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モーニング娘。中傷で花岡信昭ブログ炎上

花岡信昭・産経新聞元編集委員のブログが炎上した。アイドルグループ「モーニング娘。」について、「歌は下手でダンスもまずくエンターテインメントの域には達していない」と誹謗中傷したためである。花岡氏が特定の芸能人に対して行ったことは誹謗中傷以外のなにものでもない。

少なくとも「モーニング娘。」本人やプロデューサー、スタッフの音楽についての知識・経験は花岡信昭を上回っている。歌唱力もダンスもエンターティナーとしての実力も比較の対象にならない。そのような人物に対して根拠なく批判することは、彼女達が現役であり、事務所経営の看板であることから見ても、悪意をもった妨害と判断されても仕方がない。

いやしくもジャーナリストを自称する者が、対象について十分な認識もないまま、こき下ろすことは言語道断、ジャーナリスト失格である。加えて、言うまでもなく「モーニング娘。」は固有名詞であって、日本語の表記法とは全く別次元のものである。論旨と無関係な「モーニング娘。」を引き合いに出すこと自体、花岡氏の「もの書き」としての資質が疑われて当然である。

批判のコメントに対し、花岡氏は「私の知ってる業界人の総意なんだから下手なんだ」と理論的とは思えないコメントで返した。これが火に油を注ぐ結果となったのは言うまでもない。花岡氏にとっては真実としても、それは彼の生活空間でだけ通用する真実に過ぎない。その後、花岡氏は本心は兎も角、形式的には謝罪を余儀なくされた。

「「モーニング娘。」について、歌は下手でダンスもまずくエンターテインメントの域には達していない、などと書きましたが、これはまったくよけいなことでした。このことによって、多くの「モーニング娘。」ファンのこころを傷つけ、不快感を与える結果になってしまったことをお詫びいたします」(花岡信昭「「モーニング娘。」に関する記述について」2006年6月5日)。

花岡氏の謝罪は真摯なものとは到底言えない。書いたという行為が余計なことであったと釈明してるだけで、根拠もなく誹謗中傷したことについては謝罪していない。 謝罪記事には以下の前置きもある。「サイト運営上、支障が出かねない事態ともなっており、筆者の責任において、以下、けじめをつけます」。これは抗議が多くてサイト運営上止むを得ないために形式的に謝罪するという意味にしかとれない。

謝罪の翌日に日経BP社サイトでコラム発表

花岡信昭氏は謝罪の翌日に日経BP社のサイトではブログ炎上の被害者であるかのようなコラムを発表した(花岡信昭「ブログ再炎上、きっかけはアイドル名と句点」日経BP社SAFETY JAPAN 2006年6月6日)。加害者なのに日経のコラムでは被害者面をしている。「ネットの連中は常識をわきまえない」と好き勝手なことを述べる。批判を許さない連中のような印象操作をしている。日本語の乱れとモーニング娘。の歌が下手ということの因果関係についてのクレームも無視する。

記事中には「ナイーブなネット社会の人々」との見出しがある。花岡氏の批判者(ネット社会の人々)をナイーブと主張したいのだろうが、真っ当な意見を書いた人達に失礼である。自分にとって不都合な反論には耳を塞ぎ、質の低い意見ばかりに反応して、被害者面する。

日経BP社の記事ではブログで削除した文面を蒸し返している。「歌も下手でダンスもまずいこの少女集団が売れっ子になったのは、日本語を意識的に誤用したグループ名の付け方が効果的だったという側面があるのではないか」。ブログで削除しても、別のサイトで公表したら全く意味がない。子供でも分かることである。

「ファンの心を傷付け不快感を与えたのであれば、本意ではないので、ブログ上で謝罪することにした」。問題の本質はファンの心情を傷つけた云々ではない。調べもせず、憶測で誹謗中傷する記事を書いたことである。自身のジャーナリストとしての資質が問われているという本質的なことを、全く理解していない。

花岡氏の人間性がよくわかる。卑怯者である。炎上したブログを見捨て、一般人が反論できない日経BP社に逃げているだけである。反応のあるブログでは一応謝罪らしきものをして事態の収拾を図る。一方でブログで引き起こした問題を他所の反論できないコラムのネタにし、自己弁護の上、同様の主張を繰り返す。謝罪の意義もあったものではない。反論を食らわないところでは自己正当化を図る。まさしく二枚舌である。

火事で燃えている自分の家を捨てて、他所に逃げ込むとは、愛国心の欠片もないような振る舞いである。普段、愛国心を声高に叫んでいる人間に限って、いざとなったら国を捨てて遁走する。 このような人間に政府を批判する資格はない。高所大所から国家のあり方を論じる資格はない。「君が代」の替え歌Kiss meを批判する資格はない。このような日本人こそがこの国をダメにしているのではないだろうか。

文筆業は辞めるべきである。花岡氏の言うことも書くことも信じられない。こっちではこう書いてるが、別のところではどう書いてるか分かったものではない。その支離滅裂さは最早、元新聞記者としての看板を下ろすレベルに達している。

藪本雅子ブログ性犯罪擁護で炎上

元日本テレビアナウンサー藪本雅子のブログに内容を批判するコメントが殺到し、炎上した。発端は「盗撮で思う」という記事である(2006年5月19日)。日本テレビの炭谷宗佑(すみたにそうすけ)アナウンサーの盗撮事件について扱っている。

