Facilitated Communication史:科学、疑似科学、反科学:Facilitated Communicationにおける科学調査ワーキンググループ 要約、はじめに  要約 ファシリテイテッド・コミュニケーション(FC: Facilitated Communication)とは、深刻な発達障害を持つ人々の意志疎通を介助する手段である。教育的治療行為としてFCが認知されるまで、FCの正当性を評価する研究資料は、学術文献と大新聞や障害専門誌の事例報告がわずかに存在するだけであった。これらの中では、障害者がキーボードや文字盤を使用する場合に身体的介助を提供する技術を使用することで、先天的な重度発達遅滞者が予期せぬ言語能力と、通常もしくは優秀な知能を示すと結果付けているようである。研究室で単純盲検法および二重盲検法を用いて制御された研究や、FCが使用されている各種の臨床集団における自然な環境において、障害者たちは介助者が見せられていない刺激を正確に分類および描写できないだけではなく、反応が介助者によってコントロールされていると結論づけられている。  世界中には、会話で十分に思いを伝えることができない人々が数多くいる。彼らは脳性麻痺や、頭部の損傷、またはダウン症を持っていることや、知的障害や自閉症という診断を受けていることもある。発話能力に基づいて作成された知能テストでは、彼らの能力を過小評価することになり、言語で表現できないことによって、しばしば言語そのものを修得していないとまで見なされることがある。彼らの思い、理想、欲求、希望は語られることがない。彼らは言語のない牢獄に捕らわれている....ファシリテイテッド・コミュニケーション (以下、FCという)のトレーニングでは、このような発語障害を持つ人々が神経支配系の問題を克服し、コミュニケーション補助を使うための機能的な動作パターンを向上させることを目的として、コミュニケーション・パートナーが身体的補助を行う(Teachers College Press [sales brochure], 1994, p. 1)。  FCとは、発語不能者がタイプライター、コンピュータ・キーボード、又は文字盤を用いて文字、単語、単文、または文章をつづるための介助法に関する手法、もしくはその集合を指す。FCでは、手による段階的な促進操作を必要とし、被介助者が押したいと意志するキーを確実に押すことができるようにするために、文字選択には影響を与えることなく、介助者が効果的に被介助者の腕をサポートするという意図を持つ必要がある(Mulick, Jacobson, & Kobe, 1993)。しかし事実として、身体的補助操作には明瞭な定義付けを欠いており、介助者(普通ファシリテイターと呼ばれる)により影響を受ける恐れを疑念させる。この操作はしばしば『信じられないほどの文学性』を生み出すと喧伝され(Biklen, 1990, 1992a, 1992b)、そこでは年齢的に見て普通、もしくは優越した会話内容、文法、もしくは流暢さが示された(Crossley, 1994)。この結果によってますます注目を集めることになったのは、当該操作を使用する典型的な個人が明らかな先天的自閉症者であるか、重度精神遅滞者、もしくはそのどちらでもある者、または聾唖者であるからである。わずか5年前に当該手法が米国へ紹介されて以来、FCに関する議論は高まり続けている。最大の論点は、介助によって成し遂げられている当該コミュニケーションの出所にある。無意識に綴られるメッセージの文字をファシリテイターが選択してはいないだろうか。あるいは、FCが隠された知的能力を開放するということや、知能テストや発達評価の開発者達や使用者が人間の能力について大きな誤解に陥っていることをFCが証明するという主張のほうが真実なのだろうか。  この混乱に拍車を掛けているのは、一つにはFCの正当性及び有効性を示す科学的証拠が欠けていることである(Federal Trade Commission, 1995a, 1995b)。もう一つは、FCによる表現内容をファシリテイターが広範かつ体系的にコントロールしていることを明確に証明した研究結果に直面してもなお、発達障害者向けの特別教育やサービス産業としてFCが至る所で行われるようになっていることである。一般や一部の専門家にFCが受け入れてられていることは、教育的、治療的介入を公的資金によるプログラムで評価する場合の困難さや、多数の専門化が批判的精神を持って自ら使用している手順を評価することの困難さという問題を提示する。このような現実を踏まえると、一般や一部の専門家においても、真実と虚偽を区別するときや、治療法のモダリティの価値を評価するときに使用される科学の役割を認識していない場合であっても、FCは事例研究の対象として役立つのである。 発達遅滞者向けサービスの足取り  1970年代から1990年代にかけて、地域社会に根ざしたサービスの発展と、施設居住型サービスからの知的障害者の開放は、精神遅滞者と発達障害者に対する国家政策体系において重要であり続けている。連邦法制は、Medicaid Intermediate Care Facility for the Mentally Retarded (ICF/MR) programを通じて制度の撤廃を促進したし、同法制は、またしばしば急速に私営化された中小の地域社会居住型サービスや援助サービスを発展させるように機能した。全障害児教育法(P.L. 94-142)を通じて、21歳までの発達障害者の青少年に対する教育サービスを委託された諸団体によりこの傾向はさらに加速した。また、それに続いて制定された法律では、地域社会ベースの統合的なハビリテーション(社会参加支援)を後押しすることを目的とした。これらの法律により、施設居住型サービスへの需要は低下し、その代わりに、現在はより標準的なサービスとなった授産サービスや地域社会居住型のサービスに対する需要が増加した。  施設から地域社会への移行の動きは、当初は最も障害の軽い人々の転入によって特徴付けられた。初期の授産サービスと訪問看護サービスは、最も障害の軽い人々に合わせて設計されたのである。そして地域社会に留まるという点において、最後に施設を離れることになった人々や現在も施設に留まっている人々には、手厚い世話の必要な健康状態と同時に行動または精神を考慮した場合に、彼ら以前に地域社会に移った人々に比べて、より多くの要求が提示されるという傾向にある(Dura, Mulick, & Myers, 1988; Gunsett, Mulick, Fernald, & Martin, 1989; Jacobson, 1991; Kobe, Mulick, Rash, & Martin, 1994)。このような状況に直面し、より複雑な問題を持つ顧客を迎えるために、地域社会によるサポート体系や専門家によるサービス体系はそれまで以上に能力を向上させる必要があった。  その能力の向上は、関連サービス職能の資格認定基準が改善されてゆく足取りと平行して達成されていった。初期の状況管理専門サービスシステムは、急速な改革に間に合わせて設計されたため、専門家用のICF/MR基準には、専門家のための認定要件や地域社会における認可要件を一貫した形で反映できなかった。政府系機関のほとんどは、慣習によって、これらの必要条件を免除された。正確には、このICF/MR基準は、精神遅滞専門家認定やQMRP(医療財政管理局、1988年)の基準であるといえる。QMRPの基準は多岐にわたるが、最も認められている専門家認定における地域社会の基準に比べると、必要とされる講習と経験は、はるかに少ないものであった。たとえば心理学におけるQMRPは、心理学士又は関連分野学士の資格を持ち、1年間の精神遅滞者発達援助サービスの経験が必要とされた。さらに、専門的に作成されたハビリテーション計画の実施を一般に担当するケアワーカーは、必要とされるトレーニング期間が最も短く、また仕事の不安定さや異動による影響を受けやすい立場であった。  このような状況は、少なくとも保健福祉サービスにおける私的セクターとの関わり合いの点で、ICF/MRに基づくケアの品質と継続性を大きく損なわせた。結局、ICF/MR規則は学際組織をつくり、発達遅滞者が利用する訓練、および補助の年度毎に発表される個別回復プランや個別プログラム計画についての責任をこの組織に負わせた。これらの計画は福祉サービスであるだけではなく、能力開発訓練であることが強調された。計画で用いられる教育技術には高度なレベルが要求され、その大部分は機能向上学習原理に基づいていた(Berkson & Landesman-Dwyer, 1977; Huguenin, Weidenman, & Mulick, 1991; Landesman & Butterfield, 1987; Reid, Wilson, & Faw, 1991)。これらは負担が大きく、また重度の障害者はそれほど機能習得がはかばかしいものではなかった。  