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『障碍者との関わりと脆弱性』までチェック完了(2002/06/29)
全文チェック完了(2002/07/28)
以下原文権利者の訳文掲載条件による表記

Notice
This article originally appeared as Jacobson, J. W., Mulick, J. A., & Schwartz, A. A. (1995). A history of facilitated communication: Science, pseudoscience, and atiscience. (Science Working Group on facilitated communication). American Psychologist, 50, 750-765.
Copyright 1995 by the American Psychological Association.


ファシリテイテッド・コミュニケーション史:科学、疑似科学、反科学:ファシリテイテッド・コミュニケーションにおける科学調査ワーキンググループ

John W. Jacobson
Independent Living in the Capital District, Inc.

James A. Mulick
Departments of Pediatrics and Psychology, The Ohio State University

Allen A. Schwartz
Schenectady, NY

 要約 ファシリテイテッド・コミュニケーション(FC: Facilitated Communication)とは、深刻な発達障害を持つ人々の意志疎通を介助する手段である。教育的治療行為としてFCが認知されるまで、FCの正当性を評価する研究資料は、学術文献と大新聞や障害専門誌の事例報告がわずかに存在するだけであった。これらの中では、障害者がキーボードや文字盤を使用する場合に身体的介助を提供する技術を使用することで、先天的な重度発達遅滞者が予期せぬ言語能力と、通常もしくは優秀な知能を示すと結果付けているようである。研究室で単純盲検法および二重盲検法を用いて制御された研究や、FCが使用されている各種の臨床集団における自然な環境において、障害者たちは介助者が見せられていない刺激を正確に分類および描写できないだけではなく、反応が介助者によってコントロールされていると結論づけられている。

 世界中には、会話で十分に思いを伝えることができない人々が数多くいる。彼らは脳性麻痺や、頭部の損傷、またはダウン症を持っていることや、知的障害や自閉症という診断を受けていることもある。発話能力に基づいて作成された知能テストでは、彼らの能力を過小評価することになり、言語で表現できないことによって、しばしば言語そのものを修得していないとまで見なされることがある。彼らの思い、理想、欲求、希望は語られることがない。彼らは言語のない牢獄に捕らわれている....ファシリテイテッド・コミュニケーション (以下、FCという)のトレーニングでは、このような発語障害を持つ人々が神経支配系の問題を克服し、コミュニケーション補助を使うための機能的な動作パターンを向上させることを目的として、コミュニケーション・パートナーが身体的補助を行う(Teachers College Press [sales brochure], 1994, p. 1)。

 FCとは、発語不能者がタイプライター、コンピュータ・キーボード、又は文字盤を用いて文字、単語、単文、または文章をつづるための介助法に関する手法、もしくはその集合を指す。FCでは、手による段階的な促進操作を必要とし、被介助者が押したいと意志するキーを確実に押すことができるようにするために、文字選択には影響を与えることなく、介助者が効果的に被介助者の腕をサポートするという意図を持つ必要がある(Mulick, Jacobson, & Kobe, 1993)。しかし事実として、身体的補助操作には明瞭な定義付けを欠いており、介助者(普通ファシリテイターと呼ばれる)により影響を受ける恐れを疑念させる。この操作はしばしば『信じられないほどの文学性』を生み出すと喧伝され(Biklen, 1990, 1992a, 1992b)、そこでは年齢的に見て普通、もしくは優越した会話内容、文法、もしくは流暢さが示された(Crossley, 1994)。この結果によってますます注目を集めることになったのは、当該操作を使用する典型的な個人が明らかな先天的自閉症者であるか、重度精神遅滞者、もしくはそのどちらでもある者、または聾唖者であるからである。わずか5年前に当該手法が米国へ紹介されて以来、FCに関する議論は高まり続けている。最大の論点は、介助によって成し遂げられている当該コミュニケーションの出所にある。無意識に綴られるメッセージの文字をファシリテイターが選択してはいないだろうか。あるいは、FCが隠された知的能力を開放するということや、知能テストや発達評価の開発者達や使用者が人間の能力について大きな誤解に陥っていることをFCが証明するという主張のほうが真実なのだろうか。

 この混乱に拍車を掛けているのは、一つにはFCの正当性及び有効性を示す科学的証拠が欠けていることである(Federal Trade Commission, 1995a, 1995b)。もう一つは、FCによる表現内容をファシリテイターが広範かつ体系的にコントロールしていることを明確に証明した研究結果に直面してもなお、発達障害者向けの特別教育やサービス産業としてFCが至る所で行われるようになっていることである。一般や一部の専門家にFCが受け入れてられていることは、教育的、治療的介入を公的資金によるプログラムで評価する場合の困難さや、多数の専門化が批判的精神を持って自ら使用している手順を評価することの困難さという問題を提示する。このような現実を踏まえると、一般や一部の専門家においても、真実と虚偽を区別するときや、治療法のモダリティの価値を評価するときに使用される科学の役割を認識していない場合であっても、FCは事例研究の対象として役立つのである。

発達遅滞者向けサービスの足取り

 1970年代から1990年代にかけて、地域社会に根ざしたサービスの発展と、施設居住型サービスからの知的障害者の開放は、精神遅滞者と発達障害者に対する国家政策体系において重要であり続けている。連邦法制は、Medicaid Intermediate Care Facility for the Mentally Retarded (ICF/MR) programを通じて制度の撤廃を促進したし、同法制は、またしばしば急速に私営化された中小の地域社会居住型サービスや援助サービスを発展させるように機能した。全障害児教育法(P.L. 94-142)を通じて、21歳までの発達障害者の青少年に対する教育サービスを委託された諸団体によりこの傾向はさらに加速した。また、それに続いて制定された法律では、地域社会ベースの統合的なハビリテーション(社会参加支援)を後押しすることを目的とした。これらの法律により、施設居住型サービスへの需要は低下し、その代わりに、現在はより標準的なサービスとなった授産サービスや地域社会居住型のサービスに対する需要が増加した。

 施設から地域社会への移行の動きは、当初は最も障害の軽い人々の転入によって特徴付けられた。初期の授産サービスと訪問看護サービスは、最も障害の軽い人々に合わせて設計されたのである。そして地域社会に留まるという点において、最後に施設を離れることになった人々や現在も施設に留まっている人々には、手厚い世話の必要な健康状態と同時に行動または精神を考慮した場合に、彼ら以前に地域社会に移った人々に比べて、より多くの要求が提示されるという傾向にある(Dura, Mulick, & Myers, 1988; Gunsett, Mulick, Fernald, & Martin, 1989; Jacobson, 1991; Kobe, Mulick, Rash, & Martin, 1994)。このような状況に直面し、より複雑な問題を持つ顧客を迎えるために、地域社会によるサポート体系や専門家によるサービス体系はそれまで以上に能力を向上させる必要があった。

 その能力の向上は、関連サービス職能の資格認定基準が改善されてゆく足取りと平行して達成されていった。初期の状況管理専門サービスシステムは、急速な改革に間に合わせて設計されたため、専門家用のICF/MR基準には、専門家のための認定要件や地域社会における認可要件を一貫した形で反映できなかった。政府系機関のほとんどは、慣習によって、これらの必要条件を免除された。正確には、このICF/MR基準は、精神遅滞専門家認定やQMRP(医療財政管理局、1988年)の基準であるといえる。QMRPの基準は多岐にわたるが、最も認められている専門家認定における地域社会の基準に比べると、必要とされる講習と経験は、はるかに少ないものであった。たとえば心理学におけるQMRPは、心理学士又は関連分野学士の資格を持ち、1年間の精神遅滞者発達援助サービスの経験が必要とされた。さらに、専門的に作成されたハビリテーション計画の実施を一般に担当するケアワーカーは、必要とされるトレーニング期間が最も短く、また仕事の不安定さや異動による影響を受けやすい立場であった。

