クリスチャン・コアリション
――ラルフ・リードのプロ・ファミリー運動――
久保田 美和
序章
第1章 クリスチャン・コアリション
第1節 設立とその活動内容
第2節 第1世代宗教右翼の台頭と衰退
第3節 近年の台頭
第2章 Ralph Eugene Reed Jr.
第1節 リードの経歴
第2節 リードの思想――「家族の尊重」
第3節 リードの戦略
第3章 ラルフ・リードとクリスチャン・コアリション
第1節 価値観の共有
第2節 ロバートソンとの不一致
第3節 宗教保守派との決裂――脱退へ
第4節 分離後の両者
終章
序章
94年の共和党多数議会成立に貢献し、「共和党最大の利益団体」のひとつと言われるまでになったクリスチャン・コアリション(Christian Coalition = キリスト教徒連合:以下CC)は、宗教右翼の団体でありながら、1980年代に同様に注目された宗教保守団体、モラル・マジョリティ(Moral Majority:道徳的多数派)などに比べて教条主義が弱まり、一般の人でも共鳴してくれる、生活に密着した問題を取り上げるようになった[i]。政教分離という大原則があり、信仰面の主張をあまり強く打ち出すと敬遠されるということもあるが、CCが妥協を見せ、政治化してきたのには他にも理由があると考えられる。その理由として、この論文では、1989年の設立から1997年まで事務局長(Executive Director)を務めたラルフ・リードという人物に着目する。
リードはCCの創始者であるパット・ロバートソンにスカウトされて組織設立に寄与し、CCが政治的影響力を拡大していくための戦略立案の中心人物となった。そして、CCの印象をソフトにして、その政治的メッセージができるだけ数多くのキリスト教徒に支持されるよう努めてきた。しかし、その全てが順調にいったわけではない。リードは「伝統的価値観」「家族」を重視し、「キリスト教」には必ずしもこだわらず、幅広い「保守派」を構成しようとしている[ii]が、宗教保守派の人々にはそうした「超越」ができず、リードの思惑を越えた行動に走る者もいた。
この論文では、CCをリードのプロ・ファミリー(pro-family:家族尊重)運動の一つとして捉え、リードが共有する価値観のためにCCの創立と発展に携わり、しかし宗教保守派との間にズレを生じ、脱退していく過程を明らかにし、その原因について考察していきたいと考えている。
代表的な先行研究としては、日本語では上坂昇『現代アメリカの保守勢力』、佐々木毅『変容する米国のニューライト』、英文ではClyde Wilcox のSecond Comingなどが挙げられる。これらの他にも新宗教右翼に着目した研究は多数あるが、全体的な動向として、新宗教右翼は宗教を基盤として政治的な活動を行ったために支持者を増やして影響力を拡大し、しかし基盤が宗教であるがゆえに幅広い一般の支持を得ることは困難であり、限界があるという結論に達しているようである。CCを研究したものとしては、Justin WatsonのThe Christian Coalitionが挙げられる。Watsonは、CCをアメリカの宗教と政治史の前後関係において調べ、その目的・人気・力について説明する助けとなる理論を提供している。彼は、CCの存在の主な動機はアメリカの「純粋」への回復、神の下の平等な国家、保守的キリスト教徒を、社会的にリベラルな世界によって犠牲となったマイノリティとして、広範囲に渡って承認することであるとしている。
CCだけを取り上げた論文はあまり見られないが、新宗教右翼団体の一つ、代表的な例としてCCに焦点をあてた論文は数多く存在する。そのため、CCに関する論文を書こうとすると先行研究と変わらないものになってしまいがちだが、ラルフ・リードという人物を切り口とすることで、新たな視点が開けるのではと考えた。リードはCCが共和党最大の利益団体と言われるようになった立役者としてメディアにかなり取り上げられ、特集を組まれたりもしているが、まだ本格的な研究はなされていないと思われる。
CCの台頭の要因として、モラル・マジョリティなど第1世代の宗教右翼の反省を活かしてきたことについては何人もが指摘している。また、その急激な発展はリードの戦略の結果であるという見方も存在している。しかし、リードにとってのCCとは何だったのか、といった視点はあまり見られない。CCとリードの8年間の協力と分離の過程を見ることで、なぜリードはCCと共に歩んできたのか、なぜ別離することになったのかを考察するという試みはこれまでないと思われるので、この点に自分のオリジナリティを出したいと考えている。
論文の流れとしては、第1章でCCについての概要を、1970・80年代の新宗教右翼の政治的影響力拡大と衰退の原因についての先行研究も踏まえて述べる。第2章でラルフ・リードについて、経歴・思想・戦略の3つの点から分析し、第3章でリードとCCの8年間の協力と分離の過程を見、その理由を探る。そして結論では、リード脱退の理由を踏まえた上で、リードにとってCCとは何だったのかということについてまとめたいと思う。CCをリードによるプロ・ファミリー運動の一環と見る視点は、新宗教右翼の今後の展開を考察する上で新たな見解を導くことにもなると思われる。
第1章
クリスチャン・コアリション
第1節
設立とその活動内容
クリスチャン・コアリション(以下CC)は、1989年、プロテスタントの福音主義者(エバンジェリカル)[iii]として知られるパット・ロバートソンによって設立された。ロバートソンは1988年に共和党の大統領予備選に出馬して5州の党員集会で勝利し、8州で2位の位置を確保するなど党大会まで戦い抜いた。結果、全国の共和党員の9%の支持を得ることに成功し、共和党における発言力を確保した[iv]。そして選挙後、各州の予備選組織を利用してCCを結成したのである[v]。
ロバートソンは上院議員を父に、バージニア州に生まれ、弁護士となった後に信仰心に目覚めて神学校に入った。プロテスタントの中でもバプティスト派[vi]の牧師となって、1960年にCBN(Christian Broadcasting Network)[vii]を設立、成功を重ねてテレビにも進出するようになり、「テレヴァンジェリスト(テレビ伝道師)」と呼ばれるようになった。看板番組「700クラブ」[viii]は1966年以来続いている長寿番組である[ix]。
CCの結成の理由としては「キリスト教の声を政治に響かせる」ことが挙げられており、ロバートソンは「キリスト教の価値観を政府や議会により多く反映させる」とも説明していた。その後CCは、選挙を中心とする草の根レベルでの政治活動を展開していった。CCは「草の根」の市民を中心とする政治団体であり、彼らにワシントンを中心とする政治情報を提供することを目的としている。そうすることによって彼らの政治的意識を高め、共和党の政策に反映させていくことを目指しているのである[x]。
現在CCは、全米50州全て、市や郡から町のレベルまでの地方支部を有し、その支部総数は2000以上、合計200万人のメンバーがそれら支部を拠点に信仰を主な動機とする活発な選挙運動、政治活動を繰り広げている[xi]。具体的な目標としては、家族の価値の回復、中絶禁止、公教育の場での祈りの復活、進化論を教えることの禁止、ポルノ追放などが挙げられるが、いずれもアメリカが白人中心であった時代に形成された伝統的価値観に根ざしたものである。つまり彼らは、60年代以降崩れてきた伝統的価値観を取り戻そうとしているとも言える[xii]。
全米で約千の福音派の教会をメディアの拠点として、電話、ファックス、Eメール、衛星放送と、マルチ・メディアを駆使するCCは、上記の通り思想的には保守的であるが、メディアの用い方においては先進的であり、非常に効果的な活動を行っている[xiii]。CCは他の保守主義団体・宗教右翼団体とは異なり免税団体であるために、特定の候補者や政党を支援することはできないことになっている。しかし、組織的に共和党の候補を応援していることは周知の事実であり、それは、CCの代表的な選挙戦術である有権者ガイド(voter guides)と議員スコアカード(scorecards)をとってみても明らかである。有権者ガイドとは、葉書サイズの紙に、対立候補が立場を異にする争点で宗教右翼あるいは保守派が関心を持っているものを取り上げ、両者の政策立場の相違を明確に示すものである。これにより、有権者にどちらの候補がよりCCの味方であるかを言わずもがなに知らせることになる。しかし、先述したように、税法上、CCは特定候補や政党を支持することはできず、有権者ガイドの注意書きの最後にもそのことが明記されている。議員スコアカードとは、CCの関心を持つ法案が10本前後取り上げられ、上下両院の全議員がどのような投票行動をとったかを示すものである。全ての採決でCCの望むように投票した議員には100点満点がつく。有権者ガイドと同じく、これを受け取った有権者は、CCがどの議員を支持しているかが一目瞭然で分かるようになっている。このパンフレットにも、情報を示すのが目的で、選挙の結果に影響を与えるような意図はないと書かれている。彼らの意図はともかく、議員スコアカードは、法案の内容が簡潔に説明され、それがいつ通過したか、しないかまで紹介されているので、有権者の政治的関心を高めるには極めて資料性の高い有益な文書であると言われている[xiv]。
