ゾーニングをめぐる諸問題 −林地利用に対する公的関与−
  (『林業経済』633号、2001年7月、15〜29頁所収)
古井戸 宏通森林総合研究所(執筆時)

一.はじめに
「持続可能な森林経営」に関する国際的な取り組みのなかで、いわゆる「基準」「指標」の議論は、言挙げてゾーニングに触れてはいないようである。「持続可能な社会」論一般に拡張して考えても、エコ効率性や循環的資源利用といったキーワードは、マクロレベルないしグローバルレベルでの物質循環を俎上に載せるものの、空間概念、すなわち土地利用との相互関係ないし矛盾関係をさしあたり捨象しており、持続可能性に関するこうした規範的立論を、所有権と利用権の錯綜する、あるいはスケールの異なる空間の上に落とした場合に何が言えるかということは、個別具体的な地域政策論の文脈に委ねられているかにみえる。
 しかしながら、たとえば第三次国土利用計画(全国計画)において、「持続可能な国土利用」(1)がキーワードとされるときには、土地利用と持続可能性の間になんらかの関係が暗黙裡に想定されているようにも思われる。また、今日ゾーニングが注目される背景としては、北欧を除く欧州の、とりわけ山岳地域において、「地域の持続的発展」と軌を一にした森林管理制度を考えた場合、部門政策の限界が認識され、直接支払いとともに空間整備政策が展開されている(2)ことが挙げられよう。
 本稿は、林地のゾーニングにかかわる論点を持続可能性の見地から理論的に整理したものである。なお、本稿は筆者の私見であり、如何なる意味に於いても所属機関の見解を代表するものではない。

(1)「自然と共生する持続可能な国土利用の観点からは、自然の健全な物質循環の維持、都市的土地利用に当たっての自然環境への配慮、生物の多様性が確保された自然の保全・創出とそのネットワーク化等を図る」云々、とある。環境庁・国土庁『第三次国土利用計画(全国計画)』一九九六年二月、三頁
(2)志賀和人・成田雅美編著『現代日本の森林管理問題』、全国森林組合連合会、二〇〇〇年、五〇四〜五二一頁(志賀稿)。

二.ゾーニングの定義をめぐって
 林地ゾーニングについては、その性格、類型、是非等について多くの議論がなされているものの、ゾーニングの定義を明示したものは意外と少ない。
 言葉としてのzoningの由来は米国都市計画において二〇世紀初頭より採用されその後急速に普及した同名の制度であるが、本稿で扱う林地ゾーニングとは若干意味が異なり、かつ歴史的には都市計画のゾーニングに先だって林地ゾーニングは存在したと考えられるのでこれには立ち入らず(1)、林地ゾーニングに関する既往の議論から、帰納的にゾーニングの定義を探ることにする。
 熊崎は、一九八八年以降の論考において、森林資源の成熟にともない森林に対する人々のニーズの多様性が顕在化し、森林に対する人々のニーズや価値観の多様化が利用競合をもたらし、この利用競合に対処するために「分離施設」としてのゾーニングが必須であると主張している(2)。一見尤もなこの論理は、とくに後段において若干の注意を要する。資源の成熟、ストックの拡充にともない人々のニーズが多様化し、新規事業候補地の減少とあいまって利用競合をもたらすところまでは社会資本整備一般についてみられる傾向ともいえよう。問題はその先である。一つは森林全般にわたる多目的利用の可能性であり、もう一つは「利用競合」なるものを社会的にみたときに森林利用の前提条件としてどこまで考慮すべきかの検討である。後者はさらに、利用競合をとりまく構造の分析という一般均衡的論点と、競合する利用、とりわけ私的財と集合的用役との競合にかかわる利用権の所在という規範的問題とに分けられるが、これらについては後述することとし、まず多目的利用との関連でゾーニングを考えてみたい。
 八八年の論文において熊崎は日本、ドイツ、米国等の例をひきつつ多目的利用に言及し、米国では多目的利用が「木材生産の隠れ蓑」として自然保護団体から非難され、このような「多目的利用」による多様なニーズへの対処には無理があると指摘している。増大する環境保護圧力から木材生産活動を擁護するロジックとして、戦略的な予定調和論的言説にすぎない、「スローガン」としての多目的利用というものはたしかに存在したろうし、少なくともその限りに於いて環境重視の世論からは批判の対象となりえよう。実際、とりわけ林業の生産性が相対的に低い欧州地域(北欧を除く)や日本などでは多目的利用のロジックが説得力を失いつつあるようにみえる(3)。用材生産収益の森林管理への環流が、後述する土壌保全のような共通的施業目標の存在とともに、予定調和論 wake theory の有力な根拠となっていた(4)からである。このように、政策論的ロジックとしての「多目的利用」に対置される概念として「ゾーニング」概念を規定するのは有力な考え方であるし、いわゆるデカップリング的発想の底流をなしているようにもみえる。
 しかし、実際のところ、多目的利用とゾーニングを厳密に区別し定義を与えることは、論理的にはそれほど容易ではない。一つには空間単位の問題がある。単純に考えて、「多目的利用林」といった区域区分は果たして形容矛盾であろうか。換言するに、宮崎県諸塚村にみられるようなモザイク状の林相(5)の全体は一つの多目的利用林であろうか、それとも細かく区域区分された森林であろうか。一般に、ゾーニングを論じるとき、林地をどの程度の面積規模で区分することを指すのかが明確にされなければならない。この問題は、かつて国有林の施業計画で問題とされた保続単位の大小を想起させる。もう一つは時間の単位である。一瞬のゾーニング、朝令暮改的なゾーニングというものが意味をなさないことからわかるように、ゾーニングには一定の期間が含意される。とくに林地の場合、この「期間」は一年や二年では意味がない。
 時空の単位についてさらに、「水道事業体有林における水源かん養のためのゾーニングはどうあるべきか」といった例を考えよう。このとき、「人工造林は若齢期には成長のための水分を要求し基底流量を犠牲にするが、壮齢期には基底流量も回復し、流量調整のメリットが最大限に出てくる」といった見通しや、材価や雇用の確保等に関する予測なり方針なりを、中・長期的視点に立って考慮する必要があり、短期的な情勢変化によってその都度区域区分を変更するのであればそれは非ゾーニング的管理というべきである。しかしながら、水道局が水源林を取得した時点ですでに、当該森林は、細かい区域区分の有無にかかわらず、その全体が水源涵養目的の森林としてゾーニングされ、水道局はゴルフ場等への転用圧力に対抗できる土地所有権を確保したともいえるのである。
 このようにゾーニングには空間と時間のスケールが関わってくる。本稿では漠然とこれを「一定の単位の空間を、なんらかの公的関与によって長期的に差別化すること」と定義することにする(6)
 日本の森林法制を土地利用規制の実効性の観点から検討した塩谷は、「保安林制度以外にはゾーニングは存在しない」(7)と述べた。しかし、いまの定義からすれば、造林補助金もゾーニングの要件である「公的関与」「一定の単位の空間」「長期的差別化」を満たしている。そもそも空間の差別化というものは、法的規制によるのみならず、課税・補助金、当事者間交渉(の支援)、中央政府・地方政府や公的機関による公共財の供給、利用権の市場化といった外部経済の内部化のための政策ツールのいずれによっても可能なのであって、ゾーニングの定義を法的規制に限定する必然性はない。
 ただ、塩谷の議論がなぜ出てくるかを考えると、保安林制度には転用規制があるのに対し、普通林に対する造林補助金にはこれが乏しいということが挙げられよう。これは農業における農振法と土地改良事業についてもいえるだろう(8)。たしかに、転用規制は空間の差別化をより十全に保障する。しかし、社会資本造成の一種である造林や土地改良は、転用規制を伴わずとも、林地や農地の内部において、ある程度固定的に空間を差別化する政策であるとみなすことができよう(9)。本稿では、林地が林地であるとした場合にそこで、一定の空間におけるアクティヴィティを誘導ないし規制することを「内部制御」的ゾーニングと呼び、転用規制と区別することにする。このようにみれば造林補助金は内部制御的ゾーニングの一例である。
 転用規制と内部制御の区別は、ドイツの農村計画制度(10)や日本の国立公園草創期の議論(11)にもみることができる。無論塩谷もこの違いを十分意識しており、内部制御を「質的側面にかかわる公益的機能維持」、転用規制を「量的側面に係わる開発転用規制」と呼んで区別した上で、これらはともに「市場の失敗を補うために登場した国家権力による介入」であるとした。ただ塩谷は、内部制御だけではゾーニングとは言えず、転用規制を伴うことがゾーニングのメルクマールであると考えたのである。
 本稿の立場を明確にしておこう。転用規制は紛れもないゾーニングである。内部制御については、どの程度固定的に制御するかで明確な線は引けないけれども、ゾーニング的な機能をもつ固定的内部制御とそうでない非固定的内部制御(12)とに分けられると考え、このうち「固定的内部制御」は、かりに転用規制を伴っていなくてもこれをゾーニングと呼ぶこととする。以上をまとめたものが図−1である。

