鈴木宗男議員 離党会見 (2002年3月15日)


私はただ今、山崎幹事長に会って、離党届けを提出してまいりました。
今回、私の政治活動や言動につき、また、私設秘書の件について、様々なことが国会などで指摘され、私自身、深く反省すると同時に、このままでは党に大変な迷惑をかけることになると思い、離党を決断しました。

なかでも、北方領土返還運動の一環として私が取り組んだ、北方四島支援事業について、国民の皆様に多くの疑念をもたれたことについて、大変、申し訳なく思っています。 また、私と外務省等、役所の関係、いわゆる政と官のありかたの中で、私の言動が圧力ととられ、国民の皆様の厳しい批判を受けていることについても、深くお詫びと反省をするものです。

ただ、私は私なりに、11日の証人喚問で、精一杯お答えさせていただいたつもりです。 しかし、外務省という役所は、田中大臣が更迭された後、今度は6年前、7年前の、一方的なメモが、次々と使われ、私の排除と言いますか、つぶしと言いますか、何がしかの意図や思いがあって、今の事態に至っているなと、こんなふうに考えております。

特に、私は政治家として、北方領土返還運動をライフワークとして取り組んで参りました。 その私が、北方領土不要論という言葉は、使うわけもなければない話なんであります。 それが、地元の中に、こういう声もありますよと、言ったのが一方的に、鈴木宗男が言ったと、こう表現されたメモが出てまいりましたが、今ここにいるお集まりの皆様方も、私自身一生懸命、北方領土返還にむけて、行動してきたということは、おわかりいただけるもんだと思いますし、また、政策的に、私はそんなことがあったものではないと、このことだけは、あえて強調したいと思います。

一方的な思惑や、あるいはメモというのは、書いた人のメモ能力や、また主観で残されては、私は公平ではないと思っております。 この点、私は 国民の悲願である 北方領土返還を実現するためにも、ぜひとも、皆様方に 私のとってきた 行動だけは、お分かりをいただきたいと、こんなふうに考えております。

私自身、至らなず、また、反省すべき点、今も 多々あると、こう思っておりますが、私は、反省すべきは 反省しながら、お詫びすべき点も しっかり お詫びを しながら、また 私の立場で、私の 役割を 果たしていきたいとこう思っております。

私は 国会での 質疑等を 見るときに、これ以上、党に、また、多くの皆さんに 迷惑をかけるのは申し訳ないと、こう思って、私は 離党致しました。 この私の離党が、自由民主党の改革や、また外務省の 改革に なるのなら、私なりに、それなりに 良かったという 方向づけが でることを、心から 願って やみません。

私は今、昭和58年、最初に 国会に出るべく、手を挙げたときを 思いおこしながら、一から スタートしたいと、こう思っております。(鈴木議員、白いハンカチで目頭を拭う。)

ただ、この間、多くの後援者や、また、自由民主党党員の皆様方に、お世話になってきました。 心から厚く、お礼と、感謝を申し述べます。 同時に、この 一ヶ月 (「いっかつき」と発音)、厳しい中にあっても、絶えず 私を 励まし、(鈴木議員、左眼からこぼれる涙を白いハンカチで拭う)激励をしてくれた 心ある 仲間の先生方や、あるいは、全国各地の私の後援者の皆さんや、とりわけ、選挙区の 皆さん方は、一喜一憂しながらも、私を、見守ってくれました。 改めて、厚く、お礼と、(鈴木議員、左眼からこぼれる涙を白いハンカチで拭う。)感謝を、申しあげたいと思います。

また、何十年と、(鈴木議員、目頭を白いハンカチで拭う。)家庭を 省みなかった私ですが、この一ヶ月 (いっかつき)、家内や子供たちが、しっかりと、支えてくれました。 改めて、家族のきずなを 知っただけでも、私は よかったかなと、こんなふうに思ってます。

また、うちの事務所の 秘書の 皆さんは、いやがらせの電話や、いろんな 心ない 電話がかかってきても、必死に 受話器をとって、丁寧に、対応してくれておりました。 この仲間の、秘書の、みんなに、私は 感謝をしたいと、こんな風に思っております。
以上、自由民主党を 離党した 報告をさせていただきました。


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