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ファシリテイテッド コミュニケーションに関する調査

(1995年9月、Rocky Mountain Skeptic掲載)

米国におけるファシリテイテッド コミュニケーションの実施状況は、法廷にもいくらかの影響を与えており、民事訴訟および刑事訴訟の両方において問題が持ち上がっている。特に、FCを介して導出されたコミュニケーションが、親や介護者による物理的または性的な虐待を申し立てる際の根拠に使用されている。子供に対する性的虐待という現実の問題は、決して軽んじられてはならない問題である(また、この記事も決してそれを意図したものではない)。告訴理由の重大さや被疑者に与える計り知れない影響 - 有罪か無罪かにはかかわらず - を考慮すると、告訴するための証言は、徹底的に、また注意深く審査する必要がある。

これらの発言は、知的障害によって発語ができない子供たちによって、FCを用いて申し立てされたとされ、一部は公判に持ち込まれているが、FCについての科学的または事実上の根拠は調査中であり、その調査結果は様々で一貫性がない。この議論は、得られた発言の真の出所―つまり子供なのかファシリテータなのか―が誰であるかということと、このような子供たちが、本当にこの方法を使ってコミュニケーションを行うことができるのかどうかということによって左右される。

FCは、1970年代にオーストラリアで生み出され、後にニューヨークのシラキュース大学に勤務することになるDr. Douglas Biklenによって1980年代後半にはアメリカにも導入された。この大学で、Dr. Biklenは後述する組織を設立した結果、少なくともその時点ではニューヨークは最も広汎にFCが実施されている州になっていたと思われる。予想通り、発表されている訴訟事件例のうちFCに言及しているものは、ほとんどがニューヨークから出されたものである。

この問題について最初に公表された訴訟は、あるニューヨークの家庭裁判所で行われたものであった[Matter of Jenny S. v. Mark S., 156 Misc.2d 393, 593 N.Y.S.2d 142 (Fam.Ct. 1992)]。特殊学校に通う16歳の自閉症の少女が、父親から性的虐待を受けているとFCを通じて教師たちに伝えたということであった。この少女は、この後で両親の元から離されることになった。少女が書いた意見によれば、この訴訟を担当する裁判官が問題を持ち上げたとする。「法廷で争う以前に問うべきことは、単純なことです―子供の悲痛な叫びを聞いたかどうかということです。その答えは、決して単純なものではありません。」法廷では7日間をかけて、この疑問について11人の専門家による証言を審理した。この訴訟には、Dr. Biklenは直接参加しなかった。

この訴訟で、まず最初に取り上げる必要のあった問題の1つは、「Frye Rule」の適用についてであった。Frye Ruleとは、科学的証拠に対して適用される証拠能力の基準である。これは1923年にワシントンD.C.の連邦裁判所で扱われた訴訟に端を発する。簡単に言うと、この規則で提示されている指針は、科学的証拠または証言が、その科学界において信頼性と根拠があると一般に容認されている場合に、対象の方法論による手順と結果を裁判で許容するということである。その学会による評価は全員一致である必要はないが、その方法が一般に受容されているということを裁判所が納得できる必要がある。ここで、この問題はひとつの疑問を提示する。本当に、FCは信頼性の高い結果を生むことができる技法として一般に受容されているのかどうかということである。

この訴訟の原告である子供の代理人は、この技法は外国語や手話の通訳者を用いる場合に類似しているとして、Frye Ruleは適用できないと主張した。つまりファシリテータを用いることで、1人の発言(自閉症の子供)が単に別の人に伝達されたに過ぎないということである。原告によれば、ファシリテータは「具体的に、補助(ファシリテート)される子供または成人に能力があることを想定する必要がある」と認めた。(それ以前に出された意見では、元来FCは、正常な認知能力を持ちながら運動制御や発語制御に問題があるために書くことや話すことがうまくできない脳性麻痺の者を援助するために開発されたものであると法廷で記録されている。)しかし、法廷は「証言者の発言の有効性を法廷が判断するために役立つ科学的証拠の証拠能力を問題にしているのではなく、本当に陳述が存在しているかどうかというところに問題がある」と指摘している。これにより、法廷はFrye Ruleを適用した結果、その時点ではFCの現状は実験的であることと論証可能であることの中間のどこかに位置するとした。

