月姫(TYPE-MOON '00)
有体に言ってこのゲームは長過ぎるのだ。
と言って感想文を終わらせようにもあいにくそれでは文章が短過ぎ。紙面がちっとも埋まってくれないのがもののあはれというものでございます。
仕方ないからもうちょっと書く。
それにしても、どう考えてもこのゲームはだらだらと長過ぎる。作品には作品の要請する規模というものがあって、作家は素直にそれに従っていればいいのだ。まさか今時作家如きになにか大層なものが書けるなどと勘違いしてる人間はいまい。『雫』が傑作足り得たのは、高橋龍也が「作家がシナリオを書く」などという下卑た妄想を端から無視し、ただひたすらに作品の論理に柔順忠実であったことによるのだ。『雫』が高橋に要請したのはひとえにシナリオの短さ、それに尽きるのであって、大槻ケンヂ流のそれ自体クリシェに属するような凡庸な狂気なんぞ、『雫』は「今日の占いカウントダウン」程度に考えてるに違いないのだ。へー今日のラッキーアイテムは毒電波なんだー。タンスにしまってあったよなあ。本当の狂気とは、作品の要請する規模にピタリ一致するかたちで作品が完成されてしまうような恐ろしい事態に宿るのだ。『雫』はその正確無比な作品規模、短さを達成したという点で比類なき傑作なのだ。
さて『月姫』だが、これはどう考えてもこの1/3のヴォリュームで済ますべきゲームであり、なによりもその長さが醜悪なのだ。ただまあこんな無駄に糞長いノベルゲームを作ってしまった制作者にも情状酌量の余地はある。なにしろ彼等は仙台に住んでいないのだ。発売前に僕のところにシナリオを持ってきてくれたなら、ちゃんとそれなりに然るべき長さに削ってあげたのに! 本当に長い。長過ぎるよこのゲーム! この長さに対しては、主人公の驚くほどの愚鈍さも取るに足らない些細な問題でしかない。確かに走るべき時にブレーキを踏み込み、止まるべき時にアクセルを全開にする(しかも彼の道は常に〈目的〉地へと繋がっているのだ)ような愚か者などギャルゲーの主人公足る資格はないが、彼もまたこの長さの犠牲者だと思えば同情を寄せる余地もあろう、というものだ。無論だからと言って、このゲーム中最も魅力的な女の子、弓塚さっちんと一緒に死ぬことすらしてやらないというこの男の愚鈍さは、ギャルゲープレイヤーとして到底看過できるものではないが。
それにしても『月姫』は長い。この感想文もだ。もう言いたいことはあらかた言ったのに、まだ紙面は埋まらないのか。これではまるで吸血鬼ネロとの血煙舞い肉散り骨軋む大戦闘の後、ここでエンドロール! と他ならぬ作品が叫んでいるにも関わらず無様に物語が続いてしまったアルクシナリオのようではないか。アルクシナリオはネロとの戦闘まではとても面白かった。この『月姫』にかろうじて『雫』に拮抗できるものがあるとすれば、それは主人公志貴がヒロインアルクを17の肉片に解体する際の、彼の高揚がそのまま乗り移ったかのような、血糊がベッタリとついた、読む者に射精を促すようなエロティックなテクストにあるのであり、それは主人公の空々しい「内面」やら三文推理小説じみた「謎」の提示と回収(及びそのヘタクソさ)といった、できれば勘弁願いたい「文学性」の予感(その予感は程なく的中してしまうのだが……)を一時とはいえ完全に忘れてしまえるほどに甘美であった。
