数理政治学

-- 2.B.A Modeler --


Game

 ゲーム理論は戦略的状況下の意思決定を研究する学問分野です.「戦略的状況」とは,自分の利得が自分のとる行動だけでなく他の主体の行動によって左右されるような状況を指します.このような状況では自分にとって最適の手を決めるのに相手がどう来るかをも考慮しなければならないため互いに相手の手の読み合いが始まって泥沼に陥りがちでしょう.これを解きほぐそうというのがゲーム理論の目的になります.
 例えば「雨が降りそうだから傘を持っていこうか」という意思決定問題を考えてみましょう.雨が気象の一つだと考えている人とカミナリ様が降らせているんだと信じてる人とでは問題に本質的な違いが生じます.さて何でしょう?どちらがより難しいか考えてみるとよくわかります.前者は相手が「自然」という当方にとり中立的な主体,後者は「人間」(というか鬼)という非中立的な主体です.「自然」はこちらがどんな手で来るかを気にしません.こちらが傘を持っていようがいるまいが関係なく雨が降るときは降るし晴れるときは晴れます.対して「人間」はこちらの手に応じて色々なことをやってきます.損と見れば足も引っ張るし,得になれば手助けもしてくれるでしょう.だからこちらも相手の反応を織り込んで最適な決定を下さねばなりません.駆け引きですね.これがゲーム理論固有の困難さを生んでいるのです.ついでに「連合艦隊を伏せておくには日本海がいいか太平洋がいいか」という意思決定問題も考えてみて下さい.

Nash Equilibrium

 ゲーム理論では相手の手の読み合いという泥沼の落ちつき先に関して一応のコンセンサスがありまして,ナッシュ均衡(Nash Equilibrium)に落ちつくであろう,とされています.これは「全員が互いに最適な手をとっている状態」と定義されます.相手のあらゆる手に対して自分の利得を最大化する手を対応させていき,最後に全員が利得を最大化してるような手の組み合わせを見つけることができれば,それがナッシュ均衡になってるというわけです.(ナッシュ均衡は利得自体ではなくあくまで手の組み合わせのことを指すことに注意しましょう.)ほぼあるゆるゲームに必ず一つは存在するという強力な定理があります.Nashさんという応用数学者が20代の若さで考案した概念ですが,彼はこのおかげでノーベル経済学賞を得ています.彼は多才な人で,様々な学問分野で一流の仕事をしたとか.そこで「ナッシュは彼の業績のうちでもっともつまらないものでノーベル賞を得た」といわれているとかいないとか.筆者は生のナッシュを見たことがあります.講演でしたが,ナッシュ交渉解の拡張をやっていました.哀しげな眼差しが印象的でした.

Subgame perfect Nash Equilibrium

 ナッシュ均衡には,しかしながら,欠点もありまして,その最大のものが「一つどころか多数存在することが多くてどれが実現するのか絞れない」というものでした.特に時間を通じた意思決定では明らかにウソっぽいものまでナッシュ均衡に紛れ込んでしまい,そうしたウソっぽい均衡は排除できるように工夫した「サブゲーム完全均衡(subgame perfect Nash Equilibrium)」なるものが考案されました.「全時点で全員が互いに最適な手をとっている状態」というものです.あるゲームを情報の面で自己完結したより小さいゲーム(サブゲーム)の集合体とみなし,それら各サブゲームでも最適性を失わないものだけを拾っていきましょう,ということです.Seltenさんというドイツの先生がつくりました.ゼルテンはナッシュと同時にノーベル賞を得ています.なお,展開形ゲームにおける戦略の概念は戦略形のそれと違って単純ではありません.ちゃんと全情報集合でとるべき行動が指定されているか注意しましょう.

Bayesian Nash Equilibrium

 ナッシュ均衡にはさらに「情報」を扱えるように変身していきます.それまで相手の「手」が読めないという状況(不完全情報ゲーム)は扱ったことはあっても,相手の「心」が読めないという状況は扱えていませんでした.ウソをつくことで自分にとって都合のいい行動を相手がとるよう誘導する,というのは子どもでもやることですが,ゲーム理論はここへ来てやっとそうした状況を定式化できるようになりました.もっとも全員が相手のタイプ(私的情報)がどういう確率分布からでてきているかよく知ってるという強い仮定をおいた上での話なので割り引いて評価しないといけないでしょうが.このようなゲームは不完備情報ゲーム,その均衡はベイジアン・ナッシュ均衡(Bayesian Nash Equilibrium)と呼ばれています.これらはHarsanyiさんによって定式化されました.この方はハンガリー生まれですが,オーストラリアまで行ったり苦労されたようです.ハーサニーもナッシュと同時にノーベル賞を得ています.

