
034.recover
海江田さんは私が泣き止むまでずっと私の傍に居てくれました。
私は海江田さんが私を抱き留めた時失っていた記憶を思い出しました。
何故私が男の人を恐れていたか、その原因が分かりました。
でも海江田さんのお陰で心の傷は癒えてしまっていました。
もしも海江田さんに出会わないまま記憶を取り戻していたら、きっとまた同じ事を繰り返していたと思います。
私はこんな顔に生まれてしまった事をずっと引け目に感じていました。
でも海江田さんは私の素顔を見る事にもはや嫌悪感を感じないと言ってくれました。
私は今まで肉親以外の他人と殆ど会話を交わした事がないけれど、
海江田さんがどれほど優しい人かという事は分かりました。
私は海江田さんに心配をかけないためにも、記憶が戻った事はすぐにでも話すべきだと思いました。
記憶が戻ったと海江田さんに言うと、海江田さんは
気付いてたよ。
と言いました。そして、私にずっと秘密にしていた事があった、と言いました。
それは海江田さんの過去でした。
035.secret
海江田さんの話は俄には信じ難い内容でした。
自分がある日突然他人の心を読めるようになった事、母親は人工的に作られた人間だった事、
姉が裏社会の人間だった事、二回死にかけた事、
自分が姉だと思っていた人が本当の姉のクローンだった事、
その人を救うために命がけで本当の姉を倒した事、
その事実を知ったせいで、自我の崩壊が起きて精神科に入院している事、
自分の自殺未遂の原因がお姉さんの変貌ぶりによるショックだと言う事。
簡単に信じられる内容ではなかったけれど、作り話にはないリアリティがありました。
海江田さんが嘘をつくような人には見えません。でもやっぱり直ぐには信じられないんです・・・。
これが私の正直な感想でした。
海江田さんはそんな私の答えに、
直ぐに信じてもらえないのは予想してたよ、それに無理して信じようとしなくてもいい。
今話した事が僕の過去だという事を頭に置いてくれたら、其れでいい。
と言いました。
私は静かに頷きました。すると海江田さんは、
今まで隠しててごめん。言わない方がいいと思ってたけど、
僕だけ君の秘密を知っているのは不公平だと思ったから・・・。
と言いました。
秘密・・・?
私がそう訪ねると、海江田さんは少し気を使ったような言い方で
君の・・・・・・素顔の事。
と言いました。
私は一瞬はっとしましたが、私がマスクをしている事が
海江田さんに気を使わせているんだと思い、
海江田さんが私の顔を見て何とも思わないなら、これはもう秘密でも何でもありません。
と言ってマスクを外しました。
海江田さんが少し微笑んでくれたような気がしました。
と、その時、電話が鳴りました。
海江田さんは受話器を取りました。
どこからかかってきたのでしょう・・・?
036.call
電話をしながら海江田さんの顔色は見る見るうちに青ざめていきました。
そうして直ぐに行きます・・・。と言って電話を切った後、
ちょっと出かけてくるよと行って家を出て行きました。
その時の海江田さんの表情が忘れられません。
心配をかけまいとしているのか、笑顔を浮かべようとしているようでしたが、
その表情からは深い動揺と不安が痛いほど伝わってきました。
私にはどうする事も出来ません。
こうやって待っている事しか出来ません。
海江田さん、私はあなたにとってどんな存在なんですか?
偶然の成り行きから一緒に住んでいるだけの存在なんですか?
それとも私は海江田さんを癒して上げる事が出来る存在になっているんですか?
海江田さんのあの表情からして、恐らくお姉さんに何かがあったのでしょう。
海江田さんはどんな表情で帰ってくる?
お姉さんに何があったの?
其れは多分聞いてはいけない質問なのでしょう。
私が踏み込む事が出来ない程の絆を二人は僅か1〜2ヶ月の間で築き上げているのだから。
もう此処には居られないのかな・・・・・・・・・。
037.ugly
海江田さんは優しいです。
私の素顔を見ても全然厭な顔をしません。
きっと海江田さんの様な人はそうそう居ないでしょう。
でも私は醜い。
自分の幸せのために、他人の不幸を願っている。
いつしか私は海江田さんの優しさに惹かれていました。
今日電話がかかってきた時、私は海江田さんの表情から
お姉さんに何かよくないことが起こったのではないかと思いました。
その時確かに私は海江田さんのお姉さんの事を心配しました。
しかし、ほんの僅かですが
(もし病院からだったら、悪い知らせだったらいいのに・・・)
と言う考えを持ってしまいました。
私は自分の恐ろしい考えに寒気がする思いでした。
私は顔だけでなく心まで醜くなってしまっていたのです。
いえ、只気付いてなかっただけかもしれません。
被害者ぶって自分の醜さから目を背けていただけなのかもしれません。
私は・・・・・・・・・・・・!!