図−1 fig1.gif

 塩谷の議論の含意はむしろ、ゾーニングの定義にかかわりなく、転用規制を伴わない内部制御は持続可能な土地利用を保障しない、という指摘であろう。環境用役の維持・増進を目的とする社会的規制が森林所有者の用材収穫を減少させる一方で転用規制を伴っていなければ、林地そのものの転用を惹起するかもしれず、このときそれまでの内部制御的政策の積み重ねは水泡に帰す。ただしこれは、一国の土地利用権全体のありようを考慮した場合、ひとり林地についてのみ転用規制を強化すべきだという結論をただちに導くものではない。利用権や所有権の問題については「五.」節で論じる。

(1)都市計画のゾーニングについては、Fischel, William A.:The Economics of Zoning Laws - a property rights approach to American land use controls, Johns Hopkins Univ.Press, 1985、福川裕一『ゾーニングとマスタープラン−アメリカの土地利用計画・規制システム』学芸出版社、一九九七年、山岡公一「アメリカの土地利用規制プロセスの機能的考察」『レファレンス』四五二号、一九八八年、四〜一八頁、渡辺俊一「わが国都市計画制度の史的特徴」『都市問題研究』四〇巻四号、一九八八年、三〜一八頁などを参照のこと。ちなみに上記Fischelによるゾーニングの定義は「コミュニティを、地区地域に分割し、そのそれぞれにおいて一定のアクティヴィティを禁止したりその他のアクティヴィティを許可したりすること」である。
(2)熊崎実「森林政策の新しい視座を求めて」『林業経済研究』一一三号、一九八八年、二〜一二頁)、熊崎実「日本経済の動向と森林・林業」、半田良一編『林政学』、文永堂、一九九〇年所収、六頁。
(3)林野庁が欧州諸国に対して行った「持続可能な森林経営を確保するためのアプローチ」についてのアンケートに対する北欧二国(フィンランド・スウェーデン)と独・墺・スイス三国の回答をみると、前者が「多機能的な林業」、後者が「機能別ゾーニング」と鮮明に分かれているのは興味深い(林野庁『森林の持続的経営に関する基礎調査報告書』一九九六年三月、八〜九頁)。
(4)Grayson, A.J.:Private Forestry Policy in Western Europe, pp135-154, CAB international, 1993
(5)甲斐重勝「山村からの提言」『人と国土』一九九四年一一月号、二七頁に「『針葉樹七広葉樹三』が適地適木に七対三の割合で植林されモザイク模様と表現される林相」との説明とともに写真が掲載されている。
(6)市町村が計画主体となることを前提に、五〇〇ヘクタール程度の「孫流域」を区域区分の単位と措定した論考があり(『平成一〇年度 公益的機能の確保のための森林整備手法類型化調査報告書』林野庁、一九九九年、一二五〜一二六頁(藤澤秀夫稿))、具体的な議論のためにはこのような単位の設定が必要であるが、本稿では種々のタイプの「ゾーニング」に通底する一般論にとどめる。ここで本稿の定義は、フランスの林政学者G.ビュトゥーの定義である「環境的関心を考慮に入れるための、半ばシステマティックな、公的介入の空間的な差別化」、あるいは農振法にかかわる福与の定義である「土地を一定区域に区分して、その区域での利用を規制・誘導することによって、土地利用の制御を面的に行う方法」のいずれとも矛盾しない(Buttoud, G.(1999):Les politiques forestieres, Presses Universitaires de France. pp78-81、および福与徳文「農振法のゾーニングに関する諸論点の整理と展望」『農村計画学会誌』一五巻一号、一九九六年、九〜二〇頁の脚注一)。なお、まったくの私的森林管理計画においても収益最大化のための用途区分を考えることは可能である。また、実質的な強制力や誘導力、予算措置等を伴わなくとも、「計画」として土地に「貼り付けられている」ことをゾーニングの要件として優先する立場もありえ、この立場からは造林補助金制度はそれが森林計画制度と密接にリンクしていない限りゾーニングから排除され、逆に国土利用計画(都道府県計画)のようなものがゾーニングに含まれることになる。このようないわば計画論的な定義に基づく議論は森林計画の専門家の手に委ねることとし、本稿では、「四.」節以降の社会科学的論点の所在を明確にするため、ビュトゥーらにならって「公的関与」を要件とした定義を採用する。
(7)塩谷は日本の森林法について「保安林制度以外にはゾーニングの制度はない」と断言し、「一定範囲の地域…の土地利用計画の一部として森林を位置づけ、適切なゾーニングと行為規制によって、森林を保全しうるものであること」がこれからの森林計画の要件であるとした(塩谷弘康「二十一世紀の社会と国土管理」『林業経済』五九五号、一九九八年五月、九〜一〇頁)。
(8)土地改良事業そのものは、制度上、その受益地において農地転用を規制する力に乏しい。ただし、農用地区域の指定と土地改良事業の優先度をリンクさせる努力は農政当局によってなされており、利用増進や保全にある程度効果をあげているという(福与「前掲論文」一七頁)。
(9)水岡が強調したところによると、異なる空間を結びつける運輸・通信等にかかわる社会資本ですら、その固定性によって、空間を差別化する機能をもつ(水岡不二雄『経済地理学−空間の社会への包摂』青木書店、一九九二年、一六五〜一七二頁)。この差別化の過程は非可逆的であるとも言える。
(10)ドイツの農村計画に関して、土地法サイドのゾーニングと農地整備法のもつ「ゾーニング機能」があり、土地法の定めるFプラン、BプランからなるBLプランでは農地転用を最小限にとどめ、農地整備法では農地をどのように活用するかを定めるという(高橋寿一「西ドイツ農地整備法制と農地転用−村落再整備(Dorferneuerung)を素材として」『社会科学研究[東大]』、四〇巻二号、一九八八年、八三〜一二三頁)。
(11)国立公園の管理については、「風景の保存保護」と「風景の開発利用」という国立公園としての管理利用内部での矛盾と、「風景地の風致保健的利用と他の産業事業、例えば農、林、牧畜、鉱業、水力電気の経済事業との撞着」という他用途との間の矛盾とがあり、田村は後者が「最も重大」である、と考えた。(田村剛「国立公園の事業と経済問題」『国立公園』一巻一号、一九二九年(引用に当たり現代的表記に改めた。同誌四八一号、一九九〇年、四〜五頁に再録))。
(12)ここで「(非)固定的」という意味は、空間の固定性(区域区分の固定性、区分された区域における活動の許可や制限の固定性)、および時間の固定性(区域区分の長期性)の二つを意味する。

