
高校生の時の、年賀状の仕分け「お小遣い稼ぎ」バイトから始まり、留学資金作りのため、なんだかんだアルバイト歴がかれこれ10年になる私。自分でいうのもなんですが、仕事運はけっこう強い方だと思う。なんでも面白がってしまう幸せな性格の持ち主なだけだったりして(笑) でも、いろんなことをやらせてもらったし、お金以上に得るものはあった。今はアメリカにて、学業に専念するために何もしてないけど、また何かやりたいなぁ。てなわけで、私のバイト遍歴のご紹介です。
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飲食関係と言えば、てっとり早いのが「ウェイトレス」。高校を卒業して、大学が始まるまでの約1ヶ月半(アメリカの大学なので5月入学のため)、母親のコネで、地元のデパートの最上階にあるレストランで働く。確か、時給750円くらい。朝9時〜5時まで。だったかな。曖昧な記憶だ・・・(笑) とにかく、1日中立っているのがつらかった!履いていたサンダルに、踵の水分を全部吸い取られ、ひび割れし、象の足になってしまった。 土日は忙しく動き回っていたからよかったものの、平日はとっても暇で、両足に魚の目がある私としてはじっと立ってるのが非常にきつかった。それでも、高卒で就職したての、同じ年の子たちと仲良くなり、無駄話しできて楽しかった。注文を取ったら、厨房に「うどん一丁!」とか叫ばなければいけなかったけど、その「なんとか一丁!」というのが妙に恥ずかしくて、どうしても言えずに、「うどん1つ、お願いします」とぼそっと注文を伝えていた気がする。しかし、私も若かったなぁ。なんで、恥ずかしかったんだろ。(笑) でも、このとき稼いだバイト代から、気前よく母親に5万円渡した(ような気がする)私って偉くない?(笑)
結婚式場のウェイトレスも1年くらいやった。配膳(登録制のウェイトレス)だったから、時給はよく、1150円スタートだったと思う。時間はそのときによりけり、だったけど、稼ぎ時の土曜、日曜は12時間以上の労働が当たり前。朝、事務所に顔を出して、その日1日の担当部屋(寿の間、みたいなホール)を確認して、披露宴の準備から片づけまで。これを1日3回繰り返す・・・。各宴会の開始時間は決まってるから、前の披露宴のスケジュールが遅れてると、その分、次の式の準備時間が短縮されるからみんなぴりぴりしちゃって、裏では「ばかやろ〜、スピーチ長いんだよっ」と野次を飛ばしてた。にこやかに「ありがとうございました」って最後のお客さんを見送った後が地獄だった。グラス・食器・残飯の回収、掃除、テーブルの仕切りなおし、クロスかけにグラスのセッティング・・・そういうときにバケツひっくり返すヤツとかいて、黒服(式を仕切ってるディレクターみたい人)にむちゃくちゃ怒鳴られてた。それがまた怖くて。ほんと肉体的にも精神的にも疲れる仕事だった。でも、このバイトのおかけで、めでたい曲には強くなったし(とりあえずはほとんど歌えるようになった)、お皿も片手で四枚持てるようになったし、何より、仕事の段取り方を学んだと思う。よく叱られもしたけど、与えられた状況の中で自分が何をすべきかを考える癖がついた、のはありがたかったかな。でも、もうやりたくない。(笑)
