不動産業界は姿勢を改めるべきである。体力のある上位企業は高級マンション、新興勢力は低価格マンションと戦略が二極化している。売上高や会社規模の拡大に走っている場合ではない。これまでと同じ手法で事業を続けていては行き詰まるのは間違いない。従来のやり方を続けていたのでは、先に進むことができない。時代から取り残されてしまう。環境変化に対応するための柔軟性が必要になる。
時代の変革期に対応できない企業は滅びるしかない。事業の見直しによって活力を維持し続ける企業と淘汰される企業が分かれるだろう。資本主義の原則を無視し、政治力で生き残っている会社がまだまだある。不良債権は基本的なところで処理されず、現実には赤字が温存されたままになっている。
「90年6月、日米貿易摩擦の決着として海部俊樹首相は米国の要求を呑み、総額430兆円の公共投資が決められている。これで地価下落でダメージを受けた建設・不動産業は救われた」(「川又三智彦の「こんな日本に誰がした」」財界展望2005年11月号134頁)。
技術が発達・成熟した現代では製品間の機能・性能の差が減少しており、消費の決め手として有形価値よりも無形価値が重視される傾向にある。既存市場にある製品やサービスの価格を下げて提供するなどといった単純なことでは対応できない。「勝ち組」「負け組」の差が生じつつある中、消費者ニーズをうまくつかまえることが求められる。対象に的を絞って徹底した差別化を図る戦略が要求されている。
消費者は急激に賢くなっている。差別化と言いながら、日本ではまだ業界横並び意識が強い。マーケティングでつかめる大局的な潮流と一つ一つ異なる顔を持つ顧客のニーズは必ずしも一致しない。
マンションが持つスペックや特性によって、選ばれるもの、選ばれないものとの判断が顕著になる。提供する建物の資産価値を高め、品質や耐久性を上げ、快適性を高める。質の高い商品を提供する競争に切り替えていかなければ、業界の地盤沈下を早めかねない。
今までの無個性で一般向きの集合住宅は大きく後退する。大体、日本には生活騒音に対して何の対策も講じていないマンションが多過ぎる。従来の一戸建ての豪邸とは程遠く、マンションではなくアパートメントと訂正すべきである。
「他の分野と同様、住宅に「こだわりを持つ層」が次第に厚くなり、メーカーなどでも一品種を大量生産することは、不可能になってきている」(加藤憲一郎「SI住宅」イミダス2006、集英社、580頁)。
住まいは、専門家同士だけのものではない。全ての人が関わるものである。住宅が工学系の研究テーマとされてきたことが、日本の住宅問題研究を貧困にしていた。供給者側と購入者側の情報・知識の差が大きいことが一番の問題点である。
2007年は首都圏における超高層マンションの大量完成問題を抱える。不動産経済研究所の調査によれば、2007年に完成する予定の超高層マンションは3万235戸で、2005年と2006年の2万戸程度から約5割増加する。そのため売れ行き不振となる超高層マンションが続出することが予想される。
人口の減少が止まらなければ、地価が下降することは間違いない。人口が減少していく国家の土地が値上がりを続けることはあり得ない。構造的にも将来、日本の地価が上昇することはない(橋本淳司「土地はまだ下がる」財界展望2005年9月号)。
「人口減少や経済社会の構造転換が将来の不動産市場へ大きな影響を与えることが予想され、マンション供給過剰も懸念されており、新たな市場の創出が課題となっている」(長谷川徳之輔・六波羅昭「不動産業者」イミダス2006、集英社、271頁)。
「地価の下落はもはや歴史の必然である。地価が下がれば、住宅価格はもっと下がる。しかも家余りは構造的に進む。いまが底値などと煽られて焦ってマイホームを買う必要など全くない」(河北義則『3年間、家を買うのはやめなさい!』ダイヤモンド社、1999年、21頁)。
収益重視で作るマンションは売れ残っている。立地や商品企画に問題があると、完売しない。地型や向きが悪いと極端な安値がつくか、いつまでも売れ残る。土地仕入れに多額の資金を費やす一方で、すぐに建てて販売にこぎつけなければ、土地価格の下落による利益低下にも巻き込まれる。ただでさえ都心の土地の奪い合いが続いており、既にコスト高になっている。
2006年上半期の供給は11.0%減の3万4177戸にとどまった(株式会社不動産経済研究所「首都圏のマンション市場動向」2006年上半期)。東京・神奈川の落ち込みが響いた。
2007年からの大量退職時代を迎えると、都心部でのオフィスは余剰になる。団塊世代が定年退職する2005年〜2010年に約10万人のオフィスワーカーの減少が見込まれ、最悪の場合は370万m2分の需要が消失する(ニッセイ基礎研究所、アトラクターズ・ラボ「東京オフィス市場の『2010年問題』」2002年6月6日)。
需要に比べて供給は過多である。交通至便な一等地に多くの巨大なオフィスビルが立ち並ぶと、古いオフィスビルは立ちゆかなくなり、皆シャッターを下ろすことになる。
