風はどこから ~  山田みづえ俳句鑑賞

清水貴久彦

ふらんす堂


 

 文章とは長くても短くても書いた人を表わすことは確かなように思われる。清水貴久彦氏の俳句鑑賞は、どうしてこんなに面白く、飛躍し、どんでん返しをしつつ、こういう世界もあるものかと驚いたりすることが多かった。

 俳句はそもそもが、十七字の一行のうたをぬっと突き出した形で、あとは何も説明もない、寡黙な型である。私などは昔、 他の人に俳句はずるいと言われたものである。つまり俳人以外には、俳句は主題のまま提起しておいて、知らんふり。どうとも解釈して下さいと言わんばかりだ、ずるいと言うわけであった。

 短歌はほぼ作者の意図通りにわかるらしいし、現代詩はいづれ理解する人を求めて屹立しているのであるし、俳句とはまじ雑り合わぬ点がそれぞれに佳い。

 それやこれやを漠然と胸に思いつつ、 この清水貴久彦氏の所業、というとわるさのようだが、そうではない。彼の俳句鑑賞はかくの如く一書にまとめられているが、繙いてみれば、あっと驚く仕掛けになっているのである。

 興味しんしん津々というが、俳句がキイポイントになって、時に関節をはずしたピノキオの如き表情になったり、一種の機能説明広告のコピーの如く淡々と書かれて情緒をはさむ余地なしだったり、心の遊び(遊びごころとは少し異なるが)の自在なこと、私は自分の句ながら、こういう展開もあるものかと大変面白く拝見したのである。

 俳句が、省略をいい、 簡潔·完結性をいい、ストイックで寡黙、物の言えぬ詩型である故に、かえって自在奔放な鑑賞を宥し、別な翼と光茫を持ち得るのか、そうかそうかと頷きながら読了したのであった。それが、どれかとここに説き明かしたくない。それぞれが読み明し遊んで下さればよろしいのである。

 鑑賞に本道も邪道もわきみち傍道もえだみち枝道もないと言えるのか、何もない。その人の観方、読み取り方があるのみだろうと思う。選び方も同じであろうか。


 自分の句が、他のところで、跳ねたり飛んだり、澄し込んだり、バネ仕掛けになっているとは......。意外·望外のよろこびを原作者にもたらしながら、この一書は紛れもなく、いつも微笑しつつ眼前する清水貴久彦の一面でもあろうか。

 序文といっても中味は頁を繰って御覧頂きたく、かくの如く隔靴掻痒のものになってしまったことをご諒承願いたい。生れてはじめてインフルエンザに罹ってびっくりしつつ、癒ってすぐの文章と思ってご海容のほどを。

 これからの本業も余技の俳句も恐らく充実させつつの貴久彦氏を期待しつつ望見しつつ蕪筆を擱く。

   平成十一年 立春大吉
   山田みづえ

目次

1. よろこびのひとつひとつの青酸橘
2. 日輪をむすんでひらいて春の雲
3. 冬の日やいたる処に藪の神
4. 灯を消して桃咲く駅でありにけり
5. 扉を開けて花の匂ひの伎芸天
6. 春の夜の絵本につづきなかりけり
7. 花冷や俄かに泊る母の家
8. 七十の母がかしづく雛かな
9. 豆飯や母の襷のこむらさき
10. 泣き真似のやがて本音ぞ天瓜粉
11. 手花火や母には見ゆる吾が行方
12. 走馬燈暗きあたりに亡母のこゑ
13. 膝掛を家族のごとく持ち歩く
14. うらわかし皮脱ぐ竹の兄弟
15. 兄妹にはるかぜ海を見にゆかむ
16. 形代の男女ひらひら重なりぬ
17. ひらひらと人が過ぎりぬ賀状書く
18. 流星を見しより私だけの部屋
19. おしやれ眼鏡本読む眼鏡あたたかし
20. 思ひ立つ早寝早起き四月馬鹿
21. 汗もろとも本音を吐いてしまひけり
22. 寝返りてまだ序の口の昼寝かな
23. 白樺を経て来し風や昼寝覚
24. ハンモックくるりと天の汀見ゆ
25. 秋燕の天くつがへる河口かな
26. 黒南風やドミノ倒しに植木鉢
27. 人ごゑもポプラも颱風圏に入る
28. 一夜経て虫吐きにけり木の実独楽
29. 児童館まことしやかに夕焼す
30. 皮剥けば内明かあかと青蜜柑
31. 省略とは点と線との吾亦紅
32. 幾年棲めばふるさとといふ道をしへ
33. 山寺は山形市内野紺菊
34. メーデーの行くさきざきの赤躑躅
35. 火の粉撒きつつ来るよ青年焼芋屋
36. 冬木立カシオペイアを横つちよに
37. 花八つ手解剖室に水流れ
38. 蝸牛をつまむ微かに抗ふを
39. 袖囲ひして邯鄲を聴きゐたり
40. 鈴虫の死を見てみぬ振りの未明かな
41. 山彦は男なりけり青芒
42. 犬らしくせよと枯野に犬放つ
43. 畳屋に日がな叱られ羽抜鶏
44. 白きもの咥へ鴉も春の鳥
45. 小鳥来る双眼鏡つねに間に合はず
46. ふくろうふの眼ひらく音や雪の檻
47. いくたびも仔狐の来る星月夜
48. 雪をんな黙つてゐれば歩が揃ふ
49. 六地蔵のひそひそ話雪の風
50. 大年を雪もて閉ぢぬ楡林


 よろこびのひとつひとつの青酸橘  『草譜』

 さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい、ご用とお急ぎでない方は。四国は、阿波徳島からの直送。今朝入ったみずみずしいすだちだよ。ねえ、そこの若いお母さん、そうそうピンクのエプロンがよく似合う、美人のあなた。どうです、この新鮮なすだち。今日の晩ご飯、焼き魚によく合うよ。
 とでも言いたくなるような、鮮やかな色のすだちが籠に山盛りである。新しいとは、変化である。 変化すなわち喜びである。喜びがあるなら詩にしよう。詩になったら、その気分が人に伝わる。永遠に伝えたい? ......いえいえ、老化が進んで淀む前に、さっさとバトンタッチする準備ができています。それが若さというものです。ひとつひとつがコロコロと、一人一人が楽しげに。生まれたからには精一杯。おっと、肩に力がはいるのはいけません。そうそう、その調子。そのうち人生の達人になりますよ。
 嬉しいことは率直に、悲しいことは少し斜から、ぎょっとするようなこともさらりと言ってのける、山田みづえ(「木語」主宰)俳句の紹介です。一句掲げては、「木語」会員の一人が句にまつわる短い文章を書きます。
 さあ、お立ち会い。きょうのすだちは特別うまいよ。ねえ、お嬢さん。お肌のためには、ビタミンC。これですよ、これ。彼氏のために、短いけれど、心に迫る一句どうです?


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 日輪をむすんでひらいて春の雲 『手甲』

 とびぬけてスケールの大きい句である。孫悟空がきんと雲に乗っていくら飛んで行っても抜け出すことができなかったという大きな手をお持ちのお釈迦様が、お日様に向かってむすんでひらいてをして遊んでいらっしゃる。どこかの子供をあやしておいでなのだろうか。のどかな春の日。
 あんまり陽気がいいので外へ出てみた作者は、大空へ向かって手を伸ばし、太陽の光の中で手を広げたり握ったりしていたのだが、むすんでひらいての恰好によく似ているなと気がついた。この句の生まれた背景はそんなところかもしれない。いや、形だけではなく心まで、ずっと昔本当にむすんでひらいてをやった頃のように素直になった。うきうきするような春の日。
 ひょっとすると、どこかの幼稚園の光景かもしれない。先生を中心に、園児が輪を作っている。 大きな声で歌いながら、先生が手を前に出し、むすんでひらいてをやってみせる。その場でぐるりと回って、園児一人一人の顔を見て、さあみんな一緒に。園児も歌って、結んだ手を開き、また結ぶ。明るい日差しを揃って握りしめる。側を通りかかった作者は、しばらく立ち止まって眺めていたのであった。ほほえましい春の日。
 こんなにも大きく暖かい句に接すると、嬉しくなる。そして、十七文字の世界の大きさに圧倒される。草原に寝転んで、あの雲へ遊びに行く夢でも見ようか。


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 冬の日やいたる処に藪の神 『忘』

 某国立病院の院長であった荒瀬進氏は、幼少の頃生家の庭にあったポンペ神社という祠を毎日拝まされたという。私が直接聞いた話ではなく、司馬遼太郎氏の『この国のかたち』にそうある。ポンペとは、江戸幕府がオランダから招聘した若い軍医で、長崎において初めて日本の学生に体系的な医学教育を教授した。
 荒瀬氏の祖父君がポンペに学び、後その人柄と学問を妻に語り聞かせ、恩を忘れられないとして庭に祠を建てて朝夕拝んだ。その妻が孫である荒瀬氏を膝の上に抱いては、おとぎ話を聞かせるようにポンペ先生の話をしたらしい。
 多くの日本人は、唯一絶対で全知全能の神を持たない。この世のすべては神によって造られたというよりむしろ、生まれ出たと感じていた。自然のすべてに生命の躍動と喜びを見出して、それが神だと感じてきた。特に、この世で大きな役目を全うすることができた人は厳しみ敬うべき神になると考えた。ごく単純でおおらかな心でそう思った。
 偉大な人だけが神になるのではない。次第によっては動物や夜叉も神になる。外国人を神としてまつった荒瀬氏の祖父君の気持は、日本人なら理解に難くない。ただ畏敬の念と懐しさがあるのみ。掲句から、私は荒瀬家の小藪に囲まれた庭を思い、祠を思った。冬の日はいくぶんやわらかく、周りの藪の中には確かに我らの神がおわします。いい国に生を受けたものである。
 

