
23 対峙
目が覚めると周りには3人の男が居た。
「お目覚めか。ここがどこだか分かるか?」
(・・・・・・・・・?)
「お前もよー、海江田と朱山の子供になんか生まれなかったら
こんな事にならなかったのにな。ウヒヒ」
両手の自由が利かない。見ると壁に縛り付けられている。
黄魔のことを思い出した。僕も殺されるんだろうか。
そう思うと怖くなって足が震えてきた。
「あらあら、足が震えてますよー?ヒヒ。
無理もないねー、この間まで普通のお坊ちゃまだったんだからな」
男達の声が何だか現実の物として聞こえなかった。夢を見ているような感覚だった。
一際背の高い男が僕の所へ来てナイフで頬を叩きながら言った。
「あの女もバカだねー、下っ端の2人はともかく、
俺ら相手に1人で戦おうとするなんてな。
お前でもいいから連れてくりゃ捨て駒ぐらいにはなっただろーに」
あの女・・・姉さんの事だろう。それにこのナイフは姉さんの物だ。
姉さんはどうなっただろう?そう思った時奥の扉が開いた。
「弟さんはお目覚めか?」
「はい、今目を覚ましたところです」
その声に僕は耳を疑った。女だ。しかも聞き覚えのある声。この声は・・・
「姉さん!?」
「ハハハ、姉さんか。まあそうとも言うのかな」
僕は訳が分からなかった。声は勿論、見た目だってまるっきり姉さんじゃないか。
「どういうことだよ?姉さん!」
姉さんは男からナイフを取ると、其れを僕に向かって投げつけた。
ナイフは僕のこめかみの真横の壁に突き立った。
僕はただ呆然と立ちすくむことしかできなかった。
「いいことを教えてやるよ。あいつはな、俺のクローンだよ」
クローン?羊とか牛でやってた・・・?
「正直俺は両親が嫌いだった。
勝手に人の心をのぞき見する母親は特に嫌いだった。
だから羅教が俺達家族を狙っていると偶然知ったときはラッキーだと思ったよ。
俺は両親が2人で出かける時を狙って車に細工をした。
なーに、子供の考える事なんて下らないことだよ。ブレーキと床の間に石を挟んだだけさ。
ところが思いのほか是がうまくいったんだ、間抜けおやじのお陰でね。
そうして両親はオダブツ、俺は姿を消したって訳だ。
勿論羅教が連れてってくれると分かった上で、な」
「・・・・・・・・・」
「青眠は俺を可愛がってくれた。だがあのロリコン、俺が成長するとすぐに俺に飽きた。
で、あいつは俺の遺伝子を採取して俺のクローンを作ったわけだ。
だが其れを黙ってみてちゃ面白くない。俺は成長促進ホルモンを培養液の中に混ぜ込んだ。
通常の倍以上の速さで成長するクローンを見て青眠は怒ったね。
俺は地下室に監禁されたよ。
で、俺も気は長い方だから暫くは其処で我慢して暮らしてたが、さすがに我慢できなくなってね。
見張りが油断した隙に鍵を盗んで地下室から逃げ出したってわけさ。
で、いざ外に出て見りゃクローンはすっかりいい子ちゃんになっちまって
かわいい弟を捜すために羅教を抜けた後だった。
青眠は思い通りになる人形がなくなったせいでそーとーショックみたいだった。
あまりに哀れなんでサクッとやっちまったけどな。ハハハ」
「なんて事だ・・・」
「おっと、無駄話をしちまったな。お前も『姉さん』の所へ逝きな。ククク」
そう言うと、その女(幾ら血が繋がっていても姉さんとは呼ばない)は僕に銃口を向けた。
もうダメか・・・?
24 這出
結局僕達は負けた訳だ。
死にたくはないが、この状況下で逃れる術は無い。
「じゃあ、バイバイ」
不敵な笑顔と共に発せられた女の言葉に、僕は思わず目を閉じた。
一瞬の静寂。そして・・・。
ドン!ドン!ドン!
耳が痛い程の銃声が倉庫に響いた。
「・・・・・・・・・・・・?」
何故か痛みを感じなかった。あまりの激痛に神経が麻痺したのだろうか?
