File 004. - Visit to Berkshire, England (1998-1999)

バークシャーにて



1.ブラックネルという町
 ブラックネル(Bracknell)という町がイングランド南西部バークシャー州にある。ロンドン・ウォータールー駅から鉄道SWT(South West Trains)で約1時間のところにある小さな町である。その路線をさらに20分行くと、終点のバークシャー州都レディング(Reading)がある。ブラックネルからは、ヒースロー国際空港、ウインザー城(エリザベス2世の住居の1つ)、イートン校(故ダイアナ元妃とチャールズ皇太子の2人の息子が通っている)、アスコット競馬場、ハンプトン・コート宮殿など数多くの観光名所に手軽に行ける。ブラックネルはバス路線も充実し、その周辺地域からのバスと都市部への列車を乗り継ぐ一種の基幹都市として機能している。小さいが観光客にとっては結構便利な町だ。
                                   Martins Heron Station
 ロンドンからSWTでブラックネルに向かい、1駅前がマーティンズ・ヘロン(Martin's Heron)だ。閑静な住宅地で、ホスト家族の家までは駅から徒歩7分、その途中には緑の多い広場がある。私は、その広場を横切って駅へと向かう時間がとても好きだった。その日の予定をいろいろと考えながら歩いた。2週間の滞在で、英国流クリスマスと新年を経験した。3度目の渡英になる私に、ホームステイはとても新鮮で未知の分野でもあった。私のホスト家族マニュエル家は、イングランドに移住して30年以上になるアジア系夫妻と息子2人。ビルマ出身の敬虔なカトリック教徒の夫フィリップとマレーシア出身の妻シン・ワン。彼らのとの生活を通じて、私の関心は英国だけではなくアジア諸国へと向いた。
 ビルマ(今のミャンマー)出身の夫フィリップは、現在は銀行員である。彼はソニー製の家電と日本の演歌歌手藤あや子をこよなく愛し、かつては東海銀行そして昨年の9月までは美津濃(スポーツ用品のミズノ)で働いたことのあるもの静かな紳士である。リストラでミズノを去った今も、ミズノ製品の優秀さを忘れていない。そういえば、彼の愛車もホンダだった。彼かかなりの親日家である。故国ビルマへの彼の愛情は強い。ビルマの軍人政治から生まれる様々な問題点を非難しながらも、早く「万人に開かれた国」となることを望んでいる。ビルマの新聞記事をインターネット上で見せてもらったが、彼曰く「どの記事も、関係する軍人の名前ばかり並び立て、内容や記者のコメントがほとんどない」。確かに、ある記事は政府高官が何かの会合を開いたと伝えていたが、もっぱらその会合に出席した人々(政府の役人、軍人等)の名前と彼らのやたらに長い役職名が目立った。ビルマでは、今でも制約のある報道を余儀なくされているらしい。故国の後進性を嘆く移住者としての、いても立っても入られない姿を彼に見た思いがした。
 マレーシア出身の妻シン・ワンはイングランドとマレーシアの教育について語ってくれた。長男のジャスティンは大学生、昨年まで無料だった国公立大学の授業料が有料(約1、000ポンド)になるとのこと。これは、夫フィリップの尊敬するサッチャー、そしてメイジャー政権が抱えていた教育近代化の問題を、現在のブレア政権が現実的に解決した結果であろう。また、彼女は英国航空に勤務する傍ら、近所のスーパーマーケットでパートもする働き者。彼女によると、渡航証(パスポート)を偽造し入国する外国人が多いそうだ。イギリスの航空会社はその対策に手を拱いているとのこと。密入国者たちは偽造したパスポートを航空機のトイレで処分し、イギリスに到着した後、正当な移民としての扱いを受けることを要求するのだそうである。多くの者は簡単な移民審査を受けた後、食事と住居を与えられることになるのだそうです。結果的に彼らの一部が密入国者だと判断されると、それを幇助した形となるその航空会社には多額の罰金が課される。といっても、当局も各航空会社の対策にも限界があるのは承知している。密入国者との鼬ごっこになるだけだ。税金を払っている国民全てが楽な生活をしているわけではない。貧しい生活を余儀なくされている国民の気持ちからすれば、彼女の言うように移民の受け入れ制度を改善する必要があるだろう。彼らの苛立ちと腹立たしさが爆発する前に。