第2節
第1世代宗教右翼の台頭と衰退
1960年代の社会革命、文化革命、性革命などの反動から、70年代以降、男女平等憲法修正法案(ERA)に象徴される連邦政府の平等主義政策や人工中絶の合法化に反対する人々、道徳の退廃や家族の崩壊、宗教の衰退に危機感を募らせる人々が増えた。アメリカの伝統的価値観が崩壊するのではないかと危機感を持った政治的保守派は、エバンジェリカルやファンダメンタリスト(根本主義者)など保守的なクリスチャンの不安を利用して、両者に人気のあったテレビ伝道師ジェリー・ファルウェルを指導者とするモラル・マジョリティを79年に組織した。モラル・マジョリティは祈りの復活、ポルノの禁止を要求し、自由な性行動に反対した。こうした主張は混乱したアメリカ社会で目標を見失いがちな大衆の「心の隙間」にアピールし、モラル・マジョリティは2年間で400万人のメンバーを擁するまでに成長した[xv]。
モラル・マジョリティをはじめとする保守派の連合勢力は、保守革命を目指して1980年大統領選挙で共和党候補ロナルド・レーガンの下に結集し、レーガンを当選させると共に、ジョージ・マクガヴァンら民主党リベラル派議員を落選させた[xvi]。ただ、マクガヴァンらリベラル派の候補者が落選したのは、新宗教右翼による反対選挙運動の結果ではなく、アメリカ社会全体の保守化と民主党政権に対する不満の結果であった。「道徳的多数派」はアメリカ社会の「真の多数派」の潮流とうまく一致したとも言える[xvii]。
保守大連合を可能にした意識は、中産階級あるいは中下層階級の人々の不満と危機意識であったが、それはベトナム敗戦以後のアメリカの経済的・政治的弱体化と、「対抗文化(counter culture)」に代表されるような、伝統的価値観・道徳観の動揺に対する危機感であり、「行きすぎた」福祉を中心とするリベラルな政策への不満だったのである[xviii]。モラル・マジョリティの社会的影響力が実際以上に評価されていたのは、アメリカの大多数の人々に実感されていた道徳の崩壊に対する不安を、1980年の選挙において、はっきりとした形で組織化できたのが宗教右翼だけだったからだと思われる[xix]。
しかし、1970・80年代の宗教右翼の隆盛は長く続かなかった。その原因について、WilcoxはSecond Comingで、@グラスルーツを作る実際の努力をせず、地方支部がほとんどなかった。A宗教内での狭い連合だった。B広く聴衆にメッセージを売るということをほとんど試みなかった、という3つの理由を挙げている[xx]。実際、モラル・マジョリティを支えていたのはバプティストだったが、彼らは自分たちの教会や宗教学校を作るのに忙しく、政治活動のための時間がほとんどなかったため、組織は現実にはグラスルーツの存在に乏しかった[xxi]。そして、バプティストが持つ特殊性はモラル・マジョリティが宗派の境界にまたがる組織を作るのを困難にしていたため、構成メンバーに宗教的偏りがあった。同じキリスト教の中での宗派の壁を乗り越えられらなかった彼らは、幅広い組織を作ることができなかったのである[xxii]。また、活動の中心となったのは聖職者であり、アジェンダも祈りの復活、反妊娠中絶、反同性愛、反共産主義などに限定されていたので、広範な有権者を動員するには限界があった[xxiii]。
これらの結果、1989年のモラル・マジョリティ解散、テレビ伝道師の何人かを巡るスキャンダルの発覚などもあって宗教右翼の勢いは衰えたかのように思われ、メディアによってもそのような報道がかなり広くされた。しかし実際には、次節で述べるように宗教右翼勢力は第2世代――CCらへと引き継がれていったのである。
第3節
近年の台頭
ロバートソンは、1970・80年代の失敗から学び、宗教内連合とグラスルーツを作るための組織を結成した。CCや他の新宗教右翼組織は、宗教的ではなく政治的な組織を作ろうと努め、どうすれば宗教的対立を避けられるかを州や地方の指導者たちに教えた。CCはより実際的な戦略とグラスルーツの動員に注目し、宗教的な分裂を避けることに重点をおいたのである[xxiv]。また、その主張があまりに宗教くさく保守的すぎたため一般の支持を受けられなかったことを反省して、教条主義を弱め、反中絶、反同性愛、祈り復活のほかに、一般の人でも共鳴してくれる、財政赤字削減、小さい政府、犯罪防止、強い家族の絆、減税といった生活に密着した問題を取り上げるようになった[xxv]。
こうした第2世代の宗教右翼グループ――CCは無党派の姿勢を示していたが、彼らの組織の活動は共和党候補の指名や選挙結果に大きな影響を与えるようになった。92年の大統領選挙では、CCは宗教団体の信仰面の主張を強く打ち出した[xxvi]ために排他的で危険なものとして映り、共和党への一般の支持を減らしてしまった。以降、CCはそうした宗教色の濃すぎる側面を薄め、排他的なイメージを減らして支持層の拡大に努めた。94年の中間選挙ではその戦略が成功し、共和党議員の当選増に大きく貢献したとされる。共和党、特に保守派の候補者たちのために後援組織作りなどに貢献し、結果、少なくとも25人の共和党保守派の下院議員がCCの支援により当選したという。96年選挙[xxvii]では、全米の12万5000の教会やダイレクト・メールを利用して、あるいは10万人のボランティアを通じて、4500枚という大量の有権者カードや議員スコアカードを配布するなどの活動を行った[xxviii]。
CCの政治影響力が露骨に発揮された例として、95年5月にクリントンが次期医務総監にヘンリー・フォスター医師を任命した時のことが挙げられる。この任命は議会上院による承認を経なければならないのだが、産科医のフォスターには妊娠中絶の手術をした経験があった。上院では民主党を中心に、フォスターの医師としての、あるいは医療行政者としての総合的な実績を高く評価して、医療総監任命を認めようという議員が当初は圧倒的に多かった。ところが、CCは「罪のない生命を奪うに等しい中絶手術を実行した人物に、連邦政府の公衆衛生行政を任せられない」としてロビー活動を開始し、上院の流れを完全にひっくり返してしまったのである。まず、リード自身が上院共和党保守派重鎮のフィル・グラムやボブ・スミスといった議員にアピールし、フォスター任命の審議をストップさせる工作を依頼した。同時に民主党をも含む保守派の議員に改めてこの任命への反対を要請した。各地のCCメンバーたちは地元の州選出の上院議員に電話やファックスで訴え、マスコミにも活発に働きかけた。こうした工作はわずか数日で功を宗氏、任命承認に必要な過半数の51票は確保できない見通しとなり、ホワイトハウスは任命を諦めることとなったのである。
CCは、民主党をも含む保守派の議員に対して働きかけるが、その威力は特に共和党の政治家に対して大きく発揮される。民主党にはCCとはそもそも基本から意見を異にする政治家が多く、支持層にあまり影響はない。しかし、共和党では穏健派や中道派はこの組織と必ずしも意見を一致させなくとも、敵に回せば従来からの支持者をも失いかねないという立場から、CCの意向を慎重に見極めることが不可欠になってくるからである。
以前の宗教右翼団体、モラル・マジョリティなどにも増して、CCは宗教的保守主義の意見を政治に提案していく力を得た。それは、1970・80年代の失敗を生かして、組織を洗練し、教条主義的なところを抑えてきたからである。そうして、レーガン政権以来共和党勢力基盤の中で台頭してきた保守主義団体の中でも、CCは「共和党最大の利益団体の一つ」と言われるまでに成長し、共和党にとって無視し難い影響力を持つに至ったのである。
第2章
Ralph Eugene Reed Jr.