まだまだ日本の住宅は他の資産に比べ割高である。世界の一流料理を食べ尽くし、高級ブランドを身にまとう人物が通勤一時間超のウサギ小屋に住むのは滑稽である。「日本は物価ばかりでなくマンションも、世界一高い国なのです」(橋本一郎、サラリーマンでもできるマンション投資・家賃収入で儲ける極意、明日香出版社、2004年、63頁)。
「国際的に見れば普通か普通以下の面積なのに、ヒューザーのマンションが「広い割に安い」と人気を呼んだのは、逆に、日本の住宅がいかに狭くて高いかを示している」(早川和男「市場任せの住宅政策に根」読売新聞2006年2月6日)。
ほとんどの住宅ローンでは実行時金利、つまりは完成引渡し時の金利となっている。今後、金利が上昇していく可能性が高い。新築マンションで完成まで一年や二年もあるような物件は、決して無理な資金計画で判断をしてはならない。一説には数年後にはハイパーインフレになるとの見解もある。ローンで購入した場合、元利金を支払い続けることは難しくなる。
「金利固定期間の短い商品は金利上昇リスクを抱え込む危険性も高く、利用者は慎重に契約内容を見極める必要がありそうだ」(小雲規生「低金利の今… 銀行、住宅ローンキャンペーン拡大 景気回復で金利上昇の兆し」産経新聞2006年1月11日)。
住宅を住み替えた世帯の71.2%は今までの住居を売却しており、そのうち86.6%の世帯で売却損が発生している(不動産流通経営協会「2005年度不動産流通業に関する消費者動向調査結果」2005年度)。売却した住宅の竣工年代別に見ると、一番損失が大きかったのは、1989年〜1993年竣工(築10年超〜15年以内)の住宅で、平均売却損益額はマイナス2824.0万円だった。また、1999年以降竣工(築5年以内)の住宅でも、平均1121.5万円の損失が出ている。
マンションは建物が消却するのみであり将来予想される資産的価値は極めて小さい。区分所有であるマンションは古くなった際には建て替えに住民の大多数の同意を得ることが要求される。しかし意見の統一に多大な努力と時間を要することは明らかである。
日本建築学会によれば、日本の住宅の寿命はわずか30年。これは30年や35年の長期に渡る住宅ローンを組み、必死になってやっと支払いを終えた頃には、すぐに建てかえを検討しなければならない、ということを意味する。
価格破壊を通り越したようなデフレの中で、採算割れも覚悟した厳しい価格競争を余儀なくされる。実際、家電製品(テレビ、エアコン、炊飯器、洗濯機、電子レンジ、冷蔵庫など)は、より良いものがより安くどんどんと値崩れを起こし、採算が難しくなってきている。
電機各社がこぞって製品や部品を増産した結果、在庫が積み上がり、2004年秋から販売価格が大幅に下落した。参入メーカーが相次ぎ、価格競争は激烈となった。コスト競争力の勝負となると、韓国・台湾勢が猛威を振るうことになる。ほとんどのメーカー(ex.パイオニア、富士通)では、薄型テレビは赤字事業化している(木村秀哉「「新三種の神器」市場に異変」R25 No.39(2005)11頁)。
ソニーは、DVDレコーダーが前年比40%、大型液晶テレビが30-40%値下がりしたため、2005年3月期の連結営業利益を下方修正した(2005年1月20日)。パイオニアやビクターも業績予想を下方修正した(「メーカー薄利に泣く」読売新聞2005年1月26日)。
ソニーの2005年9月中間連結決算は、ブラウン管テレビの不振などで売上高は3兆2624億円(前年同期比1.6%減)、最終利益は212億円(同72.3%減)の減収減益だった(谷口崇子「<ソニー>ブラウン管テレビ、映画不振で減収減益 9月中間」毎日新聞2005年10月27日)。
東芝の2004年10-12月期連結決算では、デジタル家電の過当競争による価格下落や半導体の大幅な売価下落などで営業利益は93%減の9億円である(「東芝、営業益93%減」東京新聞2005年2月1日)。
三洋電機の05年3月期連結決算はデジタルカメラ事業の不振などで過去最悪の1715億円の最終(当期)赤字となった(田畑悦郎「<三洋電機>国内外で1万人超削減へ 今後1〜2年で」毎日新聞2005年7月1日)。
不動産業界には昔から余りいいイメージがない。犯罪や事件等を起こした人物の職業が不動産業とか不動産ブローカーなどと報道されることが多いため、社会的イメージはあまり良くない。不動産関係の人に怖いイメージを抱く人も少なくない。
「「つぶし」「こわす」「追い込み」「はめる」「沈める」「あおる」といった物騒な業界用語が常日頃、飛び交っている世界です」(橋本一郎、サラリーマンでもできるマンション投資・家賃収入で儲ける極意、明日香出版社、2004年、99頁)。
不動産業界はバブル崩壊の影響が最も大きい業界である。地価上昇が業界を支えてきた。従って、それが終われば業界も沈む。マンション業界は「二勝五敗の業界」と揶揄される。二年間のブームがあり、その後は業績が悪化して五年程の不況に落ち込む。その繰り返しである(橋本一郎、サラリーマンでもできるマンション投資・家賃収入で儲ける極意、明日香出版社、2004年、60頁)。
