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新等身大の私(BU-KO
SxEコラム) No100 >>>
>僕ってば100回記念
そうそう、このコラムも何気に100回ですか。そんなに書いてどうするのよ?って感じなんですけど、まぁいいです。100回記念っつーことで何か変わったことでも書こうかなーと思うんですけどそれもだりーなーなんて思う次第です。
幸いなことに(別に幸いじゃないんだけど)この奇特なコラムはアイアンフォースHP以前の「SxEの部屋」から続いているんですけど、それにしてもアクセス数から見て何気に読んでいる人もいるなーと思うわけで。まぁ御読者様あってのページなのでありがたいことなんですけど。ってことで、先に言えば「どうもです」。
さてさて、100回っつーことで僕の音楽論でも書きますね。
そもそも、僕が一番最初に買ったのは中森明菜の北ウイング(もち、ドーナツ版)です。これは小学校の3年だかそのくらいにお年玉でこっそり、親にも内緒で買いました。なんで親に内緒かというと当時中森明菜って不良ってイメージあったし、それより何より女の人のレコードを買うっていうこと自体「仏児、異性を意識してるな?」って感じなので、やっぱり恥ずかしいものです。当時は「松田聖子派?それとも中森明菜派?」ってな時代だったんですけど僕は断然明菜派でした。当時は歌謡曲全盛期で「トップテン」「ベストテン」に出ている歌手の人が脚光を浴びていた時代で、今みたいに輸入版なんて買えない時代でしたのでそれは当然だと思います。学校でも当時通っていたスイミングスクールでも話題は野球かプロレスか歌番組のどれかでした。娯楽も少なかった時代ですし、何より埼玉の片田舎(当時は道路もアスファルトじゃなかったから)に育った僕ですので当然ですね。
まぁ皆さん、最初に自分のお金(まぁ厳密に言えば自分の稼いだお金じゃないんでしょうけど)で買った音源っていうのは僕と同世代ならチェッカーズなんかですかね?もうちょっとお兄さんになると銀蠅とか?ま、僕の友達に初めて買ったレコードがジャッキーチェンだったなんてヤツもいますけど、間違えてもエアロスミスだとかクイーンだとかいう人はいないでしょうね(笑、小学生でそんなレコード買うようなヤツはどんな大人になるんだろうか。)?
ま、僕はこんな感じです。よく、おニャン子クラブのレコードを最初に買ったんじゃないか?疑惑が浮上するんですけど、当時はおニャン子のレコードを買うなんてエロ本を買うくらい恥ずかしかった記憶があって、おニャン子関連で最初に買ったのはうしろゆびさされ組のバナナの涙のシングルでしたよ。あれならアニメの主題歌でしたので抵抗無かったですしね。
で、中森明菜のレコードを買う前にYMOのソリッドステートサヴァイバー、それにライディーンのシングルは聴いていました(馬が走るやつね)。っていうか、あれは僕の父ちゃんが僕の為に買ってくれてそれを聴いていました。YMOとの出会いは劇的で、僕が小学校1年生の時の担任の先生が遠藤先生という若い女の先生だったんですけど、その先生が縄跳びクラブというクラブの顧問をしていて、その関係で知りました。縄跳びクラブっていうのは音楽にあわせて縄跳びをするという間抜けなクラブなんですけど、その時に流れるのがYMOだったんです。ま、当時は流行ってましたしね。で、更にはその先生が体育の時間にもYMOを流して子供達を躍らせるという奇怪な行動に出てしまい、その時に小さい太鼓を拍子の頭に「ドンドンドンドン」と打つわけです。そう、いわゆる4つ打ちです(笑)。
YMOはホントによく聴きましたねぇ。僕はあれって音楽だとは思っていなくて、運動用の音だと思っていました。行進の時や運動会に流れる音楽と同じ感覚ですね。で、音楽の時間でやる童謡やら唱歌が僕は大嫌いだったので、僕は音楽は嫌いなんだと思っていました。音楽イコールみんなで並んで歌う合唱、みたいなイメージですね。それは歌謡曲にも同様に思っていた節があって、当時僕は好きだったジュリーなんかも振り付きで歌を歌っていたので、あれは運動なんだと思っていました。
僕の両親は今でも音楽というか、僕の勝手な音楽活動に理解のある奇特な人で、その証拠に僕が高校を卒業して音楽学校に行きたいって言った時も全く反対しませんでした。今でも高い学費を出してくれたことを感謝しています。ま、もし僕に将来子供が出来て音楽学校に行きたいなんて馬鹿なこと言い出したら僕は絶対に反対しますけどね(笑)。
僕の父親は当時としてはレコードを持っていたほうだと思います。その多くが僕の全く理解できない横文字の音楽でした。何を言っているのかもわからないし、外人で知らない人なので全く僕にはそのよさがわかりませんでした。その後知ることになるんですけど、そのレコードの中にはストーンズやWHOも入っていました。あ、あとサイモン&ガーファンクルなんかも(笑)。
家にはフォークギターがあって、父親はたまにテレビで野球を見ながらそのギターを弾いていました。レコードも僕が小さい頃はよく聴いていたんですけど、仕事やら子育てやらに忙しくなってきたのか、レコードもギターも僕が小学校高学年になる頃にはただの飾りになってしまい、いつもホコリがかぶっている状態になっていました。僕が生まれる前はギターを弾いてバンドやらをやっていたらしいんですが、僕が生まれてからはギャンブルを含めて多くのことを辞めてしまったと大人になってから聞かされました。