ほんの数年で目覚しい発展を遂げたCCの成功は、創始者であるロバートソンよりもむしろ、1989年から1997年までの8年間、事務局長を務めたラルフ・リードという人物の才能に帰されるところが大である。第2章では、このラルフ・リードという人物について経歴、思想、戦略という3つの点から分析し、第3章のリードとCCとの協力・決裂の原因をさぐる手立てにしたいと思う。
第1節
リードの経歴
リードは1961年、ヴァージニア州のポーツマスで生まれ[xxix]、フロリダ州とジョージア州で育った。眼科医であり海軍の軍医でもあるラルフ・リード・シニアを父に、専業主婦であるマーシーを母に持ち、姉と弟に挟まれた5人家族は、典型的なミドルクラスの家庭であったという。リードは公立学校に通い、スイミングクラブに参加し、ゴルフを習い、マイアミ・ドルフィンズを慕う一般的な少年だった。しかし、同じ年頃の友人たちがセサミ・ストリートに夢中になっている頃から読書に励み、チャーチル、リンカーン、ルーズベルトなどを取り上げた本を読んで感銘を受け、政治の姿を心に描いていた[xxx]。1976年に家族はジョージア州のトッカという小さな町に引っ越し、リードは地元のステファンズ・カントリー高校に通った。高校卒業後、リードは南部のジョージア大学で歴史の学士号を取り、卒業後、同州のエモリー大学大学院でアメリカ史を研究し、博士号を取得した[xxxi]。
彼が政治活動に初めて携わったのは1976年、家族の友人がマイアミ市議会に出馬し、そのキャンペーンを手伝った時である[xxxii]。自身の初めての選挙は中学の時で、生徒会に立候補し、演説の際に支持者をさくらとして会場に分散しておくなどの戦略を用い、地滑り的勝利をおさめた[xxxiii]。高校時代には保守的なクラブを作り、ジェラルド・フォードのキャンペーンをした[xxxiv]。また、2・3年生の時にクラス委員に選ばれ、3年次の選挙では学校のパソコンを使ってダイレクトメールをクラスメートに送っている[xxxv]。この頃にリードは、大学とロー・スクールを出たら政治家になろうと決意したと言っている[xxxvi]。Boys StateやYouth Assembly[xxxvii]に参加し、将来を見据えた政治的な接触を試みるようになったのもこの頃である。そして、ジョージア大学在学中の1982年から84年には、学生共和党全国委員会(College Republican National Committee)の全国理事として、1000のキャンパスに渡る10万人のメンバーと60万ドルの予算によるグラスルーツ・ネットワークを管理した。また、1984年にはStudents for Americaを設立し、41州200キャンパスに渡る1万人のメンバーを持つ、保守的学生のグラスルーツ・ネットワークを作った[xxxviii]。1980年の大統領選ではレーガンの選挙陣営に加わり、84年選挙ではレーガンのために学生票を動員した。88年には同じ共和党保守派のジャック・ケンプのキャンペーンを支援、84年と90年には上院議員ジェス・ヘルムズの再選キャンペーンに参加していた[xxxix]。
リードが共和党に関わってきたのは、家族がもともと同党支持者であったからというのが大きい。彼の祖母エレノアはFDRと民主党を毛嫌いしており、両親も堅固な共和党員であった[xl]。彼の政治思想とキリスト教との関係については、著作Active Faithの中で触れられているのでそれを紹介したいと思う。リードによると、YMCA[xli]のようなキリスト教の組織に参加していても、宗教は彼の政治的な部分において重要ではなく、モラル・マジョリティが台頭してきても彼は非宗教的な政治的活動家であったが、政治的見解は宗教運動のそれと似通っていた[xlii]。政治的スタイルが変わったのは1983年に宗教体験をしてからであった。小さな政府、低い税金、犯罪と麻薬に対する強力な法、強い家族という信念は元々持っていたが、宗教体験の後、立法の道徳性や人々の魂を改善することに対する政府の可能性にさらに懐疑的になった。しかし、政府は子供を守り家族を強くすることができると信じており、イデオロギーを変えるというよりもむしろ、手法を変化させたのだという。
以上のようにリードは10代の頃から政治運動に興味を持ち、自分や他人の様々な選挙キャンペーンに携わってきた。そして、89年1月の大統領就任式の会場でたまたまロバートソンと隣り合わせて座り話すうちに、リードはCCの事務局へスカウトされるのである[xliii]。
第2節
リードの思想――「家族の尊重」
この節では、リードの2冊の著書、Politically IncorrectとActive Faith、そして彼が行ってきた数々の演説に見られる彼の思想について整理してみたいと思う。
Politically Incorrectという標題には、CCに代表される信仰を持ったアメリカ人――米国の主流を成す――を政治の舞台から排除するのは「政治的に正しくない」という含意がある。あるいは、それは「政治的に正しくない」として政治の舞台から排除してきたこれまでの主流派に対する挑戦の意味もあるという[xliv]。リードの思想について、佐々木毅氏は以下の2つの点を指摘している。第1は、かつてのテレビ伝道師たちに見られた非常に強い宗教色が後退させられ、カトリックを含む広範な政治的結集にはっきりと力点をおいていること。第2は、この連合の運動の政策的焦点として、家族の尊重を挙げていること、である[xlv]。佐々木氏はこれらいくつかの点によってリードはこれまでとは違った戦略を編み出すことになったと結論を出している。
Active Faithにおいて、リードはCCを、無党派プロ・ファミリー組織と位置付けている。また、政教分離の原則は認めるものの、宗教は昔から政治において中心的役割を果たしてきたと主張する。アメリカは世界で最も宗教的な国家の一つであるから、人々の信仰から引き出された道徳的意見が政治に影響を与えることは自然なことであり、公民権運動、反戦運動、禁酒運動、女性運動なども支持者の宗教的信念によって為されたと述べている[xlvi]。
同書においてリードが何度も主張し重要なポイントとしているのは「家族の価値」「伝統的価値観」であり、「キリスト教」自体にはあまりこだわっていない。「キリスト教」というよりは「信仰」の大切さ、信仰に基づく「モラル」の重要性を強調し、それが崩壊しつつある現状、モラルに欠ける政治を嘆き、改革と「家族の強化」を訴えているのである。
キリスト教については、クリスチャンであることは「間違っていない」ことと同義ではなく、「許される」ことであり、クリスチャンでない人々は「悪い」人であったり地獄に落ちるということではなく、「間違って」しまっただけであると言っている。宗教体験の後は「以前の敵にパンを分け、彼らのために祈り、時には異なるものに橋をかけるようとするようになった」[xlvii]などと述べており、各地で行った演説においても、自分の宗教、宗派を他人に押し付けることは決してせず、モラルを回復することが大事だと幾度も口にしている。
2冊の著書において、また数々の演説において、リードの主張のポイントは常に「家族の価値」「伝統的価値観」であり、これこそが彼の思想、スローガンであると捉えることができる。その思想はまた、1980年代からのアメリカの保守化の波に沿った、主流から外れていないものである。マイノリティの権利が主張され、認められる一方、家族の崩壊、子供の犯罪の増加などから社会的危機感を覚えるアメリカ人は多く、「家族」というキーワードは現代アメリカ政治の主要な争点の一つとなっている。そして、この争点の先頭に立っているのが保守主義団体――宗教右翼なのである。
宗教右翼、保守派の政治的な台頭は1973年のロー対ウェイド判決[xlviii]をきっかけとし、80年選挙のレーガン陣営による保守派の獲得を受けて始まり、「家族」「伝統的価値観」に対する国民の関心の広まりに従って支持層を増やしてきた。このことについては第1章で詳しく述べてきた通りである。メディアやリベラルの攻撃を受けて悪印象をもたれることも多かったが、実際アメリカにおいてクリスチャンの数は極めて多く、「家族の価値」を政治的にも重視する動きは広がっている。
アメリカにおける宗教の現状として、ここ半世紀の間ほとんど変化なくほぼ95%が神の存在を信じているという事実があり[xlix]、信じているだけではなく、日常生活あるいは社会生活において「意味のあるもの」、有用であり影響のあるものとされている。また、政教分離を重要と考え徹底しているアメリカにおいて、反面、多元的なものが一致・統合するために公的領域でも宗教の役割を重視しており、「アメリカにおける政教分離」とは「国家と特定の教団の間の分離」であり、「政治と宗教の分離」ではないという指摘[l]もある。こうした現状、指摘はリードの主張と一致する。つまり、彼の主張、思想はアメリカ社会の主流、世論の主流に沿ったものであると言える。
