アインアンフォース 2004

All Rights Reserved.

 

 

>>>Bands

>アイアンフォース

>BRAIN EATERS

>エクスプロイダー

>INFIST

 

 

 

新等身大の私(BU-KO SxEコラム) 1-5 >>>

 

>>>>>僕と三十路

今、これを書いているのは2003年の6月某日なんですが、実は7月の終わりになると僕は30歳になります。いわゆる三十路です。別段どうってことでも無いのですが、いや、どうってことあります。三十路ですよ。ああぁぁ。 学年で言うとウチのベースの俊兄は一つ上なので、一足早く30歳になりました。とはいえ3月の終わりなので、そんなに違いはないんですがそんな俊兄を見ても「三十路ぃぃ!」ということすら出来ない、そんな僕の心境です(号泣)。ああぁぁ。吐息でネット(BY南野陽子)って感じです。 

20代は沢山のことがありました。まだ終わっちゃいないけど。厄年の24歳時には1ヶ月に2度も車が事故にあいましたよ(号泣)。バンドも沢山やりました、多分。良いこと沢山あった…のかなぁ(号泣)?まぁ良いです。大事なのは明日ですから。 

僕が10代、とりわけ高校生の頃は三十路っていうと「おっさん」ってイメージでした(号泣)。で、その上で言わせてもらいますが、僕が高校生の頃には「俺が30歳になっている頃には結婚もして、子供も2人くらいいて、自宅の庭で芝を刈りながら犬(コリーなどの血統証付き)にフリスビーを投げているんだろうなぁ。仕事もバリバリできて、キャリアもあるんだろな。」と思っていました。冗談じゃなくて、本気で思っていました。本気ですよ!本気。 

でも、今のまま僕が30歳になった場合、その高校生時代の僕の想像でかなえられるのはフリスビーを買うことくらいなんです(号泣)。しかも100円ショップの。ああぁぁ、どうしよう。 

25歳過ぎた頃から理想の将来像、そして理想の自分像がかなーり変わってきました。いつも言うんですが、理想(及び憧れ)は岩城滉一氏です。ああいう大人になりたい(号泣)。 昔は「いつまでも年を取りたくない」と思っていました。でも、年は取るし体だって衰えてくる。仕方が無いですよ。だけど、良い年の取り方はできるし、良い年の取り方をしている人って実際にいますしね。25歳過ぎてはじめて矢沢永吉の良さを知りましたよ。 

実に新日プロレスの金本浩二選手もとても素晴らしいのですが、そんな金本選手が週プロのインタビューにて「俺は自分でおっさんだと思っているし、それで良いと思っている。カッコイイおっさんになれば良いし、実際に俺は良い年の取り方をしていると思う」ということを言っていたんだけど、そういえるようなカッコイイおっさんに僕もなりたいなーと思う次第です。それが、今から三十路を向かえる20代最後の仏児の目標です。いつか若者に「ブーコさんってカッコイイ年の取り方していますねー、俺もはやくおっさんになりてー」と言われるようになれば良いなーと。思う次第です。

ま、そんなカッコイイおっさんになれるわけないだろうけど(号泣)。

 

 

>>>>僕は変身願望者

僕の沢山の夢の一つに、「変身願望」というのがあるんです。古くは仮面ライダーとかウルトラマンとか。本当に小さい頃から変身できることへの憧れが物凄くあって、小学生の頃に「バオー来訪者(荒木比呂彦氏著)」という漫画に物凄く感化されました。その著者の荒木氏も「幼少の頃から変身願望がある」と何かの文で書いていたのを後に見て「なるほどな」と思ったものです。 

小学生の頃に「将来の夢」という題材があったのですが、それに当然のごとく「サラリーマン」と書きました(笑)。ちなみに「自民党の総裁選に立候補して内閣総理大臣になる」と書いたこともありますが(号泣)。 サラリーマンと夢に書いた割には、本当は「魔法使い」になるんだ!と思っていたものです。もし、今僕が小学生でハリーポッターを見たら間違いなく進路は「魔法学校に進学」と先生に言って困らせたことでしょう(号泣)。そんな僕なので、当時流行ったアドベンチャーブックやらRPGやらに没頭しました。 

中学生の頃にはじめてスーパーマンを見て、えらく感動しました。普段はさえない新聞記者の主人公がカッコイイスーパーマンに変身する。まさに僕の理想でした。これだ!と思ったものです。 

そうそう、もっとも僕の中でヒーロー度が高かったのは「タイガーマスク」でした。アニメのタイガーマスクを見て、本物プロレスのタイガーマスクは伊達直人だと思っていました(笑)。孤児達の為にマスクをかぶり虎の穴のレスラー達に立ち向かうタイガーマスクに幼少の僕は感動以上の感情がありましたよ。マスクをかぶることで伊達直人がタイガーマスクに変身する。これほどカッコイイことは無かったです。 

