Biography

 TrentとNINの歴史を年表にしてみました。間違いとか見つけたら指摘していただけると嬉しいです。

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年号 出来事
1965年〜 6月17日午前7時30分、ペンシルヴァニア州マーサーでMichael Trent Reznor生まれる。
1970年〜 Trentの妹、Tera生まれる。

Trentの両親Mike ReznorとNancy Clarkが離婚、Trentは主に祖父母の家で暮らす。

祖父のBill Clark、Trentにピアノを習わせる。

  マーサー高校入学。高校の演劇『Jesus Christ Superstar』でユダの役を演じたTrentはクラスメイトからベスト・オブ・ドラマに投票される。また、この頃Chris Vrennaと知り合う。

1983年 マーサー高校卒業、アレゲニー・カレッジで音楽とコンピュータ・エンジニアリングを専攻。

ローカルバンドOption Thirtyに所属。Trentはすでにエレクトロニック・ミュージックへの相性の良さを見せていた。ちなみにこの頃は短髪を赤く染めてたらしい。

この年の暮れにアレゲニー・カレッジを中退、ミュージシャンとしての道を選ぶ。

1984年 Trent、クリーヴランドに移る。
1987年 Michael J. Fox主演映画『Light of Day』に出演、Problemsという架空バンドのメンバーを演じBuddy Hollyの「True Love Ways」という曲を演奏する。
1988年 自らのプロジェクトをNine Inch Nailsと命名。

Wax Trax !等のレーベルがNINに興味を示す中、TVT Recordsと契約。

1989年 9月15日発売のシングル『down in it』でNINデビュー。Billboardのクラブ・チャートのトップ20、Rolling Stoneのダンス・チャート1位を獲得。

"俺が作ったオリジナル・ヴァージョンはレコードに入っている曲の半分ぐらいのスピードだった。で、そいつは全体的にSkinny Puppyの「Dig it」のパクリだったんだ、今だから認めるけど(笑)。でも歌詞の面では、俺は丁度連想ゲームのような方法を試した。思ったことを何でも書き出したんだ。"

10月20日、ファースト・アルバム『Pretty hate machine』を発表。Billboardのアルバム・チャート105位、しかしこの後売れ続けてミリオン・セラーを達成。

1990年 3月22日、シングル『head like a hole』を発表。

1月〜3月、Jesus and Mary Chain等に同行してアメリカ・ツアーを行なう。

10月10日、シングル『sin』を発表。

1991年 夏のライヴ・イベント、ロラパルーザに参加。

秋、Guns N' Rosesのヨーロッパ公演のサポート・アクトを務める。

"観客は俺達を嫌ってたね。 (中略) 1曲目はOKだった。2曲目で観客は俺達がこの次に控えているSkid Rowじゃないことに気付いた。そして3曲目で彼らは自分達が今までシンセの音を聴かされていたことに気付いて攻撃を始めたんだ。"

1992年 7月、クリーヴランドを離れロサンゼルスへ。チャールズ・マンソンによるシャロン・テート殺害事件の現場となった家を(そうとは知らず)借りてレコーディング・スタジオにする。

9月22日、ミニ・アルバム『broken』を発表、Billboard初登場7位を獲得。

12月7日、『broken』のリミックス盤『fixed』を発表。

1993年 3月、『broken』からのトラック「wish」がグラミー賞のベスト・メタル・パフォーマンスを受賞。

"何が良かったって、これが今までグラミー賞を獲得した曲の中で初めて”フィスト・ファック”って歌った曲になったことだよ。"