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 灯を消して桃咲く駅でありにけり 『木語』

 田舎の駅の夜は早い。大都会ではまだ宵の口といわれる頃、数人の客を降ろした終列車が短いプラットホームを離れる。若い駅員がホームの端に立って列車を見送った。「よし」、小さくなった尾灯を指さし、次いで律儀にも帽子のひさしに手をつけて敬礼をした。駅舎に戻ってきた彼は、戸締りを終えると電気を消した。
 その時です、ホームの片隅がぼーっとかすんで少々華やいでいるのに気が付いたのは。何と桃の花ではありませんか。この前来たときは全く見過ごしていたのに、こんな所に桃の木があってちょうど今が満開です。駅長が好きで植えたのか、村の誰かが寄付をしたのか。ひょっとするともう何十年も前からここにあるのかもしれません。時々降りるこの駅が急に好きになりました。淡い闇です。
 とまあ、故郷の小さい駅の情景を重ねながら、こんなふうに句の景色を思い浮かべた。実際には東京近郊の住宅地の駅の、私鉄の最終電車が出た後の光景かもしれないが、私には田舎の駅であって欲しかったのである。
 みづえ先生の駅が出てくる句に「急行が飛ばす二三の花の駅」がある。これも電化されていない単線の田舎駅であって欲しいと思う。その駅のことが今でも忘れられなくて、今度その線に乗るときは、花の頃、普通列車に乗り換えてホームに降り立ってみたいと思っておられるに違いない、と思いたいのである。


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 扉を開けて花の匂ひの伎芸天 『手甲』

 伎芸天の名前を初めて聞いたのは、もう二十五年も前のことになる。英語の先生が学生である我々に、憧れの女性は奈良の伎芸天だったと話してくれた。なぜそんな話になったのか全く記憶にないが、その仏様に一度会ってみたいものだと思ったことは確かである。拝みたいとは思わずに会いたいと思ったのだから、誠に失礼であった。
 実現したのは、それから数年たってからのことで、京都の某大学で古美術研究会に属していた弟に頼んで連れていってもらった。近鉄大和西大寺の駅から歩いて秋篠寺を訪ねたのは、私の時もちょうど花の季節であった。その日は参拝客がほとんどなく、そっとはいった本堂は少々暗かったが、ふわりと暖かかった。今、この句を読んで、あのとき伎芸天を包んでいたのは花の匂いだったのかと思う。憧れの目を注ぐ参拝客の吐息だったかもしれない。
 しかし、うつむき加減のお顔が寂しそうに見えた。二十歳を過ぎたばかりであった私は、この雰囲気が大人の男を捕らえるのかと思いながら、大柄なお姿を見上げていた。確か、弟も私も無言のままであった。ひょっとするとこの仏様には美貌であるが故のお悩みがあったのかもしれない。もしそうなら、花の匂いは伎芸天のため息である。
 その後時々弟は、私を誘って京都や奈良の仏像を案内してくれた。ところが、ある頃から全く声をかけてくれなくなった。理由は明白。連れていくのが無粋な兄から恋人に変わったのである。


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 春の夜の絵本につづきなかりけり 『木語』

 なぜ、続きがないのか。
 その一、 幼稚園へ行くようになった子は、さすがに緊張して帰って来ます。はしゃいで一日の出来事を母親に話すのですが、夕食が済むともう眠そうな顔をしています。寝床で、いつものように絵本を読めとせがんでいたのに、いつの間にか眠ってしまいました。今夜は、「そして、そしてどうなるの」という質問がありません。
 その二、 せがまれて、絵本を読み始めました。久しぶりの父親の役です。どうだ、お母さんよりうまいだろう。ところが、話の結末のページが破れてなくなっているではありませんか。「おーい、この本、最後のページがないぞ」と家内に声をかけました。家内はもう何度も読んですっかり暗記しているのだそうです。
 その三、 少々込み入った事情で、子供と別れなければならなくなりました。そんなこととは知らずに、今夜も絵本を読めとせがみます。この子に読んで聞かせてやるのも今日限りです。いつものように読むことができず、途中何度も引っかかりました。「この続きは明日にしようね」と言ったものの、明日の夜はもうこの家にいません。
 その四、 子供に絵本を読んでやっているはずの父親が先に眠ってしまいました。話は途中で終わり。子供に「今時の親は扱いやすいね」と言われる、そんな落語がありました。


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 花冷や俄かに泊る母の家 『木語』

 作者の家から母君の家まではそう遠くない。しかしあまり近くもない。遠ければ最初から泊るつもりで出かけるに違いないし、近ければやっぱり帰るからとサンダルでも履きそうである。また、作者も母君も一人暮らしであろうと容易に想像できる。中七と下五がそう思わせる。
 着てきた上着を脱いでしまいたい陽気なら、「お母さん、ブラブラ歩きながら帰ることにするわ。桜もちょうど見頃だし」 ということになりそうであるが、その日は夕方から急に冷えた。花も蕾を堅くした。
 そんなに込み入った話ではないのだけれど、二人で相談しておきたいことが二、三ある。やや熱めの、渋いお茶をすすりながら、先ほどからしゃべり続けている。時々、とんちんかんな返事をしたり、次の言葉がなかなか出てこない母親を見て、いくつになったのかと考えてみる。夫を亡くしてもう何年になるのか、軽口をたたきながら数えてみる。
 そういう日は、二人枕を並べて寝るのであろうか。昔読んでもらった絵本のことなど思い出しながら。
 『木語』の中に、「春の夜の絵本につづきなかりけり」の句がある。どういう結末だったのか一度作者に聞いてみたいものだと思っている。


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 七十の母がかしづく雛かな 『木語』

 雛人形というものを間近に見たことのなかった私に、妹を持つ友人が、一度見せてやるからと招待してくれたことがある。 大学を卒業する直前の雛祭りの日であった。当の妹さんは不在であり、その後も結局会わずじまいであるが、やや暗い部屋に飾ってある雛人形に妖しい雰囲気を感じた記憶がある。その時初めて飲んだ白酒は、それほどうまいとは思わなかった。
 何年か立ち、結婚して女児に恵まれて、狭い部屋ながら雛人形を飾ることになった。そして、家内の祖母の大切にしていたという雛人形を見る機会も得た。 二回目の白酒は、結構いい味がした。
 どんなに慈悲深いお顔の仏像でも、博物館のガラスの中におわしては、参拝者の心が通じまい。お寺の本堂、村の辻堂など、仏様をお慕いする者が直接お顔を拝める場所、直接手の届く所にいて下さってこその有難みである。
 いくら立派な雛人形でも、展示されるだけではかわいそう。いとおしんでくれる人があれば人形にとって何よりの仕合せ。両親に甘えてはしゃぐ女の子が側にいるのもいいけれど、実は、人の世を長く生き抜き、静かな目と穏やかな心を持ったご婦人に見守られているのが、もっと嬉しい。
 『木語』に母君の句は多いが、掲句とともに「母据ゑて白酒の香のひろごれり」という穏やかさが好きである。


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 豆飯や母の襷のこむらさき 『木語』

 『木語』に多い母の句の中では異色の句。母の句というより、色彩の句というべきか。
 初夏と言えば、緑。その鮮やかな緑を食卓に、それも白いご飯の中に持ち込んだ日本人の智恵。ちょっと塩味の効いた豆飯だから、それだけで思わず「おかわり」と大きな声が出てしまう。
 大好物の豆飯を食べて行けと言って台所に立った母君は、紐の端を口にくわえると、両肩にくるくると回して襷を掛けた。襷の色は濃紫。きりりと見える。和服の色が白っぽかったので余計に映える。粋ですね。
 この豆飯が嫌いな者がいる。十人十色なのだから当然ではあるが、あまりにも身近にいて仰天している。父親も母親も兄も豆飯が好きだというのに、高校生になる娘だけが嫌いだと言って、わざわざ豆を除けてから食べている。小さい頃はそうでもなかったのに、数年前から<奇行>に走るようになった。一体何が起こったのか。味覚が欠如しているのか、それとも色彩感覚がないのかと、からかっては、「そんなことを言うからますます嫌われるのよ」と家内に諌められている、
 「一度きりっとした色の襷をかけて台所に立ってみたら」と家内に言って見ようかと思っている。その姿を見れば、わが娘の味の好みが、ひょっとして色の好みも、変わるかもしれない。

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10 泣き真似のやがて本音ぞ天瓜粉 『忘』

 女は感情の生き物である。女性に論理がないというわけではなく、男性は理屈だけで情がないというのでもない。どちらかというと女性の方が感情を全面に押し出し、理詰めというより好き嫌いで物事の判断をすることが多い、という位の軽い気持である。
 それでも多くの方々からお叱りを受けそうである。女性を蔑視するのか、男でも感情が先に立つ人がいるではないか、等々。何も情より理が上だと言っているのではない。 誤解なきよう。
 風呂から上ったら天瓜粉を塗ってやろうと待ちかまえていた母親のそばをすり抜けた子供が、何につまづいたのか転んでしまった。母親は、「立ってこっちへいらっしゃい」と言うだけ。注意を引くために泣いてみたものの、やっぱり来てくれない。もっと大きな声で泣いても、家族の誰も起してくれない。そのうちだんだん悲しくなって、本当の泣声に変わった。
 この子はおそらく、女の子。数学者で文化勲章受章者の岡潔氏は、著書『風蘭』(講談社)で次のように言っている。「六つぐらいのときは、男·女性をあまり問わずに寄って遊ぶようですが、六つの女の子が、はっきりうそ泣きをしてみせるのを見て、六歳にして女性はすでに俳優的天才を表すのか、と感心した。」
 もし、男と女で情緒の発達過程が根本的に異なるなら、どこかで男女別々に教育する時期があってよいかもしれない。


