〜〜 イギリス偵察紀行 January, 2004 〜〜
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1.25.2004 朝、7:00、サン・フランシスコからの直行便は、ロンドン・ヒースロー空港に着いた。 9時間ちょっとのフライト、寝れたので、あまり疲れは無い。観光目的ということにして、無事、入国手続きを終え、荷物を受け取る。ここで、最初のReality Check。トイレで、用を足した。大きい障害者用トイレは、しっかり、男子と女子の間にあった。 つまっていたようだ。 でも、初めてのヨーロッパ。うきうき気分で、Arrival gateを出た。ビデオを回しながら、長年、細々と僕を撮り続けている小笠原さんが、待っていた。彼女は、遊びが半分で、ヨーロッパに来ている。 「上機嫌じゃない!」 と私に声をかける。そして、新しいボスのJimmoに出迎えられる。そして、父と私の4人で、駐車場へ、向かった。その途中、イギリスの人と目を合わせたが、Smileは無かった。あのSmileは、アメリカのものだ。そんなものだろうと思う。 駐車場につく。車道の幅が、妙に狭い。成田より、狭いと思う。車もおもちゃのような小型車が多い。アメリカの小型の電気自動車みたいな奴ばかり。Jimmoの大きな?バンでホテルに向かう。高速道路、2車線。日本と変わらない。ただ、ただである。 天気は、薄曇、時々晴れ。高速を取り巻く畑に霜が下りていて、朝日に白く光っている。程なく車は、高速を降り、一般道へ出た。一般道は狭く、片側一車線ずつである。小さい町を抜ける。個人商店ばかりである。建物は古い煉瓦造り、道は曲がりくねっている。歩道は、ちゃんと車椅子でも降りれるようにランプ(スロープ)が切ってあった。チェック! しかし、イギリスの道は、よく回される。交差点の真中に、円があり、その周りをまわっていくのだ。 車は、雑木林の一本道を進んだ。東京の多摩西部の丘陵地帯の旧道を走っているみたいだ。果てしない林の中、20分くらい走り、一本乗り換えて、ホテルに9時に着いた。 Early Check-inを依頼していたが、部屋に入るのは、ちょっと待ってくれという事だ。ロビーで待つ。なかなか、空かない。Jimmoに悪いので、明日9時に迎えに来てもらうことにして、帰ってもらう。ロビーで待っていたら、コーヒーをサービスしてくれた。ここはヨーロッパ、日曜の朝っぱらから、ホテルに入ろうなんていう方が間違っているのだ。結局、12時まで待った。やっと空いた部屋、狭い。ベットも、Doubleでも、小さい。2人はとても寝れない。部屋を替えてもらったら、続きドアがある2部屋だった。また1時間かかった。のんびりとした日曜だ。悪くない。 パブへ行こうと、3人で出かける。ホテルのロビーに電動車椅子の老婦人がいた。車椅子に趣味ろうか、ビデオ・カメラが着いている。格好いい。 ホテルは、町から離れた林の中にあり、タクシーを呼んでもらう。行き先もあやふやな我々は、5・6キロ走っただけで、アジア人の運転手から、10ポンド、$20、ぼられた。と、あとで気付いた。パフは、酒場と、喫茶店と、日本のファミレスを合わせたようなところだった。ビールで、乾杯。水みたいだが、後で効いてくる。特大画面のテレビで、サッカー、向こうでビリヤード。タバコの煙がすごい。フィッシュ&チップス、オニオン・リングを食べる。まずくない、食べられる。 小笠原さんが、「こんな、イギリスの田舎で、勇君とビールを飲むとは、想像もしていなかった。」と笑った。同感です。トイレに行く。ちなみに、イギリスでも、トイレはToiletである。親切な人が、障害者用トイレに案内してくれた。こんな田舎のパブにも、障害者用トイレがあるんだな。2台、タクシーを呼び、小笠原さんは、駅からロンドンへ、我々は、ホテルへ戻った。観光も兼ねているとはいえ、こんなところまで、来るなんてすごいな。ありがたい。彼女は、翌日、日本へ帰ったようだ。 ホテルに着き、部屋には戻らず、その足で、近くのスーパーへ行く。道はでこぼこがあったが、段差は、無かった。ここら辺は、新興住宅街だろうか、スーパーは、アメリカと同じ規模。駐車場もどでかい。背後に、アパートだろうか、住宅群があった。いかにも造成地という感じ。スター・バックスやガソリン・スタンドまである。交通の便は、期待できないが、こういうところに住めれば、いいなと思った。空はどんより曇り、今にも降り出しそうだ。寒い。降雪があったのだろうか、雪が駐車場の隅に積まれてあった。 スーパー(Super Store)の中は、カルフォルニアのそれと変わりなかった。