両サイドの専門家は、本格的な科学的研究がなされていないことを認めている。さらに法廷では、FCはFrye Ruleで必要とされる信頼性と有効性を得ていないと結論付けた。従って、子供の陳述は証拠からは除外された。原告は訴訟を取り下げ、子供は保護者の監督下に戻された。父親のMark Storchは、後にシラキュース大学とDr. Biklenを告訴した(後述の最後の訴訟を参照のこと)。法廷は、この判決を残念だとしながらも、FC賛同者に対してはこの技法に関する厳密な研究を行うように求めた。

次に取り上げる訴訟は、[Matter of M.Z., 155 Misc.2d 564, 590 N.Y.S.2d 390 (Fam.Ct. 1992)]である。事実に関してはかいつまんで述べるが、ダウン症候群を持つ10歳の子供が性的虐待を受けたということをFCによって述べたとされる訴訟である。FCを使用して得られた証拠を除外するようにという被告の申し立てによって、この判決は表に出てきた。ここでもFrye Rule が「証拠」の有効性を示す基準として使用された。この重荷は、子供の代理人としての原告側が背負うことになった。FCが一般に受容されており、科学界で信頼性を得ている技法であることを証明する必要が発生した。

有効性を評価するために、FCでは基準とされるはずのものが基準とされているのかどうかが法廷で問われた。Dr. Biklenを含む4人の専門化が、FCの有効性について証言した。証言の大部分は、ファシリテータの役割とトレーニングについてであった。この時点でも、また今日においても、ファシリテータの技術を認定する必要条件はなく、提出された証拠のほとんどは事例でしかない。証言した専門家のひとりである言語病理学者は、「結果が得られない場合は、それを正しく行っていないことがわかる」と述べた。[子供がこのやり方で全くコミュニケーションを取ることができないという可能性―または、少しであっても―は、明らかに全く考慮されていない。]この訴訟では、法廷はFCによって得られた証拠を認めず、FCに関して「[専門家]は基礎となる原理としての論理的な見解を示すことができなかった」と述べ、それゆえこの技法が一般的に受容されているかということと信頼性があるかということの証拠としては不十分であるとした。前述の法廷でも述べられたように、FCについてはさらなる対照研究(controlled research)が必要であると求めた。

次のニューヨークの訴訟では、これらと異なる結論が出された[Matter of Luz P., 190 A.D.2d 274, 595 N.Y.S.2d 541 (1993)]。11歳の自閉症で遅進児の少女が両親による性的虐待をFCを介して申し立てた。州の上訴裁判所は、後に「Frye hearing」として知られる方法をFCの証拠能力の調査に用いた。前述の訴訟とは異なる判決の中で、この法廷ではFCについて、外国語通訳を用いる場合の言葉の通訳に類似したものに過ぎないとし、法廷で外国語通訳を用いる場合に科学的証拠は必要とされないとした。訴訟は予審法廷に差し戻しされ、FCによる証拠を採用して法廷を進行させることが試みられた。しかし、上訴裁判所は予審法廷に対して、この子供による証言の出所がファシリテータではなく子供であるという条件を「満たす」必要があるという指示を行った。予審法廷ではこの訴訟について、この訴訟で使用されたFCの信頼性について検証が行われた結果、この子供の陳述を証拠として採用しないと結論付けた。

1993年のニューヨークの刑事訴訟[Matter of People v. Webb, 597 N.Y.S.2d 565 (Co.Ct. 1993)]では、大陪審審理でFCを使用して証言を得る試みがなされた。大陪審審理では秘密性を保つ必要があることから、ファシリテータは「ホワイトノイズ」を流すヘッドホンを着用することを求められていたにもかかわらず、子供の証言が行われているときにファシリテータが同席することは「誤り」であると刑事被告人の弁護士が主張した。法廷では、大陪審の面前で証言を行うため、この訴訟をこれに先立つ家庭裁判所での判決とは区別した。法廷は、FCのプロセスでは第三者による「解釈」は行われておらず、新しい形式の言葉の通訳であるという意見を述べた。ファシリテータは、証人を援助し、証言を変えることはしないと宣誓していた。さらに、法廷は証人による証言の信頼性を評価するのは大陪審の役目であるとし、これについて審問を行うべきであるとした。しかし、法廷は後続する審理を統括する裁判官が、FCの有効性について特別な審問を行うことを命令した。