038.departure
私は海江田さんの事が好きです。
恋とか、愛とか、そういう事については全く分からないけど
只、海江田さんの事が好きです。
海江田さんの支えになりたいです。
でも・・・・・・!!
私はほんの一瞬とはいえ、海江田さんの不幸を望んだ!
好きな人の不幸を!!
私は、私は、自分が憎い・・・・・・。
夕焼けで赤く染まる部屋の中で考えました。
此処から・・・出て行こう。
置き手紙を書いて、お金を持って玄関に向かいました。
壁に掴まりながら、歩きました。
「体がよくなるまで此処にいてくれ・・・」
海江田さんの言葉が蘇りました。
ごめんなさい・・・、ごめんなさい・・・。
玄関のドアを開けた瞬間、部屋の電話が鳴るのが聞こえました。
「何かあったら、電話するよ」
出がけの海江田さんの言葉を思い出しました。
海江田さんからの電話・・・!
海江田さんの声を聞きたい衝動に駆られました。
でも、もう、私には海江田さんと話す事が出来ません。
海江田さんもきっと気付いていた筈です。私の酷く醜い考えに。
今まで、ありがとうございました・・・。
そう呟いて、私は玄関のドアを閉じました。
039.trash
夜の街を心細い気持ちで彷徨いました。
マスクをしている上に、ヨロヨロと物に掴まりながら歩く姿は
他人から見ると不気味に映るのでしょう。
私の周りには誰も近づこうとしません。
海江田さんの存在がどれほど私にとって貴重だったか
其れまでも分かって居るつもりでした。
でも、いざ失ってみると予想以上の喪失感で私は押し潰されそうでした。
死にたいと思いました。
でも死ぬ勇気さえありませんでした。
只塵の様に生きる事しか出来ない、つまらない人間でした。
私は、塵です。
040.eyes
一人で居る事はどうしようもなく寂しくて、
でも一緒に居てくれる誰かはもう居なくて、
私はビルの隙間から雑踏を眺めていました。
海江田さんの様に優しい人はきっと居ない。
あんなに優しい人は簡単には見つからない。
だからなおさら、他の人が怖くなりました。
一人で居る事は寂しいけど、他の人は怖い。
そんな私には、只眺める事しか出来ません。
只、じっと、眺める、事しか、出来ません。
塵の様にひっそりと、闇に紛れながら・・・。
041.thermal
寂しい・・・。
寂しい・・・。
頭の中に浮かぶ言葉と言えば其れ位のものでした。
海江田さんの存在が私の中で大きくなり過ぎていたせいで、
その存在を(自分からとはいえ)失った事は、非常に辛い事でしたし、
他の人に対する恐怖も以前より酷くなっているような気がしました。
其のせいで私はまたビルの隙間に隠れて、
海江田さんに会った事で他人が恋しくて仕方なくて、
まるで幽霊の様にビルの隙間から往来を眺める事になってしまったのです。
・・・・・・海江田さん・・・。
私は海江田さんの事を思い出していました。
そうやってずっと人の流れを見ていると、誰かがこちらに近づいてきました。
海江田さん・・・?
海江田さんが私を捜して・・・?
私は思わず後ずさりしました。
すると海江田さんは私に向かって優しく微笑んでくれたのです。
その笑顔からは私の事を許してくれている気持ちが強く伝わってきました。
私はゆっくりと海江田さんに向かって歩きました。
そんな私を海江田さんは強く抱きしめてくれました。
心配したんだからな!
海江田さんのちょっと怒ったような声がとても嬉しかった。
ごめんなさい・・・。
私は海江田さんの優しさが本当に嬉しかった。
足がまだ良くなっていない私を気遣って海江田さんは私を背負って家まで帰ってくれました。
海江田さんが食事を作ってくれて其れを一緒に食べました。
食事が終わった時、海江田さんがこう言いました。
明日、一緒に姉さんに会いに行こう。
私はあんな事を考えてしまった手前、海江田さんのお姉さんに会うのは厭でした。
そういって断ったものの、海江田さんが僕からちゃんと説明するから、と言ってくれたので、
少し不安も和らいで、それなら会ってみようかという気持ちになり、小さく頷きました。
そろそろ寝る時間になって、海江田さんは隣の部屋へと行こうとしました。
私は一人で寝るのが少し寂しく思ったので、思い切って海江田さんに話しかけました。
・・・・・・一緒に、寝ませんか・・・?
