原典:http://soeweb.syr.edu/thefci/fcfacts.htm ファシリテイテッド・コミュニケーションについての事実 ダグラス・ビクレン (Douglas Biklen) 著 対象者が指し示しまたはタイプしようとしている間に対象者をガイドすることを、ファシリテイテッド・コミュニケーションは決して伴ってはいけない ファシリテイテッド・コミュニケーションのアイディアは、対象者の選択をガイドすることでは決してない。ファシリテイテッド・コミュニケーションの過程において、コミュニケーションに障害のある対象者が意志伝達のために指し示そうとしている間に、親、友人、教師、発声言語臨床医、その他のコミュニケーション・パートナーは、対象者に身体的、感情的支援を提供する。手法には絵や文字を指し示すことが含まれうる。身体的支援には、以下のことが含まれる。人差し指を他の指から離すこと。震えにうち勝って腕を安定させること。指し示すペースをゆっくりさせるために、あるいは、衝動にうち勝つために、腕の引き戻しに抵抗を加えること。対象者がタイプを始められるように前腕、ひじ、肩に触れること。対象者が指し示すターゲットを繰り返し叩かないように、腕や手首を引き戻すこと。感情的支援には、勇気付けることを伴うが、やるように指示することは含まれない。 ファシリテイテッド・コミュニケーションの有効性を支持する実証研究がある 対照実験(例えば、Intellectual Disabilities Review Panel, 1989; Calculator & Singer, 1992; Vazquez, 1994; Weiss, Wagner & Bauman, in press)、観察研究(Biklen, 1990 and 1993; Attwood & Remington Gurney, 1992; Biklen, Saha & Kliewer, 1995)、自伝的記述(例えば、Eastham, 1992; Oppenheim, 1974; Nolan, 1987; and Crossley & McDonald, 1980)は、この方法が有効であることの証拠を提供している。ある研究者たち(例えば、Wheeler et al, 1993; Szempruch & Jacobson, 1993)がこうした肯定的な結果を再現できないでいることの一つの説明は、彼らのテストが有効でないことかもしれない。 障害者の潜在的な有能さを軽んじる前に、研究者は自らの研究の設計が有能であるかどうかを問う義務がある。 支援を与えている対象者のコミュニケーションにファシリテイターが故意にではなく影響(合図をしたり、導いたりということ)を与えていることがありえる 影響が生じうることはまったくその通り(例えば、Biklen, 1990; Biklen, 1992; Biklen 1993; and Intellectual Disability Review Panel [IDRP], 1989を参照)。IDRPの1989年の研究は、影響を受けることなくタイプができる人でさえ影響を受けうることを示した。それゆえ、ファシリテイターが自らをモニターし、影響を最小限に抑えるべく努めることは重要である(Schubert & Biklen, 1993)。しかし、対象者がファシリテイターの影響を受けるかもしれないという事実は、すなわち、対象者が影響を受けることなくコミュニケーションすることができないということにはならない! ファシリテイターが障害者の有能さや能力を信じていることは、ファシリテイテッド・コミュニケーションが機能するために必ずしも必要なことではない 対象者の能力を、それが表されるまでは、事前に判断する必要はない。たしかに、この手法に極端なまでの懐疑を表明してきた多くの人たちは、その結果として懐疑を証明することに成功してきた(Schneiderman in 1993)。しかしながら、他のどんな指示を与える状況でも、対象者がその手法に成功する能力があるとファシリテイター/教師が確信を表明することは大切であると我々は留意してきた。コーチが対象者が新しいスポーツを学ぶ能力に確信を表明したり、教師が若い学生が読みを学んだり数学の問題を解いたりするのに楽観にあふれているのと同じようなものだ。 ファシリテイテッド・コミュニケーションはテストできる 最初に対象者にファシリテイテッド・コミュニケーションを紹介する際には、対象者に新しいコミュニケーション手段に信頼を持てるように時間を与え、対象者をテストしたりしないことが大切ではある。が、このことは、ファシリテイテッド・コミュニケーションをテストすることは可能でないことを意味するものではない。明らかに、この手法が広く受け入れられるためには、多くの種類のテストと研究を通じて精力的に検証される必要がある。研究のためのテストがコミュニケーションの過程に割り込んで乱すことになるかもしれないという潜在的な問題にもかかわらず、研究者たちが対照実験(IDRP, 1989; Vazquez, 1994; Simon, Toll & Whitehair, 1994; Calculator & Singer, 1992)や観察研究(Attwood & Remington-Gurney, 1992)に成功しつつあることは喜ばしい。