Perfect Bayesian Equilibrium

 ここまでくると上にあるような「時間」も「情報」も同時に扱えるような均衡概念が欲しくなります.そこでできたのが「完全ベイズ均衡(perfect Bayesian Equilibrium)」なるものです.不完備情報ゲームを不完全情報ゲームに見立てた上で,サブゲーム単位ではなく情報集合単位で期待利得の最適化を行うものです.サブゲームと異なって情報集合にはふつう複数の節点が含まれ,それぞれの節点から枝が生えているような感じになってます.そうした情報集合から始まるゲームの利得の期待値を求めるには各節点がどれくらいの確率で実現するか(belief=「見当」と訳させて下さい)を計算しなければなりません.その計算にはベイズ・ルールが用いられます.と言っても「普通はこうするよなー」という計算方法がたまたまベイズ・ルールに適ってただけ,と言えなくもないです.完全ベイズ均衡は,均衡に従っていくと到達しないような情報集合が含まれるゲームだととたんに怪しくなるという欠点があります.いろいろな修正案がありますが,一長一短らしく,使いやすさの点で完全ベイズ均衡が一番人気のようです.他の有力な対抗馬(というか元々はこちらが先なのですが)は「逐次均衡(Sequential Equilibrium)」で,Krepsさん(約四半世紀後のノーベル賞はや確定らしい)らが考案しました.これは,全情報集合への到達の可能性をもれなくつくりだして見当を計算しよう,という結構強引な概念です.つまりゼロに収束するような微少な正の確率で人為的に「おてつき」を起こし,それによって得られた見当の下でも最適性が失われないか,をチェックします.ナッシュ均衡の精緻化には他にもゼルテンの「(おてつき)完全均衡」とかいろいろあります.

Complete Info.Incomplete Info.
StaticNashBayesian Nash
DynamicSubgame perfectPerfect Bayesian

Application to Economics

 次に応用を見てみます.まずは経済学から.最近銀行がらみでとみに有名になった「モラル・ハザード」は不完全情報ゲームの一例,中古車(レモン)市場での「逆淘汰」は不完備情報ゲームの一例です.「逆淘汰」に対する手だてとして有名なのが「シグナリングsignaling」と「スクリーニングscreening」です.前者は私的情報を持つ側があえてコストのかかる行動をとって他との差別化を図るもの,後者は私的情報を持たない側が持つ側に私的情報を表明してしまうよう仕向けるもの,です.これらを考案したAkerlof(adverse selection)やSpence(signaling)やStiglitz(screening)らはそのうちノーベル賞をとるでしょう.

Application to Political Science

 そして,政治学への応用です.筆者も最近知って驚いたのですが,本場アメリカでは政治学でゲーム理論を使うのは「国内」方面の関係者が専らで,「国際」方面への応用は今は低調らしいです.もっとも「国際」方面でも「国内」方面との接点ではいい研究がなされています.(「デモピー(Democratic Peace)」のミクロ的基礎付けとか.)自分でモデルをつくらない学者でも免疫があるのかモデルに対する抵抗は少ないようです.日本とはえらい違い.まあそうでないと生き残れないんでしょうか. 元の話に戻りますが,政治学への応用では投票,選挙,戦争なんかがあります.

Spatial Model (Unidimension)

