バッハ ヘンデル ヴィヴァルディー

 

ヨハン・セバスチャン・バッハ(独)

Johann Sebastian Bach

*1685年 アイゼナハ +1750年 ライプツィヒ

バロック音楽を「完成させた」、バロック時代最大にして最後の作曲家。

バッハについては、とっても有名だし、本もたくさん出てるしね、わたしがここでいろいろ言うのもなんだね、って感じではありますが、タタリにもめげず(「今日のひとりごと」7/5見てね!)、書き続けたので、軽〜く読み飛ばして下さいまし。題して

「天才大作曲家も、雇われの身はつらいよ…」

バッハは、バロック時代に音楽家として活躍するための、典型的な道をあゆんだ人なのです。「お城」と「お寺」(ヨーロッパだからキリスト教の教会のことなんだけどね、ほら日本だって、飛鳥時代から、お寺って文化の中心だったじゃない?)、この2つが、バロック時代、音楽家のパトロンだったていうわけ。

主に活躍したのが、ワイマール(23才〜32才)、ケーテン(32才〜38才)、ライプツィヒ(38才〜65才)で、ワイマールとケーテンでは、お城に、ライプツィヒではお寺、じゃなかった、教会にお勤めでありました。

ワイマールでの主人であったW.エルンスト公は、教会音楽を大事に思っていました。自分のお城の礼拝堂にあったオルガンを、バッハの頼みで改造したくらいですから。(教会にとって音楽は、昔も今も、無くてはならないものだったのです。「ヴュルツブルクの想い出・その1」を参照)バッハは、教会音楽に欠かせないオルガン音楽と、カンタータ(楽器の伴奏がついた、宗教的な内容の声楽曲)をたくさん書きました。

このころ、イタリアの音楽にも、とても関心があったので、ヴィヴァルディーなど、イタリアの作曲家の曲を編曲したりして、イタリア音楽を研究しました。(「バロック音楽のないしょ話」参照)

ところが、バッハが音楽教育をしていた領主の甥っ子が、領主と政治的に対立。領主にしてみれば、「私の気に入らんやつと付き合うとは、けしから〜ん!」ということになり、バッハはワイマールを去ることになります。

ケーテンの領主、レオポルト公は、自分でも作曲したり、歌・楽器演奏にもすぐれていました。教会音楽よりも、お城で演奏するための音楽がたくさん書かれました(ブランデンブルク協奏曲など)。レオポルト公も、たびたび宮廷の持っているオーケストラに入って、バッハと一緒に演奏したようです。

さて、レオポルト公は、結婚することになりました。ところが、お相手のお姫様は、なんと音楽嫌い!男ってのは、女によってかわるものなんですねぇ。公の音楽に対する情熱は、だんだん冷めてしまいました。そこでバッハは、仕方なく次の職につくことになります。はぁ〜…(ためいき)

バッハが死ぬまで勤めることになるライプツィヒでは、今でいう市長と市議会(行政)、聖職会議(教会をまとめる)、大学(精神・文化の中心)が、お互いに反目しあっていました。聖トーマス教会のカントルという職は、事実上、ライプツィヒ市の音楽監督で、上の3つの機関すべてに上司を持つようなもの。あっちを立てればこっちが立たず。バッハは気苦労が絶えませんでした。(中間管理職のあなた、ちょっと親近感わいたでしょ?)

不当な扱いを受けたために、市議会に抗議文を提出するほど、事態は悪化。ロシアへの転職を考えるも、うまくいかず、結局彼のとった手段は…ライプツィヒ市にとても影響力のある、ザクセンの王様(選帝候)から、「選帝候付宮廷作曲家」の称号を授かる、ということ。お陰で、上司達からのいやがらせはなくなりました。(まったくいつの時代もいるんですねぇ〜。弱いものには威張る、強いものにはしっぽを振ってついて行く、っていう人たち!)

この時期には、当然のことながら、教会カンタータなどの教会音楽が多く書かれました。また、以前作曲したものを曲集にまとめる作業をしました(クラヴィーア練習曲集 第3部、 平均率クラヴィーア曲集 第2部など)。

晩年は、各都市からオルガン演奏に招かれたり、立派な音楽家となった息子達を訪ね歩いたりして過ごしました。最後の作品「フーガの技法」は完成を見ないまま、バッハは1750年、65才の生涯を閉じました。 

 

 

 ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル

Georg Friedrich Handel

*1685年 ハレ +1759年 ロンドン

バッハが宮廷や教会に奉職したのに対し、ヘンデルは、比較的自由な立場で、経済的にも豊かな自由都市で活躍するという、当時の音楽家としての生き方の最先端を行っていた人でした。バッハが一生ドイツ国内に留まったのに対して、ヘンデルはその活動の地を、ハンブルク、ローマ、ロンドンと移し、国際的な音楽家としての名声を築きました。

ローマで書かれたオラトリオ「復活」という曲があります。このあらすじを訳してみました。メロディーメーカーの名にふさわしい、美しいアリアに満ちています。第1部の最後の曲は、水上の音楽の中に現れます。(「復活」訳はこちら!) 

 

 

アントーニオ・ヴィヴァルディー

Antonio Vivaldi

 

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