 このような状況は、少なくとも保健福祉サービスにおける私的セクターとの関わり合いの点で、ICF/MRに基づくケアの品質と継続性を大きく損なわせた。結局、ICF/MR規則は学際組織をつくり、発達遅滞者が利用する訓練、および補助の年度毎に発表される個別回復プランや個別プログラム計画についての責任をこの組織に負わせた。これらの計画は福祉サービスであるだけではなく、能力開発訓練であることが強調された。計画で用いられる教育技術には高度なレベルが要求され、その大部分は機能向上学習原理に基づいていた(Berkson & Landesman-Dwyer, 1977; Huguenin, Weidenman, & Mulick, 1991; Landesman & Butterfield, 1987; Reid, Wilson, & Faw, 1991)。これらは負担が大きく、また重度の障害者はそれほど機能習得がはかばかしいものではなかった。

 時間の経過とともに、QMRP基準が厳しさに欠けていたことや、どのような観点からも非居住型の専門基準に当てはまらないメンバーを学際チームに迎え入れて拡大したことにより、訓練サービス計画とその実施の品質にはかなりのばらつきが出ることになった(Meinhold & Mulick, 1992)。我々の意見は以下のようになる。施設から地域社会へ、というICF/MRサービスの運きを、様々なチームやQMRPが強く押し出したことで、訓練サービスの計画と実施、およびその結果における品質のばらつきとアマチュア化が加速されたのである。そしてこの傾向は依然として解消する傾向にはない。

障碍者との関わりと脆弱性

 我々が推測するに、上記のような傾向が、発達遅滞者向けサービスシステムにFCのような技法が早期に採用される準備を整えたことになる。アマチュア化およびサービス品質のばらつきにより、予測不可能な結果や期待はずれの結果を増加させることになった。「ノーマライゼーション」が理念として確固たる地位を占めたことで、訓練や治療のうち「文化的視点から見て最も規範的な方法」に見えるものに重点が置かれるようになった (Mulick & Kedesdy, 1988; Wolfensberger, 1972)。その結果として、しっかりとした訓練を受けていないスタッフによって、厳密さを欠いた常識による介入が行われることがしばしば見受けられるようになった。善意はあるが訓練されていないスタッフが増えたことで、障害者の進歩を正確に評価することや、貴重な時間とスタッフの努力が相応に報われるような「技術的信頼性」を検証することが難しくなっている。

 重度障害を持つ子供および成人のためには、彼らの両親たちは選択肢の中で最高の効果を持つサービスを必死で探すものであり、スタッフもまたできる範囲で最高のサービスを提供しようとする。しかし親とスタッフはどちらも、疑わしい治療手法による口約束に騙されやすい。特に専門分野の権威たちが、その治療効果を間違って両者に伝えたり紹介すればなおさらである。おそらく、発達障害分野において急激に幅広く受け入れられた流行の手法のうち、最も知れ渡っているのが「パターニング (Delacato, 1966; Doman, 1974)」である。これは四肢および身体を受動的に動かす行為などを含め、長時間かつ長期に渡り行われる治療行為であり、結果的に取るに足りない治療効果しかもたらさないことがわかっている。パターニングを取り入れた瞬間から、パターニング手順の厳しさにより毎日毎週少なくとも数人のボランティアが一人の障害者の身体訓練につきっきりであたらねばならない。後にパターニングの専門家になった者たちにとっては、初めて発達障害者と長い時間を共に過ごすようになったきっかけがパターニングのボランティアであった。

 治療効果を証明する科学的研究が全く存在しないにも関わらず、パターニングサービスは国内のいくつかの地域で現在に至るまで続けられている。事実としては、複数の身体器官が組み合わさった複雑な運動に加えて、強化の随伴性を経験することが、成長段階において運動統合能力を獲得するために必要である (e.g., Riesen, 1975)。 後天的神経障害についてのリハビリ効果についても、同様であると考えられる (Taub et al., 1994)。現在それ以外で同じように疑わしい治療行為としては、読書障害を解消すると言われるIrlen眼鏡(薄く色を付けた眼鏡)の使用や(Hoyt, 1990; Parker 1990; Solan, 1990; Ward, 1991)、抑圧された遠い過去の記憶を思い出させるといわれるいくつかの治療行為(Loftus, 1993; Wright, 1993a, 1993b)、および長年議論の的であるgentle teaching(行動分析学の代替手法とされている)等がある。

 議論を呼ぶ治療法が広まり、それらに関する根拠がこれほど広く受け入れられる理由は何であろうか。この小論において、我々はこの疑問を見事に説明するFCの科学史を提示しようと思う。ここで最も重要な点であると我々が考えることは、裏付けはないが劇的な治療効果、この効果を説明している表面的でもっともらしい「理論」、および伝統的な科学的手順と証拠の基準を擁護する者による否定である。本稿の読者に注意しておいていただきたいのは、これらの関連性は厳密に研究されていないが、社会心理学における研究方法、とりわけ間接的で潜在的な測定基準を用いる研究方法において、ほぼ現象として扱うことができる範囲に当てはまるだろう。

 もちろん、上記の重要な点については、受容性が高く無防備な両親、専門職の助手、および自己満足に陥っている専門家集団なども考慮する必要がある。これらの人々がこれほど受容性が高く無防備である理由は何だろう。 Smith (1994)はこれに関して核心を手際よく取り出している。(ポストモダニズムに関する当時の知的傾向を論じる中で。Hollinger, 1994を参照)彼が言うには、「偽預言者やカルトリーダーに対して人々が無防備であるのは、虚無と絶望のためであり. . .人々を本当の信者にしようとする. . . ここでも、新手の絶対主義は快適であり、そこで安心を覚える(407ページ)」(虚無と絶望を動機と見なす指摘は、現代に限ったことではない(Durkheim, 1897/1930)。発達遅滞者や重度コミュニケーション機能障害者を補助し、養育し、治療し、そしてもちろん愛している人々は、往々にして虚無と失望に捕らわれている。現在の介入は、たとえ効果があったとしてもほんのわずかであり、状態の退行や悪化は日常茶飯事であり、一般に認められた臨床手法を行う臨床医は魔法のような治療法を提案することはない。簡潔に言えば、他の全ての治療法が決定的でないように思えたときに、流行の「治療法」が希望を与えてくれるように見えるのである。

FC小史

起源

 FCの歴史は1970年代初期にオーストラリアから始まった。St. Nicholas Hospitalの講師Rosemary Crossleyが、FCを用い、身体障害及び精神障害と診断された12人の児童による意思伝達を生み出した。当該児童は並または並以上の知的能力を有していることを彼女は見出した(Crossley & McDonald, 1980; Hudson, 印刷中)。この研究結果は彼女が勤務する病院により異議を唱えられ(Hudson, 印刷中)、その後これら児童のうち一人についての研究結果はビクトリア州健康委員会により異議を唱えられた(Wallace v. Health Commissioner of Victoria, 1984; Hudson, 印刷中からの引用)。

 Crossleyがプログラムコーディネーターとして参加する形で、1986年にDEALコミュニケーションセンターがメルボルン郊外に設立され、ヴィクトリア州の各発達援助センターにFCを採用させるよう提唱した。FCはこれら施設に早々と採用されることになった(Hudson, 印刷中)。1988年に発達障害専門家のグループがFCの広範な普及に対して論文を発表し、そこでは意思伝達がファシリテイターにより影響を受けていることが論証されていた(Interdisciplinary Working Party on Issues in Severe Communication Impairment, 1988)。この報告は知的障害検証パネル(IDRP: Intellectual Disability Review Panel)によるFCについての信頼性および正当性の評価へと続くことになった(IDRP; 1989)。

 IDRPは大がかりな実験評価を実施しようとした...しかし大きな障害に直面した。FCを用いている障害者のほぼ全員がDEALコミュニケーションセンターのクライアントなのだが、当該センターが研究への協力を拒否したのだ...DEALは実験評価よりも自然観察法を含めた定性的研究手法の方を好んだのだ。(Hudson, 印刷中, p. 8)