 国内向けの数理政治学の大きな特徴は,空間を使っての効用の表現にあります.最も簡単なのは一次元上に各プレイヤーの理想点をプロットして分析するものです.空間上のいくつかの点(政策)のうち自分からの距離がもっとも近いものを選択するはずだ,ということになります.有名な結果としてDownsによる「中位投票者(median voter)の定理」があります.多数決ルールのとき,一次元の空間上(左右を保革とみなす.あ,逆だ.)に選挙民の選好が分布するなら,競合する二大政党は少しでも票を増やそうとして内側へ内側へと自党の位置をずらしていき,最終的には両党とも中位点(median)に陣取ることになるであろう,という興味深い結果です.もっともこれはHotellingという経済学者の空間立地モデルのぱくりですが.自民党が政権を追われた頃,テレビにてある政治学者が「これからは政党の政策は中道へ収斂し,安定する」と発言したらしいのですが,その発言をある経済学者は「プレイヤーが3人のときにどうなるか知らんのか」と酷評してました.ダウンズは一応その著書の中で3人のケースにも触れているのですが,その政治学者は読み飛ばしていたようですね.どうなるか想像できますか?
 Gary Coxという学者はより一般的な条件の下でこの中位投票者の定理が成り立つかどうかを検討しました.彼は「他全員が中位点に陣取っているとき,一人だけ動いても得にならない(ナッシュ均衡の文学的表現)」ことを,「自分がε(=微小な正数)だけ動いたとき期待される得票の割合が他のプレイヤー(=中位点に陣取っている)の期待得票割合を下回る」ような条件として求めました.投票者一人の持つ票数をv,議席数をm,候補者数をkとすると,その条件は,自分だけが左右に動いたときに奪えるであろう期待得票割合が v/m を下回っていること,として求まります.右側への動きを左の視点から見ると,(累積分布関数の対称性から)期待得票割合が (m-v)/m を上回ること,という条件が付け加わります.よって (m-v)/m =< v/m が成り立てば中心に陣取ろうという候補者の動きがナッシュ均衡になり(均衡があれば,の話ですが),(m-v)/m > v/m なら中心から離れた場所に行こうという動きになるわけです.つまり
 m =< 2v なら求心的,m > 2v なら遠心的
なインセンティブが選挙制度から生まれるわけです.ちなみに日本の中選挙区制は m > 2v にあたり,実際多党制が生じていたわけですから理論的な予想が当たってます.(半々じゃねえかなどとつっこまないように) 中選挙区制はかなり比例代表制に近い選挙結果を生むというわけです.票を全部使い切らなくてもいい,好きな候補に複数票を与えてもいい,などのケースも同様に分析されます.

Spatial Model (Multidimension)

 以上の一次元の空間モデルは多次元に拡張可能で,政治学では二次元のものが好んで分析されるようです(アメリカ政治はほぼ二次元の争点で展開されてきたという実証研究があるくらい).二次元になると理想点からの距離が一定になる点をつなげた無差別曲線が登場します.ここでの関心は一次元におけるmedian voterのような安定点は多次元でもあり得るのか?というものでした.結論から言うと,一般には否,選好の配置しだいでは可,となります.他のどの点と(多数決ルールの下で)一騎打ちしても負けない点のことをCondorcet winnerと呼びますが,これが(特殊な場合を除き)一般には存在しないというわけです.それどころか,アジェンダ(どれとどれから一騎打ちの多数決にかけていって最終的な意思決定を下すかを定めた順序)次第では,空間上のどの点でも勝ち残れるよう工夫することができる,という定理(Chaos Theorem,ただし自然科学のカオスとは無関係)すらあるのです!プレイヤーが複数いたとき,その理想点同士を直線でつなげた多角形の内側はPareto setと呼ばれ,その内部では全員の効用改善が最大に達していますが,この定理によれば,このPareto setから大きく外れるような点ですら多数決で勝ち残るようアジェンダを工夫できる,というわけです.民主主義は内在的に不安定性を持つのか!と嘆くのはでもまだちと早くて,実は2つほど希望があります.一つは「制度」でして,アジェンダに加えられる制度的な制約がこうした不安定性を緩和しているという話です.アメリカ下院の研究から生まれたShepsleの構造派生均衡(Structure Induced Equilibrium)はこの一例です.もう一つは「戦略的投票(Strategic voting)」(対になるのはSincere voting)です.プレイヤーが最終的な結果を自分の選好になるべく近づけようとアジェンダの前の方であえて自分の選好を偽った投票をすることを指します.先の定理によればアジェンダ設定者はどんな結果でも思いのままに出せる強大な権力を持ってるわけですが(まあ十分賢くないとダメだけど),この戦略的投票があるような世界ではそうした横暴に一矢報いることができます.(賢いけど横暴な)アジェンダ設定者が戦略的投票をされても関係なく思うがままの結果を得られるような投票ルールは,実は,独裁制以外には存在しない,というGibbard+Satterthwaiteの定理があるからです.逆に言うと,民主主義である限りアジェンダ設定者は(戦略的投票に翻弄されるから)好き勝手できないようになってる,というわけです.