炭谷盗撮事件は炭谷アナが2006年2月20日、横浜駅の自由通路の上りエスカレーターで、前に立っていた女子高校生のスカートの中を携帯電話のカメラで盗撮した事件である。パトロール中の鉄道警察隊が犯行を目撃、取り押さえて戸部署に引き渡した。事情聴取に対して「むらむらして興味本位でやった。申し訳ない」と容疑を認めた。神奈川県迷惑防止条例違反で書類送検され、5月2日に起訴猶予処分となった。

本件に対し、日本テレビ総合広報部は「社員のプライバシーにかかわることなのでコメントできない。当社としてすでに社員には適切な対応を取っている」と話しているが、アナウンサーの実名は公表しなかった。「対応」の具体的な内容は示さず、被害者への謝罪の言葉も皆無であった。日本テレビの番組でも触れなかった(「日テレの炭谷アナ、女子高生スカート内盗撮!!」ZAKZAK 2006年5月19日)。

問題の記事は以下のように性犯罪の擁護正当化と受け取ることができる文章であった。
「男の子は、それはもう幼稚園の頃から、女の子のパンツが見たくて見たくてしょうがない生き物である」
「ミニスカートをはいている子達は、パンツを見られない努力をしなさい!」
「触れるものなら、触りたい、脱がしてやりたい、と思うのが男。目の前でパンツを見せられたら、どうにかなってしまう男がいたっておかしくない」
「子会社の社員で盗撮未遂をやった人は情け容赦なく即刻クビにされた。日テレの彼も、社会的制裁はうけたでしょ」。

これに対し、批判のコメントが殺到した(「ブログ炎上の藪本アナ「日本の空気読めなかった」」ZAKZAK 2006年5月24日)。
「プライバシーだからと実名も処分も発表しないのにどこが社会的制裁なのか」
「自社のニュースでは触れもせず、身内に大甘」
「元身内とはいえ、このような支離滅裂な擁護を行うのはどうか」。

政治、資本、マスメディアを含めた自らに都合のよい情報しか発表しない権力に対し、インターネットが市民の対抗手段として有力であることを示す事件である。性犯罪者を正当化する文章が書けたものである。自称「おばさん」にとって眉をひそめたくなるようなファッションをすることと盗撮を擁護することは別問題である。そもそも今回の被害者がどのようなファッションであったか確認した上で記述したのだろうか。

盗撮はれっきとした犯罪である。欲求があろうとなかろうと駄目なものは駄目である。顔写真の無断撮影に対し、「変な顔見せるほうが悪い」と抗弁するつもりか。「殺したいから殺した」という快楽殺人者は無罪なのか。自分の娘が性犯罪の被害に遭っても同じように犯人を庇うのか。イジメはイジメられる方に問題がある、泥棒に入られた家に問題がある、詐欺に遭う被害者に問題がある、万引きされた店に問題があるとする主張と同じである。子を持つ親の発言ではない。

警察不祥事、行政問題

埼玉県警察学校上納金

埼玉県警察学校(さいたま市北区)の校友会が校内の売店運営業者から売上金の3%を助成金名目で受け取っていた問題で、県監査委員は二十九日、「金銭提供は不適切」とする監査結果を県議会に報告した(2006年6月29日)。県警は同日、2004年度の助成金について出納簿などに記載せず不適切な処理を行ったとして、当時の校友会長で同校副校長だった警視(56)を本部長注意処分にした。

県警察学校の教職員や学生らでつくる警察学校校友会は1997-2004年度、売店の売り上げの3%に当たる計約530万円を業者側から助成金名目で提供を受けた。支払いの覚書に校長の公印を使用した(「警察学校側への上納不適切」秋田魁新報2006年6月29日)。助成金は当初、副校長が校友会の銀行口座で管理、学校の各種大会運営費や備品購入費などに充てられた。しかし、2004年度分は口座に入金せず副校長が現金で管理し、出納簿などもつけておらず使途が確認できていない(「県警察学校助成金問題『上納金』は不適切」中日新聞2006年6月30日)。

薬害C型肝炎訴訟原告が国の控訴を批判

薬害C型肝炎訴訟で、国が大阪地裁判決を不服として控訴したのを受け、原告と弁護団は29日、厚生労働省で記者会見し、「控訴は許されない」と批判した(2006年6月29日)。大阪、福岡両地裁で係争中の原告5人が出席。薬害肝炎全国弁護団長の鈴木利広弁護士は以下の声明文を読み上げた。「厚労相は原告の声を無視した。国民の生命健康を守るべき立場の国の対応として到底許されない」(「国の控訴、「到底許されぬ」=薬害C型肝炎訴訟で原告会見」時事通信2006年6月29日)。

名誉毀損

思いをそのまま述べてそれが名誉毀損になるなら、もう何もしゃべれなくなり、警察国家を招くことになる。権力が国民をズタズタにし、毎日脅えて暮らさなければならないならば真の国家とは言えない。全く言いようのない暗い先の見えない社会に陥ってしまう。

「言論に対して言葉でコミュニケーションを取るのではなく警察・検察の権力を使って弾圧することは、民主主義を根幹から破壊する」(葛飾ビラ配布弾圧事件−ビラ配布の自由を守る会「表現の自由とビラを受け取る権利への弾圧」)。

「権力の保持者によって、特定の政治的意見の表明が抑圧されるならば、民主主義の政治プロセス自体が歪んでしまう」(立川反戦ビラ事件の被告人らの無罪を訴える法学者声明)。