時間の経過とともに、QMRP基準が厳しさに欠けていたことや、どのような観点からも非居住型の専門基準に当てはまらないメンバーを学際チームに迎え入れて拡大したことにより、訓練サービス計画とその実施の品質にはかなりのばらつきが出ることになった(Meinhold & Mulick, 1992)。我々の意見は以下のようになる。施設から地域社会へ、というICF/MRサービスの運きを、様々なチームやQMRPが強く押し出したことで、訓練サービスの計画と実施、およびその結果における品質のばらつきとアマチュア化が加速されたのである。そしてこの傾向は依然として解消する傾向にはない。 障害者との関わりと脆弱性 我々が推測するに、上記のような傾向が、発達遅滞者向けサービスシステムにFCのような技法が早期に採用される準備を整えたことになる。アマチュア化およびサービス品質のばらつきにより、予測不可能な結果や期待はずれの結果を増加させることになった。「ノーマライゼーション」が理念として確固たる地位を占めたことで、訓練や治療のうち「文化的視点から見て最も規範的な方法」に見えるものに重点が置かれるようになった (Mulick & Kedesdy, 1988; Wolfensberger, 1972)。その結果として、しっかりとした訓練を受けていないスタッフによって、厳密さを欠いた常識による介入が行われることがしばしば見受けられるようになった。善意はあるが訓練されていないスタッフが増えたことで、障害者の進歩を正確に評価することや、貴重な時間とスタッフの努力が相応に報われるような「技術的信頼性」を検証することが難しくなっている。  重度障害を持つ子供および成人のためには、彼らの両親たちは選択肢の中で最高の効果を持つサービスを必死で探すものであり、スタッフもまたできる範囲で最高のサービスを提供しようとする。しかし親とスタッフはどちらも、疑わしい治療手法による口約束に騙されやすい。特に専門分野の権威たちが、その治療効果を間違って両者に伝えたり紹介すればなおさらである。おそらく、発達障害分野において急激に幅広く受け入れられた流行の手法のうち、最も知れ渡っているのが「パターニング (Delacato, 1966; Doman, 1974)」である。これは四肢および身体を受動的に動かす行為などを含め、長時間かつ長期に渡り行われる治療行為であり、結果的に取るに足りない治療効果しかもたらさないことがわかっている。パターニングを取り入れた瞬間から、パターニング手順の厳しさにより毎日毎週少なくとも数人のボランティアが一人の障害者の身体訓練につきっきりであたらねばならない。後にパターニングの専門家になった者たちにとっては、初めて発達障害者と長い時間を共に過ごすようになったきっかけがパターニングのボランティアであった。  治療効果を証明する科学的研究が全く存在しないにも関わらず、パターニングサービスは国内のいくつかの地域で現在に至るまで続けられている。事実としては、複数の身体器官が組み合わさった複雑な運動に加えて、強化の随伴性を経験することが、成長段階において運動統合能力を獲得するために必要である (e.g., Riesen, 1975)。 後天的神経障害についてのリハビリ効果についても、同様であると考えられる (Taub et al., 1994)。現在それ以外で同じように疑わしい治療行為としては、読書障害を解消すると言われるIrlen眼鏡(薄く色を付けた眼鏡)の使用や(Hoyt, 1990; Parker 1990; Solan, 1990; Ward, 1991)、抑圧された遠い過去の記憶を思い出させるといわれるいくつかの治療行為(Loftus, 1993; Wright, 1993a, 1993b)、および長年議論の的であるgentle teaching(行動分析学の代替手法とされている)等がある。  議論を呼ぶ治療法が広まり、それらに関する根拠がこれほど広く受け入れられる理由は何であろうか。この小論において、我々はこの疑問を見事に説明するFCの科学史を提示しようと思う。ここで最も重要な点であると我々が考えることは、裏付けはないが劇的な治療効果、この効果を説明している表面的でもっともらしい「理論」、および伝統的な科学的手順と証拠の基準を擁護する者による否定である。本稿の読者に注意しておいていただきたいのは、これらの関連性は厳密に研究されていないが、社会心理学における研究方法、とりわけ間接的で潜在的な測定基準を用いる研究方法において、ほぼ現象として扱うことができる範囲に当てはまるだろう。  もちろん、上記の重要な点については、受容性が高く無防備な両親、専門職の助手、および自己満足に陥っている専門家集団なども考慮する必要がある。これらの人々がこれほど受容性が高く無防備である理由は何だろう。 Smith (1994)はこれに関して核心を手際よく取り出している。(ポストモダニズムに関する当時の知的傾向を論じる中で。Hollinger, 1994を参照)彼が言うには、「偽預言者やカルトリーダーに対して人々が無防備であるのは、虚無と絶望のためであり. . .人々を本当の信者にしようとする. . . ここでも、新手の絶対主義は快適であり、そこで安心を覚える(407ページ)」(虚無と絶望を動機と見なす指摘は、現代に限ったことではない(Durkheim, 1897/1930)。発達遅滞者や重度コミュニケーション機能障害者を補助し、養育し、治療し、そしてもちろん愛している人々は、往々にして虚無と失望に捕らわれている。現在の介入は、たとえ効果があったとしてもほんのわずかであり、状態の退行や悪化は日常茶飯事であり、一般に認められた臨床手法を行う臨床医は魔法のような治療法を提案することはない。簡潔に言えば、他の全ての治療法が決定的でないように思えたときに、流行の「治療法」が希望を与えてくれるように見えるのである。 Facilitated Communication小史 起源  Facilitated Communicationの歴史は1970年代初期にオーストラリアから始まった。St. Nicholas Hospitalの講師Rosemary Crossleyが、身体障碍及び精神障碍と診断された12人の児童にFCを用い、意思伝達を達成した。当該児童は並または並以上の知的能力を有していると彼女の研究結果は指摘した(Crossley & McDonald, 1980; Hudson, in press)。この研究結果は彼女が勤務する病院により否定され(Hudson, in press)、その後この研究結果中の児童一人についてはthe Health Commission of Victoriaにより否定された(Wallace v. Health Commissioner of Victoria, 1984; cited in Hudson, in press)。  Crossleyがプログラムコーディネーターとして参加する形で、1986年にDEALコミュニケーションセンターがメルボルン郊外に設立され、ヴィクトリア州の各発達援助センターにFCを採用させるよう提唱した。FCはこれら施設に早々と採用されることになった(Hudson, in press)。1988年に発達障碍専門家のグループがFCの広範な普及について論文を発表し、それには意思伝達がファシリテーターにより影響を受けていることが論証されていた(Interdisciplinary Working Party on Issues in Severe Communication Impairment, 1988)。この報告はIntellectual Disability Review PanelによるFCについての信頼性および正当性の評価へと続くことになった(IRDP, 1989)。  IDRPは一般的な実験評価を実施しようとした...しかし大きな障碍に直面した。(FC)を用いる障碍者のほぼ全員がDEALコミュニケーションセンターの所属であり、当該センターが研究への協力を拒否した...DEALは自然観察法を含めた質的研究手法を求めた(2)。  最終的に、IDRPはCrossleyの研究結果のうちわずか三例について共同研究を行うことができた。  その三例のうち二例についてFCを用いた意志伝達を行うことができなかったが、三例目は意思伝達を行うことができたとIDRPは結論した。Cummins and Prior(1992)とJacobson et al.(1994)の両者ともに、三例目の意思伝達能力についても確証的結果を保証するものではないと示唆した。メッセージパッシング研究が別の三例として行われた(この中でファシリテーターを排除した状況で言われたり行われたことを彼らは詳述している。e.g., Szempruch & Jacobson, 1993)。彼らは彼らのファシリテーターたちを通してメッセージを送ることに成功していたと報告されたが、表意解釈上の問題点を挙げることで、補助なしでの読み書き能力・意思伝達能力に係わる確証的情報はこの報告に示されていない。