留学先のアメリカでも、こっそりバイトをしていた。留学生はキャンパス内の図書館などの施設で週に20時間しか働けない。時給は5ドル15セントだから、フルに働いても月に400ドルがやっと。許可を取れば、オフキャンパスでもバイトすることが出来たのだが、申請が非常に難しく、というか面倒で、みんな、不法にバイトしてた。噂では、1度目みつかったら2000ドル以上の罰金、2度目は強制送還!という話だったが、みつかったという話は1度も聞いたことがない。ベトナム系アメリカ人の友達に紹介してもらい、ベトナム人の経営する中国料理屋で夏の間、3ヶ月働いた。時給は1ドルだったけど、チップがまるごと収入になるから、1日で25〜50ドルくらいもらえてたと思う。ただ、単価がそれほど高くなく、ランチの時間に働くことが多かったから、あまり割りのいいバイトではなかったかも。(高級日本食レストランで働いていた友達は私の倍以上のチップもらってたもん) 時給計算すると8〜10ドルといったところ。30人も入れば満員になるような小さめのレストランだったが、ランチ時は一人で、ディナー時は2人で注文取りから片づけまでやらねばならず、これも正直、辛かった。 もちろん、自分の英語力のなさにも何度もなかされた。例えば、Ash Trayをくれ、と言われたのに、 Ashly(という名前の他のウェイトレス)だと勘違いし、She is not working today.と的外れな答えを返したり、ドレッシングの名前を聞き間違えて違うものを出したり(アメリカ人は絶対、自分が注文したものが出てくるまで妥協しない!)。それでも、慣れてくると常連客と世間話をしたり、オーナーやキッチンで働いてる人たちとご飯食べたり、働いてる期間は短かったけど面白かった。
歌舞伎町のとんかつやさんでバイトしたこともある。どうしてもお金をためたくて、昼間の仕事が終わった後、週4日、夜の7時〜12時まで働いてた。金曜は例外で、当時、大久保に住んでいたこともあり、閉店の2時まで働いていた。時給は1000円。面接時に「やくざさんとは目をあわせないように」と言われ、よっぽど辞めようかと思ったが、このバイトがウェイトレスとしては一番面白かった! 金曜の夜は「今から出勤」というおかまさんたちが現れ、その会話が面白いのなんの。非常に社会勉強になった。(笑) ときたま「刺身ください」ととんちんかんなオーダーをする香港人なんかが紛れ込んだりして、時たま英語が話せるのも楽しかった。さすが歌舞伎町!(笑) 金曜の夜はタクシー代がでたのだが、金曜の夜にタクシーをつかまえること自体がむずかしく、面倒くさかったので、いつも歩いて帰っていた。ちなみに、帰り道にはきれいなおねーさんたちがいっぱいいたのだが、あとであれは9割が男だと教えられ、業界だなぁ〜と、妙に感動した。このバイトはほとんど、「社会勉強」のためだったような気がする。(笑)
それから、恵比寿のやきとりやさん、白馬のリゾートホテル、富山の結婚式場(これも配膳)でもウェイトレスをやった。一番、とっかかりの早い仕事だと思うけど、私には向かない仕事だなぁ、とつくづく思う。「出来る」ことと「向いている」ことは違うし、「やりたい」ことでもない。接客業が嫌いというわけではないのだけれど、どうもこの仕事に必要な「頭の回転」と「体のきれ」が、私にはないような気がする(笑)。ただ、貧乏人の私はいつも「賄いつき」にだまされる傾向があるんだけどね。
ウェイトレスは疲れるし、もっと時給がよく、将来のためになる仕事・・・となると、やはり事務職。大学生の頃、配膳のバイトで疲れきっていた私は、ある日、風邪をひいたことを理由に、バイトを辞め、キーパンチャーの仕事に転職(転バイト?)した。出勤日は一週間ごとの事前申告だったが、時間はまるで自由で、約1年半お世話になった。もちろん、はじめからブライドタッチできるわけもなく、最初は無給で練習させてもらった。仕事内容は伝票の数字打ち込み、だったが、どういうわけか、ひらがな入力の練習もさせられた。1週間すぎたころ、それなりに早く打てるようになり、仕事がもらえた時は、認めてもらえたようですごく嬉しかった。この時点での時給は850円。時給とは言っても、実際はキーを打ち込んでいる時間が有給対象。いくら5時間会社にいても、30分しか仕事をしてなかったら、給料は425円というわけで、ちょっとだまされたかな、とも思った。