表現を規制することが、事実を隠蔽することが安全ではない。悪徳企業によってどのような被害に遭っている人がいるのか、国民には知る権利がある。権力側から、いかなる批判や誹謗中傷を受けようと「オカシイ」と感じることは徹底的に、突き詰めていくことが必要である。

「適法な表現行為であれば、訴訟上の書類はもちろんのこと、訴訟外の交渉過程であっても、非公開とする約束を特にしているのでない限り、インターネット等を通じて世に問う行動は許されるべきである」(町村泰貴「東芝クレーマー事件の問題の核心」1999年8月5日)。

ドイツのルター派神学者マルチン・ニーメラー

「ナチスが共産主義者を弾圧した時、私は不安に駆られたが、自分は共産主義者ではなかったので、何の行動も起こさなかった。その次、ナチスは社会主義者を弾圧した。私は更に不安を感じたが、自分は社会主義者ではないので、何の抗議もしなかった。それからナチスは学生、新聞、ユダヤ人と順次弾圧の輪を広げていき、そのたびに私の不安は増大した。が、それでも私は行動に出なかった。ある日、ついにナチスは教会を弾圧してきた。そして、私は牧師だったので、行動に立ち上がった。しかし、その時はすべてがあまりに遅すぎた。」

風説の流布

風説の流布(証券取引法)とは株価の動きを操作する目的でデタラメな情報を流すことである。事実を述べることは風説の流布には該当しない。風説の流布の例として「あらかじめ特定の株式を買いつけ、ホームページ・掲示板・メールマガジンを使い、「急騰銘柄」、「ストロングバイ」等の表現を使って買い煽る行為」があげられる(東洋証券株式会社Webサイト「お取引のルール」)。

実際、破産した通信事業会社「ジャパンメディアネットワーク」(東京都港区)が、実現見込みのない携帯電話サービスの事業計画を公表し、東証二部上場の親会社の株価をつり上げた事件がある(「「携帯電話事業」風説流布、株価つり上げ30億利益」読売新聞2005年10月1日)。具体的な根拠なしに「東急不動産は誠実な会社です」「東急はかなり良い方です」と投稿することも、株価上昇を見込んでのものならば風説の流布に該当する。根拠がないにもかかわらず、異常なほど必死に東急電鉄を擁護することは止めた方がいい。

司法

裁判官の判決の基準が変わってきている。結果の重大性のみならず、手段や動機が許せないという素朴な感情が重視されている。被害者感情や社会の関心を反映するようになった。治安や被害者に対する社会の関心の高まりは無視できなくなっている。裁判所が被害者に目を向けつつある現れである。厳刑を求める被害者の活動が活発化した。被害者の猛烈な抗議によって不起訴が起訴になった。今までなら無期懲役であったものが、死刑になっている。事実が存在するのに、それが解明されないとすれば裁判への信頼は損なわれ、その権威は失墜する。

「さまざまな紛争の最終解決が裁判所に委ねられ、判決や決定で新しい規範が示される場面が目立った」(山口進「司法の重み増した1年」朝日新聞2005年12月29日)。「水面下での日本的な紛争解決は、不明朗なものと強く批判されるようになってきた」(「紛争決着は裁判で」日経ビジネス2005年8月1日号33頁)。

被害者感情

被害者感情は無視してはならない。被害者は何も悪いことをしていないのに、ある日突然、生活ががらりと変わってしまう。大切なものを有していればいるほど、苦しい思いをする。「私が被害者だったならば」と考えれば、どうしても気持ちの面が強くなってしまう。だから、そこが一番重要と思う。分かりやすく目に見えるものがなければ、被害者が負った傷は拭えないと思う。

刑法

刑法222条は脅迫罪を定めている。「生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、2年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する」とある。ここにいう告知する内容としての「害」はそれ自体犯罪を構成するようなものであることを要しないとするのが通説、判例である。「上司に通報する」とか「告訴する」等の告知も相手を畏怖させるためならば脅迫罪になる(前田雅英、刑法各論講義2版、東大出版会、1995年、90頁)。更に脅迫により「人に義務のないことを行わせ」ることは強要罪に該当する(刑法223条)。

名誉毀損の行為者において刑事第1審の判決を資料としてその認定事実と同一性のある事実を真実と信じて摘示した場合には、特段の事情がない限り、摘示した事実を真実と信じるについて相当の理由がある(最判H11.10.26民集53-7-1313謝罪広告等請求事件)。

詐欺罪

嘘をついて不動産を売ってはならないのみならず、不利なことを知っていた場合はその事実を隠してもいけない。どちらも買主にとっては詐欺である。詐欺は積極的に事実と異なることは信じ込ませる場合だけでなく、何も言わないことにより当該事実が存在しないと誤信させる不作為の場合にも成立する。

知っていたのに告げなかったということは故意である。過失ではなく悪質な詐欺行為だから、どのような弁解も謝罪も通らない。知らないでしてしまった間違いには寛容であるべきとの考えはもっともであるが、知っていて犯した罪は重い。犯罪は大きくなればなるほど人を惑わせる。

「詐欺罪のごとく他人の財産権の侵害を本質とする犯罪が処罰されるのは、単に被害者の財産権の保護にあるのではなく、かかる違法な手段による行為は社会の秩序を乱す危険があるからである」(最高裁判決S25.7.4)

