Friedrich Wilhelm Nietzsch

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私がニーチェが好きな理由は、ニヒリズムやデカダンスという言葉に興味があったし、彼の思想や活動は、あまりにも自分に素直で正直だったこと、そして、彼の歩んだ人生から特別な何かが伝わってきたからです。 ということで、ニーチェの思想について少し細かくわかりやすく説明したいと思います。ニーチェは、一般にはニヒリズムや「永劫回帰」の思想家だと言われています。彼は「自分の生をどのように生きるか」という人間の生き方を問題にしました。


  
ニーチェは、19世紀半ばのヨーロッパの人々が、生きる意味や目的を失ったニヒリズム状態に陥ってしまったのはキリスト教のせいだと言っています。 キリスト教では、「心の貧しい」人が神に愛され、救われる人だと言い、自ら誇りを砕かれ、生きる力を失い、絶望したその苦しみ、悲しみ、辛さ、涙こそ最も重く尊いと言っています。

これでは向上心や生命力を失い、人間に頽廃や自己欺瞞をもたらして何も進歩しない。 
そこでニーチェは「神は死んだ」と言い、この言葉で、プラトン哲学以来の彼岸的な世界へ向かう形而上学の終わりを実現したのです。しかし、彼はたえず「おれたちが神を殺した」という責任感を感じていました。 そして、2000年近くヨーロッパの形而上学を支えてきた神を殺害したことによって、存在することの意味を失ってしまった人々のために新しい意味を提供します。 それが、神に代わる「超人」なのです。

しかしこの超人は、神のような天上の絶対者ではありません。人間が自己を克服して、人間を超え出た存在になるために目指すべき模範理念なのです。それはまた、ニーチェが「権力への意志」として考えた、より以上のもの、より強いものになろうとする意欲に貫かれているものなのです。今や超人が、人間の新しい目的になりました。このように、ニーチェのニヒリズムは積極的に新しい世界を求めるのです。1882年に書かれた「たのしい知識」という本の中で、「そしておれたちの後に生まれてくる限りの者たちは、神を殺したという所業のおかげで、これまであったどんな歴史よりも一段と高い歴史に踏み込むのだ!」とあります。


  自らを肯定し、新たな価値を創造し、運命愛に生きる高貴な人間である「超人」という思想が強者--弱者のはっきりした分離、高貴な血の強調、民主主義の否定、英雄讃美などのニュアンスから、しばしばナチズムと因果関係を指摘されることがあります。しかしニーチェ本人は、反ユダヤ主義を強く嫌悪し、彼らを「出来損ないの者ども」と呼んで、そのルサンチマン的心性を嫌悪していました。


 確かにニーチェは「反時代的考察」で、“文化の目標は偉大な(つまり高貴で強い)個人を生み出すことにある、そして個々の普通の人間の生の目標は、その生が‘偉大な個人を生み出すことに生きることにある’”という風な事を書いてあり、この考えは一見、弱い人間は強い高い人間の犠牲になって生きるほかないという言い方に似ています。実際、ファシズムに流れ込んだ俗流ニーチェ主義はそのようなニュアンスを持っているのです。
 しかし、ここでニーチェが言いたいのは、社会がある限り個人の力の差と言うものは根本的には避けられないという点にあって、そのことをまず「あるがままに」認めること、人間のルサンチマンは、この力の差という現実から発するが、それを認めた上でこれをどう対処すればいいかを考えることなのです。  

強い人間は、弱い人間との力の差の中に自己の満足を見出すのではなく、常に人間が生を肯定しつつ生き得るような高い生き方を探し求めるという課題を求めるべきで、また弱い人間は、自分のルサンチマンの源をよく意識し、現実には高い人間の生き方に届かなくとも、常にそれを見つめ、それに憧れつつ生きるという課題を持ったほうがいい。そういう生き方のほうが平均化の方向よりずっと合理的でもあり正しい道でもある、とニーチェは主張しています。


  しかし、彼のこれらの新しい思想に対する人々の批判はとても冷たいものであったので、彼は孤独と闘っていました。そんな中で彼の思想を十分理解した娘が表れ、彼女に結婚を申し込みましたが、友人とともに三角関係になり、気まずい中で別れなければなりませんでした。この事件の結果、彼の周りから人々は遠ざかり、彼はますます孤独になりました。が、これ以降、苦しい生活を積極的に肯定することによって彼は生への積極的な姿勢を見せ始めます。そして、当時の彼自身の分身とも言える「ツァラトゥストラはかく語りき」を書きます.