Retrospective Voting

 プリンシパル(選挙民)はエイジェント(代議士)を雇って自分の代わりに仕事をさせるが,その行動を完全には監視できない.どうしたら一生懸命仕事させられるだろう?… まんま情報の経済学という感じですが,spatial modelとは異なる「議員でいることの利益」という観点から政治家の効用を定式化するモデルが現われました. ここでの政治家は,あれやこれやの政策実現を目指す高尚な存在ではなく「何でもいいからとにかく議員でいたい」というかなり矮小化された存在です.どうしたらこういうどうしようもない連中にまともな仕事をさせられるか?という問題において注目された手段が「選挙」でした. 特徴的なのは,選挙民は過去を振り返って現職の業績を見て落選させるかどうかを決めるとした点です.選挙というのは,実は,来期の代議士を選ぶためのものというより,今期の代議士が怠けた場合に罰を与える手段=その罰で脅して怠けさせないようにするための手段,だというわけです.Ferejohnは選挙民が現職のパフォーマンスをクリティカルな値Kと比べて再選させるか決めるモデルを作り,最適なKを算出しました.単純なストーリーとは裏腹にかなりグロテスクなモデルとなっています.

Duverger's Law

 デュヴェルジェの法則というのは「単純小選挙区制は二大政党制を生む」という経験則のことですが,これを理論的に裏付ける仕事もゲーム理論によってもたらされました.その中核にすえられたのが「戦略的投票」です.以下の話もGary Coxのモデルです.そのモデルでは候補者がK人いるとし,上からM人が当選するとします.可能な結果は, KからM個を選び出す「組み合わせ」として表されるからkCm通りあり,このkCm通りの結果に対し投票者は選好を持つとします.投票者のタイプもこれで表せるので,ベイジアン・ナッシュ均衡を求めることができます.どんな風になったかと言うと,
 (1)当選者達はみな同数の票を取る.
 (2)落選者達はみなゼロ票かもしくは次点者と同数の票を取る.
という結果が出ました.これは結構驚くべき結果です.我々の感覚では
 第一位は最高得票,第二位はもう少し少ない...
と全員に差が付くはずですが,理論ではそうならないわけですから.
 (1)によれば当選者達はみな同数得票しますが,これは,「手段的な投票者」が「私のイチ押しの候補はもう当選間違いないから二番目に好きな人にいれよーっと」と戦略的に投票するためです.本来なら存在するはずの票の上積みが他の当落線上の候補に流れ,その結果当選者の間で票が「均(なら)され」て同数(!)になるわけです.
 (2)によれば,次点(M+1番目)以外の落選者達はみな,ゼロ票(Duvergerの世界)かもしくは次点者と同数の票(Non-Duvergerの世界)を取ります.これは,「手段的な投票者」が「私のイチ押しの候補はもう落選間違いないから当選しそうな好きな人にいれよーっと」と戦略的に投票するためです.つまり,強すぎる(leading)候補者に入れても弱すぎる(trailing)候補者に入れても票が無駄になるから,当落線上の(marginal)候補者に票が流れるわけです.戦略的投票は恐い.血も涙もない.
 次にCoxは現実のパターンが予想される均衡と一致するかどうか確かめようとしました.そこで用いられたのはSF比というもので,これは次次点の得票率を次点の得票率で割ったものです.
 Duvergerの世界なら次次点はゼロ票のはずだからSF比は0のはず.
 Non-Duvergerの世界なら次次点は次点と同数の票のはずだからSF比は1のはず.
つまり理論通りなら現実のデータでSF比が0か1の値をとるのが観察されるはずです.0-1の値をとる統計量を表す分布は?双峰型分布だ!そこで日本のデータを使って本当に山が二つになってるかどうか検定したわけです.

