気象衛星「ひまわり6号」打上げまでの経緯
 新聞、TVなどでよく見る天気予報。日本近辺の地図上に雲や台風が移動していく映像を見た事がないという人は殆どいないだろう。この画像を提供しているのが、皆さんご存知の「気象衛星“ひまわり”/GMS(Geostationary Meteorological Satellite)」である。今や日本人の生活にとって気象衛星はあって当たり前となっている。
ひまわりの気象情報の経済波及効果については、年間で直接的経済効果として、(1)気象情報サービス(約320億円)、(2)気象観測機器(約200億円)、間接的経済効果として、(3)航空事故・海難事故抑制(各数十億円)、(4)農産物被害抑制(数百億円)、総額1000億円以上の顕在的・潜在的経済波及効果があると算出され、日本経済に大きく貢献しているのである。
 しかしこの気象衛星がどういう背景で打上げられたか?そして最近までどのような重大危機に直面していたのか?について、筆者は今後の教訓として残したいと考え、ここに記録として残しておきたいと思う。

日本が気象衛星を保有した経緯
 日本の気象衛星が東南アジア・オセアニア地域に対して空から「見えない」貢献をしていることを意外に知る人は少ないのではないだろうか?日本が気象衛星を保有したきっかけは、世界気象機関(世界各国の気象業務の連携や情報交換を行うための国連専門機関。1951年に設立。平成14年3月現在、日本を含む179ヶ国・6領域が加盟)が提案した世界気象監視計画に遡る。この計画は全地球レベルで地球環境を監視し、加盟各国へ最新の気象情報配信することを目的としており、その構成は静止軌道に衛星5機、極軌道に衛星4機、約10000ヶ所の地上観測局、7000ヶ所の船舶ステーション、300の自動気象局をもつ海上ブイを組み合わせた壮大な計画である。静止衛星では世界を縦に5分割し、この中で太平洋や東南アジア地域を監視する衛星が1機必要であることが決まり、日本がその地域を代表して気象衛星を打上げる事になったのである。こうして気象衛星「ひまわり」は生まれた。よってひまわりは日本のみを撮影しているわけではなく、中国や朝鮮半島、東南アジア諸国地域、オーストラリアやニュージーランドなどのオセアニア地域まで広大な地域を基本的に1時間につき1回(最大で30分に1回)撮影し、その撮影した画像を各国へ配信しているのである。これは日本の「見えない」国際貢献と言ってもいいだろう。このように日本が国際社会へ果たしている役割は大きく、さらに日本への評価へと繋がっていると思われる。


出典:http://weather.metocean.co.jp/column/life107.htm

衛星ひまわりの機能
気象衛星はひまわり1〜5号機まで合計5機打上げられている。1号機は1977年に打上げられた。この当時、日本の宇宙開発は文部省の宇宙科学研究所と科学技術省の宇宙開発事業団が別々に役割を分担して開発を進めていた。宇宙科学研究所は学術や天文分野など科学衛星開発を行っており、宇宙開発事業団は通信放送衛星などの実用衛星開発を進めていた。
この背景の中、ひまわりが製作・打上げられたのだが、実用衛星を開発中の宇宙開発事業団はまだまだ発展途上の段階であり、ひまわりの開発は米国のヒューズ社(現ボーイング・サテライト・システム社)が製作、ロケットも米国のデルタUを使用して打上げられた。つまり、ひまわり1号は残念ながら国産化されてなかったのである。
しかし国産化を目指す日本は、米国からの技術導入という政策により日米のメーカーらが協力して衛星を作り上げ、徐々に衛星の国産化技術を高めていった。ひまわりの打上げ年表、運用期間と設計寿命を下表にまとめた。


ひまわりの打上げ年表と運用期間(2005年4月現在)

打上げ日  運用終了日 運用期間 設計寿命
ひまわり 1977年7月14日 1989年6月30日 11年11ヵ月 3年以上
ひまわり2号  1981年8月10日 1987年11月20日 6年3ヶ月 3年以上
ひまわり3号 1984年8月3日 1995年6月23日  10年10ヵ月 5年以上
ひまわり4号 1989年9月6日 2000年2月22日  10年5ヵ月 5年以上
ひまわり5号 1995年3月18日 データ中継のみで運用中 9年3ヶ月以上 5年以上
MTSAT-1 1999年11月15日

打上げ失敗

5年程度(気象)

ひまわり6号(MTSAT-1R) 

