転勤辞令
     

「そろそろ潮時」

19988月、マレーシアにて海外生産子会社は操業を開始した。現在に至る道のりは決して楽なものではなかった。技術的問題で1ヶ月に及ぶ操業停止の憂き目を見たり、為替規制や税制改正でAdmin.業務は大混乱した。やがて生産は軌道に乗り技術移転が順調に進んだので、エンジニアはひとりまたひとりと帰国していった。

20019月、操業開始3年目。日本人立ち上げスタッフはとうとう私一人になった。私は業務の現地移管を急速に進めてきた。信頼できる人材を数人選び、職務分掌(Job Description)を見直し昇格させた。そして駐在員のルーチン業務はパッケージ化し彼らに移管した。そして20027月、操業開始から4年経ち私の役割は終わったと考えるようになった。後は若くて優秀な後任者にバトンタッチしたほうが良いだろう。

200210月、操業開始4年目。一時帰国した際に「私の様な高給(?)取りをいつまで置いておくんですか、そろそろ後任者を考えておいて下さい。」と人事担当役員に切り出した。彼は「ところで君は帰りたいのか?希望の職場はあるのか?インドネシア工場はどうだ?」と問いかけられた。ペナンが気に入ってたので複雑な気持ちだった。私のインドネシア工場への異動話はその頃から囁かれるようになった。



「帰国はお預け ペナンからスラバヤへ」

200211月、海外現地法人担当で私のボスである国際部担当役員がマレーシアにやって来た。私は状況報告をするため、接待でムティアラホテルに滞在している彼の部屋を訪れた。報告を終えると彼は私をベランダに誘いビールを飲みながら「ところでスラバヤに行けと言ったら、引き受けてくれるか?」と切り出した。インドネシア工場も後任者に頭を痛めているようだ。私は「あんな田舎に行きたくないが、2年間限定なら言っても良いですよ。」と冗談で返した。振り返ると、この時に拒絶しなかった事で私の転勤は事実上決まった事になる。

20036月、ホッカーセンターで同僚と昼飯を食っている時に、担当役員から携帯電話に連絡が入った。「来月インドネシア工場に赴任できるか?」 なにやらインドネシア工場で緊急事態が発生しているらしい。午後の取締役会でとある事項が協議されるらしく即答を求められた。私はしばし考えた後「何とかなるでしょう。」と答えた。翌日、私のインドネシア工場への転勤が決まった。

2003723日、インドネシア工場への転勤辞令が発令された。スラバヤへの赴任は私の後任者が着任以降の9月上旬に決まった。5年間暮らしたペナンを去る感慨に浸る間もなく、引継ぎや赴任準備のカウントダウンが始まった。



「家族帯同か単身赴任か」

724日(水)、インドネシア工場への転勤辞令が発令された翌日、スラバヤへの業務出張兼住宅下見に出掛ける事にした。KLからスラバヤまでに飛行時間は約2時間半だが、時差の関係で到着後時計を1時間遅らせる事になる。東に向かって飛行しているのになんとも納得いかない話である。空港には駐在員の亀田氏(仮称)が、専属ドライバーの運転するキジャンで出迎えに来ていた。

スラバヤは東ジャワ州の州都で人口約350万人、インドネシア第2の都市である。在留日本人は600人と言われ日本人学校もある。ただし一人あたりのGDPはマレーシアがUSD3,800であるのに対し、インドネシアは5分の1USD730である。一部の富裕層(華僑)が富を独占し国民は貧困にあえいでいる。政情不安、衛生問題、医療体制、等マレーシアに比べリスクの高い国である。自分で車を運転する事も出来ない。生活環境によっては単身赴任も考えなくてはならない。



「何はともあれ住宅探し」

725日(金)、女房が1日遅れでスラバヤ入りした。何はともあれ住宅探しが先決である。スラバヤの外国人向け(高級)住宅は売り手市場でありペナンに比べはるかに高い。マレーシアと違い華人が少ないので中流階級は存在しないのだ。現在私の住んでいるアパートは3ベッドルームでRM3,000(約10万円)だが、スラバヤの同等物件はUSD1,7002,000(約2025万円)である。

アパート(Condominium) では市街地南部にPuri MatahariPalagon 等がある。高速道路に近く通勤に便利であり、最近出店した郊外型高級ショッピングセンターGalaxy Mall にも近い。またSheraton JW Mariott Majapahit 、等市街地中心部のホテル(Service Apartment)に住むというチョイスもある。日常の買い物に便利な事は勿論、毎日ハウスキーピングが入るためメイドを雇う必要がない。特にMajapahit Hotel はコロニアル建築オタクの私としては惹かれる物がある。しかし古い建物は暗い室内、古びた水周りに不安があり、住むとなると・・・・。結論は赴任日まで持ち越された。

     

Puri Matahariの広くて豪華な
リビングはホームパーティーに最適

センスの良い
Sheraton Hotelリビング

Majapahit Hotelのアジアで
一番広いと言われる美しい中庭
     

Puri Matahariのゆったりした正面玄関

JW Mariott Hotelからの眺望
スラバヤ市街を一望できる

Majapahit Hotelの隠れ家的
なプールここには
Spaもある
     
     
「そこは5年前のペナン」

1998年に出張で訪れたスラバヤは、まともなショッピングセンターと言えばTunjyungan Plaza Surabaya Plaza しか無かった。ところが今ではTunjyungan Plaza は拡張工事が進み、なんとSOGOが出店している(←売ってるものは全てローカルだが)。ちなみに高級ブランド(Louis Vuitton、他)の店もある。また郊外には高級ショッピングセンターGalaxy Mall も出来た。電気製品、衣類、日用品、等はひと通り揃うだろう。残念ながら日本書籍店は無い。

こんな事を言っては失礼だがインドネシア料理は不味いので、食生活に不安は隠せない。5年前は1件しかなかった日本食材店だが、今では高級スーパー Papaya が出来た事で食材(和食や洋食)はペナン並みの品揃えである。酒類はビールは安いが、日本酒やウィスキーはべらぼうに高い。一方で外食は屋台には行けそうも無いからレストランに行くことになる。日本料理、中華、韓国料理、イタリアン、等ひと通り揃っている。そして嬉しい事にCoca Restrant STARBUCKS COFFE まである。

     

拡張に次ぐ拡張で巨大に
なった
Tunjyungan Plaza

ご存知
STARBUCKS COFFE
Tunjyungan PlazaSOGOに出店

Galaxy Mall のフードコートには
なんと「たこ焼き」屋台まである
     
     
全般的な印象として何とか「5年前のペナン」に近づいた感じである。贅沢を言わなければ日常生活に不自由しないだろう。娯楽はゴルフくらいしか無さそうだが、住めば都だろう。ただし外国人が買う高級品(?)に関して、物価はペナンより23割高い印象を受けた。今回の下見で幸か不幸か女房も一緒に来ることになった様だ。



(20038月6日)

ホーム極楽駐在生活>転勤辞令

Hosted by www.Geocities.ws

1