Audience Cost

 戦争はなぜ起きるのでしょう?これはなかなか興味深い疑問です.勝つにしろ負けるにしろ戦争に訴えても(よほどの楽勝を除けば)割に合わないことが多いからです.もし勝敗が明らかならば,何も多大なコストを払って戦争しなくても話し合いでコトはすむはずでしょう.この疑問に対してJames Fearonは「不完備情報があるからだ」という解答を与えました.どちらも相手がどの程度の覚悟・装備・譲歩の意思などがあるのか心が読めないわけで,もしそれがわかっていたら初めから戦争なんかせず交渉ですませているでしょう.不完備情報があるからこそどちらも望まない(Pareto非効率な)戦争に陥ってしまうのです.
 では,戦争回避のため何とか相手にこちらの意図を伝える術はないものでしょうか?そこでさきにも登場したsignalingの出番です.真の覚悟がなければコスト割れ確実であるような行動を敢えて取ってみせることにより,相手方に自分の覚悟のほどを知らしめて譲歩を引き出そうというわけです.でも国際関係でそんなうまい(というか辛い)シグナルってあるのかな…?実はそれがAudience costなのです.Audience costとはある事実・行動を天下の聴衆・観客におおっぴらにすることで自分が負う(かもしれない)コストのことを指します.
 そもそもの端緒は「Democratic Peace(デモピー)」の議論でした.これは,民主制をとる国同士は(めったに)戦わない,という国際政治学の命題です.賛成派と反対派の間で侃々諤々のやりとりがあって,当初は反対派が優勢でした.というのも,この命題は経験的には明らかなんだけど,いまひとつ筋の通った説明に欠けていたからです.かつて筆者も「米国にありがちなナイーブなおはなし」くらいにしか考えていませんでした.しかしこのデモピーの決定的な理論的根拠がAudience Costの議論により与えられたのです.以下説明してみます.
 民主制と独裁制それぞれにおける指導者の立場の違いに注目します.まず民主制の国.ここでは指導者の命運は民衆の支持に大きく依存します.下手に戦争に巻き込まれて負けでもしようものならその指導者はすぐ落選させられてしまうでしょう.よってもし民主制の国がおおっぴらに動員令をかけたり空母機動部隊を派遣したりすれば,それはその指導者の強い覚悟を示すシグナルとなります.もし動員令や部隊派遣の直後「やっぱ今のなし」などと引き下がったらそいつの人気はがた落ちですから.指導者が全世界の人々の目の前で強気の行動をとる=そいつは自分のクビを賭けてる=よほどの覚悟をもっている,と判断できます.つまり,民主制をとる国は「戦争に訴えることはめったにないけどやるとなったらまず引き下がらない」わけです.民主制をとることでその意思をcredibleな形で相手に伝えることができるのです.一方,独裁制の国ではどうでしょう?独裁者はさほど人気を気にする必要がないとするなら,彼らはクビになる心配から解放されてる気安さできっと気軽に兵を出したり引っ込めたりするのではないでしょうか?つまり,独裁制をとる国は「戦争の構えはちょくちょく見せるものの引き下がるのも早い」ことになります.以上を組み合わせて「民主制をとる国同士は(めったに)戦わない」という命題に有力な理論的根拠を与えることになったわけです.信じる信じないは別にして,面白い話だと思いませんか?これはJames Fearonが提唱した理論です.彼はまだ若いのですが学界の最先端にいます.いかにも天才という風貌で,超いい男です(親衛隊付き).豪邸つきでStanfordに引き抜かれたとか.他にこの分野で活躍している若手としてAlastair SmithやKenneth Schultzがいます.彼等に共通の特徴は,1.「国際」と「国内」の接点に関心を寄せている 2.高度なゲーム理論を操る 3.統計的手法にも通じている というところでしょうか.早く日本でもそうした若手が登場してほしいものです.