  ニーチェ自身、「永劫回帰」の思想によって、自分に与えられた苛酷な人生を受け入れ、積極的に生きようとしました。「永劫回帰」の思想とは、全てがまた同じように繰り返される定めを私たちは背負っているというものです。全てのことが慰めもなく永遠に繰り返されるのなら、「これが生だったのか、よし、それならもう一度!」と勇気を持ってこの生を受けとめるほうが、かえって苦悩から解放されると彼は考えました。そして、自分の運命をこのように受け入れることを「運命愛」と呼びました。


  高貴なものと卑俗なもの(強者と弱者)、ニヒリズムの必然性とその克服、真の世界と仮像の世界といった一連の概念は、それまで世界を説明するために用いられた概念を、すべて根元から編み直してまったく新しい体系へと組替えてしまうようなものだったために、周りに理解してもらえず、白い眼で睨みつづけられ彼は孤独の中で、彼にとっては最後の健康な年である1888年に生涯でもっとも多くの作品を仕上げたのですが、その年の終わり頃から精神錯乱の症状が表れ、狂気の世界をさまよいながら、彼は大声を出してやたらに歌い、異常な署名をした手紙を色々な人に出したりしました。 心配した友人が彼の元へかけつけたとき、ニーチェはその友人の胸の中に泣き崩れたと言われています。


  人々に理解されなかったこの孤独な漂泊者の精神が活動をやめ、ひたすら狂気の世界へ赴いたとき、皮肉にも彼の名声は高まり始め、彼を理解する人々が現れました。しかし1900年8月25日の正午に、ニーチェは苦悩に満ちた生涯を終えました。

  
彼はいろいろな方法で生をどのように生きるかという問題に取り組み、その答えを出しましたが、私はその答えはニーチェ自身、自分のために出したのではないかとと思いました。ニーチェは受動的ニヒリズムで生きるのではなく能動的ニヒリズムで生きるように薦めていますが、私の個人的な解釈なのですが、恐らくニーチェは誰よりもずっと受動的ニヒリズムの中で生きていて、どこまでも退廃的だったので、そのままでは自分が闇の中へ引きずり込まれそうだったので、無理をして一生懸命ニヒリズムを直視し、能動的に接したのだと思います。 そんな自分の中にある問題を解決するために書いたものを周りの者にまったく受け入れてもらえなかったために、ニーチェは彼自身が否定されたような気分がして、どんどんそれが悪い方向に向かい、狂気の世界に入らざるを得なかったのだと思いました。


 よくニーチェは仮面をつけた思想家、哄笑する者、狂気の哲学者などと言われますが、私には彼はとっても人間味があふれている思想家に見えました。

『人生はそのあるがままの姿において、意味もなく、目標もなく、無へのフィナーレもなく、しかも不可避的に回帰する。すなわち永劫回帰。 これがニヒリズムの極限の形である。すなわち無(意味なきもの)の永遠!!』

 
「ツァラトゥストラ」とは、古代ペルシアの預言者、ゾロアスターの別称で、ニーチェはキリストの教えに対抗する人物の名として、ヨーロッパ文化圏の外側にこれを求めたのだろう。

p.s. ニーチェ、ハイネ、ボードレール、シューマン、モーパッサン・・・・。いずれもヨーロッパが誇る、文学・音楽の天才たちだが、彼らには天才という以外にもうひとつの共通点がある。それは、いずれも梅毒に冒されてなくなったということである。  
たとえばニーチェは、45歳のときに梅毒がもとで精神に異常が表れ、それから亡くなるまでの11年間は、食べて眠るでけの病人生活だった。 ほかの天才たちも、その晩年は似たり寄ったりだが、面白いのは梅毒が脳に回る2年くらい前には、大作を仕上げるなど、天才たちの才能がフル回転しているということ。
 ニーチェも、やはり脳梅毒で精神異常になる2年くらい前から、俄然、創作意欲がわいてきたらしく、1年に27冊もの本を書いている。

 

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