それとももう死んでしまったのだろうか?それにしては意識ははっきりしている。
恐る恐る目を開けてみる。その瞬間、目に飛び込んできた光景に僕は愕然とした。
先刻まで僕をからかって楽しんでいた3人の男達が床に倒れている。
そしてその周りには夥しい量の血液で大きな血溜まりが出来始めていた。
女が僕の元へ駆け寄ってきた。状況が飲み込めないまま恐怖だけが僕を襲う。
「そんなに怯えないで。もう大丈夫よ。ごめんね怖かったでしょう?
こいつらを油断させるために芝居しなきゃいけなかったのよ。
こいつらがエンパスじゃなければ心に話しかけて教えられたんだけどそれも出来なかったの」
本当に、演技かどうかは確かめなくても分かった。
心から僕を心配してくれてる。騙した事を悪いと思ってくれてる。そんな思いがちゃんと伝わってくる。
「先刻、青眠を殺したって言ってたよね。あれって・・・?」
「全て本当のあなたの姉さんから聞いた事よ。
つまり、羅教は全滅したって事よ。
でも、あたしがクローンだったなんて。今までの記憶が全て作り物だったなんて・・・」
姉さんは急に悲しげな表情になった。
「姉・・・」
声をかけようとした瞬間、姉さんの表情が歪んだ。
姉さんの肩から金属製の棘が突き出している。これは・・・ボウガンの矢だ!
「全く、おしゃべりが過ぎるんだよ人形のクセに」
奥の扉(先刻姉さんが出てきた扉だ)からあの声が聞こえる。
姉さんが本物を演じていた時の声・・・つまり是は、本物の声?
頭から血を流して立っているその姿は姉さんそのものだった。
「今すぐ殺してやりたいけど、ただ殺すんじゃ面白くないからね。あんたの最愛の『弟』に殺して貰おうかな」
その女はわざと姉さんの声色を真似しながら言った。
そうして姉さんから銃を奪うと僕の背後に回ってぴったりと体を付けた。
僕に銃を握らせると耳元で囁いた。
「どうしたの、手が震えてるじゃない。殺すのが怖いの?
大丈夫よ、是は唯の人形。殺しても罪にはならないわ。何故って?簡単な事よ。
あたしが本当の海江田美帆だからよ。是はコピーでしかないわ。
失敗したコピーを捨てる事は何も悪い事じゃない。安心して殺しなさい」
女の言葉が催眠をかけるように僕の頭に響いた。
姉さんは何か言いたそうだったが、自分がクローンであると言うことから来る劣等感からか、
悔しそうな、そして苦しそうな表情を浮かべているだけだった。
「どう?かわいい『弟』に殺される気分は?
辛いでしょ?苦しいでしょ?悲しいでしょ?悔しいでしょ?ほら、なんとか言ってみなさいよ。
それにしてもこの子も焦らすわねえ、結構Sなんじゃない?」
女はさも嬉しそうにクスクスと笑った。
「・・・殺して」
姉さんが絞るような声で言った。僕は耳を疑った。
「殺して、あたしは唯の人形よ。何を迷っているの」
「・・・ほ、本気で言ってんのかよ」
姉さんは何も言わなかった。涙を浮かべて静かに頷いた。
「ふざけんじゃねえよ!俺を守ってくれんじゃなかったのかよ!
