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それから半年が経った。コリンは留学先で今まで以上に勉学に励んでいた。そうしている間だけは故国でのことを忘れることが出来た。しかし、完全に忘れることは不可能だった。もうこの気持ちに終止符を打とうと決めたものの、ソフィアを想う気持ちを捨て去ることは出来なかった。逆に、会えないからこそ、その姿は益々美しく慕わしいものとなった。更に、城から届く数々の手紙が彼の気持ちを掻き乱していた。父王からは来ることがなかったが、ソフィアからは彼女の「義理の息子」に対する愛情のこもったもの、フローラからも、会うことの出来ない婚約者の学業の成功と健康を祈る優しさに満ちたものが届いた。そして親友であるエドからも頻繁に手紙が届いた。もちろん国政に関することや外交面での情報について等、コリンの右腕としての内容も多かったが、王室についての話題も毎回あった。特に、コリンが知りたがっていると信じているのであろう、フローラのことがよく触れられていた。いかに彼女がコリンのことを案じているか、普段は表に出さないが、コリンのいない城で不安な気持ちを抱いていること…恐らくコリンの親友で年の比較的近いエドには、フローラもあれこれと相談しやすいのであろう。フローラの為のことを思えば、エドが側にいてくれることはコリンにとっても有難かった。本当はフローラの側には自分がいるべきであることをコリンはよくわかっており、それをしていないことに対しては気持ちの咎めがあった。しかし、実際それをすることは出来なかった。だからこそ、エドがその任を引き受けてくれていることは、コリンには助けであり救いであった。彼は自分が卑怯であることは承知していた…そして他にはやりようがないことも。コリンは、女性たちへの返事は礼を失しない程の頻度でしか出さなかったが、エドには毎回出した。しかし、日を重ねるにつれ、エドからの手紙に変化が起きてきた。フローラを憐れみ、そのことでコリンを責めるかのような文が時折見られるようになったのであった。あの深窓の姫君には、段々とコリンを待ち続けることが重荷となっているらしい。コリンが留学先から全く帰ってくる様子がないのは、自分を嫌っているからではないかとか、自分の存在がコリンにとって疎ましいものならば故国に帰るほうがよいのではないかとか、エドに色々と泣き言を始めたようだった。
「フローラさまにあられましては、普段は平静を装っていらっしゃいますが、私には色々と心の内をお明しになり、時折お涙もお見せになる次第です。皇女さまのように、何不自由なくお育ちになられたお方をして、今のような身寄りのない城でただ殿下をお待ち申し上げるだけの生活は、苦痛以外の何物でもないかと思われます。婚約者として入城されたまま、ここまで長い期間華燭の典なくただ無為に時を過ごすことは先例なく、国内の王族貴族のみならず、隣国からもあらぬ噂を立てられる危険すらあります。殿下ご自身、またフローラさまが嘲笑されるようなことがありましては、我が国の為にもなりますまい。あのような非の打ち所のない貴婦人を悲しませることは、殿下のような貴公子のなさることとも思いません。殿下の才をもってすれば、学業を今終えることも可能でございましょう。皇女さまのお気持ちをご考慮なさり、一刻も早くのご帰国をご決断くださらんことを。身の程をわきまえず、出過ぎたこととは存じておりますが、不肖の身に頼るしかないフローラさまが余りにもお気の毒で、殿下のお怒りを覚悟で申し上げます」
コリンは手紙を机に置き、椅子の背に寄りかかり天を仰ぎ、瞼を閉じて溜息をついた。彼の中で複雑な感情が渦巻いていた。エドの言うことをもっともだと思い、自省する気持ち。そして、何故エドにここまで厳しく言われなくてはならないのか、理不尽に思う怒りの気持ち。自分は一体、どうしたらいいのだろうか。彼は目を開け、外を見た。窓の外では、雪が強風に舞っていた。
凍てつく寒さが少し和らいだある日、故国の城からの使者がコリンの元へやって来た。
「この書状を殿下へ直接お渡しするようにとのハーウッド伯爵からの命により、参上致しました」
コリンは手紙を受け取りつつ、訝しげな顔をした。
(エドから?一体どうしたことだろう?)
