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新等身大の私(BU-KO
SxEコラム)10-15 >>> >>>>>僕と車(パート3)
僕は誕生日が7月28日。ライオネル飛鳥姉さん(兄さん?)やスガシカオさんと一緒です。プロレス&音楽。まさに僕にぴったりの誕生日です(号泣)。力士が好きな僕ですから、力士で同じ誕生日を探したかったのですが、該当しないみたいです。残念。まぁ相変わらずどうしようもない人間の僕ですが、一応夏男。
しかし、そんな夏男も夏になると「違反者講習」なる儀式が待っています。そう「運転免許証の更新」です。
僕だって反省をしているつもりなのですが、魔がさしてしまって警察の方々にお金を支払っているわけです。スミマセン。ごめんなさい(号泣)。お金で免許をゴールドにしてください(泣)。
まぁそんな僕ですが、一度たりとも違反者講習を受けずに免許をもらったことがないのです(泣)。
今回もそうでした。あぁぁぁ。「違反者講習」と書いてあるはがきが自宅に来るとブルーになります。あー、だから免許の帯もブルーなのか(泣)。
今回は3年前の違反者講習と今回の違反者講習についてを2話に渡ってお伝えします(泣)。初めて違反者になってしまったあなた!参考にしてください。
僕は恒例の違反者講習のはがきを持って免許センターに行きました。埼玉県民の鏡である僕なので鴻巣市という所にある免許センターに行きます。自宅からかなーーーーり遠いです。朝6時半には家を出ないといけません(泣)。朝8時半に無事到着すると違反者講習代の収入印紙を買わされます。ウソです。僕が自ら好き好んで買うのです(こっちがウソです)。高いです。
講習の前に視力検査があります。僕は特別メニューとして「深視力」という検査があります。これは何かと言いますと3本の棒が立っていて、それの真ん中だけが前後に動き、その3本が平行に並んだところでボタンを押すという装置なのです。それに合格しないと免許が無くなってしまいます。
このボタンはかなり硬く、遅れも計算して毎回押しています(泣)。それくらい硬いのです。
さて、検査が終わり肝心の違反者講習部屋に詰め込まれます。が、運が悪い僕は教室の真ん中の列の一番前、いわゆる「教卓のまん前」になってしまいました。まさにアリーナ席です。悪夢はココから始まります。
今回の違反者講習の先生はノリノリでした。もうオヤジギャグまで炸裂してしまうほどに。
免許証をおもむろに卓上へ置いていた僕でしたが、その僕の免許証を見た先生はことあるごとに僕に名指しで質問をぶつけてきます。「竹原さんはこんな運転をどう思いますか?」「竹原さんはこんな運転してないでしょうね?」などなどなど。もうその教室に居た100人以上がぜってーーーーに俺の名前を、覚えて帰ったんじゃねーか!と思うくらい。僕は赤面しながら「いやーそういう運転は良くねーーっすよね!」などと答えていました。
そんな感じで講習が進み終わりが近づきました。すると先生は「本来なら、もっと長い講習を皆さんには受けてもらいたいのですが、今日のところはこの辺で終わりにしておきます、お疲れ様でした。」と言いました。僕は「もう2度とこねーーーよ!馬鹿野郎!」と思いました。が、また3年後には行く羽目になりました(泣)。
そして、免許の写真を取りに行き、免許交付になり教室を出る前に先生が「今日は交通安全協会への加盟も受け付けています!まぁ(違反している皆さんは)当然加入されますよね」と言いました。「入るか!馬鹿!」と思っていた僕に「竹原さんは加入する予定かな?」とまたまたまたまた僕に振ってきました。僕ははにかみながら「いや、当然のことっす!」と言い、結局加入しました。周りの皆は「あーーーーーあ、あいつマジで可愛そうに」という顔でした。もういいです。僕は結局こういう星の下なのです。余談ですが、交通安全協会に加入しなかったことはありませんが。
半日の長い講習が終わり家路に着く車中で僕は「ぜってーーーーにもう違反しねーーー!」と誓うのですが、そんな誓いもむなしくまた3年後、2003年夏に再び鴻巣免許センターの地を踏むことになるのです(つづく)。