 最終的に、IDRPは対象のうちわずか三例についてしか共同研究を行うことができなかった。

 その三例のうち二例についてはFCを用いて意思伝達を行うことができないが、三例目はFCを用いて意思伝達を行うことができるとIDRPは見出した。しかし、Cummins and Prior(1992)とJacobson他(1994)の両者ともに、IDRPの調査結果は三例目の意思伝達能力についても真に信頼に足る結論を保証するものではないと示唆している。メッセージ伝達研究が別の三例で行われた(ここでは、ファシリテイターを排除した状況で言われたり行われたことを、その直後に伝達する。例えば、Szempruch & Jacobson, 1993)。対象はファシリテイターにメッセージを伝達することに成功したと報告されたが、介助なしでの読み書き能力・意思伝達能力についての重要な情報がこの報告に示されておらず、解釈を困難にしている。にもかかわらず、介助の一般的有用性を裏付ける証拠としてこれらの事例結果はFCの賛同者たちに幅広く引用されている。その後、オーストラリアでのFCにつき数多くの研究及び臨床報告がある(Hudson, Melita, and Arnold (1993); Moore, Donovan, Hudson, Dykstra, and Lawrence (1993); and Moore, Donovan, and Hudson (1993))。これら研究の調査結果は、ファシリテイターがタイピング内容に影響を与えていることを見出すことで一致している。この研究では、ファシリテイターの影響は必ず存在していることが明らかにされている。ファシリテイターがタイプ内容について意図的もしくは意識的に影響を与えていることの示唆もなかったのだが。行為者が身体対話や文章作成に対して自らの主体的影響を知覚しない、明らかに関連がある現象がある。自動書記やウィジャ・ボード ouija boards(訳注:こっくりさん)、チャネリングなどの現象である(Hall, 1993)。

米国におけるFC

 1989年、シラキュース大学の特殊教育学部教授であり社会学者でもあるDouglas Biklenは、オーストラリア訪問中にRosemary CrossleyのFCを用いた成果を観察した。彼は米国に帰ると、言葉を持たない自閉症の生徒を指導する特殊教育教師及び言語病理学者にFCを紹介した。当初Crossley法は身体障害者に対して行われたのだが、認知障害と診断された障害者グループにまでBiklenはこの方法の実施範囲を拡大した。にもかかわらず、彼の研究グループは早々と驚くべき結果を報告した。報告によると、ファシリテーションを用いることで、それまで言葉を持たなかった自閉症の生徒達が単語、単文、そして驚くべき明瞭さと知性を持つ文章をタイプしたのだった。

 北米の文献に初めてFCに関する専門的論文を出したのは、Harvard Educational Reviewだった(Biklen, 1990, 1992a; Cummins & Prior, 1992)。それらの論文の後、すぐにいくつかの補完論文が著された(Biklen, 1992b, 1992d; Biklen & Schubert, 1991; Biklen 他, 1991; Biklen, Morton, Gold, Berrigan, & Swaminathan, 1992)。また先行論文の改訂版を含んだ本も刊行され(Biklen, 1993a)、FCダイジェスト(The Facilitated Communication Digest)というニューズレターも配信された(Biklen, 1993b)。上述したオーストラリアでの研究結果とは対照的に、これらの文献はFCを使った介入法の成功を報告し、定性的研究法や民族学的研究法(Leninger, 1994に描写されているような研究法)を用いていた。Biklen (1990) 及びその他論文のほとんどはFCにおける重要な手順要素について報告している(例えば、 Biklen, 1990では、7つの態度の側面と18の手順をあげている)。しかしながら、FCテクニックが一貫して便益をもたらしたという体験談を提示するFCに関しての上記報告またはこれ以外の報告のどれ一つをとっても、開始前と開始後との能力測定に使われた測定基準があいまいであり標準化されていない(例えば、Department of Family Services and Aboriginal and Islander Services, 1993)。これは致命的である。というのも、上記報告に後続した研究は、FC訓練は訓練前状態に比べ、何ら表現内容を向上させることがないと示すことになったのだから。これは Green(1994) 及び Green and Shane (1994) が行動科学と社会科学によりFCを詳細に研究して結論したことである。学術発表において欠くことのできない詳細というものがこれら研究には欠けており、Biklenの論文(1993a) を評論したひとりはこう指摘さえしている。『民俗学者、心理学者、教育者、社会学者にとってこれが体系だった研究の産物であると認めるような論拠は、この論文のどこにも存在しない。ここにあるものは研究とは似ても似つかぬものである (Thompson, 1994, p. 671)』

 前述の著作物を総合しても、FCの使用を宣伝する著作物としてはごくわずかを紹介しただけである。Crossleyもまた過去のFC適用例を記述した専門出版物を現在まで精力的に出版し続けており、FCの拡大適用を推進している(Borthwick & Crossley, 1993; Crossley, 1992a, 1992b; Crossley & Remington-Gurney, 1992; Remington-Gurney, Batt, & Crossley, 1992)。それら著作の中には、障害者の意思伝達技能を示す基準に関して言われ無き(つまりは、客観的な)基準を押しつけていると『心理学者連中』をあからさまに批判しているものも存在する(例えば、Borthwick & Crossley, 1993)。

 FCの核心部分に関する仮定(これに関しては後述)の基礎を構成するような実質のある系統だった研究論文も、先例となる研究論文も存在しないことを考えると、重度障害者がFCの恩恵をうけたという体験談に対する学術サイドからの当初の反応は見事なまでの黙殺だった(例えば、Calculator, 1992a, 1992b; MacLean, 1992; Silliman, 1993)。しかしながら、より注目すべき事は、科学的土台の裏付けが無いというのに、コミュニケーション障害や特殊教育の専門家、彼らの生徒、及び重度障害者の両親の中から、出版物や訓練会を通じてFC使用の普及に打ち込み始める人たちが現れたということである(Bing, 1993; Calculator & Singer, 1992; Donnellan & Haskew, 1993; Donnellan, Sabin, & Majure, 1992; Duchan, 1993a; Duchan, & Sonnenmeier, 1993; Ferguson, 1994; Higgenbotham, Sonnenmeier, & Duchan, 1993; Hill & Leary, 1993; Koppenhofer, Gilmer, & McElroy, 1993; McSheehan & Sonnenmeier, 1993; Sonnenmeier, 1993; Veale, 1992)。FC使用を普及しようとする論文の大半は、同僚による査読のある論文以外の所で出版された。大衆雑誌(Chazin, 1993)、新聞(Chideya, 1993; Heinrichs, 1992a, 1992b, 1992c, 1992d, 1992e; Randall, 1993a, 1993b; Schofield, 1993a, 1993b)、テレビ(Bryen, 1993; Palfreman, 1993; Smith, 1993)、およびニューズレター(Biklen, 1992c; Duchan, 1993b; Hudson, 1993; A. Kurtz, 1992; Reichel, 1993; Rimland, 1992a, 1992b, 1992c; Schubert, 1993; Von Tetzchner, 1992)が、FC現象の皮相的には好ましいが、実は驚くほど好ましくない社会的結果を伝える第一義的なメディアとなった。言うまでもなく、メディアが提示するFC体験談は、しばしば恣意的に選ばれ、不完全で、不正確なものである。