最近はエドへもあまり返事を出していなかった。それでエドはコリンが手紙を受け取っているのか、心配したのだろうか?コリンは封蝋にエドの紋章が押された手紙を見つめた。いつもの私的なものとは何か違う印象を受けた。
「遠路はるばるご苦労。自室で目を通すので、暫くここで待っていていただきたい」
コリンは使者をねぎらうと、自室へ戻り、封を切った。
「殿下、今になってこのような大事をお知らせすることをお許しください。しかしながら、これは国王陛下の命によるものです。数ヶ月ほど前から、国王陛下のご健康はすぐれず、しばしば病床に臥されております。政務は引き続き執られておりますが、城の外へ出ることや他国からの使者にお会いになることは出来ません。侍医たちが懸命に処置を取っておりますが、一向に快復の兆しは見られません。陛下の命により、このことを殿下にお知らせすることを控えておりましたが、ここ数日ご病状が悪化してまいりました。このことはまだ、王族の方々並びに父を始めとする数人の近臣のみ知ることです。しかしながら、そのうち他の者の耳に入り、国中、また他国に知れ渡るのもそう遠くはないでしょう。父、宰相エセルバート公爵と大臣方の閣議により、殿下にこのことをすぐにお知らせし、国へお戻りいただくよう書状をお送りすることとなりました。王妃さまもフローラさまも、一刻も早い殿下のご帰還をお待ちしております」
一度目を通しても、自分が何を読んだのかコリンは理解出来なかった。もう一度、エドの整った筆跡で書かれた文面を読んだ。
(父が…病気?)
コリンは急いで紙と筆を取り、返事を書いた。それに封をすると、先程の使者を呼び、手紙を渡した。
「申し訳ないが、今すぐに国へ引き返していただきたい。これをハーウッド伯爵へ直接渡すように」
使者はコリンに礼をすると、すぐにその場を去って行った。コリンは再び自室へ戻り、帰国の準備を始めた。
「コリンさま、ご帰還!」
衛兵や城の召使たちに迎えられ、コリンは入城した。最敬礼をとる人々の間を、コリンはいつも以上に早足で進んだ。大広間を抜け、謁見の間に入ると、そこにはソフィア、フローラ、エセルバート公とエドがいた。4人はコリンを見るとほっとした表情で礼をした。
「ただいま戻りました」
コリンはソフィアに向かって礼をし、フローラの手に軽く口づけをした。すぐに彼は2人の女性から顔をそむけ、エセルバート公に尋ねた。
「国王陛下のご容態は?」
「数日前からご寝所を離れなれない状態となっております。政務も不可能となり、急なものは私どもの閣議で取り決めておりますが、皆、殿下のお帰りをお待ち申し上げておりました」
コリンは鼓動が速まるのを感じた。
「お会いできるか?」
「先程侍医の診察が終わりましたが、今は落ち着いているようです。殿下がお戻りになることをご存知ではありませんので、お取次ぎいたします」
「急を要することだ、直接行ってもお怒りにはならないだろう」
そう言うとコリンは、王族の居城である奥の棟へ続く扉を開けた。数々の彫刻や調度品で飾られた廊下をコリンは歩いていく。時々出会う召使たちは、最敬礼でコリンが通り過ぎるのを待った。この城は彼にとって生まれ育った「家」であるはずなのに、かつて一度も心からくつろいだことはなかった。常に誰かの目があり、王子として振舞わなければならず、血縁の両親でさえ生まれた時から自分の「主君」であった。コリンは父王の寝室へ続く廊下へ辿り着いた。
(可笑しなものだ、父親の寝室にすら、普段は近づくことすらなく、今まで数度しか行ったことがないとは)
扉の両側に立つ衛兵がコリンに礼をし、重々しい扉を開けた。コリンが入ると、部屋に控えていた侍女たちが礼をし、出て行った。
「…誰だ?」
豪奢な天蓋を持つ寝台のほうから弱々しい声がした。コリンは側へ歩み寄った。
「父上、私です…帰って参りました」
「おお…コリンか」
父王が懸命に伸ばす手をコリンは握り締めた。コリンは自分の目に入る光景が信じられなかった。恰幅よく堂々たる体躯を持っていた父が、今はまるで枯れ木のように痩せ細っていた。鋭い眼光を放っていた瞳はよどみ、皮膚は乾き黒ずんでいた。
「よく戻って来てくれた…勉学は終えたのかね?」
「…ご心配なさいますな。それよりも、何故このようなことになられたのですか?」
国王は目を閉じ、軽く息を吐いた。
「この体は徐々に蝕まれていたのだ…気づくのが遅かった」
コリンは黙っていた。原因不明の病と聞いていたが、一体どうしてこんなことになったのだろうか。父王はコリンの手を更に握り締めた。
「コリン、わしの命はもう残り少ない。お前がこれからこの国を治めなければならん」