>>>>僕と車(パート2)
相変わらずどうしようもない人間の僕ですが、そんな僕は「バス」なる車を運転したことがあります。いや、正確に言うと「運転することがあります」ですが。
僕は....あれは確かまだDECEMBER12をやる前だったから23歳くらいの頃ですかね、当時別のバンドでドラムを叩き、そして同じ会社の人だった多田駄賃(現在のダッチン兄さん)と一緒にバス旅行に出かけました。会社の慰安旅行なのですが、実は幹事が僕だったのです。暑い暑い夏の出来事でした。
予算の関係上、電車などは使えなかったのでバスで旅行に行くことになりました。しかし、バスの運転手さんをお願いするお金などありません(号泣)。なので、泣く泣く僕がバスの運転をすることになりました。いわゆる「仏児バス運転デビュー」です。
当初バスをレンタカー屋さんで借りようかと思ったのですが、何処も予約でいっぱいになってしまった関係上、バスをなんと「観光旅行会社」から借り上げてきました。幹事の僕としては半べそ、半泣きで電話片手にバスを探してやっと見つけた必死のバスでした(超号泣)。だって旅行自体が無くなったら皆様に何を言われるかわかりませんから(泣)。
しかし、このバスは何気に、いわゆる「サロンバス」だったのです。そう、宴会仕様のバスです。カラオケ完備&冷蔵庫完備&テレビ完備&自動ドア。しかーーーーし!しかしです。このバス、実は「ダブルクラッチ」だったのです。若い人は「ダブルクラッチって何?」という疑問が出るかと思われますが、ダブルクラッチとは自動車のギアの繋がりがクラッチ一回じゃ入らない仕組みになっていて、昔の大型自動車等にあるのですが一度目で半分クラッチを入れて二度目で奥まで踏み込みクラッチをつなげるという方法なのです。
僕はいきなりエンジンストップ、いわゆるエンストしてしまいました。バス会社の社長が「おいおい!大丈夫か?」と言いますが、僕の心中は「大丈夫のわけねーーーーだろ!なんだよ、このおんぼろバスは!」です。
まぁ一般道を走り、高速道路で河口湖&富士急ハイランドに行く程度だからなんとかなるだろうと思ったのですが...。
予定通りに社員の人々&多田駄賃さんを乗せたバスが新宿から中央自動車道を走りますが、困ったことに社員の人達はビールを飲んでしまい、すぐに運転手の僕を気にせずにトイレに行きたいと言い出します。困ります。しかも超超渋滞。あーあ、なんだよ、とブルーな僕がふと水温計を見ました。すると、生まれてはじめて水温計が振り切れるくらい数値を見ました(号泣)。即車のエアコンを切ってエンジンも切りました(泣)。もう号泣じゃ済みません。おんぼろすぎです。
なんとかごまかしながら走り、富士急ハイランドに午後1時頃到着しました。僕と多田さん(っていうかダッチン)と先に宿に行き支度をすることになっていましたが、なんとわが社の社長が「登山」をしたいということから「登山口」までバスでお送りすることになったのです。僕はこのときから嫌な予感がしていました(泣)。
社長が地図を見ながら登山口までバスが走るのですが、道幅がどんどん狭くなっていき、終いにはバス一台が通るのにギリギリくらいの道幅になりました。忠実なる社員の僕はそれでもバスを登山口まで走らせました。というか、普通の車でもはしらねーだろ!くらいのところでしたが。
無事に(でもないけど)登山口まで来て社長が「ありがとさん!」といって去って行きましたが、残された僕と多田さん(ダッチン兄さん)はどうやって帰ろうかという状況でした。だって車をUターンさせることすらできない場所でしたから、バスの道幅しかない道をバックで下山するしかなかったのです(ミラクル号泣)。おおおおおおおぃぃぃぃぃぃぃ!どうすんだよ!しかも長距離の山道。
パニックの僕を多田さん(っていうかダッチン兄さん)が「あそこ(ちょっとした広そうな場所)で(無理やり)Uターンをしよう!何回も切り返せばなんとかなるはず!」といい「大丈夫!俺はガソリンスタンドでバイトしていたから誘導できるから」と今現在のDECEMBER12では考えられない親切っぷりを見せて、僕は落ち着きました。