「商品の効能などにつき、真実に反する誇大な事実を告知して相手を誤信させ、金員の交付を受けたときは、たとえ価格相当の商品を提供したとしても、真実を告知したならば相手方は金員を交付しなかったであろうような場合には、詐欺罪が成立する」(最高裁判決S35.9.28)

「契約は自由であり、くだらぬ物を高値で買うのも自由だ。でも、内容にダマシがあったら、売買を名目にした詐欺である」(石原豊昭『「詐欺」悪の手口と撃退マニュアル』自由国民社、2004年、131頁)。

「釣り銭の計算ができないわけはないから釣り銭詐欺はあり得ない、という理屈と同じで、錯誤につけ込んで騙すのだから詐欺は成り立つ」(石原豊昭『「詐欺」悪の手口と撃退マニュアル』自由国民社、2004年、179頁)。

偽証

裁判で偽証した証人に実刑判決

知人から依頼されて刑事裁判で嘘の証言をしたとして、偽証罪に問われた無職、多田博幸 被告に対し、東京地裁は、懲役1年6月(求刑・懲役2年6月)の実刑判決を言い渡した(20 06年5月11日)。伊藤敏孝裁判官は「適正な刑事裁判の実現に深刻な影響を与えた。裁判 員制度施行を前に、偽証は厳しく非難されるべきだ」と指摘した(「偽証罪被告に実刑  東京地裁」共同通信2006年5月11日)。

判決によると、多田被告は2005年8月3日、知人で覚せい剤取締法違反に問われた無職、藤 井達也被告の東京地裁公判で「自分が覚せい剤を入れたペットボトルの水を藤井被告が誤 って飲んでしまった」と虚偽の証言をした。藤井被告は同6-8月に東京拘置所から多田被 告に手紙を出して偽証を依頼。偽証後の同11月、藤井被告には無罪が言い渡されたが検察 側が控訴し、2006年2月に偽証教唆罪で起訴した(佐藤敬一「刑事裁判偽証:被告に懲役 1年6月−−東京地裁判決 /東京」毎日新聞2006年5月12日)。

刑事訴訟

警察による不適切な取り調べ、特に事実と異なる自白の強要 結局は「やった」という言葉をなんとしてでも引き出したい、そのためには手段を選ばない、という危険きわまりない考えに基づくものでしかない。思い込みや予断に基づき、それに沿った答えしか聞こうとしない。自分の予断に反する答えが返ってくると、それを撤回させ自分の意に添う答えを返すまで執拗に離れない。自白剤や催眠術などというものまで用い、相手を異常な状態に陥れてまで無理矢理に吐かせようとする。

黙秘権

憲法38条1項は黙秘権を保障したものである。「強要されない」とは本人の意思に反し不利益な供述を強要し、それに基づいて有罪としてはならないばかりでなく、黙秘から本人に不利益な推測もしてはならないことを意味する。黙秘権は刑事手続のみならず、行政手続においても援用されうると主張される(小林節・増訂版憲法(南窓社1994)44)。

検察官、検察事務官又は司法警察職員は「取調に際しては、被疑者に対し、あらかじめ、自己の意思に反して供述をする必要がない旨を告げなければならない」(刑訴198(2))。しかし最判S25.11.21刑集4-11-2359は、捜査官が被疑者を取り調べるにあたり、供述拒否権を告知しなくても憲法38条に違反しないし、又その取調べに基づく被疑者の供述が直ちに任意性を失うことにはならないとする。黙秘権のあることを予め告知しなかったからといって、その取調べに基づく被疑者の供述が直ちに任意性を失うことにはならないとした例もある(最判S25.11.21刑集4-11-2359)。

自白とは、犯罪事実の全部又は一部について自己の刑事責任を認める供述をいう(福岡高判S24.9.6高刑特1-124)。「強制、拷問又は脅迫による自白、不当に長く抑留又は拘禁された後の自白その他任意にされたものでない疑のある自白は、これを証拠とすることができない」(刑訴319(1))。反対解釈をすれば任意になされた自白は証拠とすることができる。但し「被告人は、公判廷における自白であると否とを問わず、その自白が自己に不利益な唯一の証拠である場合には、有罪とされない」(刑訴319(2))。

そこで自白の任意性が問題となるが、以下の場合には自白の任意性が否定され、又は疑われる。被告人を109時間拘禁し、その後に被告人がはじめて犯行を自白し、かつ被告人が逃亡するおそれのないものであった時は、右自白は「不当に長く抑留又は拘禁された後の自白」にあたる(最判S23.7.19刑集2-8-944)。

被疑者に対する糧食差入れ禁止の事実があり、その禁止の期間と自白の事実との関係上、外形的に差入れ禁止と自白との間に因果関係を推測される場合は、この因果関係の存在を簡単に否定してはならない(最判S32.5.31刑集11-5-1579)。勾留されている被疑者が、捜査官から取調べられる際に手錠を施されたままである時は、反証のない限りその供述の任意性につき一応の疑いをさしはさむべきである(最判S38.9.13刑集17-8-1703)。

「その他任意にされたものでない疑のある自白」(刑訴319(1))には約束や偽計による自白がある。自白をすれば起訴猶予にする旨の検察官の言葉を信じ、これを期待してした被疑者の自白は任意性に疑いがある(最判S41.7.1刑集20-6-537)。「偽計によって被疑者が心理的強制を受け、その結果虚偽の自白が誘発されるおそれのある場合には、右の自白はその任意性に疑いがあるものとして、このような自白を証拠に採用することは、刑事訴訟法319条1項の規定に違反し、ひいては憲法38条2項にも違反する」(最判S45.11.25刑集24-12-1670)。

