往復書簡 ‘02年12月〜‘03年1月

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投稿時間:02/12/21(Sat) 22:39
投稿者名:たけどん
タイトル:そんなお前に花束を(保存版)

 

とりあえず、後半だけだとなんのこっちゃい状態になるかもなので、
前回分を再掲載させてください。
ちょこっと、改訂したディレクターズ・カットばんです(うそ)。

漢学の里でのコンサート
「音楽の花束 Vol.10 バロックアンサンブルの楽しみ」

ある晴れた、どうでもいいような土曜の午後、
友人のHO君(一酸化水素でない)と、おいらの車でダベリング&ツーリングしていたら、目的の「漢学の里」を過ぎちまった
(工事中で入り口の看板が無くなっていたのだ。
しかも同じような景観がリフレインするので見分けがつきにくい)。

気がつけば、
福島県との県境の関所までたどり着いていた。
(そんな訳はないが、こいつぁヤバい!)
たちまち関所の、木っ端役人どもがおいらの車を取り囲む。

 「あゥあウっ! おめえらなんなんでェ!」(これじゃ目明かしだぜ)
 「さっさと おりなィっ」(なんで江戸っ子がここに?)
 「なンなンでィこの、てつの駕籠はっ。
  どいつがかツいでいるんでィ Y(`o´)Y」

下っ端は話にならない。おまけにやたらと威張りたがる。

 「アぅ!ここは天下の関所だあ。さっさと、おりやがれィ!」
 「ぐぅずぐずしてヤがると、この前の、てつの馬にノってた
   わかぞうとオナじく佐渡におくってヤるぜィ」
 「てめエらも、きンがほりテぇって顔していやがるぜェ
   ひァひェひォ〜っ! (^き^)」

窓を開けると、きゃつらが、ずいっっと中をのぞき込んできた。

 「なんでィ! なあんでおめエら、まげをゆってねエんでィ! 
   さてはおメエら、ばてれんだナあ〜!」
 「しょッぴキなっ!」

さるどもの扱いはなれている。きゃつらの頭を叩いて、ほんの少し「文明開化のおと」を聞かせてやることにする。

 「ぶぉおおおんんっ!!! ぶぁっぶぁああああ〜っ!!!」
 「ヒけヒけ〜ッ! \(>o<)/」

さるどもは、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 ・・・とまあ、途中からはうそですが、新潟って、
    だいたいこんな所です。


 (・o・)←ビケ♪さんたち    (#^.^#)←おいら (←うそつき)


 山の中だね〜。天気いいから気持ちがいいし、空気もきれい。
すさみまくったおいらの心も小春日和って感じです。
 一般人は、ガソリン使ってこんな山奥まで来て、一人当たりわずか1000円もらって、縁もゆかりもない人間たちの前で、歌を歌ったり楽器の腕前を披露しよう、というような考えはもたない・・・っていうか、恥ずかしくてお酒でも入らないと、のどが開かないんダ 
(この程度の認識力で演奏家の心映えを想像しようというところが、
さむい)。

 さて、会場では開演30分前にはそろそろ入場しているお客さんが、出始めてる。ちょっと、平均年齢は高め。品のよろしい方がほとんどのようにお見受けした
(わりいのはおいらだけ〜♪)。
席は最前列から3行目(って、Word,Excelじゃないよん)。
ここなら、もし何かあってもすかさず演奏者を<攻撃>できる位置だ
(何しに来た?)。
 
 会場は満員で、後ろには立ち見のお客さんも!
もっとも、そんなに広くはないスペースなのでこれだけの人数は、
音響的にはどうか?
 新潟県には5人しかいない「古楽ファン」(たけどんの妹しらべ、
てゆーか推測)が、この県央地域には100人近くも集結しているのだ(・・?)。
もし今、ここ「漢学の里」でテロが起きたら、たちまちにして新潟県の古楽ファンは壊滅状態だ、と断言できよう!


 会場にはチェンバロが2台。イタリアンタイプとドイツのタイプ
(『ドイツの・・』って、なんて言うんでしょう? イングリッシュとか、フレンチみたいな言い方って、ドイツの場合は? 
どいちゅ、とか、どいちぇひ とか?
                <教えて、ビケ♪さん!>)

そして、ヴィオラ・ダ・ガンバが3台、3つとも大きさ、種類が違う
みたい。会場は三方がガラス張りの開放的な空間、ガラス越しには庭園と、その向こうには紅葉した山々、
さらにその彼方にはひとつだけ、雪をかぶった一際高い山が見える。
気持ちのよい景色を見ながら、優雅な音楽に浸りまくりの、堪能しまくりの一日っていうか半日となることを祈らん・・・。

 開始時間二時を、少しばかりまわっって、館長さんが入ってきた。いよいよ挨拶の後に開演だネ。

 「みなさま、ようこそ、当館の館長の目黒(中略)、
   本日は誠に良いお天気となり、れんじ・・(後略)」

館長さんのご挨拶もいいが、このイスはおいらにゃ、合わない。
出来ればリラックスした姿勢でゆったりと演奏を楽しみたい。
しかるによって、このイスを4〜5個占領し、体を横たえ、右肘をカキッと曲げ、その上に頭を載せた姿勢で聴きた〜い。(←こども)

 しかし、おいらとHO君とそれをやった暁には、
「きみたち二人は、出ていってくれたまい!(−−#)」、または
「おまえとおまえは、帰ってよしっ!」などと言われそうなので、
今回この案件は却下していきたい。

「おうちで音楽を楽しむ感覚をコンサートホールへ持ち込みたい!」
この難解な課題に解決を与えることが、これからのおいらのコンサートライフにおける、最重要課題と言える (かえれ!!)。 

しかし、考えてみるに、ホールの広さに比べて観客数が少々多いんじゃ、とか、おいらのしりがこのイスと相性がいまいち、とかは思い切りおいらの個人的な感慨であることであるし、振り返って、不必要に大きなホールで、だいきれいな「ぶらぼ〜やろー」にかこまれることもなく、このようなサロンふうのコンサート形式で、古楽演奏をたっぷり楽しめるのは目黒館長さんのお力のゆえもあるのであり、以上を鑑みたうえに、ここで実力行使に打って出ることは極めて幼児的行為であるとの世間智もあることでもあるし、結局、さんまはめぐろにかぎる、と思った (yep!)。


 むむっ! 前半から飛ばしにとばしすぎて、まだ本題が始まってもいないのに、けっこうな文字数になってまった。いかん。

     ・・・と言うわけで、後半に続きます。近日公開!


それでは、ちょっとだけ、予告編(後編ではカットされます)
をどうぞ・・・。

・・・おいらのきらいな「ぶらぼ〜やろー」が一人も存在していないのがよい。もっとも、この狭い空間で「ブラボー」と叫ぶのは恥ずかしい。これに比べれば、
らくだが針の穴を通る方がたやすい(わけがない)。
そういえば、ブーニンのときも「きゃつら」がいなかったのは素晴らしかった。

「・・・彼らは『ぶらぼっ!』と<ご自分が>言いたいだけなのだ。
あるいは、ここで何の掛け声もないと演奏者に対して失礼に当たる、自分こそ、その使命を天より拝命しているのだ、
とでも思っているのか。畢竟、演奏がいいとか悪いとかは関係が
ないようである・・・べらぼうめ!(−−#)」 

 (たけどん、のほほん白書99年版「ぶらぼ〜やろー、その生態の
   実態」しらべ)


・・・ということで、続きはまだおいらの頭の中です。
あらかじめ構成を考えておかないと、脱線が多くて、まとまりが
つかないことがおおいので、困ったものです。

 書き始めると、なんてことはないのですが、とっかかるまでが、
長いんですよ。アレも書こう、コレも書いちまえとか膨張、脱線の繰り返しです。大抵、思ったような結末にはたどり着かないことが多いのはご存じの通りです。 はう〜。

 

 

 

投稿時間:02/12/22(Sun) 02:42
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:たけどんさん、ありがとうございます!

 

前編の保存版を作ってくださり、ありがとうございます!
後編、待ってます〜!

 

 

 

投稿時間:02/12/25(Wed) 00:43
投稿者名:たけどん
タイトル:Flowers for Somebody

 

もう、くりすまと・ます。そこでいつも気づくのは、
「年賀状書いてねえ〜」
クリスチャンでもなんでもない、おいらでも
このクリスマスの雰囲気は好きです。

たとえ、12月25日が、実はイエスの誕生日でもなんでもなくても、
たとえ、みんな教会なんかに行かなくても、
クリスマスとは全然関係のないラヴソングが
「クリスマスソング」として売られていても、
小売業界の年末商戦のためのイベントであったとしても、
それに参加するお金が、おいらにはなかったとしても。


そんなこんなで、「音楽の花束vol.10」後編・・・

 会場にはいるといつも、チェンバロ制作者の高橋さんが、
楽器の調律をしている姿が目に入ります。
彼も挨拶をなさるのですが、その高橋さんのお話を聞くと、
このようなかたちのコンサートを開けるのも、さまざまな人たちとの出会いがあり、また、その人たちとのつながりを大切にしてきたからなのだ、ということが分かります。

 音楽、いや、何かを作り上げるあげるということは、
人と人とのつながりが基本にあるのだということなのでしょう。
「作る、というのは、極めて人間的な営みなのだ」
とは言葉にするまでもないような当たり前のような事ですが。

 第三者は「その対象を制作するというプロセス」だけに焦点を当てて見がちなもの、しかし、今回「つくる行為そのもの」の時間と空間を切り取って見つめていては、気づかないかもしれないこと
「深かさ」だけではない、「広がり」をも、もつ営みなのだな・・・
と気づかされました。

楽器を造る人がいて、その楽器を演奏する人がいて、
コンサートを作り上げようとする人たちがいて、
それを聴きに来る人々がいて、
そして、さらに、この輪が広がっていくのか
・・・(やがて頭打ち、むっ)。


演奏者の皆さんは、ソプラノの風間さん、
ヴィオラ・ダ・ガンバの福沢さん、
チェンバロの水澤さん風間さんは新潟大学の出身の方のようです。

演目は
パーセル、オルティス、フレスコバルディ、
バッハ、ヴィヴァルディ、マレなど。


パーセルの「美しい島」

 おいらにとってパーセルは古楽に興味を持つきっかけになった作曲家。FM放送で流れていたアルフレッド・デラーの演奏による
「流れよ、わが涙」を聴いてしまったのが運の尽き。
そのすぐ後に、新譜としてデラー・ラストレコーディングと銘打たれた「嘆きの歌」が発売され、それをきっかけに彼のレコードを集め始めたという歴史があります。
 「美しい島」もそのアルバムに収録されていました。なつかしいやら・・でもデラーに馴染んだ耳にはソプラノによる演奏がとても新鮮に聞こえましたね。

 う、なんだが、響きが乏しい感じ。観客が多すぎるんじゃ? 