クローンだろうが何だろうが、あんたは俺の姉さんだろ!!」
僕の言葉に女は露骨に苛立ちを表した。
「なに言ってんだよ、こいつは屑人形だろうが。
早く殺せ。殺せ。殺せコロセkろkせこr」
呪文のように耳元で囁き続ける。女は僕にぴったり体を付けているから銃で狙う事も出来ない。
しかし・・・・・・。是しか方法はないのか。
25 覚醒
目が覚めるともう11時になっていた。
不自然な格好で寝ていたせいか、嫌な夢を見てしまった。
あの事件の事・・・、忘れようとしても忘れられない事件。
腹に手を当ててみる。Tシャツの上からでも微かに分かる傷跡。
この傷跡があの出来事を現実にあった事だと物語っている。
あれから半年・・・姉さんは未だに見つからない。
「早く殺せ。殺せこの意気地無しが」
女の声が頭に響く。僕は姉さんを救うためのある決断をした。
涙を流す姉さん。ごめんね、是しか・・・
僕は頭が悪いから此の方法しか思いつかなかった。
涙が頬を伝った。姉さんは僕の涙を見て僕の考えを察したようだ。
姉さんの顔色を見てこの女が気づく前に実行してしまわなければ。
僕は女の手をふりほどき自分の腹に向けて引き金を引いた。
ドン!という音がして一瞬の無感覚の後、激痛が走った。
いや、痛い、と言うより熱い、と言った方が正しいかも知れない。
声も出ない。背後では女が呻いている。
よかった、弾丸は巧く貫通したみたいだ。
姉さんが泣き叫びながら駆け寄ってくる。駄目だよ、まだ終わってない。
あの女は生きている。姉さんが止めを・・・。
エンパスを使う余裕もない程の痛みだったが、
姉さんは僕の言わんとしている事を分かってくれたのか、
小さく頷くと、僕の手から銃を取り、よろめきながら歩いていった。
そしてドン!ドン!と2度銃声が響いた。もはや女の声は聞こえなかった。
「海江田美帆は死んだわ・・・」
朦朧とする意識の中で姉さんの悲しげな声が聞こえた。
海江田美帆は死んだ。其れで良いじゃないか。僕の姉さんはあなたなんだから・・・・・・。
そして僕は意識を失った。
気がついたら病院のベッドの上だった。
姉さんの知り合いが経営している病院らしく、医師は傷の原因などには一切触れず
姉さんの口止めがあったようで警察にも知られずに済んだ。
院長に姉さんの足取りを尋ねてみたが、
矢の摘出と簡単な手術を受けただけでどこかに行ってしまったらしい。
僕の入院費用だと言って大金を残したまま音信不通だそうだ。
あんな身の上だから警察に捜索願を出すわけにも行かない。
僕は此の半年間、ずっと姉さんを捜してきた。
それが奇妙な少女を背負い込む事になろうとは・・・。
ベッドの中で眠るマスクをつけた少女。何故僕は彼女を保護したんだろう・・・?
壁に凭れたまま少女を見つめる。
あれから3日間、眠りっぱなしだ。相当衰弱していたみたいだ。
かなり痩せてしまっている。保護したときは狂ったように水を飲んでいたっけ・・・。
そんな事を考えながら見つめていた。と、その時
彼女がゆっくりと目を覚ました。
26 拒絶
彼女は僕と目が合うと驚いた様に身を強張らせた。
表情は仮面で隠されているために読みとれなかったが、
エンパスを使うまでもなく明らかに怯えているのが分かる。
落ち着くように言ってみたがあまり効果がないようだった。
仕方がないから僕は水差しとコップをテーブルに置くと食堂に移動した。
冷蔵庫から牛乳を出して飲みながら、彼女の心を読んでみる事にした。
『私はどうして此処に居るんだろう・・・・・・?』
どうも僕が保護した時の記憶がないらしい。
あの時はかなり衰弱していて精神的にもかなりきていたからなあ。
などと考えながら無意識のうちに腹の傷を撫でている。
こんな事してる場合じゃないのに。僕は一体何をやっているんだろう。
27 言葉
目が覚めていきなり見知らぬ部屋にいたら誰だって驚くだろう。
しかも女の子が知らない男の部屋に居るんだから尚更だ。
今日も姉さんを探しに行かないといけない。
彼女に自分が出かける事を告げて僕は家を出た。
どうしても姉さんを見つけたい。
僕に向かって殺してと言った時の姉さんの心は深い悲しみで満ちていた。
自分がクローンとして生まれたことを知ったショックでいっぱいだった。
そんなことどうだって良いじゃないか。僕だって似たようなもんだ。
人工的に作られた命から生まれた僕だってクローンとそれほど大差はない。
それに姉さんはショックを受けていても僕を助けるために頑張ってくれたじゃないか。
本物とは雲泥の差があった。今度は、僕が姉さんを助けたい。
しかし今日も姉さんは見つからなかった。
部屋に戻るとまだ彼女は居た。
僕の姿を見るとやはり体が強張っていたが、今朝と比べると多少落ち着いているようだった。
