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12月30日(月)
〜アフリカ大陸初上陸〜

●1、セネガルへの道
 セネガル共和国の首都ダカール。アフリカ大陸最西部に位置するこの国に赴くためには、当然日本からの直行便などは無く、欧州を経由しなければならない。今回私は、パリ経由でセネガルに入るエール・フランスを利用。冬休み初日の28日午後9時、成田空港を出発した。
 14時間ほどでパリ・シャルルドゴール国際空港に着陸(その際、風に煽られた機体が左右に振れながら着地し、ちょっとした恐怖を体験)。午前4時半の早朝到着で、パリ発ダカール行きの午後4時半の便まではちょうど12時間あったので、バスで市街まで出ることにした。もっとも、午前5時の時点では空港内の両替窓口はまだ開店前。手持ちのお金は全て日本円(成田空港は、午後8時半ともなるとほとんどの商店が店じまいをしてしまい、両替できなかった)なので、結局午前6時頃までユーロを入手できず、市街ゆきのシャトルバスにも乗れなくなってしまった。
 29日午前6時半。ようやく3万円ほどの現金をユーロに換金し、バスのりばへ。早朝の市街ゆきシャトル便(「バス・エール・フランス」。片道10ユーロ)にはほとんど乗客がおらず、がらんとした車内にはわずかに40代のアメリカ人と見られる夫婦と、同じく50代のアメリカ人女性だけ。ところが、バスが第2Fターミナルを出、第1ターミナルに立ち寄って別の客を拾おうとすると、その40代の夫婦が突然運転手に向かって大声を上げた。「なんでパリに直行しないんだ」「(エア・フランスの)窓口に騙された」「タクシーを拾って行くから、料金と荷物を返せ」と英語と身振りで運転手に詰めより出し、対して運転手も「すみませーん、私英語わかりません」「下車するならどうぞ、でも返金はできません」とフランス語で応酬。双方の会話は噛み合わず、結局夫婦はそのまま大人しくバスに乗り続けたのだった。
 パリ市街(エトワール広場)には朝8時半頃到着。まだ日が昇ったばかりの凱旋門は薄暗く、小雨もパラつく寂しげな表情。世界的な観光地というのに誰も歩いておらず、車の数もまばらであった。そこからエッフェル塔まで歩き、塔の上からパリ市を一望した後、オルセー美術館近くのレストランで昼食。午後1時半近くなったので、タクシーで空港まで戻っり、ダカールゆきエール・フランス便に搭乗した。ダカールゆきのエール・フランス便の機材は同じボーイングB747ジャンボ機でも747-200と古く、乗客も半数以上が黒人で、早くもアフリカの香りを感じさせられた。
 午後10時、約5時間のフライトを経て、ダカール国際空港(初代大統領の名前をとって「レオポルド・S・サンゴール国際空港」と名付けられている)に着陸。搭乗ゲートの無い同空港では、乗客は一端地上に降り立ち、バス(フランスから提供されたと思われる、立派な大型車だったのが印象的だった)でターミナルビルまで移動。ビルに入ってすぐ入国審査(3〜4ブースしかなく、ジャンボ機が到着すると長蛇の列が出来る)で、寂れたステンレス製のブースには立入禁止ラインを超えてブース直前まで次ぎの客が殺到していた。ちなみに、セネガルは、アフリカ諸国の中でもめずらしく日本人のビザ(査証)なし渡航を認めている国(黄熱病の予防注射を証明するイエローカードは法的には不要だが、2002年12月現在ダカール市内で黄熱病による死者も出ており、持っていたほうが安心)で、今回の旅でもフランス、セネガルと全く査証を必要としなかったのは便利かつ快適だった。
 手荷物を受け取り、税関検査を受けると、そこが初めてのアフリカ大陸の夕闇だった。

レオポルド・S・サンゴール国際空港

●2、「魚市場」
 東京から合計31時間。27日までの仕事の疲れもあり、時差9時間を駆け抜ける長旅を経ていたので、29日夜は空港から投宿先に直行。本格的に動き出したのは30日からだった。
 この日はまず、投宿先から車で20分ほどのところにある、現地の「魚市場」を見学。ここでは、毎朝、沖合いに出た小型漁船(というよりボート)がとってきた様々な魚介類を販売しているのだが、「市場」といっても築地市場のような立派な建物があるわけではなく、漁師たちがめいめい、自分の漁船の前の砂浜の上(一部の魚については、発砲スチロールの保冷ボックスの中)に魚を陳列。客は様々な漁師の魚を検分しながら、値切り交渉をして魚を購入していくのだった。

  

浜辺の「魚市場」(左)とその隣にあるモスク(右)

 その「魚市場」の裏には、市場の寂れた雰囲気とはやや異質の立派な建物が。聞けばこれはイスラム教の寺院(モスク)だとのことで、なるほど90%がイスラム教徒であるセネガル人にとっては普通の建物かもしれないが、それにしても周囲の貧しさとは異質の立派な建築で、宗教の力の強さというものを感じさせられた。

●3、「食料市場」
 続いて、午後からは、ヴェール岬と市街地との中間あたりにある一般の「食料市場」へ。途中、家具店が並ぶ地区では、売り物の木製大型ベットやサイドテーブル(手工芸製品として作られ、彫刻もなかなか綺麗に仕上がっている)が道端露天下に並べられているところがあるが、これは乾季だからこそ出来る芸当。そもそも、ダカールは(アフリカの中では)比較的治安もよく、歴史的にもこれまで軍事クーデターの類は一度も起きていないという。

  

ヴェール岬から市街に向かう道路(左)と空港から市街に向かう高速道路(右)

 食料市場に向かう途中、湾に面した海岸通り(マーチン・ルーサー・キング通り)に、在セネガル日本国大使館があったので立ち寄ってみる。表札を見ると確かに大使館だが、御用納めだったためか国旗は掲揚されておらず、執務時間外。なんだか建物自体もあまり「日本」というイメージが湧かないデザインだった。実は、在セネガルのフランス大使館は、旧宗主国に相応しく大統領官邸その他の高級住宅が並ぶ南の岬の一等地にあるのに、この日本大使館は、市街地から少しはなれた地区の刑務所の裏にあり、外では、出所してくる家族を待っているものと思しき人が数名たむろしていた・・・。

 

在セネガル日本国大使館(左)と食料市場の様子(右)

 市場は海岸に面した露天のひと区画で、公園にあるベンチのような机と椅子に、午後3時ごろからそれぞれの商人が食品を陳列。氷水に漬けた魚やくだものの山盛りもあり、価格は全て交渉次第。さすがに魚については鮮度が疑われたものの、野菜や果物類は新鮮そうだった。


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