しかし判例は以下のような任意になされたといえないと思われる事例において任意性を認めた。このような自白の任意性を安易に認める判例の傾向に対しては、「法廷では、捜査官による暴行や強制や誘導のために不本意な自白をしてしまったと言う被疑者と、そのような事実はないと言う捜査官とが対立することが良くある。日本の裁判官たちは、このような場合、被告人の主張は罪を免れるための虚言であると決めつけることが圧倒的に多い。」と批判されている(「ミランダの会設立宣言」1995.2.13)。

不当に長い拘禁後の自白であっても、拘禁と自白との間に因果関係のないことが明らかである場合は、「不当に長く抑留又は拘禁された後の自白」にあたらない(最判S23.6.23刑集2-7-715、最判S24.7.13刑集3-8-1264)。取調官からポリグラフ検査の結果を告げられた後になされた自白であっても、任意性がないとはいえない(最決S39.6.1刑集18-5-177)。

A事件を理由として勾留された被告人を、検察官がB事件の被疑者として約39時間連続約50回にわたり調べたからといって、右取調べをもって直ちに不利益な供述を強要したものとはいえない(最判S30.4.6刑集9-4-663帝銀事件)。司法警察員が作成した被告人の供述調書は、それが仮に不法逮捕拘禁中に作成されたものであっても、その一事をもって任意性がなく無効のものとはいえない(最判S27.11.25刑集6-10-1245)。

日本の捜査権力が権限を濫用する領域としては、任意同行の問題がある。「『任意』とは、もともと当事者の意思に任せるということであるが、実際問題としては、当事者は、心理的不安定の下に晒され、意に反して同行を強制され、被疑事実・証拠を採取されている事実があるのではなかろうか」(上田勝美「刑事手続上の人権」ジュリスト638号(1977年)344頁)。それでも判例は自白は「任意」になされたと言う。

被疑者をホテルに宿泊させる等して連日取調べた捜査官らの一連の措置を違法な任意捜査としながら、その「違法の程度は、憲法や刑事訴訟法の所期する基本原則を没却するような重大な違法であったとはいえない」し、「各自白調書を証拠として許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当であるともいえない」として、自白調書の証拠力を認めた例もある(千葉地判H11.9.8判時1713-143)。しかし「被疑者・被告人に対する適法手続の保障、司法の廉潔性の保持、将来の違法捜査の抑止から、違法収集証拠は原則としてその証拠能力が否定されよう」(浦田賢治編・憲法改定版(法学書院1990)88(中野昌治))。

日本国憲法の関連条文

第31条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

第38条 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

第39条 何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

第29条3項 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

Miranda事件

1963年アリゾナ州フェニックスで婦女暴行ならびに誘拐罪で、メキシコ系で前科者のErnesto Mirandaが逮捕された。警察での2時間の取り調べの後、彼は自白調書に署名した。しかし彼の弁護士は、彼に黙秘権や、弁護士の請求権等があることを事前に知らされていなかったことに異議を唱える。最初は有罪になったものの、連邦最高裁判所まで争われ、歴史的な判決が下され、彼は逆転無罪になった。

しかしこの判決も、Mirandaにとっては一時的な猶予に過ぎず、再び裁判が行われ、Mirandaの元ガールフレンドの証言などもあり、20年の有罪になる。1972年に保釈されるが、その後も刑務所に出たり入ったりを繰り返した。1976年、34歳の時、バーで誰かと口論になり、ナイフで刺され死亡した。皮肉なことに、この事件の容疑者は、警察官がミランダ・カードを読み上げた後、黙秘権を行使し、結果として釈放され、この事件は未解決のままである。

Miranda v. Arizona, 384 U.S. 436 (1966). Miranda判決は身体的拘束下で当局が尋問する場合には、修正5条の自己負罪禁止を確保するため、尋問開始前に1黙秘権、2供述が不利な証拠となる可能性、3弁護人の尋問立会を求める権利、4無資力でも弁護人を付してもらえる権利を告知しなければならないとした。もし通告せずに被疑者から得られた供述の証拠能力は否定される。但し逮捕自体の有効性とは関係ないため、逮捕は無効にならない。

Miranda原則は米国刑事手続の要とみなされ、自白強制・えん罪防止に寄与してきた。Miranda警告はアメリカのドラマや映画の容疑者逮捕シーンでも決まり文句として使われている。尤もこれは「アメリカの刑事司法が高い水準にあったから可能だったのではなく、むしろその反対だから余儀なくされた」とする見方もある(松尾浩也「アメリカ合衆国における刑事司法の特色を説明して下さい」法教2期2号(1973)178)。

Miranda Ruleに対しては告知を怠ったという理由だけで無罪となる例が続出していることを批判する少数説もある。その急先鋒ユタ大学法学部のPaul G. Casselは、Miranda原則は犯罪者の権利を守るが無罪の被告人を守らないと主張する。

Miranda Card

以下はMiranda警告の書かれたカードで、警官は常時携行することになっている。

MIRANDA WARNING
YOU HAVE THE RIGHT TO REMAIN SILENT.

ANYTHING YOU SAY CAN AND WILL BE USED AGAINST YOU IN A COURT OF LAW.