2005年2月26日

運用中

5年程度(気象)

 表に示すように、ひまわりは衛星の故障によって「観測の中断」が許されない衛星のため、万が一に備えて、1977年の初打上げから2000年2月まで、ほぼ常に2基が軌道上にある「冗長」体制となっていた。また、設計寿命が3〜5年としているにも関わらず、殆どが10年程度稼動している。これは欧米でも見られる傾向で、気象観測は中断してはならないという意識が見て取れる。また、運用期間終了の経緯(原因)は、経年劣化による太陽電池など電源系統の劣化、姿勢制御用の燃料が枯渇、搭載機器(気象センサや送受信装置)の劣化が挙げられている。
ひまわり5号の外観図と主要諸元とセンサのスペックを表す。
ひまわり5号は、赤道上東経140度の上空36000kmに配置されている。この軌道は地球の自転と同じスピードで回る軌道で、地球から見ると「止まっている」ように見えるということから、静止軌道と言われている。
余談だが、静止軌道には気象衛星の他にBSやCSなどの衛星放送を行うための通信放送衛星が多く配置され、また軍事用としてはミサイル発射監視衛星(早期警戒衛星)や通信傍受衛星など多くの軍民衛星が配置されている。しかし無限に軌道位置(東経・西経●▲度など)や通信周波数があるわけではないため、勝手に打上げて軌道や通信周波数を使う事はできない。よってこの限りある静止軌道を管理する必要があり、現在ではITU(International Telecommunication Union:国際電気通信連合)という国際機関によって調停がなされているのだ。よってひまわりも東経140度という軌道位置を申請し、気象データを日本やアジア諸国に配布するための無線周波数をITUに申請をし、許可を得て運用しているのである。


出典 JAXA




ひまわり5号
出典:NASDA NOTE2003


 軌道上の“ひまわり5号”はUSBオムニアンテナ、Sバンドパラボラアンテナ、UHFヘリカルアンテナ部(デスパン部)を除きグルグルと回転している。そして気象センサである可視赤外回転走査放射計(VISSR)は可視波長と赤外波長を観測している。その波長によって得られるデータを基に、天気予報が行われているのである。では、可視波長と赤外波長は何のデータを取得しているのだろうか?
可視波長、つまり私達が普段見ている“青、緑、赤を組み合わせた波長”は主に太陽の反射光によって雲の形を観測している。しかし、夜になると真っ暗になり画像が撮影できない。つまり可視センサだけでは観測が出来ないのである。このため、赤外線センサの出番となる。赤外線センサは夜でも撮影ができる一方、波長によって水蒸気量や雲頂温度や高さ、雲の厚さ、海面温度が計測できるため、“熱赤外”を2つと“水蒸気の吸収の強い波長である近赤外”を1つの合計3つの波長に分け、それぞれの特性を組み合わせて観測を行っている。
例を挙げれば、近赤外では水蒸気帯を観測する事により、雲のないところの風の推定を行うことができる。また熱赤外の観測では、雲のない海上にて海面水温の情報が得られる。また雲のあるところを熱赤外で観測すると、ほとんど不透明に見えるので、雲頂温度や雲頂の高さがわかる。さらに近赤外では植物の葉からの反射が強い波長帯であり、(可視との比較により) 植生のモニタリングや海岸線の位置の確認ができるのだ。
このように可視では雲の形、赤外波長では海面温度、風向き、雲の高さ・厚さ・温度を観測しているのである。
以上のように、気象衛星ひまわりはセンサを駆使して気象データを取得し、その情報を地上に送信、その情報から気象予報士が予報を行い、天気予報としてお茶の間へ届けられている。
しかしこのひまわり5号、上記の運用表にあるように、設計寿命の5年をとっくにオーバーしていたため、いつ衛星が死んでも不思議ではない状態だったのだ。これは後継機であるMTSATが残念ながら1999年11月15日のH-2ロケットに搭載されたひまわり後継機は打上げに失敗してしまったのである。このため、国土交通省はアメリカの気象衛星GOES-9を借用して運用し、かろうじて冗長運用していたのである。しかしGOES-9は運用開始直後にトラブルを起し、現役を退いてバックアップとしてアメリカが運用している衛星なのだ。よっていつ故障してもおかしくない。つまり日本の気象観測体制は、いつ切れるか分からない「綱渡り」の状態が続いていたのである。