リードの生家の家族構成については第1節で触れた。特に家族と軋轢があったという話はなく、軍医と専業主婦の父母、3人兄弟ということから、彼が主張する伝統的「家族」の理想は、ここに求められるように思われる。また、現在の彼は妻ジョアンと4人の子供――2男2女――の6人家族である。事務局長として注目されていた時も、首都ワシントンから南へ250kmほどのバージニア州チェサピークという小さな町に住み、マスコミ側がわざわざそこまで出かけてきてインタビューするというケースがほとんどであった。ここにもまた、家族を大切にする父親、夫を助ける妻、たくさんの子供、という理想的なアメリカン・ファミリー像がうかがわれる。
リードにとって「家族」「伝統的価値観」というキーワードは、世論の注目をひくためという目的もあっただろう。しかし、実際に彼は小さな町に理想的な家族と住み、その素晴らしさ、大切さというものを感じており、決して建前だけではなかったと思われる。また、彼の戦略の中心となる「草の根」の重要性、小さな町からの働きかけが政府を動かすことが可能であるということを、まず自らが実践していたようである。
第3節
リードの戦略
1989年の設立から1997年の夏まで、リードはCCの事務局長としてその発展に寄与してきた。彼は45万人のメンバーとサポーターの基礎を作り、州をまたがる872の支部の設立を助けた。リードの在職期間、CCの年間予算は20万ドルから2700万ドルまで上がったという[li]。また、強い家族の奨励、学校の改善、安全な地域、といったものを含む組織の綱領を広げるなどしており、組織設立の段階からリードはロバートソンの相談にのっていることもあって、CCの組織構成の根本から彼の構想が生かされていると言える。
第3節では、第2節で明らかにしたリードの思想がその戦略にどのような影響を与えたかを考える。その際、「リードの在職期間におけるCCの印象的な特質」としてPeople For the American Way[lii]が挙げた5つの点[liii]を元にしたいと思う。
@ 組織の力をグラスルーツの作成に集中し国レベルの実質的な力へと変えていった。
リードはモラル・マジョリティを始めとする過去の宗教保守とCCの活動を通し
てグラスルーツを固めることの重要性、ワシントン、そして大統領の力には限界が
あり、実際の影響力は少ないということ、地域政治と地域争点に着目することが重
要だということを切に感じた。12年間の共和党支配の後、大統領選だけ制しても立
法上の課題は進歩していなかったことからそれを悟ったとも言う[liv]。過去の経歴を
見ると、グラスルーツの重要性を理解していたのは政治活動を始めた初期の頃から
であることがわかり、グラスルーツの動員にかけては、かなりの熟練者、経験者で
あるとも考えられる。また、グラスルーツを重視するという点はロバートソンと共
通するものでもある。
A 党派的特色の強い有権者ガイドを教会の集まりで分配するという戦術を開拓した。
有権者ガイドの内容とその効果については1章で述べた通りである。これを教会の集まりで分配することによって、幅広い有権者、教会に通う程度の信仰を持つ人々に訴えることが可能であり、一部の保守的な人々だけでなく一般の人々にも影響を与えることを意識していると考えられる。
B 堅く鋭い言葉、表現を避け、ソフトな印象のレトリックを用いた。
リードは演説をする際に、必ずと言っていいほど「家族」「伝統的価値観」という
言葉を口にする。「家族の尊重」というスローガンは彼の重要なポイントであるとい
うこともあるが、これが最も世論の注目・関心を引きやすい言葉であることを理解
した上でのことでもあるだろう。また、これを掲げることで、様々な勢力の糾合を
可能にするのみならず、様々な政策的要請をそこから引き出すことを可能にし、政
策面での幅がより広くなるということも指摘される[lv]。
C 通常敵対するグループとの間に政治的な橋をかけるよう努力した。
第1節で述べたように、リードは特定の宗教、宗派にはこだわらない姿勢を常に示している。そのため、ローマ・カトリックやユダヤ教との掛け橋となり、黒人もとり入れた幅広い宗教内連合を目指すことが可能であり、それを実現するべく努力を怠らなかった。ユダヤ教徒連合、というものを未来の姉妹組織として考えてもいたようである[lvi]。具体的な結果はほとんど挙げられないままになってしまったが、その試みは衝撃的で評価され得るものであり、Catholic Net[lvii]やJEWISH TIMES[lviii]でリードが取り上げられていることからも、関心をよんでいたことがわかる。リードはマイアミで育ったが、そこはユダヤ人の多い地域であり、メソジスト教徒[lix]でありながら、彼はユダヤ教会へ通っていた。彼は「家族」がこの両教の共通価値となりうることを、この頃に学んだようである[lx]。
D 宗教右翼の特質のないアプローチにより、政治的実用主義をとろうとした。
リード曰く、彼らのゴールは、宗教保守コミュニティを政治圧力団体から地域コ
ミュニティを基礎とした幅広い社会改革運動に変えることであり、福祉改革、均衡
予算、家族のための減税のような伝統的争点を支持することによって、社会的保守
と経済的保守を結合させることだという。投票箱と世論という場で勝つには、プロ・
ファミリー運動は、税、犯罪、政府の浪費、ヘルス・ケア、財政保障など、平均的
有権者の関心事について言及しなくてはならないとも言っている[lxi]。リードは、彼
の運動につきまとう排他的な、特異な運動というイメージを是正し、広範な人々に
訴える運動にしようとしているのである。以前の神政政治的な議論と現在のキリス
ト教保守派とは違ったものであることを示そうともしている。こうした姿勢もまた、
キリスト教にはこだわらず、それよりも「家族」を重視するからこそ可能であると
言える。
これら5点の他にCCがとってきた最初の戦略として、”stealth”というものがある。それは、国内に存在する政治的無関心を利用し、少数で候補選出に影響を与える作戦である。リードはこれについてActive Faithで、「主流に乗り入れた今はその必要がない」と述べているが、CCは現在も教育委員会の選挙にこの戦略を用いることで教育問題に影響力を拡大しようと試みている。
また、著書においてリードは「アメリカが必要としているものは政治的革命ではなく魂の再生である」[lxii]「文化的変化は、自由で民主的な社会において習慣を変えるという点で、政治的勝利よりも重要である」[lxiii]「人の心を変える法律は作れない」[lxiv]といった言葉を連ねている。「信仰を持つ人々は党派的イデオロギーを動機としない。むしろ信仰に基づいた関心事に対する超越的な倫理を重視する」[lxv]という言葉から、政府に働きかけるというより、人々に働きかけることを重視しているように思われる。
総合すると、リードにとって戦略上最も重要なことは、「人の心をつかむこと」「人々を動かすこと」のようである。これは、政治家としては当然のことであるが、宗教活動家、「宗教」という絶対的な教えを基に人々に訴えかける者、活動する者は忘れがちなことである。なぜなら、彼らは自分の信じるものが「絶対」であり、それが唯一正しいものであると信じて疑わないからであり、融通の利かない真理を持っており、妥協することができないからである。
第2章を通してリードという人物について3つの面から分析してきたことをみると、彼は宗教家というよりも政治的戦略家というイメージが強い。宗教にはこだわらないとも宗教活動家とは自分自身を見ていないともリードは表明しているが、それにしても宗教右翼の先鋒であるCCの実質的権力者、指導者の像とはどうも異なるようである。リードは、宗教右翼を導きながらも、現実主義路線をとることにより、より大きな支持集団を形成していこうとしていたのである。
第3章
ラルフ・リードとクリスチャン・コアリション
第1節
価値観の共有
リードがCCに参加したのは、当初の目的が一致するように感じたからだと思われる。Active Faithの中で彼は、ロバートソンを尊敬すべき師として称えており、長い間尊敬し、「700クラブ」を何年も見ていたこと、人種統合的な見解と強いプロ・ファミリーのスタンスに惹かれたことなどを書いている[lxvi]が、ロバートソンに心酔しただけでCCに参加し貢献したとは考えにくく、また、有名であった二人の意見の不一致と別離を考慮すると、リードには彼なりの思惑があっての結果であると考えるのが自然である。
リードは1985年頃、政治から離れて学問の世界に生きようと考えるようになっていた。その理由の一つは、友人の一人がプロ・ファミリーという価値観のために全国で働き、州を渡り歩いて空港やホリディ・インに住んでいるかのような生活を送った結果、信仰と結婚生活が侵食され、夫と離婚することになったという出来事である[lxvii]。また、別の友人は、1986年の選挙で敗北したのだが、その直後、本当に安心した様子で「議席を失ったことは今までの人生の中で一番良かったことだ。それは結婚生活を救った」と言ったという[lxviii]。こうした政治活動の矛盾に失望した彼は、政治の世界から身を引き、ロバートソンに出会った時、教授になることを考えてエモリー大学で勉強していた。彼がこれ以後まったく政治の世界に関わるつもりがなかったとは思えないが、一時的にでもそこから離れようと考えていたのは確かである。