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11 手花火や母には見ゆる吾が行方 『木語』

 手花火の代表は何と言っても線香花火。火をつけてから、何種類かの火を吹き、途中でいったん真っ赤な球を作って後、小さいながらにぎやかな花を咲かせ、最後に風にふかれる柳の枝の姿を見せて静かに終わる。
 幼少期、そして雌伏の時期を経て後の壮年期、さらに老年期を見事に表した夏の夜のまことに小さな興業である。それを、人生をこれから迎えようという子供が手に持って、両親や祖父母に囲まれながら興じるのだから、何とも皮肉な光景である。
 見守る親は、自分の子の選ぶ花火の種類、火のつけ方、花火を持つ仕草、友達の輪の中での位置などから、その子が将来どのような花を咲かせるか判断しているのであろう。特に母親は、自分の過去を振り返り、娘の生涯を占い、心配と願いが交錯する。 
 掲出句は作者四十半ばのもの。「悪女たらむ氷ことごとく割り歩む」という決意のような願いのような句を「鶴」に発表してから、約十年後の作品である。さらにその十年後に俳誌「木語」を創刊することになる作者であるが、線香花火でいうとちょうど赤い球の時代に相当する。それからさらに十五年。さて、母君の予言通りに作者の人生が展開したかどうか。句の前書きに、曰く“私の老後には及ばないね”とある。作者に本当にそうか聞いてみたいが、「まだ老後じゃないよ」と言われてしまいそうである。


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12 走馬燈暗きあたりに亡母のこゑ 『草譜』

 学生時代を過ごした岐阜に二十年ぶりに戻ってきて、今、金華山のふもと、長良川の近くに住んでいる。久しぶりに訪ねた下宿のおばさんが、何を思ったか岐阜提灯をくれた。淡い水色の提灯を部屋の隅に置いた。仏間がないので、家の中で一番上等だと思う部屋である。現代版の提灯は電気を入れると影絵が回る。
 決断力に乏しい私は、学生時代、おばさんによく相談をもちかけた。どんな些細なことにでもいやな顔一つせず、独特の考えを聞かせてくれたものである。あの頃のはつらつとした声と顔が懐しい。何でもかんでも、一刀両断に処理して「私には怖い物なんて何もない。もう、大抵の経験は済ませたから」と口癖のように言っていた。ところが、最近、いつまでも結婚しないと嘆いていた長男が、四十半ばにしてやっと連れ合いをみつけたので安心したのか、目と足がまずだめ、身体も思うようにならないと言う。
 まさか、万一の時を思って私にこの提灯をくれたのでもあるまいが、妙に気になる提灯である。そんな中年男の気持にかまわず、草花の影がくるくる回っている。提灯の淡い光は人を思い出すのにちょうどいい。遠い人の声が、提灯の向こうの暗がりから聞こえてきそうである。作者は走馬燈の影の部分から母君の声を聞いた。
 同じ『草譜』の中に「しんしんと母亡き年の湯に在りぬ」がある。こういう思い出し方もある。身体の底から懐しい。


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13 膝掛を家族のごとく持ち歩く 『草譜』

 子供にはそれぞれ大切にしている物がある。大人の目にはたとえつまらなく映るものでも、その子にはかけがえのない宝物であるらしい。箱の中にきちんとしまってあったりする。
 物の価値など分かるはずもない一歳数か月の幼児でも、非常に大事にしている物はある。それが側にあるだけで、泣き止み、落ち着く。その子にとってはまるで母親のような存在である。おもちゃか縫いぐるみのようなものであれば合点もいくが、持ち歩くのはただの布団カバーであった。手垢ですっかり黒ずんだカバーの隅を握って、臭いをかがないと寝つけないのである。旅行の時も必需品であった。
 少し明るい色合いの軽くて暖かな膝掛は、作者のお気に入り。机で物を書くときも、ちょっとくつろいでお茶にするときも、そして友達との少々長目の電話のときも、いつも膝にかけている。服なら毎日着替えるけれど、膝掛は常に一緒である。まさか、臭いがしみこんでいるわけではなかろうが、側にあるだけで十分な、優しくてしっくりするもの。それを家族と作者は言った。 一人暮らしの作者は、この時期既に「木語」の主宰者であり、毅然とした女丈夫であった。
 布団カバーの端をことのほか大切にしていた男の子は、高校生になったが、親離れできずに、反抗したり甘えたりしながら、今夜もソファーでいつもの毛布をかぶってうたた寝をしてしまった。なるほど、平成になって男はますます軟弱になった。


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14 うらわかし皮脱ぐ竹の兄弟 『忘』

 本当に若いということはいいことです。未熟だなどと言って切って捨ててはいけません。これから伸びる可能性を秘めているということではありませんか。そりゃあ、若い時の苦労は買ってでもせよという人もあります。でも、このぎすぎすした世の中、すくすく育って、竹のように真っ直ぐな人がいてほしいものです。
 竹の子が一枚一枚皮を脱いで成長していくのを見るのはすがすがしいし、また愉快でもあります。しかし、早く顔を出したものもあれば遅れたものもある。成長の速いのもあれば遅いのもある。竹薮で伸びるそれぞれはまるで兄弟のように思えます。
 そんな雰囲気を素直に伝えた句です。うらわかしという措辞が脱皮の時期を的確にとらえております。並んで伸びる二本の竹に目をとめ、ライバル意識むき出しの競争相手と見ずに、兄弟ととらえたところがこの句の良さかと思います。
 とはいえ、もし兄弟にライバル意識が生まれたら、兄弟であるが故にすさまじく、つらいものです。また、ただ真正直なだけでは、人の世の中で本当に役に立ったり大きな仕事をすることはできません。嘘も必要、手を汚さねばならないこともある、と考えるのは若くない証拠でしょうか。
 なお、きょうだいという語の出て来る句「兄妹に雑木の花の降る日かな」が『木語』の中にありますが、この組合せからは優しさと甘えが感じられました。


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15 兄妹にはるかぜ海を見にゆかむ 『草譜』

 私の勤務先に、高校を卒業するまで家から離れたことはなく、両親に大切に育てられた女性がいた。大学へ進むため大都会へ出て、そこで多くの物を見、多くの人に出会い、お定まりのように恋をした。しかし意外に慎重で、互いの気持を確かめるにとどまった。
 卒業を前にして結婚を決意した二人は、そろって女性の両親の前で頭を下げた。祝福してくれると思っていたのに、大反対にあった。娘に見合い写真を用意して意気込んでいた二親にとって、この話とその男は大変な衝撃であった。高校までの娘ではないと頭では理解できても、目の前の子は自分達の手の届くところにいるはずである。母親はわめき散らした上に、泣き崩れ、それを見た父親も冷静さを失い、つい「親子の縁を切る」とまで言ってしまった。
 彼女が精神病院勤務の兄を訪ねたのは翌日。若い精神科医は妹の血走った目をみて、外へ出ようと病院の裏山へ誘った。歩きながら、妹が思い詰めている男がどんな人間なのか、妹の話とゆうべ電話で両親から聞いた話を頭の中で比べながら考えてみる。両親と妹の気持ちを推し量ってみる。さて、あまり自信はないけれど、一肌脱ぐとするか。精神科医としてではなく、兄として。「あそこまで登ると海が見えるぜ」。二人の間を春風が吹き抜けた。
 両親の仲人だった方が仲に入り、やっと許しが出たのは一年後。彼女は現在、三歳の男児と一歳の女児の母である。


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16 形代の男女ひらひら重なりぬ 『草譜』

 物には人の心が乗り移る。宝石、骨董品など多くの人が欲しがる物はことさらそうである。また、喜びが比較的早く消え失せるのに対して、恨みはいつまでも消えず、絡みついて離れないのだと、どこかで聞いた。
 物にまつわる怨念を取り去るにはどうするか。いくら水で洗っても無駄である。消毒薬の効果もない。想いは断ち切るに限る。そのためにはお祓いがよい。新しい物が生まれるようにすればよい。
 物ですらこうだから、人が切り離せずにいる想いは数しれない。明日のために、未来のために、恨みも、妬みも、怒りも、すべての穢れを祓ってしまおう。今日は名越の禊ぎの日。嬉しかったことや楽しかったことも一緒に流してしまう。たとえいい思い出であっても、こだわるということがよくない。
 裃を着たかのように肩が張っているのが男の形代。女の形代はあくまでなで肩に、腰の部分をややふっくらさせてある。同時に手から離れた二枚の形代がひらひら舞って、水面に着く寸前に再び一緒になった。この二人の一年間に何があったとしてもいいではないか。すべての想いをこの形代に移して、水に流してしまうことにしよう。
 ところで、水に流す以外の清める方法はといえば、酒、塩、幣、火打ち石。それから、鍛えれば人の声でも悪霊を追い払うことができるそうだ。


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17 ひらひらと人が過ぎりぬ賀状書く 『草譜』

 年の瀬も押し詰まって、やたら気ぜわしいのだけれど、年賀状だけは書いておきたいと思う。新年を迎えてから、すがすがしい気持でお祝いを述べる方がいいのだろうが、それでは手に届くのが松の内の後半になってしまう。だから、世の中の大抵の人は、年内に書いて投函してしまう。
 それでも、昨年、いや正確にはその年の始めにもらった年賀状を読み返しながら、何年も会わない友人や親戚を次々に思い出したりする。その思い出がまた別の人の思い出につながったりして、懐かしくはあるのだが、次の人の宛名を書き出すと、もう思い出の場面が変わる。年賀状の仲はしょせん年賀状の仲。一晩中考えに考えて書き上げたことのあるラブレターの相手とは比べものにならない。
 逆に、私に年賀状を書いてくれる誰かの頭によぎる私は、はたしてどんな重さであろうか。重い存在であって欲しい? いえいえ、とんでもない。忘れ去られるのはちょっと寂しいけれど、相手の胸の中をひらひらと通り過ぎるくらいであって欲しい。それくらいがちょうどいい。
 人間一人の命は地球よりも重いと誰かが言ったが、友人の出世を妬み、会議で恥をかかされて腹を立てたきょうの自分を振り返れば、自分の命の比重は小さい方がいいと思う。ちなみに、物としての人間一人の重さは、地球の重さの10²³分の1にすぎない。