本当にちょっとだけのスペースを使いバスを何度も切り返してUターンをしました。その甲斐あってか無事にUターンできたのです。真夏の危機脱出、おニャン子ムービー危機一髪って感じでした。
今でもダッチン兄さんですら「あれはマジで酷すぎだった!」というくらいの状況でした。
旅行が終わり、バスを無事に返しにバス会社に行くと「良く無事に戻って来れたな、ウチの従業員になれよ」とバス会社の社長に言われました(泣)。とっさに「そんなバス貸すなよ」、と僕は思いました(泣)。
そして僕は絶対にもうバスの運転をやらねーと思いました(号泣)。
..........しかし、その年の冬のスキー旅行でも僕がバスの運転手でした(号泣)。この件に関してはまた後に書こうかと思います。
>>>僕と長い友
髪は長い友と書きますね。そう、今回は僕と髪の毛のお話。
僕は....あれは確かまだDECEMBER12をやる前だったから23歳くらいの頃ですかね、当時別のバンドでドラムを叩き、そして同じ会社の人だった多田駄賃(現在のダッチン兄さん)にこんなことを言った覚えがあります。「最近抜け毛がひどいんだよ」
それを聞いた多田さんは、「俺も風呂の排水溝が良く詰まっちゃってさぁ」と言いました。
僕達は「何か良い対策はないだろうか」と思いました。それから数年経過しました。
僕は日々抜けていく長い友、そう髪の毛を気にしてついにある決断をしました。それは「髪の毛を短くしよう」ということでした。昔のDECEMBER12を知る人はわかるかと思いますが、昔は僕は耳までかぶるくらい髪の毛が生えていました。ふさふさでした。
しかし、それだと抜け毛が異常に多いのです。筆で習字ができるのかと思ってしまうくらい、毎日抜けたものです。意を決して僕は髪の毛を短くしました。ある日床屋に行き、「今日はどうするよ?」という友達である床屋のおやっさんに僕は無言でバットを持つ野球選手の物まねをしました。するとおやっさんは「清原?そこまで短くするのかい?」と躊躇したものです。僕は「良いんだよ、おやっさん、ばっさりやってくれよ。もう抜け毛が多すぎるのさ」とシュールに答えました。
おやっさんは僕の毛を刈りながら聞いてもいないのに、っていうか聞いてもいねーのに「あちゃー、結構きてるなぁ、こりゃもうダメだろ?」と言い出しました。そして「ハゲってなぁ、母方の遺伝から来るんだぜ!」と彼の床屋人生40年の経験を語りはじめました。どうやら、彼の勝手な研究によるとハゲは母方の遺伝子が関係するらしく、現に彼の父親は若い頃からゲーハーだったのに、彼自身は母方の遺伝子のおかげで今もってフサフサなのだそうです。震える声で「ホントかよ」と言う僕に「あー、ホントだとも」と答えました。僕は悩みました。僕の父方、そう父ちゃんはまだフサフサ。死んだじいちゃんもフサフサだった。しかーーーーーし、母ちゃんの兄弟達はかなり若いうちからゲーハーになってしまっていたのです。AH−−−−あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。チンチンも小さいのに、もうダメじゃん。
髪の毛を短くした僕は抜け毛が減りました。というか、もうあきらめていました。
そして、僕はスロットで大敗したことをキッカケに毛をそりました。いわゆるスキンヘッドです。
かたや多田駄賃君は、その後DECEMBER12を始めることになりますが、そんな彼がある日突然変貌しました。「えええぇい!思い出を作ってやる」という意図で金髪にしてしまったのです。会社員なのに。普通の会社員なのに。それ以上に「髪に良くない」のに(号泣)。
会社の当時課長であった人物に僕は呼ばれました。そして「多田はどうしたんだ?あれじゃなくなっちゃうぞ」と言われました。そして、その日から課長は「この前多田に会ったんだけど、一段と薄くなってるな」という言葉を発するようになりました。「いやー、俺は頻繁に会うから全然わかりませんけど」というと「あれはもうヤバイな。」と返事が返ってきました。確かにライブビデオを見ると一目瞭然でした。明らかに無い。