リードとロバートソンの出会いが1989年1月の大統領就任式の会場でたまたま隣り合わせて座った時であることは前述した通りである。その時、彼らは会場からエレベーターまで一緒に歩きながら話し、ロバートソンはキリスト教徒の政治組織を作ることをリードに教え、興味がないかと誘った。学術論文に取り組んでいたリードはその場で辞退したが、ロバートソンの求めに応じて2月にメモを送った。そこには、どうやって「エヴァンジェリカルを動員し教育し活動させる全国的な政治組織」と「ローマ・カトリック教との同盟」を作るか、といったことが書いてあったと言う[lxix]。そして9月、リードは自分からロバートソンに電話をし、まだ名もないキリスト教政治組織への参加を承諾したのである[lxx]。
リードとロバートソンは共に、グラスルーツ組織への理解と強い評価を持っていた。リードについては述べた通りであるが、ロバートソンも、1988年選挙でミシガン州を混乱させアイオワ州で2位という地位を確保したのは、効果的なグラスルーツ組織を動員したからであると言われている[lxxi]。そして、その組織をもとにCCを設立したことは第1章で述べた通りである。また、リードの主張とロバートソンの主張は「家族の強化」「伝統的価値観」を求めるという点で一致していた。この価値観を掲げて宗教内連合を目指すCCは、リードの目的とかなり足並みを揃えるものであり、教会というネットワークを活用し草の根を広げる伝手になる、有意な存在であったと思われる。
リードは宗教にこだわらず、信仰に基づく「モラル」を重視していたが、1980年代の反省を活かして教条主義的なところを潜めようとしていたCCの活動は、自己の目的にかなりの割合でかなうものと映っただろう。実際、宗教的・排他的な面、政教分離の原則に反すると見られる恐れを除くことに成功すれば、宗教右翼による「家族の尊重」運動は一般の支持を受けてかなり大きな広がりを見せただろうと考えられる。「自分が『キリスト教活動家』であるとは思っていなかったが、彼らの活動の価値観を多く共有していたし、信仰が国の公的な場面でもっと主要な役割を担うのを見たかった」[lxxii]とリードは語っている。ロバートソンによる魅力的な組織への誘いは、一時期政治から身を離して様子をうかがっていたリードを、再び活躍の場へ引き出す良いきっかけになったようである。リードは「ロバートソンが電話してきたタイミングは神意による」[lxxiii]とまで言っているが、この二人の出会いがアメリカ政治を大きく動かす潮流の発端となったことを考えると頷けなくもない。
第2節
ロバートソンとの不一致
リードとロバートソン、そしてCCに従う宗教保守派の人々との協力関係は長続きしなかった。宗教保守はやはり「宗教」を棄てきれなかったのである。
リードとCCが別離の道を辿ることになった要因にもこれがあると思われる。リードは「家族の強化」「モラルの回復」を目指してCCの活動を指示していったが、それに従うべき宗教保守派の中には、やはり宗教的なこだわりを棄てきれなかったものが多かったのである。それは、CC創始者でありリードの協力者であるロバートソンにすら見られた。彼らは、「家族の強化」「伝統的価値観」を第一の目的にすることができず、リードのように政治的妥協を徹底することができなかった。そればかりか、自分たちを成功の道へと導いたリードに反抗することさえしたのである。
リードとロバートソンとの決裂のきざしは、実はCC設立の時から見られていた。”Christian Coalition”という組織名についての意見の相違がその一例である。リードは宗教的なところをあまり表に出すと良くないという考えを持っていたため、組織名に”Christian”という言葉を入れたくないと考えていた。他にもいくつか出ていた案のうち、リードが良いと思っていたのは、”Family Value Coalition”というものである[lxxiv]。しかし、結果として決まったのは”Christian Coalition”であった。これに関してリードは、「我々で決めた結果」と言っているが、実はリードの忠告にも関わらず、そして相談することなしにロバートソンが決めてしまったのだという[lxxv]。
他にも、様々なトピックにおいて二人の意見が異なることは、著書や発言の端々から見られ、彼らの不一致はある程度有名なことであった。以下、5つのアジェンダにおいて、両者がどのような意見を持っているかを抜粋したいと思う。
@政教分離
リード:「我々は完全にして不可侵のものとして政教分離を信じている」
(National Press Clubに対しての言葉)
ロバートソン:「急進的な左翼が我々を服従させようとしている。なぜなら彼らは政
教分離について話してきたからだ。憲法にそんな言葉はない。それは
左翼の嘘であり、我々はもはやそれを受け入れることはない」
(Columbia SCでの言葉)
A宗教の不寛容性
リード:「アメリカを偉大にしてきた二つのことがある。一つは不可欠なモラルの徳
である……しかし、多様性と多元的共存もまた、認めなくてはならない」
(Meet the Pressにて)
ロバートソン:「アメリカ憲法は、例えば、キリスト教徒による自治政府のための素
晴らしい文書である。しかし、非キリスト教徒や無心論者にその文書
が渡った途端、彼らは我々の社会の真の設立を破壊するためにそれを
使うことができる」(700クラブにて)
B生殖の自由
リード:「我々が組織として信じていることは、中絶はバース・コントロールとして
使われるべきではないということである」(Meet the Pressにて)
ロバートソン:「計画的に親になることはキリスト教の全てと全く正反対のことをす
ることである。それは子供に姦淫することを教え、人々に不義をする
こと、あらゆる種類の獣姦・ホモセクシャル・レズビアンなど、聖書
が非難する全ての事に参加することを教える。そして、全くどんなモ
ラルの制約も受けないことを教える」(700クラブにて)
C女性
リード:「ロバートソンはとても女性に優しいと思う」(Meet the Pressにて)
ロバートソン:「フェミニストのアジェンダは女性のための平等権ではない。それは
社会主義者、女性に夫を見捨て、子供を殺し、魔法を行い、資本主義
を壊し、レズビアンになるよう勧める、反家族の政治的運動のことで
ある」(募金書簡の中で)
Dホモセクシャル
リード:「我々はホモセクシャルが仕事を持ったり、事務所を開いたり、市民手続き
に関係したり、財産を所有したり貸したりすることに反対しているわけでは
ない。敵対したり嫌ったりすることではない」(Meet the Pressにて)
ロバートソン:「非合法が地上に広がった時、ナチス・ドイツで起きたのと同じ事が
ここで起こるだろう。ヒトラーに関係していたこれらの人々の多くは
悪魔崇拝者であり、彼らの多くはホモセクシャルだった。二つのこと
は同じようなものである」(700クラブにて)
(以上、The Christian Coalition After Ralph Reed より抜粋)
これらを見てわかるように、リードが様々なトピックにおいて寛容の姿勢を持ち、幅広い支持を得るための努力をしようとしているのに対し、ロバートソンは当初の志とは裏腹に第1世代と変わらない不寛容さを見せる事が多く、度々リードを困惑させた。リードはロバートソンを擁護しているが、彼がユダヤ教などに対して不当な言葉を投げかけていることも認めている。認めながら、Active Faithにおいてロバートソンを「イスラエルとユダヤ教の人々にとって最も親しく頼りになる友人の一人」と呼ぶなど、フォローに必死な様子が窺える。
リードはロバートソンに忠実であり、意見を共有していたし、ストレスを溜めることであっても決められたことには従い、彼のアイディアでないことでCCが批判されてもそれを受容し、決して不一致を暴露しなかったと妻のジョアンは言っている[lxxvi]。しかし、このような、ロバートソンの二人の意見の相違を隠そうともしない姿勢、自分の見解を曲げようとせず、それがどのような反感を生むのかを考えていないかのような行動は、フォローするリードをかなり苦しめたのではないだろうか。
第3節
宗教保守派との決裂――CC脱退へ
リードは彼を支持していた宗教保守派の人々ともすれ違いを見せるようになっていった。96年大統領選挙でのパット・ブキャナンの登場は、その違いを露にしてしまった例である。