これほどに建前と実態が異なっては、消費者保護の観点から供給体制を抜本的に見直す必要がある。建築に関する日本の法律は性善説により作られているが、グローバルスタンダードに則り、性悪説に基づいた考えに直すべきである。
長年、前例踏襲型の活動にどっぷり漬かっていたため、現状を建設的に否定する自己否定ができない。ひたすら前例踏襲の頸木にとつながれていて、ジリ貧になっている。会社の状況は太平洋戦争中の旧日本軍にそっくりである。日本軍同様、過去の成功体験が上部構造に固定化し、学習棄却ができない組織になっている。
バブル経済の後遺症を未だに引きずっており、不良資産が多い。年商の何倍もの借入金・負債を負っている。借入金は全てグループの親会社の債務保証がないと続行できず、保有資産の流動化・資金回収にやっきになっている。とにかく一刻も早く資金回収をしたいため、無理な販売を重ねている。
会社の将来性に対し、焦燥感もなければ危機感も感じず、職制が執念を燃やすのは異常なまでの労務対策である。これが彼らの企業活動の根幹である。人を見る目がなく、器は小さい。何を言ってもだめな会社で、提言・提案すると首になる。与えられた条件の中で、ひたすら波風立てず、横並びして、疑問や不満があっても言わないことが無難という風潮にどっぷり漬かっている。時々は風土改革というスローガンが掲げられるが、一部の格好付けたい連中が目立つ為に頑張っているだけである。
金儲けしか考えない集団で、問題が多く、内部告発が必要な会社である。上から高圧的に抑圧する過剰な管理主義で、「役立たずの部下を苛めることは上司の義務」と考えている会社である。異質な者や順応しない者にはレッテルを貼り、排除する。一般に駄目な上司は駄目な部下を選ぶ。自分に似ているからだ。
悪徳不動産会社の従業員は社外は勿論のこと、社内でも同僚の恨みを買っていると不正を告発されてお縄を頂戴する羽目になる。だから社内でも秘密主義が当たり前である。違法行為が発覚すると個人の独断による不正行為に見せるための口裏合わせが行われる。
悪徳不動産企業は透明な四匹の怪物に支配されている。恐怖と不安と焦慮と疑惑である。この四匹が従業員の首筋に冷たく生臭い息を吐きかけて回る。従業員像は前例踏襲主義の保守的な金太郎飴である。魂の抜けたような人間達がわめき、陰口を叩き、噂をする。
常識を持った従業員はほとんどいない。世間知らずの集まりである。特に性質の悪いのは、新卒で入ったプロパー従業員である。彼らは、まともな社会人としての教育がなされていない。社内では甘やかされ、世間を完全に舐めている。自分自身を知らない。それは彼らも悪いし、会社はもっと悪い。
上司は自分の成績を考えて、ひたすら部下の尻を叩く。「売るまで客宅を出てくるな!」がモットーになっている。毎日のように「見込み出せ!!」と怒鳴られる。悪徳不動産業者は悪辣な女郎屋のようなもので、従業員は身体がボロボロになるまで入れ替わり立ち替わり客を取らされる。
理論や計算が無力な世界である。押しの強いのが評価された時代はもう過去のものになっているが、悪徳不動産業者の中では、まだまだ生き残っている。契約が取れない営業は上司から「買えよ」と命令され、マンションを強引に買わされるケースが多い。コストダウン、叫ぶ部長がコスト高。独り言、無視していたら指示だった。切れる人、今と昔で意味違い。
若い人が多いのは三十前後の人が会社に将来性を持てずに辞めるからである。「このようなところに残っても仕方がない」と辞めてしまう。残る人は他に行く所がないから居残るだけである。結局、レベルが上の人ほど、どんどんいなくなってしまう。入れ替わりが激しく、一年もいればベテラン、三年もいれば仙人、五年以上いれば神扱いされる。
従業員は新卒だろうと関係なく奴隷状態で超過勤務を命ぜられ、呆れて辞めていく。有能な社員は外へ出てしまうし、新卒で覇気のある人材は集まりにくい。職場のノリは最悪である。入社するとまず「家どこ?終電何時?」と聞かれ、その通りの勤務状態となる。休日出勤は頻繁にあるが、振り替え休日はない。一ヶ月休みなしなんてザラである。有給休暇は絶対に使えないシステムである。常に見えない鎖で拘束されている錯覚に陥ってしまう。
バブル期に裏社会の人達とつるんで地上げをしたものの、バブル崩壊時に面子を保つためにそういった人達との関係を無理やり断ち切ろうとしてトラブルになり、今や仕返しの対象となっている。
就職当初のピュアな気持ちはすっかり忘れてしまう。まともな恋愛もできず、友達からも見放され、今後ずっと不幸な人生を歩むことにもなりかねない。次の就職先を探す時にも不利になる。あまりにも悪評が多い会社には何かがある。噂が立つのにも理由はある。しっかり調べて納得してから応募すべきである。
自分の時間を大事にするタイプや何かポリシーを持ってる人間には勤まらない。虫けらのような扱いをされる。休みなしの連日の飛び込み営業では思考能力も衰えてしまう。悪徳不動産業者にとって有能な従業員は必要ない。大人しく上司の命令や発想を実行に移すだけでいい。分らないことを聞きに行っても馬鹿にされて終わり。問題が起きた時は全部自分に降りかかる。自由が奴隷になる自由だけであるならば、いくら何でも情けない。