三.「利用競合」の表層
 前節「二.」において、戦略的に用いられる「多目的利用」に対置される概念としてのゾーニングは考えうるものの論理的な峻別は難しいことに触れた。加えて、森林は多様な機能をもち、「その一つ一つの作用は工業的な代替物に劣るものの、総合的に見れば悪くない」といった評価はどのような森林についても一般的になしうるだろう(1)。これを機能論的予定調和論と呼ぶことにする。
 先にも触れたように、機能論的予定調和論を擁護する論拠の一つに、森林のもたらすあらゆる機能に共通する不可欠な物的基盤としての土壌の存在が挙げられる。国有林の旧機能区分において、森林の水源涵養機能はすべての林地に共通する機能であるとの見地からこれを敢えて明示的に区分していなかったことは、半田(2)も指摘するように妥当な考え方であったといえよう。生産的土地利用、とりわけ農林業的土地利用に於いて、土地は単なる生産要素ではなくG.-レーゲンのいう「ファンド」(3)である。ファンドは、原材料のように生産過程に「投入」されるものではなく、また在庫や仕掛品のようなストックとも異なり、それ自身を減耗させることなくなんらかの用役を発生させ、かつ生産過程にとって不可欠な本源的存在であるという性格(4)をもつ。林地についてとくに重要なのは土壌であり、内部制御において土壌は、いかなる林地利用を考えても競合しない共通的要素である。持続可能性の議論において、土壌が内部制御における共通要素であるということは、すなわち、量的な「持続」の最低目標として土壌の保全を設定しうるということを意味する。別の言葉でいえばファンドとしての土壌を維持することが、ピアスのいう「強い」持続可能性の必要条件である。林地における土壌は、風水害等の自然災害リスクに対する抵抗力を構成ないし象徴する重要な要素として捉えることができるかもしれない。このように捉えた場合も、かりに立木の風倒や土砂崩壊が発生すればほとんどの林地利用目的にとってマイナスとなるから、自然災害に強い、たとえば適地適木的な森林施業はほぼすべての林地において共通的に必要であるといえよう(5)
 このように考えてくると冒頭に触れた「人々のニーズの多様性の顕在化」の意味合いが明確になる。すなわち、裸地に盛んに植林を行った時代においては、大規模な自然災害の多発もあって土壌保全という共通の目標が前面に押し出され、国土保全目的は造林助成政策の「打ち出の小槌」(6)とまで形容された。森林資源の成熟によって土壌の保全という共通の目標は達成され、それ以外の、林相や施業によって差異が大きく、ときにトレードオフの関係にあるような機能に対する種々のニーズの間の軋轢が顕在化してきたということであろう。
 土壌保全をある程度達成した上での森林利用の競合は、熊崎が明快に分析しているように(7)、大別して、生産的利用、保護的利用、レクリエーション的利用の三つどもえ構造をなしていると考えられる。近年クローズアップされている二酸化炭素の固定や枯渇性資源の代替といった機能は「生産的利用」とほぼ両立するので「生産的利用」をたとえば「循環型利用」と称してまとめて考えてもよい(8)。こうした利用目的間の競合関係の分析の基礎としては、熊崎が「クローソンのマトリクス」と呼んだところの、表頭・表側に種々の利用目的を配した両立可能性評価正方行列(9)が平明な静学的表現方法である。
 森林の利用競合の強弱について、クローソンが示したような記述的・段階的評価にとどまらず何らかの定量的な表現も可能にみえる。定量的表現のための一つの有力な指標は、競合する複数の利用を同じ森林空間で同時に可能にするための結合供給費用の多寡(10)、ないし、複数の利用を同時に行ったときに生じると想定される地価(林地に対する社会的限界評価)の大小(11)であろう。しかし、費用的表現にせよ、地価的表現にせよ、「二.」で論じたような空間や時間のきりとり方によって左右され厳密な定式化を許さない。そこで、問題を極力単純化するため一定の空間単位を措定し、二つの利用目的の二者択一という問題に限定して若干の分析を試みたい。
 都市的利用と農業的利用についての「地区分級」の分析(12)は、そのような試みの一例であると考えられる。こうした分析の含意は、私的土地所有のもとで、競合する二つの利用の地区分級がともに高い場合とともに低い場合で強いコンフリクトを生じ、そうでない場合にコンフリクトは弱いということである。奥地林における生産的利用と保護的利用(原生的自然保護)の競合問題にこれを応用すると表−1を得る。表−1において、最も強いコンリクトを生じるのは「重点調整地区」においてであり、「林業地区」や「自然保護地区」ではコンフリクトは弱いと考えられる。