1994年になり、ここでも同様のシナリオで14歳の自閉症の少女が父親に性的虐待を受けたということをFCを通じて申し立てた。この子供は両親の保護下から離された[Matter of Jennie E.E., 620 N.Y.S.2d 550 (A.D.3 Dept. 1994)]。科学的証拠の証拠能力の判定基準に合致しないという理由でFCによって得られた証言を採用することを拒否した下級裁判所の判決を元にした訴えが、上訴裁判所によって棄却された。この訴えの棄却によって、これまでの家庭裁判所における見解と一貫性があった予審裁判の判決が肯定された。

現在までのところ、連邦裁判所の訴訟のみがこれらの問題を取り上げており、FCを使用することの結論に新たな面が加わった[Matter of Callahan v, Lancaster - Lebanon Intermediate Unit 13, 880 F.Supp. 319 (E.D.Pa. 1994)]。この子供は父親による性的虐待を受けているということを、FCを通じて申し立てた。この子供の親権は、両親から剥奪された。後に両親の親権は回復されたが、父親は地域の教育委員会と社会福祉事務所(local school/social services district)に対する訴えを起こした。このような証拠(FCを使用した証言に依存)によって息子の親権を奪われたことは、合衆国の公民権に関する法令を脅かすものだという申し立てを行った。さらに具体的に言うと、FCによる証言に信頼性と有効性があるかどうかを審理せずに、子供の親権を取り上げたたことが、両親による正当な法の手続きを行う権利をも脅かしたとしている。その他の関連事例:この子供は16歳で、自閉症と知能発達の遅れと発語障害があると診断されている。「マイケル」とともにFCを使用するコースにおいて、彼が性的虐待を受けているという情報をある教師が発見することになったという。別のファシリテータの介助によって、この疑惑は追認された。また、ファシリテータを行っていた別の教師が、別の生徒からFCを通じて性的虐待の報告を受けたことが法廷で記録された。この訴訟の法廷では、FCの有効性について直接触れられることはなかったが、FCが学会では「激しい批判」を浴びているという認識を示した。ここでも、問題は学校の職員やソーシャルワーカーがFCを信頼して虐待の疑惑を報告することが、両親の正当な法の手続きを行う権利の侵害になるかどうかであった。原則として、法廷は数々の例を引き合いに出して拒否した。ソーシャルワーカーやその他の州の職員は、証拠が不完全または予備的なものであったにもかかわらず、子供を両親の保護監督から引き離したことについて正規に免責された。要約すれば、子供を保護するという州の関心と、両親の権利との対立であった。虐待の容疑に関する訴訟では、州は親から子供を引き離す(さらなる進行を防ぐため)ことで保護するために「誤ちを犯す」傾向があり、一般に法廷ではこの方法が支持される。

より的を得ていたのは、カンサス州の最高裁判所で最近FCに取り組んだ[Matter of State v. Warden, 891 P.2d 1086 (Kan. 1995)]である。この子供は「J.K.」といい、自閉症で知能の発達に遅れがあり、州の公共施設に入所していた。1992年に教師たちによってこの施設でFCが採用されたのであるが、これによってJ. K.が介助人のひとりから性的虐待を受けたことを伝えたとされている。介助人は逮捕され、この裁判の過程でFCの使用に関する論争が起きた。(Warden氏は、この子供に2度不適切な接触を行ったと自白したが、これは後に取り消された。)法廷は、この訴訟に関するいささか長い見解の中で、FCについて深く踏み込んだ。これは今日までに公表されたもののうち、子供が実際にタイプした証言の複写が含まれた唯一の訴のようであり、FCを使用した結果がどのようなものであるかに注目する読者にとって、興味深い文書であると思われる。法廷は、学会においてFCが広く受け入れられていないことを認識しており、FCに関する最近の研究についての一部を詳細に述べた。これによれば、FCは「自閉症の人には、まだ発見されていない識字能力がありこれを通じて……科学的方法論によっては確認されていない」という仮定の上に成り立っている。