我々自身の研究は主に長期の観察研究(Biklen et al, 1992; Biklen & Schubert, 1991)から成っている一方、ファシリテイテッド・コミュニケーション研究所では対照実験もまた始めようとしている研究者たちがいる。 ファシリテイテッド・コミュニケーションは新しい手法ではない ファシリテイテッド・コミュニケーションは少なくとも30年前から(Oppenheim, 1974参照)用いられてきたことが知られており、スウェーデン(Schawlow & Schawlow, 1985の中の事例を見よ)、カナダ(Eastham, 1992)、デンマーク(Johnson, 1988)、オーストラリア(Crossley & McDonald, 1980)、米国(Oppenheim, 1974; Schawlow & Schawlow, 1985; L. v. Board of Education, 1990; Berger, 1992)でそれぞれ独立して発見された。この手法は最近になって広く普及したというに過ぎない。このことは、この手法について活発な討議を巻き起こすことになった。 ファシリテイテッド・コミュニケーションを用いて、性的虐待を告発した人々がいる。その中には、根拠があったものがいくつかある 虐待の告発を行った人たちがいる。しかし、ファシリテイテッド・コミュニケーションを用いている人からの告発の数が、口がきける人からの告発の数と割合として大きく異なっているという証拠はない。SUNY Health Sciences Centerで行われた調査によれば、ある一定の期間に性的虐待を受けたとして告発した6件のうち、4件については虐待を受けていた身体的証拠があった(Botash et al, 1994)。裁判で有罪となったケース(Randall, 1993)も、被告が虐待を認めたケースもある。障害のない人たちによる告発と同様に、根拠の無かったものもあるし、単に証明することができなかったものもある。 ファシリテイテッド・コミュニケーションを通じてなされた虐待の告発が、障害を持った対象者の言葉なのか、ファシリテイターの影響の産物なのかを探究することは可能である 調査においては、二人目のファシリテイターに入ってもらうことができよう。もし、対象者がその場合でも同じか似たような詳細で告発を繰り返すのなら、告発はファシリテイテッド・コミュニケーションを用いている対象者から発しているものといえよう。 今ではいくつかの法廷がファシリテイテッド・コミュニケーションを通じてなされた証言を受け入れている カンサス州ウィキタ Wichita での虐待訴訟で証言はなされ、陪審は被告人を有罪とした(Randall in Wichita Eagle, March 30 and 31, 1993)。また、ニューヨーク州最高裁判所上訴部門はそのような代替的方法による証言は個々の訴訟ごとに評価しなければならない(In the Matter of Luz P., Opinion & Order, January 14, 1993; Martin, 1993)と規定した。自身の訴訟において目撃者として有能であることを証明するために、Luz P. はファシリテイテッド・コミュニケーションを通じて彼女自身の考えを伝える能力を検証するテストを受け、そして合格した(Martin, "Facilitation theory tested", The Times Herald Record, July 31, 1993.参照)。 ファシリテイテッド・コミュニケーションには訓練を受けたファシリテイターが必要 これからファシリテイターになろうとしている人にとって、この手法が正そうと意図している特定の身体的問題について学ぶことは大切である。テクニックを練習し、対象者の眼がターゲットのどこにあるかモニターし、一人でタイプできる方向へ進むために必要な技能、指を他の指から離すことやペースなどを教え、ここから始まりというものを定式化し、身体的支持を最小限に抑えることは、新米のファシリテイターにとって役立つことである。ファシリテイターは、また、コミュニケーションに困難を伴っている対象者自身がタイプを支配するようにいかにして助長し、身体的影響であれ、言葉による影響(例えば、対象者の文章を代わって完結してしまうとか、次の文字や言葉を予想してしまうといった)であれ、ファシリテイターの影響をいかにして避けるかを学ばねばならない。 両親や友人も良いファシリテイターとなるために学習できる この手法を素早く身に付けられる教師や両親もいるようであり、逆に、長い時間がかかる教師や両親もいるようである。しかし、当初は困難だったが、この手法を学び、その能力に確信を持てるようになった多くの両親や教師がいる。 タイプを通じてコミュニケーションするためには、対象者は読み方を知っていなければならない 言葉をタイプで打ち出すためには、人は読み方を必ず知っている必要がある。面白いことに、今、ファシリテイテッド・コミュニケーションを用いている多くの人々は既に読み方を学習済みなのだが、タイプができるまではその能力を示す手段がなかったということなのだ。だから、ファシリテイテッド・コミュニケーションを用いる人たちが多様な読み書き能力を表すことは驚くにあたらない。