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18 流星を見しより私だけの部屋 『忘』

 一読して女性の句と思える句である。「流星を見し」というだけでも女性的であるのに、「私だけの部屋」とくればもう決定的。加えて、若い人の句に違いない。そこはおそらくこぢんまりした部屋で、まことによく整頓されている。流れ星を窓から見たのは、もちろん作者が一人でいる時。すかさず願い事を一つした。
 たったそれだけのことなのに、小さな秘密ができたような気がした。それほど広くもない部屋だけれど、これで十分。家具調度があるべき所に端然と治まり、また、自分がいる場所もぴったりと決まっている。まさしくここは私の部屋であり、他人が入って来られない領域なのである。そこには張りつめた空気がある。
 「木語」の同人宮川由美子氏に『部屋』という名の句集がある。命名時に師匠のこの句が意識に上っていたかどうかは分からない。しかし、普段生活する部屋とは別に、みづえ先生の句と自分の書の軸と香炉の他は何も置かない部屋がある、との文章を読んだとき、それこそ自分だけの部屋であろうと思ったものである。 
 弟子の宮川氏が「だんだんに部屋狭くなる雪あかり」を作ったのは三十歳を越えた頃。師匠が掲句を作ったのは三十代半ばのことである。五十になった私は今、書斎と物置と家内の仕事場兼用の雑然とした部屋で、女性のきれいな部屋を想像しながらこの文章を書いている。


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19 おしやれ眼鏡本読む眼鏡あたたかし 『まるめろ』

 大抵の人はいつも同じ眼鏡をかけている。家にいるときも、勤めに出るときも同じ眼鏡。レジャーとお葬式の眼鏡を使い分けている人は多くない。めがね屋の宣伝をするわけではないけれど、時と場合に応じて洋服を替えるように、眼鏡も替えてみてはどうか。
 どうしても目を通しておかねばならない資料があって、今朝から根を詰めて数時間が立った。気が付くと、もう昼前。コーヒーを入れて、一息ついた。居間には柔らかな日が射し込んでいる。どうやら外は暖かくなってきたらしい。散歩にでも出かけようと、明るい色のセーターに着替えた。そうだ眼鏡もあっちのにしよう。お気に入りのおしゃれな眼鏡に替えて、華やいで見える。道で会う知らない人まで会釈をしてくれる。よっぽどこちらが機嫌よく見えるのだろうか。ちょっと眼鏡に手を添えて、ほほえみ返す。
 下着に金をかける人もあり、それこそが本当の贅沢と聞いたこともあるが、眼鏡は顔の中央に位置し、他人からいつもまともに見られる物である。自分の看板のような存在かもしれない。それならやっぱり、金をかける価値がある。目が悪くなくても、イメージチェンジのためにいくつか眼鏡を揃えておくのも悪くない。
 いよいよ、めがね屋の宣伝になってきた。かく言う私も、眼鏡をちょくちょく替えるが、それは物がよく見えないから。近視に、乱視に、そして老眼。おしゃれからはほど遠い。


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20 思ひ立つ早寝早起き四月馬鹿 『草譜』

 新年を迎えて、今年は日記をつけてみよう、今年こそはタバコをやめるぞ、などと思いはするのだが、なかなか長くは続かない。多くの方が三日坊主を経験し、軽い自己嫌悪に陥った経験をお持ちだろう。
 時は春。官庁も学校も、四月一日に新年度を迎える。三つもあった再試験を何とかこなして進級することができた。最後の学年くらい遅刻せずに講義を聴くとするか。さあ、明日から早寝早起きをするぞ。家族に宣言して、目覚しをセットした。布団に入ったのはいつもより二時間も早かった。
 ところが、目が醒めたのは八時。あれ、目覚しが壊れていたかな。あわててシャツを着る。ちぇっ、結局いつもと同じか。自分が少しだけ情けなくなる。台所へ行ってトーストを頬張ると、母親に言われた。「今日から早起きじゃなかったの」。無言で牛乳を飲む。妹がすかさず言った。「エイプリル·フールよね、お兄ちゃん」
 大学最後の年を暗示するお粗末な話ではあるが、まあこんなものかと思う。早寝早起きができるようでは俺ではない。これくらいだから、わが家のバランスが保たれている。いろんなのがいて世の中うまくいっている。どうせ、ちょっと思いついた軽い決心なのだから、深刻に反省するまでもあるまい。四月という月は、怠け癖の直らない者が少しだけ反省する月である。


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21 汗もろとも本音を吐いてしまひけり 『木語』

 今日の試合は上出来だった。こんなにサーブがうまく決まったのは初めてである。ラケットがいかにも軽く感じられた。テニスの試合でライバルチームに予想外の点差で勝って、出てくる汗も心地よい。純白のタオルがきらきらしている。
 「見事だったわね」「さすがに、我が校のホープ」「彼と組むときは息がぴったり合うわね」「ペアはいつから組んだの」「テニス以外の話もするの」友達は次々に誉めてくれた。そしていろいろ尋ねられた。汗を拭きながらの会話の中に、私の本音が隠れていた。いや、さらけ出してしまった。あのことは見抜かれたに違いない。このことはうっかり喋ってしまったけれど、気付かれなかったかな。
 綸言汗のごとしといって、君主が一度口に出した言葉は出た汗のように二度と引っ込めることはできないのだよ、と教えられたが、俗人の言葉でも一旦口から出てしまえば引っ込めるのは至難の業である。それでも、しまったと思えば修正に躍起となる。まるで、吹き出た汗を拭うかのように。
 大抵の人は、少し酔っぱらって顔が火照りだした頃、口数が多くなる。アルコールは一種の麻酔薬であるから、脳の働きを鈍らせ、喋るのが抑制されそうなものだが、その前に抑制中枢を麻痺させてしまうので多弁になるらしい。そして、隠していた本心が出てしまう。「酒の席のことだからなかったことに......」ではなく、酒の席だからこその本音なのである。こういう時の汗は冷や汗である。


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22 寝返りてまだ序の口の昼寝かな 『まるめろ』

 よほど疲れていたのか、ちょっと横になろうと思った時には、もうまどろんでいた。まだ片づけなくてはならない仕事は、あれと、これと、それから......、と順を追って頭の中で整理し始めたはずだったのだが。
 そんなときには決まって夢を見る。どこかの広い運動場を一生懸命走っていた。にもかかわらず、少しも前に進まない。後ろからコーチが怒鳴った。「お前はやる気があるのか」「それ、もう一周だ」この辺が限界です。止めます。もう、十分です。
 ちょうどその時、縁側から風が吹き抜け、無意識に、いや体勢を立て直そうと半ば意識して、寝返りをうった。まだ走り出したところではないか。私は大器晩成。父も母もそう言っていた。生まれてすぐに見てもらった易者もそう言ったという。えーい、なんとかなるわい。さあ、これからが本当の昼寝。誰も邪魔をしないでくれ。眠りは、序二段、幕下、十両とだんだん深くなる。
 それにしても、昼寝の序の口とは恐れ入る。こういう表現が平気でできる作者は、横綱の貫禄。そしてこの大器は晩成ではなく、若くて不動の地位を占めた。いきなり幕下付け出しで、その後はトントン拍子で出世した。
 よく寝た後の感想を同じ作者は、「暑き日の昼寝は少し死ぬに似て」と詠んでいる。そうだ、死ぬ気になれば何でもできるのでした。


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23 白樺を経て来し風や昼寝覚 『手甲』

 句集『手甲』の中で最も爽やかな句の一つ。夏休みに高原でキャンプしている女学生が作ったかと思われる一句。生きていることの嬉しさを詠った青春の句。
 何人かの友人や学生に作者の性別をたずねたてみたら、全員が女性と答えた。作者の年齢については、十代か二十代前半にちがいないとの答えが多かった。普通のテイーンエイジャーでは「経て来し風」に「昼寝覚」の絶妙な配合は少々無理かと思えるが、上五の「白樺」が若い女性作者を連想させるらしい。
 朝のテニスを終えた後か、それとも近くの尾根まで登ってきたのか、少しばかりくたびれて木陰でまどろんだら、涼しい風が白樺の林の方から吹いてきた。頬に当たる風をしばらく楽しんで、パッと起き上がる。さあ、午後は何をしようか。楽しさが胸の奥から沸いて出る。
 作者何歳の時の句であるか私は知らないが、仮に二十歳をはるかに越えていたとしても、目覚めて高原にいた作者は暦で数える年齢よりもずっと若かったはずである。身体の動きと目の輝き、それに張りのある声。とにかく若い。そうでなければこの句は作れない。
 厳しく強い句の多い作者であるが、私は掲句のようなすがすがしさ、のびやかさも好きである。『手甲』の中に「佳き言葉展ぶるに似たり朴若葉」を見出したときも嬉しかった。


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24 ハンモックくるりと天の汀見ゆ 『草譜』

 京都府に海があると言うとびっくりする人がたまにある。どうやら、山城の国が頭に浮かぶらしい。しかし、京都府は南東から北西に結構長い。北の端は丹後の国で、日本海に面している。
 日本三景の一つ天の橋立は、その丹後の国にある。私は、その中でも辺境の地、奥丹後で生まれ育った。天の橋立には遠足などで何度か行ったが、日本で三本の指にはいる名勝だと思ったことはなかった。言われるままに股覗きもしてみたが、子供心にアホらしいと思っただけであった。
 高原のキャンプ場であろうか、木陰のハンモックで一時を過ごした作者が、降りようとして一回転したとき見た青い空と遠い山並はことのほか鮮やかであった。空と山との境に沸き立っている雲が、まるで汀に寄せる波のようであった。かいまみた天の汀は誠に雄大であった。
 物と物とが交わる辺りの広がりと美しさ、さらにそれを逆さにして見た場合の景色と雰囲気、そんなおもしろさが分かるのは大人だけかもしれない。もしそうなら、生きて歳をとることはいいことである。さらに、自分の感動を言葉にして他人に伝えることは並大抵ではない。しょせん子供には無理な話である。
 今度帰省する時には、天の橋立に寄って、もう一度股覗きをしてみよう。見えなかった何かが見えるかもしれない。


