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ある隠者の話 |
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ラインハウゼンとブレムケの間にラウンハウゼンの森が広がっています。そこにクラウスタールという場所があり、フルクトシュタインと名づけられた大きな岩があります。一際目立つこの岩には、こんな伝説があるのです。 2つのグライヒェン城、アルテングラヒェン(古いグライヒェン)城とノイエングライヒェン(新しいグライヒェン)城に騎士が住んでいた頃のことです。それぞれの城に2人の兄弟が住んでいました。アルテングライヒェン城の騎士と奥方の間には、すでに年をとっていたのですが、子どもがいませんでした。弟である、ノイエングライヒェン城の騎士は、遺産を将来を引き継ぎたいと願っていました。来る日も来る日もそのことを夢み、年老いた兄が死ぬのを待ちこがれていました。 ところが、アルテングライヒェンの騎士と奥方の間にとうとうお世継ぎが誕生したのです。おめでたいニュースにみんな喜び、お祭りを行いました。お祭りの音楽はノイエングライヒェンまで聞こえてきました。邪まな弟は、兄の遺産をのがした悔しさはおさまりませんでした。アルテンブライヒェン城を手に入れられなかった現実をなかなか認めることができませんでした。弟はまだ、このことをあきらめられず、どうしたら、兄の遺産を手に入れられるであろうかと、常に考えていました。 とうとう弟は悪いアイディアを思いついたのです。かつて戦争で命を助け、自由にしてやった男がいました。男が弟に多いに感謝し、弟のためなら何でもすると言ったことを思い出しました。この家来を呼び、弟は尋ねました。
「アルテングライヒェン城に、少し前に男の子が産まれた。将来、かの城の後継ぎとなるが、それを妨げて欲しい。それがお前にできるわしへの恩返しと思え」 家来は主人の言葉を聞き、ぞっとしましたが、誓いは守らなければならないとも思いました。クリスマスの夜、アルテングライヒェンの騎士が、奥方と共にレイヒェナウ修道院のミサへ出かけた時、僧服を来て、家来は城にしのびこみ、誰も見ていない隙に男の子をラインハウスの森に連れ去り、置き去りにしました。森に小さい子どもが置き去りにされたらどうなるか、運命は森のみが知っていました。家来はいくら誓いのためとはいえ、自分の非道な行いに絶望し、もうノイエングライヒェン城には帰りたくなくなりました。 しかし、どこへ行ったらいいかもわからず、故郷、ラインハウゼンに帰ることにしました。ラインハウゼンの修道院で懺悔を行い、修道院長に修道士として修道会に受け入れてもらえないかとたずねました。そこで自分の悪行をあがないたかったのです。しかし、修道院長は、そんなことではあがなえきれない罪を犯してしまったと言いました。隠者として森の中で孤独に生活することが、贖罪の道だと教えさとしました。 男は命じられたまま、修道院領であるラインハウゼンの森に高い岩をさがし、贖罪の道に入りました。そこからは2つの城を見ることができました。岩に大きな割れ目があり、中の穴では風雨をしのげます。この小さな住処では、横たわったりしゃがんだりするのがやっとできるほどでした。毎日の糧を森でさがし、近くの泉で水を飲み、罪を償うため、岩かべにのみで十字架を彫りました。そばにあった石の腰掛けは、休息の時に役に立ちました。 冬が来た時、隠者はすでに髭も髪ものび放題の上、強い風や日ざしのせいで顔は日焼けし、すっかり変わってしまいました。もう誰も彼だとわかる人はいないでしょう。隠者は近くの村を訪ねては、年老いた人を助け、森で見つけたよく効く薬草を煎じたものを使い、病気の者を助けました。また森で道に迷った者を導きもしました。しかし、隠者が最も親切に助けてあげたのは、子どもたちに対してでした。隠者はみんなに慕われ、お礼に人々から糧をもらい、こうして、冬をこすことができました。隠者の名前を知るものは誰もいませんでした。彼は岩穴にいる時は、いつも座っていたので、「しゃがんだ人」と呼ばれていました。 岩穴の上で隠者は座り、自分の運命の始まった城を見ていました。そして、そろそろ死に場所を用意しておこうと考えました。来るべき永遠の眠りの場所として岩を彫り、窪みをつくりました。 そして、幾年か経ち、ある日、隠者が村に来ませんでした。村人たちはどうしたことだろうと、隠者の住む岩穴に向いました。隠者は人々から大変頼りにされていたのです。ところが、いつものところに、隠者はいませんでした。何人かのラインハウゼンの木こりが、さがしに今のクラウスタールへ行き、そこで、自分で彫った窪みに横たわっている隠者の姿を見つけたのでした。 かつて、隠者が使っていた、窪みにある岩かべの十字架の穴と石の腰掛けには、まるで人が座っているかのようです。この大きな岩かべは後に「しゃがんだ人(フルケント)」に因んで、フルクトシュタインと名づけられ、かつてひとりの隠者(クラウスナー)がここに実在したという証として、今も尚この谷はクラウスタールと呼ばれています。
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