YOU HAVE THE RIGHT TO TALK TO A LAWYER AND HAVE HIM PRESENT WITH YOU WHILE YOU ARE BEING QUESTIONED.

IF YOU CANNOT AFFORD TO HIRE A LAWYER, ONE WILL BE APPOINTED TO REPRESENT YOU BEFORE ANY QUESTIONING, IF YOU WISH ONE.

ミランダ警告
あなたには黙秘する権利がある。
あなたが言うことはどんなことでも法廷であなたにとって不利に使われることがある。
あなたには弁護士と話し合う権利があり、尋問中、弁護士を同席させる権利がある。
あなたに弁護士を雇う金銭的余裕がない場合、望めば、いかなる尋問の前にも、弁護士を任命し、あなたの代理をさせることができる。

Miranda判決の2年後に本判決に対抗するために「犯罪の抑制と街路の安全に関する単行法」(1968)3501条が立法された。本条は供述が任意で強制されていなかったならば、Miranda原則に基づいた権利通告がなされていなくても、被疑者の供述を証拠となしうる、とする。しかし司法省を含む多数説はこの法律では自白の任意性の保障が不十分と解し、実務ではこの法律は無視されMiranda判決に基づいて運用されてきた。Clinton政権も連邦法令3501条は違憲として支持しない態度を明らかにしている。

しかしDickerson事件第4巡回区連邦控訴裁判所判決がこの埋もれていた3501条を適用した(1999.2)。バージニア州で銀行強盗罪に問われた被告人Charles Dickersonが、権利通告されないまま供述した内容を、同裁判所は「自発的になされた供述」という前提で、証拠採用した。本件では検察も弁護側も1968年の連邦法令を議論の論拠にはしていなかった。供述の任意性を重視する法令を持ち出したのは、訴訟当事者ではなく裁判に注目していた司法関係者団体だった。

バージニア州リッチモンドにある同裁判所は、バージニア、メリーランド、ウエスト・バージニア、ノースカロライナ、サウスカロライナの南部各州から上訴されてくる事案を審理する。同裁判所は保守的でかつ、憲法を事実上修正するような判決を下すことで知られていた。

Hadley弁護士は「この事例はきわめて特殊なものです。逮捕された容疑者が警察署に連行され、取調室に入れられて、それでもなおミランダ原則の通知を受けていないなんて。いまどきとても珍しいことです」と述べている(CNN 2000.1.19)。

本件は司法界に賛否両論を巻き起こし、上告されたため最高裁に注目が集まった。近年の最高裁は排除法則の多くを狭めることによってその傾向を変化させてきており、最高裁の判決を予想することが非常に難しく議論の的になっていた。日本でも「米国の人権擁護精神のシンボルの一つだった同ルールがなくなると、その先が心配になってくる。今後最高裁の判断にゆだねられるらしいが、米国だからこそ慎重であってほしい。」との見解がある(「ミランダ・ルール存続か否か」日経新聞夕刊2000.3.12)。

尤も最高裁は圧倒的多数でMiranda原則を支持する逆転判決を言い渡した(2000.6.26)。「レンキスト長官は判決理由の中で、ミランダ・ルールは「憲法の定め」であると明言、連邦高裁の判断を覆し、告知原則を再確認した」(「ミランダを再確認」日経新聞夕刊2000年6月27日)。

Dickerson事件

以下はAlderson Reporting社によって記録された、Miranda原則が問題となったDickerson対合衆国事件の審理の公式記録の抜粋である。質問した裁判官の氏名は、公式記録には記されておらず、New York Times社が特定したものである。

Hadley氏(上告人代理人)「34年前、Miranda対Arizona州事件において最高裁判所は自己負罪からの修正5条の特権は警察の捜査官が被疑者にその特権によって保障された権利を十分に知らせ、それらの権利を行使する十分な機会を与えることを要求するとの法理を確立した。今日法廷に現れた問題は議会が最高裁のMirandaを覆しそれ以前に逆戻りさせる立法権限を有するか否かである。

この問題を解く鍵はMiranda判決の要求が憲法に基づいておりそれ故立法による修正から免れているか、そうではなく第4巡回区裁判所が判示したように、裁判所の規則及び手続を定める単なる裁判所の権限の行使に過ぎないかという点にある。」

Antonin Scalia裁判官「Hadley氏、Miranda判決の要求は実体的な要件か。それらの不遵守は修正5条の侵害になるのか。」

Hadley氏「はい、Scalia裁判官。Miranda判決によって定められた個々の警告は憲法が命令したものではないが、それらの警告によって表された憲法精神は憲法の要求するところである。」

Scalia裁判官「私はこのように考える。警察官がゴムホースで誰かを殴り自白を聞き出し、そして刑事手続で自白を証拠として提出すれば、その警察官は暴行により民事訴訟で追及されるだけでなく、憲法上の権利、即ち修正5条の権利を侵害したことになる。」

Hadley氏「はい。」

Scalia裁判官「さて、警察官が被疑者にMiranda警告をせずに自白を獲得して、法廷に証拠として提出した場合、その警官は訴えられると考えるか。そのような事案をご存知か。」

Hadley氏「それはちょっと…ええと、Scalia裁判官。思い出した。Mirandaの権利の行使を故意に無視したことが民事訴訟の対象となるかについて第9巡回区裁判所が現在格闘している。」