が、実際、キーストロークが早ければ時給も上がるという仕組みで、最終的にキーストロークが2万/時まで上達したころは時給1350円だった。この「頑張る=昇給」というシステムは私の向上心をくすぐり、学校が終わるとすぐにバイトに行っていた。実家からの仕送りプラス高額のバイト代のおかげで、私の人生の中で一番贅沢な時期を過ごしていたと思う。(8万円のコートをぽんと買うなんて、もう出来ない・・・) あのときのお金があれば・・・、といまさらながらに悔やまれるのだが、このとき身に付けたブライドタッチ(ひらがな入力)は、学生時代に覚えたアルファベット入力に加え、「準」社会人となった今、ものすごく役に立っている。
留学したものの、お金を使い果たし、出稼ぎ帰国後、友達の実家にホームステイ(ほとんど居候)する。何の仕事をしようか、と思っているとき、その友達のお母さんにディズニーランドで募集してたわよ、と薦められ、とりあえず面接を受けにいく。制服のあるキャスト希望だったのだが、何を間違ったか、希望職に「クラーク」を選択したため、現場ではなく、本社の営業部で働くことになる。しかも、ちょうど前任者が辞めた後とのことで、その場で2次面接、即決となった。朝9時〜5時まで。準社員の扱いだが、時給は900円。しかも、勤務服は自前。聞いてないよ〜、と思ったけど、副課長さんがよい人で、「いいよ、青じゃなかったらジーパンでも。お金ないんでしょ?」と言って下さり、ありがたくスーツでは出勤しなかった(笑) とはいえ、(イメージ重視のため、非常に細かい)服装マニュアルにひっかかる格好をして行くわけにもいかず、頭を悩ませた。華やかな営業部で着たきりすずめだったのは私一人だったはず(笑) 仕事内容は簡単に言えば、コピー取り等の雑用からメディアバリューの算出、書類作成などのアシスタント業務など。ほとんど社会人経験のなかった私に、まわりの人はみんな優しくて、私はここで「育ててもらった」と思う。たまたま、配属された課ではパーク内のイベントの実行をしていたので、時々のイベントスタッフとしても参加させてもらったし(もちろん記念品も貰った!)、試写会に連れて行ってもらったし、パーク内のロケもまじかで見れたし(タッキーの至近距離に入りました)、まさに「おいしい」バイトだったと思う。いつかは雑誌を作りたい!と思ってるから、取材される側からみた世界、というのも勉強になった。いつか恩返しとして、ディズニーランドを取材したいなぁ。
二度目の出稼ぎ帰国。フリーターのバイブル「フロムエー」にて職を探す。たまたま、面接にいったテレマーケティングのバイト先で、英語力を買われ、他部門の、海外ホテルのリザベーションセンターで働くことになる。朝9時〜6時まで。時給は1000円。(途中で交渉し1100円にしてもらった。) エクセルが出来る、と余計なことを言ってしまったために、最初の一週間は他の部のデーター作成にまわされる。この頃、とんかつやとのバイトと掛け持ちだったから、昼ご飯をたべたら眠くて眠くて・・・よく、スクロールしながら寝てた(笑) めでたくデーターも出来上がり、研修を受ける。とにかく貧乏学生の私はまともなホテルに泊まったことがなく、まったく感覚がわからずに苦労した。5つ星ホテルなだけに、対応はちゃんとしてなきゃいかん!と発声も言葉遣いも徹底的に直された。実を言うと、電話は大嫌いで、できるなら一生、電話とは関わりたくない、と思っていたのだが、仕事をするなら電話対応ぐらいできないと・・・と、ふいに「修行」出てみる気になった。これが功を制し、電話に対する恐怖感が消え、ちょっとだけ「自信」がついたと思う。仕事内容は、主にホテルの案内、予約・キャンセル受付、現地ホテルとの交渉。上司がまた出来る人で、だんなさんの転勤にともないフィリピン・香港在住歴あり、なのでもちろん英語はぺらぺら。ぎりぎりまで仕事を任せてくれて、失敗してても、「大勢に影響ないから、いいです、別に」とか「誰も死なないから大丈夫です」と平然と言い放つ力量の持ち主で、そのくせ、ちゃんと影ではフォローしててくれる。自分が人を使う立場になるんだったら、ああいう風になりたいと思う。今でも、大好きな上司です。