フレスコバルディのトッカータ第10番の感想は、
 お、覚えてない・・・。
頭にあるのは、演奏者の水澤さんが、
演奏が終わったとき、お腹の当たりで両手を組んで、ゆっくりと頭を下げてお辞儀していたのが、見ていて、とおっても、優雅で上品に見えて、すてきだった、ってことだす。
(ビケ♪さんのお辞儀はどんなふう? ズっシャーッて感じ?・・たまご投げないで〜!)


 福沢さんによるヴィオラ・ダ・ガンバという楽器の解説のコーナー
がありました。これはとても親切。素人にはうれしい心遣いです。
この規模のコンサートならではですね。ガンバが「チェロとリュート
の中間的な楽器」というお言葉があり、実際楽器の弦をはじいてもらうと、まるでリュートのような音がして、なるほどお〜、と納得。
これは本当に意外でした(存外にいい音)。

 ここは、チェンバロのように、休憩時間にこそっと触ってみると
か、あまつさえ弦をはじいてみるなど、この楽器に対して、それは
かなり勇気がいるな(できまい!)。


無伴奏チェロの5番の編曲(ハ短調をニ短調に移調)から、
プレリュードとガヴォット

 ヴィオラ・ダ・ガンバによる演奏。6弦のガンバでは低音部の支えが
弱く感じられる。会場のせいかも。
オリジナルのチェロによる演奏のほうが土台がしっかりしている感じ。フィンガリング、メカニックは見事なもの。でもその指の動きの
見事さに目を奪われて、肝心の音楽のほうがその後ろで鳴っているよ
うにさえ感じた。なぜ?
 パオロ・バンドルフォによる「無伴奏チェロ」のガンバによる全曲
盤があるけれども未聴。たしか「レコ芸」の寸評で、音楽の土台とな
る低音部の弱さを指摘されていた記憶があるのだけれど、それと同じ
事なのか?ガンバによる演奏ではバッハの意図を再現するには楽器自体
の限界があるということなのか?

 でも、サヴァールの演奏で組曲からの抜粋、メヌエットやジーグ、
ブレーの演奏を聴いても、特に不満は感じない。それは録音環境、
エフェクトによる違いなのか、ガンバに合うような舞曲を選んだため
なのか、ちょっとここでは結論は出せない。
 だったら、6番にすればよかったじゃん。ヴィオラ・ポンポーザ用の
さぁ・・・チェロピッコロの演奏もあるし・・・というのは素人の浅知恵かな。

その後で、「スペインのフォリア」演奏の際に使用した7弦の楽器は、
音的には好ましかった(おいら的に)。これまでのように響きが不足、
という不満は感じない。この楽器で「無伴奏」を演奏してくれた方が
よかったかも、なんてな・・・。


ヴィヴァルディのカンタータ「愛よ、お前は勝った」
バッハ「マグダレーナのためのクラヴィア小曲集(音楽手帳か)」から


 ヴィヴァルディもそうだけれど、テレマンのカンタータもあまり演
奏されないな、というのはいつも思っていましたね。
特にテレマンは膨大な数のカンタータが残っているとか。テレマンな
ど実はまだ、彼という作曲家の全貌さえ捉えられていないと言っても
いいくらいだとか。

 「四季」ばっか録音していて飽きなかったのかね、イ・ムジチ。
(儲かったからな)自分で発掘するとか、知られていない曲をコンサー
トにかけるとか(そんな曲ばっかだと確かに客は来ない)、
少しの冒険もできないで、どこが芸術家だ。
だから往年の、巨匠などと呼ばれてルーティン・ワークしか
やってこなかった音楽家をおいらは「芸術家」とは呼ばないのだ。


 (でも、作曲家も掃いて捨てるほどいて、作品も浜の真砂ほどもあって、それがすべておいらたちの前に提示されたとしても、それで人類
の音楽生活が豊かになる、とは言えんわな。
 お金や資源を浪費したうえ、人々にロクに省みられることのない
ゴミが増えるだけか・・・ってことは、「芸術家」はエッセンスを搾り取って、人々に提示するフィルターだ、とでも考えているのか?)

・・・ものには「言い方」というものがある。芸術家を便利な道具と
一緒にする気はない。だが、結果的に再現芸術家の活動の中にそうい
う効果があるということは否定できない
ということだ。・・・・などなど、考えたりする。

 (演奏、聴いてないじゃん!)  き、きいてるさ〜! 

でもヴィヴァルディもバッハも含め、古い時代の声楽曲はもっと聴かれてもいいと思う。(歌は音楽の基本だよ〜)
 バッハのアリアなら「あなたが私のそばにいれば」をやってほしかった。
このくらいの会場で、ダウランドのリュート歌曲なんかもじっくりと聴いてみたい。
オペラや楽劇ばかりがクラシックの歌じゃないことを
もっと、多くの人に知ってもらえたらなあ、と思います
(リートもあるよ)。

 ああいう唱法が"脳天に来る"という人もけっこういるはず。
尋常ではない状況を作って、肥大化した歌唱技術を披露するために、
筋書き上「狂乱した」ということにして歌い叫ばせるようなものは、
そうそう受け入れられるものではない、それなりにこちらの気構え(ノリ)も必要
ではないかと(押しつけがましいってこと?)。 

 オペラのアリアなんか、おいらには歌というより別の、何かテカテカし
た「つくりもの」に感じるけれども。まあ、おいらが「歌」に対して求めて
いるものがそこにはない、ということなんでしょうけど。(感性がないってこと)


スクルージとクラチット

 なんと、気づかなかったんですけど、バロックの声楽曲を生で聴いたの、おいら、これが最初なんじゃないかな。
もう何度も、生で聴いているような気がしていたんだけれど、どうだっけな。
 CDでさんざん聴いているから、初めてという気がしていなかったのか。思い出せる範囲では・・・記憶にない!
あれれれ〜? 
(意外にしょぼいコンサートライフの実態があらわにっ!)


自分の精魂込めて作り上げたものを、みんなと分かち合える喜び。
自分の喜びを多くの人々と共有できる幸せ。
それを実際にやっている人間たちがここにいる。

何て素晴らしいんだろ、何て・・・。

おいらたちの前で演奏している彼らを見ていて、そう思う。
お客さんもよろこび、おいらも会社もうれしい。そんな風に
自分も仕事をしていきたいと、願ってはいる。
 そんなふうに仕事ができるのはすごく素晴らしいことだと
思わないかい? (・・・できればね)。

音楽の花束、人々におくることができる彼らが、どんなに
うらやましく思えることか。

 
 ほほ・・・ここで、おくりものってことで、クリスマス・・・

 もうすでに何度も映画化されている。ディケンズの「
クリスマス・キャロル」(おいらは、昔のミュージカルの奴が好き)
その中で、スクルージのところで働いているクラチットは、
端から見ると「バカ」のようにさえ見える。
有能とは言えないし、貧乏かもしれないが、彼の方が雇い主の
スクルージよりも「豊かな人生」を送っていたようにおいらには見える。(もちろんスクルージが改心する前からね)
それは、なにゆえなのか?
 物語の最後でスクルージが「贈ったもの」は
「プレゼント」だったのか「お金」だったのか(どっちもじゃないの)?
それによってスクルージは、いったい何を得たのか・・・?

年に一回この時期、幸せを噛みしめるのも、
幸せについて考えるのも、騒ぐのもいい。
そのついでに、ちょっとだけ考えてみれ。

年に一回、この時期だけ真摯な気持ちになれたなら、それは奇跡だ。
なぜなら奇跡は二度も三度も起こるものではないから。
そして、翌日には跡形もなく消えてしまうものだから。

おいらの人生に一番の喜びをもたらしてくれるものって、いったい何なのだろうか。
何を得たら、満足できるのだろうか?

・・・それは設問の設定自体が、途中から間違っている。


もう1つ、ディケンズにはクリスマスの贈り物に関する物語が
あったように思う。 (記憶違いがあるかも)

 ある夫婦がお互いにクリスマスのプレゼントを相手に
贈ろうと考える。二人は貧しい、しかし、彼らは互いに相手への
プレゼントを考えた。
夫は妻に髪をすく櫛を、妻は夫に懐中時計につける金鎖を・・・。

 クリスマスの日、夫婦はお互いに。その日まで秘密にしていたプレゼントを交換しようとした。
だが、残念ながら、二人のプレゼントは、無駄になってしまった。
それは・・・妻は金鎖を買うために自分の長い髪を、夫は、櫛を買う
ために自分の懐中時計を売ってしまっていたから・・・。


 ・・・「贈り物」は、無駄だったのだろうか・・・?


う〜ん、クリスマスなので、むりから後半に差し込んだけど、
つながりが悪い。けど、この時期はずしたら使えなくなるし、
せっかく思いついたんだし、タイムリーだし、生ものだし、
かなり書いちゃったし、、あとはまとめでなんとか
しないと、だね。 (なるのか?)

でっかい花束を贈れる人もいれば、二.三本の花に思いを込める人も
いるかもしれない。(めったにいない。しかも高い花はばかみたいに
高い)

唐突だけれど、アルジャーノンの墓に供えるのは、きっと
「どっかに咲いてた数本の花」でいいんじゃないかな。 
おそらくこの「flowers」は、花束ではない。

 二、三本でも花を贈りたいと思う相手がいるのは素晴らしいし、
別に居なくてもいい。(いつも心に・・・ってか?) 
年一回でもそんな気分になるのは素敵でしょ?
 ひょっとしたら、そんな気持ちが
あなたの人生にも豊かさを与えてくれるのかもよ?


神様が関係ないところで話をきめたい(おいらの場合)のだが、
時期が時期だけに、最後にひとことだけ触れることにしよ〜。
信仰心のかけらもないけど、この言葉は好きだ。

 

  「神は見ておられる。・・・ただ見ておられるだけである」


 ・・・笑いそうになるほど好き・・で、誰の言葉だ?

 

 

 

投稿時間:02/12/26(Thu) 23:55
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:たけどんさん、お返事です!

 

今回もうなづいたり考えたりの素敵なメッセージの贈り物を
ありがとうございました!
どこからお返事書こうかな・・・?

> もう、くりすまと・ます。そこでいつも気づくのは、
> 「年賀状書いてねえ〜」

Yep!Yep!さあ大変!