2.バークシャーのクリスマス

 まず、ある日の新聞記事を紹介したい。クリスマス後の12月26・27日頃のある新聞に、おもしろい記事が載っていた。それは、12月25日バークシャー州で営業しているコンビニが数軒あったことを伝え、クリスマスは今後も「宗教的な祝日」であるべきか、それとも、これからは「ただの休日」でよいか、といった内容であった。賛否両方の意見の概略を紹介すると、一方は、イギリス人はクリスマスを「宗教的な祝日」として堅持すべきで、若者の教会離れに拍車をかけることになるので、クリスマスのいかなる商業的営業も認めることはできないと上記小売店の営業を強く非難するもので、他方はイギリス人の宗教心はクリスマスだけのものではない、営業してくれれば助かる家庭も多くあり、一方的に小売店の営業を非難すべきではないというものだった。また、商店・小売店側の経営方針によると、クリスマス営業は今後もイギリス中に確実に広がる見込みで、平常の2倍から3倍の手当が支払われるクリスマス勤務を快く受け入れる若い世代の労働者も多いそうだ。この記事は、イギリスのクリスマスが日本のそれとはずいぶん違うことを物語っている。個人的には、日本のクリスマスにはない議論の高まりを今後期待している。どういう展開になるか注目したいと思う。
 前述の新聞記事にみられるような論議がイギリスで起こるのは、イギリスのクリスマスが日本とは比べものにならないくらい宗教的であるからだ。その上、訪れる外国人には、イギリスのクリスマスは歴史と伝統を感じさせる。教会での深夜の礼拝(Midnight mas)に参加したらなら、その儀式の厳粛さに日本人なら畏敬の念を払わずにはいられないだろう。ただ、他方では、伝統的、宗教的行事であると同時に、日本のようなコマーシャリズムも次第に勢力を伸ばしてきているのも事実だ。
A room decorated with Christmas cards
 町や家庭は、2・3週間前からクリスマスの準備に取りかかるのが伝統的な慣習である。町では商店街の飾り付けと共にクリスマス・セールが始まり、家庭では部屋の飾り付けを始め、プレゼントや伝統料理のためのショッピングに出かける。私のホストは、居間の壁に、遠く離れた知人から送られてきた数十枚のクリスマス・カードをきれいに並べて吊し、家族一人一人へのプレゼントもすでにツリーの下に買い揃えていた。しかし、高価な買い物はクリスマス後のクリアランス・セール(大棚さらえ)まで控えるのだそうだ。ここイギリスでは、とにかく「値引き待つ」。これが、賢い消費者なのだ。また、家屋の外壁を電飾で飾りつけるお祭り気分の家庭も少なくない。にぎやかな町や家屋の光景を見てしまうと、クリスマスを「買い物のための休日」や「馬鹿騒ぎするお祭り」にする若い世代が、確かに多くなってきているのだなと思える。
 ロースト・ターキーを中心にしたクリスマス・ディナーは、普段の食事よりもはるかに豪華である。年に1度、遠く離れた家族や親戚が集い、伝統的な食事を楽しみながら、会話に花が咲く。マニュエル家にはフィリツプの母、兄弟らが訪れた。フィリツプは酒もたばこもやるが、ビールは一度も飲まなかった。本人曰く、ビールは高価な割にはアルコールが弱いから酔えないのだそうだ。心地よく、安く酔うには、やっぱりワインが1番だそうだ。食後にフルーツ・プディングが出るのも伝統である。私が頂いたのは、レーズンのたくさん入ったプディング。自分でも信じられないが、好物の1つになりそうなくらいおいしかった。
 イギリスのクリスマスは、一言で言うと、まるで日本のお正月だ。クリスマス前のスーパーマーケットでの買い物は、大晦日まで続く新年三が日の食料品の買い物に似ている。キャリア・カート一杯に食料品やら菓子やら飲み物を積み、行儀良くレジに大行列を作るイギリス人の光景は、かなりの迫力があった。クリスマス・ディナーはおせち料理。日本ではプレゼントは送らないが、お年玉というのがある。深夜の礼拝は、さながら日本の初詣だ。クリスマス・カードは年賀状。ここまで共通点があると、もうイギリスを外国とは呼べなくなってしまう。誰かが意図的に似せたのでは、とさえ思えてくる。ただ、唯一の違いがあるとすれば、日本で商店や小売店が正月営業を始めた1980年代に、前述のイギリスの新聞のような論議は当時の日本では高まらなかったことではなかろうか。日本人の礼儀作法の中に、「元旦は家族で新年を祝う日。新年の挨拶や外出するのは1月2日以降に。」という考え方があるにはある。近年1月1日から商売を始めるスーパーマーケットが増えた。しかし、それを「便利だ」とは思っても、「けしからん」と思わないのが現在の日本。「けしからん」を忘れた日本は、このまま「正月」を普通の「買い物の日」にしてしまうだろう。イギリスにはいろんな意味で「けしからん」を持ち続けてもらいたいと私は思う。

