「とにかくさ・・・空港へあたしら行こうじゃないさ!そこには当然、事故の最新情報があるはずだしさ!」
かなりの時間が過ぎて、ようやく一之瀬さんは衝撃的な驚愕から回復して叫んだ。
「そうそう・・・・」
朱美さんも我に帰った。
「管理人さん・・・」
一之瀬さんは響子さんに呼び掛けた。
「・・・・・・・・・」
「管理人さん!」
一之瀬さんが大きな声で叫んだ。
響子さんは相変わらず呆然とテレビの傍に座ったままで、何の返答も無かった。
「まだ五代くんが飛行機に乗ったのかどうか分かんないだろ!」
一之瀬さんは響子さんを咎めた。
「ちょっと気合を入れな!もしもあんたがシャキッとしなかったら、それじゃあ春香ちゃん、どうなんのさ!」
「さっさと立ちな!」一之瀬さんは響子さんに手を貸して立ち上がらせた。
「ご・・・ごめんなさい・・・・・」響子さんはそう弱々しく消え入りそうな声で言って、やっと立ち上がった。
「朱美さん!あんたは春香ちゃんを抱っこして!」
一之瀬さんは大声で叫んだ。
「あいよ!」
「さあ、出発するよ!」
全員が直ちに管理人室から駆け出した。
「すいませ―ん・・・誰かいませんか?」
丁度その時、玄関から聞き覚えのある声が聞こえて来た。
「三鷹さん・・・・?」
響子さんは驚きの表情で尋ねた。
「やあ!五代くんの奥さん、ちょっとこちらを通り掛かったものですから、ついでにお宅へお邪魔しに来たんですよ・・・
あれ?・・・どうなさったんですか?」
三鷹さんも雰囲気がおかしい事に気付いた。
「ちょうどいい時に来たよ!」
一之瀬さんは再び大きな声で叫んだ。
「あんたに説明している時間は無いよ!早いとこ、あたしらを空港まで車で送っててよ!」
「分かりました!」
三鷹さんはこの場の状況が急を要すると悟ると、何も言わずに愛車まで駆け出し飛び乗った。
「早く乗って下さい!」
三鷹さんは車内から叫んだ。
全員が自動車に全力で走って飛び乗り、空港へと出発した。
「あお―ん!」
惣一郎は皆が出掛けるのを見送り、天を仰いで悲しげに吠えた。
「惣一郎、何が起きたの?鳴き声がこんなに悲しそうなのは・・・・」
賢太郎が丁度、放課後になって帰宅した。
「あん?廊下の電話が鳴りっぱなしじゃないか!誰もアパートにいないのかな・・・・」
賢太郎はアパートの中まで走り、飛び付いて受話器を手にした。
「もしもし、もしもし・・・あれえ?丁度切れちゃったよ・・・・・」
「本当におっかしいなぁ!この時間帯にこともあろうに誰も家に居ないなんて・・・あー!ドアの鍵も掛かって無いじゃん、
万が一泥棒が入って来たらどうすんだよ?母ちゃんたらホントに・・・・・」
賢太郎はそう愚痴をこぼすと、1号室へ入って行った。
「本当に良かったですね、響子さん」
帰りの車中、三鷹さんは隣りの席に座っていた響子さんに語り掛けた。
「五代くんがあの事故が発生した飛行機に搭乗していなくて」
「ええ・・・・三鷹さんの手助けに本当に感謝しますわ・・・」
春香ちゃんを懐に抱っこした響子さんはそう答えた。
「グッドタイミングで三鷹さんが来てくれてラッキーだったわぁ、でないと、あたしらだけじゃどうしたらいいか
分かんなかったわよねえ」
朱美さんも発言した。
「あはは!事故機の死傷者には悪いんだけど、あたしら今晩帰ったらさあ、五代くんの無事ご帰還を祝って宴会を開くよ!」
一之瀬さんは心底嬉しそうに言った。
「ひょっとしたらさぁ五代くん、もうとっくに一刻館であたし達の帰りをイライラして待ってるかも知んないね」
