彭修文 Peng Xiuwen (1931.02.07-1996.12.28)
[zh]
[en]
for Chinese Traditional Instruments Orchestra
東芝EMIが企画。
unavailable (not published)
[ToDo]
[P5]は省略(レコードのインデックスには存在するように書かれているが、少なくとも収録されていない)。
music | title | description |
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[P1] | 引子:漫步 | |
[Gnomus] | 1) 侏儒 | |
[P2] | [漫步] | |
[castello] | 2) 古堡 | |
[P3] | [漫步] | |
[Tuilleries] | 3) 杜伊勒里宮的花园 ("孩子们游戏后的争吵") | |
[Bydlo] | 4) 牛车 | |
[P4] | [漫步] | |
[Balet] | 5) 雏鸟的舞蹈 | 最後は1回鳴く. |
[Samuel] | 6) 两个犹太人, 一个穷一个富 | 最後は C-Des-C-B. |
[P5] | - | |
[Limoges] | 7) 里莫日的集市 ("惊人新闻") | |
[Catacombae] | 8) 墓穴 | |
[mortuis] | ||
[Baba] | 9) 鸡脚上的小屋 ("妖婆") | |
[Kiev] | 10) 宏伟的大门 ("在首都基辅城内") |
date | player | title | venue | description |
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1984? | 彭修文 : 中国广播民族乐团(中国放送民族楽団) | (Recording) | @ | LP: ToshibaEMI: TA-80008 LP: EMI: EMGS-6135 |
編曲者のことば(彭修文)
中国の民族楽団が「展覧会の絵」を演奏することは可能だろうか。 私は、誰でもこういうった疑問を抱くものと思う。 私自身は、元来、むずかしいと思っていた。 というのも、このオーケストラと民族楽団は、風格はもとより、技術的にも遠く隔っているからである。
日本の東芝EMI(株)から、何度も、私に「展覧会の絵」を編曲してくれという依頼があったが、私はその度に辞退してきた。 しかし、ついに、プロデューサーが自ら北京を訪れ、私を説得したので、私も感動し、試しにやってみようとは答えたものの、その実、心中あまり自信がなかった。
この「展覧会の絵」という作品は、私も好きなものである。 とりわけ、ラヴェルの編曲によるオーケストラの楽譜は素晴らしいものだが、あまり深く研究はしていなかった。 この度、編曲した上に、この作品を演奏した事により、この曲への理解もふかまり、又、この事は、私の将来の編曲活動にも、大いに益があったと言える。
かつて、ある人が、「展覧会の絵」は、諷刺性を持ち、その上、少しばかり滑稽で、ムソルグスキーが、一時のたわむれから作った作品のようだと、言った事があった。 しかし、何度も楽譜を読み、録音を聞くうちに、私は、こう言った意見に疑問を抱くようになった。 果して、本当にそうだろうか。 この作品は、ムソルグスキーが豊富な内容と、強い感情をもりこんだものと、私は考える。 例えば、«侏儒»「小びと」は、かつてある人が諷刺的で滑稽だと言ったものだが、私はそうは思わない。 この音楽には、苦しみやもがきや憤りがあり、作者は、絵の中の侏儒に同情しているものと思う。
又、「金持ちのユダヤ人と貧しいユダヤ人」に対する過去の解釈は、「貧乏人」の音楽は、こびへつらったものである、ということであったが、私は、そうは思わず、懇願し、苦しみを訴えるものと感じる。 これは、二つの例を挙げたにすぎないが、このような一種の新しい解釈は、編曲をする際、更に興味を加えてくれた。
さて、どのように着手したものか。 完全にラヴェルの楽器編成のやり方に従おうか。 これは不可能である。 中国民族楽団の特性や条件は、オーケストラと、結局は同じでないからである。 私は原譜に基づき、ラヴェルの楽器編成を参照するしかない。 例えば「プロムナード」のテーマは、オーケストラではトランペット独奏から入り、管楽器群にひきつがれるが、もし、民族楽器の管楽器を使えば耳ざわりなものになってしまう。 しかし、私の理解では、この部分は、親しみがあり柔和でなければならない。 そこで私は、楊琴独奏から入り、撥弦楽器と低音の弦楽器にひきつぐことにした。
又、「古い城」は、大阮の演奏で、管楽器を用いず、テーマは、巴烏 という大変特色があり、歌声に近い、管楽器と箏の斉奏とし、吟遊詩人がひきながら歌っている様子を表現した。 それから、「金持ちのユダヤ人と貧しいユダヤ人」のうち "貧しいユダヤ人" の音楽は、高音の笙を用い、ゆっくり演奏して、懇願し苦しみを訴える感情を具えさせた。
以上のいくつかの例から言っても、私は自分の期待どおりの効果を得られたと思う。
この作品は、民族楽団で演奏するには、技巧上大変困難である。 一つだけ例を挙げてみると、中国の横笛は六穴で、D(あるいはG)調が自然な音階で、調性がこのように複雑で、変化音が多い音楽を演奏するには、完全に、演奏者の口と指による操作に頼らねばならないのだから、その難しさは推して知るべしで、程度を変えることしかできない。 ここで、私は、楽団の演奏家の皆さんに、心から感謝するものである。
「展覧会の絵」を演奏したけれど、その編曲はどうか、演奏はどうかという事は、中国内外の専門家の皆さんのご批判、ご指導を仰ぐものである。
私個人の感想を述べさせてもらえば、今回の演奏は、中国放送民族楽団の豊富な表現力と広範な可能性を、再度証明したと思う。
(1984年1月29日)