 FCを理論的にも概念的にも不健全な現象であると批判したものは、初期にはほとんど存在しない(Cummins & Prior, 1992; Green, 1992; Green & Shane, 1993; Mulick, Jacobson, & Kobe, 1993; Prior & Cummins, 1992; Schopler, 1992; A. Schwartz & Jacobson, 1993; Wolfensberger, 1992)。しかしながら、FCが広範囲に普及するに従い、この現象に焦点を当てた研究が行われるようになる。定性的研究による結果とは反対に、統制された研究による結果は一貫して否定的であり、FCは安定して再現できるものではなく、何かを生み出したとしても有効でないと結論している。(Green, 1994; Green & Shane, 1994)。単純盲検手順及び二重盲検手順、繰り返しと自己規制、メッセージ伝達(ファシリテイター不在の間に被験者に言われたことやなされたことをその後にFCによって伝達する)を用いる伝統的な研究手法が、典型的な統制された研究である。(表1参照) 適切に統制され、同僚による査読を経て発表された研究は、一様に以下のように結論づけている。ファシリテイターによる情報へのアクセスが体系的に厳密に制限されている状況下にあっては、FCを通しての意思伝達能力の変化は、あらかじめ想定される範囲内であり、FCによる意思伝達内容はファシリテイターにより決定されていることを示すことになる(Bligh & Kupperman, 1993; Cabay, 1994; Crews 他, in press; Eberlin, McConnachie, Ibel, & Volpe, 1993; Hudson 他, 1993; Klewe, 1993; Moore, Donovan, & Hudson, 1993; Moore, Donovan, Hudson, Dykstra, & Lawrence, 1993; Regal, Rooney, & Wandas, 1994; Shane & Kearns, 1994; Siegel, in press; Simon, Toll, & Whitehair, 1994; Szempruch & Jacobson, 1993; Vasquez, 1994; Wheeler, Jacobson, Paglieri, & Schwartz, 1993; 表1参照)。同僚による査読を受けていない専門誌に掲載された統制された研究においても同様に結論されており(Cummins & Prior, 1992; Ogletree, Hamtil, Solberg, & Scoby-Schmelzle, 1993)、学会で発表された統制された研究も同様である(Apel & Vandervelde, 1993; Beck 他,1992; Green, Chelquist, Krendel-Ames, Ross, & MacDonald, 1993;Kallstrom, Piazza, Hunt, & Owen, 1993; Marks, Conrad, & Hart, 1993; Meinhold, 1993; O'Donnell, Bomba, Markowitz, & Holmes, 1993; Price & Kirkpatrick, 1993; Teodoro, Meinhold, & Koch, 1993)。表1に含まれている研究例は他の研究を代表するものであり、被検者には自閉症、脳性麻痺、精神遅滞を伴うてんかんと診断された人たち、軽度、重度または深刻な精神遅滞と診断された人たちを含んでいる。これら研究は地域社会サービスまたは障害者教育組織や障害者施設により、普段介助を行っているファシリテイターとともに行われた。また被験者はそれまでにFCを用いることで複数の文章、複数のレポート、複数回の自己表現を行った者たちだった。

 被験者の情報へのアクセスがコントロールされ、障害者は見聞したがファシリテイターは見聞しなかった刺激に対してタイプされた応答が評価される盲検法による研究に加え、第一義的に用いられた手法がメッセージ伝達法である。メッセージ伝達法では、ファシリテイターを完全に排除した状況を作り、コミュニケーション障害を持つ人に絵や物体が示され、それを動かしたり使用したり、または研究者と一緒に行動したりする。その直後にファシリテイターを加えてFCが行われ、直前に提示された絵や物体、もしくは行動について聞き取りを行う。「FCが機能する」ことを示すために、もしくは、「FCは機能するか否か」を決めるために、このような研究が多数行われた。

 驚くべき事ではないが、研究結果のあいまいさについてあれやこれやの議論、主張があったため、FCの出現に対してとられた公的政策も大きな振幅を持つことになった。各州において、研究を発表しFCの推進に優先的順位を与えた機関がある一方(Department of Rehabilitative Services [RS] and Department of Mental Health, Mental Retardation and Substance Abuse Services, 1992)、FCの技術移転を推進するガイドラインを発行した機関があり(Moseley, 1994; Office of Mental Retardation, 1994)、統制された研究に基づいた警告的ガイドラインと法的責任の可能性を表明した機関もあった(Campbell, 1993; Maul, 1994; Office of Protection and Advocacy for Persons with Disabilities [OPAPD], 1993)。

 推進的政策は、FCの出版物からの内容を直接取り込んでいる。例を挙げると、FCの賛同者は次のように主張する。全般的統合運動不能や発達的統合運動不能と呼ばれる神経学的機能障害を持っているので、自閉症者はFCの身体補助手法が必要であり、かつFCにより恩恵を受けていると。この統合運動障害や統合運動不能は、行動の開始、継続及び終了が困難なことで特徴づけられている運動障害として描写され、この障害は補助を行い反復運動を中断させることで軽減するとされる。一つ例をあげると、法規制は現在でもこの点について不正確にも、自閉症者は普通これら障害に冒されているとしている(Office of Mental Retardation, 1994)。この主張について、科学的もしくは神経心理学的にいかなる支持も存在しない。

 警告的政策は、視野において全国的な(Margolin, 1994)、そしてFCの臨床的現象とは別個の社会的現象が起きているという認識から端を発している。FCを通じて行われた(ほとんどの場合性的な)虐待の報告が、メディアや学会及び臨床論文において多数報告されている。そのような告発は、社会的には重大だが、不定期な頻度でなされている(Levine, Shane, & Wharton, 1994)。開業医や監督者、また臨床医のような者にとって発達障害者の性的虐待についての高い危険性(Furey, 1994)は核心的な関心事であるが、記述内容をファシリテイターが支配していることを証明する調査結果は、FCを通じて為される告発の信頼性に疑問を呈しており、なおかつ幼児虐待の報告を義務づけられている人々の困惑の原因となっている。

Margolin (1994)がFC関連の判例研究において報告したところによれば、米国においてFC関連で行われた少なくとも60件の告発が、父母、教師、プログラム職員を含むケアテイカーに虐待容疑をかける法的手続きへとつながっている。二件の例外を除き、これらの法的手続きは起訴や訴訟に入る前に終了している。しかしながら、根拠のない、確証に欠ける虐待の告発は、告発の最初の様式がどうであれ、典型的には、告発を受けた者が自己防衛のために多大な出費を強いられるのみならず、家族離散に陥ることや、汚名を着せられたり、失業、疎外という結果になる(Levineet 他, 1994)。警告的公共政策は、FCを通じた告発を行うにあたり虐待報告義務者が事前検証すべきこと(Campbell, 1993; OPAPD,1993)、もしくは、FC以外の治療法に課されているのと同じ様式の定期検査とモニター及び治療評価を用いた個別サービス計画にFCは取り込まれるべきこと、かつ、実験的技法として事前に十分なインフォームド・コンセントが助言されること(Maul, 1994)を述べている。

 我々が見てきたように、定性的研究法と統制された研究法それぞれの研究結果が鋭く対立していることが、FC現象によって巻き起こっているジレンマを示している。しかしここまでの論述では、FC、特にその使用から生じるらしい予期せぬ読み書き能力が、疑似科学(つまり、科学的ではないものを科学として取り扱うこと)や反科学(認識論として科学的手法を否定すること)と結びついているかどうかという根本的問題に、我々はまだ取り組んでいない。明白なことは、研究手法の違いによりFCに対する研究結果が見事に異なっているということである。我々は、FCは反科学的目的に奉仕する疑似科学的手順であると主張する。幸運にも、疑似科学と反科学の特徴は厳密に構築されており、なおかつ広く承認されている(Brown, 1982; Bunge, 1984; Casti, 1989; Cromer, 1993; Gardner, 1957; Holton, 1994; Huber 1991; P. Kurtz, 1994; Sabbagh, 1985-1986; Shore, 1984; Skeptics Society, 1994; Thagard, 1988)。次章ではそれを明らかにする。

疑似科学と反科学とFC

 FCの現象は疑似科学の要件の大部分を満たしている。先ず成功例の提示は基本的に逸話または体験談に基づいている。また使用開始以前の能力と自然治癒の可能性は無視され、同時に行われる科学的手法は否認される。成功しなかったFC行為者は、FCを正しく行わなかったかFCの効果を信じていなかったのだという理由で責めを受ける(Brown, 1982; Casti, 1989)。FCの現象を否定的に証明する統制された研究は、FC手法の有効性を証明したと発表する研究にほんの少しも言及されていないような厳密さとか研究手順を用いたとの理由で、非難される(Biklen, 1993bを参照せよ)。統制された研究の論述結果の全体ではなく、結果の一部分だけが論評され解釈される(Biklen, 1993b; Borthwick & Crossley, 1993)。

 FCの見かけ上の効能が直接的に挑戦している科学者や医師の観点は以下の通りである。(a)自閉症は精神遅滞から明らかに区別できる臨床状態であり、(b)さまざまなレベルの精神遅滞が自閉症者に特に高い割合で合併しており、(c)一般的な言語機能発達における遅滞や未発達は、知能発達における遅滞や未発達と密接な関係を有している。三点目(c)からの必然的な帰結は以下のようになる。自閉症者や精神遅滞者が言語(発話、筆記、描画等)を使う際の日常的な流暢さは彼らがこれらを行う能力の正確な描写であること。公然と意思伝達をあらわすことを抑制したり、規範的な表意能力を「隠す」ような臨床的に重要な現象はありえないこと(実際にあらわれているものは「内的」発話能力を正確に表しているということ)。認知的発達と社会的発達及び子供と青少年による一般認知的かつ社会的問題解決における膨大な心理学分野の文献によって、この観点は強く基礎づけられている(例えば、Dykens, Hodapp, & Leckman, 1994)。表面にあらわれているものと実際の能力との間に一般に強い相関を仮定できるということが、心理学的検証法と統計学及び精神鑑定の根本理念である。

