私の履歴

名前 茂森 勇
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何か、お役に立てればと、身体面、学業・仕事、自立過程、レジャーなど、細かく書きました。細かすぎたかもしれませんが、何か、ご質問があれば、メールください。

1968年3月 0歳 東京都八王子市に生まれる。
  • 難産で重症仮死状態
1969年3月 1歳 脳性麻痺と診断される。
  • ハイハイも寝返りもしなかったらしい。
  • 東京都板橋区の整肢療護園に3ヶ月母子入園、訓練開始、寝返りから訓練したらしい。
1971年4月 3歳 東京都東村山の通園施設『あゆみの家』に入園
  • 「あゆみの家」には、母と通園、主に訓練と遊戯
  • 3年間で2回ほど整肢療護園にも母子入園した。
  • お座り、ひざ立ち、足で立つ訓練。 5歳で装具をつけて、やっと歩けるようになる。足をペダルに縛り付けてもらい、3輪車を乗り回していた。
  • 弟、妹が生まれる。
1974年4月 6歳 八王子市立第八小学校に入学
  • 当初は、養護学校への就学を希望していたが、 本人の強い希望で家から200mの普通校に入学。初めは、試験的意味合いがあったらしい。初めは母が教室で付き添う事が条件だった。
  • 1年生、素足で歩く。3年生、坂道・階段の上り下り、4年生、晴れていれば、1人で通学、5年生、プールでけ伸び
  • 2年生から4年生までクラス換えが無く、周りもなれていたので、別に障害も感じなかったが、5・6年生で感じるようになる。喧嘩できない分、よく泣いた。
  • 修学旅行:5年生、長野・八島湿原、6年生 奥日光、母や先生が負ぶってくれた。
  • 趣味:放課後、クラスメートと遊ぶ事、プラモデル作り、5年生で 電子ブロックを手に入れ、ラジオなどを組み立てる。
1980年4月 12歳 八王子市立第一中学校に入学
  • 中学も入学に際しては、色々とあったようだが、入ったら、慣れてくれた。 家から200mの距離。母が教室で介助。
  • 定期試験はきつかったが、何とかこなす。アテトーゼ型といって手のコントロールが利かず、書くのに時間が掛かるので、試験時間を15分時間延長してくれた。
  • 担任の先生が、ワンダーフォーゲル(山岳)部を新設、本人の強い希望で入れてもらう。 3年間、部活に明け暮れた。
  • トレーニング:毎日、部活で、500m−2kmランニング、腹筋・背筋、手すりにつかまり、4階まで階段の上り下り。
  • 主な山行:南アルプス・北岳、奥秩父・ショウゲン峠ー雲取山、奥秩父・金降山、乾徳山、奥多摩 (先生、友人、母に担いで、登ってもらった。 身長:130cm 体重:25キロ程度だった。) この部活で、基本的(サバイバル)生活技術、その理論を学んだと思う。
1983年4月 15歳 東京都立館高等学校に入学
  • 高校入試では、両親や先生方がいろいろな高校に入試のお願いに当たってくれたが、大概は駄目で、養護学校の高等部の入試も受けた。結局、設備が整っている都立館校に入学させてもらった。
  • 家から少し離れていたので、母の車の運転で通学、母に、美術、体育、理科の実験を介助してもらい、他の時間は、図書館で待機、授業のノートを写したりしていた。時々、他の生徒の相談にも乗っていたようだ。
  • 部活:顧問の先生に誘われ、トレッキング部に入部 主な山行:北八ヶ岳、大菩薩、八ヶ岳・赤岳(美濃戸口から、行者小屋の手前まで、自分の足で登る。) 個人的に母のサポートで八王子の高尾山、2年間で、6コース、自分の足で完歩。1コース、4km強、4・5時間かかった。
  • 校内マラソン大会:アップ・ダウンの激しい2kmコース、50分で完走 (身長が伸び、身体が大きくなった分、運動能力は、少し落ちたようだ。)
