第154回国会 予算委員会 証人喚問 (2002年3月11日)
(辻元委員の質問部分)

委員長 島津雄二
証  人 鈴木宗男
質問者 辻元清美



島津委員長 これにて、佐々木君の発言は終了いたしました。 次に辻元清美君。

辻元委員 委員長。

島津委員長 辻元君。

辻元委員 社民党の辻元清美です。 事実関係のみを、簡潔にお答えいただきたいと思います。 そして、鈴木証人のお母さんも、私と同じキヨミというお名前だと承っておりますが、お母さんに答えるように正直で包み隠さずお答えください。
 さて、ケニアのODA疑惑からいきます。 鈴木議員はケニアへの最大のODAであるソンドゥ・ミリウダム疑惑について、2月20日の参考人質疑で次のように答弁されているんです。 「私はユネスコの選挙でケニアに行ったんです。 平成11年の8月に。 いいですか、そのとき初めてケニアの話、ケニアに行ってソンドゥ・ミリウという案件を知ったんですよ。」 さらにこうもおっしゃってます。 「ですから私はソンドゥ・ミリウがどこにあるか、どんなダムかというのはまったく承知していない、ということなんです。」 と答弁されていますし、本日もその様に答弁されましたね。 さて、このソンドゥ・ミリウダムについては、この時の答弁のように、1999年、平成11年の今から2年半前の訪問で、現地でレクチャーを受けて、初めて知ったということですか。 「イエス」 か 「ノー」 かでお答えください。

島津委員長 鈴木証人。

鈴木証人 このソンドゥ・ミリウの・・・(辻元委員より 「イエスかノーかでいいです」 の声) 案件については、先ほど来も話をしている通り、ユネスコの選挙で行った際、初めてソンドゥ・ミリウという名前を聞いたというのは、事実であります。

辻元委員 はい。 委員長。

島津委員長 辻元君。

辻元委員 それでは、この1999年、平成11年が、初めてのケニア訪問ですか。 この1999年以前に何度訪問されていますか。 回数のみ、お答えください。

鈴木証人 委員長。

島津委員長 鈴木証人。

鈴木証人 何回行っているか、急な話なので回数は分かりませんが、3回か4回か、この点、もし質問の資料があれば前もって調べてきたのですが、 (鈴木証人、首をかしげる) 回数だけははっきりしない。 ただ、何回か行っているということは事実であります。

島津委員長 辻元君。

辻元委員 少なくとも3回行ってらっしゃいますね。 ここに (辻元委員、本を掲げる) 「世界が変わる日本が変わる」 あなたのご著書があります。 この中にも初めて行かれた時、1991年、平成3年にはじめてケニアを訪問し、モイ大統領と会談されている写真もあります。 (辻元委員、書籍を開き掲載ページを掲げる) そしてこの時は海部首相の親書もお持ちで、外務政務次官でしたね。 (鈴木証人、大きく頷く) その後1992年と94年にも訪問し、モイ大統領とお会いになっています。
 さて、あなたが初めてソンドゥ・ミリウのことを知った1999年以前のあなたの訪問の時に、ソンドゥ・ミリウダムについては一度も会談で話は出ていないんですか? いかがですか。

島津委員長 鈴木証人。

鈴木証人 残念ながら、これは覚えておりません。 (場内より、「何を言っているんだ」 など一斉に声があがる) それと今、 (辻元委員より 「その点だけで結構です」 の声あり) 外務政務次官の時の言及もありましたが、この時はTICADの関係、アフリカ開発会議を日本で開くということで、その招待状を持って参加をお願いに行ったというのは、ちゃんと覚えております。

島津委員長 辻元君。

辻元委員 よく覚えているじゃないですか。 何が忘れたですか。 度忘れ禁止法を適用したいくらいですね、本当に。 (場内、笑い。 鈴木証人、厳しい表情) それでは私が思い出させて差し上げたいと思います。
 まず、1991年の一回目の訪問についての事実関係からです。 ソンドゥ・ミリウ水力発電プロジェクトは今から17年前の1985年、あなたが初当選した時から始まっています。 17年前から始まっているんです。 そして日本とケニアの最優先事項として、1989年、昭和64年には、6億6千800万円の借款契約にすでに調印しています。 長い歴史があるんです。 あなたが何回も会談されているモイ大統領は、1978年から大統領を努め、ソンドゥ・ミリウプロジェクトのスタート時からの強力な推進者です。 さらに先ほどの著書に出てくる1991年、平成3年、あなたが外務次官としてケニアを訪問し、強力な推進者のモイ大統領と会談した、ちょうどその7月、7月12日にあなたは会談されていますが、日本工営株式会社によって、環境アセスメント報告書が出されているんです。 この日本とケニアのビッグプロジェクトは、当時も日本とケニアの間の一番の関心事だったはずです。 (場内に 「なるほど」 の声あり) 特に当時外務政務次官でいらっしゃったわけで、将来200億円にも及ぶ、このような大きな経済協力案件について、必ず会談で出るでしょう? この件が出たらどういう風に答弁するかということも、確認してから行くんじゃないですか。 まだ思い出せませんか。