「何を仰いますか。まだ病に倒れるお年ではありますまい。きっと快復なさることでしょう。お気を強くお持ちになって、静養なさってください」
「自分の体のことはよくわかっておる…お前に1つ頼みがある」
「何でしょう」
「わしが死ぬ前に、フローラ皇女と式を挙げてくれ」
コリンは絶句した。避けられないことだとはわかっていたが、それでもどう返事をしていいのか迷っていた。
「お前は次期国王だ。そして皇女は妃となる。それは決定したことで、いつ婚儀があろうと変わりはない。しかし、わしが死んだ後は国中喪に服すことになるだろう。そうなると慶事は先延ばしされてしまう。お前たちが婚約してからもう1年ほど経つのだ。これ以上延期することは出来ん」
「しかし陛下…父上がこのようなお体の時に、式を挙げることは出来ません」
国王の瞳が一瞬、昔のような鋭い眼光を放った。コリンは自分の手に父親の手の力を感じた。
「思うところがあって言っているのだ、コリン…頼みをきけないと言うのだったら、これは命令だ」
逆らい難い威圧のある国王の言葉に、コリンはそれ以上何も言えなかった。
慌しく婚礼の儀式の準備が整えられた。国王が病気ということもあり、一国の王子の挙式にしては地味にならざるを得なかったが、それでも城や街は美しく飾られ、国中の王侯貴族のみならず、隣国の国家元首やそれに代わる人々も招待された。その中にはもちろん、フローラの弟である隣国の皇太子もいた。フローラの出身国である帝国はこの辺り一帯で一番の大国であり、その1人娘の皇女の結婚に父である皇帝は数え切れぬ程の財宝等を贈った。皇太子は、佳麗の姉に似て、整った顔立ちをした若者だった。まだ若年の為にコリンほど女性の噂とはなっていなかったが、数年すれば恐らく各国の貴婦人の憧れの的となるだろう。白磁のような肌、プラチナブロンドにエメラルドの瞳。切れ長の目には、将来国の頂点に立つ人物らしく、鋭い光が宿っていた。世にも美しい姉弟が並ぶ姿は、居合わせる全ての人々の視線を集めた。コリンの父である国王は出席することが出来ず、王妃であるソフィアがその代理を務めた。この日はコリンにとって、最も辛い一日となった。フローラと式を挙げなければいけないというだけで苦痛だったが、それをよりによって誰よりも慕うソフィアの前で行わなければいけないとは!ソフィアはコリンが城に戻って以来、コリンに姿を見せることがほとんどなく、フローラと共に城の奥でひっそりと過ごすことが多かった。コリンはほとんどの時間を国王に代わる公務か、父王の看病にあてていた。聞くところでは、王は倒れてからというもの、侍医と近臣の者以外は、ソフィアすら近づけなくなったという。義理の母であるとはいえ、王妃であるソフィアに自分から会いに行くことは許されないことであった。彼女が父王のところへ来ないことは、コリンが彼女に会うことはないことを意味していた。しかしそれは今のコリンにとって好都合であった。ソフィアに対する感情は変わることなく、一瞬でもその麗しい姿を見ることが出来ることは彼にとって歓びであった。それでも、彼女が夫である父王と共におり、また王を看病する姿を見ることは辛いことだった。城へ帰還してからは、ソフィアに会うこともほとんどなく、激務に追われてはいたが、かえって心を乱されることなく過ごしていた。そして挙式の日、コリンは久しぶりにソフィアの姿を目にしたのだった。少しやつれているように見えたが、大輪の華のような美しさに変わりはなかった。正装のソフィアは国王の名代として威厳ある態度で全てを完璧に執り行った。そしてコリンは、この誰よりも愛する人の前で、他の女性に永遠の愛を誓わなくてはならなかった。純白のドレスと数々の宝石を身に着けたフローラは、今までで一番美しく、恐らくこの美の化身たる姿は詩人や画家を通して後世にまで語り継がれていくことであろう。居合わせる人々は皆、このような花嫁を迎えるコリンを果報者と思っただろう。しかしコリンにとっては、フローラの美しさも教養も嗜みも、彼の苦しみを増させるばかりのものであった。大聖堂での式でも、城での晩餐会でも、コリンは自分の感情を押さえ込んだ。王子として生まれ、何不自由なく育ったように思っていたが、実際は何一つ自由になることはなく、何一つとして自分の思う通りにすることなど許されないのだ…それが玉座に付く者として生まれた宿命なのだとコリンは痛感した。祝砲が揚げられた。列席の人々や国民はそれを聞き、祝いの杯を重ねた。コリンにはその音が、自分の心臓を壊すように聞こえてしかたがなかった。
