売る
色とりどりの帽子を冠った商人たちが通りを賑わす。
ロバの荷車に果物や種類を積んでいる者もいれば、土釜でベーグルを焼く者も。
大きく円い黒鍋には好い色に炊けたピラフが湯気を立たせる。
さながらオリエント・バザールの雰囲気が漂う。
日の目を見た時代もあったのだろう、辺りの建物はどれも年代ものだった。
建物も原来造りが良いため、古くなっても味がある。この点ではキューバ・ハバナの旧市街と似てる。
そのうち十字路にある一軒、エメラルド色の石造りの建物の
テラスでお茶が飲めた。朱色の絨毯にあぐらをかくようにすわるってお茶をすする。通りを見下ろせば
石かまどでパンを
炭火で羊肉その他を、
それらを焼く煙と供に街が香る
ロバが背負ってきた荷台には
西瓜、ぶどうやりんごに胡桃や向日葵のたね
そうそう卵や豚肉も
昔からこの通りの景色はあまり変わっていないのだろうな。。
2004年10月現在 モスク(清真寺)と旧市街周辺は再開発が進んでいた。
清真寺広場には新しい建物(ショッピングモール?)が建とうとしている。
一応イスラム調の建物だけど、なんだかな?
開発っていったいなんだろう?
カシュガルの日曜バザール
カシュガルはシルクロードの時代から東西を結ぶ交易ルートの重要拠点であり、そのバザーは中央アジア地域有数の歴史と規模を誇る…ので早速見に行った。
パシミールシルクや絨毯、
金銀で装飾された短剣類にマンドリンのような民族楽器
ありとあらゆる果物やナッツ類
バイクやステレオの日常生活品の横で
ロバやヤギの品定めをする人だかり
手を引っ張ってさえ客を逃がさないしつこい物売りにはいらいらしたけど興味深かった。
トルファンでのバザーと異なる点は規模だけかなともおもったけど
ズラーっとロバが並ぶ駐「驢馬」場はここならではかなぁ…
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商魂逞しいバザールも面白いけど
泥道の続くカシュガル旧市街の方が
歩きながらその当地/当時の空気を味わうことができて好みであった。
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