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25 秋燕の天くつがへる河口かな 『草譜』

 燕は夏鳥。春渡来して、秋には日本で生まれた若鳥とともに南の国へ帰って行く。日本で見られるのはツバメ、コシアカツバメ、イワツバメ(以上ツバメ類)等、そして種類の異なるアマツバメ。
 頬と喉が赤く、胸は白、そして尾が二つに分かれて長いのがツバメ。まさしく燕尾服の語源である。腰の部分が赤く、胸腹は橙色、とっくりを半分に切ったような巣を作るのがコシアカツバメ。小さい頃この燕を初めて見たときは、何かに襲われて毛がむけ、赤い肌がむき出しになっているのかと思った。イワツバメは山地や海岸の崖にいて、胸が白く、尾の切れ込みが浅い小型の燕である。
 作者が河口で見た秋の燕はおそらくアマツバメであろう。広げた羽が鎌のように鋭くて長い。私も、双眼鏡の視野にはいったアマツバメを上下左右に追っかけて、点になるまで見続けたことがある。時に山の稜線を横切り、雲と重なる。まるで天がひっくり返るようでようであった。ついには、秋空に吸い取られるように見えなくなった。
 背景が逆さになるという描写は、作者の得意とするところである。句集『草譜』中に「ハンモックくるりと天の汀見ゆ」、「光と来て海さかしまに小鯵刺」など、清々しくて、切れ味抜群の句がある。
 一方、掲句を見てすぐに思い浮かんだ句は「床ずれや天に寝返るつばくらめ 秋元不死男」であった。こちらは天がくつがえらずに、燕が宙返りをしている。病床の患者は動けない。


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26 黒南風やドミノ倒しに植木鉢 『まるめろ』

 みなみ風、すなわち夏の風。元々は漁師の言葉だと教わった。初めてこの「はえ」という言葉を聞いたのは、中学生の頃であったろうか。丹後半島の先にできたトンネルの名前が「しらはえ」と命名されたときのことである。南風と書くとは思いもよらず、白い蝿とは奇妙な名前を付けたものだと思ったものである。白い鮠のことかとも思ったが、海岸線に川魚の名前でもあるまいし、さて。
 もちろん、しらはえの正解は白南風。そして、掲句のはえは黒い方の南風。まだ梅雨が明けておらず、南から吹く風はいかにも重い。だからこそ、かなりの力がある。庭に並べておいた植木鉢が、次々に重なって倒されてしまった。
 ああ、大事な植木鉢が大変だ。すぐに起して、花が、木が大丈夫かどうか見なくてはならない。そして、多少の風では倒れない安全な場所にしばらく移し替えることにしよう。いや、ひょっとして、この句の作者は、連続して倒れていく植木鉢を見ながら、その倒れっぷりの見事さに見惚れていたのかもしれない。
 これをドミノ倒しに見立てたみづえ先生の感覚に、今さらながら脱帽。作者六十五歳の時の句と知って、その驚きが一層深くなった。息が止まる感じである。頭の中で、私の小さなドミノが音を立てて倒れていく。こういう若くて、パンチのきいた句を作ってみたいものである。さあ、もう一度ドミノを並べ直して、師匠に挑戦です。


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27 人ごゑもポプラも台風圏に入る 『まるめろ』

 天気予報が台風の接近を告げているのに、外は異常なほどの静けさに包まれることがある。ただし、決まってムッとするような重い空気である。早足で表を通り抜ける者があるかと思えば、戸締りを始める用心深い人もある。空を見上げると雲の動きが速い。雨が降り出す前には家に着きたいと思う。
 風が強くなって、街路のポプラが大きく搖れ始めた。向こうの角で何か指図する男の声も、こっちの方へ吹き飛ばされて来た。もう、ぐずぐずしてはいられない。ここらはすっかり暴風雨圏内に入ったらしい。急ぐとするか。天気予報に狂いはなかった。
 それもそのはず。最近は気象衛星その他の通信網の発達で、雲の動きが手にとるように分かる。テレビを見れば、渦巻型の台風の雲がどれくらいの大きさで今どこにあるのか素人にでも判断できる。もちろん、専門家にしか分からない情報や分析方法もあるだろうが、今や国民のほとんどが一端の天気予報官である。 ......列島沿いの前線が刺激されて大雨になりますね。中心の気圧が九六〇ミリバールだそうですから、こりゃあ気を付けないといけません。
 おっと、気圧の単位がヘクトパスカルに変わったのでした。この新しい単位にはあまり恐ろしい響きがありません。そういえば、戦後しばらくは台風にアメリカ人女性の名前をつけたと聞きました。第何号と呼ぶよりも女性の名前の方が確かに恐ろしい。


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28 一夜経て虫吐きにけり木の実独樂 『木語』

 山歩きから帰った子供達は玄関先で履物を脱ぎ捨てると、ポケットやハンカチの中から取り出した団栗を、テーブルの上に積み上げた。まさしく団栗の背くらべ、どれもたいして変わりがないように思えるが、それでも一生懸命形のよさそうなものを選んでは、マッチ棒を差し込んで独楽にする。またたく間に十数個の木の実独楽ができた。
 回りそうでなかなかうまくいかない。すぐにバランスを崩して倒れてしまう。それでも何個かよく回る独楽が残った。次はどれが一番よく回るか競争である。随分長く興じる声がしていたが、いつのまにか静かになって、テーブルの上に散らかった独楽が残った。
 子供達の飽きっぽさにあきれながら、翌日その独楽を片付けようとして、側に、這い出た虫を見つけた。這い出したというより独楽が吐き出したかのように思える虫一匹。独楽になった団栗、独楽にならなかった団栗、吐き出された虫、みんなまとめてごみ箱へと思ったけれど、ちょっと待て。
 来てご覧、独楽の中から虫が、と子供を呼んだ。飛んで来て丸い目でその虫を確かめると、他にもいるかどうか、音がするはずもないのに、一つずつ振ってみている。くりくりの目を団栗まなこと呼ぶことは周知の通り。しかし、いかに丸い目でも白人には当てはまるまい。団栗の色は日本人の目の色である。


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29 児童館まことしやかに夕焼す 『草譜』

 団地ができて二年目、整備も進んで、ずいぶん便利になった。生協ができたので、買い物は簡単。内科、小児科と続いて建って、これも一安心。小学校は丘の上に赤い屋根を光らせている。つい最近、団地の入り口のバス停近くに児童館が完成した。
 一階はちょっとした図書館で、二階にいくつかの集会室。そこには視聴覚機器も置いてある。さらに贅沢なことに、児童館の横には芝生を敷き、ブランコ、ジャングルジム、古タイヤを並べた子供の広場がある。
 団地へ帰る父親がそのバス停で降りるのは、毎日七時を回っているが、日が長くなったこの頃、遊びに夢中の子供達の姿を見ることもある。退社前に上役と口論した後味の悪さを思い出しながら、この子らはこの子らで結構悩みもあるのだろうか、明日の朝はとりあえず謝っておこうかと、弱気な考えが浮かんだ。
 おや、あそこにいるのは家の子ではないか。声をかけて連れて帰ることにしよう。夕焼に染まった子供に手を振る。しかし、どこか違うんだよなあ、この夕焼。生まれ育った貧しい時代の山里の夕焼は、もっと濃くて、激しくて、それでいて僕らをしっかり包んでくれるような気がした。僕がごまかしを覚えた分だけ、夕焼もごまかしが多くなったように思えるのだろうか。年をとったかな。まあ、明日は何とかなるだろう。きょうも、団地は夕焼けて、暮れていく。


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30 皮剥けば内明かあかと青蜜柑 『手甲』

 鮮明な句。青蜜柑の内外の新鮮な色合いが見事なコントラストを示している。それに甘酸っぱさのイメージが加わるので、この句は読者の脳裏にしっかりと焼き付けられる。視覚と味覚を一緒にしてものの見事に詠いあげた一句である。
 初めて手にする果実で、中の色を全く知らずに皮を剥くというのも心がわくわくしておもしろい句ができそうであるが、青蜜柑を剥けばどんな色が出て来るかは万人が承知のこと。それを、皮→剥く→内、そして明かあかとした後、青蜜柑で結ぶ。私にとってはお手本の一句でもありました。
 この二色の取り合わせは湘南電車が有名である。ただし、これは青蜜柑というより蜜柑一般で、葉と熟れた実の色を表している。かって絵本で見たことのある電車の装いである。東海道新幹線の沿線に日を受けて輝く蜜柑を見ると、絵本の電車を思い出す。もっとも、この型の電車は湘南地方に限らず、中古が地方の路線を走っている。
 当時、絵本を見て電車やバスの運転手になりたいと、私は思った。友達も思った。多くの仲間と運転手や車掌の真似をした。しかし、ほとんどみんなが別の夢を追って、あるいは途中で方向を変えて、それぞれに生きている。それは当然のこと。親子でも生き方·考え方は違うのだから。『木語』のなかで、「剥く」が使われているもう一句。 ......「柿剥くや私はわたし母は母」


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31 省略とは点と線との吾亦紅 『手甲』

 二十年ほど前のこと、同じ部屋に私と全く逆のタイプの文章を書く仲間がいた。彼は、銀座のことを書くために、まず日本全体の地形の話から始めないと納まらない。一方、私はというと、いきなり銀座四丁目の男女二人の会話から始まって、あっという間に次の場面になる、と他の仲間が比較して話してくれた。また、上司から、君の文章は省略が多すぎてわかりにくい、と言われたことがある。私が俳句をかじっているのを知っていて、君は俳句をやっているからなあ、と追加があった。俳句が省略の文学ということをよくご存知だったわけである。
 その省略という形式をとって、省略の植物を詠ったのがこの俳句である。なるほど、言われてみればその通り。簡にして要。ちょっとユーモアがあって、詩としての美しさを保っていて、これぞ俳句。みづえ俳句の中でも私の大好きな一句である。加えて、作者の性格は省略を地で行くがごときとお見受けしているので、この句が一層印象深い。
 また、私は吾亦紅という花そのものが好きである。「私も紅い色をしているのよ」と言いながら、本当の赤でなく、地味に控えているところが実にいい。
 おっと、書きすぎてしまいました。一言だけいって、あとは省略する方がよいのでした。 ..... 「この句に一目惚れです」