 しかしながら、FCを使って生み出された一見非常にすばらしい結果は、目に見える振る舞いと内的能力との一致を含む前述したいくつかの前提が、そうではないと説明されて捨て去られない限り、信ずるにたるものとして受け入れることはできない。FCの信用性は、すばらしい結果を説明する賛同者たちが常に強調する三つの説明上の構成概念に頼っている。対立テストは有効でないこと、自閉症者には言葉を見つけ出すのに問題があること、発達的統合運動障害もしくは統合運動不能の広範かつ認識できない影響があること、というものがその三つにあたる。正しい反応はファシリテイターの知識により誘導されていると結論する統制された研究環境下において重度障害者が満足な反応を見せることができない時に決まって説明される理由は、実際上全て、上記三つの前提を言い訳にしている。続いて我々はそれら三つについて順に詳述することにする。

対立テストまたは反対者テストとは、自由会話で普通に使われる会話事例ではなく、特定の反応を被験者に求める方法を指す言語病理学用語である。FCの賛同者たちは以下のように論駁する。対立テストは即答を迫ることで重度障害者の自信を喪失させ、その結果、ファシリテーションを通じての反応をも減少させてしまう、というものである。前述した統制された実験研究においては、反応はほとんどの場合全く不正確なものであった。「FCユーザー(ファシリテイターを通じて意思表示する障害者のこと)」の観点から、Crossleyは以下のように述べている(1992b)。

 対立的検証では、たったひとつの質問が尋ねられている。それは「FCユーザーは意思表示補助や戦略を有効に使うことができるのか?」である。これにはFCユーザーがそうすることができないことを望む人々が何人も加わるだろう。このテストはFCユーザーが失敗することを望む人間により監督または提案されるかもしれない。敵対的な観察者がテスト本番に出席しているかもしれない。ほとんどの場合、FCユーザーはテスト参加から失うものは多くあるが、得られるものは何もない。テストに成功しても、何も変わらない。テストに失敗すると、わずかばかりのコミュニケーション手段さえも失うことになるかもしれないのだ (p. 47)。

 何故超心理学現象が統制された研究環境下では検知されないのか説明する議論と、これは本質的に全く同じ議論である (Gardner, 1957)。簡単に言うと、この現象は弱いものとされ、懐疑論があったり、最も曖昧な評価法以外の方法が用いられる場合、歪められがちなのだとされる (Aach, 1991; Blackmore, 1991; Bunge, 1984; Gardner, 1989; Sabbagh, 1985-1986)。皮肉にも、検証法がそれほど込み入っておらずFCユーザーが多くのものを得られるような、訴訟手続きで行われる検証方式においても、統制された研究とほぼ同様の結果が今までずっと出ているのである (Bligh & Kupperman, 1993; Green, 1994; Jacobson & Mulick, 1994a)。はっきりとした状況的動機付けがあり(例えば、虐待者に報いを受けさせるため、または虐待を行っているとされる家族の元へ戻されないため)、また特別困難でもない検証手順であるにもかかわらず、法廷において、結果は常にファシリテイターによる操作を裏付けるものであり、またファシリテイターが質問と正解の両方を知らない限りFCユーザーは正しい反応を返すことができないことを裏付けるのである (Bligh & Kupperman, 1993)。

 統制された研究環境の代わりに、検証には定性的研究基準が使われるべきであるとFCの賛同者たちは主張している。それは以下のようなものである。

1.FCユーザーの文字やキーへの運動制御動作のスタイル、スピード、正確さが、ファシリテイターを変えても変化しない....

2.FCユーザーはそれぞれ特有の表記間違いをする。タイピングで一度に1文字以上をほぼ一貫して叩く者もいる....

3.多くのFCユーザーはそれぞれ特有の表音綴りや発明した綴りを生み出しており、その何人かは同じファシリテイターの介助を共有しているにもかかわらず、他者の記述にそれは決して現れない....

4.FCユーザーの中には伺い知れぬフレーズや文章をタイプする者がおり、それはファシリテイターに作り出せるとは思えないものである....

5.FCユーザーは時にファシリテイターが知らない記述を行うことがある....

6....FCを通じてFCユーザーは性格をあらわにしているのである (Biklen 他, 1992, pp. 19-20)。

 上記に挙げた検証基準の第5を除き、これらの検証基準のどれもが容易には偽りと断ずることができない代物であり、しかも臨床者や研究者が社会的交流と研究設定の記録を読み込むことから得られた知識及び期待とたやすく混同されてしまう代物である。第5の基準に関しても、臨床環境においてはファシリテイターの知識を厳密にコントロールすることはほとんどない。実際には、ファシリテイターの知識を実験的コントロール下に置いた場合に、この基準が満たされるのは、ごく例外的な環境下で限られた程度でしかない(例としては、何度も続いたある審理においてこのようである。実験的ではない環境下でなされた複雑な陳述とは対照的に、その同じ個人が正確にタイプしたのはただ単語一つだけであった。 Green, 1994を見よ)。さらに、訓練セミナーや職業的な論文の中で(例えば、Biklen, 1990)、これからファシリテイターになろうとしている者に、意思疎通能力をテストしないよう、重度障害者も意思疎通する能力があると前提するよう指示されている。この見解を自閉症分野のある研究者が以下のように要約している。

“FC”を宣伝するイデオローグたちは、特に悪質な販売手法を使う。“FC”が効果的であるためには信念と信頼関係が必要だと彼らは言う。研究はそのように重要な信頼関係の妨げになるからふさわしくないと彼らは主張するのである(Schopler, 1992, p. 331)。

 言語病理学の文献において“言葉を見つけ出すのに問題があること”とは、正しい単語を述べることを含む発話上の困難のことであり、なおかつこの困難を適切に説明できる特定の原因が究明できていないものがこれに当たる。それらの個々の事例における原因は、思い出す過程や筋運動過程または認知過程(例えば脱抑制や抑制)に関わるものなのかもしれない。とはいえ、もしこういう問題や欠損により阻害されなければ、その人は正しい反応を返すことができるであろうことが前提されている。言い換えるならば、その人は正しく反応を返すだけの知識は有しているものの、その能力を使用することができないということが、言語病理学で言う“言葉を見つけ出すのに問題があること”である。

 FC文献においては、“言葉を見つけ出すのに問題があること”(特に自閉症者に帰しうるこの種の問題)は、対立テストで「失敗する」理由の説明として持ち出される。テストには通常、二重盲検または単純盲検(被験者とファシリテイターに同じ刺激か異なる刺激を見せ、両者はお互いにどちらの刺激を見せられたのかを知らない、など)や、メッセージ伝達(被験者が物体や刺激についてファシリテイターへ描写を行うよう指示される、など)を用いる。自閉症ではないが重度障害や深刻な障害を含む人々(Biklen, 1993a, 1993b)は、名詞を思い出す際に限って欠陥を生じると主張されている (Borthwick & Crossley, 1993) 。際だって特徴的な意思伝達のスタイルが、しゃべることのできる自閉症者の臨床上の大きな特徴であることから、これらの人々の意思伝達能力に関する文献は驚くほど膨大に存在する。これらの文献によれば、自閉症者は確かに動詞について“言葉を見つけ出すのに問題”を抱えているが(自閉症に特有の社会的認知欠陥からすると予期されうる問題だが)、名詞については必ずしも困難を示すとは限らない (Jacobson 他, 1994)。対立テストでは、Simon 他 (1994)の例外はあるものの、統制された研究環境において答えるよう求められた刺激ラベルは全て名詞のみであった。