Deterrence

 国際関係における重要な関心事として「抑止」があります.ゲーム理論で「抑止」を扱った典型的なモデルとしては"Chain Store Paradox"があります.ある町にチェーンストアがあってその町の市場を独占してるとします.その独占にたいして新規参入者(=より小さな店)が挑戦しようか決めようとしているとしましょう.「参入」がなければ現状が保たれ,チェーンストアが得をします.参入があれば今度はチェーンストアの意思決定となり,「懲罰」か「宥和」が選ばれます.「懲罰」なら新規参入店は多大なコストを負い,同時にチェーンストアも少なからぬコストを負います.「宥和」なら両社の間で市場を仲良く分割することになります.もちろんチェーンストアの取り分は「懲罰」より「宥和」での方が大きくなります.さてチェーンストアはどう行動するでしょう?サブゲーム完全均衡によると新規参入店は「参入」選びチェーンストアは「宥和」を選ぶことになるのですが,これはもっともらしいでしょうか?我々は直感的にこの結果に違和感を覚えます.たとえ少なからぬコストを負うことになってもチェーンストアは応戦することを選びそうに思えるからです.これが「チェーンストアのパラドクス」と呼ばれるもので,ゼルテンにより指摘されました.これをクレプスが最初の論文で完璧に解きました.このパラドクスの解決は「不完備情報」と「繰り返し」の導入によってもたらされました.この場合「不完備情報」とはチェーンストアが果たしてコストを考えて宥和に傾きがちになる「合理的」なタイプか,コストを省みず「売られたケンカは買うぜ!」と懲罰に走る「非合理的」なタイプか,が新規参入店にはわからないことを指します.「繰り返し」とは同様のゲームが他にいくつもあること,すなわち,チェーンストアにとって考慮すべきはこの町の市場ばかりでなく他の町の市場もある,ということです.つまり,ゲームの最初で「参入」があった場合にコストがかかってもぐっとこらえて「懲罰」を行っておけば,その偽装によって「非合理的」なタイプであると新規参入店に信じ込ませることができて「参入」を抑止することができるため,長期的に見れば収支があうというわけです.「合理的であることがばれてしまうと得にならない?! じゃあいかれてると思われたいのか?」となりますが,まさにその通り.相手には「何をしでかすかわからない」「キレると怖い」と思わせなければならないわけです.
 国際関係では新規参入店=挑戦国,チェーンストア=覇権国と考えることができます.覇権国にとっては自分が樹立した国際的な秩序に対する挑戦があった場合,短期的には宥和した方が得ですが,(やせ我慢して)毅然と挑戦に受けて立つ偽装戦略にコミットすれば,挑戦国がびびって挑戦してこなくなって長期的はもっと得になる可能性が出てくるわけです.例として湾岸戦争もこのように解釈することが可能です.当時の(今もか)覇権国アメリカにとっては湾岸戦争を戦うコストは決して低くなく,短期的に見れば宥和するのが得だった可能性があります.ではなぜ宥和が選ばれなかったのでしょうか?答えの一つは「第二第三のクェートを出さないため」です.irredenta(民族的には同一だが他国の支配下にある土地)を回収しようとする動きは世界のあちこちであります.イラクにとってのクェートはその一つで,中国にとっての香港,スペインにとってのジブラルタル,など当時(も今も)たくさんありました.現行の秩序を維持するためにはこれら潜在的な挑戦国に間違ったシグナルを送らないことが必要だったのです.あわれイラクは最初の犠牲になってしまったわけです.理論によれば覇権の末期にはそうした偽装が必要なくなるので宥和に傾きやすくなるはずですが…
 蛇足ですが,この「抑止」を計量に乗せるのは固有の難しさを伴います.何をもって「抑止の成功」と見なすべきかを考えるとよくわかるでしょう.問題は「成功した抑止」が表に出てこない点にあります.というのも,潜在的な危機がありながらも抑止が首尾よく機能して現状が維持された場合と本当に何も起こってなかった場合との区別がつかないからです.いったん抑止されればよほど明らかな危機を除くと歴史の闇に葬られてしまいます.そうなると「成功した抑止」がカウントされない一方で「失敗した抑止」ばかりが目立つことになります.つまり「成功」はそもそもサンプリングの段階で構造的に不利な扱いを受けてるわけです.これは(sample or case) selection bias と呼ばれ,その最も基本的なものとしてcensoredなもの(独立変数の値は一応わかるけど対応する従属変数の値がわからない場合)とtruncatedなもの(独立変数の値もわからない場合)があります.具体的なモデルとしてはTobitやHeckmanが有名です.