  • 精神的な面で、ニュー・ミュージック:アリス、長淵、ユーミンなどの歌が、支えとなる。
  • 実力主義の先生の厳しい指導のもと、2年生くらいから、数学(基礎解析)と物理に強い興味を覚える。 初心者用パソコンでBASICプログラミング。 3年では、理系コースに進むが、受験の段階で難航。 理工系の学部がある大学、10数校に受験を申し込むが、大学側は、たとえ入学しても実験があるからと…
1986年4月 18歳 拓殖大学商学部経営学科に入学
  • 希望とおりではなかったが、拓大、経営学科情報コースに入学、簿記会計、情報システムを中心に学ぶ。
  • パソコン購入、手書きではなく、ワープロ・ソフトで、レポートや手紙を書き始める。
  • 1年生の冬、初めて、身障者スキーに触れる。講習会を兼ねた全国大会に参加。同時に、障害を持った人の仲間ができる。
  • スキーで出会った障害を持った先輩方のリードで、2年生の5月、身障テニスの合宿に参加、母の付き添いなしの初の旅行。8月、重度脳性まひを持った先輩と2人だけで、長野・大町まで行き、立山アルペンルートの夏スキーの講習会に参加。 一人歩きに自信を得、秋から時々、一人で電車・バスを使い、大学(八王子校舎)に通学。(中学・高校での山の経験が、街の中で活きてくる。)
  • 脳性まひの先輩に刺激され、言語障害で聞き取りにくい話し方のフォーム改造。 ゆっくり喋る。初めて、友人と電話で、話ができる。
  • 大学では、2年生から自然科学系のプレ・ゼミを取り、先生の指導のもと、1/F-ゆらぎ仮説を基にしたメロディ・ジネレーターなど、Basic言語でのプログラム開発に没頭。夏のゼミ合宿へも母の付き添いなしで参加。
  • 拓大は、海外の多く大学と提携しており、海外留学がにわかに身近になる。 大学の友人が休学して、アメリカに留学した事に刺激される。
1988年4月 20歳 拓殖大学の専門課程。自立生活を始まる。
  • 専門課程が文京区茗荷谷のため、キャンパスの側にアパートを借りて自立生活を始まる。大学の門のすぐ前のアパート。
  • 始めは、大学の友人、10人くらいを頼み、ローテーションを組んで、毎日、アパートに誰か、来てもらう。 自分自身でも、料理・洗濯・買い物にトライ。 ローテーションが緩んでいくのと平行していて、不都合は生じなかった。 その後、必要に応じて、週3回くらい、友人たちに、寄ってもらった。 留学生の友人とは、同じクラスの取っていたので、共生関係 (私、日本語、彼、コック。)
  • 3年生で、卒業単位をクリア、留学に標準を合わせ、4年は、英語中心。 4年の8月に米国・カリフォルニアに家族で、視察を兼ね旅行。 英会話ができる脳性まひの先輩に紹介してもらって、英会話の個人レッスンを受ける。
  • スポーツ:夏はテニス、冬はスキー。 講習会を目当てに各地の身障者スキー大会を渡り歩く? 年9日くらいはスキー場にいた。 ちなみに、最高記録:初級申告タイムレース 5秒差、27人中5位
1990年5月 22歳 渡米、カリフォルニア大学バークレイ校付属の英語学校に入る。
  • 始めの4ヶ月は、母が介助してくれたが、母が帰った9月より一人暮らし。大学の障害者サポート・プログラムを通じ、アテンダントを紹介してもらって、週2回、掃除・洗濯をやってもらう。 夕食は、大学のカフェテリアで取った。
  • 電動車椅子を大学から借りる。 重いものも1人で運べ、以来、私の足となる。
  • 英語学校は、宿題の量が多く、ちゃんとやったから、いつも、半徹。 6ヵ月後、TOFLE 52O点 ゲット。9ヵ月後、最上級クラスまで行った。
  • コンピュータ・サイエンスを勉強したかったので、大学への編入か、大学院への進学を希望していたが、文系の学位保持者は不利、コミュニティ・カレッジに方向転換。