「私は、どうして此処に居るんですか・・・・・・?」
彼女が初めて言葉を発した。
僕は彼女のベッドから離れた椅子に腰掛けて彼女を見つめた。
マスクの小さな穴からのぞく目は奇妙な光を宿していた。
僕は彼女を助けたいきさつを話す事にした。
28 経緯
「僕の両親は小さい頃に死んだ。僕は祖父母に育てられたんだ。
ある日・・・正確には半年前になるかな・・・僕は自分に姉が居ることを知った。
そして僕はその日から姉を捜しながら毎日過ごしている。
今日家を空けたのもそのためだ。
それで3日前、僕はいつものように心当たりのある場所を探していた。
その時持っていた地図が風に吹かれてビルの隙間に飛んでいったんだ。
その地図を取りにビルの隙間に入っていったらテントが張ってあって、隙間から手が出ていた。
まるで死人の手のように青白かったし、指先には血が付いていたから
これはただ事じゃないと思ってテントを開けてみたら君がぐったりしていたんだ。
知り合いの病院に連れていったら命に別状はないとの事だった。
見た所君はお金を沢山持っているようだったけど、
他人のお金を勝手に使うのは抵抗があったからひとまず僕の部屋に連れてきたって訳だ」
僕のエンパスの事、保護した時の半狂乱になっていた様子以外は包み隠さず話した。
彼女は僕が話している間、ずっと古いラジオをいじっていた。
スイッチを入れたり切ったりするカチカチという音が響いていた。
彼女はスイッチをいじる手を止めて顔を上げた。
「あなたの話は本当だと思います。でも私には分からない事が2つあります。」
「それは、何?」
「あなたが何故私を助けたのか?そして、私は何故あなたを恐れているのか・・・」
「君があんな状況に陥って無くて、自力で生活できていたら助けなかっただろう。
でも君はあれだけのお金があったにも関わらず飢餓状態に陥っていた。
それは君が1人で生活する事が出来ないと言う事を表していた。
だから放っておけなかったんだよ」
「そうですか・・・」
「でも、君が何故僕を恐れているかって言うのは分からないな。
ただ君が飢餓状態に陥っていた事と何か関係があるような気がする・・・」
「それは、どうしてですか?」
「あ、いや・・・ただの直感だけど」
「そうですか・・・・・・」
それだけ言うと彼女はまたラジオのスイッチをいじり始めた。
僕はマスクの事には触れない事にした。
彼女が素顔に相当なコンプレックスを抱いているのが明らかだったから。
29 兆候
彼女は家出をしてきて、家に帰るつもりもないと言った。
体調も良くなったから此処を出ると彼女は言ったが、
以前みたいに衰弱してしまう可能性もあったので
取り敢えず何故あんな事になったかが分かるまでは此処にいた方がいいと説得した。
彼女は僕に対する警戒心を解いた様子はなかったが、取り敢えずは同意してくれた。
それから1週間、姉さんは依然として見つからなかった。
その一方で、彼女の衰弱の原因をエンパスによって探ろうとしてみたが、
彼女自身が無意識のうちにその原因となるエピソードを
思い出さないようにしているためなかなかうまく行かなかった。
しかし、恐怖の対象が僕だけではなく男性全般に対するものだと言う事が分かった。
彼女が男性不信に陥る原因は何だったんだろうか・・・。
恐らくは顔に対するコンプレックスが関係していると思うのだが・・・・・・。
そんなある日、姉さんに関する或る情報が手に入った。
1週間くらい前に僕が入院していたあの病院に似た人が居たらしい。
僕は早速病院へと向かった。
30 絶望
怖いものは怖い・・・か・・・。
出がけに彼女に言った言葉を思い出していた。
今僕が怖いものはお化けじゃなくて姉さんに会う事だ・・・。
何故か厭な予感が・・・するんだよな・・・。
あれ程会いたかったのに何かが引っかかる。
いや、そもそも此の情報自体が嘘の可能性だってあるんだ。
兎に角確かめるより他はないだろう。
取り敢えず僕は病院へと急いだ。
病院に着くと僕は院長室に通された。院長の表情は暗い。
厭な予感が当たりそうだ。口を開く気がしない。気まずい沈黙が流れる。
先に沈黙を破って口を開いたのは院長だった。
「美帆君の居場所を突き止めたらしいね・・・」
何か裏があるような響きだった。エンパスを使う気にはなれなかった。
「はい・・・。情報が嘘でなければ、の話ですが・・・」
「そうか。では言っておくが、此処には美帆君はおらんぞ」
「其れは本当でしょうね?」
「ああ。本当だ」
やはり何か裏がある。揺さぶりをかけるしかない。僕は口を開く。
「僕がその気になれば、貴方が嘘をついているかどうか
簡単に見破ることが出来るんですよ?