鈴木証人 委員長。

島津委員長 鈴木証人。

鈴木証人 辻元先生の記憶には、私は到底及ばないと思いますけれども、 (辻元委員より 「ごまかすな」 の声あり。 場内より 「何を言っているんだ」 の声あり) 10年前、11年前、では辻元先生にもお尋ねいたしますけれども、 (辻元議員より 「その権利はないですよ、ダメ!」 の声あり。 場内、ざわめき) 先方の・・・私は・・・覚えているかどうかというのは、 (場内より 「議員証言法違反だぞ」 の声あり) 委員長、私ははっきりと申し上げて、覚えているかどうかでありますから、覚えていないということを明確にしておきたいと思います。 (場内のざわめき続く)

辻元委員 はい、委員長。

島津委員長 辻元君。

辻元委員 では、もう一つ聞きましょう。 その翌年にもケニアを訪問しているんです。 1992年の訪問。 このときケニアにおける複数政党制導入後初めての選挙の監視団団長として、あなたはケニアを訪問しましたね。 この時、経済協力の話は出ませんでしたか。

鈴木証人 委員長。

島津委員長 鈴木証人。

鈴木証人 92年のたしか12月だったと思いますが、 (辻元委員より 「よく覚えているじゃない」 の声あり。 場内からも 「覚えているじゃないか」 など、ざわめきが大きくなる) 今・・・

島津委員長 ご静粛に願います。

鈴木証人 辻元先生から質問があったから、私も思い出そうと (鈴木証人、こめかみに右手をあてる) 努力をしているのですから、これはお分かりいただきたいと思うんです。 あの時、私は選挙監視団のオブザーバーで行きましたが、あの時は確か (辻元委員より 「出たか、出ないかだけでいいです」 との声あり) 要人とは会談はしておりません。 (辻元委員より 「ほう」 という声あり)

島津委員長 辻元君。 辻元君。

辻元委員 あなたはこの訪問の後、記者にこう語ってますね。 総選挙後ケニアが一党独裁制を放棄する圧力となった西側援助による財政支援融資の停止措置について、自民党副幹事長としてあなたは、このとき大統領と会談しているんですよ。 (鈴木証人、首をかしげる) それは外務省に来ている公電にもはっきり入っているわけです。 そして民主的国家建設に向けて第一歩を踏み出したことを評価し、日本は独自にでも対応すべきだと述べ、日本政府に対し経済援助再開を促すという意向を記者に示し、その翌日の12月31日に日本でも報道されています。 大統領と会ったでしょう? そしてこの時に、ソンドゥ・ミリウダムの案件についても話しているじゃないですか。 (場内より 「そうだ、そうだ」 の声あり)

鈴木証人 委員長。

島津委員長 鈴木証人。

鈴木証人 10年前の話しですからはっきりしませんが、辻元委員、それ大統領といつ会ったということになっておりますでしょうか。 (辻元委員より 「12月30日」 の声あり) 選挙が年末だったと思うんです。 私はこの時初めてケニアで年を越したと思うので (辻元委員より 「だから、覚えてないんですか? 出たか出ないかですよ」 との声あり。 場内ざわめく) ですから、大統領と会談したかどうか、私は覚えていませんし、 (辻元委員より 「よく言うわ」 との声あり、大きく挙手する。 場内、大きくどよめく) その中身についてははっきりしておりません。 (辻元委員より 「そんなこと、許されないよ」 との声あり。 場内、ざわめきが続く)

島津委員長 辻元君。

辻元委員 この時、総選挙後選ばれた大統領と初めて会ったと言って、 (辻元委員、鈴木証人を指して) あなたはあちこちで威張っているんですよ! (場内、再びざわめく。 鈴木証人、口元に左手をやる)
 さてそれでは、10年前、覚えてない? では2年半前の1999年の話にいきましょう。 4回目の訪問です。 あなたはこの時、ケニア共和国議員連盟会長に就任され、訪問されましたよね。 さてそこで、1999年8月の訪問の前に、ケニアの議連の会長にもなっていらっしゃいまして、ケニア大統領とお会いになりましたか?  訪問の直前。

