File 001. - My First Visit to London, England (1988)

イギリス放浪記



T.JALよりPIA?

35時間という長時間に及ぶフライトだった。マニラ・バンコック・カラチ・ドゥバイ・パリを経由し、ロンドンのヒースロー空港に入る南回りのPIA(パキスタン航空)は、日本人乗客には安いだけが取り柄の鈍行フライトのように思えた。機内の座席やその他のスペースの窮屈さを考えると、鈍行列車よりもはるかにひどい乗り物かもしれない。こんな悪口を言えば切りがない。この際だからもう少し言わせてもらうと、この種のフライトには付き物なのか、delayed(何かの理由で遅れること)が大変多かった。経由地に到着すると予定出発時間が乗客に伝えられるが、一度たりともその時間に出発した試しはなかった。最長遅延はロンドン発時の10時間、ついでカラチでの6時間という具合だ。ロンドンでは、エンジントラブルで出発が遅れた。深夜の出発便だったので航空会社手配のホテルに一泊し翌朝出発した。これは航空会社としては当然の処置である。カラチでは、その6時間の間に航空会社から乗客になんとジュースが1本サービスされたことを付け加えておく。

悪口ばかりでは私の本心が伝わらないので、ここでPIAを褒めておきたい。PIAのいい点は見付けるのに苦労するほどのものではない。しかし、利用する人によって受け取り方がずいぶんと違うだろう。つまり、そのいい点とは、機内の雰囲気である。とにかく、終始私は機内の雰囲気が好きだった。東京を出てロンドンに着くまでの経由地が数カ国に及ぶ分、乗客のnationality(国籍)も様々であり、始発地東京で、すでに機内には小さな国際社会が出来上がっていた。乗客は、PIAの地元のパキスタン人が圧倒的に多く、そのほかとしてインド人、タイ人、フィリピン人、日本人等が目立った。白人の姿を見ることはほとんどなかったように記憶している。このような世界がいきなり機内に存在したことが、イギリスのことしか頭になかった私をもっと広い世界へと導いてくれた。機内では、当然英語が主言語であった。しかし、その他数カ国語が右から左へと飛び交い、その様はまるで早朝の市場で繰り広げられる「競りの活気」を思わせるものがあった。格安の南回りのマイナーフライトならではの「人々の輪」を強く感じた。JALだと決してこんな雰囲気は出来ないだろう。


U.憧れのロンドン

ヒースロー空港に降り立った時の感激は、到底言葉では語り尽くせない。ヒースローに着くまでは、ロンドンは私の内にある「夢」の一部分であった。しかし、降り立った時を境にロンドンは私の外に存在する「巨大な生き物」と化してしまった。私はその巨大な生き物を目の前にし、まるで蛇に睨まれた「蛙」の心境を実体験した。そう、私は意気揚々と空港の通路を歩きながら、ロンドンとの夢にまで見た初めての出会いを楽しむつもりだった。が、恐怖に似た不安で私の両足が小刻みに震えていたのは、決して気のせいでも35時間の長旅の疲れのせいでもなかった。見知らぬ土地しかも外国での生活への不安のせいだった。その不安がちょっとした勇気に変わったのは、入国手続きの後に待ち受けていたフライト仲間との別れの瞬間だった。お互いの旅の無事を祈り励まし合ううちに、否応なしでも、これから一人でやっていかなければならないことを思い知らされ、不安を忘れた私は第1日目の宿泊予定のホテルへ確認の電話を入れた。

初日の目的地アールズコートは、ヒースロー空港から地下鉄ピカデリー線で40〜50分のところ、駅の数にするとヒースローから数えて13番目の駅だった。着いた頃はもう辺りは真っ暗、駅の構内には人もまばらで、大きめのパイプザックを背負った私はその中で一際目立った。ウォーリック通りに通じる出入口にある売店もすでに閉まっていた。そこから不安だらけのホテル探しが始まった。空港から予約確認の電話は入れたものの、場所を聞き忘れたので、アドレスだけが頼りだった。しかし、ウォーリック通り沿いに建物に番地が書いてあり、ものの10分もたたない内にホテルに辿り着けた。少し拍子抜けした気持ちだったが、不安から一気に解放された私は翌朝のアラームが鳴るまで、棺桶のような狭苦しいシングルベッドで死人のように深い眠りに落ちた。

夏でもロンドンの朝は肌寒い。わずか一枚の薄っぺらの毛布とシーツは、普段から風邪を引きやすい私を守ることは出来なかった。まさに、「見かけによらず」という言葉がぴったりの私である。寒さと疲労であっと言う間に体調を崩してしまった。頭はぼーっとし身体もけだるく、これからという時に自分が情けなかった。しかし、記念すべき初日を自ら台無しには出来なかった。市内巡りを敢行した。リュックに貴重品・カメラ・ガイド本・筆記用具などを詰め込み、財布には昨日空港でT/Cから換金したばかりのポンドを携えて出発した。今でも鮮明に覚えていることは、その朝ホテルを出たとたん地震の如く私の身体がぐらぐら揺れたことだ。

