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放浪記

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Chapter 1 北米編 2 [Mexico] Nov 17 1999 - Jan 4 2000


INDEX
『!アディオス! メヒコ』 チェトマル
『青すぎる海』 トゥルム
『カリブ海でオープンウォーター』 イスラ・ムヘーレス
『マヤ遺跡巡り』 メリダ
『ジャングルの中の遺跡』 パレンケ
『内陸盆地の街』 オハカ
『隠された港』 プエルト・エスコンディード
『元高級リゾート地』 アカプルコ
『シウダ・デ・メヒコ(メキシコシティ)の18日間』




Colombia
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Jan 4 2000 [Chetumal] Quintana Roo ,Mexico

『アディオス! メヒコ』 チェトマル
I felt the town is little quiet when I got there. There was a very cheap,clean and quiet accomodation.It cost 30pesos [$US3]/per night. There were also a cheep internet shop.[$US 3/hrs] I had many Mexican pesos for Y2K trouble. I might have exchange these money before I go to Belize. Well,I am in trouble,I have many Pesos in Guatemala now... Anyway,I am reaching CENTRAL AMERICA yet!!




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Jan 1 2000 [Tulum] Quintana Roo ,Mexico

『青すぎる海』 トゥルム
We returned Tulum for visit to a ruin which named Coba. But,I could`t go there,because I had getting cold. So,I was being in the room while 2days. I needed some rest.




30 Dec,1999 [Playa del Carmen] Quintana Roo ,

We visited a ruin which is Tulum.Tulum placed the Caribian coast.
It is so beautiful!! Bulue sky, sea and Mayan ruin.
We couldn't move when watch that first untill several minutes.
We also went the coast from the ruin.
There were many people who did suntang and swam.
We wanted to stay there but there were no hotel good for us.
Though,we returned to Playa del Carmen and sarch hotel.
But,we couldn't find it there too.
But an orner of a hotel offerd us to rent a shop.
Ofcause we said yes.
We checked in the shop of the hotel,and around the down town Carmen.
It was very small town,but there were many people there.
We saw many topless girls in the beach.
We met a cool Mexican he lived in Japan and teached football Japanese boys he said.
We were there while comming 2000!
Some restaurants had a band that was rock or something.
There were many people in the street at beyond the year.
11:59,a vocal of the band stop the music and started count down.
"Treinta,Veinta y nueve,,,,,,(30,29,,,)"
I was so exciting at the time.
"It's comming!!"
"Tres,dos,uno!!"
"Feliz de ano nuevo!! Yeaaaaaaaaaaaaaaaaah!!"
Everybody shout and felt happy at the time.
I never forget that moment all in my life.




Photo: Tulum the blue sea
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Dec 28 1999 [Isla Mujeres] Quintana Roo,Mexico Stayed HI-Merida

『カリブ海でオープンウォーター』 イスラ・ムヘーレス
I got the PADI licence yesterday in Isla Mujeres ,Mexico.
It cost 3000pesos(about 300USD).
I didn`t know the bottom of the sea was that beautiful and wonderful!
You can`t understand it without doing if you watch TV or pictures.
You should try!




Photo: my buddies for scuba diving
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December 20 1999 [Merida] Quintana Roo,Mexico Stayed HI-Merida

『マヤ遺跡巡り』 メリダ
I got Merida last time with my friend who met in Oxaca.
I am worryed that Merida has not so much tacos shop in the downtown.




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December 17 1999 [Parenque] Quintana Roo,Mexico Stayed

『ジャングルの中の遺跡』 パレンケ
  The town is being for the famous ruins; of course for visitors. But I heard there is a strange Japanese who have never visit the ruin and playing T.V game in the town. Oh my gosh! The ruin is very misteryous and imaginatable though.
It surrounded with jungle, there are many bats in the ruined buildings.
I heard terrible shouted voice from the jungle belonging the Parenque ruins. It was really fier and it was getting dark but I tryed climb the mountain. Climb and climb at the hard slop, a man standing and concentrating in the voice. I asked him what is that. He said that is howl monkeys. They seem very nurves, when they catch some noise they would get away to deep jungle.
We talk quietly. He speeks English very well but is Mexican.
He tell me many kind of natural drugs. It was very interesting. So, the town seems also being for the drugs for a kind of back packers.




Photo: Parenque a ruin
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December 15 1999 [Oaxaca] Oxaca, Mexico Stayed Santa Isabel Hostal(7days)

『内陸盆地の街』 オハカ
I met a Japanese man who came from Oasaka.
It was the first time I met a Japanese since I came Mexico.
I was very happy,because I had almost speak with nobody since I came here.
He said he was a TV news camera man in Japan.
He said Mexican tacos is very nice and good for Japanese.
Ofcause,I sympathized him.