電子レンジで温めるだけのおかずもたくさんある。父が1つずつ手にとって見せてくれた。父は、私の生活を理解してくれているのである。牛乳の容器は持ちやすいかとか、いろいろ見て回ってくれた。パン、コーヒー、サンドウィッチ、揚げ物、生野菜。インド・カレーのコーナーが大きい。後で聞いたが、カレーは、もはや、イギリスの国民食である。イギリス人がそういう。昔、イギリスは、インドを植民地とした。歴史あるインドのカレーは、イギリスに広まったのである。そう考えると面白い。日本のカレー・ライスも、明治維新の頃のイギリス経由かな? 今度、調べてみたい。 この地域の地図は、スーパーには無かったが、ガソリン・スタンドにあった。ホテルに帰り、一息ついて、ホテルのレストランで、夕食を取る。ウエイターが案内してくれたが、"What's your name?" ファッツ ユーアー ナイン?と聞かれ、ナインがネームだと、ぜんぜん分からなかった。生のイギリス英語、初体験である。Hiltonのレストランなのに、タイ・カレーがあったので、いたずらに頼んでみた。辛くなかった。ライスは当然、細長いタイ米であった。父は、食後にブランディーの入ったアイリッシュ・コーヒーを飲んだ。食事に値段は、かなり高く、£60、約1万2千円くらいだったとおもう。そして、1日が終わった。 |
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1.26.2004 朝、7時半。ホテルのレストランで、朝食。パン、コーヒー、卵料理、ジュース。£20、約4千円くらい。高い。 9時、Jimmoが迎えに来てくれた。ホテルを出て、7分程度。ただただ林の中の幹線道路。会社へ行く。社屋は、2階建て、レンガつくり。Bagshotという村の外れにある。目の前に、スロープ付の福祉住宅があった。私にピッタリではないか(?)。ただし、人気が高く、入居まで1・2年は待たないといけないらしい。日本でもよくある話だろう。悲しいかな、新参者には手が届かない。 「ここが使えれば、最高なんだけど…。」と、Jimmo。笑って受け流す、私。 社屋の玄関は、両開きで、二重の扉になっていた。あとから考えると、イギリスの典型的玄関だ。二重なら寒気が入ってこない。また、両開きなら、扉を開けるのに、必要な面積は、1/2である。入り口の幅を2rとすれば、片開きのドアに必要な円の面積は、4πr^2、両開きなら、2(πr^2)で済む。電動車椅子ユーザーとしては、厄介なのだが。両手であけると、レバーが動かせない。片方の扉を開けても、狭くて通れない。今は父がいるが、一人の時は…、足を出すか(笑)。中と扉もみんな両開きであった。 エレベーター(リフトという)で2階に上がり、わが部隊のいるオフィスへ。見たことのある、または声を聞いたことのある顔ぶれ、笑顔で出迎えられた。オフィスは、オープンスペースを大まかに区切ってある。アメリカの個室と違い、他の人の顔が見える。私の使う(コンピューター)マシンもセットアップされていた。さっそく、マシンの試運転。すぐ、Unixのアカウント作成のリクエストもシステム管理部隊に出してくれた。 10時、私のアパート見つけに不動産屋さんが、来てくれる。品のある中年女性。Jimmoも参加して、マシンのエディター(ワープロ機能)を使い、会話する。2人とも、私が打つ画面の文字を、真剣に読んで、話を聞いてくれた。イギリスらしい。「1階で、可能なら車椅子のアクセスがあるところ、お風呂に手すりがあれば、暮らせます。」と頼む。この周辺では、家賃は、£600〜800、12万〜16万円。ちょっと高い。「来週中には、物件を見つけられる」というが、何とか、今週中にと、わがままを言う。昨日、ホテルで3時間待たされた経験から、「イギリスの習慣は、分かりませんが…。」といったら、笑ってくれた。金曜日にアポイントを取った。 お昼は、部署の人とパブへ行く。どんな所か、楽しみだったが、車に乗り、朝来た大きな通りを渡り、細い畑の中の道を進む。舗装させれている農道といった感じ。どこまでも畑の中、5分で着く。パブの名前は、Half Moon、しゃれた煉瓦造りに黒い屋根の農家。家畜も飼っているみたい。入り口に段があり、中は、小奇麗であった。昼間から、ビール。私は、ベイクド・ポテトにチリソースのかかっているものを食べた。辛いが、美味しい。Jimmoは、なじみ客で、日本だったら、北海道の田舎のペンションみたいな所である。 ーつづくー |
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