しかし、しかしですよ!今の僕は一向にスーパーマンになれない(号泣)。タイガーマスクになれない(号泣)。いつスーパーマンになるのだろうと思うのですが。 そんなさえない人生を歩んでいる僕ですが、実は一つだけ変身願望がかなったモノがあります。それが「ワンハンドクラッチエクスプロイダー」です。普段さえないふつーのサラリーマンの僕ですが、ワンハンドクラッチエクスプロイダーのライブではヒーロー気分です。っていうかヒーローです(号泣)。ヒーローなんです(断言)! 原爆オナニーズのタイロウさんを見て、普段とライブとのギャップに驚きました。あの人はステージ上では最高のスーパーヒーローです。カッコイイ。そんなタイロウさんに憧れ、そして頑張ろうと思ってやっているバンドが僕の中ではワンハンドクラッチエクスプロイダーです。だからロゴも仮面ライダーとタイガーマスクに似たカタカナのロゴです。もちろん原爆オナニーズと同じカタカナ。 いつかタイロウさんみたいなカッコイイ人になりたいと思います。 

 

 

>>>僕は暴力反対じゃないよ

最近はあまり話を聞かないですが、僕の少年時代は普通に暴力が横行していました(笑)。僕の4歳年上が一番荒れている年齢だと言われていて、僕が一番最後のヤンキー世代とも言われています。

今考えると不思議なのかもしれませんが、僕は良く先輩からボコボコ殴られました。というか、僕以外の人も同じでした。どちらかというと僕は殴られてないほうかもしれません。 普通に「おい!ちょっと来い」と言われては殴られました。理由があるときがほとんどでしたが、理由が無い時もありました(笑)。でもその当時はそれが普通だと思っていたので、全然不思議じゃなかったですし、先輩は後輩を殴るものだと思っていました。その代わり優しい反面もあったので、それについて不満とか無かった気がします。

よくヤンキー漫画にあるような「ステッカー売り」とか「パー券売り」みたいな搾取は無かったですし、金品をもらうことはあっても取られたということは絶対にありませんでした。 1歳年上の先輩になると、本当に優しくて暴力なんて受けたことがありませんでした。だから、僕も後輩にはやさしくしようと思っていますし、それは今後も変わりません(たまに本気でぶっ飛ばしてやろうかと思うときもありますが、大人ですから、笑)。 

そんな僕ですが、今でも忘れられない先輩からの暴力があります。高校2年生の時に3歳年上の先輩達と一緒に山田うどんに行きました。普通に食事をして出口を出る際に、店員のおばちゃんが「ありがとうございました」と言いました。先輩達は「ごちそうさまです!」と言ったのですが、僕は無言で外に出ました。その時です。先輩に「お前より年上の人がありがとうございましたって言ってるんだから、それを返すのが礼儀ってもんだろ!」と言われてその場で殴られました。そうとう殴られました(笑)。 

あれから数年が経過して、OUT OF TOUCHのライブでVoの人がMCで「世の中物々交換なんだから札(金)を出すほうが偉いわけじゃない」と言っていたのを聞いたのですが、その時に先輩達が僕に言いたかったことも同様なことだったのだと思います。それを僕に暴力で教えてくれたのだと今でも思っています。それからは何処の店だろうが、無言で出口を出るということは絶対にしなくなりました。

ありがとうございますとお互いが自然にいえるような、それが本当の意味での礼儀だと思います。

実は、暴力に関して僕は反対ではありません。賛成でもないのですが、やはり必要なことだってあるだろうと思っています。

ガンダムのブライトさんがアムロに言った言葉じゃないけど「殴られないで一人前になる奴が何処にいる!」と思っています。 

ちなみに、僕はあんなに殴られたのに未だに一人前になれません(号泣)。 

 

 

>>僕のカンニング事件

突然ですが、僕は高校3年生の時担任の先生から「竹原君はあと3日休むと卒業できないから」と言われました。ま、出席日数がギリギリということです(号泣)。 学校に行かずに遊んでいたのにも理由がありますが、一番の理由は停学と謹慎を食らったことだと思います(号泣)。まぁココに書くのも恥ずかしいくらい些細なことなので書くのは遠慮しておきます(泣)。

 そんな僕の高校生活に最大のピンチがやってきました。それは「竹原カンニング事件」です(号泣)。確か2学期の期末テストだったと思いますが、地理のテストを受けました。 ただでさえ頭の悪い僕なのに、全く勉強をしないで望んだテスト。わかるわけありません。 だからといってテストをサボるわけにもいかないので、普通にテストを受けました。テストを受けてテストを回収する際に、試験管の先生から「竹原がカンニングをしている」と指摘を受けました。どうやら後ろの人の答えを見て回答をしたというのです。全くの濡れ衣でした(笑)。おいおい、ココでまた謹慎とか停学になったら、俺卒業できないよ!という思いもあったので「やってねーっすよ!」と一生懸命言ったのですが、その試験管の若い先生は全く引き下がりません。とにかく後で処理するからと言われ、もう、俺の人生は終わりだーと思いその先生をぶっ飛ばそうと考えました。だってやっていませんから(泣)。 

