しょうもな文

しょうもない雑文っす。どうしようもないっす。

■2001/07/04 (水) 81.お膳立て

 もうすぐ七夕である。
 七夕は我が国においては奈良時代頃から祝われてきたらしいが、 民間信仰と中国伝来の行事が混交しており、語源と物語が混乱した不可思議な祭になっている。

 まず民間信仰である。京極夏彦の作品により有名になったが、この分野では有名なものに棚機女の行事がある。折口信夫の研究では、日本には古来、棚機女(たなばたつめ)という巫女が、水辺で機を織りながら神が来るのを待つという禊ぎ行事があったらしい。七夕と書いて「たなばた」と読むのは、この「たなばたつめ」からきているのだ。柳田国男の研究では、水辺ではなく、泉の底で機を織る乙女の物語が全国に分布しているらしい。
 次に、中国から韓国を経由して伝わった行事「乞巧奠(きっこうでん)」がある。いわゆる良く知られた七夕の物語とはこの話のことであり、天帝の娘である織女に惚れた牽牛の物語である。星を眺めながら裁縫など手工芸の上達を願うという形で輸入された。

 後者の話は近年に流布したらしい。柳田国男の「年中行事覚書」によると「七月の七夕といふ日に二つの星が銀河を渡つて相会するなどといふ話は、書物を読んだ人が知つてゐるだけ」だそうだ。
 しかし今では誰でもが知っている。何かロマンティックなお話のようだが、この2人は確か結婚して遊び暮らしたために天帝に引き離されたのではなかったか。1年間真面目に働いたご褒美に、1日だけ逢瀬を楽しめるという、まことに教訓的な説話なのである。それすら雨が降ったら、また1年お預けである。私だったら1日のお楽しみの為に残り364日を働き続けるなど出来ないと思うのだが、昔の人は気が長いものだ。だいたい現在は新暦(太陽暦)で祝っているが、本来七夕は旧暦(太陽太陰暦)7月7日の行事である。梅雨のさなかになる新暦7月の行事としてはふさわしくない。新暦で祝う限り雨の確率の方が高いのではないか?

 一方、韓国の七夕話では、逢瀬の日に天の川が2人を引き離し、悲しむ2人の涙で地上が大雨になったので神様が国中のカササギを集めて天に橋を作るように命じたという形になっている。
 しかし、この韓国の説話では、2人はただ悲しんで泣くばかりで、他人が何かしてくれるのを待つばかりとなっている。働かなければ会えないなどの教訓的な部分など、どこにもない。
 現代においては、こちらのお話の方がウケるような気がする。カササギが逢瀬をお膳立てしてくれるのである。まるで出会いチャットの管理者のようだ。泣けば誰かが助けてくれる。なるほど、棚ぼたなのだなあ。


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