> クリスチャンでもなんでもない、おいらでも
> このクリスマスの雰囲気は好きです。

Me,too!

>  音楽、いや、何かを作り上げるあげるということは、
> 人と人とのつながりが基本にあるのだということなのでしょう。
・・・
> 今回「つくる行為そのもの」の時間と空間を切り取って見つめていては、気づかないかもしれないこと
> 「深かさ」だけではない、「広がり」をも、もつ営みなのだな・・・
> と気づかされました。

うんうん。いい演奏会を作るには、目に見えないところで、
たくさんの方の方が支えてくれて初めて、出来る事なのですよね。

> パーセルの「美しい島」

私も大好きな曲の1つです。私たちも5月のコンサートは、この曲で
幕を開けました。

ガンバって言う楽器は、おっしゃるように、現代の低音がブンブンなる
チェロに慣れた耳には、もしかして「物足りなく」感じられるのかも
しれません。でも、あの繊細さは、絶対にモダンのチェロでは
まねできないし、おっしゃるように、はじいただけでもあの、暖かい音が、魅力ですよね。
私は、ぺリオドでは鈴木秀美さんの録音、モダンではヨーヨー・マの
1回目の録音(まだLPだった)が好きです。

特に、チェンバロやガンバなどを、初めて生で聴きに行こうと思われる方は、
録音したものとは、全く違って聴こえることがあることを、
意識しておかれた方がいいかもしれませんね。
たけどんさんがいらした、今回の会場のように、もしかしたら、
古楽を聴くのにベストではないホールで、コンサートが行われる
場合もあるからです。そして、録音の場合は、最高の音響の会場で
録音されたソースが、多少の修正を加えた形で提供されているわけですから。
しかし、それでも、生演奏にまさる録音はないと思います。その空間に
聴き手自身が加わって、そこでなされる演奏者に、聴き手のパワーが
伝わって生まれてくるものだからです。
とにかく、その空間にいて、純粋に響きに身をゆだねられるもよし、
お辞儀を観察されるもよし、楽器「人が見てなかったら触っちゃおうかな〜?」もよし
(ほんとにやってみた結果についての責任は、一切負いません!)、
たけどんさんみたいに、いろいろな意味で楽しんでくださるのは、
きっと演奏者にとっては、うれしいはず。たまごは、没収です!!!

ご存知のように、モンテヴェルディの第2作法の、
「言葉は音楽の主人であって、しもべではない」
から始まって(実践はもうちょっと前から)、
バロック時代はとにかく、歌は言葉が生かされて書かれた時代。
バロックの歌曲(オペラよりも、リュートソングやイタリアのカンタータのような
単独の歌曲の方)の深さに比べたら、ヴェルディーやワーグナーは、
・・・良くも悪くも、時代が求めたものが違い、
それを受け取る私たちが何を求めるかも違うから、
どっちがいいとか悪いとかは言えませんが・・・
・・・私も圧倒的に、バロックの歌曲が好き。それだけは正直に言えるところです。

>  二、三本でも花を贈りたいと思う相手がいるのは素晴らしいし、
> 別に居なくてもいい。(いつも心に・・・ってか?) 
> 年一回でもそんな気分になるのは素敵でしょ?
>  ひょっとしたら、そんな気持ちが
> あなたの人生にも豊かさを与えてくれるのかもよ?

アメリカでは、クリスマスの後に、返品コーナーが大繁盛するとか。
もらったプレゼントが気に入らなければ返品できるように、
レシートも一緒に渡しておくそうなのです。
それって、とても堅実なのかもしれないけれど、何か違うって言う気がするんですよね。
語学学校で一緒の、メキシコ出身の女の子が言っていました。
「彼がね、『プレゼント、何がいい?』って訊くんだけど、
私はね、彼に選んで欲しいの。彼が選んでくれたっていうのが、
うれしいんだと思うのよね」
ちょっと、はっとした言葉でした。
きっとその子は、もらったプレゼントを見て、
「なにこれ〜!いらなぁ〜い!!!」
なんて、絶対言わない子なんだろうな・・・
人に何かを贈る、っていうのが、最近ありふれすぎて、あるいは、
義務化しすぎて、受け取る側も、贈ってくれた人の気持ちを喜ぶ、
って言うことを忘れているような・・・
あと、喜んでくれてもくれなくてもどうでもいい人へ贈らなくちゃいけない
っていう機会も、減らした方がいいかもね・・・(会社へのお土産とか)
そういうのも、送る側と受け取る側の気持ちのやり取りをすさませる原因かも。

さて、プレゼントが終わったら、今度はお年玉の季節。
最近の子供は、ちょっとじゃ喜ばないでしょう?
大人の受難の季節は続きますね・・・Good Luck!

 

 

 

投稿時間:03/01/22(Wed) 21:27
投稿者名:たけどん
タイトル:リアリゼーションとガンダム

 

ビケ♪さんがプロの音楽家なので、
その芸術的再創造とかの営みを、推し量り(下司の勘ぐり)たい意味もあって
おいらもなにか「ものをつくる」っちゅーことを語ってみていと思います。

 全然説得力がない(・・・という風に「全然」は否定的な文脈で使う)
かもしれないし、賛同も得られないかもしれないのに、やる。
しかし、読んでも「ナンのこっちゃい」状態が安易に予想されるし
読むのも疲れるし(まただよ〜ん)。苦労の割には共感を得られないかも。

 <でも始まる・・・> まずは基本知識から
ビケ♪さんを始め、女性の方は、しっとるけ〜この名前をっ!

「ガンダム」さん

放映されたのがもう20年以上前でいまだに新シリーズが制作されている
という、もうアニメキャラ界におけるひとつのジャンルを形成しちまって
いるロボットの名、及びその名を冠したアニメーション作品。
 現時点でも新作が制作、放映されているが、原作とはお話的には全く別
の物語で、ただメインのロボットの名前とデザインが「ガンダム」なだけ。
でもそれなりに数字(視聴率)も取れて、オモチャ、キャラクター商品も売れ
るんでしょうな。狭い意味では初代、ファーストガンダムを指す(・・って、
解説になってね〜!)
 え〜と全身、主に白くて、青いちゃんちゃんこと赤い腹巻きをして、
刀2本背負った、高さ18メートルの腹ん中に入って操縦する兵器。
銃も持てるし靴は赤いしで、盾もある(つのも2本ね)。

 毎回違う敵キャラ(ロボット)が出てきたそれまでのロボットアニメと違い、
ロボットを純粋な兵器としてとらえ、運用、メンテナンスなども描かれ、
敵味方の相対化(敵が必ず悪であるとは限らないなど)、主人公が熱血でない、
主人公ロボットに必殺技がない(しかも故障もする)など、
当時としては、ご都合主義を廃した画期的な演出のアニメではあった。
いまだに初代を支持する声は大きい(商売になる)と思われる。

アニメ業界が低迷したときには「○○ガンダム」をこれからも作るらしい。
 類義語に「ウルトラマン」「仮面ライダー」など(昔の財産で食っていけるの意?)。


「ガンプラ」

ガンダムのプラモデルのこと。本放映は視聴率が悪くて打ち切りになった
のだが、放送終了後にアニメの人気が出たため(なぜか)、めちゃくちゃ売れ
てしまい、思いもよらずバンダイに莫大な利益をもたらしたキャラクターモ
デルの、いちジャンル。
 キャラものとしては初めて、モーターやゼンマイなどの動力、玩具性を排
して、デザインを重視したディスプレイ志向のキャラクター・プラモの先駆
けであった(よな?)。

サイズを60分の1、100分の1、144分の1など統一スケール・シリーズで
発売したこともあって、スケールモデラー(戦車とか飛行機など、ミリタリー
モデラーも含む)の流入を呼び込み、その結果、
パーツの合わせ目の消し方、ウェザリング(汚し塗装)、改造など、リアルさの
表現をキャラクターモデルに持ち込み、それまでプラモに色なんか塗ったこと
もなかったガキどものモデリング・スキルを底上げするきっかけともなった。
 ともあれ、ガンプラは、わけのわからない女子学生まで巻き込んで、当時
一大ムーブメントを起こしちまったとか。


 そんなことが今から20年以上前でしたかな。
おいらも買ったけど作らなかったアイテムが結構あって、
みんな捨てちまいましたな。

それが'95年に新シリーズとして、ガンダムのプラモデルが現時点でのバンダイの
技術力で再開発されたのですな。題して「マスターグレード」モデル。
これは現在でも新アイテムが発売され続けております。

おいらもさっそく買い込み、作りましたですなガンダムとかザクとか。
いい年こいて、久しぶりにプラモを作るということが楽しい、と
思ったのを覚えております。

 それにしても、プラモデルの技術の進歩に驚きました。
昔は各パーツの合いが悪くて、すき間が空いたり、段差が出来たり、
結構、モールド(鋳型)が甘くて、パーツのエッジ(角)なんかタルくて・・・
(例えば本来、立方体のはずのものが、面と面の合わせ目{折れ目:辺}に
アール{カーブ}がついてしまっていて、直線と平面だけで構成されたもの
になっていない。
=本来、角砂糖のような感じであるはずのものが、角がピシッと出ていない
サイコロのようになっている)つまりは、全体的にキレがない感じでした。

 それが「マスターグレード」モデルは各パーツの合いもよく、接着剤
(セメダインとか)も不要になり、多色成形(色を塗らずとも完成品が設定に
近い色分けになるように、必要な色数でパーツが出来ている)で色を塗ら
なくても、おまけに付属のシールなどを貼るだけで、それなりのカッコイイ
完成品を手にすることが出来るようになっていたのです(いい時代になったものだ〜)。

(昔のは結構、パッケージの完成写真など見ても、ユーザーの持つイメージとは
異なる、あるいはイマイチの製品が多かったし、接着剤、塗装は必須といえた)


さて、そんな恵まれたアイテムを前にして、なお「模型を作る」ということに
対して「語るべきこと」など、あるのかね?

