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これは、姉妹校フレンズ校からの留学生ケイト・ラックマンさんが2001年度の日本語弁論大会に参加したときの原稿です。
「日本はみりょくある国 」
皆さんこんにちは。はじめまして。私の名前は、ケイト・ラックマンです。今、高知市で交換留学生として暮らしています。私は日本に来るのは今回が2度目です。私は日本が大好きです。今日は、どうして私が日本を好きなのかについて話します。
私は日本のみりょくは、そのユニークなぶんか、すばらしいひとびと、うつくしいかんきょうにあるとおもいます。日本では、でんとうのおおくを、にちじょうせいかつのなかで見ることができます。
たとえば、しょくじのまえに日本人は「いただきます」といい、しょくじのあとには「ごちそうさま」といいます。そのほかにも、「おかえりなさい」「ただいま」「いってきます」ということばをつかいます。私は、これらちょっとしたフレーズやそのほかのしゅうかん、ぎしき、でんとうが日本をおもしろくて、ユニークな国にしていると思います。
日本人は、そのゆたかなぶんかと、こせいをほこりに思うべきです。そして、あまりおおくのせいようの方法をとりいれすぎないほうがいいと思います。
日本はこれまでずっと、どくじのぶんかてきアイデンティティーをたもってきたし、いまだに、げんだいしゃかいにおくれないでついてきたことは本当にすばらしいことです。
日本人は好意的で、かんだいで、せわ好きです。たとえば、私がこのまえやきゅうのしあいにいったときに、みちにまよってしまいました。そこで、3人の女子高生に行き方を聞きました。すると、かのじょたちはしんせつにも私をわざわざやきゅうじょうまでつれて行ってくれました。また、私の学校のがいこくじんの先生は、いなかで道にまよっていたときに、7人の家族が皆でいっしょにつぎの町まで1時間くらいかかって行ってくれたそうです。
日本人はいつも外国人にきょうみがあり、かんげいしてくれます。とてもいごこちがいいので、いつも私はうれしくなってくつろぐことができます。
日本人は外国人と話したがります。私が会う人はみな、私にどこから来たのと聞きます。また、英語のれんしゅうをしたがります。道で買い物をしているときに、たくさん友達をつくりました。よくあるのはつぎのような会話です。
A:「ハロー」
K:「こんにちは」
A:「おお、日本語うまい。どこから来た?」
K:「オーストラリアから来た。」
A:「シドニー?」
K:「ちがう。タスマニア。タスマニアしっちゅう?」
A:「おお、とさべん上手ね。うんうん、タスマニアン・デビルしっちゅう。留学生?」
K:「うん、1年間くらい。」
A:「おお、すごい。」
こんなかんじで、会話がつづきます。
日本で一番すばらしいと思うことは、日本のお寺のにわのにすわっていると心をあらわれるようなおだやかなふんいきで、ほんとうにゆったりとリラックスした気持ちになれることです。
また、日本の山を見ていると、何かとくべつなしんぴてきなものをかんじます。おいしげった木のむこうがわが見えないからです。オーストラリアの山はみななだらかですが、日本の山の高くそびえたかたちが大好きです。
私は日本で2つのけいけんをしました。それはいままででいちばんうれしかったものです。ひとつは、あるばん家にかえるとちゅう、3人の子供が私をよびとめて、「何時ですか」と聞きました。とてもゆかいな子供たちで、そのときもう夕方6時くらいだったのですが、大きなこえで楽しそうに「グッド・モーニング」と言いました。
もう一つは、私がはじめて面白いお話をして友達をわらわせたことです。そのとき私はとてもうれしかったです。日本語でほんとにコミュニケーションできたと思いました。
日本のぶんか、人々、ふんいきは、私の毎日のせいかつを楽しくしてくれます。日本のような場所は、世界じゅうさがしても、ほかにはないと思います。けれども、こきょうの家族や友達がこいしくなる時もあります。交換留学生はみんな言います。「人生はかんじょうのジェット・コースターである。」つまり、うれしい時もあれば、かなしいときもあれば、フラストレーションがたまるときもあるのです。また、さみしい時もあれば、ホームシックになるときもあります。そんなとき私は、また新しい人に会い、たくさんかたりあいます。すると、せいかつはまたすばらしいものになるのです。毎日見たり、したりするほんのささいなことさえもが、私をますます「日本の好き」にしてくれるのです。
愛媛県松山市「会館」
全国高等学校国際教育研究発表大会・愛媛大会
2000年8月24日
これは、姉妹校フレンズ校からの留学生ケイト・ラックマンさんが2001年11月に開かれた高知県高等学校国際教育生徒研究発表大会(日本語での意見発表)に参加したときの原稿です。
「未来への一歩」
こんにちは。私の名前はケイトラックマンです。オーストラリア人です。今日はオーストラリア人のアボリジニーの歴史や文化について話ます。また、オーストラリア人のアボリジニーとオーストラリアの白人が現代のおかれている状態について話します。