ある日多田君(っていうかダッチン)が僕に言いました。「ダパンプのイッサとどっちが薄い?」と。僕は「そりゃー、イッサのほうが来てるだろ?」と正直にいいました。「マジで?そうだよな」その時のうれしそうな多田君の満面なる微笑みは今でも忘れることはできません(号泣)。
そして、それから多田君は反省したのか髪を黒にして自然に戻りました。最近は過去を振り返り「あのときに金髪にしたのがまずかったんだよな」と自分の間違えた行いを反省するようにもなりました。
しかし、そんな僕と多田君(っていうかダッチン)に奇跡が起こったのです。多田君の砂漠化が止まったのです。確かに、最近は課長(現常務)から「多田は薄くなった」という声が一切聞かれなくなりました。1年前と今はあまり変わりがない。バンド界隈からもダッチン薄毛説が消えてしまいました。そして僕はスキンヘッドをやめ、毛を伸ばすと「一時なくなり完全砂漠化していた部分」からも太くてたくましい毛が生えてきているのです。奇跡です。アンビリバボーです。
一応言わせていただきますが、僕も多田君も人工物、いわゆるズラではありません(号泣)。自らの長い友(リアルヘアー)なのです!奇跡はこれからもまだまだ続きます。っていうか続いてください(号泣)。
>>僕とミッキーマウス
僕はファンタジーの国、そう東京ディズニーランドに行くことがあります。年間にして数回は行きます。まぁ自らの意思で行くわけもないのですが、お付き合いや口実で行くことがあります。
どちらかというと、僕の存在自体もファンタジーですから、親近感もありますしその逆に違和感もありませんし(泣)。ちなみに、ディズニーシーにも行ったことがあります。あそこはランドと違って園内でお酒が飲めるというナイスなはからいがありますが、禁酒中の僕には全く関係がないことです(号泣)。まぁディズニーシーでお酒が飲めようが飲めまいが、僕のチンチンが小さいことにはかわりはないので、どっちでも良いのです(泣)。
さて、そんな僕ですが一度だけある決意をし、そして挑戦したことがあります。
もう何年前でしょうか、ディズニーランドに「ミッキーのおうち」というアトラクションが出来たばかりのことです。相変わらずチンチンの小さい僕は当時の彼女とディズニーランドに行きました。しかし、その日の僕は違った。もう、朝から違いました。「今日こそはやってやる!」そう誓っていました。そして同行していた彼女もその僕の決意にある程度気がついていました。
そして僕はその緊張感を持ちながら色々なアトラクションに乗りました。そして一生懸命にミッキーマウスを探しました。しかし、彼はいない。ファンタジーの王様である彼に僕は会わないといけない、そう僕の心の中では使命感が沸いてきました。
そんな僕の眼に飛び込んできたのが「ミッキーのおうち」なる(当時)新しいアトラクション。どうやら彼はココにいるらしかったのです。僕は逸る心を抑えながら、その数時間待ちのアトラクションに並ぶことを決意しました。
そして数時間経過して、僕とファンタジーの王様であるミッキーマウス氏とついに会うことになったのです。
夢にまで見たファンタージーの王、ミッキーが今隣の部屋にいる。そう思った僕は心臓がバクバクしました。そしてついに決行を決意したのです。「やっちゃる。今日こそやっちゃる!」そうつぶやくと止めようとする彼女を気にもせず、僕は決行へと一歩一歩進んで行きました。そして部屋の扉を開けると案内役のお姉さんと一緒にファンタジーの王、ミッキーマウスがたたずんでいました。
そして、その王は僕を見るなり僕に抱擁しようとして走ってきました。僕の為に。そう僕の為にです。僕はその時に迷いました。そして僕の心の中に住む天使がささやきました。「やめるんだ!仏児クン!ミッキーは君と同じファンタジーに住む仲間じゃないか。」と。僕は迷いました。彼は僕の友達だ。僕の仲間だ。ダメだ決行できない。
しかし。しかし。しかし。そのコンマ数秒後に僕の中の悪魔がささやきました。「奴を倒せよ。いつまでのさばらせるんだ?!奴を倒したら、お前がファンタジーの王様になれるんだぞ!」と。
ああぁぁぁぁぁ、そうだ。今日の僕はミッキーを倒してファンタジーの王様になるためにココに来たんじゃないか!僕は彼を倒すために来たんじゃないか!