あるともさ〜。


1.「キット(プラモデル)の制作者(企画設計者)が意図したものを再現する」
2.「地道なしんどい(やりたくない)作業」
3.「自分が持っているイメージを反映させる」
4.「説得力」
5.「オリジナリティ」 (現物が存在しないものは<何でもアリ>か?)
6,「内包される危機」 (ユーザーの拡大による)

ということで、いってみたい・・・が、どうか? (↑当てにならないゾ)



 おいらはプロのモデラーでもないし、そんなにしょっちゅう模型を作っている
わけでもありません。一個完成させるのに、3か月から、モノによっては買って
から完成まで10年以上かかったものもあります。途中まで作って、何年も
ほったらかしで、気が向いたときに手を入れてやる、っていうか、気が向かないと
何ヶ月でも何年でも完成しない。だって、趣味だも〜ん。無理やり完成させ
ないといけない締め切りなんてないも〜ん。

 でも、一度手を入れたものは何年かかっても必ず完成させてやりたい、とは
思っております(かわいそうだし)、一旦完成しても、たまに眺めてやって、
気に入らない部分に気がつくと、「そのうち何とかしてやる心」が芽生える
のには困ったものです (当分はそのままほったらかしのまま)。


模型に対して中途半端なスキルしかなく、知識も大して無いやろーが、
ものづくりに対して何か語りうるのだろうか?
ビケ♪さんたちがそんなものに興味を持つだろうか?

(たけどんをとめるなら、いまのうちだっ!!)

・・・「おやめください」または「再考を希望」とレスしてくださいませえ〜。

 

 

 

投稿時間:03/01/23(Thu) 23:37
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:形になるものは、何でも楽しい!

 

模型だって、何だって、自分のイメージと、自分の手で
作り上げていくことって、楽しいです!
私の場合、やったことのある曲をブラッシュアップするよりも、
新しい物に挑戦するほうが、ずっとExciting!
作り上げていく過程が、いいのでしょうね・・・

演奏という、再現芸術は、不完全な設計図しかない模型作りの
ようなものかもしれませんね。
バッハさんが残した大雑把な設計図(=楽譜)を読み解きながら、
バッハさんの「ガンダム」のイメージって、こんな感じかな〜?
と、多分に作る人のイメージが混ざりつつ、なんとなく形になっていく・・・
あれ?手と足が逆だぞ!?でも、作り手も鑑賞者も、本物がどうだったか
わからないから気がつかない〜!
(もしかして、天国でバッハは、「こんなんじゃなぁぁ〜いっ!」って
怒り狂っていらっしゃるかも・・・うんうん、きっとそうだ・・・)

・・・なんてことが、なるべくないように、様式とかその他の予備知識を
動員するのですが、所詮、完璧な設計図は残っていない世界の話なのですよね。
最後の最後は、やはり、作り手のセンスに頼るって言うことになるのかな。

だんなが蕎麦打ちを始めて、言っていたことは、やはり、
「だんだん形になっていくのがうれしい」
でした。
モノつくりの経験が全くと言っていいほどなかったから、
本人にとっても、その喜びは、新たな発見だったようです。

模型を本格的に作る方には、また違った楽しみ方があるのでしょうね。
日本で習ってた英会話の先生の1人が、ミクロマン・マニアで、
ミクロマンの飾り場所がなくなったから引っ越したいけど、
外国人だから、アパートを貸してくれる大家さんがいなくて、
見つかるたびに、外国人だとわかると断られる、と嘆いていましたっけ。
その先生、ミクロマンの話題となると、
止まらなくなっちゃう感じなんですよね〜。
こだわりが凄かったんです。色の塗り方一つにしても(忘れちゃったけど)
とにかく、自分のイメージ通りに作るために、いろいろ試していたみたい。
付属していない部品も、自分で作っちゃってました・・・

というわけで、たけどんさん、続きも大いに語っちゃってください。
楽しみにしてますよ〜!

 

 

 

投稿時間:03/01/14(Tue) 00:55
投稿者名:たけどん
タイトル:「錨は巻き上げられ炎の時代が始まる」

 

 正月も終わったと思ったら、成人の日も終わった。
この頃新成人どもが式典でさわぐことったら!
20歳なんて「まるっきり、子どもじゃん」(おいらのおつむもだ〜)

昔は十五歳で元服とかいってましたけど、当時はその歳で
じゅうぶん大人の精神を持っていたのでしょう。
今は体の発達は昔よりも早いけど、精神の発達が遅くなっている、
どころか成長、止まってるんじゃ・・・?

 この先医学が発達して平均寿命が百五十歳とか二百歳とか
になっても、子どもでいる時代(主に精神面)がびょ〜んと伸びて、
結局、「一人前のおとな」して生きられる期間は
実感として変わらず、もっと生きてえ、ってことになるのかも?

つまり、給料は上がったんだけど、その分贅沢して食費が
かさんじゃって、結局、エンゲル係数は前とあんまり変わんないで、
可処分所得は実感としては増えた感じがしないってオチ・・・。
二十歳どころか三十歳過ぎてもガキのまんまで、でも法律上は
成人で選挙権もある・・・。これからは、成人は三十歳にすれ〜っ!

 ということで、わがままなガキどもが跋扈する
世界情勢が年頭から不穏な雰囲気。
 え〜、この掲示板で政治の話をするのは、無粋っていうか、
場違いだし、おいらもするつもりもありませんが、お約束はしない。


 しょーがつの間に、買って、積んどくままになってた本を読ん
でしまおう、なとど目論んでいたのですが、また買っちまったいっ!
(年末年始に)
だーして、こーお金のない時にかぎっておいらの興味を引く本が
そこにあるのだ?いや、目につくのだ? (いやなら、本屋に行くなよ)
 

だって、買いたいんだも〜ん。
(ほしい〜! とにかくほしくなるのだっ)
「本棚やそこいらに本をこれでもかとつんどきたい心」
がうずくのだ。これも物欲の一種か? おもしろそうな本を見ると、
辛抱たまらずゲットゲットしたくなるのだ。買ったらもう安心
(よまないのか)。
 全部一斉に読み始めるのだ。毎日少しずつ。
(おもしろいと思ったものは集中的に)
子どもの頃は一日に何教科もやってたじゃん。
おいらの場合、全く手をつけていない、という本はない。
(でも、多少でも頭よくなったってうわさは聞かないね)

おいらは、ベストセラーとか小説とかは読まないから、変なもの
(著者に失礼)
ばっか、しかも入荷数量が数冊とか、ずいぶん前の本だから誰かに
買われたらもうないとか、(古本でも見逃さない、ゆるさない)
そういう本ばっかり目を付けるから「出会ったときが運命の時」
なのだっ!
(類似語「おいしいときが食べる時」)


 そんな中でアメリカ関係の本が2冊。

「アホで間抜けなアメリカ白人(STUPID WHITE MAN
: マイケル・ムーア著)」

「だからアメリカは嫌われる(Why America Fascinetes and
Infuriates the World :マイク・ハーツガード著)」を読了。


「アホで・・・」には笑った(腹われそー)、
表紙のイラストがまるでドラッグをキメたような男とおねーやんが、
というキッチュな・・・
ああ、こんなん買うのやだ・・・・(買うかどうかホント迷った)。
帯に「バカタレどもの楽園にようこそ」って、おい
・・・ビケ♪さんが、たまごをなげようとしている〜。

・百万長者の数は      「おれたちがナンバーワン」、
・軍事予算の総額も     「おれたちがナ(略)」、
・投票率の低さも、     「おれた(略)」、
・二酸化炭素の排出量も   「おれ(略)」、
・有害廃棄物の排出量も   「お(略)」、
・火器による死者数も    「(略)」、
・1日1人当たりエネルギー消費量も、
・批准していない国際人権条約の数も
        
    etc・・・「おれたちがナンバーワン」・・・

笑ってていいのかな?
(アメリカではベストセラーになったとか、意外と健全だね)


 ・・・WINDEDUP ANCHOR,, FIRE WILL BE AFOOT!!

世界で唯一のスーパーパワーであるアメリカ。良きにつけ悪しきに
つけアメリカは注目されますな、冷戦時代はまだ世界の半分はソ連
を憎めたけれど、今はアメリカの一人勝ちの世界、その一挙手一投
足が大注目だす。


 アメリカが世界中でやってることを苦々しく思っている人々が
多いけれど、それと同時に(その中でも)「アメリカという国」に
あこがれをもっている人たちはすごく多いでしょうね。
アメリカの政策が気に入らなくても「アメリカ『人』が嫌い」と
いう人はそんなには多くはないだろうし。
 あの国民性、ウェルカムだし、開放的だし、明るいし・・・
(大ざっぱなイメージ) 結局、「嫌われているアメリカ」っていう
のは、アメリカ政府、ワシントンのやり口、ということなのかな。


 たとえ、選挙で選ばれたのではない(不正による)人間が
ホワイトハウスの大統領のイスに座っていたとしても!
「なら、たった今ペンシルヴェィニア・アヴェニュー1600番地
に居座っている男は何者なのか」(「アホ・・・」より)

これは結構確証がある話らしい。とくにフロリダ州(ブッシュ弟が
知事)での不正は人種差別がからんでて許し難い。
(詳しくは上記二冊のどちらにも書いてありますので読むのも
いいかも)
そんなことすらもう、どうでもいいことになってますな。
特に「9.11」が起こってしまった今では。

 テロリズムが悪なのは論を待たないし(異論はあるぞ)、
擁護するつもりはないし、怒り、悲しみも当然だけれど、
「さあ、復讐だ」って突っ走る前に、
「我々はなぜ、こんな目にあったのか」ということを、
もちっと深く考えれ、と思っていた。
ところが、それが彼らにとってはそう簡単な話ではないらしい。



 米国人はあまりにも自分の国の外に対して関心がなさ過ぎるよう
なのだ。「アメリカは世界一の国だから、世界で一番豊かな国だか
ら、嫉妬してるんだ」ってのは、余りにも浅薄でいただけない。


「WROLD」というのはアメリカ人にとってはほとんど
「=アメリカ」のことらしい
(もっとも、日本人にとっても、アメリカで名が売れると
<世界の○○>となるのを見ると実質ほとんど同じらしい、
それでも外の世界に関心がある、という点では
アメリカ人よりはちったあましだと思うが、どうか?)。

「欲しいものはすべて、ここアメリカにある」のにどうして
ほかの国々を気にかける必要などある、と思っていたのだろう、
9.11までは。

「外国人は疑問に思う。なぜアメリカ人はこれほどの影響力が
ありながら、これほど世間知らずなのか?・・(中略)
アメリカの国民はとてもオープンなのに、
どうしてアメリカの政策はひどく尊大なのか?
そして、その政策の対象が不満をもらしたり、さらには反撃した
りすると、なぜアメリカはショックを受けるのか?」
 (「だから・・」より)

・・・アメリカの一般国民と(これでも大ざっぱすぎる括りだけど)、
アメリカ政府、一握りのエリート層を一緒くたにして、その性質を
捉えようとするからだね。


うう、アメリカ批判に終始しそうな予感。

彼らが世界に広めようとする「グローバリズム」とは、
「自由と民主主義」とは、その背後にある「正義」とは
いかなるものなのか?