すると、その若手の先生から即職員室に呼ばれて「特別に地理の先生から答案を解答してもらった結果、●●点だった(たしか70点くらい)。やっぱりカンニングだ」と言われました。俺も「えー、そんなに良い点だったの?」と驚いたくらいです。しかし、人生がかかっているので「やってねーよ!お前死にてーのか?!あ?」と職員室でまくし立てました(泣)。「とにかくこれから担任の先生と学年主任の先生に報告するから」と言われたので「勝手にしろ!やってねーもんはやってねーよ」と言って怒っているところに地理の先生が来て「●●(僕はやさしいから伏せておきます)先生!竹原君はカンニングなんてしてませんよ!」と言いました。

その若手の先生は「そんなことは無い!この眼で見たんだ!」と言ってその先生を怒り出したので、逆に怒った地理の先生は「じゃぁ、これ見て言ってくださいよ!」とぶっきらぼうに答案を渡し、僕に「大丈夫。竹原君のことは私が証明するから」と言ってくれました。そしてその答案を見た若手の先生の顔色が見る見る青くなって行きました。そして、その先生はその場で僕に丁寧に謝罪をしてきました。

僕は人生がまだ終わらないことの安堵感があったので「あー、わかってくれたらいいっすよ」と言ってその場を収めました。結局カンニング疑惑は晴れ、何事もなく地理は良い成績で終わりました。そしてその後地理の先生とも、その若手の先生とも友好関係のまま高校を卒業しました。めでたしめでたし。 

えっ?なんでカンニング疑惑が晴れたかのかって?それは僕が4択問題のABCD回答を全部Bにして回答していたからですよ(笑)。全く答えがわからなかったんです。ですから全部同じ回答にすれば1/4の点数が取れるだろうし、あわよくば赤点にならないだろうなと思ったから勝負をかけて全部Bにして提出したんです。ブーコらしいでしょ(笑)? 

 

 

>僕とバブル経済

時はバブルのお話。僕が高校生の時が丁度バブル経済でした。15歳で掃除屋のバイトをはじめたのですが、時給が最初550円だったのが1ヶ月で600円になり、また1ヶ月で650円になり、またまた1ヶ月で680円になり、さらに1ヶ月で700円になり、さらにさらに3ヵ月で1000円になりました。まさにバブル到来です(笑)。 

仕事が沢山あって、学校帰りだけではなく学校に行く前や休んでバイトに行ったりしていました。金は入ってくるし、仕事はある。今では考えられない時代でした。作業着を着て街を歩いているだけで「お兄さん、掃除屋さんでしょ?仕事を頼みたいんだけど」と言われるくらいでした。

そんな僕が高校2年生の夏に、なぜかある企業の独身寮の管理人になりました。家がその寮から近かったのも大きな理由ですが、適任者が現れなかったために管理会社から僕の働いていた掃除屋のほうにお願いして掃除屋側で管理人を出してもらいたいという話になったのが本当の理由でした。要するに誰でも良かったのですが、たまたまその場に僕がいただけのことです(笑)。そして16歳の最年少管理人が誕生しました(笑)。

その寮の会社は多分誰でも知っているであろう大手の製造業会社です。当然一部上場企業です。そこの管理人をすることになりました。朝、寮に行き仕事をするのですが当時の僕の知識だと管理人って何?って感じだったのでめぞん一刻と同じように玄関掃除をしますが、夏なので落ち葉もなく「張り合いがないなー」なんて思ったものです。

風呂の掃除をして、共同部の掃除を入念にして、ゴミ出しをしておしまい。あとは夕方4時半に風呂を沸かすだけ。掃除なんていくら念入りに一生懸命やっても2時間もあれば終わってしまいます。あとは入り口の管理人室で待機しているだけ。ガスの集金とか電話代の集金とかが来るときはお金を払う。そんな仕事でした。 

たまに本体(製造会社)の衛生課の人が来ては一緒にご飯を食べに行き(当然経費)、2人でテレビで高校野球を見たりしていました。「会社には良くやっていると報告しておくからね」と言ってくれていたので本当に待遇が良かったです。流石はバブル経済(笑)。 

それでもやっぱり暇。暇なので休みの寮生の人が洗車をしていれば手伝ったり、部屋の掃除を手伝ったりしていました。するとまたまた評判がよくなり居心地がよくなる。結局夏休みだけだと思っていましたが、学校が始まってからも寮から学校に通っていました(笑)。 休みは全く無い状態でしたが、時給は1000円だったので毎月給料は30万円以上手取りでもらっていました(笑)。流石はバブル経済(笑)。 

当時は車に物凄く興味があったので、寮生の洗車も楽しくやっていました。夜になると先輩や、その寮生の人の車で夜遊びばかりしていました。ゼロヨンが全盛期だったのでゼロヨンはしょっちゅうでした。ま、車に関しては別の項で書きますが。 結局寮の管理会社のほうで適任者が見つかったとのことから、冬になる前に管理人を辞めるわけですが、働きが評価されていたせいか管理人の人がいてもたまに寮に呼ばれて働いていました。その上、新管理人さんからもなぜか好かれていた為に、とても居心地が良くて楽しい日々でした。

バブル経済と聞くと、あの管理人をしていた日々を思い出す自分がいます(笑)。

 

 

Hosted by www.Geocities.ws

1