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32 幾年棲めばふるさとといふ道をしへ 『手甲』

 斑猫はどこにでもいるのだが、特にいて欲しいと思うのは故郷の小道。歩く先へ飛び、近づくとまた先へ飛んで、道を教えてくれる。別に教えてもらわなくても道は分かっているのだが、久しぶりに帰ってきた私にしばらくつきあってくれる。
 この句の作者山田みづえ氏は仙台生まれ。略年譜によると、十五歳の時に宇治山田に移住とあるので、もし、故郷はどこかと訪ねたら、間違いなく仙台と答えが返ってくるであろう。その後、宇治山田に三年間の居住。さて、そこが第二の故郷であるかどうか。
 何年棲んだかはもちろんであるが、何歳の時に棲んだかがもっと大きな影響力を持つ。過ごした時期がどれくらい楽しかったかにも左右される。生まれた所にずっと棲んでいる人は別として、小さい頃に何回か転居した場合にどこを故郷と呼べばいいか。私は経験に基づいて独自の判断基準を持っている。それは、自分の家の隣の家は誰の家か、その次はどんな商売の家であったか、さらにその次は、と家並みを思い出してもらう。どこまで正しく思い出せるか、その程度によって故郷度を判定しようというものである。 
 この基準を当てはめると、みづえ先生の場合の故郷は多分仙台であろう。私の場合、何回か転居したが、家並がはっきり思い出せるのは少年期を過ごした町だけである。道おしえが一番似合うのは故郷だと思うのだが、逆に故郷とは「道おしえ」など不要な所である。


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33 山寺は山形市内野紺菊 『まるめろ』

 国語の時間というより、地理の時間に聞いたほうがよいような句。山寺とは、有名な芭蕉の俳句「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」が生まれたとされる立石寺のことである。JRの駅のホームの駅名表示板にはその駅の所在地が記されているので、作者はそれを見て、おや、山寺は山形市の中かと、軽い驚きを感じたわけである。いや、仙台生まれの作者はそんなことはとっくにご存知で、この土地に不案内な全国の読者に教えてくれたのかもしれない。
 仙台駅には南から東北線が入る。大ざっぱに言って、そこから三つに分かれる形を取り、北へ青森まで行くのが東北本線、東へ石巻まで行くのが仙石線、そして西の山形(正確には山形の少し北、奥羽本線の羽前千歳)と結ぶのが仙山線である。
 地図を見るともっと驚くことがある。何と、仙台市と山形市は境界をともにしているのである。峠を越して行かねばならないが、そして、その峠の途中に山寺があるのだが、二つの県庁所在地が接しているのである。その理由は、平成元年仙台市が区制を敷くとき周囲の市町村を合併し、宮城県を横断する形で、東は仙台湾まで西は山形県の県境までを仙台市にしてしまったことによる。
 行政の地名がどう変わろうと山寺は山寺。ここに似合うのは蝉らしいが、野菊も悪くない。作者が野菊をみたのは頂上ではなさそうであるが、原石鼎の句「頂上や殊に野菊の吹かれ居り」にあるように、風に吹かれていたであろうか。


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34 メーデーの行くさきざきの赤躑躅 『木語』

 労働者の権利を主張し、闘争精神を示威するのが目的であったメーデーも、今では全くのお祭りである。いわゆるゴールデンウィークの中にあってもとより休み気分。陽気もいいし、街を練り歩く列には悲壮感などみじんもない。何やら楽しげな話が聞こえてきそうである。初夏の日差しが強く、少々暑い。
 このメーデーの列を待ち受けているのが紅色のつつじであった。闘争の象徴である赤旗の赤は血の色であるが、つつじの赤は幾分薄い。しかししっかりと初夏の色をしている。街路に、また公園に、そして大きなビルの玄関先に、白鉢巻の列が行く所どこにでも赤躑躅がある。そんな五月の最初の日の光景がはっきりと目に浮かび、さらにもう一つ高校時代の思い出がよみがえった。 
 「メーデーに知り人見つけ微笑み合い」これは高校の同級生の当時の句である。若い国語の教師が、Aさんのこの句が新聞の投句欄に入賞したといって、授業中に紹介し、絶賛した。それを聞いて感動したわけでもあるまいが、親友のNはその国語教師の心酔者になり、後東京に出て、労働組合活動の中心人物の一人になった。私は「メーデーを戻り逆にズボン吊る」という句を作っていたもう一人の若い国語教師に惹かれて、数年後から我流の俳句を作るようになり、その先生の紹介で今「木語」にこの文を書いている。人の行く先に何が待っているかは全く分からない。


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35 火の粉撒きつつ来るよ青年焼芋屋 『手甲』

 木枯らしの中にピーーーッという笛の音が聞こえた。焼芋屋である。若い女性の場合呼び止めて買うのが何となく恥ずかしくて、などと聞いたのはいつのことであったろうか。今では堂々と「おじさん、もうちょっとおまけしてよ」「おじさんとこいい芋使ってるね」などとからかいながら焼芋屋の肩を軽く叩いたりしている。
 しかし、焼芋屋が若い男であったらそうはいかない。言葉を控えめに、すこし距離を置いて接することになる。精悍な顔つきでがっしりした若者が引く焼芋の車が近づいてくると、どこからともなく女性客が現れる。煙突からまき散らされている火の粉が、その若者をりりしく見せる。北風に向かってやって来るから、一層頼もしく見える。真面目な青年焼芋屋はこの辺りでは人気者である。
 掲句を読んで、すぐに思い出したのが、「ダイナモを駆りつつ若し卒業期 桂樟蹊子」であった。ダイナモが火を吹いているわけではないが、私は掲句と同じ雰囲気を味わった。両方の句から、物事に真面目に取り組もうとするひたむきさが感じられたのである。
 青年が車を止めて焼き芋を売っている場所はどこか。商店街でも、団地の入り口でもよいけれど、東京丸の内のオフィス街が似合いそうである。さて、その日の売上は。ピーーーッ、と笛の音が高い。


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36 冬木立カシオぺイアを横つちよに 『木語』

 青々と茂る夏木立は青年の息吹を感じさせるが、冬の木立は毅然とした初老のイメージである。余計な気張りも衒いもなく、世の中の苦労も一通り経験して一人前ではあるが、特にふんぞりかえるでもなく端然としている。厳しい季節にあって、生の終末を迎えるというような悲壮感は微塵もない。重なりあう黒い枝の間に冬空の星を見るとき、静かな目をした聖賢を思わずにはいられない。
 これほど魅力的な冬木立を、世の才媛·佳人が放っておくはずがない。こともあろうに、美貌の誉れ高いカシオペイアが恋をした。 自分の魅力を最大限に見せたいと、時には強く、また時にはささやくように瞬きながら冬木立の周りを回るのに、振り向いてもくれず、まっすぐ前を見て北風の中に立っているだけである。今までなら、大抵の男が私に関心を寄せ、言い寄って来たのに、今は私が、ただただ彼の側にいたいと思うのです。
 それにしても、どうしてこういう言葉が選ばれるのか。カシオペア座ではなくカシオペイアであったこと。まさに神からの授かりものであろう。 それを作者の才能という。また、私なら、仮にカシオペイアという語を授けられても、「カシオペイアを横に置く」が精一杯だったと思う。それが、何と「横つちよに」である。 ......失礼、みづえ先生と比べるのが不遜でした。


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37 花八つ手解剖室に水流れ 『木語』

 解剖には大きく分けて三つの種類がある。まず、人体の構造を知るための系統解剖。これはすべての医学生が実習として経験する。病気の原因が分からないとき、あるいは臓器の変化を詳しく知るために、病死の直後に行うのが病理解剖である。そして、変死体、あるいは刑事事件にからんだ死体を扱うのを行政(司法)解剖という。
 直接立ち会わないまでも、一般の人が身近に経験するのは病理解剖のはずである。掲句の解剖室とは病理解剖を行なった部屋のこと。病理解剖には普通、執刀者と介助者、そして記録者がつく。黙祷して解剖が始まる。一定の手順で臓器の観察·計測が行われ、記録されていく。切除された臓器は、ホルマリンに漬けて保存される。一部は後で薄く切って染色され、顕微鏡観察用の標本となる。解剖が終ると遺体の形を整え、家族が用意した着物を着せて霊安室へ移す。
 解剖中は、血液その他を洗い流すため、ふんだんに水を使う。解剖の後は、解剖台も床も水で洗い流す。作者はそこへ入っていったのではないだろうか。病理医も立ち去った後の解剖室で動いているのは、流れる水だけである。まだ異臭が残っていたにちがいない。
 誰の解剖の後であったか知らないまま、また、残された作者の気持に思いを馳せることもせず、解剖についての紹介文を書いた。
 解剖は淡々とした、概ね大胆、時に繊細な一種の作業である。解剖室のある病院の裏手にふさわしいのは、 ......花八つ手。


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38 蝸牛をつまむ微かに抗ふを 『手甲』

 なめくじと聞けば、身を縮ませる人がかなりあるかもしれない。しかし、ほとんどの人はかたつむりなら怖くない。 気味が悪いとも思わない。むしろ可愛いと思うに違いない。別名のでんでんむしという名が、その愛され方をよく表している。「お前の頭はどこにある」と問いかける形の童謡からもうかがい知ることができる。
 なめくじに渦巻形の殻をくっつけただけのような形だが、この殻、いや家こそが蝸牛の存在感である 
 この奇妙な形の虫を捕まえるときには、つかむのではなく、つまんで持ち上げる。しかしその時、このおとなしくのろまな虫は、ほんの少しだけ抵抗を見せる。微かではあるが、確実にいやがるそぶりを見せる。それがつまもうとする指に伝わってくる。さらに力を入れると、ある臨界点を越えたかのように、あっさりと諦め、人間の手に委ねてしまう。
 子供時代にこんな感触を味わったことのある方は多いと思う。しかし、この抵抗を振り切ってつまみ上げた瞬間に強い快感を覚える人とそうでない人に、はっきり分かれるようである。私は後者に属する。不快感というより何かが背筋を走っていく感じであった。そう言えば、もう何年間も蝸牛をさわったことがない。 
 それにしても蝸牛をものの見事にとらえた句である。「かたつむりつるめば肉の食ひ入るや」と詠んだ永田耕衣の句と共に、蝸牛の句の代表作だと思っている。