〜「正義」ってのは、常に議論の種になる。
でも「力」の方は非常にはっきりしてて論議無用だ。
人間は「正義」に力を与えることができなかった。
なぜなら、「力」は正義に反対して、「それは正しくない
正しいのは自分だ」と言ったからである・・・
このようにして人は正しいものを強くできなかったので、
強いものを正しいとしたのである。 〜(byぱすかる)
・・・勝てば官軍ってことね。


 アラブにもアメリカにも「理」があって、それぞれの正義がある。
でもアメリカのは自我とかナショナリズムとか肥大しすぎてるって感
じがする。もう9.11のときの犠牲者3000人を超える、無辜の民間人を
アフガンでもう4000人以上殺しちゃって(軍は否定らしいけど)、
傀儡政権作ってビンラディン逃して、次はイラクか。
どこまでいくのだオイルマン・ブッシュ。
(閣僚って、いつもみんな企業の取締役とかばっかですよね。
実質的大統領のチェイニーを始めとして)

 寄り道ですけど、
「100人いれば100通りの正義」という言い方あるけれど、
こういう言い方、表現が大ざっぱで好きではない。
人はそんなに正義(政治でも愛でも)のことなんか考えちゃいない。
精々、10〜20もあれば、お釣りが来るくらいの数でしょ、きっとね。


それぞれの国、民族さらに進んで個人、はたまた個性まで尊重
しようじゃん、という考えが<通用する国>では「お話し合い」で
問題解決・・ってことになるんだろうけど、甘いんじゃないの。
お話し合いってのは、お互いに妥協点を見いだすってことでしょ。
それってぶっちゃけ「どうして、それくらいあなた方は
相手に譲れないんですか!?」とかいうことになりそうですな。
もちろん双方譲らない(自分側にメリットがない正論など無力)。

特に宗教がらみの問題の時は難しい。
宗教を蓄積された生活習慣、慣習のヘビーなもの、心の安定剤
くらいにしか考えていないから合理的な思考で多少の妥協くらいは
可能なはず、なんて考える。
宗教ってものをナメてるとしか思えない。
特に日本人(宗教オンチ(・.・?))。
 宗教は世界を知るうえで、非常に重要な<キーワード>なのだ。

信じてもいない神様の前で結婚したり、
そのまま神社で七五三したり、お盆はお寺行ったりして。
教会もそんなやつらの結婚式挙げるな、
隠れキリシタンの死に様、心意気を見て恥ずかしいと思わないのか!


ま、日本人はそういう宗教にメンタリティの安定や支配のために
利用し、される段階を卒業したのだ、と(よく言うなら)言えなくも
ないのかも知れないけれどね。
 だからもしおいらが外国人などに「おいら無宗教」と言って、
すっごく驚かれてまるで、ケダモノかエイリアンのように見られて
も、気後れなんかしない! 
(外人の友達なんていないし、仏様いるしでおいらは平気だ)


・・・まずいぞ、ダラダラ書いてたら、まとめ方が皆目見えない。

「自分は絶対正しい」と思ったときほど、相手に対し不寛容に
なってまうのだな。特に<宗教的情熱を持ったとき>ほど人間は残酷
になれるらしい。神の正義のため、悪魔を撃つってんだから当然
かも(魔女狩りとかね)。

 自分の依って立つ「正義」、自分の側にある「理」に対しても
常に問いかけ続けていかないと「独善」に陥っちゃう。

日本にも多いみたいですな(目立つだけか?)。
「次のファシズムは『戦争反対』の声と共にやってくる」
らしいですな。もうひとつ言ってやる

「地獄への道は『善意』で敷き詰められている」
 (誰のことを言ってる?)

・・・問いかけるものって?
「その正義自体が、その正義のために
自分のやってること自体が、正しいのか」ってことをだす、常に!

目的は手段を正当化しないのだと肝に銘じねば。
・・・(実際は反対の原理で世界は回る。だから困難)

自分たちは被害者なのだ、自分たちに正義はある、と
思った国は・・・しかもその国の国民は外の情報を十分に
与えられていないのだとしたら。
 
 
 〜実際には世界は、正義と不正義という、括りでばかり
戦争するのではないのだな〜

〜世界のなかで最も傲慢な4%が世界の富の4分の1以上を独占して
いる事実を正当化することは非常に困難だ。

「未だに世界の人口の30%が電気がないらしい。もっと驚くことは
世界の人口の50%が電話をかけたことがな意という事実だ。
こいつらが、『おれもおふくろに電話をかけたい』とか
『すしの出前が取りたい』とか言い出したらどうするんだ。
ぐはあっ! 大変だ!」 〜(「アホ・・・」)

 貧しい国がアメリカのような暮らしに憧れたとしても、誰が
責められよう。彼らに対し、自然環境を守れ、開発はするな、と
のたもう正当性は誰にあるのか。
しかも、自分たちはたっぷりとエネルギーや資源を浪費しながらだ!
 安い農産物を貧しい国に輸出して、その国の農業を破壊し、
見たこともない食料品で、貧しくても取りあえずは自給できていた
伝統的な食生活まで破壊する。
自分たちの商品をを売りたいところへ売れることが
自由貿易、グローバリズムなのか?
関税は、その国の産業を保護するためには、あってしかるべきでは
ないか?

その、面白いものや興味があるものを、何でもかんでも自分のもの
にしたがる子どもみたいな性癖をまず、なんとかしろ〜い。

十字軍の時はアラブ側が先進国で、ヨーロッパは完全に遅れた
野蛮人だったサラディン(サッラーフ・アッディーン)なんかおいら、
尊敬にする人物だと思う。
 いま、アメリカはアラブ・イスラムのことを
どう思っているんだろ。
正義も、民主主義も、神の言葉(英語のこと、イヤミ)も通じない。
野蛮なやつら? オレたちが正義を教えてやる?

 イスラムも、本来異教徒には寛容な宗教だったはず。
サラディンは無闇に捕虜を殺したりはしなかった
(ヨーロッパ側とは大違い)。イスラムでは異教徒でも共存
できたのだ。異教徒は殺すか、改宗させるかだ、というのは
キリスト教の側だ。
それが今はアルカイーダだ。過激派だ。なぜだ?
どこで道を誤ったのだ。どこでねじくれてしまったのだ?

人の命を、人間をなんと思っているのか?
「人はただひとつの方法でしか生まれてこない。
しかし人はさまざまな方法で殺される。剣で、銃で、ロープで、
だから人々よ、命を冒涜するな、命を生み出す力を愛おしめ・・」
ある古い、ふる〜い歌。

いいお話だ。でも立派な警句も、現代人は恐るべき拡大解釈を常に、する。

・・・自我の肥大。

「あなたと言う人間は、世界で<たったひとり>しかいない」
「あなたは誰とも交換することなどできない存在だ」
そのとおり。
自信なくしちゃった人には効果があるかも知れ、なくもないかも。
でもそれは「世界中も、あんたの<価値>を認めてる」って事を
意味しているわけではないわな。

家族や友人にとっては「おいら」はかけがえがないかもしれないが、
おいらとさっきすれ違った人にとって、おいらには「特別な価値」
はない。誰かと交換可能な「誰か」でしかないよね(ウマの骨だ)。

 
人格はそれ自体ですばらしんじゃなくて、良くしていかなくちゃ
何の価値も持たない(特に他人にとって)。自己責任、健全な判断力を
伴って、初めて他人と互いに共感し、信頼し、又されることができる
(by佐伯啓思)のだそうな。

この共感が崩れたところで、「権利」だ「正義」だのを唱えても
そうすればするほど権力をめぐる争いに巻き込まれていくだけなのだ。


うーん、でもこんなの日本の、中学生向けの話、のような気がしてきた。

自己の正義、自我が肥大した国々に対して、正論ぶっても誰が聞くというはなしですな。

カーター元米大統領がノーベル平和賞って?
エジプトとイスラエルの和平を実現させたのはニクソン政権下の
キッシンジャーで、カーターは調印の場にいただけなんでしょ。
それでもカーターにあげたというのは、賞を与える側(ヨーロッパ)の
ブッシュに対する牽制のような気もするな〜(精一杯の)。


アメリカはイラクが大量破壊兵器を持ってる証拠を握っている
らしいけど、イラクの嘘を実証する、動かぬ証拠は国連に提示は
しない。だって、その衛星写真とか提示したら攻撃時の効果がなくなっちゃうから(移動されちゃったりね)。

だからイラク攻撃は突然始まるらしい。
軍事の専門筋は3〜4日間で、バグダッド制圧は可能だと考えている
ようだけど、アメリカ側のタイムテーブルでは3〜4週間という期間が
設定(いやな言い方)されている。
それは、アメリカがこの戦争を最新兵器の見本市にしようとしてい
るから、らしい。
ホント言うと、イギリスなんて居なくてもいいのね。
装備のレベルが違いすぎて、アメリカ単独でも何の問題もないらしい。かえって連携をとる手間がかかるだけみたいな。

新兵器の威力のデモンストレーションとなると、これまでイラクに
武器を輸出してきたロシア、フランス、中国の商品がまったく陳腐化しちゃう。
これが、ロシアとフランスがなかなかイラク攻撃に賛成するのを
渋る原因のひとつでもあるみたい。


イラクにはアメリカの設定したタイムテーブルを変更させるどころ
か、延長させる力すらもない。でも問題は・・・。
せっぱ詰まったイラクのイスラエルに対する攻撃による
第5次中東戦争が起こる危険性があること。
この不確定要素はどちらにどう転ぶかわからない。

ブッシュはテロリズムは痛めつけて止められると考えているらしい
けど、それは新たな憎しみと、テロの火種をまきちらすだけだろう。
 テロとの戦いを表明したことには、ロシアも中国も大賛成だ。
自分たちの政府・軍隊に逆らうものはすべてテロリストとして
処分できる世界的なコンセンサスが出来たらしいから。
パレスチナなんてろくな軍もないのに、強力な軍隊を持った
国連決議連続無視のイスラエルにどうやって対抗せいというのか?

もうきりがない、結論めいたことも思いつかない(またか)。
テレビ見ても、本読んでも分からな(わけがなかろうーっ)。
「こんな結論もない話、こんだけ書きやがって!」と町内で大顰蹙だわさ。

も、読み返す気力も、な(でもカキコする)。



 今回タイトルを「FSS」のモーターヘッド(機動兵器。ま、ロボットと思いねえ)
ヤクト・ミラージュの正式名称を借りたので、
しめもFSS「プラスティック・スタイル」から


 ・・・・続いて早春の雪解けに開いた花がささやく。

           「我を、われらを助けたまへ・・・

 

 

投稿時間:03/01/14(Tue) 13:33
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:
お願いしまーす!