このような結果にも係わらず、介助の一般的有用性を裏付ける証拠としてこれらの事例結果はFCの賛同者達に幅広く引用されている。現在ではこれに続く数多くの研究及び臨床報告がオーストラリアで発表されている(Hudson, Melita, and Arnold (1993); Moore, Donovan, Hudson, Dykstra, and Lawrence (1993); and Moore, Donovan, and Hudson (1993))。これら研究は、ファシリテーターの影響をタイピング内容に発見することで一致している。この研究では、ファシリテーターがタイプ内容について意図的もしくは意識的に影響を与えていることについて確証は示されていないものの、ファシリテーターの影響は必ず存在していることが明らかにされている。自動書記やouija boards(訳注:こっくりさん)、またはチャネリングを含めた身体対話や文字作成など、行為者が自らの主体的影響を感じない現象と明らかに関連がある。 米国におけるFacilitated Communication  1989年、シラクサ大学の特殊教育学部教授であり社会学者でもあるDouglas Biklenは、オーストラリア訪問中にRosemary CrossleyのFC作業を観察した。彼は米国に帰ると、言葉を持たない自閉症の生徒を指導する特殊教育教師及び言語病理学者にFCを紹介した。当初Crossley法は身体障碍者に対して行われたのだが、認知障碍と診断された障碍者グループにまでBiklenはこの方法の実施範囲を拡大した。にもかかわらず、彼の研究グループは早々と驚くべき結果を報告した。報告によると、ファシリテーションを用いることで、それまで言葉を持たなかった自閉症の生徒達が単語、単文、そして驚くべき知性と輝きを持つ文章をタイプしたのだった。  北米の文献に初めてFCに関する専門的論文を出したのは、Harvard Educational Reviewだった(Biklen, 1990, 1992a; Cummins & Prior, 1992)。それらの論文の後、すぐにいくつかの補完論文が著された(Biklen, 1992b, 1992d; Biklen & Schubert, 1991; Biklen et al., 1991; Biklen, Morton, Gold, Berrigan, & Swaminathan, 1992)。また先行論文の改訂版を含んだ本も刊行され(Biklen, 1993a)、The Facilitated Communication Digestというニュースレターも配信された(Biklen, 1993b)。これらの文献はそれまで著されていたオーストラリアでの研究結果とは対照的に、FCを使った介入法の成功例が質的研究法や民族学的研究法を用いて報告された。(これらの研究法に関してはLeninger, 1994)。Biklen (1990) 及びその他論文のほとんどはFCにおける実行体系を報告している (e.g., Biklen, 1990)そこでは、7つの過程と18のステップを示している)。しかしながら、はっきりした効果をもたらすとされているfacilitated communicationに関しての上記報告またはこれ以外の報告のどれ一つをとっても、開始前と開始後との能力測定に使われた測定基準があいまいであり標準化されていない(e.g., Department of Family Services and Aboriginal and Islander Services, 1993)。これは致命的である。というのも、上記報告の後続研究の結論によれば、FC訓練は訓練前状態に比べ、何ら表現内容を向上させることができていない。これは Green(1994) 及び Green and Shane (1994) が行動科学と社会科学によりFCを詳細に研究して結論したことである。学術発表において欠くことのできない詳細というものがこれら研究には欠けており、Biklen(1993a) を評論したひとりはこう指摘する。『民俗学者、精神学者、教育者、科学者にとってこれが系統的研究であると認めるような論拠は、この著作のどこにも存在しない。研究らしいものですら全く存在しない (Thompson, 1994, p. 671)』  前述の著作物を総合しても、FCの使用を宣伝する著作物としてはごくわずかを紹介しただけである。Crossleyは過去のFC適用例を記述した専門出版物を現在まで精力的に出版し続けており、FCの拡大適用を推進している(Borthwick & Crossley, 1993; Crossley, 1992a, 1992b; Crossley & Remington-Gurney, 1992; Remington-Gurney, Batt, & Crossley, 1992)。それら著作の中には、障碍者の意思伝達技術に関して言われ無き(i.e., objective)標準を押しつけている『心理学者連中』をあからさまに批判しているものも存在する(e.g., Borthwick & Crossley, 1993)。  FCの核心部分に関する仮定に関して証明立てをするような系統だった研究物、もしくは先例となる研究物が存在しないことを考えると(これに関しては後述)、FCによる重度障碍者の回復報告に対して科学サイドからの反応は見事なほど抹消されている(e.g., Calculator, 1992a, 1992b; MacLean, 1992; Silliman, 1993)。より注目すべき事は、コミュニケーションのいくつかは混乱しており、障碍者教育専門家や彼らの生徒、及び重度障碍者の両親は科学的土台の裏付け無しに広告や訓練会を通じてFCの普及に打ち込み始めたということである(Bing, 1993; Calculator & Singer, 1992; Donnellan & Haskew, 1993; Donnellan, Sabin, & Majure, 1992; Duchan, 1993a; Duchan, & Sonnenmeier, 1993; Ferguson, 1994; Higgenbotham, Sonnenmeier, & Duchan, 1993; Hill & Leary, 1993; Koppenhofer, Gilmer, & McElroy, 1993; McSheehan & Sonnenmeier, 1993; Sonnenmeier, 1993; Veale, 1992)。FCの普及をはかるための広告媒体は、評論分野以外の場所から開始されている。大衆雑誌(Chazin, 1993)、新聞(Chideya, 1993; Heinrichs, 1992a, 1992b, 1992c, 1992d, 1992e; Randall, 1993a, 1993b; Schofield, 1993a, 1993b)、テレビ(Bryen, 1993; Palfreman, 1993; Smith, 1993)、およびニュースレター(Biklen, 1992c; Duchan, 1993b; Hudson, 1993; A. Kurtz, 1992; Reichel, 1993; Rimland, 1992a, 1992b, 1992c; Schubert, 1993; Von Tetzchner, 1992)は表面的には好意的にFCを紹介するメディアとして優先的に選択され、このようなFC現象に対して社会には困難な状況が存在した。言うまでもなく、FCに関してメディアはしばしばFCサイドからの提供情報を中途半端かつ不正確に選択している。  FCを非実証的な現象として理論的かつ概念的に批評したものは、初期にはほとんど存在しない(Cummins & Prior, 1992; Green, 1992; Green & Shane, 1993; Mulick, Jacobson, & Kobe, 1993; Prior & Cummins, 1992; Schopler, 1992; A. Schwartz & Jacobson, 1993; Wolfensberger, 1992)。しかしながら、FCが広範囲に普及するに従い、この現象に焦点を当てた研究が行われるようになる。質的研究法に異議を唱え行われた盲検研究による結論は一貫して否定的であり、FCは再現不可能かつ無効であると結論している。(Green, 1994; Green & Shane, 1994)。単純盲検法及び二重盲検法、またrepeated measures and self-controls、メッセージパッシング法(ファシリテーター不在で被験者が体験したことを伝えられるかどうかでFCによる情報伝達を試験する)を用いることが、一般的研究手法としてのcontrolled studiesである。適切にコントロールされ、審査を経て提出された研究は一様に以下のように結論づけている。