December,10 1999
I went to a ruin which called "Monte Alban".
It placed a top of mountain in Oxaca.
I really felt sacred.
By the way,I thought "Monte Alban" is the place of making coffee,though....




Photo: Montearban a ruin
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December 9 1999 [Puerto Escondido] Oxaca,Mexico Stayed ??(1day)

『隠された港』 プエルト・エスコンディード
Puerto Escondido has very beautiful coast and long beach.
I got suntang whole the day.
Four white girls;looks French or anywhere Europe, came next me and they put off them swimm suit....
I annoyed where shoud look though, very lucky and happy ! The next morning leaved the small town by second class bus. I didnt know that the bus cost as much as ten hours to Oxaca at the moment.




Photo: Puerto Escondido
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Dec 7 1999 [Acapulco] Guarrero,Mexico Stayed ??(1day)

『元高級リゾート地』 アカプルコ
There are many parsonal management bus.
They makes big music sounds and terrible exsaust sound.
Also,there are a lot of men who has ID of information guide.
They recomended me some "grass" and "girl".
I refused the offer but, am little regret now...




Photo: in a netcafe of Acapurco
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Nov 17 1999 [Ciudad de Mexico] Mexico Stayed Hotel Zamora(20days)

『シウダ・デ・メヒコ(メキシコシティ)の18日間』
マイアミからアトランタ経由でメキシコシティの空港に着いた。
アメリカの長距離バスターミナルを思い起こさせるようなラテン系の人々が列を作る入国管理のゲートに一人東洋人のぼくが並ぶ。
順番が近づいてくると皆スペイン語でチェックを受けていることに気がつきドギマギした。
英語が通じないとは思えないけど色眼鏡で見られることは覚悟しなければいけない。
予想どおり入国管理官は英語で対応してくれたし厳しい質問や手荷物チェックもなくあっさりとゲートから吐き出されたぼくはホッとしたのも束の間、見回せば全て眉毛の黒々として肌の浅黒いメキシコ人、という状況に戸惑いを感じずにはいられなかった。
この空港から再びアメリカ行きの飛行機に飛び乗って逃げ出す自分が想像できた。

まずは市の中心部に出てからその日のホテルを探そうと思う。飛行機で乗り換えのために降りたアトランタの空港内で急遽買い求めたメキシコのガイドブックによると市中心部まではタクシーを使うのがよい、と書かれている。しかしメキシコには時に乗客を誘拐、拉致する強盗ドライヴァーがいるということも書いてあるのでぼくはすっかり縮み上がっていた。
空港内にマクドナルドを見つけて腹ごなしをしながらその英語のガイドブックの巻末にあるスペイン語のティップを覚えようと試みた。
空港の前にタクシーの溜まるプールを見つけて(市街までいくら?)にあたるぼくにとっては初めてのスペイン語「くあんと くえすた ぱら せんとろ?」ときいてみたが「××××××××××」と早口でまくし立てられて後部ドアを開け、乗れ乗れと言うだけだ。タクシーに乗るときは前交渉で料金を確認しておくという方法はぼくがアメリカでもしてきたやり方だけど言葉が通じないのだからどうしようもない。
躊躇していると周りで暇そうにしていた他のドライヴァーが集まってきてぼくを取り囲んだ。 これはヤバイと思い、顔を引きつらせてその場から逃げ出し空港のロビーに戻った。
何か他の方法を見つけた方が良いかもしれないと思って電車はないのか、バスはないのか、と歩いて探した。そこへ金髪の眩しい二人のバックパッカーらしい女性が英語で話しながら通りかかったのでぼくは反射的に Excuse me! と声をかけて事情を説明した。
気のよいその二人組みは OK! と軽く引き受けて(着いてきて!)と案内してくれたのはタクシーチケットの買える窓口だった。そこで買えば正規の運賃で買えるのでボッタクリにあわずに済むというわけだ。彼女たちはすでに購入済みで「どうせ通りがかりだから途中まで一緒に行きましょう!」とオファーしてくれたのだ。
さっきまで困って泣きそうだったぼくは今度はうれし泣きしそうになった。
スペイン語もペラペラと話してタクシーの運転手に指図するその二人の身長はぼくよりも小さかったけど、それがずーと大きく見えるくらいぼくの目には彼女たちが逞しく映った。

市内に向かう道路は終始大渋滞でその道を埋め尽くしている車の八割がタクシーかコレクティーボという乗合バスなので驚きだ。マイカーが少ないというのは交通事情的には良い環境と思えるのにその公共交通機関が麻痺している。そしてその一台一台はものすごくエゴイスティックに割り込みを繰り返してクラクションをけたたましく鳴らしながらグイグイ、グリグリと進んでゆく。全員がこんなワガママな性格で良く喧嘩にならないものだと感心する。
ほとんどぶつかるくらいに接近して自分の前には誰も割り込ませないようにしているのにそこへ割り込んでくる。そして自分もそれと同じようにする。
初っ端からものすごいカルチャーショックを受けてぼくの口は開いたまま塞がらない。