読むことがそのまま映像に結び付く、とでも言えばいいだろうか。例えば僕達はそのようなテクストとして既に『DADDYFACE』('00 伊達将範 電撃文庫)の冒頭で、我等が愛しき美沙ちゃん(12歳。ツインテール。激ラヴ)が爆炎荒れ狂う富士の樹海を突っ切り、あろうことかステルスまで召喚してみせるシーンを知っているが、あれがせいぜい押井守のとろくさいコンテを想起させるに留まるに対して、『月姫』の解体シーンは、これは調子が狂ってないときのりんたろうで見てみたい! と思わせるほどなのだ。肌に絡みつくぬるりとした血の感触! 空間を侵食する赤い海! あるいは、この解体シーンは、〈モノ〉の〈死〉が線となって見えるという志貴の設定と合わせて、おそらくその数は既に三桁近くになるだろう『ONE』フォロワーがとうとう掴むことのできなかったあの「えいえん」に、ギャルゲーが最も近付いた瞬間としてあったのかもしれない。……と思ったけどそれはさすがに誉め過ぎだ。ごめん、忘れてくれ。
そのテクストの勢いをもって一気にボーイミーツガールを果たし(確かに自分が殺した相手がそこにいるのだ!)、彼女を狙う吸血鬼(これがまた実に清々しい敵役であった)を協力して退治(主人公が超常なる力を発揮!)するに至る惚れ惚れするような活劇性は、「文学」のつまらなさを吹き飛ばす、まさに「娯楽」の顕現ではなかったか! それなのになんでここでエンドマーク出さないのよ!? 謎が残っちゃった? なら仕方ない、続きは次回、こう御期待! と、こうなるのが道理だろう!? なんで話が続いちゃうのよ!
そういうわけで感想文も続く。もうすぐ終わるから我慢してくれ。ここまで読んだんだからもうちょっと付き合おうや。な。僕が感想文書くのも久し振りなんだし(次がいつになるか分かんないんだし)。
作品の言うことを聞こうともしない作家(たぶん耳が悪くて何も聞こえないのだ。もっとも昨今それは作家になるには必須条件であるらしいのだが)によって迷走を余儀なくされた物語は、主人公の内面だとかそれに付随した失われた記憶だとか旧家の謎だとかいう毎度お馴染みちり紙交換……じゃなかった文学臭さを身にまとうことになるのだが、内面の遡行が「俺は人殺しかもしれない。だから君は俺に近付くな」といういかにも安っぽい倫理観を一歩も出ることないところに留まり、その随分と分かりやすい、俺は頭が悪いんだ! と宣言しているかのような、感覚をまるで欠いた思考によって、プレイヤーは「このバカに人殺しなんてできるわけない」と気付かされ「いいから手前娘さんの話をちっとは聞けや」とつぶやかされる。ここで思い出さずにはいられないのが、『月姫』同様吸血鬼と日本の旧家に題材を取った『羊のうた』('94〜 冬目景)だ。冬目が繊細な描線で捉えた呪われた人間の優しさ切なさ悲しさに胸を痛めた人間にとって、『月姫』なんぞちり紙と交換できるほどの価値もない。あ、ごめん。やっぱちり紙いる。ほら僕健全な青少年だから。エロシーンがあれば、やっぱり、ねえ。まあ、あの解体シーン書ける人間がこんなとろくさい絡み書いてちゃイカンとは思うけど。
『羊のうた』も物語に収束する兆しが未だ一向に見えず、かなりの長さを持つことになりつつあるが、この長さはまったくもって正当なものだ。それはその長さが滅びを待つしかない者の痛切な時間と響き合っているからだ。千砂と一砂のそれぞれの苦悩はその長さを持った時間の中でしか語り得ないだろう。一砂には確かに高城の血が流れているのだ。主人公が殺人者であることを拒否し、殺人衝動をごくあっさり内面と失われた記憶という例の紋切り型で「殺す」という凡庸さによって、『月姫』はどうしようもない凡作となってしまったわけだが、前述の通り、途中までは面白かったのだ。あそこで終わっていれば、こうした救い難い凡庸さが顔を出すこともなかっただろう、と思えば、やはりこのゲームはどう考えても長過ぎる。
[ 好き好き:弓塚さつき ]
普通に可愛くて好きです。『月姫』の最大の欠点はさっちんといっしょに逝けないことですね。志貴は秋葉なんてほっといてさっちんと一緒に外道に堕ちなきゃ。大切なのは8年ものアリバイがある妹じゃなくて、2日前までその存在も知らなかったクラスメイトだろう。