そう思うと、僕の中の悪魔が「そうだ!やったれ!やるんだ。やるんだよ!」と叫びました。僕はその叫びに同調すると自然と左腕を上げ、走りよって来るミッキーマウス目掛けて炸裂しました。いわゆる、いやいわゆるも何も思いっきり「カウンター越しのラリアット」です。
それを食らったファンタジーの王、ミッキーマウスは数メートル飛んでいきました。そしてファンタジーの王は倒れました。まさに、僕がファンタジーの王をKOした瞬間です。偶然に見せかけたギリギリの行為。流石にココでフォールまで取ろうとすると偶然にならない。
しかし、案内役のお姉さんはその場で噴出し、仕事を忘れて笑ってしまう始末。ああぁぁぁ。やったぜ!べいべー。これで僕がファンタジーの王様だ。明日から子供達は僕に対して尊敬のまなざしで見るぞ!コンビニでエロ本を立ち読みしている僕にだって、近所の子供達は擦り寄ってくるのさ!どうせなら、チンチンが小さいことこそがステータスになるかもしれない。そう、僕は思い満足をしました。そして、さっきまでファンタジーの王だったミッキーマウスと抱き合い、しばしの別れをしました。
。。。。。。。。。しかし、あれから数年経過しても僕は全然ファンタジーの王様にはなっていません(号泣)。どういうことでしょうか。誰か教えてください(泣)。
>僕と車(パート1)
僕は1973年生まれなのですが、僕と同年代以上の人は必ずと言って良いほど車か単車(両方もあり)に興味があり、シャコタンブギとかよろしくメカドックとか湘南爆走族とかに熱中したのではないかと思います。まぁ、埼玉の片田舎に育った僕も例外ではなく、高校生の頃は車に興味や憧れを抱いていました。
ウチのダッチンはどうにもバンドをやっているのが不思議なくらい、単車も車もある程度詳しくて好きな感があります。そんなダッチンと僕とのお話。
僕が高校2年生の時がゼロヨン最盛期だったのですが、その当時早かったのはRX-7(サバンナね)でした。後にGT-Rが結構出回って世の中が変わるのですが、ゼロヨンといえば僕は「ロータリーエンジン」というイメージがとてもありました。そんな僕が高校2年生のときにとんでもない車が発売されました。その名も「ユーノスコスモ」です。
13Bと20Bのタイプがあって、13Bは2ローター、シーケンシャルツインターボ(初?)でした。しかし、驚いたのは20Bのほうです。なんとこれが3ローターだったのです。僕は驚きました。それは僕が愛読していた漫画「よろしくメカドック」の車が現実に市販されたからだったのです。那智さんの3ローター仕様のRX-7が現実となったのには驚きました。
物理的に3ローターになるとエンジンが大きくなりすぎるために、エンジンルームは必然的に大きくならざるを得ない。ということは3ローターにするには3ローター仕様の設計の車が好ましいわけです。まさかとは思いましたが、実物のユーノスコスモを見て驚きました。「でーーーけーーー」と言ってしまうくらい、デカイボディ(笑)。そしてバブリー仕様の数々。電動本皮シート。リモコン制御。なんてバブルな車なんだと思いました。当時高校生だった僕はそんな高級車を買えるわけもありません(号泣)。
そして僕の先輩達もRX-7までは買えても(まぁ金銭的な面も含めて、いじれてもというのが正確な言い方でしょうね)ユーノスコスモには手が出ませんでした。最も「コスモ(当然20Bね)を買うならGT-Rを買うよ」という意見もありましたが(笑)。
そして、僕は数年間ユーノスコスモを思い続けました。数年前のある日のスタジオにて僕はダッチンにその思いを言いました。そして僕は「買おうかと思うんだ」と伝えました。するとダッチンは物凄く冷めた眼をしながら「ブーコには絶対無理だよ。やめとけ。」と一言いいました(泣)。僕は「えぇ?なんでだよ!俺もメカドックになるんだよ」と言うと「ロータリーを甘く見るなよ!エンジンがかぶるんだぞ!っていうかエンストするんだぞ!冬なんてエンジンかからないんだぞ!」ちゃんと整備すりゃ良いじゃんと言う僕に大して「ものぐさなお前がそんなことするわきゃねーだろ」という顔をしながら「あのねぇ、あまり言いたくないけどセブン(ダッチンはRX-7に乗っていたことがある)乗っていたときに高速道路でエンジンが止まったんだよ。その時は路肩に止めて...(この先ダッチンから苦労話のオンパレード)」燃費が悪いだとかハイオクだとか維持費が高いだとか、色々といったあげく「悪いことは言わないって、やめたほうが良いって」とのご返答でした。
ダッチンはスカイラインをミッション乗せ換えまでして乗っていたのに「実用的な車が欲しい」とのことからオデッセイを購入してしまいました(泣)。しかもバンドのツアー車兼用。あの車好きも「バンドやってなかったら車に金かけたいけど、いくら金あっても足りないだろうし、現実問題難しいからねぇ」とのこと。
結局僕は実用的なことを考えて今乗っているパルサーSR-Vを新車で購入したのですが、今でもユーノスコスモへの憧れは褪せることありません!っていうか、いつか、いつか、いつかあの馬鹿デカイボディーのユーノスコスモで重低音響かせながらライブハウスに乗り付けてやる!くだらない決意でどうもスミマセン(号泣)。
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