 さらに、ただ一語(しかも「特定の一語」)の回答しか正しい回答とされていないとFC賛同者たちは言い張っているのだが、事実としては全ての研究において複数の単語や曖昧な表現もまた潜在的に正しい回答として用いられている。また全ての研究において、他の臨床集団においてしばしば観察されてきたような関連した婉曲表現でも正しい回答として認められたであろうが、そのような回答ですらほとんど観察されてはいない。また、“言葉を見つけ出すのに問題があること”がこれら研究において正しい回答を事実上すべてできなくさせてしまった理由は明らかではないし(研究において被験者が回答をタイピングする時間は十分に用意されていた)、反面いわゆる「自由会話」において“言葉を見つけ出すのに問題があること”がまったく単語選定に影響しない理由も明らかではない。

 タイピングを通じて行われる年齢相応または年齢以上の発語能力を描写する際、FC文献は同時に自閉症者及び軽度から重度の精神遅滞者が通常適応行動を発達できない理由をも説明しなければならない。これは前述したように、発達的統合運動障害もしくは統合運動不能の構成要素を呼び出すことで達成されている。 統合運動障害もしくは統合運動不能とは、自発動作の開始、操作、緩和、停止についての障害もしくは不能を指す。したがって、自閉症者及び軽度から重度の精神遅滞者が通常適応行動を発達できない理由は、学習や成長に遅滞があるためではなく、彼らが身体運動を制御することができないためであるとされる。

 FCの論理的説明として運動能力原因説が常に言及されている。CrossleyとRemington-Gurney (1992)が言及するところによれば、手と目の調和運動障害、筋弛緩、筋緊張、人差し指の伸張・保続障害、衝動性障害、震え、橈骨/尺骨筋保持障害、発動障害、姿勢保持障害、自己受容性感覚減退や片手でできることに両手を使ってしまうことなどを含めて、FCの処置は幅広い運動能力問題を緩和することができるという (Brown, 1982 によれば、「万病に効く万能療法」という謳い文句は疑似科学にしばしば登場するという)。最近では、自閉症者は情緒的運動障害(「必要な時に必要な情緒反応を呼び起こすことができない」)や逆説的運動(「ある運動ができたりできなかったりする」)にも影響を受けていると、M. Learyは示唆している (A. Kurtz, 1994, p. 2に引用されている) 。

 運動形態において、自閉症者と特定運動障害を有する者との間には表層的類似点がいくつか存在し(Hill & Leary, 1993)、統合運動障害の構成要素の選択された一部は、年齢や発達年齢が同等の人たちと比べて、自閉症者により高い比率で認められると報告されている (Jones & Prior, 1985)。しかしながら、統制された神経学的もしくは神経心理学的研究は、発達的運動障害が自閉症者やより重度の精神遅滞者の基本的な併発障害だとは認定しておらず、むしろ、そうではないという証拠がある (例えば、Sigman, 1994)。最近の例を挙げれば、子供における発達的発話運動障害の特性がStackhouseにより詳細に記述されており(1992; Stackhouse & Snowling, 1992)、また上肢運動不能に関する基準が整備されている (Burd, Cook, & Randall, 1990)。子供、大人を問わず自閉症者及び精神遅滞者に特有の行動特性はこれらの中に出てこない。発達的運動統合障害が自閉症及び精神遅滞の基本的併発障害だとする主張は、被験者が予期せぬ読み書き能力を披露しながら、ほぼ何をするにも助けを必要としているように見える(Biklen, 1993a, 1993b)という統制されていない観察にのみ基づいている。それゆえ、この読み書き能力は通常又は通常以上の知的能力を示唆しているからこそ、これらの発話不能な子どもや大人はきっと発声、手振り、ジェスチャーで有能さを表現できないような運動障害を併発しているに違いない、という推論となる。このような自己循環的理由付けは、以下の抜粋に現れているのである。

FCの成功に不可欠な人間関係要因の多くが分かっています。それらが分かったのは、多くの場合、私たちがタイプしている本人達からそれを語りかけられてきたからです. . . .。成功の基本的条件は、FCユーザーには未だ観察されていないものの一定の認識能力があるのだという自己実現的な確信をファシリテイターが持つことなのです(A. Kurtz, 1992, p. 8)。

 我々が主張するように、もしFCが疑似科学的現象であるならば、学術世界においてなぜ急速な受容がなされたのであろうか(Hall, 1993)?。あり得る考え方としては、そもそも重度障害者によるとされるタイピングで表現された内容にファシリテイターが影響を与えていることをファシリテイターが認識していないのではないだろうかということである(例として自己編集についてSkinner, 1957を見よ。予期していた又は予期していなかった情報の入力に関するバイアスについてJohnston and Hawley, 1994を見よ。また他の感覚機構に暗示があるような感覚器の結論付けに対し大脳皮質が影響を与える背後にありえる神経機構についてSalzman and Newsome, 1994を見よ)。加えて、答えを完全なものとするには、西洋社会において、またほぼ確実に、介助及びヒーリング従事者と彼ら側の学術的代弁者といった要素において、反科学的感情が広範かつおそらくは漸増的に存在していることを指摘しておく必要がある(Gergen, 1994; Holton, 1994; P. Kurtz, 1994; Sampson, 1993; Smith, 1994)。大会記録、雑誌記事、書籍、ニューズレターそれぞれから4つの抜粋を以下に挙げるが、これらのなかにはこの反科学的感情が申し分なく表現されている。

FCは、ポストモダンなアイディアだと見なされうる。. . .これはコミュニケーションにおける社会的構成主義である。これは送り手と受け手の間における相互過程として理解される現象であって、送り手が送ろうとしているそれそのものを客観視して、解釈するようなものではない。FCは相互作用の成果物である。コミュニケーションの実際において、FCはこの文脈上に位置づけられるものなのである(Sailor, 1994; p. 10)。

 コミュニケーションしようとする個人の努力に目を向けるなかで、最も興味と議論を呼ぶもののひとつがFCである。その効果と「ファシリテイター」の役割に関する議論にかかわらずはっきりとしているのは、以前に考えられていたよりもより多くの人々の中にコミュニケーションへの欲求が存在し、正しく介入を行うことでこの欲求が初めて実現されるのだという仮定に基づいてこの方法が開発されているということである(Ferguson, 1994, p. 9)。

 FCを批判する者の中には、これを実証主義的視点から読み解こうとしている者がいるようだ。実証主義の伝統は、まるで人間の経験が因果関係で理解できるかのように社会科学を扱おうとする傾向にあり、物理自然科学を理解するのと同じようなやり方で扱おうとするのだ。この立場は私の立場とは対照的な立場である。私の立場は、対象、現象、観察、理解はその定義により社会的に構成されるものだというものである (Biklen, 1993a, p. 136, footnote)。

 新たなパラダイムの出現は、必然的にそれまでの「知識」を捨て去ることを要求する--それまで我々が知っていると考えていた知識を。これまでの古い知識を専門とする人々が自らの専門をなかなか捨て去ることができないのは理解できる。だからといって、彼らが古くさく間違った知識を必死になって総動員し、世界中のJenとWally(FCユーザー)をこれまでのパラダイムの限界の中へ無理矢理閉じこめようとすることは理解できない。(Bakeman, 1994, 括弧は付け加えた)

 第一の引用 (Sailor, 1994) は、発達障害者介助における新しい訓練を紹介したカリフォルニア地域統合総会での基調講演からの抜粋である。他の資料(Duchan, 1993a, 1993b)と同じように、FCと日常会話における推論過程とのアナロジーに言及するというポストモダン的視点から、FCの正当性を主張している (Borthwick & Crossley, 1993を見よ)。人が日常会話で質問し、返答し、お互いの陳述の真意を理解しようと探るのと同じように、FCは相互に構成され意味が解釈される、というのがこのアナロジーの本質である。レトリックの道具として、アナロジーはその前に述べたことの解釈を明瞭にすることはできるが、それで因果関係を説明したことにはならない。FCを使って得られる意思伝達についての正当性を断言する資料またはFCが機能する理由について説明する資料は膨大に存在するが、これら資料はそのようなアナロジーに基づいており追試不能である。アナロジーのような証拠無き記述が、しばしば因果関係の説明と混同されているのである。さらには、「不確定性」やアナロジー的、比喩的理由付けにおける同種の概念を持ち出して行動科学の実証主義的解釈を批判する者たちは、その効果が頑強に検証され、予測され、再現されたからこそ科学の中に受け入れられた(Gross & Levitt, 1994)現象を、皮肉にも引用し、実証的経験主義を同時に受け入れ、かつ、拒否する格好になってしまっている。