表−1 tbl1.gif

 コンフリクトの強弱や意思決定の難易度はゾーニングの安定性にかかわってくる。そこで表−1でいう各「地区」が生じる条件を、図2-1および図2-2のようないわゆる「レント・オファー・カーブ」によって考えてみよう。ここで両図の横軸の「空間」はさしあたり都市部からの距離を想定し、縦軸は利用のもたらす用益の社会的限界評価を表す。既に触れたようにどちらの利用方法でも土壌保全は共通的に保障されると仮定しこれに対する社会的限界評価を点線で示す。いま、生産、保護の各用益の空間的配置について、仮に図2-1のような関係にあるとした場合には、A-A線よりも左側の領域では生産的利用、右側では保護的利用がそれぞれ優位であるものの、林産物価格(投入財価格との相対価格)、補助金の増減や支給目的の変化、社会的ニーズの変動などがあれば区域区分の定める用途さえ逆転しかねない不安定な関係にあることが見て取れる。ここでA-A線の左側は表−1でいう「重点調整地区」、右側は「林業開発地区」に相当すると考えられる。一方、生産、保護両用益が図2-2のような空間的関係にあるとすれば、B-B線よりも左側を表−1にいう「林業地区」、右側を「自然保護地区」にそれぞれ区域区分することは比較的安定的であるようにみえる。すなわち社会的ニーズや材価の変動によってB-B線が多少左右に動くことはあっても、区域区分そのものが広範囲で逆転することは考えにくい。

図2-1 と 図2-2 fig2.pdf

 一般的には、局地的に図2-1のような関係と図2-2のような関係のそれぞれが混在しているのかもしれない。日本の今日の制度的実態としては、図2-2のB-B線の右側にあたる「自然保護地区」、すなわち保護的利用において優等地区であり林業的利用において劣等地区であるような地区は、すでになんらかのゾーニングの対象となっている可能性が高い。現実的におそらく最も問題なのは、かつて図2-2的な構造の中で「林業地区」であると観念されたような地域が、材価の低落および、全国的な乱開発による自然の希少性の増大によってより(地方)都市に近いありふれた自然環境への社会的ニーズが高まることによって図2-1的な構造へと変化してその中での「重点調整地区」の位置にシフトしつつあるようなケースにおいて、どのような土地利用ないし土地利用の制御方法を社会として選択するかであるといえるかもしれない。
 表−1および図2-1、図2-2の分析も、「クローソンのマトリクス」同様、時空の単位の単純化によって成立している点、手法としては限界をもつものの、問題の所在を確認するための一次的接近としては有効であろう。
 日本の現状を考えた場合、少なくとも、転用規制的意味では、財政的制約からも、また立木が林地から切り離される存在ではない(13)という常識的事実からも、現況森林を森林として保全することが基本であり先決であるといえよう(14)。また、内部制御的意味では、固定的制御にはその固定性の強さに応じた社会経済的根拠ならびに所有権と利用権に関する社会的合意が不可欠であると考えられる。これらの諸点については、節をあらためて述べることとする。