朱美さんが笑いながら話した。
「ああ・・・何で誰も僕を出迎えてくれないんだ?・・響子・・・響子!・・ 僕の愛する可愛い響子と春香は一体どこに?」
朱美さんは五代くんの声色と喋り方を真似て言った。
「あははは!似てる似てる!」
一之瀬さん、爆笑。
三鷹さんと響子さんはただ苦笑いの表情・・・・。
「そうだわ、三鷹さん」
響子さんは言う。
「今夜は三鷹さんも宴会に参加なさいませんか?」
「いえ、明日菜が家で僕を待っているんで」
「そうだぁ!三鷹さんちにはお子さんがいたの忘れてた」
朱美さんが口を挟んだ。
「もしもさぁ、あんた奥さんが嫌になったら、いつでもあたしを探しに来てオッケーだからさ」
「はは・・・」
三鷹さん、ちょっとびっくり。
「朱美さん!」
「あはは!冗談じゃないかさぁ。そんなに糞真面目に考えなさんな、管理人さん」
「それはそうですけど・・・・・」
車は一刻館に到着して、全員三鷹さんの愛車から降りた。
「それじゃあ・・・僕も帰ります、響子さん」
「本当に三鷹さんに感謝致しますわ」
「僕に代わって五代くんに宜しく言っといて下さい」
三鷹さんはそう言うと、運転席に戻りその場を離れて帰って行った。
「ふぅわぁ・・・本当に疲れたねえ!」
一之瀬さんは欠伸をしながら呟いた。
「着いた着いた!早速宴会といこうじゃないの!」
朱美さんはせっかちな口調で言った。
「おんやぁ!皆さんお帰りなさい!」
四谷さんが玄関から出て来た。
「四谷さん、五代くんは帰って来たかい?」
一之瀬さんが尋ねた。
「五代くん?まだ帰って来てないんですよ!私はまだ皆さんが空港で彼を出迎えてると思ってたんですがねぇ」
「まだ帰って来てないのかい?ふむ、あたしゃ思うに飛行機の到着が事故のせいで遅れてるんじゃないかね、そう思うよ!
管理人さん、あたしらが宴会しながら五代くんが帰って来るのを待ってたって差し支えないさ」
「・・・ええ、そうですね・・・・・」
響子さんの顔に不安の文字が浮かんでいた。
5号室内、窓の前に『五代くん無事ご帰還記念第一次祝賀パーティー』と横書きで書かれた垂れ幕が掛かっていた。
「大丈夫ですよ、管理人さん。いずれにせよもう今は五代さんの無事がはっきりしたんですから」
二階堂くんは響子さんの不安げで心配そうな表情を見て諭した。
「そうよぉ!嬉しいでしょ!」
朱美さんも酔っ払って言った。
「ひょっとしたら五代くん、まだ北海道に居残りたいと心変わりしたんで帰って来ようとしないんではないでしょうか!」
四谷さん、勝手な事を言い出した。
「噂じゃ北海道の女性って綺麗だそうじゃん、或いは五代くんさあ、その娘たちと離れるのは惜しいと考えてんじゃない!」
朱美さんも言葉尻に乗って言い放った。
「だけどさぁ女の子たちの方は全然、五代くんのこと惜しいとは思ってないんじゃないの!」
「どわぁっはっはっはっはっはっ・・・・・」
全員大爆笑、ただし当然、響子さんを除いて。
時間は刻一刻と過ぎていくが、五代くんは終始一貫してまだ帰って来なかった。
「管理人さん。こんなに遅いことだし、五代くん、明日になったら帰って来るんじゃないかねぇとあたしゃ思うよ」
一之瀬さんがぼそっと呟いた。
「主人は以前に帰りが遅くなった時には、すぐに私に連絡をくれたんです、ただ今回は・・・・」
「ひょっとしたらさ、あたしらが空港へ行ってた時に電話を寄越してくれてたかも知んないね」
朱美さんがそう考えを述べた。
「・・・・・」