また、この法廷はDr. Biklenの研究と理論や、性的虐待の疑いに対処するためにFCを使用する場合に推奨される手順についても焦点を当てた。例:話し手(ファシリテータの補助を受けている人)が長い応答をできるようにし、数多くの2項選択法による質問をしない。複数のファシリテータを使い、これらのファシリテータに対しては、キーボードを見ないようにするか、または問題に関する質問を聞くことができないようにヘッドフォンの着用を求める必要がある。この訴訟では、これらの手順はほとんど使用されず、この子供の申し立てにあった虐待による身体的兆候も診察されなかった。

カンサス州最高裁判所は、この裁判で「Frye hearing」を採用したが、この結果FCには一般的に信頼性が認められていないことがわかった。しかし最高裁判所は、以前のニューヨークでのいくつかの訴訟を引き合いに出して、FCによって作成された発言はFrye Ruleの対象ではないとした。これはFCが意志の伝達を行うための新しい手法に過ぎず、科学的検証を必要としないという理由による。ファシリテータは、「補助」するだけであり「通訳」を行っていないとする。さらに、証拠能力と証拠の信頼性を判断するのは陪審員であるとした。J.K.によって実際にタイプされた手紙のみが陪審員の検討材料とされた。しかし法廷は、J.K.のような証人に対しては、証言を行う能力を有することを判断するための様々なテストを受けることを勧め、裁判においてファシリテータが合図などを行う可能性を少なくするための手段を講じることを求めた。

最後に、この問題に関する最近の訴訟を取り上げる。これは最初に取り上げた訴訟[Matter of Jenny S.v. Mark S.]の1995年の訴訟[Storch v. Syracuse University 629 N.Y.S2d 958 (Sup.Ct. 1995)]に関連している。Jenny S.の父親がシラキュース大学とDouglas Biklenを相手取り、各種の公民権の侵害、誣告、不正行為、および医療過誤(various civil rights violations, malicious prosecution, fraud and malpractice)について訴えたものである。これらの申し立ての根拠は、本質的にFCは詐欺やいかさまであるということであり、この大学とDr. Biklen側はFCには有効性がないということを知っているか、または知っていなければならないとし、このためにMark Storchやその他の関係者は、被告によるFCの普及や主張によって損害を受けたとするものである。ニューヨーク裁判所は、原告の訴えを棄却した。これは、基本的に賛否両論の理論を主張することが、すなわち原告に対して特別な義務または責任を強要することにはならないという理由による。FCに関するデータは、1990-91年にはきわめて限られており、Dr. Biklenによる各種の文章においても、この方法に対しては賛否両論あることが明確に書かれており、ファシリテータによる疑わしい「合図」についても、その時々に明らかにされている。法廷は、被告が故意に詐欺を働いたり隠蔽したりしようとしたことはなく、法律問題としてFCが実際に詐欺であるかどうかを判断することを退け、この問題は研究者と下級裁判所に差し戻すという結論を出した。

つまり裁判の進行において、FCを証拠の出所としてどのように扱うかという判断基準を陪審員に与えることはできなかったのである。FCの本格的な研究が行われ収集されることによって、法の整備も継続される。科学的証拠の十分な内容が確立されるまで―この内容は現在も成長している―法廷からはこの問題に関する異論が聞かれ続けることであろう。その一方で、性的虐待による告訴では非常に深刻で計り知れない影響が発生するため、告訴した側もされた側も将来が不安定な状態にある。

-Becky Greben について Beckyは、法律家補助員であるとともに、The Rocky Mountain Skepticsの理事のひとりでもある。また、RMSの法律分科会(legSIG)を主催している。


原文:Exploring Facilitated Communication Sept. 1995(the Rocky Mountain Skeptic)
翻訳:waysha
初出サイト:Facilitated Communication と Doman Method 海外文献翻訳資料集
掲載者:「奇跡の詩人」検証文献翻訳班@2ちゃんねる
更新履歴:2002年6月9日 初出

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