其の事は御存知ですよね」
院長の顔色が変わった。やはり何か知っているのか・・・。
「真実を知れば傷つく事になるぞ」
・・・それでもいいんだな?とでも続けるつもりだろうか。
上等だ。傷ついてやろうじゃないか。答えはYESだ。
口を開きかけた時再び院長が口を開いた。
「君だけじゃなく、美帆君も、だ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?
どういう事だ?僕だけじゃなく姉さんまで傷つく?
はったりかどうかはエンパスを使えばすぐ分かる。でも僕は院長の口から真実を聞きたかった。
「今、此処で真実を知らないと
僕はこれからもずっと姉さんを捜し続けなければいけません。
構いません。教えてください」
「そうか・・・じゃあついて来たまえ」
そういうと院長は部屋を出ていった。僕も後に続く。
此処は・・・・・・・・・?どういう事だ?
状況を把握できないままついて行っていると、院長はある病室の前で止まった。
そしてポケットから一つの鍵を取り出し、僕に手渡した。
「本当に知りたいのなら、自分の手で開けたまえ」
僕は躊躇した。扉がのしかかってくるようだった。
なかなか動けずにいたが、勇気を奮い立たせて鍵を差し込んだ。
扉を開ける・・・。
気づいたら家に帰って来ていた。
彼女はベッドの上でラジオを聴いていた。
何か変化があったようだが気にしている余裕がなかった。
「姉さんは死んだよ・・・・・・」
認めたくはなかった。・・・・・・筈なのに、何故かそう言っていた。
涙が零れそうになった。僕は隣の部屋に籠もって泣いた。
姉さんは死んだ。死んだ・・・・・・・・・。
31 死亡
結局僕はあれだけの事で姉さんを捨ててしまったのだろうか。
そんな事はないと思いたい。
腹に残った傷。これは姉さんを救うためにつけた傷だ。
自分の命が失われるかもしれない危険を冒して、姉さんを救った。
その時についた傷だ。
僕は姉さんのために此処まで出来た。
言うまでもなく姉さんは命を張って僕を守ってくれた。
それなのに、今考えると随分と下らない理由で僕は姉さんを殺した。
是だけのことを考える事は出来る。
でも・・・映像がリンクしてくるとどうしようもなく辛い。
耐えきれない程に。
院長が連れて行ってくれたのは精神科病棟だった。
ドアを開けて僕が見た物は・・・
姉さんの姿をした別の生き物だった。
顔はまるで別人のようで、腑抜けの様だった。目は死んだ魚の様だった。
口の端からは涎を垂れて、腕には無数の噛み痕があった。
その中にはまだ血を流している物もあった。
「またやったのか・・・仕方ないな」
やれやれといった感じに院長が呟いた。
「また、って・・・?」
「今は落ち着いているが、何かの拍子で激昂する事があるんだ。
そう言う時は大概自傷行為に走るんだよ。」
「どうして・・・・・・」
「君を病院に連れて来た時には既に半分自我が崩壊していた。
何かアイデンティティを揺るがす事件があったんじゃないだろうか」
「・・・・・・・・・・・・この人は・・・・・・
・・・この人は、僕の本当の姉ではありません・・・・・・・・・」
「どういう事だね?私は君のご両親とも付き合いがあったから知っているが、
子供の頃と少し印象は違うが、この患者は間違いなく美帆君だ」
「院長が御覧になった子供の頃の姉が、僕の本当の姉です。
あくまで血が繋がっていると言うだけの事ですが」
そして僕は院長に姉さんから聞いた事を全て話した。
院長は驚きを隠せない様子だった。
「・・・そうか・・・自分がクローンだと知ったのか・・・
存在を否定されたショックから自我の崩壊と自傷行為を起こしたという訳か・・・」