海江田さんは優しく微笑んで私の隣に寝てくれました。
私は生まれて初めて男の人と同じベッドで寝たので緊張しましたが、
思い切って海江田さんの方へと手を伸ばしました。
私の手が海江田さんの手に触れた時、海江田さんは優しく手を握ってくれました。
私はすごく嬉しく思うと同時に、不思議な安心感を感じました。
そうして幸せな気持ちで眠りに入っていきました。
042.tenderness
目が覚めて、海江田さんと一緒に出かけました。
道すがら、お見舞い用の花を買って病院に着きました。
海江田さんの知り合いが院長をやっているようで、海江田さんは受付の人とも顔見知りのようでした。
そうして一般病棟の病室に着きました。ネームプレートは「海江田美帆」となっていました。
じゃあ、ちょっと話してくるから、此処で待っててね。と言い、海江田さんは中に入っていきました。
暫く話し声がした後、入っておいで。と、海江田さんの声が聞こえました。
私はとてもドキドキして、顔が見えない様に俯きながら入っていきました。
はじめまして。海江田美帆です。宜しくね。と、優しい声がしました。
私は、どぎまぎしてしまい、ぎこちない挨拶を返しました。
ねえ、下を向いてたらお化けみたいよ?ちゃんと顔を見せてくれる?
美帆さんの言葉に私はびくっとしてしまいました。
お化け・・・言い得て妙ではありませんか。私の素顔は化け物なのですから。
でも美帆さんの言葉は何処か人を動かす力のような物がありました。
私はゆっくりと顔を上げました。ベッドにはきれいな女の人がいました。
あ、マスクしてるのね。この暑い時期にマスクなんてしてたら蒸れちゃうでしょ?
ね、とっちゃったら?
悪意も何もない、優しい言葉。私はますます自分が醜い生き物になってしまったように感じて、
で・・・、でも、私は・・・、顔が、醜いから・・・。と言うのがやっとでした。
美帆さんは、そんな私に対して
私はそんな事気にする人間じゃないわ。ねえ、私を信じて。と言いました。
海江田さんのお姉さんとはいえ、初対面の人を信じていいものかどうか、
私は戸惑ってしまいましたが、海江田さんの、
大丈夫だよ。
と言う言葉で、私は信じてみようと言う気になりました。
ゆっくりとマスクを外し、美帆さんに素顔を見せました。
美帆さんは私の顔をまじまじと見つめてきます。私は只ビクビクしていました。
そして、美帆さんがフッと微笑んだと思うと、意外な言葉が飛び出してきました。
なーんだ、かわいいじゃん。
私は耳を疑いました。私が・・・かわいい?
思わず、・・・え?と聞き返していました。
美帆さんは更にこう続けました。
私に言わせれば、全然醜くとも何ともないわ。私はもっと醜い人間を見てきたからね。
本当に醜い人間ってのは、どんなに顔が整ってても、見る人に恐怖を与えるものよ。
いつまで経っても、澱の様に心に残る恐怖を与えるの。
それに比べればあなたの顔は一瞬ドキッとさせるくらいの力しかないわ。
何故だか分かる?あなたが本当はとてもかわいい心を持ってるからよ。
美帆さんの言葉には私はとても感激しましたが、何処か半信半疑な部分がありました。
・・・本当に・・・、そう、思ってくれているんですか?
不躾な質問だと思ったけれど、訊かずには居られませんでした。
すると、美帆さんは少しイタズラっぽい笑みを見せて、
信じられない?
と言いました。
私はその無邪気な微笑みに美帆さんの言葉が本当だと言う事を確信しました。
私は、ぎこちない微笑みを浮かべ、いえ、信じてます。と答えました。
すると美帆さんは急にまじめな顔になって、
うん。でも、世の中には人を見た目でしか判断しない人がいっぱいいるから、
ちょっとした事じゃ挫けないように気持ちをしっかり持ってね。
理不尽に傷つけられる辛さは私もよく分かってるつもりだから・・・。
と言い、自分の腕を見ました。そこには無数の歯形が着いていて、手首には包帯が巻かれていました。
私は、初めて海江田さん以外の人に心を開けました。
美帆さんも、海江田さんも、本当にいい人なんだと思いました。
042.sunset
それから暫く美帆さんとお話をしました。
美帆さんは本当にいい人でした。
海江田さんから聞いた話からはとても想像できないほど純粋な人でした。
窓の外が赤く染まる頃、私たちは病院を出ました。
海江田さんが帰りはゆっくり帰ろうと言って車椅子を借りてくれました。
線路沿いの道を帰りながら、左手に見えるきれいな夕陽を眺めながら帰りました。
明日、晴れるね。
今まで敬語を使っていたことに自分でも気付かないほど自然な言葉が出ました。
そうだね。きれいな夕焼けだね
そんな私の言葉を意外に思ったのか、海江田さんのこたえは微妙にかみ合っていませんでした。
私はふと電車の中で見たいつかの海を思い出しました。
ねえ、海に行きたいな。
海江田さんは意外そうな顔をして
海?
