
1(序) 幻
僕は神経がおかしいんじゃないか、そう思うことがよくある。
他の人には聞こえない声が時々聞こえるのだ。
それもこの1ヶ月で急にそうなった。
原因は分からない。医者に言っても問題はないとのことだ。
日を追うごとに幻聴は非道くなっている。
最近では声の種類が増えてきている。
いや、初めから種類はいくつもあって、
それらを聞き分けられるようになってきたと言った方が正しいかも知れない。
・・・・・・そう思っていたかった。
2 頭痛
今でも信じられない。他人の心が読めてしまうようになったなんて。
心を読むなんて所詮はドラマやマンガの中での都合のいい作り話だと思っていた。
でも是は紛れもない現実だ。
みんなはよく他人の考えていることが分かればいいとか言うし、
僕もそんなことを考えたことは確かにあった。
しかし実際にそうなってしまうとその考えがいかに甘かったか、
都合のいい自己中心的な考えだったかを思い知らされた。
特定の人だけの考えが読めれば問題はないが、
実際には一定の範囲にいる人全ての考えが頭に雪崩れ込んでくるのだ。
非道い時には何十人分もの考えが雪崩れ込んでくるから
頭を車で轢かれるような痛みを伴う。
・・・幻聴じゃないと気付いたのは彼女といたときのことだった。
そのころは頭痛と幻聴の関係に気付いてなかったため、頭痛薬を飲んでいたが、当然効果はなかった。
彼女と待ち合わせをしたのはいいが、その頭痛のせいで彼女が来てすぐにデートをキャンセルしてしまった。
彼女は当然怒ったが、次の瞬間嬉しそうに
『よかった、リュウくんと一緒にいれる時間が増える』
と言った。
「リュウくんって誰?」
僕は思わず聞いていた。すると彼女の顔色がさっと変わり、
『なんで知ってんだこいつ?まさかあたしの事調べまくってんじゃねーか?気持ちワリィ』
と言った。しかしよく見てみると彼女は口を動かしていない。
いつもの幻聴かと思ったが声は彼女そのものだった。
信じたくないとは思っていたが、口が勝手に動いていた。
「今オレのこと気持ちワリィって思っただろ」
思ってないと言ってくれ、違うと言ってくれ、否定してくれ。僕はそう願った。
そして彼女は怯えたようにこう言った。
「気持ちワリィ」
3 医者
彼女の背中を見ながら、僕は途方に暮れてしまった。
何がどうなっているのか、考えを整理することが出来なかった。
声は相変わらず頭に流れ込んでくるし、頭痛は更に非道くなっていた。
とりあえず帰ろう、そう思って立ち上がった途端、
視界が歪む程の目眩がして僕は意識を失った。
暫くして目が覚めると僕はベッドの上に寝かされていた。
「大丈夫?」
知らない女の声だ。
「どう?頭痛は。大分楽になったでしょ。でもまだ寝てなさいね」
『ここは・・・どこだ?』
「ここ?病院よ。とは言ってもあたしは医師免許持ってない無免許医だけどね」
女は自嘲気味に笑い、そして続けた。
「もっとも、この病気を治すのに医師免許取っても何の役にも立たないし、第一無駄だわ」
『病気・・・?』
女は僕の顔をのぞき込み、こう言った。
「不安に思うことはないわ。病気といってもコントロールできれば立派な能力になる。あたしみたいにね」
その時、僕はあることに気付いた。目が覚めてから僕は一言も口をきいていなかったのだ。
『心を・・・読んで・・・る・・・?』