音楽から離れていくことに比例して父親はもう一つの趣味である釣りに没頭していきました。僕を連れまわしては多くの釣り場に行きました。釣りの大会にも出場していて何度か優勝をしていたのを覚えています。余談ですが、今はもっと釣りにハマってしまっていて、僕らが自立してからは会社を辞めて釣りばっかりしていたときもありました。
僕の母親はムード歌謡みたいな音楽が好きで、父親が使わなくなったステレオでそういった音楽を聴いていました。家にいるときのほとんどの時間は音楽を聴いていて僕は非常にそれが嫌だった記憶があります。
僕が中学生になると貸しレコード屋というのが駅前にあることを知りました。僕はそこのレコード屋でレコードを借りてはカセットテープにダビングするという生活になりました。が、ステレオが悪かったせいかそのカセットの音が非常に悪くて悲しかった思い出があります。当時まだ珍しかったウォークマンを母親がビンゴか何かの景品でもらってきて、それを借りるという形で僕だけの音楽生活が始まりました。居間にあるステレオでは母親がいつもムード歌謡を聞いているので、母親が仕事でいない時間に貸しレコ屋から借りたレコードを居間のステレオにてカセットにダビングしてそれを自分の部屋にてウォークマンで聞くわけです。当時の僕の部屋にはステレオなんていう大人チックなモノはありませんでしたから。
僕の当時のこずかいは3000円だったんですけど、その全てはゲーセン&貸しレコで消えていきました(笑)。小学生高学年及び中学生の時に聞く音楽はやっぱり歌謡曲で、そのほとんどがアイドルでした。当時はアイドル全盛期でしたので、流行り物好きの僕はそれらに飛びつきました(笑)。中山美穂、浅香唯、西村知美、酒井法子、渡辺美奈代、渡辺満理奈、我妻佳代、南野陽子なんかをよく聴きました。当時、僕は明星とダンクを購読していたのであの時代の大概のアイドルを熟知しています(笑)。
貸しレコ屋で借りられるレコードにも限りがあるので、僕は日曜日の午後に文化放送でやっていた「トヨタサンデースペシャル、歌謡選抜」を聞いてそれをカセットにダビングしていました。僕の持っていたウォークマンではラジオをカセットに録音できる機能があったので、このラジオで流れる曲を録音しては楽しんでいました。この歌謡選抜なる番組は今でいうカウントダウンTVのラジオ版みたいな感じなんですけど、フルコーラスで曲が流れるという素晴らしい番組でした(笑)。僕は日曜日の午後にはこれを毎週聞いてはカセットにダビングするという生活を続けました。
丁度この頃、FMラジオにてナック5(FM埼玉)というラジオ局がスタートしたので、音がイイFMラジオも聞くようになりました。ココでカルチャークラブやらデュランデュランを知ることになります。しかし、当時のアイドル熱にはそういった洋楽も勝つことは出来ませんでした。
書いてて思い出したんですけど、中学生の時の修学旅行にてあまったお金全てを映画村にて酒井法子のプロマイド&生写真にかえた覚えがあります(笑)。それくらい当時はアイドル一直線でした。日曜日夜のニッポン放送ではアイドルオンパレードで、僕はホントに日曜日の夜が楽しみでならなかった気がします。その中でも渡辺美奈代の恋はちょっぴりっていうラジオ番組が大好きで、それがきっかけで渡辺美奈代にどんどんハマって行きました(笑)。
そんなアイドル熱を一気に冷めさせる事件が僕には訪れます。
僕が中学3年生の時に見たTVドラマ「ハイスクール落書き」の主題歌を聞いた瞬間、僕の体中に電気が走ったくらいの衝撃を覚えます。その曲は皆さんも知っているブルーハーツのトレイントレインです。僕はなんてカッコイイんだろうと思い、当時そういったロック系の音楽に詳しかった僕と同い年の親戚である俊太に色々と教えてもらいつつ、沢山のバンドをカセットテープ一杯にダビングしてもらいました。持っているお金を全てアクシア(当時安くて音もまぁまぁなテープ)に変えては、俊太の家に行って全部ダビングしてもらいました。そんな感じで家のカセットテープは瞬く間に100本を越えました。
特にブルーハーツは大好きで、カセットテープが擦り切れるほど、歌詞も一字一句覚えるほどまで聞きました。他にもレピッシュ、ラフィン、筋肉少女隊、有頂天、ジュンスカ、ユニコーン、プリプリ、ジギー、爆風スランプ、もちろんボウイも聞きました。それからというもの、歌謡選抜は聞かなくなり、代わりにテレビ埼玉で放送していたサウンドスーパーシティや、NHKで放送していたジャストポップアップなんかを見たり、東京FMなんかを聞くようになりました。明星も買わなくなり、代わりに宝島(後にバンドやろうぜ)を買うようになりました。
当時僕はCDプレイヤーを持っていなかったので、父親に買って欲しいとせがみました。が、父親は音楽にどっぷり漬かっていく僕を見て「そんなに好きなら自分で働いて買え」といいました。僕はその言葉どおり、高校に入学してすぐに日雇いのアルバイトをして念願のCDラジカセを買うことになります。
そんなロックに詳しい俊太と2人で高校生になったらバンドをやろうといつも話していました。僕は当時「ベースをやるんだ」といつも言っていました。どうにも僕はベースのあの長いネックが男らしさを感じていたみたいで、ベース及びベーシストに対して異様な憧れを持っていました。が、その夢はかなうことはありませんでした(笑)。
ま、ここまで書いて思ったんですけど埼玉の片田舎の普通の中学生ですよね。まだ本格的にパンクやハードコアといった音楽を知ることになるのはもう少し後のことです。続きは150回目辺りで書くことにして今回はこれにて失礼しマッスル(もしよければ感想くれ)。
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