 第二の引用(Ferguson, 1994)は、タイピングされた内容にファシリテイターの関与が存在すると証明している研究結果に共通する高い一貫性を無視したい、とか、FC法が効果を持たないという結果の影響を緩和できるような考えを見出したいという書き手の望みを例示している。言われているようなFCの好ましい副次的効果(FCを使用する療法士はFCを使用しない療法士よりも発話不能者が意思伝達願望を持つと信じる度合いが高いとか、FCを使用する療法士は障害者の意思伝達能力をより向上させる傾向にあるとかといった副次的効果)のどれをとっても科学的証拠がない。FCのことに軽く触れたり言及することは、より幅広い関心事をカバーしている専門誌の論文の文脈でしばしば生じており(この第二の引用も発達障害者のコミュニケーションと地域社会参加に関するFerguson, 1994の論文中に出てきたものである)、FCが臨床的に意義ある付加的、代替的な意思伝達手法の領域に属するという見解に、不注意にもそのつもりのない権威をあたえる結果になっている。

 第三の引用(Biklen, 1993a; FCについての本からの引用)は、FC賛同者に共通する視点をよく表している。それは、人間行動の客観的認識は不可能であるという視点であり、かつ行動科学の手法を社会科学の手法と混同させる視点である。しかしながら、より重要なことは、この視点に立つFC賛同者は、人間行動についての全ての可能な解釈はお互い同じだけの正当性があり、よって否定的な科学的証拠は適切ではないと示唆している(例えば、Sarbin & Kitsuse, 1994)。しかし、より知的で論理的な(社会的に構成された)立論とやらが、科学的証拠により確認も支持もされていないのに、科学と応用研究によって圧倒的に確認されている(社会的に構成された)懐疑論及び否定論の立場とは対照的に、FCの正当性を証明することになりうるのか、この議論は明確で合理的な説明を提供していない。

 第四の引用(Bakeman, 1994)はFCニューズレターの論文からのものであり、米国精神遅滞協会ニューズレターの中でSchwartzとJacobson(1993; 本稿の著者でもある)がFCニューズレターの編集者に宛ててFCの好ましくない副次的作用について書いた手紙へ返答した形式の文章である。FC啓蒙に精力的な教授グループが発行するニューズレター特集号と技術補助教材は、臨床環境でFC技術を使用している人々にとって新情報の主要供給源である。第四の引用にあるように、FCの正当性に対して支持をほとんど得ることのできない研究者たちが、個人的経験や情報を並べて、無知、頑迷、無理解に関して論評することはよくあることだ。FCニューズレターに掲載されるのは、否定的な研究を仮定的、恣意的、特異的基準から非難する論文、FC推進ワークショップのレポート、FC対話についての検証無しの成功体験談とそのFC対話内容の写しである。このようなFCニューズレターには、否定的な研究を首肯しうると特徴付けるような研究文献の、ほんの少しの部分についてへの言及を含んだ資料は決して掲載されないため、多くのFCユーザーは否定的証拠から組織的に隔離されていると言えるのだ。

科学への不信と反科学への傾倒

 ポストモダン分析の勇猛な新世界においては、科学的手法の“不思議の国のアリス”的修正の中で、“不確定性原理”、“カオス”、“パラダイムシフト”といったような物理科学用語が、厳密でなく、しばしば不正確に、使用されている(Gross & Levitt, 1994; Rae, 1986/1994)。例えば、障害者の動作を実用的かつ正確に測定する方法は“不確定性原理”のために開発できないとか、統制された研究で根拠なしとされた一時的に流行に過ぎない治療でも“パラダイムシフト”につながりうる、といった具合である。同時に、伝統的科学に含まれるその他の教義は、引用に際して正確で社会的あいまいさが入りこむ余地がないほど(例えば、FCでは、ファシリテイターが質問と回答どちらも知らない限り、質問はいつも正確に答えられないことを示す実演などは)、選択的に拒否される。

 先ず第一に、不確定性原理とは素粒子レベルでの測定問題のことをいう。決して顕微鏡レベルでの物理的測定における正確性や正当性についての言及ではない--精密な道具や大衆製品の製造は顕微鏡レベルですら十分すぎるほど可能であり--いわんや行動的手順について関係など全くない。数学におけるカオス概念は完全に決定論的構成物として概念化されており、その名前が暗示するような不確実さとか神秘主義を指す用語などではない。パラダイムシフトについては、クーン(1970)が定式化したのだが、それは、新たな経験的発見及び科学を行う新たな手法が、科学的思索者にそれまでのパラダイムを捨てさせ、次なる支配的な科学的方向付け及び研究結果の新たな解釈体系を受け入れさせることである(Meinhold & Mulick, 1992; Mulick & Meinhold, 1992)。科学的パラダイムで考える限り、伝統的な科学的パラダイムの中で研究者及び臨床家がそれをもって協働し情報交換してこられた治療の効果、予測、制御の基準と同じ基準で、FCは測定されなければならない(cf. Kuhn, 1974)。FCには新しい確かな観察など何もなくただ断言があるだけであり、パラダイムシフトの構成概念とは何の関連もない。

 FCの賛同者たちが言うには、統制された研究における観察者は、決して公平でも客観的でもなく、むしろFCユーザーからのアウトプットを決定する影響力の相互作用において重大な攪乱要因となり、彼または彼女が研究しようとする当の現象を台無しにしているとのことである。これは量子力学において「観察者の与える影響」理論として知られている。彼らが言うところのこの「パラダイム」では、全てのコミュニケーションの現実は相対性にあり、だからこそ観察者が参加する場合再構築されざるをえないというわけだ。実のところ、相互作用の結果があるだけであり、本当のメッセージなど全く存在しないというわけだ。言うまでもないが、客観的姿勢と外部の現実の存在が潜在的な研究参加者(FCで言えば、ファシリテイター)により否認されてしまえば、客観的な科学的方法論を組み立てることは困難になる。しかし、FCの賛同者たちによる統制された研究はどこに存在する?そして科学的証明に対してこれほどの無視を決め込むのは何故だろう?

 おそらくそれに対する理由のひとつは、現実というものの社会的構成に関するポストモダン的論議に見つけることができる。例えば、社会心理学における社会構成主義の賛同者であるGergen (1994)の論議であり、彼は以下のように書いている。

客観的知識というものの理念について考えてみよう。他の科学と同じように心理学においても、「客観的知識」を示せと言うセリフは対話における最後の切り札として機能している。そういう言い方で、学術的用語(例えば、証拠、基準、信頼性という用語)に基づかないものを全て無視したり中傷したりする。科学的教義に基づかない観点はみな、. . 大衆信仰として退ける--もっと軽蔑した言い方だと、価値観、迷信、独断であるとして。こういう事実を考えれば、「科学的発言」とはいったい、科学が退けようと努力してきたデマゴーグと同じモノの言い方なのである(p. 413)

 FC賛同者たちはしばしば、自らをポストモダン主義者と位置づけるのだが(Duchan, 1993a, 1993b; Duchan & Sonnenmeier, 1993; Sailor, 1994)、それは彼らが言語を曖昧な関係性に基づく相互作用と見なしていることが理由となっている。 Gergen (1994) が記述するには、『“事実であるそれそのもの”を表現する能力の故ではなく、その“実用的な”示唆の故に言語というものが重要であるならば、言語とは実用的意味のある行動と同値と見なされるべきなのである』(p. 415, 引用に強調を追加)。一体この態度がFCに示唆することは何だろう?実際、応用科学者としての我々の観点からすると、重度の意思伝達困難者がしっかりと検証されたシンボルによる行動に参加できるように手助けすること以上に実用上の重要性を持ちうるものなどあるのだろうか? 発話や読みができる人たち全体に理解される一貫的で信頼性のある方法を用いて、シンボルとその意味するところを結びつけることが、発達障害者や発話のできない人々にとって実際上最も重要であることについては、FC賛同者たちも疑いもなく同意するだろう。彼らが同意をきちんと示したことはないのだが。ということで応用科学の方法で取りかかれる実際的な問題は、重度障害者が本当にタイピングを通した意思伝達を行っているかどうかということだ。