Bargaining

 交渉の理論というと一昔前までは「ナッシュの交渉解」が有名でした.双方の交渉決裂点から見た効用の増分の積が最大になるような点を選べ,という協力ゲームの理論に基づいた結果です.合意が拘束力を持たない場合=非協力ゲームにおける交渉の理論はRubinsteinによってつくられました.(彼は中東戦争に従軍していて,戦闘中の戦車の中でこの理論を作ったとか.) これは,ある財をいかに分割するかについて二人のプレイヤーが交互にオファーを出し合うとき,交渉の妥結が延びれば延びるほどその財が劣化していくなら,どんな分配が実現するか?を明示的に示したものです.ここでは合意のプロセスが問題にされています.で,驚くべきことに均衡では最初のオファーで交渉が妥結します.延々と交渉が続くということは均衡ではありえないのです.基本的に初めの三回を理解すれば無限回に当てはめることができます.そこで算出された式によると,分配の仕方は一意に定まり,我慢強い方の取り分が多くなることが分かります.さらに面白いのは,両者の我慢強さ(割引因子)が同じ場合には先手が有利になり,さらに割引因子が1に近づくにつれて両者の取り分も同一になることが示されたことです.平等に分けましょうという規範は理由ないものではなかったわけです.今日ではルービンシュタインの結果はある条件(割引因子が1に近づく,交渉途中打ち切りの確率が0に近づく)の下にナッシュの結果と一致することが解明されてます.非協力ゲームによって協力ゲームが基礎付けられたわけで,これはすごい話と言えるでしょう.ミーハーな筆者はルービンシュタインの講演会にも足を運びました.セクシー系のオヤジでした.
 国際関係の理論の中に2レベルゲームというお話があります.国際交渉の研究には国内の動きも視野に入れとかないといけない,国際レベルと国内レベルが同時進行しているのだ,という話です.国家があって予め与えられたその選好があって国際レベルでの結果が導出されるというような一方通行ではなく,国際レベルの結果が国家の選好をも変えたりと双方向に影響を与えあっている,ということになります.この2レベルゲームを自称する研究の多くはゲーム理論とは縁もゆかりもないベタベタなケーススタディが大半なのですが,飯田先生によるものはルービンシュタインのモデルに不完備情報を取り入れた本格派です.議会研究の方ではBaron+Ferejohnがルービンシュタインのモデルに基づいてオファーの機会がランダムに与えられるpork barrel polticsのモデルを作ってます.

Commitment

 上でも何回も出てきていますが,事後的に最適でない行動しかとれないように事前にしておくことで結果的に自分の利得を上げようとすることをcommitmentと呼びます.本音では事後的には実行したくない「懲罰」にコミットすることで相手にある行動をあきらめさせようとするBlackmail型,本音では事後的には実行したくない「約束」にコミットすることで相手にある行動をとらせようとするBackscratch型,があります.最近はほとんどあらゆる場面・学問分野に顔を出す概念となってます.
 意外にも民族紛争の研究でもcommitmentが顔を出します.つまり民族紛争の真の原因はcommitmentの欠如であり,「積年の怨念がフタがなくなったおかげで噴き出した」的なよくある話は間違っているということです.内戦前は異なる民族が仲良く共存していたという話は珍しくありません. まず,新国家のたち上げに際してもっとも問題となるのが多数派と少数派の関係です.多数派が新国家を牛耳って少数派を搾取するかもしれないからです.そこで多数派は少数派に「搾取はしない」と約束します.でも,いざ約束を信じて新国家に加わったなら,多数派には約束をほごにして搾取に走るインセンティブが生じます.事前の合意をcrediblyに保証してくれる第三者が存在していれば信じることもできるでしょうが,共産主義崩壊によりそうした第三者がいなくなってしまいました.とすれば,少数派にとっては,約束が守られる保証はない→新国家建設が進む前に先制攻撃してしまえ,ということになります.これが民族紛争の真の原因だという説がFearonにより唱えられています.この線に沿った実証的な研究も進んでいます.

Folk Theorem

 「囚人のジレンマ」のナッシュ均衡はパレート非効率ですが,ゲームを繰り返すとパレート効率な領域がナッシュ均衡として実現できることが知られています.そのためには相手が裏切ればそれ以降ずっと罰を与えるというトリガー戦略をもちいますが,その罰がミニマックス解のバージョン,ナッシュ均衡のバージョンなどがあります.どちらもサブゲーム完全均衡になってます.しかし罰の実行はどちらにとっても痛みを伴うため,両者が再交渉して同時に罰の実行をやめてしまう可能性があります.サブゲーム完全均衡では「同時に」逸脱が起きることは想定されてないためこれはマズいわけです.まだまだよくわかってない分野で,最近の研究動向の目玉だとか.
 この繰り返しゲームの一般理論としては「フォーク定理」が有名です.割引因子が1に近いときにはかなり凝った戦略を工夫することで個人合理性を満たす点ならどんな点でもサブゲーム完全均衡として実現できる,というものです.長期的な関係が続きそうなときには協力が実現しやすくなるというわけで,これは直感的に納得できるでしょう.この定理は正式に証明されるかなり以前から研究者の間で知られていたそうで,そのため「Folk=民間伝承」という名がついているとか.誰が言い出したかは定かでないが,誰もがみんな知っている,というわけです.




-----------------------------031144697856008 Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="" 1
Hosted by www.Geocities.ws