ロンドンで真っ先に訪れるべき(?)場所ピカデリーサーカスは、アールズコートから地下鉄ピカデリー線で北に向かい5つ目の駅、時間にすると10分ちょっとで行けるところにあった。私はかの有名なエロスの像を目の前にし、自分の存在がその瞬間本当にロンドンの一部になっていることを実感した。そうなるともう、私にとってロンドンは「巨大な怪物」というよりもむしろ「一つの人格を持った人間」であるように思えた。そして、彼女(私はロンドンに母性のようなものを感じた)が、その寛大なる心で私を快く出迎えてくれているように思えて仕方なかった。実に感慨深い瞬間だった。同時に、その寛大なる心で、何万人もの外国人が移民として受け入れられて来た事実を自分勝手に納得した。言うまでもなく、ロンドンはニューヨークに次ぐ「移民の都」であり、町往く人々の出身地も外国である場合が珍しくない。ロンドンの「エロス像」は少々小ぶりながらも、イギリスの「自由の女神」のような感さえする。


V.イギリス・リゾート事情(イングランド南部:トーキー編)

ロンドン以南、つまりイングランド南部の海岸町では、夏場北部からの観光客が多く見られる。私が訪れた町トーキー(Torquay)も、類に漏れず北部からの観光客で町中活気にあふれていた。トーキーは、夏の夜を演出するために、町中をイルミネーションで飾り付け、それを観光の色物として宣伝している港町であった。ロンドン・パディントン駅からインターシティ125(Inter City125)に乗り3時間半ほどで行ける。インターシティ(IC)・インターシティ125(IC125)は、日本の新幹線に相当する高速列車であり、世界の高速列車の先駆だという。実際に乗ってみて、スピードは確かに新幹線と変わらぬほどであったが、新幹線より揺れがひどかった。席に座れない時は、出入り口の通路の若干のスペースで何時間も右へ左へと寄られながらの乗車で、決して快適な乗り物には思えなかった。

ここで少しイギリスの国鉄(British Railway:BR)のことを紹介したい。イギリスの国鉄には、急行とか特急の区別をするチケットはない。いわゆる乗車券を購入するだけで、ローカルの遅いのにも前述のICやIC125のような速いのにも乗ることが出来る。目的地までの乗車券を買い、時刻表でどの列車に乗るかを決める。私はイギリス国外でしか購入できないブリットレイルパス(Britrail pass)という割引乗車券を日本で購入し、今回の旅で使用した。このパスは、有効期日・使用者の年齢・座席のクラスによって価格が異なるが、イギリス国内では購入できないだけに外国人旅行者には必須のものだと思う。また、駅のプラットフォームには必ずあった電光時刻表が旅の手助けをしてくれた。それを見れば、どこ行きの列車がどのプラットホームに着いて何時に出発するかが瞬時に分かるし、何分遅れなんてのもすぐ分かる。外国人である私たちには聞き慣れない構内放送よりもはるかに確実に私たちを目的地にまで導いてくれる代物である。私が聞いた構内放送は「誰かが誰かを待ってます。」のみたいな伝言の放送だった。また、列車内での放送も、始発時にのみ到着地と経由地を告げるだけである。従って、イギリスでは駅や社内での放送にはあまり注意を払わなくても大事には至らないのである。肝心なことは、列車内では、降りる駅は自分の目で駅名の書いてある看板を見て確認するということである。イギリスの列車の旅は、ことのほか聴覚よりも視覚が旅の苦楽を決めると思ってよいだろう。イギリスに住んでいる人々とて同じことである。

トーキーのことに話を戻し、簡単に紹介しておきたい。トーキーでは、駅からタクシーに乗るとすぐに海岸沿いの大きな道路に出る。ここから「真夏の夜の演出」が始まる。至る所に設置されたイルミネーションによって港、道路、公園等が色鮮やかに浮かび上がる。中には、どうみても奇妙に思える照明もあり、結局はローカル色強いの素朴な発想の域を越えきれないものである。しかし、私は違和感とか嫌悪感といったものよりむしろ日本の田舎町の夏祭りなどで見られるような素朴さを強く感じ、大いにその雰囲気を楽しんだ。私も根っからの田舎者なのである。

前日に予約(この時期の前日予約はかなり難しい。とても運が良かった。)しておいたゲストハウスに着いたのは夜の10時前だった。日没後まだ間もないせいか、ハウスの玄関から台所へ続く細長い通路には、5〜6人の人々がたむろし何やらがやがやと陽気に話をしていた。ハウスの主人ロン・ティーグは、コーンウォール出身の陽気な南部イギリス人で、ヘルシンキ出身の奥さんも滅法話し好きの大変明るい方だった。前々から質素で素朴なイメージがイギリス人にはあったが、このお二人はその上陽気ときているから最高である。こんな人々に出会えるのも田舎ののんびりとしたリゾート地ならではのことではないだろうか。


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