ようやく市中心部に入り、ぼくはガイドブックにある一番安いホテルが点在する辺りの通りで降ろしてもらい、車内でもあまり多くを語ることのできなかった二人の優しいアメリカ人女性にThannk you so much! と礼を言った。彼女たちは「手伝えて良かった、がんばってねー!」と言ってくれてそのままタクシーの運転手にスペイン語で指図して去っていった。去り行くタクシーを見送りながら(これでまた一人か。)と思い少し落ち込んだけど目の前にはもうホテルがある。タクシー強盗のことはぼくに恐怖心を植え付けたけどホテルは大丈夫だろう。うす暗い階段を登ると小さなフロントがあった。人はいないがすぐに掃除していたメイドのような女性が降りてきた。料金を明示した紙が壁に貼ってあったのでその実際のレイトを暗算してみたがせいぜい1,000円くらいだったのでそこに決めた。
『HOTEL ZAMORA』。スペイン語は『H』を表記はしても発音はしないらしい。さらに『Z』は濁らずに『S』と同じように発音する。よってそのホテルは『オテル サモラ』というのだ。一泊$NP90(ヌエバ・ペソ)は大体9ドルだ。まだ物価が把握できないけど安いにこしたことはないので徐々に慣れたら他を探してもよい。とりあえず荷物を置ける宿に泊って身軽になってからいろいろ考えたかった。

パスポートの提示を求められて名前の他に国籍や誕生日、どこから来たとか、どこへ行く予定かなどを全て書かなければならなかった。どこのホテルでも書かされるのだろうか?
部屋には小さくて一緒になったシャワーとトイレがついていた。シャワーを浴びれば便座が濡れるというくらい狭かったが共同よりはマシかもしれない。
ベッドはスプリングのへたったシングルが小さな部屋の半分を占めていて何百回洗濯したのかと思わせる擦り切れたカバーがかけられている。
1,000円以上払ってこの部屋か、と少し残念だった。もっと物価が安いことを期待してきていた。水シャワーを浴びてから街へ出た。石をふんだんに使った古い建物が多い。ホテルの前は道路まで石畳だ。この日は晴れていて日陰に出ると肌がジリジリするくらいの日差しの強さだけど日陰に入ると逆に寒いくらいだ。アメリカのマイアミに比べたら赤道には近づいたけどその代わり標高が一気に2,200mまで上がったのだからこうした気候の変化があったのだろう。 ぼくはTシャツ一枚で外出していた。基本的に日陰を選んで歩き、寒くなってきたら日向へでるということを繰り返した。

街のあちこちにある建物のエントランスや店の前には物々しく武装したガードマンらしき男達が立っている。そんなに危険なのか? と思わせる厳戒態勢だ。たまに現れるかもしれない強盗よりも四六時中立っている彼らの方がよっぽど恐い。
『ZUCO』と書かれたジュース屋さんを見つけて入ると日本のデパ地下によくある生ジュースを飲ませてくれるジューススタンドだった。見れば一杯1ドルくらいで飲める。しかもカップがすごく大きいのでお腹一杯になるくらいで種類も豊富だ。ミキサーが並んだカウンターの中にはモレーナというおネイさんが4、5人もいて「ケ?」ときいてくる。『ケ』とはなんとなく嫌な質問の仕方だけど意味は『何』にあたるらしい。しかも小さいツがつく感じで一瞬あごを突き出しながら『ケッ?』という具合だから初めのうちは気分が悪かったけどそのジューススタンドに通ううちにそれも慣れた。
一日に二回も三回も来るぼくはやがておネイさん方の間でスペイン語のわからない『チーノ』として顔見知りになった。『チーノ』とは中国人のことでどうもぼくのことを中国人と勘違いしているのか、あるいは中国人だろうが日本人だろうがひとまとめという意識なんだろうか。
いくら嘲笑われてもそこの店が気に入ったので18日間通い詰めた。
最後にはあらゆる果物の名前を覚えたぼくに彼女たちは結構良い笑顔を見せてくれるようになった。