  • コミュニティ・カレッジ出願の際、身障者ということで、多少、問題も起きた。 裁判のような大きな問題にはならなかったが。
  • 1度、スキーへ行く。 Lake Tahoe Adaptive Ski School
1991年8月 23歳 ディアブロ・バレー・カレッジ入学、コンピューター・サイエンス専攻
  • やっと、好きな勉強ができる。 プログラミング、数学、英語のクラスを取った。 でも、高校に逆戻した気分になる。1年後、やや難しくなり、クラスは、日本の予備校のようになる。 先生は最高だった。
  • 中古の電動車椅子を購入。
  • カレッジの目の前、バークレイから車で30分の街に引越す。 内陸の砂漠に近い感じ、夏は、焦げるように暑い。
  • その町の自立センターからアテンダントを頼むが、続けてきてくれなくなった事があり、カレッジの顔見知りの学生にアテンダントとして 買い物、料理、洗濯、掃除を頼んだ。 できるだけ、勉強に集中できる環境を作った。
  •  カレッジの日本人と親しくなり、キャンプ等に出かける。 4000M級のMt. Shastaは素晴らしかった。母、渡米の際、スキーにも2回行く。
  • 資金源はすべて、両親だった。少し、心が乾く。
1993年8月 25歳 カリフォルニア大学バークレイ校に編入、コンピューター・サイエンス専攻
  • コミュニティ・カレッジの成績で、バークレイに編入できた。
  • 取った科目は、前期がプログラミング基礎と線形代数、後期が、CS 理論とコンパイラー
  • スポーツ: バークレイのパワー(電動車椅子)サッカーチームに入会、8月、カナダ遠征、優勝、翌年1月、L.A.遠征
    7月 水上スキーにトライ。12月、ミネソタのカナダとの国境沿いに、犬ゾリ&冬季キャンプへ参加、ミネアポリスまで、初めての1人旅。2月、スキー。3月、日本から来た友人とヨセミテ・日帰り。
1994年5月 26歳 夏休みに、インターンシップを経験
  • 父の仕事の関係から、サン・マクロシステムズ社でインターンシップを経験。Unixスクリプトを書く。
  • 翌年、大学の授業と平行して、パートタイムで採用される。初めての収入。日本語のテスト環境・構築の手伝い。
  • 大学では、デジタル回路設計 (デジタル・シンセサイザー製作) OS概論(nachos) ソフトウェア工学、数理論 などを取る。
  • スポーツ:セーリング、シー・カヤック、ラフティングにトライ。
1996年5月 28歳 カリフォルニア大学卒業
  • マネージャーの強い支援で、プラクティカル・トレーニングを経、翌年、サンの契約社員として就労ビザを取得
  • 日本向けのセールス支援クループで、インターネット・サイト構築などを支援。
  • ニューヨークへ、出張、インターネット・コンファレンスを見学
  • 翌年バークレイからパロアルトに引越す。
  • Java言語検定合格。
  • スポーツ: バークレイに住んでいた頃、脳性まひを中心とした重度障害者で、パワーサーカー・チームを設立し、 助監督となるが、チーム経営が思わしくなく、引越しを機に休部。
1998年4月 30歳 サン・マクロシステムズ社、正社員に
  • Java ミドルウェアのシステム開発を従事
2000年10月 32歳 SOLARISエンジニアリング部門に移転
  • ソフトウェアの保守、顧客への技術サポート。
2003年 35歳
  • 2月、スカイダイビング
  • 3月、このホームページ、立ち上げ
  • 8月、グリーン・カード申請却下
  • 11月、妹とカナダへ旅行
2004年 36歳
  • 1月、イギリスへ異動のため、父と視察旅行
  • 3月、イギリスへ引越す。
現在に至る


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