ファシリテーターによる情報入出力への介入がしっかりと制限されている状況下にあっては、FCを通しての意思伝達はあらかじめ想定する範囲にあり、またある意味ではFCによる表現内容はファシリテーターにより決定されている(Bligh & Kupperman, 1993; Cabay, 1994; Crews et al., in press; Eberlin, McConnachie, Ibel, & Volpe, 1993; Hudson et al., 1993; Klewe, 1993; Moore, Donovan, & Hudson, 1993; Moore, Donovan, Hudson, Dykstra, & Lawrence, 1993; Regal, Rooney, & Wandas, 1994; Shane & Kearns, 1994; Siegel, in press; Simon, Toll, & Whitehair, 1994; Szempruch & Jacobson, 1993; Vasquez, 1994; Wheeler, Jacobson, Paglieri, & Schwartz, 1993; see Table 1)。専門誌に掲載された審査を受けていないcontrolled studiesにおいても同様に結論されており(Cummins & Prior, 1992; Ogletree, Hamtil, Solberg, & Scoby-Schmelzle, 1993)、学会で発表されたcontrolled studiesも同様である(Apel & Vandervelde, 1993; Beck et al.,1992; Green, Chelquist, Krendel-Ames, Ross, & MacDonald, 1993;Kallstrom, Piazza, Hunt, & Owen, 1993; Marks, Conrad, & Hart, 1993; Meinhold, 1993; O'Donnell, Bomba, Markowitz, & Holmes, 1993; Price & Kirkpatrick, 1993; Teodoro, Meinhold, & Koch, 1993)。テーブル1に参照する研究例はこれら研究の一例であり、被検者は自閉症による言語障碍者、脳性麻痺者、精神遅滞のてんかん患者、及び軽度重度の先天的精神遅滞者である。これら研究は地域社会サービスまたは障碍者教育組織や障碍者施設により、普段介助を行っているファシリテーターとともに行われた。また被験者はそれまでにFCを用いることで複数の文章、複数のレポート、複数回の自己表現を行った者から選ばれた。  情報入出力をコントロールされている被験者に対し、障碍者の成果物が本人が見聞した刺激をファシリテーターによらず本人がタイプしたことを証明するため、盲研法による研究に加え用いられた手法がメッセージパッシング法である。メッセージパッシング法では、ファシリテーターを完全に排除した状況を作り、コミュニケーション障碍を持つ人が絵や物体を目の前に示される。さらにそれを動かしたり使用し、または研究者の行動と関連づける。その直後にファシリテーターを加えてFCが行われ、直前に提示された絵や物体、もしくは行動について聞き取りを行う。「FCは機能するか」「FCはどのように機能するか」を実証するために、このような研究が多数行われた。  驚くべき事ではないが、研究結果が一貫していないことについて議論が分かれたため、FCの出現に対してとられた公的政策も大きな振幅を持つことになった。研究を行いFCの促進に優先的順位を与えた機関がある一方(Department of Rehabilitative Services [RS] and Department of Mental Health, Mental Retardation and Substance Abuse Services, 1992)、FCの技術指導を促進するについてのガイドラインを作成した機関があり(Moseley, 1994; Office of Mental Retardation, 1994)、controlled researchに基づいた警告的ガイドラインと法的責任の可能性を表明した機関があった(Campbell, 1993; Maul, 1994; Office of Protection and Advocacy for Persons with Disabilities [OPAPD], 1993)。  普及についての公共政策は、FCの出版内容と直接的に結びついている。例を挙げると、FCの賛同者は次のように主張する。「一般的行為障碍や発達的行為障碍と呼ばれる神経学的機能障碍を持っているので、自閉症者はFCの身体補助手法が必要であり、かつFCにより助かっている」。上記の統合的運動障碍や行為障碍は、行為の開始及び継続及び終了における困難として位置づけられている運動障碍であるが、この障碍は補助を行い反復運動を中止させることで軽減する。ある規則では現在でもこの点について不正確であり、自閉症者は普通これら障碍に冒されるとしている(Office of Mental Retardation, 1994)。この断言について、科学的もしくは神経学的にいかなる支持も存在しない。  警告的政策は、臨床的現象とは別個に、FCが全国的な社会的現象として取り扱われたことに端を発している(Margolin, 1994)。FCを通じて行われた(ほとんどの場合性的)虐待の報告が、メディアや学会及び臨床報告によって多数報告されている。確認はしていないが、そのような報告は社会的に大々的かつ幾度となされている(Levine, Shane, & Wharton, 1994)。開業医や監督者、また臨床医のような者にとって発達障碍者の性的虐待についての高い危険性(Furey, 1994)は核心的な関心事であるが、記述内容をファシリテーターが支配していることを証明する調査結果は、FCに関して為される主張の信頼性に疑問を呈しており、なおかつ幼児虐待の調査を委託されている人々の困惑の原因となっている。 Margolin (1994)がfacilitated communication関連の判例研究において報告したところによれば、米国においてFC関連で行われた少なくとも60件の調査は、父母、教師、プログラム職員を虐待容疑で訴追する結果となっている。二件の例外を除き、これらの裁判は双方から控訴されないまま終了している。しかしながら、告発の形式に係わらず虐待に関する明確な根拠や確証に欠けるものは典型的に、虐待を受けた者が自己防衛のために多大な出費を強いられるのみならず、家族離散に陥ることや、レッテルを貼られたり回顧されたり疎外されるという結果になる(Levineet al., 1994)。警告的公共政策は、FCに関して告発を行うにあたりその告発者が事前検証を行うことを義務づけている(Campbell, 1993; OPAPD,1993)。またFCの個別サービス計画を策定するためには、FC以外の治療法に課されている事前審査と継続審査及び事後評価、加えて臨床技術の一部門としてインフォームド・コンセントが義務づけられている(Maul, 1994)。  我々が見てきたように、質的研究法と比較研究法それぞれの研究結果が鋭く対立していることがFCによって巻き起こっているジレンマを例示している。しかしここまでの論述では、我々はまだFCに関する基本的問題点を掴んではいない。それはFC及びその核心であるFC法使用による予期せぬ読み書き能力が、疑似科学(例:科学的ではない事象を科学として取り扱うこと)や反科学(認識論として科学的手法を否定すること)と結びついているかどうかということである。明白なことは、研究手法の違いによりFCに対する研究結果が見事に異なっているということである。我々が論じる命題とは、FCは反科学的結論を導く疑似科学であるというものである。幸運にも、疑似科学と反科学の定義は厳密に構築されており、なおかつ広く承認されている(Brown, 1982; Bunge, 1984; Casti, 1989; Cromer, 1993; Gardner, 1957; Holton, 1994; Huber 1991; P. Kurtz, 1994; Sabbagh, 1985-1986; Shore, 1984; Skeptics Society, 1994; Thagard, 1988)。次章はそれを取り上げる。 疑似科学と反科学とFacilitated Communication  FCの現象は疑似科学の要件の大部分を満たしている。先ず成功例の提示は基本的に逸話または体験談に基づいている。また使用開始以前の能力と自然治癒の可能性は無視され、同時に行われる科学的手法は否認される。成功しなかったFC行為者は、FCを正しく行わなかったかFCの効果を信じていなかったのだという理由で責めを受ける(Brown, 1982; Casti, 1989)。