(1)このような論考の一例として、熊崎は一九八〇年代前半、保安林制度にかかわって「現行の保安林のように、ここは水源かん養、あそこは土砂流出防備というふうに、それぞれの林地を機能別に分業させるのは、あまり適切とは思えない」「森林の環境保全的な機能を細分して20、30と列挙するのもいいが、大切なのはそれらが結合的に生み出されているという事実である。その一つひとつの効果は必ずしも顕著なものではないかもしれない」「(森林は−引用者)どこからもまんべんなく点を稼ぎ、総合点で優位に立つタイプである」と、固定的内部制御を痛烈に批判していた(熊崎実「自然環境の保全と保安林制度」『林業技術』四九六号、一九八三年、四頁)。
(2)半田は「国有林改革前の旧機能別区分(引用者註:一九九一年改訂国有林野経営規定)では、水源涵養は森林全体にわたる機能であるとし、ダブルユースの相手方の他の四機能によって仕分けていたが、筆者はこれに賛成である」と言明している(半田良一「新しい林政の方向について」『林業経済』六二〇号、二〇〇〇年、二〜三頁)。
(3)N.G.-レーゲン、高橋・神里訳『エントロピー法則と経済過程』、みすず書房、一九九三年、第九章。
(4)サービス・ポテンシャル概念、あるいはフィッシャーの「富」概念も想起される。前者については浅野幸雄『近代ドイツ農業会計の成立』、勁草書房、一九九一年、一九八頁、後者については、山本伸幸「『富』のストック概念の検討−森林利用の包括的把握の可能性」『日林論』一〇四号、一九九三年、一一三〜一一六頁を参照のこと。
(5)狭義の森林施業に加えて、治山工事を要する場合もあろう。なお、少なくとも治山治水と木材生産の双方にとって林地保全が重要であることを指摘したものに、田中茂「治山技術論覚書」『林業経済』一三二号、一九五二年、三六〜四〇頁がある。
(6)古島敏雄編『日本林野制度の研究』東大出版会、一九五五年、九八〜九九頁(岡村明達稿)。この論理は戦後、拡大造林に及ぶ。
(7)熊崎実「林地開発規制の視座」『しんりんほぜん』一一号、一九八一年、三〜五頁。米国のエコシステムマネジメントにおいてニーズを「経済的ニーズ」「生態的ニーズ」「社会的ニーズ」に分けているのもこの分類に類似している(八巻一成「エコシステムマネジメントとは何か」『北方林業』五二巻二号、二〇〇〇年、六頁)。
(8)したがって、いわゆる森林の「環境保全」的機能には、その競合関係に着目すると、a.木材生産を含むすべての利用に共通な土壌保全機能、b.木材生産と両立する枯渇性資源の代替機能、c.保護的機能、d.レクリエーションの場としての機能の四つのカテゴリーがあることがわかる。このうちd.をさらに「自然的要素、人為的要素」の多寡によって分類することの重要性を論じたものに、八巻一成「アメリカ合衆国連邦有地における土地管理とレクリエーション計画」『林業経済研究』四六巻一号、二〇〇〇年、七六〜七七頁がある。
(9)熊崎実『森林の利用と環境保全』日本林業技術協会、一九七七年、五八〜六三頁。M.Clawson:Forests for Whom and for What, Resources for the Future, 1975, p40に基づいている。なお、利用競合は森林資源に限らない。類似のマトリクスは、水利用の競合についても作成されている(森滝健一郎『現代日本の水資源問題』、汐文社、一九八二年、三〇頁)。日本においては、具体的地域における作成例もある(杉村乾「住民意識と立地環境から見た機能評価の総合化による森林機能配置計画−兵庫県南部における試み」『第八回環境情報科学論文集』、一九九五年、六六頁)。
(10)古井戸宏通「林業の環境費用」『日林関東支論』五一、二〇〇〇年、七〜一〇頁。なお、関連して、農業単独または林業単独の土地利用とアグロフォレストリーとの効率上の優劣について等費用線を用いて解説したものに、深尾清造編『流域林業の到達点と展開方向』九州大学出版会、一九九九年、三五二頁(飯田繁稿)が、等費用線の異時点間のシフトを明示的に扱ったものに、福岡克也『エコロジー経済学』、有斐閣、一九九八年、二二二頁がある。
(11)一般に、ゾーニング(固定的内部制御)と多目的利用(非固定的内部制御)をわける効率性の条件は、空間sにおける用途Uの関数である地価V(U;s)(円)を考えたとき、[V((甲+乙);s)]−[V(甲;sの一部)+V(乙;sのうち用途甲に供されない残りの部分)]の符号の正負である。この符号が正であれば多目的利用の方が効率的であり、負であればゾーニングを行った方が効率的である、ということになる。ただし、空間sのひろがりとその分割しうる最小単位をどのように考えるかで無数の選択肢が生じるし、分けられた部分空間同士の外部性も無視できない。熊崎は、森林の空間配置最適化問題について、全くの白紙状態から数理的手法による解を得るのは困難であると指摘した(熊崎実『森林の利用と環境保全』日本林業技術協会、一九七七年、一二二頁)。この問題は、いわゆるヘドニック評価法における地価関数の推計に於いても存在すると考えられる。
(12)なお、ここで土地分級とは、多くの要因によって定量的に評価されるものであり、ゆえに表−1は「特性の重ね合わせによる性格付け(類型化)」であって「どちらの土地利用種を優先させるかを決めるものではない」(星野敏「わが国における土地分級研究の系譜」『農業土木学会論文集』一五七号、一九九二年、一〇九頁)。
(13)歴史的建造物のように、建物だけ明治村などに移設して跡地は転用する、といった上物と地盤の分離による保存方法は、森林については、生産林に関してもほとんど不可能であろうし、貴重な生態系であればなおさらである。また、森林の場合むしろ「地盤」たる土壌の保全が重要である。なお、立木と林地の関係は民法解釈論においても複雑な問題を生じている(成田博「立木・対抗問題・公信力」『法学セミナー』五三四号、一九九九年、八八〜九二頁)。
(14)都市近郊林についてではあるがこの根拠を整理したものに、古井戸宏通「都市近郊林保全問題の検討」『森林文化研究』八巻一号、一九八七年、八五〜九二頁がある。なお、前提として、森林面積そのものを増加させることは困難だと考えている。

四.「利用競合」の深層
 森林の多様な機能を実現させる社会のあり方について三井(1)は、かつての山村民が森林からさまざまな用益を引き出しつつ再生産を維持してきた旨指摘している。これを、前節で述べた機能論的予定調和論と区別して社会経済的予定調和論と呼ぶことにしたい。近代以前において、資源の持続と農山漁村社会そのものの再生産を一体的に可能とする営みが存在したとするならば、このような営みを破壊し、資源、担い手、利用者を含めた社会全体を激変させることによって成立した近代においてかつてと異なる条件は何であり、如何なる持続的森林管理が如何にして可能であるかという基本的問題は確認されてよいだろう。
 森林利用の競合関係について、「三.」では時間と空間を単純化し、静学的に分析した。利用される森林が空間的存在である以上、そこには必然的に多種多様な経済主体が関与し、その活動の結果として利用競合が発生するのであるから、表層的な利用競合にのみとらわれることなく、利用競合の発生する技術的・社会的構造を分析することが必要である。こうした分析によってはじめて「社会経済的予定調和論」が近代社会において成立する条件を論じる端緒がえられよう。
 まず、技術的構造を分析する手がかりとして、「利用形態」「利用に伴う諸現象」「自然資源」を相互に関連づけた田中らの論考(2)を参考に描いたのが図−3のマトリクスである。図−3は正方行列であるが、おおまかにみて表側が原因、表頭が結果を表す。「森林における自然資源」としては、土壌、立木(蓄積および成長)、野生生物など、「利用形態」としては、生産的利用、保護的利用、レクリエーション的利用など、「利用に伴う諸現象」としては、伐採、植栽、薬剤撒布、林道開設、廃棄物の(不法)投棄、放棄地化などを想定する。これまで論じたクローソンのマトリクスは、この大きなマトリクスにおいては利用形態同士のクロスする場所に位置する。