と聞いてきました。
うん。生まれてから一度も海に行ったことないの。
海江田さんは、よし、行こう。と言うといきなり車椅子を180度回転してきた道を引き返しはじめました。
私は一瞬どういうことか分からなくなり、ちょっと、逆戻りしてるよ?と言いました。
すると海江田さんは、だって、海に行くんだろ?海はこっちだよ。とこともなげに言いました。
私はその急な思いつきにちょっと呆れながらも、すごく嬉しかったです。
夕焼けの海かあ・・・、きれいだろうな。
海江田さんは私の呟きに、きれいだよ。絶対。と笑顔で答えたあと、
あのさ、いろいろあってずっと聞けなかったけど、君の名前、教えて。と言いました。
私は急に名前を聞かれたのでびっくりしましたが、
よく考えたらまだ名前を言ってなかったことを漸く思い出しました。
ちょっと私は改まった言い方で、桃原伸子です。宜しくね。と言いました。
海江田さんが私の口調をまねて、こちらこそ、宜しく。と言ったのがすごくおかしくて、
私は生まれて初めて心から笑いました。
こんなに笑ったの、初めて。あなたと美帆さんのお陰ね。
私がそういうと、海江田さんは
そんなことないよ。君が自分で殻を破ったんだ。僕らはちょっと手助けをしただけだよ。
そういって私の頭をなでてくれました。
ホントに、ありがとう。
私がそういった瞬間、右手に夕焼けの光が見えてきました。
そうしてその夕焼けの光を反射する金色の海。私は思わず
わぁ・・・。と呟いていました。
海江田さんは車椅子を押しながら、
砂浜に降りてみようか。と言いました。
私は二つ返事に頷いて、海江田さんは私を砂浜まで連れていってくれました。
私はサンダルを脱いで、素足で砂を踏みました。
目には金色の光、鼻をくすぐる潮の香り、そして砂の感触。
すごい・・・きれい・・・。私は思わず呟いていました。
マスクしてるとよく見えないだろ?はずしなよ。と海江田さんが言ったので私は頷いてマスクを外しました。
車椅子から立ち上がろうとした瞬間、足下がふらついて倒れそうになりました。
おっと!
海江田さんが抱き留めた瞬間、私と海江田さんの目が合いました。
そして一瞬の沈黙のあと、海江田さんは優しく私を抱きしめてくれました。
太陽が沈むまでずっと抱きしめていてくれました。
044.love(terminus)
太陽が完全に沈んでしまって、空には月が輝いていました。
太陽の光を反射しているのにこんなに蒼い光を地上に投げかけているなんてとても不思議な感覚でした。
私はふと、海江田さんのために何かプレゼントをあげたいと思いました。
海江田さんに助けられれてからずっと私は何かしてもらってばかりでした。
だから私が海江田さんのために何かしてあげたいと、そう思いました。
その時膝の上に置いていたマスクに気付きました。
耳の辺りに穴が開いていて、左右一本ずつ革ひもが固定されていて、これでマスクを顔に固定するようになっています。
そうだ。
私はそう呟いて革ひもをほどき、リングを作りました。
小さいのは自分用に、大きいのは海江田さん用に。
海江田さんの手を取って指にはめました。
そして自分の指にも。
ほら、ペアリング。
海江田さんの手を握りながら、私は笑いました。
海江田さんはちょっと驚いた顔をしていましたが、ちょっと心配するような感じで
でもこれじゃマスクがつけられないよ。いいの?
と訊きました。
私、もう自分の顔のことで悩んだりクヨクヨしたりするのはやめるの。
マスクがあったら甘えちゃうから、いらないの。
私はそう言ってマスクを海に向かって投げました。
マスクは波に乗って暫くゆらゆらと浮かんでいましたがやがて海底へと沈んでいきました。
そして月に照らされている海江田さんの顔を見つめて言いました。
すっと一緒にいようね。
海江田さんは優しく微笑んで
うん。ずっと一緒に。
と、言ってくれました。
私は、海江田さんを、愛しています。
●back