鈴木証人 委員長。

島津委員長 鈴木証人。

鈴木証人 99年の私の訪問は、議連の会長等ではなくて、内閣官房副長官として、 (辻元委員より 「分かってます」 との声あり。 場内からも声あり) ユネスコの選挙に協力でお願いに行きました。 その時、ケニアの大使館の人と会ったかどうかは・・・在京の大使館ですか? (辻元委員より 「在京」 の声あり) 在京の大使館なり、大使と会ったかというのは、思い出せません。 ただ (鈴木証人、首をかしげる) あの頃、女性の大使がおったかなという記憶はしておりますけれども。

島津委員長 辻元君。

辻元委員 ケニア議連の会長に、その直前に就任なさっているわけです。 大使と会ってますよ、行く前にも。 そしてその時、ソンドゥ・ミリウの話が出ていますよ。 特に債務削減について出てます。 このときちょうど、第2期分への105億円の借款供与をするかどうかで、もめていた最中だったわけです。 それまでの借金をまけてくれ、債務削減をケニアがしてくれとケニアが言い出したら2期工事ができないという、瀬戸際だったわけです。 その時にあなたは訪問しているわけです。 これがケニアと日本の、当時の最大の懸案だったんですよ。 あなたは大使館で事前に、債務削減を求めないようにという話をしてから、行っているじゃないですか。 どうして嘘つくんですか。 (鈴木証人、 「嘘」 と反応し、即座に挙手) こんな10年前から、3回も4回も行っていて、大統領にも会っていて、2年半前に行くまで、それも現地で現地の大使館員や外務省の人から話しを聞くまで、ソンドゥ・ミリウがどこにあったか、そんな名前も聞いたことない、そんなこと誰が信じられるんですか。 あなたは疑惑のデパートと言われているけれども、疑惑の総合商社ですよ。

鈴木証人 委員長。 委員長。

島津委員長 鈴木証人。

鈴木証人 委員長。

島津委員長 鈴木証人。

鈴木証人 私は証人として誠実に答えております。 (辻元委員より 「答えてない」 との声あり。 鈴木証人、声を大きくして) 嘘つきだという発言は撤回していただきたいと思いますが、いかかでしょうか。 (場内より 「もっともだよ」 「何言ってるんだ」 などのほか、多数の声あり。 辻元委員、さっと挙手)

島津委員長 辻元君。

辻元委員 私は・・・ あなたは答弁をごまかしている。 大統領と会ってソンドゥ・ミリウダムの話については、これも、先ほどから話が出ているスズキホールの鴻池組と、スズキハウスの日本工営なんですよ。 そして最後に申し上げたい。 あなたは今、このダムの存在すら自分は知らないというように言っていましたね。 (場内より 「そういうことを言っているんじゃないんだよ」 との声あり。 場内、ざわめきが続く) 自分が関わってきたということが分かると (鈴木証人、鼻に右手をやる) やばいことがあるから、ソンドゥ・ミリウダムの存在を知っていたことすら否定せざるを得ない、というようなことが、今まさにこの場で明らかになったということを申し上げて、終わります。 (場内より、拍手)

鈴木証人 委員長。

島津委員長 鈴木証人。

鈴木証人 辻元先生、「やばい」 などという表現はどこで出てくるのか。 私はソンドゥ・ミリウに関しては、その関与は、先ほど来言っている通り、あるいは参考人質疑でも言った通り、官房副長官として行った時、 (鈴木証人、声をひときわ大きくして、はっきりと) 外務省、政府、さらには日本側の大使館から、この案件がモイ大統領から出たら、債務履行ということを約束されたならば、日本政府は前向きに検討しますと答えてくださいと言われたから、私はその通り言っただけなんです! それをもってなんで関与と断定できるんですか! それで 「やばい」 だとか 「嘘つき」 という表現は、どうして辻元先生! この場で言えるんですか! (辻元委員より 「どうしてじゃない」 との声あり) それはお互い政治家として行き過ぎがあってはいけないと、 (場内より 「そうだ、そうだ」 などの声あり。 場内、ざわめきが大きくなる) しかもこれはテレビで、全国の人が見ているんです! ソンドゥ・ミリウでよく鴻池の話も出ますが、 (島津委員長より 「これでやめてください」 との声あり。 場内の声、一層大きくなる) 私は鴻池に頼まれたこともなければ、何もないんです! この点、ぜひとも明確にはっきりしておきたいと、こう思っております。 (場内のあちこちから、大きなざわめきの声あり)

島津委員長 これにて辻元君の発言は終了いたしました。 (場内より、拍手あり。 「だめだよ」 などの声もあり、雑然とした声は続く) 以上をもちまして、鈴木証人に対する尋問は終了いたしました。 証人は退席してくだすって結構でございます。
 本日はこれにて、散会致します。


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