コリンの挙式を通じて、国王の病気が国内外に知れ渡ることは、必然のことであった。国民も、式に招待されていた各国の客人たちも、今や国王が重病であり、明日をも知れぬ命であることを知った。国民たちはコリンの結婚を心から喜び、また国王がこの喜びに快復することを願った。各国の客人たちも、コリンとフローラには祝辞を述べ、国王への見舞いの言葉を告げ、それぞれの国へと戻って行った。コリンの生活は、式以前と何ら変わりはなかった。国王の代理として政務をこなし、わずかな暇を見つけては父王を訪ねた。コリンとフローラが結婚し安心したのか、国王の容態はますます悪化していった。ある日、コリンが書斎で山積みとなった書類に目を通していると、父王の侍従がやって来た。
「殿下にいらしていただきたいとの、国王陛下の命でございます」
「わかった。すぐ参上するから、そうお伝えするように」
コリンは服装を整え、半ば駆けるように父の寝室へと向かった。寝台の周りには、エセルバート公を始め、大臣たちが既に揃っていた。皆、コリンを見ると礼をし、彼が国王の側へ寄られるよう、一歩控えた。コリンは彼らに礼をすると、急ぎ父王の枕辺に寄った。
「父上、お呼びと伺って、参上致しました」
国王は震える手でコリンの手を握った。光を失いつつある瞳は、それでもコリンをしっかりと見つめていた。
「…皆、揃っているな?…イーストブリッジ候…例のものをこれへ」
王は、王家の内事を司る大臣を呼んだ。侯爵は手にしていた書類を広げると、それを読み上げた。そこには、コリンを次期国王とする旨を正式に告げる詔が書かれていた。
「…わしが死んだら、葬儀は簡単でよい…すぐにお前が王座につくように…ここにいる皆、経験豊かで信頼の置ける大臣たちだ…お前が王となっても、彼らをそのまま用いるように…そしてハーウッド伯爵をお前の補佐とするがよかろう…彼は末頼もしい若者だ…将来、父親の役を継ぐことになるだろう」
コリンは黙って頷いた。国王はそれを見ると、微笑んだように見えた。そして宰相のエセルバート公を枕辺に呼び寄せた。
「皆に国王として最後の命…そして長年の友として最後の頼みだ…コリンが王となった暁には、今までと変わらぬ献身を…」
「殿下への絶対の忠節を、皆、ここに誓います。この国と、王家の為に」
公爵はそう言うと、用意してあった書類に署名をした。続いてそこに居合わせた全ての大臣たちが名を連ねた。国王はそれを見ると、安心したように軽く息を吐いた。
「…コリンと2人で話がしたい…皆、さがってよい…ご苦労であった」
大臣たちは礼をし、退出していった。皆、これが国王との最後の対面であろうと覚悟した顔つきであった。重厚な扉が静かに閉められると、王はコリンを見つめた。
「…お前はよい国王となる…国民の為によき治世を…それからフローラ皇女と幸せに…ソフィアは…」
国王はここで言葉を区切った。考えるようにゆっくりと息を吸ってから、コリンの手を強く握った。
「彼女にはどこか、都から離れた静かな所に邸宅を与え、そこに移すがいい…西の国境側の、湖のほとりにある屋敷がよかろう…よいな、決して城に置いてはならぬ…」
何故父王がそんなことを言い出すのか、コリンには不可解だった。彼の鼓動が速まった。手を通して国王に伝わるのではないかという気がした。
「父上の命とあれば…しかし、ソフィアさまはフローラや私にとって義理の母となられた方。フローラとは仲も良く…そのような方を城から追い出すようなことは…」
「コリン…お前の為だ…」
コリンは、全身を強く殴られたような感覚を覚えた。体中が震えるのを止める事が出来ない。国王は父親らしい優しい眼差しでコリンを見つめた。
「もうさがってよい…お前もここのところ多忙で、寝てもいないだろう…」
「…お側にいさせてください…こんなにも長い時間、2人でいたことなんて今まで一度もございませんでした…」
国王は軽く頷くと、疲れたように目を閉じた。コリンは側にある椅子を寝台のところへ引き寄せると、そこへ座った。
(父上は私の気持ちに気づかれていたのだろうか…)
柱にある大時計の時を刻む音だけが、室内に響いていた。コリンもいつしか、椅子に座ったまま瞳を閉じていたが、父親の苦しそうな息に目が覚めた。
「父上…お苦しいのですか?…誰か、侍医をこれへ!」
コリンは部屋の外に控えていた者に侍医を迎えに行かせた。
「父上、父上…お気を確かになさってください!」
「…コリン…どうやらお迎えが来たようだ…ああ、アマーリア!」
父王が最後に呼んだのは、彼の最愛の妃の名前…コリンの母親の名であった。呆然と立ち尽くすコリンの周りで、侍医や大臣たちが走り回っていた。
「国王陛下、ご崩御!」
国中に弔いの鐘が鳴らされた。
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