「そうよ。そしてそれは、あなたにも出来ることだわ。今は薬で麻痺させてあるけどね」
僕は一瞬、女の言っていることが理解できなかった。
しかし、別れ際の彼女の一言がこの女の言葉を裏付けていた。
なんて事だ。
4 病気
「とりあえずこの薬、持ってきなさい」
帰り際茶色の瓶に入った錠剤を女は渡してくれた。
「1日2錠、それ飲んでればエンパスは働かなくなるから」
「エンパス?」
「人の心が読めてしまう病気、あなたが苦しんでる頭痛の原因よ」
「でもあなたも同じ病気なんでしょう」
「私はエンパスをコントロールできる。
コントロールされた病気はもはや病気じゃないわ。そうそう。薬代、2万2千円ね」
「は?」
「は?じゃないでしょう。薬、いるんでしょ?」
「ちょっと待ってください、こんな小さな瓶で2万2千円ですか?」
いくら何でもそれは高すぎる。すると女は呆れたように溜息をつき言った。
「バカね!こっちは慈善事業でやってるわけじゃないのよ。
医学会で認められてないような病気の薬なんて他では買えないし、
あたしだって楽に手に入れてるわけじゃない。2万2千円でも安すぎるくらいだわ。
それともまたあの頭痛を味わいたいの?だとしたら相当なマゾね」
それを言われると嫌とは言えず、結局僕はなけなしの金でその薬を買った。
「その薬が切れたらまた来るといいわ。ついでにこれも持って行きなさい。あ、これはタダだから安心してね」
女はそういうと封筒をくれた。
家に帰って封筒を開けてみると中には例の病院(と言うより小さな事務所のようだったが)の住所と電話番号
そしてエンパス治療に関する詳細が書いてある紙が入っていた。
しかし、その料金にはさすがに驚いた。いくら何でも600万は高すぎる。
初めは絶対に払うもんかと思っていたが、薬が減って行くにつれて、考えが変わっていった。
この薬を飲み続けなければまたあの頭痛に苦しむことになる。
その額はいずれ膨大な物になるだろう。だったらこの600万はそれほど高くないんじゃないか。
そして翌朝、最後の2錠の薬を飲んで僕は再びその病院に向かった。
5 喪失
エンパスがきかない代わりに最近誰かの視線をよく感じる。
しかし頭痛よりは何百倍もマシだ。そんなことを考えながら歩いていると、例の住所を見つけた。
汚いビルだ。ゴミの散らかった階段を上り、部屋の前に立つ。
鉄のドアは錆びているし、ガラスは罅が入ってテープで留めてある。
そのテープさえ茶色く変色している。
ドアの脇にある表札には「平木デザイン」と書いてある。カモフラージュだろうか。
ドアをノックしてみる。あまり力を入れていないのにガン、ガンとうるさく音が響いた。
暫く待ってみても返事はない。おかしいと思いもう一度ノックをしてみた。
やはり返事はない。携帯電話で例の番号をダイヤルしてみる。
コールする音は聞こえるがドアの中からは電話の音は聞こえない。
なぜだ?僕は騙されたのだろうか?
しかし騙すつもりなら本当にエンパスを阻害できる薬を売るはずはない。
滅多に見つからない客からたった2万2千円取っただけで姿を消すなんて有り得ない。
しかも上手くやれば600万の儲けだ。実際僕はこうしてここに来た。
なのにここには誰もいない。電話をしても繋がらない。ノックをしても反応がない。
どういうことだ?