◎衛星再調達における経緯
衛星の再調達において、気象庁はSpace System Loral(SS/L)社を指名している。これは、1999年のH-2打ち上げに失敗したMTSAT製造先がSS/L社であったからであり、気象庁としては「打ち上げ失敗はロケット側の責任で、衛星は特に問題なく製造、納品されていた」ため、早く入手するためにも同じ企業へ発注したのである。これは妥当と考えるべきだろう。しかし結果的にSS/Lが倒産し納品が遅れてしまった。これはどう評価すべきだろうか?
MTSAT再発注当時SS/L社は世界衛星5代メーカーの1社であり財務状態も良く、倒産を予測する事は不可能であった。よってこの点について気象庁を責めるのは酷だと筆者は考えている。
しかしSS/L社が再発注を受けて製造されたMTSAT-1Rは、SS/L側に問題がなかったとは言えない。はっきり言えば“お粗末”と言えるだろう。
第一に輸出許可申請が遅れたことだ。米国によって作られた衛星を海外(日本)へ持ち出すには、輸出許可申請が必要である。人工衛星の技術は高高度の技術を要するため、米国政府は輸出許可に関してウルサイのである。一説によると許可が下りるのに2年くらいかかると言われている。この作業が如何に手間取るかはさておき、この申請の不手際によって打上げが2003年初頭から2003年夏季にずれ込んだ。これは致し方ないかもしれない。
しかし第二の遅延理由は“お粗末”と言えるだろう。それは「気象センサの不具合」だ。現行のNOAA所有におけるGOES気象センサと失敗したMTSATの気象センサには「米ITT社」のセンサを搭載している。実績も豊かで信頼性の高いセンサだと聞いているが、MTSAT-1Rではよせばいいのに「米レイセオン社」のセンサを搭載したのだ。実績のないこのセンサは案の定、地上試験でトラブルを起し、打上げが再延期となる。これは筆者の勝手な憶測だが、MTSAT-1Rは実験台にされたのではないだろうか?さらに輸出許可申請についても実は既にセンサのトラブルを隠すための言い訳ではなかったのではないだろうか?と疑ってしまう。とにもかくにも実用衛星としては、手堅い技術を使わずに新しい要素を入れてトラブルを起した事はお粗末であったと考えられる。
 第三のトラブルは2003年7月のSS/Lの倒産騒ぎだ。これはさすがに予想していた人は少なかっただろう。倒産の背景には親会社であるロラール・スペース・アンド・コミュニケーション社が行っていた通信衛星事業の失敗が原因で、「親が倒れて子が倒れる」構図でSS/Lが倒産したと思われる。しかしこれは非常に厄介な問題であった。SS/Lは裁判所に破産法第11条(通称chapter 11)を申請したのだが、これは日本の法律と違い「資産が裁判所によって保護」されるのである。つまり外国の衛星だろうが何だろうが会社から持ち出す事が出来なくなってしまったのである。よって完成に近づいているMTSATは日本政府が衛星の支払いをしていたにもかかわらず、持ち出す事ができないという状況に陥ってしまったのだ。さらにSS/Lは「衛星を納品して欲しいならば追加経費として約30億円出してくれ」と言ってきたのである。このとんでもない要求に気象庁が怒るのは無理もない。筆者も腹立たしさを感じるが、ビジネスの世界では時としてこのような事が起きるのだ。
そして気象庁は手をこまねいて見ていたわけではない。この対策として2003年10月に連邦裁判所に救済を申し立てる。簡単に言えば「日本は製造契約もしているしお金も払っているのだから衛星製造を続行するようSS/Lへ命令してください」というものであった。しかしchapter 11法は強力で覆しようもなく却下される。このような状況下でありながら、気象庁や国土交通省の努力があったようで2004年1月に和解が成立した。MTSAT-1R納品の目処がついたのである。その内容は30億円の追加経費を支払わず、
(1) SS/L社は2004年3月中旬に衛星を納入
(2) SS/L社は遅滞金および損害賠償金として約1億6500万円を日本側に支払う
という内容で、さらに打上げ後の衛星のケアを気象庁・国土交通省がSS/Lへ発注するという事で合意が得られたのだ。こうして2004年3月にSS/L社製造のMTSAT-1Rは種子島に納品されたのである。1999年の打ち上げ失敗から衛星納品まで4年4ヶ月かかったのであった。


 