FCの現象を否定的に証明する比較研究は、たとえFC手法の有効性を証明したと発表する研究にほんの少し言及しただけであっても、厳密すぎるとか研究方法の間違いだと非難される(Biklen, 1993bを参照せよ)。比較研究の論述結果の全体ではなく、結果の一部分だけが論評され解釈される(Biklen, 1993b; Borthwick & Crossley, 1993)。  科学者や医師の観点と直接的に対立するFCの明白な効能は以下の通りである。(a)自閉症は精神遅滞から明らかに区別できる臨床状態であり、(b)さまざまなレベルの精神遅滞が自閉症者に特に高い割合で合併しており、(c)一般的な言語機能発達における遅滞や未発達は、知能発達における遅滞や未発達と密接な関係を有している。三点目からの必然的な帰結は以下のようになる。自閉症者や精神遅滞者が言語(発話、筆記、描画等)を使う際の毎日の介助は彼らがこれらを行う能力を有する直接的な証左であり、それら明白な表意行動を制限したり、規範的な表意能力を「隠す」ような疑惑は臨床的にありえない(実際の成果物は「内的」発話能力を正確に表しているということ)。子供と青少年に対して認知的発達と社会的発達及び認知問題と社会問題を解決した膨大な心理学分野の文学によって、この観点は強く基礎づけられている(e.g., Dykens, Hodapp, & Leckman, 1994)。一般的に、成果物と実際の能力との間に強い相関を仮定できるということが、心理学的検証法と統計学及び精神鑑定において不可欠である。  しかしながら、FCを使って生み出された一見非常にすばらしい結果は、目に見える振る舞いと内的能力との一致を含めて、それらについてのいくつかの前提がきちんとした説明に取って代わられない限り、真にすばらしいものとして受け入れられはしない。FCの信用性は、すばらしい結果を報告する賛同者達が常に強調する三つの概念を言い訳にして成立している。自閉症者との検証や言語認識問題に検証の欠如は常についてまわるものであり、それは発達的統合運動障碍と発達的失行障碍両者の広範かつ認識できない影響を受けるものでもある、というものがそれにあたる。満足は反応はファシリテーターの知識により誘導されていると結論する比較研究環境において重度障碍者が満足な反応を見せることができない時に決まって説明される理由は、上記のような仮定を言い訳にしている。続いて我々は両者の意見についてそれぞれ詳述することにする。 対立テストまたは反対者テストとは、自由会話で普通に使われる会話事例に反する特定の反応を被験者に質問する方法を指す言語病理学用語である。FCの賛同者達は以下のように論駁する。対立テストは即答を迫ることで重度障碍者の自信を喪失させるだけでなく、ファシリテーションを通じての反応をも減少させてしまう、というものである。前述した比較実験研究においては、反応はほとんどの場合全く不正確なものであった。「補助を受ける者(ファシリテーターを通じて意志表示する障碍者のことを行記述している)」に配慮を払っているCrossleyからも同じ報告が挙げられている(1992b)。:  反対者テストでは、たったひとつの論点が延々と検証され続ける。それは「責められている被験者は彼/彼女の意志表示補助や戦略を有効に使うことができるかどうか」である。これには彼/彼女がそうすることができないだろうと思っている人々が何人も加わる。このテストは「補助を受ける者」が失敗するだろうと考えている人間により実行または計画される。それらに対立する観察者がテスト本番に出席してもよい。ほとんどの実験例では、補助使用者はテスト参加に対して報酬や支払は行われない。実験に成功しても、彼らには何の約束はない。実験に失敗したところで、実験で行うコミュニケーションでは何も失わない (p. 47)。  何故超心理学現象が比較研究環境下では再現しないのかについて考えるときに行われる議論と、これは本質的に全く同じ議論である (Gardner, 1957)。端的に言って、この現象は懐疑論やほとんどの曖昧な検証法以外の方法を用いると破綻する傾向にあり、かつ弱い立場に立たされる (Aach, 1991; Blackmore, 1991; Bunge, 1984; Gardner, 1989; Sabbagh, 1985-1986)。皮肉にも、検証法がそれほど込み入っておらず補助使用者が非常によい結果を出すことが可能であるような、訴訟手続きで行われる検証方式においても、比較研究とほぼ同様の結果が今までずっと出ているのである (Bligh & Kupperman, 1993; Green, 1994; Jacobson & Mulick, 1994a)。はっきりとした状況的動機付けがある法廷という場所であるにも係わらず(成果を勝ち取るため、または彼らが言うには虐待を行う家族の元へ戻されないためである)、また特別困難でもない検証手順であるにも係わらず、結果は常にファシリテーターによる操作を裏付けるものであり、またファシリテーターが質問と正解のどちらも知らない限り正しい反応を返すことができないことを裏付けるのである (Bligh & Kupperman, 1993)。  比較研究環境の代わりに、検証には質的研究基準が使われるべきであると主張している。それは以下のようなものである。 1.書いたり文字を打つ際生徒が最も楽に運動を制御する事のできる形式、速度、正確性は、ファシリテーターによって変化しない.... 2.個人はそれぞれその個人特有の表記間違いをする。タイピングで一度に1文字以上を必ず叩く個人もいる.... 3.多くの個人はそれぞれその個人特有の表音文字や発明文字を作り出しており、その何人かは同じファシリテーターの介助を受けているが、他者の記述にそれは決して現れない.... 4.個人の中には伺い知れぬ単文や連文をタイプする者がおり、それはファシリテーターに作り出せるとは思えないものである.... 5.個人は時にファシリテーターが知らない記述を行うことがある.... 6....以上を考慮するに、facilitated communicationは彼らの人格をそのまま表現しているのである (Biklen et al., 1992, pp. 19-20)。  上記に挙げた検証基準の第5を除き、他のどれもがたやすく偽ることのできるものではないが、しかし臨床者や観察者が体験する社会経験と修練環境記録読み込みを通じて仕入れた知識及び期待によって、たやすく影響を受けるものである。第5に関しても、実験環境においてファシリテーターの知識を厳密にコントロールすることはほとんどない。実際には、ファシリテーターの知識を実験的コントロール下に置いた場合、この基準はごくまれな環境下で限られた程度がほんのわずか満たされているというのが現状である(例としては、何度も続いたある審理においてこのようである。実験的ではない環境下でなされた複雑な陳述とは対照的に、その同じ個人が正確にタイプしたのはただ単語一つだけであった。 Green, 1994を見よ)。なお、訓練セミナーとプロ向け文章の中で(e.g., Biklen, 1990)、ファシリテーター訓練受講者には意志疎通能力をテストすること及び重度障碍者が意志疎通できるのかどうかを確かめようとすることが禁じられている。これに関して自閉症分野のある研究者が以下のように要約している。 "Facilitated Communication"を宣伝するイデオローグたちは、特に悪質な販売手法を使う。"Facilitated Communication"には信念が必要であり、信頼関係によって効果が現れると彼らは言う。研究はそのように重要な信頼関係の妨げになるからふさわしくないと彼らは言うのである(Schopler, 1992, p. 331)。  言語病理学の文献においてword finding problemsとは、(正しい単語を指し示すことを含めた)発話上の困難のことであり、なおかつこの困難を適切に説明できる原因が究明できないものがこれに当たる。それらの個々の事例における原因はおもに、検索過程や筋運動過程または認知過程のなかに存在する(たとえば脱抑制や抑制)。とは言えもしこういう問題や欠損により阻害されなければ、この問題に該当する人は正しい反応を返すことができるであろうと考えられている。言い換えるならば、この問題に該当する人は正しく反応を返すだけの知識は有しているものの、その能力を使用することができないということである。  FC文献においては、自閉症者が対立検査で「失敗する」原因としてword finding problems(この問題は自閉症者に特有であると見なされている)が持ち出される。検査には通常、二重盲検または単純盲検(被験者とファシリテーターに同じ刺激物か異なる刺激物を見せ、両者はそれぞれがどちらを見せられたのかを知らない、など)や、メッセージパッシング(被験者がファシリテーターを通して、物体や刺激についての描写を行うよう指示される、など)を用いる。