 実験が備えるべき種々の特徴に基づく研究結果に異議を唱える議論は新しいものではないし (Rosenthal & Rosnow, 1969; Sebeok, 1980; Umiker-Sebeok & Sebeok, 1980)、穴だらけに作られたFCテストの手順について議論がなされたり、実験時にFCユーザーは不安に陥るのだとする議論がなされたりする。とはいえ、統制された観察において、いつもは有能なFCユーザーがほぼ普遍的に失敗するという現実は、それより遙かに単純な説明を導き出す。ここに至れば、厳格な観察下でこの現象が示されないのは、全ての自閉症者や精神遅滞者がそろってFC実技を拒否したり、できなくなるからではなく、そもそもこの現象自体が存在しないからと考えるほうが妥当である。自閉症者は幅広く多様であるにかかわらず、厳格な観察の場では何故か皆そろって実技を拒否するなどということが想像できようか。年齢、発育歴や教育歴、認知力、行為能力など様々に違うのに、全く一致して示される自閉症者や精神遅滞者の行動と動機の他の側面をあげてみろと言われても困るだろう。それでもFC賛同者たちが断言するには、統制された研究にてFC実技に失敗した何百人もの障害者(Green, 1994)が皆、確信の欠如や協力拒否(あらかじめFCそれ自身を通してインフォームドコンセントを与えていたにもかかわらず)や特殊環境下の単語選択ミスにより失敗したのだと言う。そのように解釈することで、単純な解釈は信じたいという望みに取って代わられるのである。

 これまでの記述と同じようにFC賛同者により、自閉症に併発する認知障害に関する50年に渡る文献やそれ以上に渡る精神遅滞の認知障害に関する研究史は(双方の文献とも障害のみならず能力水準をも研究している)、科学の側の研究者たちがそれら障害を記述する方法論が記述内容を決定していることを認識していないとして簡単に無視されたり書き換えられたりしている。FC賛同者が強調するには(Biklen, 1993a, 1993b; Borthwick & Crossley, 1993; Hill & Leary, 1993)、科学的手法で自閉症をあつかう研究者たちは発達的運動不能が支配的影響を与えていることを知らないが故に、彼ら研究者が研究で使用したほぼ全ての認知検査と観察手順には瑕疵が存在すると言うのだ。だがすでに書いてきたように、そういう仮説には何の証拠もない。それでもなお、上記のような発言をすることでFCが役に立つという説明に説得力らしきものを付加することができるため、こういう仮説がFC賛同者たちにより繰り返し強調される。だが統制された観察法、ランダムサンプリング法、慎重な法則化が、FC賛同者によって方法論的研究として引用されている(Biklen, 1993a; Borthwick & Crossley, 1993)ように、無視されたり、もっと悪い場合には、不要とされているなかでは、発達的運動不能の疫学さえ研究などできはしない。それとも、FCとは厳密な方法論で研究することなどできはしない、恣意的に取り出された現象にすぎないのではないだろうか?

 FCは、障害者の平等と社会への全面的な参加を激しく訴えている社会理論家と福祉関係者によって、もっとも精力的に取り上げられてきたようである。例えば、FC以前の活躍として、Biklenは普通教育への障害者参加運動の強力な賛同者として全国的な評判を確立していた (Biklen & Knoll, 1987)。BiklenがそこからFCへと跳躍したのは、障害者は全面的な社会参加機会を与えられるべきだという立場から、障害者と決めつけられた人々が実は全く障害など持っていないのだという立場への短い跳躍だったのだろう。事実、障害者を扱う職業者たちは味も素っ気もない描写を通じて障害者をある枠の中に閉じこめてきたとは言えるのだ。そうした描写は、障害者の限界よりも西洋社会の限界を語っているのだが (Jacobson & Mulick, 1994b)。

 果たして身体障害及び機能障害の全ては、社会的要請に適合しているか否かという意味だけでの、文化的結果としての能力欠如として再定義されることになるのだろうか (Coon, 1992; Fischoff, 1990; Leahey, 1992; O'Donohue, 1989; Schwartz, 1990; and Weinberg, 1989 on related dilemmas を見よ)?もしくは、定義、計量、測定できるような障害の客観的基礎が、個人の実際の発達及び行為の通常ではない特徴や機能と何かしら関係のある基礎があるのであろうか?FC賛同者の中には (Haskew & Donnellan, 1992)、FCの効果や有効性といった実質的問題に関しては、信頼性や正当性のように科学的に裏付けられた概念ではなくむしろ、コンセンサスが社会運動や公的資金投入を基礎づけるのだと主張する者がいる。だが、科学的発見がその性質上デマゴーグ的でしかなく、しかも全ての見地が社会的構成主義に根ざしているとするならば、FC賛同者たちは何を基礎に、彼らの見地がより真実に近い、社会的真実をより正確に描写していると主張するのだろう?伝統ある高名な大学の関係者や臨床医の幾人かによる無批判なFCの受容と宣伝は、科学理論を社会観や世界観へと拡大する際に特有の危険性をさらに高めているのだ。特にそれが、社会的弱者に悪い影響を与える可能性が高い臨床行為の派生物であるのだからなおさらである。

 たまたま何かの治療法が突然流行したり、何らかの治療行為が間違って受け入れられたりすることは、おそらく避けられないことだ。臨床行為を顕著に改善することになるような研究開発努力のペースはゆっくりとしているし、臨床現場に革命を起こすような本当の大発展が起こる頻度は全く低い。その一方で、重い障害を持つ児童や青少年や青年たちを少しでも役に立つ治療に巡り合わせようと、彼らの両親や保護者たちは必死なのだ。発生率の低い重度障害者、あったとしてもごくわずかの治療行為しか提供されない人々の中で、一時的流行の治療法は何度となく現れてきた。 一時的流行の治療法は無害ではない。実証され確立された治療法が劇的な改善をもたらさないように見えるとき、それを押しのけてしまうのだから。

 療法士を助言し、訓練し、監督する科学者及び臨床医その他の者たちは特に、実験段階にあり実証されてはいないが見込みがありそうな手法を先行的に試みることと、すでに受け入れられている研究者集団の基準と評価結果の責任ある解釈に従った技能ある治療法の適用とのバランスをとる義務がある。さらに論争中であったり実証されていない治療法の評価技能を持たない治療行為者は、治療効果を適切に評価するよう保証する義務がある。我々が思うに、このような義務は、職業人と社会との関係すべてに付いてまわるものであり、義務が明示されている条項を含む倫理コードで規律を受けている者に限られないのだ。臨床治療者は、適切な治療を施すと共に不適切な行為から保護しなければならない。彼らには適切な治療と不適切な行為との相違点を見分ける技能が必要なのだ。

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Editor's note. Frances Degan Horowitz served as action editor for this article.

Author's note. Development of this article was supported in part by The Ohio State University, the APA Science Directorate, and Division 33, Mental Retardation and Developmental Disabilities, of the APA. In particular, the authors wish to acknowledge the support of Brian A. Gladue, PhD, of the APA Science Directorate. The perspectives, interpretations, and conclusions presented here do not necessarily represent the policies of these organizations.

Correspondence concerning this article should be addressed to John W. Jacobson, Independent Living in the Capital District, Inc., 2660 Albany Street, Schenectady, New York 12305.


原文: A History of Facilitated Communication: Science, Pseudoscience, and Antiscience: Science Working Group on Facilitated Communication(APAの要請によりこのサイト内に原文を掲載しています) ( American Psychological Association)
翻訳:詠み人知らず
初出サイト:Facilitated Communication と Doman Method 海外文献翻訳資料集
掲載者:「奇跡の詩人」検証文献翻訳班@2ちゃんねる
更新履歴:
2002年6月27日 試験公開にて初出
2002年6月29日 『障害者との関わりと脆弱性』まで監査
2002年7月4日 原文権利者の訳文掲載条件による表記を追加
2002年07月30日 全文チェック済み訳文に差し替え

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