 

・・・といいつつも、ピーマン頭がばれることを覚悟で、
私なりの意見もやっぱり書かないとまずいよね〜・・・

私自身は、ヨーロッパやアメリカに来て、「無宗教」とは言えず、
とりあえず、「仏教徒」とか言ってみている、不遜な奴。
クリスマスに教会で音楽付きミサでもあれば、「そのうちクリスチャンに
なるかもね〜!」と、フリだけしても音楽は聴きに行きたい、不届きな奴。

宗教。パンドラの箱かもしれませんね。
いままで、宗教のせいで、どれだけの血が流されてきたか、そして、
今また、どれだけの血が流されようとしているのか。

でも、私は、宗教を否定はしません。
私の友達には、職業柄、日本の人口に対するクリスチャンの割合を
はるかに上回る割合で、クリスチャンがいるし、また、いわゆる
新興系老舗の信者を名乗ってはばからない人もいます。
みんな、私がとっても尊敬する人たちです。
もちろん、彼ら彼女らは、人をむやみに勧誘することなどしませんし、
信仰との上手な付き合い方を知っている人たちです。
陰では「最後に救われるのは私たちだも〜ん!」とか思っているかも
しれませんが、そんなことどうでもいい。人格者です。

宗教はまた、あの美しいグレゴリアン・チャントや、
コーランのカリグラフィーや、すばらしい寺院や教会の建築を残しもしました。

人間は、同じものから、こんなにも違うものを作り出してしまう。
宗教戦争も、芸術も、同じ人間が作り出したものです。

なんで人間は、こんなにも宗教を必要とするのでしょう。
人間は理性に頼ることなんて、所詮無理だから、なのでは
ないでしょうか。

例えば・・・
世の中に、自分の配偶者に一度も腹を立てたことがない人なんて
いるでしょうか。
その人のためを思って、その人を良くしようと思って怒った、
ではなく、自分の意に沿わなかったから、という理由で、
腹を立てた、と言う経験がない人っているでしょうか。

人間は、自分が完璧でないのを知っているから、
それでもいい、って言ってくれる人が必要な存在だと、
私は思います。
その人すべてを受け入れるのが、愛、だとしたら、
夫、または妻に対して、「お味噌汁がしょっぱい!」
だの、「部屋もっと片付けろ!」だの「トイレのふたは
ちゃんと閉めて!」だの・・・(あーあ、とたんに
世間話モードになってきたな〜私って所詮この程度)
そんなことで、「イライラ!」など、しないはずです、
本当に理性的に愛を実践できるなら。

例が悪いですね。でも、ごめんなさい、マザー・テレサだったら、
誰にも腹を立てなかっただろうか・・・
立てなかった、かもしれませんが、人間は全員がマザー・テレサではないでしょう。

アメリカに限らず、世界中の人が、一度考えて見たらいいのではないかな。
信仰とか、宗教が必要な理由を。
では、(今のところ)信仰が必要ない私たちっていうのは、なんだろう?




追伸・たけどんさんが読んだ、

「アホで間抜けなアメリカ白人(STUPID WHITE MAN
: マイケル・ムーア著)」

「だからアメリカは嫌われる(Why America Fascinetes and
Infuriates the World :マイク・ハーツガード著)」

読みたい!!!アマゾンドットコムで買えるかな?

 

 

 

投稿時間:03/01/15(Wed) 23:10
投稿者名:たけどん
タイトル:
うほほい(ねじがとんでる)

 

何をおっしゃいますやら・・・

> 私なりの意見もやっぱり書かないとまずいよね〜・・・

まずくはないですヨ。今回の「レス」、どうもありがとうございました。この掲示板で論争をしたいと思っているわけではありませんが、
それにしても、今回の内容はどうよ、と自分でも「やってもうた」
状態です。新年だし、特別増刊って事で・・・読み捨ても可なり。


> 私自身は、ヨーロッパやアメリカに来て、「無宗教」とは言えず、
> とりあえず、「仏教徒」とか言ってみている、不遜な奴。

おいらも、きっとそう! (なにい〜っ!!)
相手が何も知らないのをいいことに「仏の道とはなー」とえらそう
に大ボラを吹きまくるかと思いきや、小心者だからできまない。

「い、いえす。ぶってぃすとですいず・・」みたいな。


> 人間は、同じものから、こんなにも違うものを作り出してしまう。
> 宗教戦争も、芸術も、同じ人間が作り出したものです。
> なんで人間は、こんなにも宗教を必要とするのでしょう。

なぜ、日本人の宗教に対する態度はこんなに無節操に見えるんで
しょうね。
きっと昔は「宗教は総合デパート」だったんでしょうね。人間が
生きる上で必要な精神文化がなんでもそろっているよん、みたいな。
 でも、人間がいろんなことをやったり、行ったり、作ったり、
考えたり、してるうちに、こちらがより神の御心に近い教えではないか
今までの教えは変だ、などと、最初は宗派分裂くらいですんでたものが、行動範囲が広まるにつれて、成り立ちのまったく違う教えに
出会ってしまった。それでまた、すったもんだの争い。
(おれっちのほうが正しくて、おまいは悪魔じゃ)

人間の精神は恐ろしいくらいに拡大膨張し、もう既存宗教では
その精神的支柱になるには役不足となってきている。
現代は、そこいらへんにいろんな「専門店」ができてきて、
「デパートはなんでもあるけど、品揃えが古くてね〜」などとなって
きているのかなと。

「こっちのお店の方がいいよね。やっぱ○○は専門店出なきゃ」
みたいな。(お金でも仕事でも趣味でも科学でもネットでも)
でも「××に関してはやっぱデパートよね〜、格式があるし」
のような状態かと・・・。

昔のように宗教に全面的に精神の拠り所を求めてはいないのが
いわゆる先進国どもなんでしょうね。(そうでない人もいる
相変わらず、現代科学では解決できない問題や、幸福になれない
人たちはいるのは事実ですからね)。

宗教がその元来持っていた使命を<少しずつ>お役後免になってきている
という時代、かな。日本では特に敗戦ショックでその程度が著しい
のかな〜と。(物量には精神では勝てんのじゃーみたいな)

 宗教界も時代と共に自己変革を遂げているけれど、その全世界的な
流れはとどめようもない。でも、だからといって頑ななムスリムが遅れた迷信づいた人間なのかというと、それは言えないのですな。なぜか?
(さあ〜?)


日本人のような宗教に対する態度は外国人から見ると不遜に見えるでしょうが(おいらか書いたように)、これは当の日本人が宗教ってものを
人生、生活の中でその位しか必要としていない、というだけのことなんでしょうね。けっして外国人が言うように(言ってるのか?)
エイリアンでも悪魔でも信用できない人間でもない、と思いますけど。


それがいいか、悪いかは全く別の話ですけれどね。

ついでに言うと、日本人が英語をしゃべれないのも学校でのカリキュラムが試験を想定しているだけで会話を重視していないとか、脳の言語中枢がどうだとか、ありますけど、最大の原因はきっと違う!
これらも問題なんでしょうけどね。では、最大の原因とは何か?

 「・・・必要がないからだ!」

世界には英語が出来ないと、良い仕事にありつけないとか、生活に支障
があるとか、そういう国がたくさんある。そういう国の人々は必至で
英語を習得しますよね、きっと。英語なんか出来なくても何の支障もな
く生活できる日本ってステキ・・・?

「女の中にも好ましい女と嫌いな女がいて、好きな女の中にも
我慢できない嫌いなところがあって、そんなすべての女性の中で
も、一番好きだと言われることが、いちばん愛されてるってことじゃ
ないんですか?」   (これがなんの解答なんだろ?)

とこれ以上長くなるとまたナンなのでこのへんで。


> 読みたい!!!アマゾンドットコムで買えるかな?

答え: わかりません(でも、ゲットしてね)。

 

 

 

投稿時間:03/01/21(Tue) 04:25
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:
ピーマン頭のわたくし。。。

 

ちょっと興味を引かれる記事を見つけました。
読んでみて、みなさまのお考えをお聞きしたいです。
管理人は、ピーマンHeadなので、あ〜なるほど、そういう考え方も
できるのか〜と関心するばかりで、正否はトンと判りません。

http://www.so-net.ne.jp/e-novels/hyoron/j-bashing-under.html

その辺から、日本人の宗教観についてもヒントを見つけられそうな、
気がして(って気がするだけです)。

それから、もし、アメリカがイラク攻撃をしない、という選択をした
場合のシュミレーションをできる方がいたら、お願いしたいです。



例えば、私がヴァイオリニストで、ストラド(億単位するヴァイオリンの
名器)を3台も持っているライヴァルのヴァイオリニストを、
一生涯恨んでいて、ある日、そのうちの1台を踏みつけて
壊したとしましょう。
ライヴァルは、警察に私のことを突き出すでしょう。
で、当然私は有罪になり、刑務所行きです。
・・・とこれは、考え得るもっとも簡単なストーリー。

ところがもし、ライヴァルの奏者が、「あなたが私のことを恨みに
思っていたのは、とうの昔から知っていました。あなたが踏み壊した
楽器は、私が持っていた中でも最も大事にしていたものです。
でも、あなたの気持ちも理解できなくはないし、私はまだ2台、
ストラドを持っているから、警察に通報するのはやめます。」
と言ったとしたら、どうか。
・・・心の奥底では、「イメージアップに利用したな。」と思いつつ、
「参った。」とも感じざるを得ないでしょう。

それとも、憎悪が増すだろうか。もともとの恨みが、「嫉み」から
発しているとすれば・・・その人の才能・財産・美徳・・・
どこを取っても否の打ち所がない彼女が、その美徳をまたまた高める
行動に出たら・・・

以上は、私が単に「悪人」だった場合。

もし私が、狂人だったら・・・

彼女はすぐに、警察に私を突き出さなければなりません。
私は何をしでかすかわからないからです。あとの2台のストラドも、
叩き壊すかもしれませんから。

こんなことでしか、シュミレーション出来ない私です。
でも、人の命が奪われること、出来ることならば避けなければならないと
思います。とは思うけれど、いったい何がどうなればいいのだろうか。

 

 

 

投稿時間:03/01/27(Mon) 01:33
投稿者名:たけどん
タイトル:
「星の王子様」に会いにいけ

 

ビケ♪さんが感想を求めておられたので、ここはぜひおいらも・・・
と思ったのですが、どなたかがカキコされるかもしれないと、手ぐすねひ・・
・・んにゃ、公園の木陰からソッと覗いていたのよ、ひゅーま!