Scalia裁判官「それが民事訴訟の対象になるとしたら驚きである。我々がここで論じている権利は実体的な権利ではなく、法廷の定めた手続的保障に過ぎないと考えるからだ。」

Hadley氏「Miranda判決の要求は憲法上の保障であって…」

Anthony M. Kennedy裁判官「それならばあなたの答えはMiranda判決が指定した警告は憲法上の要求である、となろう。あなたが最初に言ったことは少し違うように思える。」

Hadley氏「そうです。そこには微妙な違いがあります、Kennedy裁判官。その違いが恐らく文献に混乱をもたらしているように思える。Mirandaの憲法上の要求は被疑者に十分に彼の権利について十分に知らせる予防手続を求めている。それによって彼は自分の権利を知り、それらの権利を行使できることを知り、尋問者が彼の権利を尊重することを知り、裁判所はそれらの権利の放棄が単に自発的なだけでなく熟知の上意図的にされたと認定できる。」

Kennedy裁判官「さて、犯罪の抑制と街路の安全に関する単行法(1968)3501条はどうしてそのような要請を満たさないのか。」

Hadley氏「3501条は被告に告知し被疑者に保護を与える確定的客観的な手続を要求するのではなく、単に全体の状況的テストに逆行するものだからである。そのテストはMiranda判決が機能不全として排斥するまで何10年間も国中の裁判所が格闘してきたものである。」

Ruth Bader Ginsburg裁判官「Hadley氏、私の理解によれば、全体の状況的テストから切り替わったMirandaは適正手続に関するもので、拷問の禁止とは異なるものである。あなたがこの点について明確に認識しているかはわからないが。権利を行使できることを知らせ、その機会を保障する権利を修正5条から根拠づけたのはMirandaが初めてである。」

Hadley氏「はい。」

Ginsburg裁判官「拷問からの自由を保障する権利ではなく、黙秘権があることを知らせ、それを行使する機会を与える権利である。それが自己負罪についての特権の解釈として要求されている。それで正しいか。」

Hadley氏「はい、Ginsburg裁判官。Miranda裁判所は伝統的な適正手続である全体の状況的テストから、より客観的、具体的かつ明確な手続にはっきりと焦点を移行させた。その手続とは個人が彼の権利を知り、彼に対する尋問者がその権利を尊重することを知り、それらの権利を放棄するならば熟知した上でなければならないという手続である。」

William H. Rehnquist裁判所長官「うむ、Hadley氏。あなたは移行したと言った。それは取って代わるとの意味ではないと私は受け取った。何故なら私は以前の任意性のテストは現在でも憲法の要求を満たしていると考えるからだ。」

Hadley氏「はい。」

Rehnquist裁判所長官「自白が任意に引き出されたものでければ憲法に違反する。」

Hadley氏「はい、裁判所長官。その通りである。稀な事案において、Miranda警告に従って得られた自白がそれでも非自発的になされたと考えられる場合がある。物理的威圧が現存しており、又は個人の意思を圧倒する他の形態の威圧がある場合である。しかしMiranda原則の利点はほとんどの場合法廷に明確な証拠を提供する点にある。」

Rehnquist裁判所長官「ふむ。あなたはそれが明確な証拠を提供すると言った。しかし私はこれまでMiranda原則を解釈しなければならない事案を多数扱ってきた。それらは50件くらいあった。従ってそれが容易に適用できる基準と言うのは神話に過ぎない。」

Hadley氏「謹んで不同意を表明する、裁判所長官。私の判例法の理解によれば、Miranda原則がまだ新規な頃はその解釈を争う事件が法廷に多数上ってきた。しかし判例の積み重ねによって解釈が争われることは少なくなっていった。開廷期毎に争点と格闘していたかつての全体の状況的テストと比べれば相違は明白である。」

Pensylvania v. Muniz 496 U.S. 582 (1990).

これはMiranda原則が限定的に解釈された例である。警察官が、飲酒運転の容疑で逮捕連行したMunizにビデオテープ録画を告知したが、Miranda警告なしに、名前・住所・身長・体重・目の色・生年月日・年齢の7つの質問と「6才の誕生日はいつか」という質問をした。ミュニッツは6才の誕生日を正確に言えなかった。これを録画したビデオを証拠として、ミュニッツを有罪にできるかが問題になり、連邦最高裁は、7つの質問の解答の模様は修正第5条の保障の範囲内に入らないが、6才の誕生日についての解答は身体による証拠ではなく心理状態による証拠だから修正第5条で保護されるべき「供述」であり、証拠として許容できないとした。

U.S. Const. Amend. V

No person shall be held to answer for a capital, or otherwise infamous crime, unless on a presentment or indictmentof a grand jury, except in cases arising in the land or navalforces, or in the militia, when in actual service in time of waror public danger; nor shall any person be subject for the same offense to be twice put in jeopardy of life or limb; nor shall be compelled in any criminal case to be a witness against himself, nor be deprived of life, liberty, or property, without due processof law; nor shall private property be taken for public use, without just compensation.