その時姉さんがゆっくりと此方を向いた。
最初は焦点が合っていなかった視線が僕の姿を認めた途端、
姉さんはヒィィィィッと叫び、怯えるように部屋の隅に這い蹲っていき、
此方に背を向けて小さく縮こまってしまった。
心の底から僕に姿を見られる事を恐れているようだった。
「最初に君の写真を見せた時以上の反応だよ。
こんな姿を見られたくないと心底思っているんだ」
僕は言葉も出なかった・・・・・。
思い出したくもない映像が猛スピードで何度も何度も頭の中を駆け回る。
気が狂ってしまいそうだった。
気づいたら壁を殴り続けていた。
ゴン!ゴン!ゴン!ゴン!・・・・・・
拳を強く握りすぎたせいで爪が刺さって血が流れた。
それでも壁を殴った。壁に血の跡がついた。それでも殴った。
腕が動かなくなるまで。
32.後悔
目が覚めると明け方だった。
窓から射し込むぼんやりとした光で壁が白く浮き上がっている。
その一ヶ所が窪んで影が出来ている様に見えた。。それは僕の血だった。
腕の感覚がない。
涙が乾いて頬が突っ張っている。
体がだるい。
死にたい。
死にたい・・・。
死にたい・・・・・・。
ふと机の引き出しに目がいった。あそこには確かビニール紐が仕舞ってあったはずだ。
目を凝らして天井を見る。
空調の配管が見えた。
感覚のない腕を無理矢理動かして紐を配管に縛り付けた。
普段なら1分もかからない作業をするのに悠に30分はかかった。
そうして出来上がった輪に首を通す。
ゆっくりと体重を前に傾ける。
椅子がガタン!という音を立てて倒れた。是で僕は死ねる。
気がつくと床に倒れていた。
体重で紐が切れたのかと思ったが、配管に括りつける時
紐を3重くらいにした筈だったのであり得なかった。
何故だ・・・?釈然としないまま後ろを振り返ると、彼女が鋏を持って倒れていた。
彼女が、紐を切ったのか・・・・・・。
そのことを悟った瞬間、麻痺していた感情が蘇るのを感じた。
僕はなんて馬鹿なことをしようとしていたんだろう。
姉さんに助けてもらった命を自分の手で溝に捨ててしまう所だった。
僕は他人に助けてもらってばっかりだ。
自分が情けなくなると同時に、彼女に対して深く感謝した。
彼女は気を失っているようだった。
ベッドまで運んであげないと・・・。と、思った時、部屋の入り口に何かあるのに気づいた。
それは、彼女のマスクだった。
マスクが外れているという事は・・・、今、彼女は素顔だという事だ。
彼女は仰向けに倒れていたが、髪の毛に覆われて顔は全く見えなかった。
僕は彼女の素顔は見るべきではないと思った。
見るとしたらお互いの合意の上で見るべきだと思った。
僕はまずマスクを彼女の顔に被せて彼女をゆっくりと抱き上げた。
腕の感覚は大分戻っていたが、まだ多少痺れていたので慎重に彼女を運んだ。
そしてベッドに彼女を寝かせた時、彼女が首を此方に傾けた。
マスクがポトリと落ち、マスクの動きにつられて髪の毛が下に垂れた。
半分だけ覗いた彼女の素顔に僕は言葉を失った。
ふやけた様な部分とガサガサの土色の部分が斑になった皮膚、紫色でボコボコの唇、
その唇から覗く、乱杭歯、奇妙に曲がった鼻・・・。
思わず反射的に目を背けてしまった。
そしてそのままヨロヨロと食堂へ歩いていき、水を飲んだ。
しばらく動機は収まらなかった。その間、ずっと恐怖に怯えていた。
しかし、動機が収まってくると、恐怖が恥ずかしさに変わっていった。
彼女は僕を救ったために僕に素顔を見られてしまった。
そんな僕は彼女の素顔を見た途端、先刻までの感謝をあっという間に忘れてしまった。
是じゃ姉さんに対する態度と同じじゃないか。