 
 鹿児島空港に到着したMTSAT-1R(出典:ロケットシステム)   MTSAT-1R(出典:鹿児島新聞)

また、気象衛星のように我々国民生活や諸外国にも影響を与える衛星はバックアップ体制が望ましい事が再認識され、MTSATをもう1機製造する事が決定され、日本の衛星メーカである三菱電機が中心となって製作されている。
余談ではあるが、なぜ日本の気象衛星は日本の衛星メーカが製造しないのだろうか?と疑問を感じるであろう。これは「スーパー301条」という米国の包括通商・競争力強化法があるからだ。この法律を宇宙に当てはめると「技術開発や科学衛星以外の実用衛星(気象衛星や通信放送衛星)は国際入札(競争)をしないと報復措置をする」というもので、技術開発を進めていた日本の宇宙開発は大打撃を受けたのである。この影響で気象衛星も「日米共同開発によって国産化を目指す方針」は崩され、国際競争入札となったのである。米国の豊富な宇宙予算によって支えられた米国メーカが日本の市場に参入してくると、日本のメーカは技術的、コスト的厳しい立場に立たされ、気象衛星の後継機MTSATはSS/L社が入札して獲得したのであった。しかしMTSAT-2は日本の衛星メーカが受注しており、この背景の詳細は分からないが、今後の日本衛星メーカの活躍を期待したい。

◎気象衛星の価格
気象衛星を打ち上げて配備するためには200億円程度かかると言われる。この価格は高いだろうか?次にこれを検証してみよう。例えば200億円の衛星を10年間使用した場合、年間20億円という計算となる。これを365日で割ると1日あたり約548万円かかる。これを日本人口1億2500万人で割ると、1日にあたり0.04円になる(25日あたり1円)。従って一ヶ月に1.2円支払えば、「自分自身が利用も出来るし、アジア・オセアニア諸国へも国際貢献できる衛星」と考えれば決して高くないはずだ(例え5年運用の気象衛星でも一ヶ月国民一人あたり2.4円)。確かに1機あたりの衛星価格だけを考えれば200億円は高いだろう。しかし宇宙開発には長期的な視野を持って考えることも必要だと筆者は考えている。今日や明日の生活を考える一方、将来のために必要な行動をする事が国家としての仕事であり、このような視点をもって考える事(気象衛星の配備をはじめ、産業育成や規制緩和など)が必要である。さらに、打ち上げに失敗する可能性もある。失敗すれば水泡に帰すという宇宙開発特有のリスクも存在する。これは致し方ないことであるが、日本はこのリスクを許容できる国民であって欲しいと思う一方、打ち上げ失敗や故障が発生しないよう宇宙業界の頑張りにも期待したいところである。

◎国際的地位について
気象衛星は外交戦略上“使える”衛星であることを考えれば、気象衛星は宇宙開発国にとって、「できれば自国で打ち上げたい」存在でもある。この点を考慮に入れると、筆者は中国が日本の気象活動における国際的地位を狙っている可能性があると考えている。中国は風雲1号気象衛星を2機(太陽同期軌道)、風雲2号気象衛星を2機(静止軌道)と4機の気象衛星を配備、運用中である。そしてもし中国がアジア・オセアニア諸国へ気象衛星の受信設備を配布していたとしたらどうだろうか?あくまで気象衛星は世界気象機関(国連の専門機関:WMO)のコンセンサスによって打ち上げられている衛星ではあるが、もし「日本より中国の気象衛星の方を受信したい」という議決をしてしまえば、日本はアジア・オセアニア諸国における気象衛星のリーダーシップを失う可能性があると考えている。世界気象機関の執行理事会には拒否権が無いと聞く。政治的に多数派工作をやられてしまったら「日本の政治・外交ツール(気象衛星)」が1つ奪われてしまう可能性があったのだ。
また、アジア・オセアニア諸国から見れば、「気象データを安定供給してくれるのであれば、どこの国の気象衛星でもいい」とも考えられる。また中国の視点から見れば、まさに「棚から牡丹餅」の形でアジア・オセアニアにおける気象活動のリーダーシップを取得できるチャンスが飛び込んでくるのだ。したがって、MTSAT-1Rの打上げはJAXA存亡の危機と言われている一方で政府側としても絶対に失敗が許されなかったの状況なのである。