急に転職しようと思ったのは、やっぱり収入。いくらバイトをかけもちしても、収入はたいしたことがなく、これではいつまでたってもアメリカに戻れない!そうして、派遣に登録。いままで、外資系の企業からいくつか話は来ていたのだけど、ホテルの仕事が面白くて、なかなか辞めれなかった。転職すると決めて、一番最初に話がきたところの顔合わせ(面接)に行ったら、あっさり決まって、ちょっと拍子抜けした。会社名に「メディア」が入るから、てっきりマスコミ関係かと思ったら、全然違う商社だった(笑) 朝9時〜5時までが基本だけど、まぁ、急な残業もあったりして、なかなか5時に帰れなかったりもする。時給1700円。職種は営業事務。全く、経験がないのに、よく雇ってもらえたものだ。後で聞いたら、面接の時の妙に堂々とした態度がよかったらしい(笑) どーゆうことだ? 入社したのが3月、引継ぎ1週間で、何もわからないまま、決算のまとめをやらされ、ほんと泣きたくなった。「あたしが悪いのかっ?!」と、なんど怒鳴ろうと思ったか(笑) たまたま前任者が1週間でやめた、ということもあったし、ここで辞めたら逃げてるみたい、と思うと辞めれなかった。でも、辞めなくて正解だったと思う。良くも悪くも、いろいろやらせてもらったし、いい意味で面白い人と出会えて楽しかった。それに、業界に関わらず、これから仕事をしていく上で必要なモノをみつけれたと思う。ほんとに「育ててもらった」というかんじがする。
その他、事務系としては、大学の事務所での宛名書き、クレジットカードのテレマーケティング、自宅での顧客データー入力、携帯電話契約者のデーター入力、お風呂のテレアポなどもやった。電話の仕事はともかく、結局、コンピューターをいじるのが好きだから、事務系があってんのかな? でも、正直言うと、誰かのアシスタントではなく、自分で企画からはじめて、もくもくと何かを作る仕事がしたいなぁ。
上京したての頃、渋谷の西武で販売のバイトをしたことがある。2週間くらいの短期バイトで、時給は800円。別に洋服が売りたいわけでもなく、とりあえず、日時で決めたようなものだった。最初の3日はダナ・キャラン、残りは母の日用ブラウスのワゴン担当。何をしていいかもわからず、他のバイトの子とだらだら喋っていただけ。この時、財布を紛失してしまい、働いてるのに、結局、収入はゼロのような結果になってしまった。情けない・・・。
渡米前に地元でパン屋のバイトもしたことがある。他のバイトの兼ね合いもあり、たしか1日6時間くらいしか働いてなかったと思う。時給900円。自宅から自転車で5分の場所にあり、通勤は便利だった。パンの販売が主な仕事だったが、なかなか楽しかった。パンの値段も1週間もみていれば、覚えるし、ラストまで働くと残り物を食べれるという特権もあり、味もしっかり覚えた。残り物だからといって、サンドイッチの中味だけ、とか、クリームの部分だけ、とか「おいしい」ところしか食べないという贅沢もした。店長の目を盗んで持って帰ってたりしてたので、ダイエットしたい人にはお薦めできないバイトだと思う。(笑)