96年の選挙ではボブ・ドールが共和党候補の本命として当初から目されていたが、本選挙に向けて政策を中道に移した彼に保守派が反発し、泡沫候補と見られていたブキャナンの支持にまわってしまったのである。ドールは特に中絶問題に関して「暴行による妊娠や母体の命が危険な時は中絶を容認する」と発言したために宗教右派の大きな批判を呼んだ。リードはしかし、「勝てる候補」という意味でのドールに期待しており、戦略として彼を支持しつづけ、このことがリードに対する反感をも生む結果となった。リードはブキャナンの票の半分はプロ・チョイスとリベラルであり、宗教保守は彼を支持してはいないと言っている[lxxvii]が、宗教右翼を含め保守派がブキャナンの支持に回っていたことは明らかであり、結果ドールは本選を前に中傷を浴び、反撃のために選挙資金を使い尽くしてしまい、敗北した。そしてこれ以後、リードもまた保守派の支持を失い、CCの設立10周年記念Road to Victoryにおいて非難されることになったのである。
リードは自己の目的に添って組織を導いていこうとしたが、それに続くものたちは必ずしもそれについていかなかった。時が経つにつれて、むしろある程度の成功を収め、宗教保守派がその力を過信したがために両者の足並みにずれが生じ、決裂に至ったようである。
1997年夏、リードはCCを脱退し、Century Strategies(以下CS)というコンサルティング会社を設立する。リードが脱退したのはロバートソンのスキャンダル直後のことだった。また、”Judy Liebert thing”[lxxviii]と呼ばれる、リードの金にまつわる疑惑も1996年に起きていた。ジョアンは「無実なのに脱退するタイミングが悪いために疑われてしまう」[lxxix]とリードの突然の発表に驚いていたが、話しぶりからして、脱退することは以前から決めており、承知のことであったと思われる。
リードは8年間のCCとの協力の間に名を上げ、数々の高い評価を受けた。例えば、NY TIMESは1996年における国のニュースメーカーのトップの一人としてリストしたし、TIMEはアメリカの未来の指導者50人の一人として名前をあげ、LIFEは世代間で最も影響力のある20人の人物の一人としている。また、CCの事務局長として政治活動を続ける中で、政界などとのつながりも深まったと思われる。
脱退の理由はロバートソンと宗教右翼とのつながりが彼の政治的野心に逆火をつけるからだという説[lxxx]もあるが、確かに、既に一人立ちできるほどの名声と伝手を得たリードにとって、過去の失敗を繰り返そうとするかのような宗教保守派との、これ以上の足並みの揃わない協力体制はマイナスにしかならなかっただろう。おそらくそうした計算に基づいてリードはいつからか脱退を考えており、ロバートソンの事件と”Judy Liebert thing” はその決意を早めることになったのではと思われる。
また、リードはActive Faithに「信仰を持つ人々が全ての夢を社会改革のために政治活動に注いだら、彼らはひどく失望するだけでなく、その運動を何十年分も逆流させてしまうだろう」[lxxxi]と書いているが、そのとおりのことがCCにおいて起こりつつある。リードはそれをいち早く感じ取り、CCによる活動の限界を悟り、脱退を決意したとも考えられる。自分が育ててきたCCが、もはや彼の手を離れ、制御を失い、独自の方向に向かいつつあることに失望したとも考えられる。
脱退はリードの都合もあったが、CC側からの圧力もあったようである。彼の現実主義路線に対する批判はCC内部でも出ており、元雇用者が彼をストーキングして脅威を与えたりもしていた。そのためリードとその家族は警護を怠らないように気をつけていたという。また、”Judy Liebert thing”で疑惑の元となった会社に対して、リード脱退後、CCが訴訟を起こしていることからも、CC内部からのリードに対する反発、圧力が高まっていたと考えられる。
第4節
分離後のリードとクリスチャン・コアリション
CCは現在、リードを失った後、新しい時代に入ったと言われる。1999年にIRS(Internal Revenue Service:内国歳入庁)は「CCは免税権を得るのに適していない」という裁定を下した。有権者ガイドや幹部の意見が党派的であることを指摘し、免税組織に値しないと判断したのである。CCは公的見解として、「成功しすぎたためにIRSに標的とされた」[lxxxii]と言っているが、このことが組織に大きなダメージを与えたことは疑いようがない。また、FEC(Federal Election Committee:連邦選挙委員会)による訴訟も起こっている。請求金額は州裁によってほとんど却下されたことが多少の救いではあるが、94年のギングリッチの選挙を擁護したことや、上院議員オリバー・ノースとメーリングリストを不適当にシェアしていたことに対するペナルティを払うよう請求された。これらの打撃を受け、CCはリードに代わる強力な指導者もなく、新事務局長ランディ・テートの力はいまだ見られないまま衰退の道を辿っていると言われる。また、近年CCは、Christian Coalition of America(CCA)とChristian Coalition International(CCI)という二つの組織に分裂した。CCAは免税権を確保し、これまでの活動のほとんど――グラスルーツ・トレーニング・セミナー、有権者ガイド、フィールド・ネットワーク、例年の”Road To Victory”会議などを含む――を引き継ぎ、CCIは別個の組織として、ダイレクトなロビイングと候補者のサポートを行い(免税権は持たない)、この二つの組織は協力してこれまでと同様に保守派を支持していくという[lxxxiii]。
他方リードは、CC脱退後設立した自身のコンサルティング会社において、選挙における勝利をかなりの割合で導いている。CSは法人のコンサルティング会社であり、戦略的コンサルティングと全国の候補者に対する政治キャンペーン・マネジメントと同じように長期に渡るプランニングを提供している[lxxxiv]。CSの会長としてリードは、その実際的知識と洞察力を全国の候補者に提供しており、「他の誰よりも」社会保守派を「アメリカ政治において印象的な力」にしているという[lxxxv]。リードの言葉と行為は、来る10年間、国の向かう方向に影響力を与えるだろうと言われているが、実際のところ、CCに所属していた頃ほどの目覚しさ、華やかさはない。2000年大統領選挙においてジョージ・ W・ブッシュのコンサルタントを引き受けているがそれほどの活躍を見せてはいないし、マイクロソフトのコンサルタントを引き受けた[lxxxvi]ときは日本でも話題になったが、以後は口端にも上らない程度である。
こうしてみると、リードとCC双方とも、8年間の協力体制の際は目覚しい活躍とインパクトを与えていたものが、分離後、鳴かず飛ばずの状態にあることがわかる。彼らは互いに協力し合うことで互いの影響力を拡大し目標へと歩んでいったが、最終的な目標が異なるために頓挫し、道程中途なまま、依然踏みとどまっているのである。
終章
第1章から3章までを通して、CCとリードの協力と決裂の過程について見てきたわけであるが、簡略にまとめると以下のようになる。1989年に設立されたCCは、「家族の尊重」「伝統的価値観」といった一部の価値観を共有するリードの協力を得、その優れた戦略を組織構成・活動に取り入れることで目覚しい発展を遂げた。リードもその立役者として脚光を浴びたが、両者は発展を遂げ、力をつけるにつれ意見の違いを露にしていき、8年の協力の後に決裂、分離という結末を迎えた。両者は互いに互いを利用して独自の目的への道を歩んできたが、道半ばにして決裂を余儀なくし、現在は双方ともそこからの一歩を踏み出せずにいる。分離は避け得なかったのかと考えると、否という答えしか出ないだろう。両者が掲げる目標にはずれがあり、その片鱗は当初から見られていた。むしろ、8年の間よく行動を共にしていられたと言うべきかもしれない。
両者が協力してくることができたのは、第1世代宗教右翼の失敗を反省し、過ちを繰り返してはならないという共通の認識があったからだと考えられる。その反省は、リードによってグラスルーツ組織の重要視と宗教内連合の必要性、「家族尊重」運動という3点に集約され活かされてきたが、宗教保守派は力を蓄え影響力を拡大するに従って自らの力を過信してしまったようである。「宗教」が発端であるゆえの限界に達してしまったと言えるかもしれない。結局のところ、宗教右翼、宗教保守派の核である人々は、「キリスト教」、そして自分の宗派が唯一絶対のものであり、神の存在が何よりも重要であるという姿勢を崩すことはできないのだろう。