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39 袖囲ひして邯鄲を聴きゐたり 『木語』

 邯鄲といえば、こおろぎの仲間。秋鳴く虫の一つ。はかなさの代名詞のような虫。中国の故事にある「邯鄲の夢」から名付けられたという。盧生という男が趙の都の邯鄲で、ある翁から不思議な枕を借りて寝て、一眠りの間に栄華の夢を見たという話は、中学校の国語の教科書に出ていたような気がする。
 この虫の鳴き声を聞くには袖囲いが似合うというのである。喋っていてはかすかな声を聞き逃す。 物を食べながらではもってのほか。腕組みしながらでは無粋であろう。寝転がってはもったいない。作者は思わず袖囲いをした。そうせざるを得なかった。そうすることによって、完全に虫の声と一つになった。広くて深い囲いである。
 一方、袖囲いから真っ先に思い浮かんだのは、香炉峰の雪であった。こちらは簾を掲げて見るのだから開ける動作であり、囲うとは逆であるが、私には同じ感覚に思えた。景色は開けて見て、音は閉じて聴く。自然にとけ込む一つの方法であろうか。それでは、香りの場合はどうするか。眼を閉じて静かに呼吸を整えればいい。
 名は体を表すという。この虫だからこそ邯鄲。しかし、逆に、邯鄲の名前を付けられて、ますますこの虫の雰囲気が出たのかもしれない。漢字で書くといかにもはかないのに、仮名では区切り方で誤解を受ける虫に、「うすばかげろう」がある。正しくは薄翅蜉蝣であって、薄馬鹿下郎ではない。念のため。


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40 鈴虫の死を見てみぬ振りの未明かな 『草譜』

 締切間近の原稿を仕上げるため机に向かって、どれくらいたったか。どんでもない難題を課した学会の事務局を恨みながら、いらいらしていた。 手洗いに立ったとき、静かになった籠の中に横たわる鈴虫の死骸が一つ目にはいったが、そのまま部屋に戻って、再び原稿用紙をにらんだ。
 ところが、先ほどの鈴虫が気になってしかたがない。ゆうべあれほどいい声を聞かせていてくれたのに、そして家人にもあれほど自慢したのに。寿命だったか。いや、気になるのは、鈴虫が死んだことではなくて、死骸を見たのに放っておいたこと。あれだけ愛でた生き物だから、すぐさま丁寧に葬ってやればよかった。少なくとも、原稿が片付くまで待ってくれと、手だけでも合わせてやればよかった。原稿ははかどらない。まもなく、夜が明ける。
 聖路加看護大学副学長の山本俊一氏が、最近の著書『生老病死のレッスン』(真菜書房)で死ぬことの練習を提唱しておられる。そのためには、まず死学の研究が必要だとして、死学研究の被験者第一号に名乗りをあげたいとおっしゃる。病理学に基礎を置く現代医学の流れを変えたいともおっしゃる。
 鈴虫一匹の死骸の扱いさえぐずぐずしている私は、死後の解剖のために肉体を提供する決心さえついていない。まして、死学の被験者なんて。偉い人にまかせておいてはだめですか。


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41 山彦は男なりけり青芒 『木語』

 山や谷間で大きな声を出すと、その声が反響して帰ってくることがある。この自然現象がこだま。東海道新幹線を走る特急の愛称となった。こだまの別名山びこは東北新幹線を走っている。横文字で書けばEchoである。 
 エコーはギリシャ神話に出てくるニンフの名前。ある罪を犯し、他人の言葉を繰り返すことはできても自分からは話し出すことができないという罰を受けた。一説では、恋い焦がれた人の名前を失恋の後までも呼び続け、 悲しみのために身体は消えたが声だけが残って、今でも自分に呼びかける者には応えるのだという。 
 わが国では山に住む天の邪鬼が人の声を真似るのだとも、木の精の為せる業だとも言われている。 木の精、つまり木の霊だから <こだま>。 ここで取り上げている句集の名は『木語』であるが、これもまた樹木の持つ霊を表した言葉であろう。
 山彦が山の霊ならすなわち山の神。山の神といえば、妻、女房、いえ奥方様の異称。おや、山彦には彦の字がつくのだから男に違いないと思っていたのに、女かもしれない。
 掲句の作者は、山に分け入って、風になびく青すすきの中で山彦の声を聞き、やはり山彦は男だったのだと納得した。いや、男であって欲しいという願いであったのかもしれない。樹木派山田みづえが感じる男らしさを理解する鍵がこの辺にある。


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42 犬らしくせよと枯野に犬放つ『木語』

 常に犬と対比されるのは猫。猫は三年飼っても恩を忘れるのに、犬は三日飼っただけで恩を忘れないと言う。逆に、恨みになると猫はいつまでも覚えていて、時々化けて出る。からっとした鳴き声の犬に対して、猫の鳴き声はいかにもねちっこい。犬が尾を振れば心から甘えているように見えるのに、 猫がすり寄ると媚びを売っているような気がする。そもそも、犬は寒い雪の中でも元気に走り回るというのに、炬燵で丸くなっているとは何事か。
 と、ここまで言えば、猫好きな方から「あまりにも偏見に満ちている」とお叱りを受けそうであるが、他意はない。作者が思っている犬らしいとはどういうことか探ってみたかっただけである。
 物にこだわらない性格の作者は、いつも言葉が歯切れよい。背筋をしゃんと伸ばして、誰に対しても真っ正面から話しかける。あまりに核心を突いているのでいささか恐ろしいが、洒落に地口に語呂合わせ、言葉の遊戯は何でもござれで、その場のしらけた空気を紛すことのできる天才である。陰でうじうじするのが大嫌い。
 何をごちゃごちゃ言ってるの。木枯らしが冷たかろうと、へこたれずに前へ向かって歩かねばならない時があるでしょ。頑張るのは肩に力が入ってよくないって? 真剣に取り組んでどこが悪いのよ。そうそう、さあ行きなさい。胸を張って。頼りになるのは自分だけ。犬らしく、いや男らしく生きるのよ。


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43 畳屋に日がな叱られ羽抜鶏 『木語』

 学校の裏門を出るとすぐ、アイスキャンデーを売る店があった。その隣が畳屋で、肌脱ぎになった職人が畳針をズイと差し立てるのを横目で見ながら、学生達は氷菓子を舐め、ゾロゾロと過ぎて行った。畳屋の職人は、汗を拭いながら、はかどらぬ仕事にいらいらして、仕事場に入り込んできた羽抜鶏に当たり散らしている。
 犬なら中に入ってくることもあるまい。猫なら素早く走り去ってしまう。同じ鳥でも燕ならもう少しかわいく鳴いて、宙返りくらい見せてくれるであろうに。何だお前は、みすぼらしい形をして、ケッケッと耳障りな声ばかり。朝からその辺をうろちょろと。俺を喜ばせる芸の一つくらいしてみせろ。 
 故郷を離れて四十年余り。還暦を迎えた男は、薄くなった髪の毛が気になり始めていた。腹が出てきたときは貫禄が付いていいなどとうそぶいたのだが、今度は少々参った。時々顔を見せる孫達に囃される時は笑って過すが、さすがに女房から指摘されるとむっとする。その上、ゴロゴロするな、ウロウロするなと邪魔者扱いをされるようになった。
 久しぶりのクラス会が故郷であった。昔の仲間と昔の通学路を歩いた。アイスキャンデー屋も畳屋も既になく、アパートに変わっていた。二階のベランダでアイスクリームを食べていた男の子に、勉強はもう済んだのかと叱る母親の声がした。


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44 白きもの咥へ鴉も春の鳥 『手甲』

 日本中どこにでも、またいつでもいる鳥、からす。あまり季節感のない鳥である。しいてあげれば、夏の鳥。夕焼けの中を山に帰るからすの絵を、ずっと昔絵本で見たような気がする。いや、人口に膾炙した芭蕉の句「かれ枝に烏のとまりけり秋の暮」にあるように、秋の風景にもよく合う。 雪原に舞い降りるからすの、無彩色のコントラストは強烈である。
 そして春はと言えば、百千鳥。からすの出番などありはしない。それでも、何かをくわえて巣に帰っていくからすを見ると、間違いなく春を感じる。からすも春の鳥なんだと納得する。
 この場合のからすは物をくわえているので鳴かないが、実際の鳴き声はかなり複雑である。野鳥の入門書には、ハシブトガラスはカァカァと澄んだ声で鳴き、ハシボソガラスはガーッガーッと濁った声でなくと出ているが、この二種に分けられほど単純ではない。
 からすの鳴き声の微妙な差を正確に真似ることのできる子供がいた。しかし六年生の学芸会で鳴き声を真似て見せるまで、うすのろとかとんまと蔑まれ、クラスの除け者であった。あだ名はちび。山奥に住み、「日の出とともにいえをでて、日ぼついえにかえりつく」という六年間を送ったその子と、クラスの仲間の気持を描いた絵本は『からすたろう』(偕成社刊)という。作者は戦争に反対し、アメリカに亡命したやしまたろう。その子なら、鳴き声を聞いただけで、どの季節のからすか言い当てることができるに違いない。


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45 小鳥来る双眼鏡つねに間に合はず 『草譜』

 趣味がバードウォッチングだというと、大抵、「優雅な趣味ですね」と皮肉が返ってくる。家内など、「全くの自己満足」と半ば軽蔑している。花や木を鑑賞するのならまだ分かるけれど、すぐに逃げて行ってしまう鳥を追っかけるなんて気が知れない、というのである。
 野鳥愛好者にとっては、それがたまらない。一瞬でも見ることができれば、その羽の色を両眼に焼き付けておきたいのである。山に分け入る。小鳥の声がする。こっちの方角だ。あっ、あそこで動いた。双眼鏡を向ける。いたいた。小枝に一羽の小鳥を見つけ、にやりとする。
 飛んでいる鳥を双眼鏡の視野に入れるのは、結構難しいものである。肉眼で追いかけて、首からかけていた双眼鏡に手をやり、鳥からは目を離すことなく、素早く持ち上げて目に当てる。そうしたら、そこに鳥が大きく見えるはずなのだが、初心者はつい双眼鏡に目が移り、鳥を見失ってしまう。 私が先輩に連れられて初めて山歩きをした時のこと、「ヤマセミだ」と指さされ、白い鳥を肉眼で見てから双眼鏡を目に当てたのだが、もうその鳥はいなかった。
 この句の作者が鳥を見失ったのは、どこでのことか、やはり山歩きの途中か。それとも近くの公園か。自宅の庭に来た小鳥に気がついた時の話かもしれない。
 ちなみに、作者は古くからの日本野鳥の会会員。家内は、水鳥なら逃げずにいて見やすいからと、カモを見に行くときだけは時々つきあってくれる。