6 闇
僕は途方に暮れてその場に座り込んでいた。
何時間経っただろう、太陽が西に傾きかけた頃、女は突然現れた。
「やっぱり来たわね」
女はそういうと呆気にとられている僕を気にも留めずにドアの鍵を開け、入っていった。
閉じたドアの向こうから女の声が聞こえた。
「何やってるの?あたしに用があったんじゃないの?」
僕はフラフラと立ち上がり、重い鉄のドアを開けた。
「なんでずっといなかったんですか?僕は・・・」
「あたしは朝からやってるなんて言った?あなたが勝手に決めつけてるだけでしょ」
「でも電話しても鳴らなかったじゃないですか」
「あーゴメンゴメン、ほら」
女は笑って電話線を引っ張って見せた。
モジュラジャックから伸びたコードはデスクの上にあるパソコンに繋がっていた。
「帰り際にネットやってたのよ。どうせ滅多に電話なんて鳴らないから繋ぎっぱなしにして帰ったのね」
無邪気な女の笑顔に僕は少し以外だな、と思った。
「普段人前ではあんまり笑わないのよ、今日は特別ね。私も悪かったんだし」
そういって女はデスクについた。
「で、薬が切れたんでしょ?どうするの?」
「エンパスの治療を受けたいんです。でも、600万なんて大金、すぐには用意できなくて、それで・・・」
「一括じゃないと駄目って訳じゃないわ。ローンでもいいわよ。それに・・・」
「それに?」
「私の助手をしてくれたら400万にまけてあげるわ」
「助手、ですか?」
「まあ難しい事じゃないわ。留守番をしてればいいだけだし日給は4万あげるわ」
留守番をするだけで200万も安くなる、しかも日給4万ならやらない手はない。
僕は喜んで助手をOKした。
それが落とし穴だとも気付かずに。
7 目
「じゃあこの契約書にサインして」
女が差し出した紙にはなにやら小さな字でたくさん文章が書いてあった。
しかし僕は何も考えずにサインをしてしまった。
「じゃあ明日から朝9時にうちに来てね。これ鍵ね」
そういって女は鍵を僕に投げてよこした。
「本当に留守番するだけでいいんですか?」
「もちろんよ。ああでも誰か来ても無視してね。あと泥棒にも注意してね」
「泥棒ですか?」
「そう、前に2回ほど入られていろいろ盗まれたから」
「でも僕、ケンカ弱いんですけど」
「だったら武器を持っておけばいいだけの話だわ」
その日はそれだけ話して帰された。帰りに秋葉原でスタンガンを買っておいた。
相変わらず誰かの視線を感じる。
8 敵
次の日、事務所(あの女がここのことをそう言っている)にいると、ドアをノックする音が聞こえた。
何かの勧誘だろうか、まあ居留守を使っていればそのうち諦めるだろうと思っていたが、
ドアのノックの音は次第に大きくなっていった。
このままだとドアが破られるかも知れない。
震える手でスタンガンを握りしめていると急に音が止んだ。
そして、男の話し声がボソボソと聞こえてきた。
会話は聞き取れなかったが、どうやらあの女の事を話しているようだった。
しかも僕のことを知っているようなことも言っていた。
なんで僕のことまで知っているんだ?訳が分からず混乱していたがあることに気付いた。
エンパスの薬が切れているのに男達の思考は聞こえてこなかったのだ。
足音が遠ざかっていくのを聞いて安心しながらその原因が分からず不思議でしょうがなかった。
わけが分からない。
9 穴
女がやってきた。僕は今日あったことを報告した。
しかし女はいつものことだわと言っただけでデスクにつき、なにやらファイルを読み始めた。
僕はなぜ男達が自分のことを知っているのか気になって仕方がなかった。
そのことを訪ねると彼女はさも当然のように
「あなたがあたしの助手だからよ」
と言った。
「僕があなたの助手だから狙われる?あなたは一体、何をやってるんだ?」
「ま、カンタンに言えば犯罪ね」
「犯罪?」
「そうよ。言ったでしょ、医師免許持ってないって。それにあたしは薬剤師でもない。
なのにあたしはあなたに薬を処方した。それだけで立派な犯罪だわ」
「そんなことであんな連中が来るんですか?それにあいつらにはエンパスが通用しなかった!」
「そんなモノ、ちょっと訓練すれば通用しなくなるわ。現にあなたはあたしの心を読めていないじゃない」
そう言われて初めてその事実に気付いた。確かに僕はこの女の心が全く読めていなかった。
「心が読めていればあたしの助手なんて危険な仕事、引き受けるはずないものね」
女はさもおかしそうにくすくすと笑うと、冷蔵庫からビールを取り出して飲んだ。