芯まで腐った組織に属していると理非の区別ができなくなる。悪徳不動産業者で働いていると人間が腐ってしまう。人間も植物も腐ってしまったら、元には戻らない。ダークサイドから戻るのは困難である。麻薬と同じでいくら悪いものだと、悪いことだと、判っていても思い出してしまう。中毒患者というのものは、ちょっとしたことで元に戻ってしまう。
人間には、見える世界と見えない世界というものがある。悪徳不動産業者のような消費者感覚とは離れた職業に就くと、見える世界がどんどん狭まってしまう。自分の周りで巨大な力が予期せぬ方向へと動き出し、得体の知れない深遠へと引きずり込まれてしまう。
その結果、取戻しが出来ないほどズブズブと沈んでしまう。泥沼にハマってしまったクルマのようなものである。しかし当人は泥沼にハマってしまったことさえ自覚しない。自分自身は快適に道路を走っていると信じて疑わない。スピードメーターはタイヤにつながるシャフトの回転を測っているため、タイヤが空転していても走っているように感じてしまう。
会社の方針を盲信(妄信)していると最後には必ず裏切られた気持ちを覚えることになる。近隣住民や購入者からは一生恨まれ、人格が世間の常識と乖離した後、辞めていく。怨念のエネルギーにより、残りの人生は抑圧され、自由は奪われ、常に命の危険を感じながら生きざるをえないだろう。
何があっても不思議ではない。結婚生活は破壊され、子ども達は堕落する。知り合ったあらゆる人々から恨まれ、迎え入れられたあらゆる国々で恨まれ、天と地の呪いを受けて死んでいく。穏やかに死を迎えることはできない。焼き討ちの炎に包まれた社屋で焼け死ぬか、氷のような監獄に放り込まれるか。終着点で待っているのは無常なギロチン台か。首吊り用の樹と縄はどこにでも存在する。墓の下の先祖を嘆かせることになる。
「ビジネスの基本は人。成功するかどうかは、結局は経営者やそこで働く人の人間性にかかってきます」(林文子「妹たちへ」日経ウーマン2006年5月5日号13頁)。
社内の人間関係の中で「じっと我慢の子」を強いられていないだろうか。社会常識と乖離した自社の殻に閉じこもっても何にもならないし、誤解を生むだけである。自分の成長がとまってしまう。今、自分がどのような姿になっているか。何故そのような姿になっているか。それすらも思い出せなくなってしまう。
嫌な所に居るのは時間がもったいない。現状に不満があって変わる可能性がないなら違う環境を探す方がいい。不快感や自責の念に耐えながら働きつづけるくらいなら、辞めた方が余程気が楽になる。辞めて「やっぱり辞めるんじゃなかった」と後悔する人は聞いたことがない。死んだ組織にしがみつくのではなく、自分の足で生きる術を身につけて、外に飛び出て欲しい。自分自身の成長のために立ち止まり、振り返る時間を作る工夫をしよう。
悪徳不動産営業の燃え尽きた毎日がどんなにつらいものか。会社人間(社蓄)としてつまらない会社生活にひたすら耐え続けるのか。いつも売上の心配をしなければならないことがどれほどストレスのたまるものか。毎日が本当に多忙で、なおかつものすごいストレスがあったとしても当然である。せっせと、税金と年金を払いつづけることに疑問を感じながらも、敷かれたレールから飛び出すことのできないままでいいか。大事なことはどのような状況においても変わらない人間としての価値観、良心を確立することである。
技術革新に伴ない多くの職業が消えていく。今は不況、倒産、リストラ、社会保障制度の崩壊、良い話は聞かない。自分や家族の生活は誰が守ってくれるだろう。会社か、配偶者か、親か。現代人は依存性が強いと言われている。誰かが守ってくれるだろう、助けてくれるだろう、会社が倒産する筈はないだろう…。はっきり言って甘い考えである。常に崖っプチから足を一歩だしていると認識すべきである。今のままでは、ボーナスカット、昇給もあるのかどうか。
気持ちが満たされない職場であれば、どんなに金をもらっても、その分以上に働く気は起きない。仕事そのもの(仕事の量や進める上で発生する様々な課題の解決)がストレスの原因となる。加えて職場のスタッフとの人間関係も影響を与える要因である。会社で仕事をする以上、人間関係を避けて通ることはできない。上司や同僚は選べないのが一般的である。組織は人と人が何かを持ち合って作り上げるもので、単純な足し算は成立しない。リストラ、倒産もあり得る。一年目の時は金の卵であったが、三年目になるとリストラでクビでは泣きたくなるだろう。
「働く方々にとっては、賃金が同じであればどんな働き方をしてもいいということにはならない。「いかに働くか」が最大課題である。同じ質の労働力であって一定時間に成果を出す場合、合理的な働き方であるか、不具合な働き方であるかによって、本人の達成感には大きな違いがある」(奥井禮喜、労働組合とは何か、ライフビジョン、2005年、212頁)。
「不動産屋という人種は、商才の有無にかかわらず、つねに大当たりを夢見ることが大好きだ」(ジョン・グリシャム、白石朗『陪臣評決』新潮社、1997年、217頁)。