合衆国憲法修正第5条「何人も、大陪審の告発又は起訴なくして、死刑又はその他の不名誉刑を科せられる犯罪の責めを負わない。但し、陸海軍内で起った事件及び戦争又は公共の危機に際して現に役務を提供している民兵の内で起った事件を除く。何人も、同一の犯罪について生命・身体を再度の危険に晒されない。何人も、刑事事件において、自己に不利な証人となることを強制されない。何人も、法の適正な手続なくして、生命・自由・財産を剥奪されない。何人も、正当な補償なくして、私的財産を公共の用のため収用されない。」

日本の監獄

日本の刑期が諸外国と比較して軽過ぎるとの声が強いが、受刑者の被る苦痛は地球で1、2を争うくらい上位である。拘束率が桁違いである。アメリカには監獄にも最低限の道徳(受刑者と見張りの間にも)みたいなものがあるが、日本にはない。カナダは罰するとともに助けるという意味がある。日本は罰するというより、「見張り」の優越感のためのペットというのが実態である。

アメリカは罰というが、実際はキャンプみたいに、かなり自由がある。但しその分受刑者同士のトラブルは少なくない。過剰拘束という点と侮辱しまくるという点が日本の監獄の特色である。不要な命令しまくり受刑者を踏みつけて楽しむ。刑務所、少年院のどちらにも保護房と称する拷問がある。見張りの暴行も獄内では当然のことだ。刑務所は移動のさいに手足を伸ばし、歩きかたまで命令する。罵声、怒鳴りは挨拶代わりである。

労働法

労働協約の一般的拘束力

労働協約の一般的拘束力の目的については二説が対立する。第一は少数労働者の労働力の安売りを阻止することによって多数組合の労働条件規制権限を強化するための規定であるとする見解である。第二は少数労働者の労働条件を多数組合の協約の線まで引き上げてやることによって少数労働者を保護するための規定であるとする見解である。

事業場単位の一般的拘束力は、実際には多数組合の利益に役立つことがあまりなく、むしろ多数組合の協約への少数労働者の「只乗り」を許容し、かつ組合加入の利益を薄くするものとして、多数組合の利益に反する場合が多い。そのため、主として事業場の同種労働者の4分の3以上に適用される労働協約上の労働条件を当該事業場における公正労働基準とみなすことによって少数労働者を保護する規定である、と解される。

しかし、この制度には、4分の1以下の労働者の労働条件を多数組合の協約に統一することによって使用者による未組織少数労働者の優遇を阻止するという点で、消極的に、多数組合の利益に資する面がある。当該事業場における労働条件を画一化する点で使用者の利益に資する面もある。

朝日火災海上保険会社事件最高裁判決は、一般的拘束力の適用が、一部、未組織労働者に不利益な場合にも、その適用が、不利益の程度・内容・協約締結経緯、当該労働者が組合員資格を認められているかどうか等に照らして著しく不合理と認められる場合を除いて、効力が及ぶとした(最判平8.3.26労判691号16頁)。

信平狂言訴訟事件

北海道函館市在住の元創価学会員、信平醇浩・信子夫婦が事実無根のデマを捏造し、狂言訴訟を起こした事件である。信平夫婦は創価学会幹部の役職を悪用し、恐喝まがいのやり方で「多額の借金」を重ねていた。そのため、夫婦は学会役職を解任され、93年に脱会した。

その後、役職解任への逆恨みから創価学会を恐喝して金を取ろうと恐喝電話を繰り返すが失敗した。その仕返しとして「創価学会の池田大作名誉会長に暴行を受けた」とする事実無根のデマ手記を発表し、損害賠償を求め提訴した。原告代理人は瀬川健二、木皿裕之の両弁護士である。木皿裕之は橋本ひでのり後援会(岩手県大船渡市)に50万円寄付している(平成15年)。

東京地裁平成12年5月30日判決は信平夫婦の不当な目的を断罪し、訴えを却下した。「原告らは、禁止されている創価学会会員間の金銭貸借を幹部の立場を利用して繰り返し行い、会員に迷惑を及ぼしていることを理由に創価学会の役職を解任されたことを根に持ち、創価学会を脱会した後、墓地代金等の返還を求めたが果たせず、そのため創価学会本部に恐喝まがいの電話を繰り返しかけたが、なお功を奏さなかったため、その仕返しとして、信子の手記をマスコミを通じて公表し、その延長上のものとして、被告に訴訟上又は訴訟外における有形、無形の不利益を与える目的で本件訴えを提起したものであると推認されてもやむを得ないというほかない」。

妙観講元信徒による盗聴事件

宗教活動家の梅沢十四夫は妙観講信徒(当時)から盗聴を受けたとして損害賠償を求め、東京地裁に提訴した。妙観講元信徒である渡邉茂夫、実際に盗聴を行った調査会社「株式会社帝国リサーチ」、妙観講大草一男講頭、宗教法人理境坊、小川只道尊師、宗教法人日蓮正宗、宗教法人大石寺、阿部日顕法主を被告とする。株式会社帝国リサーチの代理人は木皿裕之弁護士である。

渡邉茂夫は盗聴の事実を認めた。「自分は、日蓮正宗に潜り込んでいたスパイ梅沢十四夫について、その自宅を電話盗聴して調査するよう、妙観講講頭大草一男氏から指示され、平成三年秋、調査会社を使って実行した。この大草氏の指示・命令は、指導教師である理境坊住職・小川只道尊師とも共謀の上でなされたものであり、これを決裁した責任者は日顕上人猊下である」と説明する。

東京地裁判決は渡邉茂夫と帝国リサーチによる電話盗聴を認定した。「被告渡邉及び同帝国リサーチによる本件電話盗聴は、その行為自体、密かに十四夫の通信の秘密及びプライバシー権を侵害するものとして、悪質であるといわざるを得ない」(東京地裁平成13年12月20日判決)。


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