「でも、なんでエンパスが通用しないんですか?」
「要するに穴をふさいでいればいいだけの事よ」
「穴?」
「そう、穴よ。あなたも早くできるようにならないと、命に関わってくるわよ」
女はそう言ってビールの缶を潰して捨てた。
10 治療
女の言うエンパスの治療は僕の常識からすれば荒唐無稽なものだった。
特殊な気の流れが頭頂部からでて球状に走り、足の裏から入ってくる。
その時他人の頭の中を気が通るとそれが心の声として聞こえて来るというのだ。
そしてそれをコントロールするには頭頂部に空いた穴をふさぐようなイメージをしろと言う。
半信半疑で聞いていたが、藁にもすがりたい気持ちで女の言うとおりにした。
初めはあまり効果はなかったが何日か経つうちにだんだんと声は聞こえなくなっていった。
しかし油断すればすぐに頭痛がするほどの声が聞こえ、慣れないうちは殆ど眠れない日が続いた。
だが次第になれてくると眠りながらでもエンパスを停止させることが出来るようになってきた。
それと同時に他人に心を読まれなくなる方法を教えてもらった。
しかしこれはエンパスの治療とは別料金だとかで結局200万追加でとられることになった。
命には替えられないと言うことでしぶしぶ承諾したが。
エンパスを完全に克服してなくても敵は毎日のようにやってくる。毎日が実地訓練みたいなものだ。
彼らは僕のことを尾行しているようで、ある日家に帰ると玄関のドアに真っ赤な封筒が貼り付けられていた。
その封筒は触るとベトベトして指に赤い色がついた。匂いをかぐと生臭く、どうやら血のようだった。
中を明けてみるとそこには血がブヨブヨと固まっているだけで何も入っていなかった。
あまりの恐怖に、ただ立ちつくすことしかできなかった。
11 襲撃
奴等はついに僕の家までやってきた。それだけで怖くて一睡も出来なかった。
家から出るのがどうしようもなく怖かったが、
エンパスの治療と心を読まれなくする特訓は終わっていない。
どうせ家の場所もばれているし、どこにいても同じだと自分を奮い立たせてドアを開けた。
その瞬間、ドアの陰に隠れていた何者かに後頭部を思い切り殴られた。
暫くして気がつくと、目の前は真っ暗だった。
そして異常に窮屈な格好で狭い空間に閉じこめられているようだった。
なにやら物が腐ったような臭いがしている。
初めは夜なのかと思っていたが、周りから声が聞こえる。子供の声も結構聞こえた。
エンパスにしろ肉声にしろ、子供がこんなに起きていると言うことはそれほど遅い時間じゃないはずだ。
実際目が慣れてくると細く光が射し込んでいる部分があった。
そこへどうにか手を伸ばしてみると、何かゴムのような感触があった。
何だろう、と思い、他の所も探ってみると、今度はプラスチックの小さな棚状の部分があった。
規則的に直径4センチほどの穴が10個ほど空いている。何だろう・・・
自分の置かれている状況が把握できず、困惑していると車のエンジンの音が近づいてきた。
『暑いなー。今日みたいな日はゴミが腐りやすくてたまんねーな』
恐らくエンパスと思われる男の声で臭いの原因がゴミだと言うことが分かった。
ゴミ・・・と言うことは、ここはゴミ捨て場?
ゴミ捨て場に僕はいるのか?なぜ?
ますます状況がつかめないままひたすら怯えていると急に周りの壁ががくんと揺れた。
そうして聞こえてきた会話が僕の立場を教えてくれた。
「何だ?この冷蔵庫、メチャクチャ重いなー」
「中にゴミ詰めて捨てるヤツ結構いるからなー」
「死体とか詰め込んであったりして」
「バーカ。ありえねーよ、中身はゴミだ。さ、とっとと潰しちまおーぜ」
「あははははははははははハハハハはははhahahahaはハ」
冷蔵庫?ゴミを詰めて?死体?
あのゴムの感触・・・プラスチックの穴の空いた棚・・・これが、冷蔵庫?
声を出そうとしたが口に粘着テープのような物が張り付けてあって声が出ない。
手には手錠がかかっていて、更にその手錠がどこかにくくりつけてあるらしく、ほとんど動かない。
顔を手の所まで持っていこうとしたが、どこかに括りつけてあるらしく、首に紐が引っかかって前に行けない。
足も粘着テープでがっしり固定されて動かせない。
なんて事だ、全く身動きが出来ない。このままでは・・・。
ゴンゴンというなにやら機械の回転する音が近づいてきた。僕はもうすぐ死ぬんだ・・・。
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