細かい説明は全くなく、買わせよう光線を発している。何とかうまいこと言って買わせようとする。「担当者は冷める前に何とか売ろうと「きょう契約してください」とせかす。住宅は本来、もっとじっくり考えて選ぶものなのだが、きめ細やかさが失われつつある」(長嶋修「劇場化進み繊細さ失う」朝日新聞埼玉版2006年1月1日)。
歩合やノルマといった事情があり、顧客の要望よりも自分達の事情を優先させて物件を紹介する。駅から徒歩10分以内で探しているのに、20分以上かかる物件ばかりを紹介する。希望とは全く違う場所にある物件ばかりを勧めてくる。
自分からは不利な事柄を説明しないし、質問しても絶対、不利なことは言わない。肩書きを振りかざして相手をねじ伏せるような説明である。自分にとって具合の悪い質問には素っ気なく突き放す。加えて言葉が軽く乱暴でさえある。
大人同士、社会人同士の会話が成り立たない。何度言っても、のらりくらりと、ごまかすことしかしない。「調べて連絡します」と言うが、一向に連絡はない。腹が立って会社に電話したが、ほったらかしの状態である。
夜遅く(22時以降)に「マンションのご紹介で・・・」と営業電話をかけてくる。「何時だと思ってんだ」と言うと「それじゃ明日の朝にでも・・・」と悪びれない。途中で聞いてるのがダルくなってきたので、「もう切る」と言ったら、「無理矢理切るなんて相手に失礼じゃないか」と逆ギレされた。
電話で「ウチは家が有るから要らない」と答えたにも関わらず、いきなり直接訪問食らう。しかもドアの向こうでは違う社名を言っている。ちょっと曖昧な返事をしてしまったら、直訪といって、夜遅くでも、ピンポンと夜訪する。突然家に訪ねて、他社の悪口を並べ立てる。他社の営業の人は必ず尋ねてくる前に連絡を入れるし、同業他社の悪口など決して口にしない。
わざと失礼な態度を取っておいて、ガチャ切りされると「失礼な切り方をするな」と逆ギレするところまでマニュアル化されている。気の弱い人ならわけがわからないまま家まで押しかけられ、契約するまで粘られる。怒りっぽい人ならついつい乗せられて必要以上に個人情報を漏らしてしまう。「家に行きますよ」「来るなら来てみろ!」みたいに言質を取れる。「いい加減にしろ、ぶっ殺すぞ」とでも言えば名誉毀損と難癖をつけて乗り込んでくる口実ができる。頭に来て相手になればなるほど、向こうがつけ込んでくる口実が増えていくだけ。後は消耗戦である。
クレームには逃げるだけである。「出張で不在」「多忙だ」と言い訳し、逃げ回って面会を拒絶する。現実からも逃げてばかりである。若手の平従業員に対応させる。ペーペーの従業員で決定権は皆無のため、まともな対応はなされない。その場しのぎの口約束、責任のなすりつけ、謝罪もろくにできず、まともに話せる人間がいない。回答につまると開き直ることもある。電話の保留音は社歌で、客にまで、会社を洗脳させようとしている。
年始の営業日が4日からと留守電で案内されたので出向くとやっていない。店頭告知も3日までとしっかり表示されてるのに休みである。それでも日を改めて出向いて物件を見たいと言うと「物件の管理会社が休みで案内出来ない」と答える。いつなら案内できるとも言わない。おかしいと思い、こちらで調べて管理会社と直接話すと、「部屋は空いていません。退去の予定もない。ましてやこちらでは契約していないのでどういう経緯でページに記載されてるのかわかりません」と回答された。
別の物件を問い合わせをしたところ、「まだリフォーム中なので終わり次第ご連絡します」と回答。中々かかってこないので電話をしたところ、「他社がもっと高い値段で貸すので無理になりました〜」。連絡の一本くらいすべきである。顧客に伝える努力をほとんどしていないくせに、連絡先を探そうとして見つけられなかったと言い訳する。
他人の住居へ無断で入り込み、新築マンションのセールス、チラシのポスティングを行う(住居侵入)。 「もういらん」と叫びたくなるくらい、DMを送りつける。三日続けて同じDMが送られてきたこともあった。頼んでもいないのに大量に物件資料をファックス送信する。しかも資料はネットで掲載されている物件ばかりである。実際、個人情報取扱事業者を対象とした調査によると、不動産業は個人情報保護対策が最も遅れている業種である(アビームコンサルティング「個人情報保護法に関する企業の対策状況分析レポート」2005年、7頁)。
このリベート分は本来の物件価格に上乗せされ、実際より割高な価格として販売されている。しかも物件価格には既にデベロッパーが仲介業者に支払う委託販売の代金まで含まれている。このようなバックマージンがあるので、営業は必死になって売ろうとする(高橋達夫、悪徳不動産業者撃退マニュアル、泰光堂、2000年、96頁)。
デベロッパーは間取りプランを持っておらず、施工を丸投げしている。DENを作ったり、1階の天井高を上げてステップフロアにしたり、小手先の仕掛けはするが、基本は田の字のウナギの寝床。南面の半分しかベランダがないなど、どこかせせこましい感じがする。内装は何の変哲もない。