図−3 fig3.gif

 全体的な因果関係を考えると、利用形態(たとえばレクリエーション利用)が定まることにより諸現象(たとえば伐採)が発生する。諸現象は森林資源に圧力(部分的な裸地化)を加える。圧力を受けた(たとえば部分的に裸地化された)森林資源は、その後の利用形態を制約する。このような過程を通じて、利用形態同士の摩擦なりトレードオフが発生すると考えられる。この図そのものには描かれていないが、ある森林の利用形態が近隣の、あるいは遠く離れた別の土地利用に影響を及ぼす外部性が発生することも考慮に入れねばならない。少なくとも「森林への人々の要求の多様化」を図−3のマトリクス全体で考えれば、各過程について対策を行うことで利用競合を緩和する可能性がある(3)
 次に、社会的構造を分析するためには、このマトリクスの外側に管理形態、所有形態、費用負担のあり方、管理の担い手の類型などの社会経済的項目を書き加えたより大きなマトリクスを想定し、各項目間の関係を分析する必要がある。ここまでマトリクスを拡張することは今後の課題とし、ここではごく簡単に触れておくと、利用によって生じる諸圧力に対し、「持続可能性」の見地から「管理」側が何らかの対応を余儀なくされる場合、それがいったいどのような所有形態、誰の費用負担(4)、いかなる実行組織や担い手によって行いうるかといった議論が重要である。平野の議論(5)はこれらを視野に入れようとした試みとして評価できる。とくに所有と管理の関係は、基本問題答申以来の課題であるが、ここに持続可能性をめぐる昨今の視点を導入した場合、どのような関係が措定されるかがあらためて問題となろう。また、費用負担のあり方は次節「五.」で触れる所有権と利用権にかかわる重要な問題である。森林の持続可能性が、森林をとりまく社会の持続可能性と密接不可分であるとすれば、こうしたより大きなマトリクスの中に議論を集約させていくことが有効であろう(6)

(1)「実際の森林を歩いてみると、気候や地質などによってミクロな違いがみられ、複雑な存在であることがわかる。そのような複雑さに順応しながらさまざまな資源を引き出し再生産を維持してきたのが、かつての山村の人たちであった。かれらにとってはゾーニングによって与えられた国土保全や木材生産といった単一的な機能は意味をなさない。ゾーニングは森林を知らない人たちにもわかるように示された、ひとつの目安なのである」(三井昭二「歴史からみる国有林改革の方向性」『林業経済』五八三号、一九九七年、二一頁)。また中井は与論島漁民の水産資源利用について言及し、「伝統的な土地利用のなかに、自然環境保全型土地利用のヒントがあるように思える」「ただし、ここでいう土地利用は単に生業にかかわる部分のみではなく、日常生活のなかの消費財の採取や、子供あるいは大人の遊び、そして信仰の場としての利用まで含め、しかも恒久的な土地利用のみではなく、季節的あるいは時間的な利用も含めて考えている」(中井達郎「自然環境保全のためのゾーニングを考える」『地理』三七巻三号、一九九二年、四八頁)としている。
(2)田中弘靖ほか「自然保護および環境保全のための生態学的方法」『応用植物社会学研究』一三号、一九八四年、一九〜四〇頁。一九七〇年代後半の西独における景域生態学的地域計画手法を紹介した論文である。
(3)一例として、環境教育によって、レクリエーション利用へのニーズを施設型から自然活用型へと誘導する、といった方法によってレク利用と他利用との競合は緩和されるかもしれない。この例では、図−3における利用形態(行)×利用に伴う諸圧力(列)マトリクスが変化することによってクローソンのマトリクスが変化することになる。
(4)西頭は「資源利用や環境保全に関する規制強化問題は終局的には、コスト負担問題と同義である」と喝破した(西頭徳三「湖沼の水質保全と規制強化」、麻野尚延編著『前掲書』、九〇頁)。
(5)機能や利用に着目した「森林類型」に加えて管理主体に着目した「圏域」概念を呈示し、「所有」の再編をも射程に入れた広範な議論を行っている(平野秀樹「森林社会学の政策理論」『日本の農業−あすへの歩み−』一九二号、一九九四年九月、八七〜九一頁)。また、「担い手」と「費用負担」(所得補償)の関係について論じたものに堀靖人「林業における中山間地域対策の現状と課題」『林業経済研究』四七巻一号、二〇〇一年がある。
(6)持続可能な森林経営に関する基準・指標の議論も、単に種々の指標を列挙したwish listの作成にとどまることなく、少なくとも図−3に示した程度のフレームワークを構築した上で、諸指標間の因果関係や競合関係を明らかにしつつ進められるべきであろう。実際、欧州では類似の試みが進められている。Brang,P.et al: Developing Meaningful Indicators for the Sustainable Management of Multipurpose Mountain Forests Using a Modelling Approach, in "Multipurpose Management of Mountain Forests: Concepts, Methods, Techniques, 25th-30th June 2000 Pralognan-la-Vanoise, France" (Proceedings for International Symposium held by OEFM and IUFRO), pp117-128 を参照のこと。