◎GOES借用における経緯
しかし、衛星は納品されても気象観測中のひまわり5号の交代という問題がまだ残っている。この対策として気象庁は、MTSAT-1Rの製造が進められていた2002年5月にアメリカの気象衛星を借用するという対策を採用した。MTSAT-1Rが打ち上がるまで、お隣の地域で観測しているアメリカの気象衛星GOESを使わせてもらおうというのである。
このような事例は日本が初ではない。実は1990年頃、アメリカのGOES-6の代替衛星が技術的トラブルで打ち上げ延期となり打上げが4年遅れ、さらに軌道上の衛星も故障が発生してピンチに陥る。そこで米国の気象機関NOAAは欧州気象衛星機構から軌道上にあるMETEOSAT-3を借用したのだ。このように欧州―米国間でも“助け合い”があったのだ。
話は戻って、気象庁が米国GOES衛星を借用する調印が交わされ、GOES-9は2002年12月に西経105度から東経155度へ向けて移動を開始する。そして2003年5月にGOES-9はバトンタッチする形で日本担当地域の撮影を開始するのである。しかしこのGOES-9衛星のデータ受信には気象庁が苦労を重ねていたのだ。
第一にひまわりからGOES-9に移行した初日は問題なかったが、2日目には受信データに不具合が発生、データが得られないという事態が発生した。しかし、このトラブルは解消され、受信に成功している。
第二にひまわりを受信している東南アジア・オセアニア地域はGOES-9が撮影しても受信ができないという点だ。これはひまわりのデータとGOESのデータ仕様が異なるためである。つまり地上の受信設備を変更しないとGOESのデータは受信できないのだ。このため、気象庁はGOESから得たデータを一旦日本で受信・加工し、再びひまわり5号にデータを送って東南アジア・オセアニア地域へ送信しているのである。結局はひまわり5号がないと、東南アジア・オセアニア諸国などの受信は出来なかったのである。
第三に、これはGOES-9自身の問題だが、衛星の老朽化であった。先にも述べたがGOES-9は1995年5月に打上げられ、現役を退いてバックアップとしてアメリカが運用している衛星であるため、老朽化が進んでいた。当時のNOAAの資料によればGOES-9は燃料が枯渇しつつあり、ひまわりと同様に静止軌道を維持するための軌道制御を行っていない。つまりフラフラと上下に動いていたのだ。


 

GOESデータ配信の仕組み(出典:気象庁)


◎MTSAT-1R打上げ
以上のように、気象庁は「衛星を何とかして再調達」、「GOESを用いて気象観測を継続」していたが、「打上げるロケットがいつ再開になるか分からない」という状況であったことが分かったであろう。MTSAT打上げを切望する気象庁にとって何とか問題を切り抜けて「さあ!!いざ打上げを!!」と思ったら今度はH-2Aが2003年11月に打上げ失敗してしまい、その原因究明のために打上げの用意ができておらず、さらなる打上げ遅延となってしまい、言わば“泣きっ面に蜂“状態に陥ったのだ。あまりにも運が悪くかわいそうに思える。このような背景から筆者はエアワールド2004年10月号より4回にわたり、解決方法を提案したのだった。その内容のポイントは

・ 断腸の思いでMTSAT1Rを海外のロケットで早急に打上げる事
・ H-2Aに負担をかけず復活させるため、復活1号機は試験的打上げをする事
・ 気象衛星問題とH-2A事故問題を切離して考える事

であった。この方法は、最悪を想定した場合に日本全体にとってダメージを少なくなるために、リスク管理上考えた結果であった。上記にて述べたように気象衛星を取り巻く環境は、かつてない危機的な状況であった。もし強引に打ち上げをして失敗したらJAXA解体やH-2A開発中止という最悪な事態に発展するため、筆者はこのような提案をしたのだった。結果的にH-2Aは打ち上げ成功したが、2月26日打上げに際して「1月4日の年明け早々に工場からロケットを運び出していた事」や「今までの打上げ記録からかなり短期に打上げにこぎつけていた事」、「打上げ3日前に“天候“を理由として打上げが2日間延期された事」を見る限り、H-2Aの打上げ再開において現場が相当な無理をしていた可能性は否定できない。結果として現場エンジニアの能力が高く、全力で頑張って成功した結果はすばらしく、心からメーカーや現場エンジニアへ敬意を表したい。しかし、このような危機的状況下で打上げの意思決定と実行がなされた事は、今後の日本の宇宙開発発展のためにも、将来同様の問題を起こさせないためにも、後世のためにも記録として残しておきたいと思う。

 




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