まだまだこれから、という土地の割りには価格設定が高いところもある。マンション建設現場では、赤く錆びた鉄骨が目立つ。
実際の間取りとパンフレットの間取りが反対で、コンセントの場所もパンフレットと異なる。キッチンの使い勝手は悪そう。壁紙や建具は明らかに安っぽく、部屋の壁・天井も出っ張った梁でデコボコだった。
サッシのビス止め忘れ、ベランダの配管塗装もれ等、色々ある。バルコニーの壁はタイル張り仕上げが施されているが、ひび割れやタイルが欠けている部分がある。
扉は雑な仕上がりで、グレード以前の問題である。閉まらないドアが二枚。玄関のドアが歪んでいるため、ドアを持ち上げて浮かせないと鍵が閉まらない。扉と扉の干渉もある。こっちの扉を開けると、こっちの扉が開けられない。
サッシは、レールが歪み、アルミがえぐられている。ベランダのフェンスを固定するはずのボルトはくるくる回っている。窓の養生無しで外壁吹きつけをしたために、フローリングに外壁吹きつけ時の塗料が霧状に付着している。
リビングの床は揺れる。床の上にビー玉を置くとコロコロと転がっていった。歩くと太鼓を叩いたような音がする。ダイニングテーブルの横を歩くと、フワフワとした振動が伝わり、テーブルの上のコーヒーカップがカタカタと音を出す。木という素材が持つ、ほどよい固さの感触がクッション材と無数の切れ目によって骨抜きにされてしまっている。床には見たこともないくらいのキズがあった。床(フローリング材)と下地材との接着剤の塗りむら及び釘の打ち漏れ多数。防音、断熱もなってない。
騒音が発生する場所でも立地のマイナスを、建物がカバーしていない。土地の仕入れの時点で判っていたマイナス要素を無視して建てたマンションである。サッシや給気口には防音対策がなされていない。コンクリートの範囲が大きいにもかかわらず、それを支持する梁が少なく、コンクリートがバウンドし、音が振動となって階下に伝わってしまう。
二重床になっておらず、上の階の音がぼろい賃貸マンション並みに響く。水周りの場所を変えるなどの大規模リフォームの場合で、配管を引き直す時には二重床のほうが融通がきく。家族が生きていく上で必要な改造にも、物件は対応できなければならない。
説明不足は棚に上げ、一切の責任を客側の調査不足に責任転嫁する。一方的に話し合いを拒否したにも関わらず、マスメディア対策として口先だけは「相互理解」などとふざけた発言をして平然とする。事実を捻じ曲げ、自己正当化・既成事実化を図る。都合の悪い約束は全て忘却という名の川に流し、「言った言わない」の水掛け論にして誤魔化してしまう。細胞から遺伝子DNAまで嘘とホラで固められている。
判例・学説には、積極・消極の対立する判例・学説が存するが、自社にとって都合の良いものしか引用しない。他の部分は自己の都合に合わせて削除、挿入、変更を加える。改竄という言葉がぴったり当てはまる行為である。自己に都合の悪いものに対しては、都合のいい理屈をつけて、完全に無視する。それだけでも、不当であるが、ご都合主義であるため、矛盾する場面もある。一方で、自己に都合の良い場合は、悪法であっても従えと言い、他方で都合の悪い場合は、当該法令を即刻改めよと主張する。
独創力のない、こけおどしだけの人間である。言葉にも行動にも独創的なものは何一つない。何もかも借り物で自分自身のものは一つもない。勉強する意思は皆無で、重説に出てくる遵守(じゅんしゅ)を「ソンシュ」と読んで平然としている。文書に「尊守」と誤字があっても、訂正しない。理や情をもって説いても聞く相手ではない。
自分一人にしか真の関心がなく、他人は道具か障害物か、そのどちらかでしかない。道に石があれば、その上を乗り越えるよりは石を取り除ける方が手っ取り早いと考えている。悪徳不動産営業にとって重要なのは「自分による支配」であり、彼に言わせれば「それを達成するための理論は理屈に関係なく正しく、それ以外の理論はただ単に間違っているだけ」となる。
芯は弱くて脆いくせに、外側の殻だけで他人を傷つける。悪徳不動産営業の歩いた後には犠牲となった人々の身体が累々と横たわっている。仕事に対する誇りは全く存在しない。道徳的に破綻しており、良心のかけらも感じられない。心のたがが外れている。慈悲や思いやりという言葉とは無縁の存在である。悪徳不動産営業の人となりにはこれっぽちも共感できない。
悪徳が服を着て歩くと、悪徳不動産営業になる。悪徳不動産営業が演じられるのは悪人の役だけである。平気で嘘をつき、賄賂で人をたらす恥知らずの詐欺師である。本来ならば人は社会的な害悪になってまで生き延びることが潔いとは思わないが、悪徳不動産営業は異なる。不正を躊躇させる良心や良識は全く機能していない。「渇すれども盗泉の水を飲まず」の対極の精神で、盗泉の水を喜んで、がぶ飲みする人間である。
微笑を浮かべながら、目だけは笑っていない。何とも形容しがたい粘っこい爬虫類の目である。生気はないが不潔な欲望は人一倍満ち溢れている腫れぼったい目。どんより濁った目は悪徳不動産営業が健全な精神を有していないことを証明している。血管に氷水でも流れていそうな冷血動物めいた不気味さがある。