「そうだ、昼過ぎには賢太郎の奴も部屋に居た筈だよ、ちょっくらあいつに五代くんからの電話が有ったかどうか、
行って聞いて来るよ」
一之瀬さんはピンと閃いた表情を露わにして言った。
「賢太郎・・・賢太郎!」
一之瀬さんは1号室に舞い戻ると、熟睡中の賢太郎に向かって大声で叫んだ。
「な・・・なんだよう?」
賢太郎はびっくりして目を覚まし、茫然とした状態で尋ねた。
「五代くんからさ、昼過ぎに電話無かったかい?」
「なにぃ?昼過ぎぃ?五代のお兄ちゃん?無かったよ・・・・」
寝惚けまなこの賢太郎はそれだけ言うと、再び眠りに着いた。
「管理人さん・・・五代くんから電話は無かったってさ。明日にゃアイツも帰って来るだろうし、あんたも早いとこ
休んだほうがいいよ」
一之瀬さんは1号室の前に立っていた響子さんにそう伝えた。
「そうですわね・・・・・」
「願わくば、あんたがさ、あれやこれやとくだらない事を思い巡らさなきゃいいんだけどね」
一之瀬さんは憂鬱そうに独り言を呟いた。
『結婚して下さい・・・・』
『・・・・・・・』
『泣かせるような真似は絶対しません・・・・残りの人生を・・・俺に下さい』
(涙が目から溢れ出した・・・・・・・・)
『ひとつだけ・・・約束・・・守って・・・』
『浮気なんか絶対しません、付き合い酒はひかえます、貧乏もなるべくしません・・・』
『そんな事じゃ泣きませんよ、怒るけど・・・・』
『・・・』
『お願い・・・一日でいいから。私より長生きして・・・・・』
『・・・・』
『もうひとりで・・・生きていけそうにないから・・・・・』
『約束します・・・もう決してひとりにはしません・・・・響子さん』
(一人ぼっちで、脂汗が滲みで始めた)
(響子さんは布団の中で、昔日の情景が一つ一つ脳裏に浮かんでは消えていき、それは止まらなかった・・・・)
《《騙したのね・・・・全部嘘じゃないの・・・・・・》》
『惣一郎さん、あなたをひっくるめて・・・響子さんを貰います・・・』
『まだ分からないんですか?僕が好きなのはあなただけなんですよ!』
『・・・好きです、響子さん・・・初めて会った時から・・・ずっと、今も・・・これからも・・・・』
『ご町内の皆さ―ん・・・・わたくし、五代裕作は・・・・音無響子さんの事が好きでありま―す!』
『ぼ・・・僕、5号室に住んでいる五代裕作と言います!』
『未亡人、夫を亡くして未だ生きている妻の事を指すんだけど・・・違うよね?だって生きているんだから、
ただ死を待つだけなんて間違っている、生きていかなくちゃならないんだからね・・・』
『病院へ急いで!響子さん!惣一郎が!』
『そ・・そんな・・・?どうして?惣一郎さん・・・・!』
『何故か・・・分かった?あなたはまだ惣一郎さんを探しているのよね?・・・惣一郎さんはもう二度と帰って来ないのに
・・・・既に・・・・帰って来る事が出来ないのに・・・・惣一郎さんは・・・・』
《《惣一郎さん・・・・?》》
(響子さんは驚いて震えながら口に出した。)
(惣一郎さんという男の影が、時間が過去に流れていくと共に、ゆっくりとではあるが既に心の中から消えていった・・・・)
(二人の記憶を回想しても、もう心が昂ぶることは無かった・・・)
(惣一郎さんの笑った顔は、既に心の中に出現しては来なかった・・・)
(再度思い出そうとしても、心中に再び出現する術が無かった・・・・)
(・・・・・・・・)
(・・・・・・)
(・・・)
《《惣一郎さん・・・・・?》》