3.イギリスの大晦日と新年
Windsor Castle
 日本人の大半が卒業式の歌といえば「蛍の光」を一番に挙げるだろう。しかし、それがスコットランド民謡だと知っている日本人は一体どれだけいるだろうか。また、どれだけの日本人が、イギリス人たちが大晦日のパーティーで「蛍の光」を歌いながら踊るという事実を知っているだろうか。
 ここはニュー・イヤーズ・イブのパーティー会場。皆、夕刻から夜中まで飲んで踊って大騒ぎ。まもなく、夜中の12時を迎える。みんながダンス・フロアーに一斉に集まり、手をつなぎ始めた。新年をカウントダウンで迎えるのだ。ダンスミュージックの代わりに「蛍の光」の音楽が流れ始め、同時に手をつないだ人々が踊り始めた。その踊りは、ちょうど日本の子供遊び「花一匁」のそれに似ている。歌が終わると同時に、カウント・ダウン開始。「・・・・・3・2・1・0。ハッピー・ニュー・イヤー!」の大歓声。キスの嵐。ひげ顔のおじさんにキスされた。そのひげで頬がヒリヒリしたのが今でも忘れられない。

4.初めてのミュージカル
 1998年12月26日、生まれて初めてミュージカルというものに行った。本場ロンドンでの観劇は、私にとっては渡英3度目にして初めての贅沢であり、行けば旅のみやげ話になるかな程度の軽い気持ちがきっかけだった。  滞在先のホスト・マザーがどの劇場にもたいてい「マチネ(昼の興行)」があることを教えてくれたので、そのマチネとやらに行くことにした。  私の場合、ロンドンに行ける日が限られていたので、その日にどの劇場が興行をしているかが専らの関心事であった。作品や劇場についてほとんど知識を持たない私が訪れた劇場はパレス・シアター(Palace Theatre)。作品は、ヴィクトル・ユーゴー原作、トレヴァー・ナン演出の「レ・ミゼラブル」だった。2、3度劇場の前を通りかかったこともあり、場所は知っていたし、その古めかしい劇場の外観も強く印象に残っていた。さらには、ミュージカルとしては異例の3時間を超える長作であるという点にも惹かれた。とはいえ、年末土曜日のマチネは、ほとんど選択の余地はなかったのが事実だ。

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