笑顔を浮かべて近づいて来るが、腹の中では何を考えているか分からない人の笑顔には妙な不自然さが伴う。冷静に観察すると、その視線には何かしら敵意のようなものが感じられる。作り笑いには誠実さが感じられない。
気まぐれで何一つ信念を持たず、目先の利益や楽しみを追い求め、弱い者は利用し、強い者にはへつらう。爬虫類めいた不気味さを他人に見せつけ、それを武器にしているが、実態はただの卑劣漢、弱いもの苛めの卑劣な悪党である。言ってはいけないことを言い、やってはいけないことをやり、平気で他人の心を土足で踏みつけ、他人の心に傷をつける。
世のため人のためよりも自分のためが第一で、欲望は限りなく追求する。自己の懐を肥やすことしか考えていない。嫌なことは人に押し付け、わがままを押し通す。自分を中心に世界が回るべきと考えている。万事が思い通りに運ばなければ、たちまち苛々し一分も我慢できなくなる。
止まることや負けることは不幸を招き寄せることだと思い込んでいる。譲り合う気持ちはなく、譲るのは相手と決め込んでおり、自分の都合だけを押し付けてくる。他人の都合は頭からない。卑怯なことをする。ずるいことをする。恥ずかしいことをする。嘘をつく。正直ではなく、誠実でもない。不誠実で日和見主義で欲が深い。
まるで何処かのテロリスト集団のようであり、この先何をするか分からないといった不気味さがある。自分に不都合であれば、感情を爆発させて襲いかかる。それが、どんな結果になるかを想像できていない。本能のままに突進し、とどまるところを知らない。人を恨み、人を憎み、人を呪い、人を妬み、人に憤る。わめく、呟く、暴れる、頭を抱えて泣き出す。
際限なく取り乱し、心底疲れきるまで平常心には戻れない。興奮のあまり、目が底から赤く光りだすほどである。かつて戦いの終わった戦場には必ず、そのような目をした狼の群れがうろついていた。頭蓋骨の中には脳細胞ではなく、ヘドロが詰まっている。JR福知山線のように列車自動停止装置(ATS)を頭の中につける必要のある人格である。
若造でもエラそうな態度をとる。鼻につく感じで気分が悪い。見る者の胸に不快な気分を醸し出す。悪い奴ほど図々しい。毒素の塊であり、近寄って来るだけで、空気が銅臭を帯びたものに感じられる。下水にも似た耐え難い臭いである。腸の底まで腐っている。悪徳不動産営業が退出すると、空気に清浄さが戻る。愛情に恵まれ、何の傷も受けずにすくすくと育った人間を妬む。
「マンション販売の場合、営業マンはほとんどがリベートになっており、その率も高いため、彼らも売るためには何でもするし、何でも言うという状況になっています」(根来冬二、買ってから泣かないマンション選び、築地書館、2000年、24頁)。
不動産業者がマンションを建てる時に銀行から融資を受けることが多い。実際、康和地所株式会社はリリーベル東陽町サーモス建設地取得に際し、銀行から融資を受けた。土地所有権取得と同時に康和地所を債務者とする根抵当権を設定した。根抵当権者は株式会社東京都民銀行で、極度額2億3500万円である。
しかし消費者にとっては実物を確認する前に契約しなければならないため、著しく不利になる。図面の段階で売買契約が締結される青田売りでは、品質を確かめることが難しい。消費者はモデルルームと図面、パンフレットから完成後の姿を想像しなければならない。モデルルームや設備仕様だけではマンションの良し悪しは計れない。マンションは外観やエントランスが顔になるが、これらはモデルルームでは確認できない。
実際、青田売りに対する苦情は多い。国民生活センター(東京)に寄せられた新築分譲マンションの苦情・相談件数は、1990年度は401件だったが、97年度に初めて2000件を突破した。1999年度は90年度の7倍近い2737件に上った。
同センターによると、苦情の中身は「さら地の時にはわからなかったが、完成後、基地が見えた」「浴槽の仕様がモデルルームと実際の部屋で異なった」「外光がまったく入らない」「化学工場跡地の土壌汚染について、事前に説明を受けなかった」等がある(「青田売りマンション説明義務「実物見たのと同程度に」」朝日新聞2000年10月30日)。
そのため、完成後に販売(竣工売り)する業者も増えている。現物ならば、天井をはじめ、窓外の景色、太陽の日照の具合、防音、部屋の明るさ、壁面の仕上がり、コンセントの数と位置、テレビアンテナの差し込み口の数、ガス栓の配置、インターネット配線のつなぎ口の数など、生活に本当に大切な隠れた部分を確認できる。実際に目で見ることができるため安心できる。
「キャンセル客も多いために、従来の“青田売り”をやめた大手の業者もあるくらいです」(橋本一郎、サラリーマンでもできるマンション投資・家賃収入で儲ける極意、明日香出版社、2004年、63頁)。
伊奈幸雄・広報室副室長は「豪華に飾ったモデルルームと図面だけで購入すると、入居後に『違う』と思うこともある」と話す(「青田売りマンション説明義務「実物見たのと同程度に」」朝日新聞2000年10月30日)。将来壊すことになるモデルルームに数億円になることもある巨費を投じるのはもったいない。