自閉症ではないが重度障碍や先天的障碍である人々(Biklen, 1993a, 1993b)は、名詞を選択する際に特定の欠損を生じると主張されている (Borthwick & Crossley, 1993) 。目立って、特徴的で区分可能な意思伝達形式は、しゃべることのできる自閉症者における典型的な臨床状態であることから、これらの人々の意思伝達能力に関する臨床研究は膨大に存在する。これらの文献によれば、自閉症者はほぼ必ず動詞の考慮において word finding problemsを抱えているが(この問題は、社会的知覚について自閉症が特定の欠損を示すことに関連があると考えられている)、名詞の考慮については必ずしも困難を示すとは限らない (Jacobson et al., 1994)。対立検査においてはサイモン(1994)の例外はあるものの、比較研究環境において分類することができた刺激は全て名詞のみであった。  さらに、ただ一語(しかも「特定の一語」)を正しく返す事しか目標とされていないとFC賛同者達は断言し続けているのだが、事実としては全ての研究において複数の単語や曖昧な表現もまた到達基準として用いられている。また全ての研究では、他の被験者集団においてしばしば観察されてきた特定の冗長表現でも正式な反応として認めることにしているのだが、そのような反応ですらほとんど観察されてはいない。またこれら研究でword finding problemsが正しい反応を事実上すべてできなくさせてしまうのかについての理由は明らかではないし(研究において被験者が反応をタイピングする時間は十分に用意されている)、反面いわゆる「自由会話」においてword finding problemsがまったく単語選定に影響しない理由も明らかではない。  タイピングを通じて行われる年齢相応または年齢以上の会話能力を記述する際、FC文献は同時に自閉症者及び自閉症ではないが通常適応行動に関する重度精神遅滞者の失敗例をも記述しなければならない。これは前述したように、発達的統合運動障碍(もしくは失行)の認定要件を参照することで可能になる。 統合運動障碍(もしくは失行)とは、自発動作の開始、操作、停止についての障碍を指す。しかるに、自閉症者と自閉症ではないが重度精神遅滞にある者が通常適応行動を行えないのは、学習障碍や成長障碍のためではなく、彼らが身体運動を制御することができないためである。  FCの論理的説明として運動能力原因説が常に言及されている。CrossleyとRemington-Gurney (1992)が言及するところによれば、手と目の統合運動障碍、筋弛緩、筋緊張、第二指の伸張障碍、保続、衝動性障碍、振戦、橈骨/尺骨筋保持障碍、発動障碍、姿勢保持障碍、自己受容性感覚減退や一つの処理に両手を使ってしまうこと等などを含めて、FCの処置は幅広い運動能力問題を緩和することができるという (Brown, 1982によれば、「万病に効く万能療法」という謳い文句は疑似科学にしばしば登場するという)。最近では M. Learyが指摘しているが、自閉症者は情緒的運動障碍(「必要な時に必要な情緒反応を返すことができない」)とparadoxical kinesia(「ある運動ができたりできなかったりする」)にも影響を受けているという。  motor topologiesにおいて、自閉症者と特定運動障碍を有する者との間には表層的類似点がいくつか存在し(Hill & Leary, 1993)、年齢相応の運動制御に関する経年発達調査において、統合運動障碍の構成要素の一部は自閉症者に顕著に認められると報告されている (Jones & Prior, 1985)。しかしながら、神経学研究及び神経心理学研究は、発達的運動障碍が自閉症者または重度精神遅滞者の基本的な併発障碍だとは認定しておらず、それとは相反する証拠を提出している (e.g., Sigman, 1994)。最近の例を挙げれば、子供における発達的発話運動障碍の特性がStackhouseにより詳細に記述されており(1992; Stackhouse & Snowling, 1992)、また上肢運動失行に関する基準が整備されている (Burd, Cook, & Randall, 1990)。子供、大人を問わず自閉症者及び精神遅滞者に特有の行動特性はこれらの中で例示されていない。発達的運動統合障碍が自閉症及び精神遅滞の基本的併発障碍だとする断言は、被験者が予期せぬ読み書き能力を披露したり、ほぼ全てに置いて補助を必要とする被験者について比較研究的手法ではない状況で行われた観察にのみ基づいている(Biklen, 1993a, 1993b)。そういう状況の上で言われるのが、観察されたその読み書き現象は通常又は通常以上の知的能力を示唆しているからこそ、それらの発話不能児および発話不能者はきっと言語的、運動的表現を行えないような運動障碍を併発しているに違いないという推論である。このような自己循環的理由付けは、以下のような記述に現れているのである。 facilitated communicationが成功する要因については、対人関係における必須事項が数多く明らかにされています。それらはおおむね明らかにされています。なぜなら私たちはタイプしている本人達からそれを語りかけられてきているのですから. . . .。成功の基本的条件は、たとえはっきりとはわからなくても、学習者にはちゃんと認識能力があるのだという十分な確信をファシリテーターが持つことなのですM (A. Kurtz, 1992, p. 8)。  我々が主張するように、もしFCが疑似科学的現象であるならば、学術世界においてなぜ急速な受容がなされたのであろうか(Hall, 1993)?。あり得る考え方としては、そもそも重度障碍者によってタイピングで表現された内容に影響を与えていることをファシリテーションを施している人々が認識していないのではないだろうかということである(例として自己訂正についてSkinner, 1957を見よ。また期待的情報受容と非期待的情報受容に関する先入観についてJohnston and Hawley, 1994を見よ。また意志決定について五感が潜在的に影響を与えることに関する神経機能研究についてSalzman and Newsome, 1994を見よ)。さらに我々がこの問題について確信する決定的な結論として、西洋社会及び特に介助及びヒーリング専従者と彼ら側の学術的代弁者において、反科学的感情が広範かつ漸増的に存在していることを指摘しておく(Gergen, 1994; Holton, 1994; P. Kurtz, 1994; Sampson, 1993; Smith, 1994)。大会記録、雑誌記事、書籍、ニュースレターから4つを以下に挙げるが、これらのなかにはこの反科学的感情が申し分なく表現されている。 Facilitated communicationは、ポストモダンだと見なされるべきものである。. . .これはコミュニケーションにおける社会的構成主義である。これは送り手と受け手の間における相互過程として理解される現象であって、送り手が送ろうとしているそれそのものを客観視したり、記述するようなものではない。Facilitated communicationは相互作用の成果物である。コミュニケーションの本質というものは、この文脈上に位置づけられるものなのである(Sailor, 1994; p. 10)。  コミュニケーションしようとする個人の努力に目を向けるなかで、最も興味と議論を呼ぶもののひとつがOfacilitated communicationである。その効果と「ファシリテーター」の役割に関する議論に関わらずはっきりとしているのは、以前に考えられていたよりもより多くの人々の中にコミュニケーションへの欲求が存在し、正しく介助を行うことでこの欲求が初めて自覚されるのだという仮定に基づいてこの方法が開発されているということである(Ferguson, 1994, p. 9)。  facilitated communicationに関する評論家の中には、これを実証主義的視点から読み解こうとしている者がいる。実証主義の伝統は、まるで人間の経験が因果関係で理解できるかのように社会科学を見なす傾向にあり、それは物理科学分野の学者も同じである。この立場は私が属している立場とは対照的な立場であり、FCにおける対象、現象、観察、理解は、社会的構成として定義されるものなのである (Biklen, 1993a, p. 136, footnote)。  新たなパラダイムの出現は、必然的にそれまでの「知識」を捨て去ることを要求する--それまで我々が理解していると考えていた知識を。これまでの古い知識を専門とする人々が自らの専門をなかなか捨て去ることができないのは想像に難くない。だからこそ彼らは古くさく間違った知識を必死になって総動員し、JenとWally(原注、二人ともFC使用者)が獲得した世界をこれまでのパラダイムの限界の中へ無理矢理閉じこめようとするのだろう(Bakeman, 1994, 原文へ追記あり)  第一の引用 (Sailor, 1994) は、発達障碍者介助における訓練を紹介したカリフォルニア合同総会での基調講演からの抜粋である。