五.所有権と利用権をめぐる問題
 その重要性にかかわらず、多くを語ることの難しい論点である。
 池之上は「営造物の国立公園は、その土地が公園目的のために専用され、理想的な公園管理が行われる。/これと異り((ママ))地域制の国立公園では、土地の多目的利用を前提としているため、公園目的と他の土地利用との間の調整をはかることが求められ、公園目的のための完全な管理が期し難い」(1)としているが、米国等の営造物公園と日本の地域制公園のこのような違いは、土地を公有化しているか否かによって生じるものであり、利用調整にかかる種々の困難は私的土地所有を残したまま公共目的のための管理を行うことから生じているというべきであろう。日本で林地のゾーニングを考える場合、森林面積の約半数を占める私有林の存在を抜きにして語ることは難しい。
 既に触れたように、私有林に対し内部制御的な公的関与のみで転用規制を欠いた場合、森林にとってのファンドである土壌の保全すら脅かされる虞がある。しかし、転用規制は、他の土地法体系全体とのバランスにおいてなされるべきものである。日本の戦後の土地政策一般において、転用に対する実効的な規制が脆弱であったことは周知の事実であろう。強い規制をもつ理想主義的制度は種々の目的で存在し、既に何らかの経緯でそのような制度によって指定された地域地区については判例上強い社会的制約が課せられ補償不要と判示されている場合が多いものの、新規指定に関しては、まさにこの社会的制約の強さにより地権者の反対で指定できない「権力の竹光化」(2)が生じている。
 普通林に対する現行森林法に基づく林地開発許可制度は、ミニ開発などの抜け道が指摘されるものの、現行の法体系の中で土地所有者への補償措置なしでできる最大限の規制であると評価され、これ以上の規制には財源もしくは制度的なくふうが実態上不可欠になっている。都市近郊林や平地林の保全を目的として地方自治体が実施している種々の政策の多くは、一定期間を定めて保育管理助成と引き替えに転用を規制するものであるが、長期にわたる保全を保障するには至っていない(3)
 原理的には、なんらかの形で、土壌保全義務を条件に、立木収穫権と生業継続権の和のようなもの(4)を所有者に明示的に与え、その他の利用目的のためにこれらの権利を犠牲にする場合、その他の利用目的にかかわる利用者は所有者に対して補償する義務を負う、といった考え方で制度を組み立てれば、少なくとも現行の土地所有権の枠組みとは矛盾しないと考えられる。その他の利用目的が、利用者にとっての生存権にかかわるようなケースを除けば、こうした制度設計により「土壌の持続」と「管理の持続」が保障されるであろう。ただこのときやはり、土壌の管理の「持続」の前提となる空間単位や期間が明確にされねばならないが、これは計画技術論的に決定しうる領域というよりはむしろ価値判断の領域に属し、時空のきりとり方の設定からして論争的であるように思われる。 
 このような、多かれ少なかれ価値判断を要する制度の構築は、政治過程論の範疇に属するかもしれない。ゾーニングと市民参加の関係について堺は、「市民参加の問題は機能区分、ゾーニングと密接に関連している。それが、森林所有者の私的権利の制限を内包しており、かつ森林地域や下流域の住民、社会にも大きな影響を及ぼすものであるからである。場合によっては、彼らの経済や生存に関わることもある」と指摘した(5)。環境倫理の議論はしばしば土地所有権の社会的制約を強調しがちであるけれども、この分野でしばしば引き合いに出されるA.レオポルドは、かつて、「私有地の地主に、自分の得にはならないが、地域社会の役には立つことをやらせようとしても、目下のところでは、渋々賛成するにすぎない。金がかかるのでやりたくないと言うのなら無理もないし、よく分かるが、将来を見通したり、偏見を捨てたり、時間をかけるだけですむ場合は、少なくとも議論をするくらいはできる」という控えめな見解を示している(6)。堺の指摘を踏まえ、レオポルドの意味での「議論」を、土地所有者と社会全体の間でたたかわさせるような運用上のくふうが、本稿が「ゾーニング」と呼んでいるところの、林地利用の規制や制御を目的とする諸制度にとって必要ではないだろうか。ひいては所有権と利用権に関する議論の「場」としての機能をもたせることが今後重要になるかもしれない(7)。一般に、生産者と受益者(ないし「受苦者」)の間の、地理的、文化的な隔たりが大きければ大きいほど、外部性の存在が曖昧にされやすい(8)。このとき「林業」という生業に対する社会的認識のありようも問題になるかもしれないし、図−3をさらに拡張したような一般均衡論的な利用競合の構造が、情報として共有される必要があるだろう。それでもなお、異なる目的の利用者が互いに譲歩しない限り解が得られないようなケースもありうる。各利用権にかかわる財・用役の「消費量」は、センのいう「ケイパビリティ」(9)のものさしで考える必要がある。
 岩田のいうように、人間はその日常を支配する低い次元の価値評価とは別に高次の価値評価をも持っているとすれば、「社会的な安定性を維持するためには、高次の価値評価に基づいて社会の共同秩序をいかに形成するかが市場に資源配分を委ねる前に、解決されねばならない」(10)。空間や時間を射程に入れた所有権(11)の所在に関する議論が、こうした社会の共同秩序の形成にかかわることは疑いない。

(1)池之上容「地域制国立公園制度の検証(前編)」『国立公園』五四四号、一九九六年、七頁。
(2)阿部泰隆『国家補償法』有斐閣、一九八八年、二七四頁。
(3)柳幸によると、茨城県の「平地林保全特別対策事業」において、この期間は八年である。所有者の意向を勘案して県が定めたという(柳幸広登「茨城県の平地林と平地林保全特別対策事業」『地方自治体の森林政策と地域森林管理−都市近郊、里山林の保全、整備を中心に−』全国森林組合連合会、一九九八年、所収)。掛川市長榛村氏は「永久森林」「永久農地」構想を提案しているが、実現をみていない(林地保全利用研究会『都市近郊林の保全と利用』、日本林業調査会、一九九六年、五五頁)。相続税の問題もある。
(4)土壌保全義務は転用規制を含意するので、これに見合うだけの森林所有者の生業継続の保障が必要になる。ここでいう「立木収穫権」は一定期間に一定の材積の立木を収穫する権利を想定しており、立木収穫権のみでは材価の変動に左右され生業継続は保障されないので、なんらかの形で「生業継続権」を保障するという趣旨である。一定の条件の下で、この「生業」には狭義の林業のみならず、いわゆる「森業」を措定しうるかもしれない。また土壌保全義務には公的機関による土壌調査を受け入れる義務を含むと考える。
(5)堺正紘「林家の経営マインドの後退と森林資源管理」『林業経済研究』四五巻一号、一九九九年、五頁。
(6)A.レオポルド、新島訳『野生のうたが聞こえる』講談社学術文庫、一九九七年、三三二頁。
(7)米国都市計画におけるゾーニングに関してはすでにこのような都市計画における市民参加の場としての機能が評価されている(山岡公一「前掲論文」、四〜一八頁)。また、趣旨・目的は異なると考えられるが、明治三〇年森林法制定時にも、「(保安林の編入解除を−引用者)決定する機関は皆特別に設置せり。プロシャはこれがために森林保護裁判所を組織し、イタリアは森林会議を編制し、オーストリアは森林委員会を設け、スイスは連邦議会を開き、而してその処分を公平ならしむるが為め審議は皆之を公開するを常とせり。我が地方森林会に於いても会議は公開せんことを望む」との見解を山林局長が示していた(高橋琢也『森林法論』、一八九八年、明法堂、一一五頁、引用にあたり現代表記)ことは興味深い。
(8)外部性と空間の関係に関するこうした立論の良質なサーベイとして、小島道一「空間と環境問題」『アジ研ワールド・トレンド』五一号、一九九九年、一八〜二一頁がある。
(9)作間逸雄「”ケイパビリティー”で考えてみよう−保守主義・リベラリズム・ケイパビリティー−」『専修大学社会科学研究所月報』四二五号、一九九八年、一〜三二頁。具体的な含意の一例として、奥地の森林をレクの場として保護・整備しても、そこへ訪問できるのは富裕な人々が多い、といった分配上の議論が挙げられる(熊崎実「森林レクリエーションと利用者負担」『森林・コンサベーション』八号、一九七九年、二九〜四一頁)。
(10)岩田規久男「環境保全のための土地利用計画とその費用負担」『環境研究』四九号、一九八四年、七三頁。
(11)農業による土壌(地下水)汚染問題に関して、直接の「原因者」たる農業者にのみ責任を負わせるのでなく、清浄な水への需要をたかめた経済社会の構造変化をコンフリクトの「原因」として問題にしたドイツの財政学者ボーヌスの議論は、OECDのPPP原則の拡張としては無理があると批判されたものの、問題を局所的静学的次元に閉じこめない発想として注目したい。八巻節夫「環境と財政(1)−ドイツの水消費税(Wasserpfennig)論争をめぐって」『経済研究年報[東洋大]』、一六号、一〇一〜一二六頁、一九九一年、および諸富徹「ドイツ『水料金』制度の費用負担原理」『財政学研究』二〇号、六三〜七五頁、一九九五年を参照のこと。