1999年5月には以下のコマーシャルを流した。「マンション購入には、実際に部屋を見て、触れて、体感し、よく確かめ納得していただいてから。車を購入するときは試乗して確かめて買うのが普通なのだから、マンションも同じ」。
物件名 | 引渡予定時期 |
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赤坂タワーレジデンス[Top of the Hill] | 2008年7月下旬 |
CAPITAL MARK TOWER(キャピタルマークタワー) | 2007年12月下旬 |
クオリア荻窪 | 2006年12月下旬 |
THE TOKYO TOWERS | 2008年4月下旬 |
品川シーサイドレジデンス | 2006年9月下旬 |
シーサイドコート鎌倉若宮大路 | 2006年11月下旬 |
シティデュオタワー川口 | 2006年9月下旬 |
湘南袖ケ浜レジデンス | 2007年7月下旬 |
センターフィールド浦和美園 | 2007年3月末日 |
ブランズ文京本駒込 | 2006年9月下旬 |
みなとみらいミッドスクエア・ザタワーレジデンス | 2007年7月下旬 |
骨組みをしっかりつくり、比較的傷みやすい中身を適時交換していくことで建物全体を長く使えるようにする。長期間の耐久性と間取の変更のしやすさと合わせもった集合住宅である。
建物が長持ちする、間取りを大胆に変更できる、設備のメンテナンスが簡単などの特徴がある。古い建物も外部だけを残し、中を新しくすることによって、暮らし易さを追求することができる。内装や設備は最新式にしても外見は古いままに保つことで、町の景観と調和した建物であり続けることができる。
「SI住宅とは、SとIとを分離した形態の住宅で、間仕切りや設備が老朽化したときや住み手のライフスタイルに合わなくなったとき、容易に改変できるというメリットがある」(加藤憲一郎「SI住宅」イミダス2006、集英社、581頁)。
SI工法では排水管の交換も容易である。室内のパイプスペース(PS)にある排水管は、どのような材質であっても耐用年数は大して変わらない。いずれにしても将来交換することになる。その場合は数日間断水し、PS周辺の壁を壊し、いくつもの業者さんがやってきて管の交換、現状の復帰を行う。
排水管交換工事では意外と広範囲を壊すことになる。そしてゴミもたくさん出る。SI工法ならば、これを避けられる。排水管を吹き抜けや共用廊下に出し、 室内にPSをなくす。無駄な工事や余分なゴミを出さないという観点からも、これからはもっと増えなくてはいけない工法である。
原因として以下が考えられる。
配水管の排水勾配が不足している。配水管は横の長さが3m以上になると流れが悪くなる。
配水管が詰まっている、腐食している。配管部材をチェックせず不良品を使用したことが根本原因となる。
トラップがついていない、壊れている、封水がなくなっている。
配水管の継ぎ目に隙間があって臭いが漏れている。
放置した場合、一層排水の流れが悪くなり、漏水等の不具合につながる危険がある。配水管は通常はコンクリートスラブの上に転がし配管をしてパイプシャフトの共通配水管につないでいる。配水管から排水が漏れると、基礎内部に水が染み、水溜りができる。最後には階下の住戸の天井や壁から排水や汚物が染み出す。マンションで漏水した場合、被害を受けるのは階下の住戸である。欠陥マンションの購入者は悪徳不動産業者の被害者であるが、漏水の被害者との関係では加害者の立場に立たされる。従って自分一人が我慢すれば良いという問題ではない。
マンションの補修工事で床下を調査したところ、ドブ池と称する、汚水溜まりが発見された例がある(松居一代『欠陥マンション、わが闘争日記―ゼネコンに勝った!壮絶600日の全記録』PHP研究所、2000年)。これは女優でエッセイストでもある松居一代さんが購入されたマンションの事例である。ドブ池は配管等の無い寝室の床下にまで広がっていた。原因は排水詰まりのコンクリートで、排水が悪く逆流していた汚水が、溝のある寝室の下まで流れていき、ドブ池をつくっていた。
排水は三系統、つまり、台所、バスルーム、トイレのそれぞれに分かれているものがベストである。図面ではパイプスペースPSと書かれている。狭い住戸等では二系統にされることもある。最低でもトイレの排水だけは別系統にすべきである。さもなければトイレの異臭が台所やバスルームにあがることになる。
排水は通常、共通の排水管に接続される。排水を流すと、上流側の配管内空気は引っ張られ、下流側の空気は押される。このため器具のトラップの水が押されたり、引っ張られたりしてゴボゴボいう音が発生し、酷い場合はトラップの水が抜けて臭気が出てくる。これを防ぐため、一般ビルやマンションでは排水管には外部の空気に通じる通気管を設け、配管内で圧力変動が起こらないように配慮する。手抜き等の理由により、十分な排水通気管が設置されなかった場合、排水時のゴボゴボ音や臭気の逆流に悩まされることになる。