アボリジニーは一番最初にオーストラリアに住み始めた人々です。六万年前に洞窟で書いた絵が発見さました。けれども、その ‘アボリジニー’のいう言葉は‘始める’からという意味です。アボリジニーーの人々はオーストラリアに、歴史が始まる前から住んでいました。
何千年もの間、アボリジニーの習慣はそんなに変わりませんでした。豊かで、複雑な文化を造って、‘THE DREAMING’という概念を信じてきました。
オーストラリアのアボリジニーはオーストラリアが今のようになったのは、全て太古の聖霊達の行いの結果だと信じていました。
太古の出来事が全ての物を造りました。土地の形、山々、石や川も何んでも造りました。オーストラリア人のアボリジニが作ったたくさん万物創世の歌とダンスがあるのは、世代から世代に受け継がれてきた。現代もアボリジニーはその話を語を続けています。
オーストラリア人のアボリジニーは環境と完全に調和を保って暮らしていました。アボリジニーはりょうをしたり木の実などを集めたりして生活しました。けれども、必要な分だけを取りました。彼らは彼らが土地を所有しているのではなく、土地が彼らを所有しているだと信じています。大地を大切にして、生活をしました。大地を管理するために、森に火をつけました。
何千の間もオーストラリア人のアボリジニーはとても平和に暮らしていました。けれども、ヨーロッパ人がオーストラリアに来て以来、アボリジニーの人口大幅に減って、昔からの習慣や儀式はかなりなくなりました。1788年に、ヨーロッパが、オーストラリアに、住み始めました。そのとき、アボリジニーの人口は75万人でしたが、現在の人口は25万だけです。ヨーロッパ人がオーストラリアに来たときにたくさん病気を持ってきしまいました。オーストラリアにはそれまでなかった病気です。その病気の予防の方法は全然ありませんでしたから、たくさんのアボリジニーが死にました。その上、無知なヨーロッパ人は近代的な武器で、非常に多くのアボリジニーを殺しました。そして、1788年以来オーストラリアのアボリジニーの生活はとても大変でした。長い間、オーストラリアの白人はアボリジニーの文化レベルは低いみんみんそうだと思っていました。1960年まで彼らは投票できませんでした。
長い間オーストラリアで人種間の、争そいがありました。やっと、最近になって関係が改善してきました。現在アボリジニーのヒーローがたくさんいって、オースラリア人全てを奮い立たせていますます。政治家や俳優や歌手や運動選手もいます。特に、キャシー・フリーマンさんです。彼女はシドニーオリンピック最後のせいかランナーで400メートルで金メダルを取りました。
けれども、悲しいことに、少数民族の中で、多くのアボリジニー人の健康状態、教育すいじゅんは最低です。がある人や仕事を持っている人のかずも多くありません。オーストラリア人のアボリジニーの平均寿命はオーストラリアの白人より低いです。現代は、オーストラリア中ではこの問題を克服しようとしています。
アボリジニーもオーストラリアの白人の生活様式に適合するように頑張っています、けれど、とても大変です。
去年家族と西オーストラリアのキンバーリスに旅行しました。その時、アボリジニーの人はとても難しい問題を克服しなければいけないと、はじめて理解しました。
キンバーリスには、とてもきれいな森や川があります。そのキンバーリスに住んでいるアボリジニーの人達の生活は楽しくて満足できるものです。
キンバーリスには、学校がありますが高校と大学がありませんので、行きたいなら、パースに行きます。それは、家族や慣れた言語や、生活を後にしてなじみのないにぎやかな都会生活へと移ることを、意味しています。ですから、文化のアイデンテイテイーを忘れないように、大部分の学生は生まれた町に、残ることを選びます。キンバーリスで、私と同い年のアボリジニーの人に会いました。彼女はとても賢いけれど、その時彼女は高校に行くかどうか迷っていました。彼女は私に非常に難しい決定だと言いました。彼女は将来、大学に行ってそれから仕事をやりたいと思っているけれど、もし、街に住んだら追放された人になって部族は彼女を相手してくれなくなると考えていました。
その問題を真剣に、考えたのに、簡単には答えが出ませんでした。私が彼女だったら、多分アボリジニーを助けるために街に行って教育を受けるのではないかと思います。けれども、私は白人で、何千年もの間、特定土地に住んできたわけではないから、住んでいる土地を離れることはそんなに大変じゃないのです。現代はオーストラリアがすばらしい国になるために、一生懸命働いてきたことをほこりに思っています。けれども、オーストラリアの白人とアボリジニーの間の溝を埋めるのは長い道のりです。オーストラリアにはたくさん面白くて豊かでユーニークな文化があり、全ての人が考えを持っています。
オーストラリアの白人はオーストラリア人のアボリジニーから色々なことを学ぶことが出来ます。オーストラリア人のアボリジニーは、ヨーロッパ、アジア、中近東のオーストラリア人から色々なことを学ぶことか出来ます。
しかし、その前に、オーストラリア人全ては耳を傾けて、お互いの言いたいことを聞かなければなりません。
私達は昔のことを忘れずそこから学ばなくてはなりません。そうすることで、私達は未来に向かって一緒に歩き始めることが出来るのです。そして、その時、オーストラリアは本当の意味で一つに、なれるでしょう!!!