他の資料(Duchan, 1993a, 1993b)と同じように、facilitated communicationと日常会話において推測した仮定との類似に言及するというポストモダン的視点から、FCの正当性を主張している (Borthwick & Crossley, 1993を見よ)。この推測は本質的に、人が日常会話で質問、返答、相互理解する時と同じ方法のものとしてFCが構成され論理づけられている。レトリックとして、類推とは直前に言及された事物の要素を後者に援用する手法である。であるから、本当に言及したい事物についての説明を明示するわけではない。FCを使って得られる意思伝達についての正当性を断言する資料またはFCが機能する理由について説明する資料は膨大に存在するが、これら資料はそのような類推に基づいており追試不能である。類推のような証拠無き記述が、しばしば確定的説明と混同されているのである。さらには皮肉にも、有効性の確実な立証とか確信とか引用であるとして行動科学の実証主義者からですら「不確定性」やら類推レベルの概念やら隠喩的理由付けが持ち出されることもあり(Gross & Levitt, 1994)、実証的経験主義を場当たり的に受け入れたり拒否したりしている。  第二の引用(Ferguson, 1994)は、タイピングされた内容にファシリテーターの関与が存在すると証明している研究結果それぞれに共通する高い一貫性を無視したい書き手の意志、FC法が効果を持たないという結果をなんとか崩したいという書き手の望みを例示している。FCの効果を肯定的に立証するような科学的結果は存在しない(科学的結果として、FC使用者のセラピストはFCを使用しないセラピストよりも発話不能者がコミュニケート願望を持つと信じる度合いが高いこと、また前者は障碍者の意思伝達能力をより向上させる傾向にあるとの結果が得られている)。FCへの短い論評やFCへの言及は、幅広い関心を集めている専門誌においても第二の引用と似たような文脈でしばしば掲載されており(これの例としては発達障碍者の会員交流会におけるFerguson, 1994の記事がある)、FCが臨床的に意義ある手法であるとか代替的な意思伝達手法であると言われるまでの地位になる事に対して不注意にもあいまいな権威をあたえる結果になっている。  第三の引用(Biklen, 1993a; from a book on FC)は、FC賛同者に共通する視点をよく表している。それは、人間行動の客観的認識は不可能であるという視点であり、かつ行動科学の手法を社会科学の手法と混同させる視点である。しかしながらこの視点に立つ賛同者はそれより激しい批判的視点を持っている。それは、人間行動を記述する全ての手法にはお互い同じだけの正当性があり、よって否定的な科学的証拠は重要ではないというものである(e.g., Sarbin & Kitsuse, 1994)。とは言えFCの正当性を証明するためのより高度で論理的な(社会構成主義的視点による)立論がこの論述には抜け落ちており、科学的証明は不確かであるか存在しないかである。これは(社会構成主義的視点に立ちさえした)懐疑論及び反論ですら、科学的に十分裏付けを取りかつ研究で実証を行っているのとは対照的である。  第四の引用(Bakeman, 1994)はFCニュースレターのものであり、アメリカ精神遅滞協会ニュースレターでSchwartzとJacobson(1993; authors of this article)がFC懐疑の立場からFCニュースレターの編集者に宛てられた批判的な手紙へ返答した形式の文章である。FC啓蒙に精力的な教授グループが発行するニュースレター特集号と技術補助教材は、臨床環境でFC技術を使用している人々にとって新情報の主要供給源である。第四の引用において、個人の経験や情報が併置されているFCの正当性に対して賛同することのできない研究者への無視やかたくなさや無理解を読みとるのは当たり前のことである。FCニュースレターに掲載されるのは、推測だらけで独断的で特異なFC基準に基づいた研究に対する無批判な記事と、FC推進ワークショップのレポートと、FC対話についての検証無しの成功例とそれについての解説である。このようなFCニュースレターには、このような検証無しの研究が特異であり疑似科学的であることは決して掲載されないし、一般的研究文献についてほんの少しの言及も掲載されないので、多くのFC使用者は否定的証拠から組織的に隔離されていると言えるのだ。 科学への不信と反科学への傾倒  ポストモダン精神分析のすばらしき新世界においては、科学的手法の 不思議の国のアリス 的転回として 不確定原理、カオス または パラダイムシフト という物理科学用語がしばしば、それも至る所で使用される(Gross & Levitt, 1994; Rae, 1986/1994)。たとえば、障碍者による表現についての実用的で正確な基準は不確定性のために整備できないとか、比較研究で検証されない流行の治療はパラダイムシフトとして説明されたりというように、これらの定理が持ち出される。同時に、伝統的科学に含まれるその他の主義は、彼らが引用に際しての正確さや社会的あいまいさの欠如を示す度合い応じて選択的に拒否される (e.g., 例としてFCでは、ファシリテーターが質問と回答どちらも知らない限り、質問は正確に答えられることがないのが普通である)。  先ず第一に、不確定性原理とは素粒子レベルでの測定問題である。決して顕微鏡レベルでの物理的測定における正確性や正当性についての言及ではない--正確な道具や大衆製品の製造は顕微鏡レベルですら十分すぎるほど可能であり--いわんや行動的手順について関係など全くない。数学におけるカオス概念は完全に決定論的構成物として概念化されており、不確実さとか神秘主義を指す用語などではない。パラダイムシフトについては、クーン(1970)が定式化したのだがそれは、次なる支配的な科学的適応及び研究結果の新たな解釈体系が確定する前に、新たな経験主義的発見及び科学を構成する新たな方法が科学哲学者にそれまでのパラダイムを捨てさせることである(Meinhold & Mulick, 1992; Mulick & Meinhold, 1992)。科学のパラダイムで考える限り、伝統的な科学のパラダイムの中で研究と情報交換を行っている研究者及び臨床家が認めるような治療効果、予測、制御基準に、FCが対立していると評価せざるを得ない(cf. Kuhn, 1974)。FCには新しい確かな観察など何もなくただ断言があるだけであり、パラダイムシフトの構成概念とは何の関連もない。  FCの賛同者達が言うには、比較研究における観察者は決して公平でも客観的でもなく、むしろFC使用者が意志表示をするように決心させる影響力の相互作用に決定的な攪乱要因として存在するものであり、彼または彼女が研究しようとする当の現象を無効化しているとのことである。これは量子力学において「観察者の与える影響」理論として知られている。彼らが言うところのこの「パラダイム」では、コミュニケーションにおける全ての真理は関係性の問題であり、だからこそ「観察者の与える影響」理論によって再構築されなければならないというわけだ。実際、相互作用の結果があるだけであり、本当の意志表示など全く存在しない。言うまでもないが、客観的結果と事実としての成果物が研究参加者(FCで言えば、ファシリテーター)により否認されてしまえば、客観的な科学的方法論を組み立てることなどできない。しかし、FCの賛同者達による比較研究はどこに存在する?そして科学的証明に対してこれほどの無視を決め込むのは何故だろう?  おそらくそれに対する理由のひとつは、現実というものの社会的構成に関するポストモダン的論議に見つけることができる。たとえばGergen (1994)における論議であり、彼は以下のように書いている。 客観的知識というものの理念について考えてみよう。他の科学と同じように心理学においても、「客観的知識」を示せと言うセリフは対話における最期の切り札として機能している。そういう言い方で、学術的用語に基づかないものを全て無視したり中傷したりする(たとえば証拠、基準、信頼性という用語である)。科学的原理に基づかない観点はみな、. . 大衆信仰として退ける--もっと軽蔑した言い方だと、価値観や思い込みや独断であるとして。こういう事実を考えれば、「科学的発言」とはいったい、科学が退けようと努力してきたデマゴギーと同じモノの言い方なのである(p. 413)  FC賛同者達はしばしば、自らをポストモダン主義者と位置づけるのだが(Duchan, 1993a, 1993b; Duchan & Sonnenmeier, 1993; Sailor, 1994)、それは彼らが言語を曖昧な関係性に基づく相互作用と見なしていることが理由となっている。 