ギタリストのRichard PatrickがNINを脱退。

1994年 2月25日、シングル『march of the pigs』を発表。

3月8日、セカンド・アルバム『the downward spiral』を発表。Billboard初登場2位。

TDSのレコーディングに参加したAdrian Belewについて...
"俺達はテープを巻いて、彼にプレーするように頼んだ。彼が「リズム・パートが欲しいのかい?」って訊いたんで、俺は「あんたがやりたいと思うことなら何でも。」って答えた。「じゃあ、キーは何で入るんだい?」「ん〜、知らない。多分E。どうなるかやってみましょう、そんなの気にせず。」 (中略) 彼がプレーし始めた途端、俺達の口は開いたままになった。ただ、とにかく上手くて味のある彼のプレーを見ていたんだ。俺達がテープを止めたもんだから、彼は俺達が怒ってるのかと思った。それで俺は言ったんだ。「そうじゃなくて、あんたのプレーを見てるだけで充分ギャラを払う価値があるってことだよ。」"

5月30日、『TDS』からのシングル『closer to god』を発表。

8月、ウッドストック94に参加。泥まみれのパフォーマンスは印象的。

"それは本当にナーバスな日だった。ステージに向かう途中で俺がDannyを押したら、奴は顔から泥に突っ込んだんだ。で、奴が俺にタックルしてきて、それは男だけの泥レスリングみたいなのに変わった。それをやった後、不安はすっかり消えたんだ。"

Trent、映画『Natural Born Killers』のサントラのプロデュースを手掛ける。「burn」等を提供。

Trentの愛犬、ゴールデン・レトリバーのMaiseが3階から落下して死亡。

1995年 3月に来日公演の話が浮上するが実現せず。

6月1日、『TDS』のリミックス盤『further down the spiral』を発表。

ニューオリンズにNothing Studioを開設。

David Bowieと共にツアー。

1996年 Marilyn Mansonのセカンド・アルバム『Antichrist Superster』にエグゼクティブ・プロデューサーとして参加。しかしこれ以降、Mansonとの友情に亀裂が生じる。

サイド・プロジェクトとしてTapewormがスタート。

ゲーム『Quake』のサウンド・エフェクトを担当。

1997年 Trent、映画『Lost Highway』のサントラのプロデュースを担当、2月に発表される。「the perfect drug」等を提供。

5月13日、シングル『"the perfect drug" versions』を発表。

Trentの祖母Claraが亡くなる。

David Bowieのシングル『I'm afraid of Americans』でリミックスを担当。

11月25日、ビデオ作品『closure』を発表。

David Bowieの『I'm afraid of Americans』のPVにTrentがストーカーJonny役で出演。お太りになられている(笑)。

1998年 9月、MTVアウォード授賞式の合間に新作の予告を行なう。
1999年 7月20日、シングル『the day the world went away』発表。

8月27日、「we're in this together」ラジオ・デビュー。

9月9日、VMAにNINが出演、「the fragile」を演奏する。

9月21日、サード・アルバム『the fragile』を発表、Billboard初登場1位。日本ではオリコン・チャート初登場15位。

『the fragile』のツアーへ。

12月7日、『the fragile』からのシングル『we're in this together』発表。

2000年 念願の来日公演が実現。1月10日、11日、12日にNKホールで、14日に横浜パシフィコで、15日に大阪城ホールで行なわれる。

"「somewhat damaged」でショーを始める時に、俺達が今まで行ったことのなかった国で観客の皆がニューアルバムからの新曲に合わせて飛び跳ねながら全ての歌詞を叫んでいたのは大きな驚きだった。それは俺にとって本当に短時間だったけど上手くいってるように感じられた。それは実にいい気分だったし、それに刺激されて俺達は自分でもすばらしい出来だったと思っているショーやツアーのパフォーマンスを続けることができたんだ。"

『fragility tour v2』として全米ツアーがスタート。

NINのオフィシャル・サイトへのMansonの書き込みから、TrentとMansonが仲直りしたことが明らかになる。

「starsuckers, inc.」のPVが発表される。Manson氏が友情出演。

ニューヨークでのNINのライヴにMansonが飛び入り参加、「starfuckers, inc.」の後半部分と「the beautiful people」を歌う。

11月21日、『the fragile』のリミックスEP『things falling apart』を発表。

 

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