両者の今後を考えてみると、CCは、多くの研究者が新宗教右翼の台頭に際して予測していたように、ある程度の支持は得られるが宗教ゆえの限界を持ち、これ以上の政治的影響力拡大は望めないだろうと思われる。これまでの急激な発展と影響力拡大は、ひとえにリードの戦略の結果であり、宗教右翼団体が政治の主流になることはまず考えられない。リード脱退後はますます第1世代に似た面を現し、1970・80年代の二の舞になることも想像される。リードについては、CCを指導していた頃ほどの急激な活躍は見られないとしても、「家族の強化」は決して主流から外れた主張ではないだけに、これからも政治的な影響力をのばしていくこと、目標へ向けて歩んでいくことが可能であると考えられる。
CCとの8年間の協力と別離、その後の展開を見るうちに浮かんできたリードという人物像は、優れた政治戦略家であると共に、徹底した現実主義者・実用主義者であった。実を言えば、共和党の選挙候補者がリードの支持を得るために死に物狂いになるのは、彼がファンダメンタリストの票を動かせるという誤解から生じている。リードを得ることで最初の戦い――予備選挙――に勝つことができると思うものは少なくないが、実際はそんなことはできないし、彼はそうすると約束しない。ファンダメンタリストやエヴァンジェリカルを、彼らが望まぬ方向へ導くことは誰にもできないということは第3章3節で述べた通りである。
しかし、CC発展に寄与したことからもわかるように、リードの政治戦略家としての傑出した能力は誰にも否定できない。それについては、リードの強敵であるFamily Research Council[lxxxvii]のゲリー・バウアーも「リードの資産は生まれつきの政治戦略家としての才能である」と認めているほどである[lxxxviii]。また、これも第3章3節で述べたことだが、リードは宗教右翼が中心となる運動のいくつかにおいて純正主義者ではない。例えば中絶に妥協するドールを支持することは、宗教保守派において異端といえる行動である。あえてそれをしたのは、彼が現実を見据えていたからであろう。こうしたリードの現実主義的思想は、「完全に成し遂げられなかったことは、失敗したとか罪を犯したということではない」という彼の言葉によく表れている[lxxxix]。リードのこうした現実主義は宗教保守派には受け入れられなかったが、「宗教右翼」というレンズを外して彼を見れば、一般的に受け入れられやすい、むしろ主流の考えを代表しているようにも思われる。
リードはCCの中で働いていた90年代に「宗教右翼と国家のモラルの低下を憂う郊外居住者が共有する言葉を見つけた」[xc]と言っているが、それは本論文で第2章から書いてきた、リードの運動の中心となるキーワード――「家族」という言葉ではないかと思われる。リードが政治活動に身を費やしているのは、比較的早期に政治家たることを決意していることから、権力欲もあったと考えられるが、それが全てではない。一時期政治から離れようとしていたというエピソードから、彼にとって「家族」が大切であるということは建前でなく真実であろう。人を指導する立場にありたいという気持ちと、「家族」の大切さを人々に思い出させたいという気持ちが共にあって、リードの活動は成り立っており、これまで成功してきたのだと思われる。
8年間の協力と別離の結果、リードにとってCCは、彼の目標、キャリアプランのステップの一つとなった。そこから考えられるのは、リードは途中から、ある程度の期間を経て自分の力を蓄えたらCCとは決別することを考えていたのではないか、ということである。リードが自分を「宗教活動家ではない」としきりに表明していたのは、未来――CCとの決別後――を見据えての行動のようにも思われる。しかし、一方的に彼がCCを利用したというわけではなく、CCからすれば、今日の発展のためにリードを利用してきたのだ、とも言える。彼らはお互いに必要な存在であった。名もない存在、ありふれた存在から全米に名を挙げるまでに成長することができた、ということもあるが、リードはCCにおける活動の中で、自分のこれから進むべき道を見つけたのではないかと思われる。「家族」という、自分にとっても大切なものが、多くの人々との協力体制を作り上げていく上での基礎となるということを悟ったのは、上記にあるように、CCで活動している間のことである。一方CCは、リードの指導のもと、人々に影響を与え、政治に提言していくための基本的なシステムを得た。これからそれをどう操っていくかがCCにとって重要な課題となるが、その基盤を得たこと、共和党に食い込み、ある程度の影響力を持ったことは大きな収穫であった。
リードにとって、協力の結果はプラスの面ばかりでもない。「CCの元事務局長」「宗教右翼の先鋒に立っていた人物」というイメージは脱退後もリードにつきまとっている。これは、「宗教的保守派の有権者を深く理解し強い人脈を持つコンサルタント」というセールスポイントにもなるが、リードがプロ・ファミリー運動を進めていく中で広く一般の支持を得なくてはならないことを考えるとマイナスになる可能性も高く、リードはそのマイナスイメージを払拭するのにかなりの努力を要しそうである。
また、リードはCSでの仕事において慎重な顧客選びを求められている。2000年4月に彼はChannel Oneと契約したが、その期間中に同社がより暴力的な映画を放映したことについて疑義の声があがった。マスコミが「リードは保守的思想を分かち合わない会社も助けるということを示してしまった」[xci]と報じたのである。リードは直ちに訂正し、「同社をもっと保守派に受け入れられるものに変えようとしている」と発表したが、疑いは晴れないままである。
両者にはそれぞれ困難の壁が待ち構えており、CCのそれの方が高くも思われるが、CCの掲げる目的のいくつか、例えば学校における祈りの復活などは、「キリスト教」にあまりこだわりすぎることがなければ世論からそれほど外れた要求でもないため、彼らにとっては不完全かもしれないが、達成される可能性はある。逆にリードは、幅広い連合を作ろうとするあまりに自己の目的、「家族の尊重」とはあまり関係ないような問題にまで関与せざるをえなくなり、自己矛盾を起こしたり、悪いイメージを作り出してしまう可能性がある。
リードとCCは双方とも、未来に明暗どちらの可能性も持ち合わせていると言える。現在彼らは次の段階へのステップを踏めずに留まっているが、何をきっかけに動き出すかわからない。2000年大統領選挙とその後の新大統領体制はそのきっかけになる可能性を秘めているだけに、両者の今後の動きに注目したいところである。
[i] 明石紀雄、川島浩平『現代アメリカ社会を知るための60章』(明石書店、1998年)、p58
[ii] Ralph Reed, Active Faith: How Christians Are Changing the Soul of America (New York: Free Press,1996)
[iii] 一般にプロテスタント諸派において、新生あるいは回心の体験など個人的な宗教体験を重視し、信仰と生活の唯一の基盤として聖書と伝道を強調する立場を指す。
[iv] 森孝一『宗教から読む「アメリカ」』(講談社、1996年)、p.217
[v] 明石、前掲書、p.58
[vi] キリスト教プロテスタントの一派。幼児の洗礼に反対し、壮年が信仰の決心をして受ける浸礼を重視するもの。
[vii] キリスト教放送ネットワーク。説教をラジオを通じて各地の教徒に流すという、当時としては斬新な試みの組織。テレビにも進出し、ケーブル・テレビの発達と共に、飛躍的に伸びた。
[viii] 全米の363の地方テレビ局と、ロバートソンが所有している「ファミリー・チャンネル」という名前の全米最大級のケーブルテレビ・ネットワークを通して、月曜から金曜までの週5日放送されている。平均の視聴者数は百万家庭を超える。スポンサーはついていないのでコマーシャルは入らず、全てはCBNの価値観やポリシーに賛同する人たちから送られてくる献金によって運営されている。名前は、1963年にロバートソンがこの番組を始めることを700人のCBNの視聴者に呼びかけ、彼らが月に10ドルをこの番組のために献金することを約束して始まったことに由来している。
[ix] 森、前掲書、p.219
[x] 同上、p.225
[xi] CCA Home Page <http://www.cc.org>
[xii] 坪内隆彦『キリスト教原理主義のアメリカ』(亜紀書房、1997年)
[xiii] 森、前掲書、p.228
[xiv] 同上、p.52‐53
[xv] 飯沼健真『アメリカ――新保守主義の時代』(三省堂、1983年)、p.203-204
[xvi] 五十嵐武士・古矢旬・松本礼二編『アメリカの社会と政治』(有斐閣、1995年)、p.187
[xvii] 森、前掲書、p.212
[xviii] 同上、p.204
[xix] 同上、p.212-213
[xx] Mark J. Rozell, Clyde Wilcox, “Second Coming: The Strategies of the New Christian Right,” Political Science Quarterly, Volume 111(Number 2, 1996)、p.272
[xxi] Ibid.
