ライト通り女学院での出来事
 

「教師は授業中に携帯電話を使うな。」

2003625日、英字新聞 The Star で妙な見出しを発見した。いかにもくだらなそうな記事なので思わず読んでしまった。トレンガヌ州のとある学校では教師の携帯に電話がかかって来ると、彼は授業を中断して長電話をすると言う。この様なくだらない問題の是非をめぐって喧喧諤諤と議論を重ねた上、最後にとうとう教育相までが出てきて上記コメントをしたという。教師の質の低さはマレーシアの社会問題のひとつと言われている。

翌日英語の先生にその話をすると「君は同じページに掲載されたもっと重要なニュースを読まなかったのか?今ペナンでは大変な事が起こってるのだよ。」と言われた。

「非ムスリム学生もイスラムの祈りを暗唱しなさい。」

20036月某日、Convent Light Street(ライト通り女学院)に新たにマレー女性の校長が赴任した。彼女はPAシステムを使った朝礼でDoa Salamat(祈り)を流し、非ムスリムを含む全学生に対しその暗唱を強制したのだ。帰宅した学生からその話を聞いた華人の両親は激怒し、DAP(華人野党政党)に現状を訴えた。DAPは即座に州教育省に抗議し、学校前でデモを始めた。やがてPTA、卒業生を巻き込んだ議論に発展した。Sensitive Issue(過敏事項)に発展しかねない危険な状況であり、緊張が高まった。

Convent Light Street1853年にフランスの修道女によって設立されたミッションスクールである。マレーシアで最も歴史ある学校のひとつであり、その校舎は文化遺産に指定されている。彼らは孤児を引き取り、老人などの貧困層に食料を与える等の地域福祉に努めた。やがてマレーシアは独立、全ての学校は政府管理下に置かれるようになり、教育は政府指定のカリキュラムが導入された。宗教の自由が制定されると同時に、宗教に関する授業や礼拝も禁止された。彼女らは役割を終え帰国したが、その伝統は今でも地域や卒業生の間に息づいている。

英国植民地支配から独立したマレーシアは移民に市民権と宗教の自由を与えた。それと引き換えにブミプトラ学生に対する宗教教育を許し、大学の定員枠(Quota-system)を設けるなどのプライオリティーを与えた。多民族国家であるマレーシア政府は民族融和が不可欠であり、その上で教育は極めて重要な位置をしめる。

幸いにも校長は非を認め、朝礼での礼拝を即刻中止した。Doa Salamat の暗唱はムスリム学生対象の宗教教育でのみ実施される事になった。そしてこの校長は直後に配置転換されたと言われている。

 

2003630日)

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