メキシコシティは英語の呼び方でスペイン語では『シウダ・デ・メヒコ』だ。
いくつかルールを覚えれば発音は難しくなさそうだけど英語の応用が効かない部分が多いので全く初歩からのスタートになるけど街に出ると本屋には『Libraria』、床屋には『Barbaria』、美術館には『Museo』とそれぞれ看板があるし、ガイドブックの地図には広場にあたるところに『Zocaro』、教会は『Templo』、大聖堂は『Cathedral』という具合に表記されているから歩いているだけでまるで言葉を覚えはじめの子供のようにボキャブラリーが増えてゆくという体験ができてこれは本当に楽しい。
街のあちこちに屋台がでていてまずぼくを魅了したのが日本でも聞いたことのある『タコス』だ。 アメリカでも『TACO SHOP』などのファーストフード店などで気軽に食べることのできたタコスだけど本場メキシコ(もとい、メヒコ!)で食べるこのタコスという食べ物はまったくの別物ですごく『ピカンテ』(辛い)でそして『サブローソ』(美味い)だ!!
そのほか、チュロスなども揚げたてをかじりながら街を歩くのは楽しい。
NISSINの『カップラーメン』を売っている屋台もあって頼むとお湯を入れてくれるが、同時に『ピカンテ?』ときかれて「ハッ?」と疑問に思っているとチリ(唐辛子)ソースをドパッとかけてくれたのが笑えた。メキシコの人は日本人がなんでも醤油なのと同じでなんにでもこのサルサをふりかける。
こんな感じで食べ物に関してはまったく飽きることもなく何を食べても、何を飲んでもおいしく感じたので今後が楽しみになった。

同じホテルで出会ったスイス人のマルコたちと地下鉄に乗って『太陽と月のピラミッド』を観に行った。地下鉄はよく集団のスリが出るらしく三人とも荷物を前に抱えて警戒していたが案の定変な男たちに囲まれそうになったけど上手くよけて難を逃れた。
駅からさらにバスに乗って郊外の砂漠気候の町の近くにある巨大な遺跡テオティワカンの目玉といえるこの二つのピラミッドに登った。スイス人のマルコは流石山岳育ちと思わせる快速で登りも下りもヒョイヒョイと身軽だったけどそれが異常と思えるほど特に『月』の方のピラミッドは急な傾斜の階段状になっていた。階段といってもほとんど足の幅もないほどの段が続くのでちょっと恐い。しかし息を切らして登ったピラミッドの頂上に大の字になって三人寝転んで吸った煙草の味は美味かった。白い月の浮かぶ真っ青な空を仰いで古代マヤの人達がどんな暮らしをしてどんな思いでこの巨大建造物を築きあげたのかを想像してみたりした。

シティでは映画が安くて200円くらいでハリウッドのロードショウを観ることができた。 くしくも2000年が近づき『アルマゲドン』などの世紀末を題材にした映画が何本かあったので観た。キスシーンなどがあると決まって子供のように大騒ぎするメキシコ人達が愛らしかった。

コヨワカンということろに『フリダ・カーロ』という女流画家の生家を利用した美術館があったので観に行った。日本でも一時期脚光を浴びた人だったので(ああ、この人か!)とすぐにわかった。自身の子宮と感性を直結させたイメージの少しグロテスクな画風でとにかく自画像がほとんどなので覚えていた。実際に見る彼女の絵は警備の甘い古い民家の壁に普通の絵と同じように掛けられていて触ることもできそうなくらいだった(実際に心無い者に傷つけられていたものも一点あった)けどどれも(うーん、深い!)というものばかりだった。幼少期から描いていたものも展示されていて才能は子供のうちにわかるものなんだということがよくわかるものばかりだった。

人類博物館にも行った。ものすごい展示の多さで見ごたえ十分だった。展示品の説明文などはほとんどわからなかったけどイメージを膨らませて展示品と見比べるのはある意味で面白い。ボキャブラリーを増やすのにも役立った。

街自体が遺跡のように古く、美術館のように芸術的なので歩いているだけでもぼくの興味は尽きることがない。マヤ文明の人々が中世スペインに侵略されて築かれた現在のメキシコという国、その首都であるシウダ・デ・メヒコは広大でそしていろいろな顔をもっている。18日間歩き回ったけどまったく飽きることがない。ぼくは古い街が好きだ。
ただ(もっといろいろな街を見てみたい!)という好奇心も育ちつつあった。
そしてついに(明日街を離れよう)と決心したある晩、一時間前に食べたばかりのピザにアタッたのか丸々3日間動けなくなって寝込んでしまった。すごく苦しかった。もしかしてこのままこの身寄りのない日本の裏側の国で死んでしまうのかもしれない、と思ったりもした。 だけどぼくは復活した。そして復活するとすぐに身支度をした。

市内や近郊を観光してまわったぼくは(言葉は通じなくてもある程度イケる!)という自身がついた。次は一気に海抜0mに近い海辺の街アカプルコへ行ってみようと思った。後ろ髪引かれる思いだったがぼくは長距離バスターミナルから夜行バスに乗ってその巨大な街を離れた。 (アディオス!メヒコ、アスタ・ラ・ビスタ!)




I had shock when I arrived Mexico.
I can't mension it well.
I can just tell you that "Come and watch!!"
I got a stmachaich for three days and can't move while the time.
I think it was wrong which I had a piece of pizza before the day. ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆






Photo: Indians of Mexico
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