夏休みを利用して、白山の宿泊施設の売店で売り子を2ヶ月半くらいやった。頂上の一歩手前にある山室で、日給が7500円。ふもとの温泉宿で縁担ぎの一泊をしたのち、山に登る。険しい山だとは知らず、無謀にもスニーカーで登りきった私。(ちなみに登りなれた人はちゃんとした登山靴を履いていた) 一応、電話、電気はあるものの、9時消灯。節水は基本で、お風呂も一週間に一度・・・(きたないなぁ、もう) バイト開始の次の週から大雨で、登山客ゼロ。やることもなく、しゃべることもなく、1日が無駄に過ぎていった。はじめ女性は年配のやけにはっきりモノをいうおばさんと私だけで、いやみも散々言われ「辞めます!」と宣言したくもあったが、登山規制のかかっている大雨のなか下山するわけにもいかず、つらい一週間をすごした。その後、バイト仲間がぞくぞくと登山し、急に楽しくなった。やはり仕事は人間関係だ!(笑) 大雨の後、晴天続きで、登山客も宿泊客も増え、売店もかなりの盛況ぶり。売店に両替に来る人があとを立たず、バイトの子と2人で、「両替は出来ません!」とかいた札をこれでもか!と張りまくって難をしのいだ。帳簿をつけた後が私たちの自由時間で、みんなで星をみながら、しゃべって、たまにビールを飲んだのが印象深い。一面の星空に、これにはまってみんな登山するんだろうな、と思った。四時に起きて、頂上まで登り、朝日を拝んだのも貴重な体験だ。雨続きで一度は諦めて下山したアメリカ人が次の日「晴れたから3時間で登ってきた!」と嬉しそうに語っていたけど、気持ちわかるなぁ。でも、こういうバイトも、リゾートならまだしも、もう山には登りたくないなぁ。(笑)
正月すら休むのが「もったいない」と思っていた私は、近所のスーパーでおせち引渡しバイトをやった。これは、時給850円。ただ、年末年始は手当てがついたと思う。おせちの引渡しは3日でおわり、そのあとは、なぜか「すしの製造」と「惣菜の製造」だった。別にすしをにぎるわけでなく、すでに握った状態のご飯にわさびをぬり、凍ったネタをのせ、パックにする、というもの。食料品売り場の「目玉」だったらしく、私をはじめ、各売り場からつれてこられたおじさんたちと一緒に新年早々すしを作るなんて、めったにない体験だと思う。(笑) しかも、2日目からは「じゃあ、今日から、仕切ってね。」と、いきなり責任者(?)に抜擢され、わけもわからず、「まぐろ係さ〜ん、マグロのせて〜」と叫んでいた。冷静に考えると大の大人が、それそれトロやらイクラやらを手に、シャリに向かってもくもくと飾り付けしていく様は笑えるなぁ。朝のすし製造のあとは、お惣菜の製造アシスタントで、おばちゃんが揚げた揚げ物やら餃子をパックに詰める係。おばちゃんたちはつまみ食いに命をかけていて、私にもしきりに薦めてきた。「いや、いいです。」と遠慮すると、とたんに険しい目つきで「食べて!これ、四個で1セットだからあんたが食べないと、ばれちゃうの!」と有無を言わさぬ勢いで、とても怖かった。(笑) 正月からおもしろいバイトだった。
亀有の宝石屋さんでも半年ちょっと、バイトをしたことがある。これは土日のみで、日給5000円。(6000円だっけな?) 仕事の内容は、宝石の整理、値札つけ、宛名書きなど。でも、販売をしていたと言う記憶はなく、しょっちゅうお茶を飲んでいたと思う。セール時にポスティングをやったのだけど、意外とこれが面白かった。普段見慣れない下町だけあって、今にも崩れそうな家とか、古い家が多く、ちょっと路地を入るだけでまた違った雰囲気になる。夜は怖くて歩けないだろうなぁ・・・。展示会があったとき、品川まで2000万円だか3000万円だかの、ブラックパールを運んだこともある。でも、さすがに小汚い私がそんなものを持っているとは誰も思わなかっただろう。実は、宝石にはちょっと興味があったので、暇なときにぶらぶら商品をみてるのが楽しかった。目をつけてたピアスが売れたときはちょっと複雑な心境だったなぁ。でも、ここだけの話、宝石ほど、値段と原価が違うものもないなぁ、と思った。確かにいいものはいいのだが、原価を知ったら買う気なくすよ、ほんと。宝石だけじゃなくて、なんでもそうなのかもしれないけど。
