一時帰国休暇
 

921日から30日まで2度目の一時帰国休暇で日本に帰ってきた。マレーシア現地法人に出向している社員には、年に一度の一時帰国休暇が認められている。取得できる休暇は5日間(就業日)であるが、業務で出社する4日間(人間ドック含む)が加算され合計9日間の日本滞在となる。私の場合、日本の住まいは知り合いに貸してあるので、滞在期間中はホテル住まいになる。出向期間中は親会社の人事部所属になっているため、旅費や滞在費用は人事部が面倒をみてくれる。帰国便はもちろんエコノミークラスである。

休暇なので会社に行く必要はない筈だが、帰任後の配属先や国内の状況を知っておかないと「帰る所が無い」って事になる。だから関連部署を廻り、一時帰国の挨拶と近況報告をするわけである。サラリーマンはつらい。会社ではダイビングをやってる奴がけっこういるのには驚いた。そこで「マレーシアではこんなに安いんだぜ。」とうらやましがらせたは良いが、それを漏れ伝え聞いた人事担当役員に「君はマレーシアが合ってるようだから、後5年はいてもらおうか」と言われてしまった。78年海外にいれば日本では使い物にならなくなってしまう。帰ってもポストは無いということか・・・。

一時帰国に際し会社はもちろん両親、兄弟、友人に手土産を持参するわけだが、マンゴプリンは昨年持っていったのでネタが尽きてしまっていた。時間も無かったので@GAMABOH-Tea Aホンギャブでピュータの灰皿 Bクレイクラフトの人形をばらまき用に買っていった。また退任した担当常務に会うことになっていたので、この方にはとっておきのロイヤルセランゴールのピュータ(茶筒)を買っていった。

日本では存分に浦島太郎振りを発揮した。「やまんばギャル」にびっくりしたり、タクシー代やホテル代の高さに腹を立てたり、まずくて高いナシゴレン(おっとチャーハンでした)に仰天したりの毎日であった。またお台場周辺や六本木防衛庁跡地や品川駅東口の変貌振りにはビックリした。いまだバブルの後始末が済まず不景気にあえいでいるとはいえ、やはり東京は世界有数の大都会であった。

そういえば滞在中に私自身のバブル後始末にやっておく必要があった。バブル末期に買い換えたマンションの住宅ローン繰上げ返済である。8年前に0000万円で購入した東京郊外の駅前マンションは下落の一途をたどり、評価額はほぼ半額になってしまっている。今リストラにあったら返済が立ち行かずとんずらこかなくてはならないので、債務を評価額以下に押える必要があった。2年前に住宅金融公庫から金利の安い銀行ローンに借り替えたが、今回手持ち資金をはたいて繰上げ返済手続きをした。手続きは概ね問題なかったが私の現住所を証明するものが無い。ゴールドカードは会社住所だし、運転免許証は旧住所である。皆さんもいざというときの為に住所変更手続きはまめにやりましょう。

そして最後にハプニングがあった。マレーシアに戻る日航機が成田でエンジン点検のため出発が2時間遅れ、シンガポール乗換え便に間に合わなくなった。シンガポールでの1泊を覚悟したが、到着後KL乗り換え便が日航シンガポール地上職員によってアレンジされていた。おかげでペナンに帰ってきたのは深夜の1時であった。疲れた。帰国中は幸運にも高橋尚子の歴史的快挙の一部始終を中継でみることも出来たのはラッキーであった。

2000103日)

ホーム極楽駐在生活>一時帰国休暇

Hosted by www.Geocities.ws

1