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46 ふくろふの眼ひらく音や雪の檻 『忘』

 詩人には不思議な力がある。眼を開く音など聞こえるとは思えないのだが、その音がするという。
 雪降る日、檻の中のふくろうは首をゆっくりこちらに回し、ぶるっと身体をふるわせたかと思うと、大きく丸い目を開いた。その時作者は、微かな音を聞いたという。そうか、これが眼を開く音なのか。寒さの中で、生まれた瞬間に凍えてしまいそうな音を聞いた驚きが、瞬時に句となった。
 それでもまだ、眼を開く音など聞こえるはずがないと疑う方は多いと思う。一度、静かな部屋で眼をつむり、それから大きく開いてみて下さい。聞こえませんか。
 ばっちりした眼というのは、眼を見開いた状態のことであるが、「ばっちり」といえば、まるで擬声語のようである。弾ける感じの音である。
 眼をかたく閉じるときの音は「ぎゅっ」であろうか。これは擬態語であるが、やはり音を表しているように思える。音を測る極めて精密な機械があれば、眼を開く音と閉じる音を記録できるかもしれない。そして、その差を区別することができるかもしれない。
 作者同様私も日本野鳥の会の会員である。が、ふくろうを見たことはあっても、眼を開く音は聞いたことがない。必要なのは野鳥の会の会員証ではなく、詩才である。もちろんこの場合、双眼鏡は役に立たない。


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47 いくたびも仔狐の来る星月夜 『まるめろ』
 星月夜といえば秋の季語。新美南吉の『ごんぎつね』にあるように、きつねがそっと栗やキノコを家の裏口まで運んで来てくれるのだろうか。
 この句、私には冬の情景であって欲しい。同じ新美南吉の『てぶくろを買いに』にあるように。
 昨日から降り続いた雪もようやく止み、満天の星がまたたいている夜。山も里も一面の銀世界である。かあさんぎつねに片方の手だけ人間の手にしてもらったこぎつねが、手袋を買いに山から里へ降りてきた。帽子屋を見つけ、戸を叩き、少しだけ開けてもらった隙間から手を入れて、この手に合う手袋を下さいと頼むのだが、まちがって狐のままの手を差し出した。店の主人は気付かぬ振りをし、ちょうどいい手袋を売ってやる。帰り道、子狐は母狐に、「かあちゃん、にんげんってちっともこわかないや」というお話。しかし、母狐は、本当に人間はいいものかしら、とつぶやくのである。
 この話は、小学校二年生の国語の教科書で初めて読んだ。挿し絵もはっきり覚えている。店主につかまってこらしめられるに違いないと思っていたのに、意外な展開で妙な気になったことも覚えている。残念なのは、先生が何と言って解説をしてくれたか全く記憶にないこと。いずれにしても、私は、だまされた振りをすることはいいことらしいということを、この童話から教わった。


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48 雪をんな黙つてゐれば歩が揃ふ 『木語』

 若者は怖かった。仕事が意外に手間取って、帰路は雪になった。峠にさしかかるともう一尺以上の積雪である。話に聞いている雪女が出るのは、こんな夜のこんな場所。目をつけられたら捕って食われるという。毎年雪起こしを聞く頃に、祖母が聞かせてくれた。
 一刻も早く村へたどり着きたかった。新雪はいよいよ深い。足を速める。と、その時、斜め後ろに気配を感じた。まさか、雪女!? おばあさんが言っていた。絶対振り向いてはいけない、と。前を見て、ひたすら前を見て、さらに足を速める。やっぱり、誰かがついてくる。早足になればその通り、わざと歩を緩めると、またその通り。
 若者はついに駆け出した。喉がからからで声も出ない。俺もこれまでかと思った時、目の前
に一人の女が現れ、「坊や」と言って微笑んだと思うと、天に昇るかのようにかき消えた。その顔の美しかったこと、その姿のあでやかだったこと、その声の優しかったこと。
 若者はその女のことが忘れられなくなった。何をするにも上の空。何を聞いても生返事である。世の中の何もかもが煤けて見えた。その後何度も峠へ行ってみるのだが、その女は二度と現れなかった。
 身体の代りに心を食い尽くされた若者は、その女によく似た娼婦に巡り会い、しばらくの同棲の後、子供ができたと知らされた。おろせよ、と小声で言った。「埋めたての水子を掘りに雪をんな   木内彰志」雪女は、この男の分身をまで食いに来る。


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49 六地蔵のひそひそ話雪の風 『木語』

 この句は、童謡『笠地蔵』を下敷きにしているのではないかと思う。ある大晦日、正月用品を揃えたくて、手作りの笠を売りに町へ出かけたおじいさんではあったが、一つも売れず、力を落して帰る道は雪となった。道ばたで寒そうなお地蔵様が並んでいるのに気がついたおじいさんは、頭の雪を払い、売れ残った笠をお着せする。ところが、笠が一つ足りない。そこで、自分のほっかむりをはずして、最後のお地蔵様に差し上げた。
 雪まみれで帰って来たおじいさんを見て、おばあさんは驚くのであるが、訳を聞き、よいことをした、正月の餅がなくても二人で静かに新年を迎えようと、むしろ喜ぶのであった。
 その夜、お地蔵様は相談した。 笠をくれたおじいさん夫婦にお礼をしよう。何がよかろうか。 まず、お餅。それに、あの家ではもう薪の残りが少ないはずだ。そして、おじいさんの好物は、おばあさんの好物は、とそれぞれが意見を出す。相談がまとまり、品物を揃えると、橇に乗せ、山のふもとの二人の粗末な家まで運んだ。もちろん、おじいさんのほっかむりをもらったお地蔵様が先頭である。
 お地蔵様のひそひそ話をお釈迦様がお聞きになった。雪が舞い、風の強い夜であったが、お釈迦様の耳に届くときには鈴の音のようであった。そして、その話が、童話作者に伝わり、この句の作者に伝わり、さらに読者に伝わった。


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50 大年を雪もて閉ぢぬ楡林 『木語』

 今年もなんだかんだとありました。コマーシャルの文句をまねるようですが、気を入れてがんばるぞ、と思ってはいたのです。本当にあれもしたい、これも片付けて、と思いはしたのです。
 ところが、どうもうまくいきません。ついつい怠けるし、いざやる段になると実力のないのがはっきりとわかって、嫌気がさします。ま、こんなところが自分の限界か、と自嘲気味な大晦日。とうとう雪になりました。
 わが家の二階から楡林が見えるのですが、昨日まで裸だった木々がすっかり雪を被ってしまいました。 読書を一区切りして外を眺めていると、下から娘の叫ぶ声です。「お父さん、和室の掃除はどうなってるのよ」だんだん母親の口調に似てきました。はい、はい、そのうちにやりますよ。 この本、ちょうど今が一番おもしろい所なんだから。専門書ではありません。奇術がらみの推理小説です。
 みづえ先生の目にとまった楡林は、凛としていたにちがいありません。屋外で、北風を身に受けながら眺める作者の気持が景色に反映し、はね返って言葉になって、十七文字に変わります。感受性と創造性の結晶としての十七文字は、日本人の傑作であり、宝です。
 我らが主宰山田みづえ先生の句の中からいくつか好きな句を選び、感想文を書いてきました。この辺でワープロのリターン·キイを勢いよく叩いて、この鑑賞を閉じることに致します。

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あとがき

 山田みづえ先生の句集に『樹冠』(平成四年、ふらんす堂刊)がある。これは、既刊の『忘』、『木語』、『手甲』、『草譜』から樹木をテーマにして自選された句集であり、樹木派山田みづえの面目躍如たる三〇四句が並んでいる。
 『樹冠』の中から毎月一句ずつ選んでは、平成六年一月号から十二月号まで一年間にわたって、みづえ先生主宰の俳句雑誌「木語」に感想文を書いた。その連載が終った後、岩城久治先生主宰の文芸雑誌「参」に、『草譜』から毎月一句ずつ選んでは同じように感想文を一年間書いた。その後も、『まるめろ』を加えた山田みづえ句集から気に入ったものを選んでは、小文を書きためてきた。それが、全部で五十篇となった。
 平成十一年は「木語」創刊二十周年に当たる。「木語」の会員の一人として、また、みづえ俳句が好きな者の一人として、五十篇の感想文を若干手直しの上並べ替えた。ささやかながら、[木語] 創刊二十周年を祝い、ここに小冊子としてまとめる次第である。
 
平成十一年一月十五日  清水貴久彦

山田みづえ先生略歴

大正15年 (1926) 仙台市生まれ
昭和32年 (1957) 石田波郷門「鶴」入会
昭和35年 (1960) 「鶴」同人
昭和41年 (1966) 第一句集『忘』(竹頭社)刊行
昭和43年 (1968) 第十四回角川俳句賞受賞
昭和50年 (1975) 句集『木語』(牧羊社)刊行
昭和51年 (1976) 第十五回俳人協会賞受賞
昭和54年 (1979) 俳誌「木語」創刊、主宰
昭和57年 (1982) 句集『手甲』(牧羊社)刊行
昭和63年 (1988) 句集『草譜』(角川書店)刊行
平成4年 (1992) 句集『樹冠』(ふらんす堂)刊行
平成7年 (1995) 句集『まるめろ』(邑書林)刊行

著者略歴

清水貴久彦 (しみず·きくひこ)本名 弘之
昭和22年 (1947)  京都府生まれ
昭和49年 (1974)  「霜林」入会 平成五年の廃刊まで会員
平成2年    (1990)  「木語」入会
平成5年 (1993)  「木語」同人
平成6年 (1994)  平成6年度「木語」競詠一席·新人賞受賞

© 清水貴久彦 Shimizu Kikuhiko

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