助けてくれた人を悉く裏切るなんて、最低の態度じゃないか。
僕はもう一度彼女の所へと戻った。
目を閉じて彼女の枕元に座る。そしてゆっくりと目を開けた。
そこにはさっきと変わらない彼女の素顔があった。
しかし、彼女の真心に気づいて自分の愚かさを悔いたせいか、
先刻の様な恐怖は微塵も感じなかった。
でもこのまま彼女が目を覚ませばきっと彼女は傷つくだろう。
僕は彼女の顔にかかっている髪の毛を整え、静かにマスクを被せた。
33.萌芽
彼女が目を覚ますのをじっと待っていた。
最初になんて言うべきだろう。お礼を言うべきだろうか、謝るべきだろうか、
そんな事を考えながら、彼女の顔を見つめていた。
あのマスクの下には、彼女が誰にも見られたくないであろう、素顔が隠されている。
おそらく他人で見たことがあるのは僕ぐらいではないだろうか。
彼女の心を読んだ時、そのコンプレックスの強さに驚いた。
多分僕も、何の事情も知らずに彼女の素顔を見たら・・・・・・。
やめよう、こんな事考えても何も意味のない事だ。
大切なのは今だ。仮定で物を考えたって仕方がない。
僕は彼女の寝顔を見つめながら、いつの間にか眠ってしまった。
目が覚めると彼女は既に目覚めていた。
彼女は何も言わずに此方を見つめていた。
「ごめん・・・・・・」
考えるより口が先に動いた。
「海江田さんが助かってよかったです。海江田さんは・・・・・・」
「え?」
「いえ、何でもないです」
彼女はその先を続けなかったが、彼女が自分の素顔を見たかどうか気にしていることは確かだった。
僕は彼女の素顔を見た事を話そうかどうか迷った。
知らないふりを続ければ、彼女を欺き続けなければならなくなる。
かといって、見た事を話せば、彼女は傷つくかもしれない。
沈黙が流れた。かなり長い時間が経った様に思った。
僕はどうするべきか散々迷った挙げ句、真実を話そうと決心した。
「助けてくれてありがとう。僕は莫迦な事をやろうとしてた。
そんな僕を助けたばっかりに・・・。本当にすまない」
「やっぱり・・・・・・、見たんですか?」
「・・・・・・ああ・・・」
「・・・気持ち悪くないんですか?こんな顔を見て」
「初めは・・・・・・びっくりした。でも、僕はそんな自分を恥ずかしいと思った。」
「え・・・・・・?」
「僕はこの間、姉さんの居場所を突き止めた。
姉さんは精神を病んでしまって病院に入院していたんだ。
そんな姉さんを見たショックで僕は冷静な判断が出来なくなってしまった。
それで僕は自殺を図った。今考えると全く下らない理由だよ。
君はそんな下らない死から僕を救ってくれた。
助かったと分かった瞬間、僕は君に深く感謝した。
それなのに、偶然とはいえ、君の素顔を見た瞬間、一瞬にして僕は君への感謝を忘れてしまったんだ。
でも、動機が収まって来るにつれて、その行為がとても恥ずかしい事だと気がついた。
命を救ってくれた人に対する感謝を簡単に忘れるなんて・・・・・・。
僕は最低の人間だ。」
「海江田さんも、やっぱり驚いたんですか・・・・・・」
「ごめん・・・・・・」
「気持ち悪いでしょう。私、もうここにはいられません。さようなら」
そういって彼女はベッドを出ようとした。しかし、足が弱っているのかうまく歩けないようだった。
「危ない!」
倒れそうになった彼女をとっさに抱き留めた。
彼女は泣いていた。
「ごめん・・・。傷ついたよね。でも、僕はもう平気だよ。
君さえよかったら、体がよくなるまで、此処にいてくれ・・・」
彼女は泣いていた・・・・・・。
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