Gergen (1994) が記述するには、『 事実であるそれそのもの を象徴する能力の故ではなく、その 実質的な 関係性の故に言語というものが重要であるならば、言語とは実際に受容される行動の平均値として扱われるべきなのである』(p. 415, 引用に強調を追加)。一体この文章はFCの何を表しているのだろう?実際、応用科学者としての我々の観点からすると、しっかりと検証された言語活動に参加して重度の意思伝達困難者の役に立つこと以上に実際的な重要性を持つものとはなんなのであろう? 、読み書きで成り立っている社会が理解できる一貫的で信頼性のある方法を用いて、言葉と意味内容を結びつけることが、重度発達障碍者や読み書きできない人々にとって実際的にどれだけ重要であるかについては、FC賛同者達も異議なく認めていることだろう。しかし彼らはそれをきちんと説明できていない。ということで応用科学の方法から導かれる実際的な問題は、重度障碍者が本当にタイピングを通した意思伝達を行っているかどうかということだ。  experimental demand characteristicsに基づく研究結果に異議を唱える議論は新しいものではないし (Rosenthal & Rosnow, 1969; Sebeok, 1980; Umiker-Sebeok & Sebeok, 1980)、穴だらけに作られたFC検査の手順に基づいて異議がなされたり、時には熱意ある個人によって異議がなされたりする。とはいえ他方、比較観察研究環境においては十分に訓練を積んだFC使用者までがほぼ普遍的に失敗するという現実は、それより遙かに程度の低い説明を多数生み出す原因になっている。ここに至れば、厳格な観察研究環境下では全ての自閉症者や精神遅滞者がFC実技を拒否するとかできなくなるということではなく、そもそもこの現象自体が存在しないと考えるほうが妥当である。注意すべきは、自閉症者は幅広く多様であるに関わらず、厳格な観察研究の場では何故か皆揃ったように実技を拒否するだけなのである。年齢、発育歴や教育歴、認知力、行為能力など様々に違う自閉症者や精神遅滞者が全く同じ行動しか見せない原因について、この事実は何か別の観点で説明すべきであると強力に示唆している。それでもFC賛同者達が断言するには、比較研究環境にてFC実技に失敗した何百人もの障碍者(Green, 1994)が皆、自信のなさや協力拒否(あらかじめFCを通してインフォームドコンセントしたにも関わらず)や特殊環境下の単語選択ミスにより失敗したのだと言う。そのように解釈することで、倹約は信じるべき望みに取って代わるのである。  これまでの記述と同じようにFC賛同者により、自閉症に併発する認知障碍に関する50年に渡る文献やそれ以上に渡る認知障碍それ自体に関する研究史は(双方の文献とも障碍のみならず能力水準をも研究している)、科学の側の研究者達がそれら障碍を記述する方法論が記述内容を決定していることを認識していないとして簡単に無視されたり書き換えられたりしている。FC賛同者が強調するには(Biklen, 1993a, 1993b; Borthwick & Crossley, 1993; Hill & Leary, 1993)、科学的手法で自閉症をあつかう研究者達は発達的失行に破壊的影響を与えていることを知らないが故に、彼ら研究者が研究で使用したほぼ全ての認知検査と観察手順には瑕疵が存在すると言うのだ。だがすでに書いてきたように、そういう仮説には何の証拠もない。それでもなお、上記のような発言をすることでFCが役に立つという説明に説得力らしきものを付加することができるため、こういう仮説がFC賛同者達により繰り返し強調される。だが比較観察法、ランダムサンプリング法、慎重な法則化が無視されていて、なおかつFC賛同者によって混乱した方法論を用いておこなわれた研究を除くとき、発達的失行の疫学的研究というのは一体誰が行ったというのだろう? (Biklen, 1993a; Borthwick & Crossley, 1993)? そうでなければ、FCとは厳密な方法論で研究することなどできはしない、恣意的に取り出された現象にすぎないのではないだろうか?  FCは、障碍者の平等と社会への全面的な参加を激しく訴えている社会理論家と福祉関係者によって、もっとも精力的に取り上げられてきたことがわかる。たとえば、FC以前の活躍として、Biklenは普通教育への障碍者参加運動の強力な賛同者として全国的な評判を確立していた (Biklen & Knoll, 1987)。おそらく、障碍者と決めつけられた人々が実は障碍など持っていないという立場は、障碍者は全面的な社会参加機会を与えられるべきだという立場からほんの少ししか離れてはいない。事実、人間の限界についてよりも西洋社会の限界についてあからさまに語ることで、学者社会は障碍者を囲いの中に閉じこめているのだということを言いたがっている者がいるのである (Jacobson & Mulick, 1994b)。  果たして社会的ハンディキャップとして再定義されるような身体障碍及び機能障碍の全ては、彼らに課せられる社会的要請についての能力的欠乏としてのみとらえるべきことなのだろうか (see Coon, 1992; Fischoff, 1990; Leahey, 1992; O'Donohue, 1989; Schwartz, 1990; and Weinberg, 1989 on related dilemmas)? もしくは、個人の実体的な発達及び行為能力に関する普通ではない特徴や機能の障碍に関する基礎的事実とは別に、それらを決定し、計量し、測定できるような基礎的事実が他にあるのであろうか?FC賛同者の中には (Haskew & Donnellan, 1992)、FCの効果や有効性のような実質的問題に関する合意は、信頼性や正当性のように科学的に裏付けられた概念ではなくむしろ、社会運動や福祉運動を基礎づけるものとして見なすべきであると主張する者がいる。だが、科学的発見が単なるデマでしかなく、しかも全ての見地が社会的構成主義に根ざしているとするならば、果たして彼らの見地がより真実に近いということとより社会的真実を正確に描写していると言うことをFC賛同者は何によって基礎づけるというのだろう?伝統ある高名な大学の関係者や臨床医による無批判なFCの受容と宣伝は、化学理論を社会観や世界観にまで押し広げてしまう危険性をさらに高めているのだ。特にそれが、社会的弱者に悪い影響を与える可能性が高い臨床行為の派生物であるのだからなおさらである。  たまたま何かの治療法が突然流行したり、何らかの治療行為が間違って受け入れられたりすることは、おそらく避けられないことである。臨床研究において注目すべき効果を実証するような研究や改革のペースはゆっくりとしているし、臨床現場に革命を起こすような本当の大発展が起こる確率は全く低い。その一方で、重い障碍を持つ児童や青少年や青年たちを少しでも役に立つ治療に巡り合わせようと、彼らの両親や保護者たちは必死なのだ。重度障碍者や何かしらの治療行為を必要とする人々のごく少数にではあるが、流行の治療法は繰り返し何度も採用されるものである。 流行の治療法はあまり勧められるものではない。実証され確立された治療法が劇的な改善をもたらさないように見えるとき、流行の治療法がそれにとって代わるのだ。  見込みはあるが実験段階にあり実証されていない治療法を試みるにおいては、治療行為者を助言し、訓練し、補助する科学者及び臨床医その他の者たちは特に、すでに実績のある研究者集団が使用する基準等をバランスよく考慮し、また発見した結論の評価に責任を持たねばならない。さらに論争中であったり実証されていない治療法の評価経験を持たない治療行為者は、治療効果を適切に評価するように努める義務がある。我々が思うに、このような義務は専門家と社会が密接に関係を持つにあたり無くてはならないのであり、治療効果に対してあからさまな先入観を抱え込むような原理を倫理的判断で受け入れてはいけないのだ。臨床治療者は、適切な治療を施すと共に不適切な行為を阻止しなければならない。彼らには適切な治療と不適切な行為との相違点を見分ける経験が必要なのだ。 REFERENCES Aach, J. 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The perspectives, interpretations, and conclusions presented here do not necessarily represent the policies of these organizations. Correspondence concerning this article should be addressed to John W. Jacobson, Independent Living in the Capital District, Inc., 2660 Albany Street, Schenectady, New York 12305.