どなたも、おられないのなら(ちょっと、嫌だろーけど)おいらの出番だ、
覚悟しィ〜や。さて、どうなりますやら。おいらも出たとこ勝負さ。

・・・「あまりにひどい」とお感じの際はお知らせください。削除いたします・・・


え〜、読んだ感想は、と「好きくない!」「学ぶべきこともない」以上。
・・・で終わると何の意味もないので、もう少し(いっぱいかも)。

この笠井さんという方は作家さんで、いわゆるプロの物書き。
このページがどういうサイトのものか分かりませんけれども「NAVI」と
いう本に連載されたコラムらしいですから「公開されたもの」という
条件の下で書こうかなん・・・。

上のような条件の文章に対するものなら、ご本人も反論等は覚悟の上で
しょうから。いいかな、と。一般の方のカキコならこんなことは絶対しない、
おいら本名名乗ってないし、卑怯だし。 
(↑ジツは「ひきょう道」2段・茶帯、まちぶせ、不意打ちお手のもの)


まず全体の感想から。
この方は1945年生まれで現在57歳くらい。このコラムは10年ほど前の
ものなので、40代も後半の時の文章・・・って、ホントかよ〜。
全体のとんがった感じ、ルサンチマン(憎悪)が吹き出したような文章、
評論というより、まさにバッシング! 日本に対する愛情などかけらも
感じられない。まるで、自我が肥大した賢しい高校生が書いたみたい。

「日本人が嫌い・・・憎悪している」という文から始まって、尋常ではない。
こんなんで評論なんて書けるの?って感じです。
かなり、知識はあるんでしょうな。おいらなど足元にも及ばないくらいにね。
思想書なんか、たくさん読んでるんでしょうね。

日本人とレイシズムとかで、「フジモリ大統領」を成功した日本人として
遇することが、ナチスと暴力的なレイシズム(民族差別主義)的なパーソナリティ
を共有しているう??? その根拠は?
「黒い肌、青い目の日本国籍所有者や中国残留孤児を日本人として認めないからだ」
ほお〜。要するに見た目で国籍を判断している、その「国民」というものに
対する認識の浅さ、狭さをいってるのね。
それがいきなり暴力的レイシズムと共有するものがある、というのは、
飛躍じゃないんですかね。

日本人論を書くに当たって、「実感的比較論」も「理論的比較論」も結局は外国と
日本を比較して、最初から著者のアタマの中で決まっている「劣っている」
「優れている」と結論を書くのだから意味がない、とか。
では、どうするのか?

ジノヴィエフというロシアの亡命作家が自国を批判するのに外国や、
過去の時代と比較することを「安易な方法である」と批判していたので、
同じような方法をとる・・・。

おいら、ジノヴィエフを読んだことはないけれども、思うに、彼が外国や
過去と、現在の国家を比較して批判することを戒めしめていたのは、
共産主義が標榜していたスローガン「差別がない」「貧困もない」などと、
現実のソ連社会があまりにも落差がありすぎていることを批判していた
からじゃないのかな。

つまり、「本来共産主義が進むべき道」と「現在のソ連のたどるそれ」が
あまりにも違い、欺瞞にみちていることに対し、
まだ共産主義の思想に共感を持っていた彼が、国家を批判するに当たって、
資本主義の各国や過去のロシア帝国と比較すること(昔はよかったとか、
アメリカはイカスとか)は思想的に後退であり、反動に当たる、と
共産主義者としては考えたんじゃないだろうか。
つまり、ジノヴィエフの態度は(おいらが推測する限りでは)筋が通っている。

ジノヴィエフ批判するに当たっての「批判の足場」は、はっきりしている。
「正しい共産主義」でしょ。
ひるがえって、笠井さんの立場って何なの?「正しい日本の在り方」って、
あるの?そんなものを提示しているとは思えない(あるいはつもりもない)。
批判の拠り所は、日本っていうか「自分の周り」に対するルサンチマン。
それでも筋が通っている批判なら存在する意味はあるだろ。でも、
・・・「ためにする批判」それは批評なのか?


ガッコをやめるのも勝手だ。「学校で教えるのは知識ではなく、受験技術
でしかないから」と論理的に言ったそうだ。まわりのすべてにうんざりして
いたのだとか。世界のどこかに自分の求めるものが・・・ああああ。

それは「観念の遠隔対象性」というのだ。
人間は観念の過程にある限りにおいて、より遠隔なものを志向するって
やつだあ。
「ガッコはくだらない。教師もくだらない。親も友達も・・・」
そして空間的、時間的に自分とは離れたものにあこがれる。
つまり、「ランボー」とか「ベートーヴェン」とかね。でも、
本人が気づいていないのは、もし、そのあこがれの対象が身近にいたら、
真っ先に、そいつが自分の軽蔑の対象になっていたであろう、ってことだ。
「嘘つき、誇大妄想狂、けち、だらしない・・・」などなど。

青年期の突出した自我をもてあます、というのはありがちなことで、
別に悪いことではない。しかしそのまま年をとるのはまずい。
いい年をして、昔の自分を恥じらいもなしに肯定的に語るのは、
おいら、恥ずかしいと思うけど、どうか?
そして「そのまま大過なく三十年やってきた」というのはどうよ?
・・・幸運なんだか、たいした才能をお持ちなんだか。

なんか、今回はギャグが浮かばないっすね。毎回ごとに言いたいことが
いっぱいあって、このままだと終わらないな〜。

とりあえず「日本人の残虐性」という回については書いとこ。
松井さんが日本人の残虐性を見たというエピソード、「ラッシュアワーの
駅のホームで浮浪者ふうの男が倒れて、泡を吹いているのに、
誰も見向きもしなかった」というものだ。・・・・んんっ?
これ・・・「日本人の残虐性」? 
無関心とか、冷淡というなら分かるけどね。

それを見ていたご当人も結局「何もしなかった」のね。っていうか、
しようとしたら「見た目アメリカ人女性」が駅員を呼んできたんで
そこを離れたってことらしいけど・・・。

じゃ、ニューヨーカーは倒れた人間を見るとたちまち集まって介抱を
始めるのだな? そうか。 パリではどうだ? 日本でもあなたが昔住んでいた
東京の下町はどうなんだ? 地方の田舎は?
どうしてアメリカ人だと分かったんだ? アメリカ人ふうの服装に顔つき?
どうしてオーストラリア人じゃないんだ?
星条旗でも着て、テンガロンハットに拳銃でも下げてたのか?
日本人かもしれないぞ、たとえ英語を話してたって「吉田さん」かも知れん
じゃないか! 見た目でしか国籍を判断できないのは笠井さんが軽蔑する
日本人の典型だよな。
ああ、自己憎悪だとも言ってたっけか。


アテネ人、ジンギスカンとも、敵、奴隷などを同じ人間として見ていなかった。
日本人はもっと狭くて、自分の共同体以外の者は同じ日本国籍をもっていても
人間とは見なしていない・・ってか?
だから南京虐殺もできるのだ・・・って?  
日本人のヒューマニズムなんて欺瞞・・か。
ぶっ飛んでるじゃん!

ポルポトの虐殺はどうなのよ、学者や技術者は不要ってことで二百万人から
殺して、それに文化大革命とやらで千(百だったかな)万単位の同胞を殺した
中国はどうなのよ。
思想に裏付けられた粛正は、「同胞」を虐殺しても残虐じゃないっての?


・・・などなど、「枚挙」にいとまがない(つまり「きょ」)のでこのへんで。

おいらには、日本人論として一考するに値するとは思えないのでした。
おいらが認められないと思ったのは、ぶっちゃけて言うとこうです。
 
日本や日本人が嫌いなら、
本売って稼いだカネでとっとと他の国へいって住めばいい! と思うのに
そうしない。これは、在日の人たちに「帰れ」などと暴論を言うのとは違います。
(おいらはそんなことは絶対言わないし、彼にはそれが可能だろうから)

彼が今まで生きて飯を食ってこれたのは、彼が嫌い、軽蔑している日本人
から稼いだお金なのだということをどう考えているのか。
 つまり現状の日本で、さまざまな恩恵を「たっぷり」享受しながら、
批判ばかりしている。しかし現在の立場を捨てようとは、決してしない。
左翼系運動家によくありがちなパターンですな。(本人は違うらしいですが)

・・・このような態度のひとの言うことをまともに受け取れるでしょうか?


「戦っている」というなら。思想的に理解できなくても、「なかなかの人物」と
いうことはあり得ます。おいらはこの人のことは何にも知らないので、
この連載コラムで受け取れる印象でしか語れませんが。
「・・・・そうは思えねえ」。

自らの属する「文壇」も他の業界と同じく「ケイレツ・ダンゴー」が幅を利かす
世界なのだとか。それを批判するが、それを変えようと何かアクションを起こしたの
か? それともこうして「コラム」で批判することがそれに当たるというのか。
若くして文筆業で生計を立ててきた裏の苦労などおいらはわからん。
もしかして「センセー」などと言われて、のぼせて「特権意識」など
持ってしまったのではあるまいな (お前ら愚民どもとは違うのだなどと)。

結局、自分の意見を補強するために自己体験や、結局国際社会まで持ち出して
いましたね。こういう自我むきだしの文章は、読んでても気分が良くないや。
大人なら、大人らしい(定義はしらんが)文章を書いてもらいたいものだす。


「遠くまで見える者が何か言っても、近くしか見えない者はそれを聞かない。
近くしか見えない者は遠くまで見える者をきらうんだ」
大人たちは若い人たちにとってはうるさいだけだし、でも大人もそれを子ども
に納得させる事は出来ないだろうね。子どもたちが道に迷うのを、こうすれば
いい、そうしてはいけないなど、道を誤るのを分かり切っているのに、子ども
を説得することはできない。
でもそうして、子どもも大人になって、子どもを持って気づくんだ。
自分もあの軽蔑していた父親や母親と同じ「くだらない大人」になっていることに。

「私たちに厚いパンを与えるために、親たちは重い罰を受けなければ
ならないのではないか。そして最悪の罰は私たちと疎遠になることである。
親たちが私たちにパンを与えるたびに、私たちは親に無関心に
なるばかりでなく、次第に親よりも立派なものになっていくからである。
 恩を忘れるところに私たちの力と美があった。私たちは愛情にこだわらない
おかげで、あらゆる罪悪を知らずにすんだ。
・・・パンのためにあくせく働くのは、なんとなく卑劣な、いやしむべき
ことのように思われ、両親のそばにいると、彼らが不潔に思われ、はげしい
反発を感じた。
 毎日おやつに食べるあの厚いライ麦のパンは、正確に言えば、われわれが
働いて手に入れたものではなかったがゆえに、たいへんにおいしかったのである」。
                           (ミラー「南回帰線」)

「親」が「国」「ふるさと」に置き換わっても、ほぼおなじだ。
どう生きるかは、個人の選択だし、恩を返すのが正道とは言わないけれど、
この「育む者の苦さ、悲しみ」を心のどこかに置いておいても損はないだろう。
「悲しみを知らぬ者」に勝利など、ないのだ (・・・と思いてえ)。


「本当に大事なことは、目には見えない。物事をちゃんとみるにはこころが
大事なんだ」
サンテクジュペリは「人間が素晴らしい能力」を持って生まれてくるのに
それを無駄にしているのが悲しかった。

 時間をかけて、ゆっくりやればいいことを、急いでやってダメにしてしまう。
 他人を支配しようとして、押しつぶしてしまう。
 見た目ばかりで判断する。
 何でも数字にして、それで分かったつもりになる。
 他の人を見ないで自分が中心だと思いこむ。


みんな本当に大事なものをちっとも大事にしない。
「星の王子様」を書いてもサンテクジュペリは幸せではなかった。
戦争の真っ最中には、その言葉がみんなに届かないことを知っていたからだ。
なぜ、主人公は子ども、王子様なのか? なぜ、舞台は「砂漠」だったのか?