もし、読むことができないのなら、絵を指し示すファシリテイテッド・コミュニケーションを導入することができる。読みを教えるやり方は、話せる人に対するのと同じであろう。 ファシリテイテッド・コミュニケーションは他の形式の表現と併せて用いることができる ファシリテイテッド・コミュニケーションを用いる人たちも発声を発達させるべく継続して努めることができよう。会話を次々つないでいくことはできないにしても、これからタイプしようとする言葉や文字を発声できる人や、タイプした文章を話せる人もいる。手話の技能を発達させ続けることができる人もいる。ファシリテイテッド・コミュニケーションを用いることは、自立した生計や雇用に関連した技能などの他の技能を学習することを妨げることには間違いなくならない。 ファシリテイテッド・コミュニケーションが有効に機能する人が何パーセントいるかについては語れない 話すことができなかったり、声が極度にこだまするとかなにかで発声が限定されていたり、一人でかつ安定して指し示せなかったりというどの人にも、この手法は役に立つかもしれない。しかし、自閉症とか発育障害と分類された人々のグループを我々がランダムに選んで、この手法を適用しているわけではない。だから、何パーセントの人に有効なのかについては語れない。しかしながら、我々の経験からすると、発声に困難を伴うとか安定して指し示せないとかのほとんどの人々にとってこの手法が役に立つことが見出されるだろうと我々は信じている。 ファシリテイテッド・コミュニケーションは誰にでも等しく有効なわけではない どんな手法でもそうだが、ある人には有効でないかもしれないし、他の人には予想通りに色々な成功となるであろう。成功は、神経学的要因(例えば、震え、筋肉緊張の高低、自己認識の欠如など)や社会感情的要因(支援の程度や性質、教育歴、練習の機会など)と関連しているのかもしれない。 ファシリテイテッド・コミュニケーションを用いるすべての人が流暢な会話のコミュニケーションをタイプできるわけではない コミュニケーション技能についてはひとさまざまである。驚くにあたらないことだが、同じファシリテイターを使っても、対象者毎に異なったレベルの流暢さ、個人的関心事やテーマ、特徴的言い回しや表現その他のスタイル上の差異が示される。 たとえ対象者が一人や二人の人と流暢にタイプしているとしても、他の人とタイプする場合には困難が依然あるかもしれない ファシリテイテッド・コミュニケーションにおいては信頼が大きな役割を果たすため、ファシリテイターを変えることは調整と信頼の構築もしくは再構築に一定の期間を要するかもしれない。 ファシリテイテッド・コミュニケーションは自閉症やその他の発育障害に対する治療ではない コミュニケーションの手段であって、治療ではない。 ファシリテイテッド・コミュニケーションを用いる人々が常にファシリテイターを必要とするわけではない。目標は独り立ちにある 米国において何人かの人たちが、オーストラリアにおいては多くの人たちが、一人だけでタイプできるようになれることを示してきた。一人でタイプできることは実現可能な目標であるので、Rosemary Crossleyはこの手法のことを“ファシリテイテッド・コミュニケーション訓練”と呼んでいる。 ファシリテイテッド・コミュニケーションを用いて詩を書いたり、高度な思考能力を表す人がいるという事実は、そうした人たちが自身の行動のすべてをコントロールできていることを必ずしも意味しない 一人だけで安定して指し示しや発声をすることを困難にしている同じ神経学的問題が、他の行動、例えばトイレの使用とか、にもまた影響しているかもしれない。対象者が文字をタイプでき、そしてコミュニケーションできるという事実は、その他すべての困難さもまたきれいに消え去ることを論理的に意味するわけではない。特に、その困難さに、独創性の欠如や、妄想的、衝動的行動が伴っている場合には。同時に、対象者の表現コミュニケーションが発達するにつれて、こうした領域でも改善する人もいる。 時々効果的に指し示せるという事実は、要求に応じていつでもできることを保証するものではない ここでの問題は、対象者が単一のステップの課題や複数のステップの課題に対して指し示せるか否かではなく、安定して、つまりは要求に応じて、それができるかどうかにある。複数のステップの課題が発育障害者にとってなぜ困難なのかを説明する知性以外の神経学的理由があることは良く知られている(Kelso & Tuller, 1981; Miller, 1985; Maurer, 1992参照)。自閉症(例えば、Courchesne, 1993; Bauman in ASA, 1993)やspina bifida、ダウン症候群、ウイリアムズ症候群、ジョウベルト症候群、hydrocephalus (Leiner et al, 1991; Ziegler, 1990; and Bordarier & Aicardi, 1990参照)の分野における最近の研究は小脳の異常を特定している。小脳は複雑な運動を行うのに重要な役割を果たしていることが知られている。ファシリテイテッド・コミュニケーションのアイディアは対象者が運動によって特定の困難を克服することを助けることにある。時間をかければ、練習と高まる確信を伴って、対象者はファシリテイターなしに安定してタイプできるようになろう。 引用文献 (略)