高校生の頃、友達に誘われて、郵便局で、年賀状の仕分けをやった。(人生の初バイト!) 私の高校は進学校にありがちなバイト禁止だったけど、郵便局側も人手がほしいのか、制服で面接に行ったのに、あっさりと採用してくれた。時給は多分730円くらい。もっと安かったかなぁ?担当区域の年賀状をひたすら、分けると言う作業だったのだが、休憩時間になると自分宛の年賀状をチェックしに行ったり、おじさんたちからの差し入れに喜んだりして、思ったより楽しんで働いていたと思う。光栄なことに(?)家が近いからという理由だけで「年男の郵便局員に花束贈呈」の役をいただき、正月、早々制服で出勤した。新聞社の人がいて、写真にうつって学校にばれたらどうしよう、という、かわいい(?)動揺の中、贈呈式は無事に終わり、「シュガーセット」をお礼にもらった。もちろん、時給なし、である。せこいなぁ〜とちょっと思った。(笑) ともあれ、初バイトの給料はコンタクトレンズ(片方のみ)に消えました。
郵便局のOB的会社で、仕分けの下請けをやったこともある。株主総会の召集表を郵便番号でおおまかに仕分ける、というこれまた眠くなりそうな単純作業。もちろん、1週間の短期で、時給は900円。廃校の体育館みたい場所で、50人くらいがもくもくと仕分けてるのだが、これはほんと気が狂うかと思った。しゃべらせろ〜!と怒鳴りたくなったもん。1週間の短期でよかった(笑) しかし、最終日に給料全額給与はものすごーく嬉しかった。全部で6万強のバイト代はすぐにそのときの家賃に消えたけど。お金を稼ぐことは大変だ。(笑)
年末年始のバイトで、ケーキ製造アシスタントもやった。朝8時〜5時まで。時給900円。朝早いのはいいけど、自宅から1時間以上かかる場所で、正月なのに5時起き・・・これが一番こたえた。仕事はケーキ製造のラインの一部を担当するのだが、私は午前中はブルーベリーチーズケーキのブルーベリーつけ係、午後はショートケーキのイチゴのヘタ取り&イチゴつけ係担当だった。同じ体勢で固まったまま、手先だけが動いてると言うロボット状態で、途中で「のび」の1つもしたいところだが、無常にもケーキはラインを流れ続けるわけで、昼休み以外はほとんど休みなしだった。(風邪を引いていて、くしゃみのたびに鼻水がだらだら流れでて、マスクの下はとんでもないことになっていた。それでも、鼻をかむ時間なし。私一人だけ、マスクが濡れてた(笑)) ブルーベリーのおかげで指先は紫に変色し、イチゴのヘタ取りでナイフで指やつめに引っかき傷をつけ、手先はほろぼろ。結構な重労働だったとはいえ、自分がどんどん職人になっていくような気がしてちょっと嬉しかった。しかし、いろんな分野で機械化されつつあるとはいえ、結局は人間の手を借りなければ、販売ケーキの1つも作れないのか、となんとなく意外だった。それから、もっと驚いたのが、ショートケーキの側面にイチゴの輪切りを貼り付けていたこと!ちゃんとイチゴが中に入っているのだが、確かに側面からイチゴがのぞいてるほうがおいしそうだ。ささいなことだけど、売上にかかわるんだろうなぁ。 ちょっと「目からウロコ」の心境だった。
あとは、1日だけイベントの片付け要員をやったり、アメリカにいるとき、日本料理店でモノを売ったり、宅急便の仕分けをしたり、情報誌のモニターをしたり、ベビーシッターをしたり。あ、父親の白髪抜きもバイト?(笑) 今となれば、辛かったこともすべて「良い思い出」かな。つまらないバイトでも、おもしろい友達ができたり、意外な発見があったり。結構、お金以外に得るものはあるわけで。暇があったら、ほんとにバイトをすること、おすすめします!
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