[xxii] Clyde Wilcox, Mark J Rozell, Roland Gunn ,“Religious Coalition in the New Christian Right,” Social Quarterly,(Sept.1996)
[xxiii] 明石、前掲書、p.57
[xxiv] Rozell, “Second Coming”
[xxv] 明石、前掲書、p.58
[xxvi] 92年の大統領選挙で、CCは共和党よりの保守組織として活動していたが、共和党全国大会前に同党に圧力をかけ、宗教色の濃すぎる党綱領、妊娠中絶反対とか同性愛排除、芸術活動への倫理規制、公立学校での礼拝許可などを採択させた。
[xxvii] この選挙でも宗教右翼の排他的な面は撤廃されたわけではない。党綱領ではやはり中絶などに関して強硬な姿勢が見られたし、保守強硬派候補パット・ブキャナンの出馬は予備選をかきまわす結果となり、最有力候補であったドールを本選で不利な状況におくことにもなった。この年の選挙では民主党のクリントン現職が再選した。
[xxviii] 上坂、前掲書、p.51
[xxix] リードが生まれたVirginia’s Porstmouth Naval Hospitalは、若きバプティスト牧師ロバートソンがテレビ伝道師を始めた小さなスタジオから通りを挟んだところにあるという。
[xxx] Reed, p.18
[xxxi] Ibid., p.18-26;Nina J. Easton, Gang of Five: Leaders at the Center of thw Conservative Crusade(Simon & Schuster, 2000)、p.111-132
[xxxii] Reed, p.19
[xxxiii] Ibid., p.20
[xxxiv] Ibid.
[xxxv] Nina, p.123
[xxxvi] Reed, p.20
[xxxvii] YMCAが支援する会合。
[xxxviii] The Saguaro Seminar: Participants: Ralph Reed, Jr.
<http://www.ksg.harverd.edu/aguaro/reed.html>
[xxxix] Reed, p.18-26;Nina, p.111-132
[xl] Nina, p.118
[xli] Young Men’s Christian Association:キリスト教青年会
[xlii] Reed, p.20
[xliii] The Saguaro Seminar
[xliv] 佐々木毅「変容する米国のニューライト」『国際問題』(1996年2月)、p.26
[xlv] 同上、前掲書、p.27
[xlvi] Reed, p.27-69
[xlvii] Ibid., p.23
[xlviii] 米国連邦最高裁が、条件付きながらも初めて人工妊娠中絶を認める州法の合憲性を認めた判決。
[xlix] 森、前掲書、p.10
[l] 同上、p.32-33
[li] The Saguaro Seminar
[lii] PFAW:公正、正義、市民権と憲法によって保証された自由のために闘うアメリカ人の組織。CCを監視する団体とも言われる。
[liii] The Christian Coalition After Ralph Reed
<http://www.pfaw.org/issue/right/bg_cc.shtml>
[liv] Reed, p.1-26
[lv] 佐々木、前掲書、p.26
[lvi] Reed, p214
[lvii] http://www.catholic.net/rcc/Periodicals/Crisis/Nov95/reed.html
[lviii] http://www.atjewishtimes.com/072399cs.htm
[lix] プロテスタントの一派。1729年ウェスレーらがオックスフォードで起こした経験主義的運動。
[lx] THE REBIRTH OF RALPH REED <http://www.atjewishtimes.com/072399cs.htm>
[lxi] Reed
[lxii] Ibid., p.267
[lxiii] Ibid., p.268
[lxiv] Ibid., p.278
[lxv] Ibid., p.273
[lxvi] Ibid., p.126
[lxvii] Ibid., p.114
[lxviii] Ibid.
[lxix] Nina, p.210
[lxx] Ibid., p.211
[lxxi] Ibid., p.209
[lxxii] Reed, p.13
[lxxiii] Ibid., p.14
[lxxiv] Ibid., p.129
[lxxv] Nina, p.212
[lxxvi] Ibid., p.259
[lxxvii] Reed, p.142-145
[lxxviii] 1996年4月に、CCの主任財政官リーバートが、リードの親しい友人ベンジャミン・ハートの会社がCCの請求書を値上げしているのではないかと疑って弁護士事務所に調査を依頼した。また、CCにとって貴重な財産であるメーリングリストを渡し、ハートがすでに二つのライバル・グループに寄付をせがむために使用したと主張した。しかし、納得のいく答えを得られなかった。リードとロバートソンに呼ばれた際、「本当にやったと思うのか」という質問に「わからない」と答えたため、停職処分になり、半年後にクビになった。
[lxxix] Nina, p.386
[lxxx] Ralph Reed and
Pat Robertson End Affair
<http://www.mindspring.com/~what/ralphpat.html>
[lxxxi] Reed, p.267
[lxxxii] CCA Home Page
[lxxxiii] Ibid.
[lxxxiv] CS Home Page <http://www/censtrat.com>
[lxxxv] Ibid.
[lxxxvi] マイクロソフトはブッシュにコンタクトを取るためにCSを雇ったという噂がある。
[lxxxvii] 家族調査評議会。宗教右翼団体の一つ。代表のゲリー・バウアーは宗教右翼の代表的な論客として有名。
[lxxxviii] The Ralph Reed primary
<http://www.usnews.com/usnews/issue/971229/29pol.htm>
[lxxxix] Ibid.
[xc] Nina, p.112
[xci] Ralph Reed Channel One’s Undercover Consultant
<http://www.obligation.org/ralphreed.html>
(28610字=400字×72枚)
卒論を終えて
久保田美和
現在2月3日(土)午後7時。とりあえず、最終チェックも終了して卒論を完成させたところ。提出は明後日の午後だから、他の人は今ごろ必死にやっているのかな、と思いつつコレを書いています。
卒論=大学での勉強の集大成。そんな風に思っていたから、「卒論文集」なるものを作成する久保ゼミに惹かれた。そして、自分なりに頑張ってきたつもりではあるけれど、果たしてこれでいいのか?という気もしなくもない。決して手を抜いたとかまだ未完成であるとか、そういうことを言っているわけではありません(強調)。これはこれで、自分の精一杯の作品。ただ、大満足とまではいかなくて、こんなものなのかなぁ、という気持ちが多少。何より、政治学研究も含めて3稿作成しただけに、何度も何度も読んでいて、自分で飽きてしまっているということがツライ。
「ラルフ・リード」というテーマは、私の中で割と早いうちから固まっていた。三田祭論文を書いている際にChristian Coalitionについて調べている中、彼に出会ってほとんど一目ボレ状態。ロクに知りもしないまま、「陰の権力者」というイメージに惹かれてテーマに設定した。リードがすでにCCを脱退していたということを知ったのはけっこう時が経ってから(笑)。その時はかなりショックを受けたし、果たして情報を集められるのか、かなり不安になった。かといって、イマサラ後にはひけない。標題はCCにするという、一種の防波堤を張っていて良かったと心底思った(当初から、リードを標題にするほど情報を集められる自信がなかったんだよね)。
それにしても、毎回余裕で原稿を提出しているようでいて、かなり自分を追い詰めてきた。11月の提出前にはシンガポールへ行き、12月の提出前はバーゲンに行き、最終稿の提出前はイタリア旅行。そういえば、最初の卒論面談前はテスト終了と共にひどい風邪をひき、論文候補を探したのは当日だった……。昔から、「自分を追い詰めるのが好きだよね」と言われることがあったけれど、我ながらそうかもしれないと思った。でもまぁ、どうにかなったわけだし。もっとヤバそうな人はいっぱいいたし。
反省、というか心残りといえば、リードに手紙を出してみなかったこと。勇介に英文手紙の書き方を教わったにも関わらず、何をどう質問したものかと悩むうちに時が過ぎてしまった。本人からのコメントをもらったら、自分の論文が覆される、もしくは大幅な変更を迫られるかもしれないと恐れている節もあった(笑)。
何はともあれ、お疲れ様、自分。精一杯やったと思う。悔いはない(ハズ)。でも、何十年後とかに見たら赤面するだろうな、きっと。
願わくば、リードが再び脚光を浴びて、私の目の付け所は素晴らしかった!とか思う日の来ることを……。