責任、友達、本当に大事なこと・・・そんなことがこの本には書いてある。
みんなつらい思いで生きている。中には甘やかされて何でも欲しいものを
与えられる人もいる、でも手に入れてみると、つまらないものばかり。
しっかりした頼りになるものが欲しいのに、そんなものは、ない。

砂漠は人間に妥協しない。あらゆる過酷なことを要求してくる。
でもその試練に耐えて、人間は鍛えられ、磨かれて輝きだす。
きびしいけれども、だからこそ、大事なことを教えてくれる砂漠・・・。
心を鍛える小さな砂漠として、「星の王子様」を机の上に置いておくのも
いいかもしれない。  (以上、NHK「星の王子様に会いに行く」)

逃げないで、責任を背負って生きてきた「平凡な人間」たちを
バカにする権利など、口舌の徒ごときには、ない! (ほめちぎるのもウソくさいけど)


うわ、意外と長くなっちまったよん。どうしよ、2つに分けたほうがいいかな
これからは。ビケ♪さん、どう思います? 
シミュレーションはできてないっす。

批評文の中の「日本批判」についてより、筆者の批判になったのは
ご愛嬌(・・で済むか?) 


「削除要求」のレス、つつしんでお待ちしておりますね。

 

 

 

投稿時間:03/01/28(Tue) 04:20
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:Re: 「星の王子様」に会いにいけ

 

たけどんさん、お見事!
私は、知識も思想も何もないですが、なんとなくちがうんじゃないか〜
と思っていたのです。
でも、たけどんさんが書いて下さったことで、私自身も目からうろこが
落ちました。

> 「親」が「国」「ふるさと」に置き換わっても、ほぼおなじだ。
> どう生きるかは、個人の選択だし、恩を返すのが正道とは言わないけれど、
> この「育む者の苦さ、悲しみ」を心のどこかに置いておいても損はないだろう。
> 「悲しみを知らぬ者」に勝利など、ないのだ (・・・と思いてえ)。

私も、本当にまだ至らぬものゆえ、こうしたこと、言われるまで気が
付かずにいました。
自分もぜんぜん、見えていないのですよ〜。
ジャパンバッシングの感想や批判を超えて、
いろいろ諭して頂いた感じです。

「星の王子様」のこのフレーズ、
目に見えないものが何か、に気が付かなければ、
全くセンスをなさないのだけれど、
それが何か、って言うことから考え始めてみようと思います。

たけどんさんの書き込み、今回のは特に、後半がよかったです。
若気の至りに気づかされます。
もし、あまり長い文章を読むのになれていない人がいたとしたら、
後半までたどり着かないともったいないですね。

シュミレーションは、無理しなくてもいいですよ!
たけどんさんのお好きなように、今回みたいに、意見を
聞かせていただければ。ありがとうございました。

 

 

 

投稿時間:03/01/28(Tue) 23:45
投稿者名:たけどん
タイトル:「常識」

 

世の中、混沌としてくるといろいろな事を言う人が出てきて
どれが正しいんだか、わからなくなりますよね。

混乱が収まった後になると、「あれは、コレが原因で、あのとき
こうしていれば避けられたのだ」とか、見事な解説をしてくれる
人々がわんさか・・・。
バブルの崩壊に続く不況の時代、この泥沼の状況になって、
バブル期の事を解説する経済学者、ジャーナリストなどメディアに
出ずっぱりですが・・・
「お前らっ! どーしてバブルがはじける前にその危険を叫ばなかったんだよう!」

・・・言ってた人がいたのかもしれないが、聞こえなかったな。

終わってから解説するのがお役目なのかな? 
今経済学者が言っている経済対策なんて、「週間天気予報」と同じだ
(ほどんどアテにならないと判断するしかない)。
はずれても責任取らなくていいし、たくさん持ってるだろう言い訳も
素人には解らないしね。


みんながみんな、知識も思想も持たなくてはいけない、なんてこともないし
なくても平気です。
ただ、気をつけておいたほうがいいのは

「今まで信じてきたこと、常識だったことが、たとえ<間違っていた>こと
がハッキリしたとしても、『その時流行の新思想、パラダイム(世界観)』などに
安易に飛びつくべきではない」ということでしょう。

今回問題だった「ページ」のように、ハッキリと理由は明示できないけれど、
なにか納得できない、と思ったら、けっして明確な反論が出来なかったとしても
相手に承服のサインを出してはいけない。
「よく分からないけど、腑に落ちない」・・・その「センス」こそ大事にしましょう。


自分の国で、共同体で家族の中で、友人や知人を大事にし、普通に生活してきたのなら
その長年培われ、地縁、血縁から受け継いだ感覚が「オカシイ」と感じたものには
「それってヘン。なんでだかわかンないけど」で十分でしょう。
理由を説明する義務なんて、ない。 
「証明責任」は、新説(珍説?)を言いだした方にある。


(UFO、霊はいる、なども同様。「存在しない証拠はない」なんてのは、何の反論にもなってないぞ〜)
「長いから巻かれちゃえ」ではいけませんな。(巻かれるのはラクなんだよお〜)


・・・では、なっとくしちゃったら?
例えば「ある思想」をもってすれば、あらゆる世の矛盾、問題がスパッと
斬れ、解答が得られた、明快な解釈がもたらされると、ビケ♪さんがその
「思想」の明晰さに驚いたと仮定しましょ。
でも、そいつに飛び込むのはちょっと待てっ!
新進気鋭の〜学者とか、○○教とか、××学だとか、
△△ズムとか、たけどん(←めいせき?)とか・・・

彼らの論法は鋭くて、あらゆるものをスパスパと切りまくる・・かもしれない。
でも彼らの理論は鋭くても「カミソリの鋭さ」っていうことが多いんじゃ
ないだろか。 
つまり、その思想で世界を変えようとかいう「大それた企て」を持つほどの
ものだったとしても、それは
「カミソリで大木(直径7〜8m位)を切ろうとしている」って気がするんだぜい。
かえって自分も、鞘も切っちまったりして。切れすぎるカミソリは使えね〜ぜ。
(何か、「ことばの遊び」っぽいですね、これ)


人間の体も「変化しようとする力」と「恒常性(維持)」とがせめぎ合っているらしい。
(もっともその力の表れる時間的なスパン(間隔)も状況も違うので、
単純にマンガチックにぶつかり合っているとは言えないのかも)

社会も、「変化」と「維持」を志向するさまざまな力がせめぎあっているので
変化は動物の進化並みにゆるやかでも、確実に昔のままではない。
人間の尺度で見てたら、「変えてやる」派も「このまま」派も、
どちらを志向する人間でも、はがゆい思いがするんでしょうな。


あ〜、戦争の話からなんだかとんでもなくズレたところに来てしまいましたか。

とりあえず、「模型づくり」の話の筋、考えないとな〜。
でも、あれこれ考えるより、前回のように書き下ろしの方がまとまる感じもする。
統一性はないかもしれないけど(日曜の夜8時くらいから3〜4時間で書いた)ね。

たてつづけだとなんかキレもなくなるな〜。
せっきょーくさいのも、なんだかね〜?
「常識に捕らわれる」とか昨今、あんまり好印象のない「常識」ですが、
そんなに捨てたモンじゃない・・どころかあなたを救うかもしれんですぞ。
とりあえず知識、思想より先に、基本は「こもん・せんす」でいこ〜!

なんという映画だかわすれましたけど。裁判所で原告、被告、双方の証人から
弁護士、陪審、傍聴人まで大声張り上げ、悪口雑言、汚いことばを投げ合って
法廷中が大騒ぎを始めちまったシーンで、判事がとんかち(?)叩いて大声でこう叫ぶ!

「家に帰りなさいっ! 家に帰って、おばあさんに聞きなさい。それが『常識』だ」
なんか印象に残ってますって、それだけ。
(ウチにはいない、なんてゆーなっ!)

 

 

 

投稿時間:03/01/31(Fri) 14:01
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:
Re: 「常識」

 

ちょっと安心しました。
とりあえず、コモン・センスに照らしてみる、で
いいのですね!世の中みんな説明出来ちゃうことばっかりだったら、
喧嘩も戦争も起きないものねぇ・・・

それでも、何かをマジメに知ろうとか、分かろうとした時、
インターネットというのは便利なようで、
実は、とても危ないものだとも思うのです。
私がちょっと、目に触れた「評論」が、(もちろん、賛同する人も
いるだろうが)見る目のある人が見たら、あまり意味のないものだった・・・
たまたま、私はこの掲示板で、たけどんさんの意見を聞けたけど、
もっともっと若い(年齢だけじゃなくて、精神的にも)人が、
「おお〜!これは凄い〜!!!」って思って、鵜呑みにする人が
いないとも限らないと思います。
世の中のことを、マジメに考えている人ほど、陥りやすいかも。
どんな人でも情報を発信できて受信できるのは、確かに進歩かも知れないけれど、
砂金取りのようなものでもあるかもしれませんね。
自分でよく吟味する責任があると思う。
それから、良い情報を発信することも、発信する側の良心でしょう。

 

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