六.むすびにかえて
 本稿で定義した「ゾーニング」は、計画段階であらかじめ地域地区の区分が示されるか否かにかかわらず、一定面積の林地に対するある公的関与ないし介入が、その帰結として、林地の長期的な差別化をもたらす場合、そのようなすべての公的関与を指すこととした。転用規制を絶対的要件としない点が塩谷の法律論とは異なり、事前の線引きを要件としない点が計画論的常識とは異なる定義である。おそらく、時空の単位を明確に措定すればより明確な議論ができたであろう。もとより本稿の定義が正しく他の定義が誤っていると主張するものではない。本稿の強調したいことは、ひとえにゾーニングという概念が意外と定式化しづらいものであり、時空の単位の措定には政策目的や価値観さえ入り込みかねないということである。
 小括にかえて、本稿の意味での「ゾーニング」と持続可能性との関係を整理しておこう。
 第一に、転用規制についてである。物的な持続可能性のみを考えると、すべての林地について転用規制を設けることが、森林土壌を維持するための必要条件であり、全森林を「森林」として社会的に位置づける必要性が、原則として確認されてよいだろう。
 第二に、内部制御についてである。物的持続可能性と管理の持続可能性を同時に満たすために、規制・課税・補助金等による固定的内部制御を全ての森林について行うことが必要か否かを考えると、a.転用規制を伴わなければ尻抜けになること、b.技術的な効率性について、b-1用途区分の不安定なケースの存在、b-2あまりに細かい機能区分や施業制限の不合理(1)、b-3現場の裁量を抑制することによる非効率性(2)、c.生業継続への脅威(とくに規制的措置の場合)、d.一般均衡論的ないし動学的にみたときの代替案の存在、などが固定的制御の問題点として考えうる。こうした問題に対し、論理的には、緩やかな内部制御、細部に関する現場主義、内部制御についてその効力の及ぶ期間の長短を設けること、などの対策が考えられる。加えて、戦略的には、全ての森林をなんらかの内部制御の対象とし森林の存在目的を明確にすることにより、転用圧力への対抗力を増すことができるかもしれない。「実現すべき空間の状況を計画段階であらかじめ決めることにより、空間ごとの管理方針を明確化」(3)することで初めて秩序ある利用管理が可能になるとする考え方は網羅的な内部制御を擁護するものであろう。ここで「網羅的」というのは必ずしも「固定的」内部制御を意味しない。こうした内部制御のメリット・デメリットの比較検討は注意深い実証研究を必要とする。
 転用規制にせよ内部制御にせよ、管理の持続可能性を考えた場合、社会経済的諸要因の構造分析に基いた、土地法体系と整合的な森林利用権の定義および費用負担のあり方についての議論が不可欠であることはたしかである。
 一方、視点を転じて「持続可能性」の側から空間を眺める試みは、たとえば森林資源勘定における土地勘定や地域勘定として試みられているものの、こうした勘定の作成と、作成された勘定による空間を考慮した持続可能性の分析は、ともに今後の重要な課題となっているようにみえる(4)
 デカップリング、ドイツにおける自然保護契約(5)や地域的森林木材認証、三重県の「環境林」制度(6)など、内外の新たな動向を実証的に類型化・分析しつつ、図−3のマトリクスをさらに拡張することも重要な課題であると考える。

(1)たとえば、中村太士『流域一貫』、築地書館、一九九九年、一八〜二二頁。
(2)明治四〇年森林法による保安林制度の運用について種々の批判がかつてみられた。制度的には「私有林に對して、一木を伐るにも地方長官の許可を要し、樹根、草根を掘るにも許可を得ねばならぬやうな煩瑣なる制度は、現時の外國法には其例を見ない」(川島明八「現行保安林制度に対する批判:研究報告」『林學會雑誌』第一二巻第一号、一九三〇年、一二頁)との批判があり、実態的には島田が川瀬(一九〇三)を引きつつ「禁伐林の多くは当時、真の保安林の性質を維持することができず、枯損木風倒木を生ずればこれを幸いとして採取し、いかに荒廃しても敢えて植樹することなく、遂に無立木地の状態になっても禁伐林の名を有するものあるを見るにいたった」(島田錦蔵「治水保安林制度の成立と展望」『水利科学』四巻一号、一九六〇年、一八頁)と述べている。
(3)八巻一成「前掲論文」、八〇頁。
(4)小池・藤崎編『森林資源勘定−北欧の経験・アジアの試み』アジア経済出版会、一九九七年、九九〜一二二頁(山本伸幸稿)、山本伸幸・小倉波子「農山村SAMの展開−環境セクター・公共セクターへの拡張の可能性」『地域学研究』二八巻一号、一九九八年、二三一〜二四一頁など。関連して、「風土の持続可能性」を作間は以下のように論じている。「『循環』の視点だけでよいのか、という疑問がベルクを一読すると生じてくる。よくいわれるように、『強い意味の持続可能性』といっても、特定の浜辺や干潟を『場所』としてそのまま維持しようとするものではない。地域の立場から『風土』を取り戻すこと、ベルクのこの視点は、こうした循環視点とは別の次元が環境・経済統合勘定の設計に必要であることを強く印象づけているように思われる」(作間逸雄「ベルクの『風土』をめぐって」『専修大学社会科学研究所月報』四三八号、一九九九年、二三頁)。
(5)堀靖人『山村の保続と森林・林業』九州大学出版会、二〇〇〇年、一八〇頁。
(6)「中日新聞」二〇〇一年一月三一日付。

謝辞
 八巻一成、奥田裕規、家原敏郎、山田茂樹、嶋瀬拓也、石崎涼子の各氏(森林総研)および山本伸幸氏(島根大)、興梠克久氏(林政総研)には貴重なコメントをいただいた。とくに八巻氏には農村計画や自然公園等の分野の既往の研究についてもご教示をいただいた。三井昭二氏(三重大)には実態をふまえた懇切なご教示をいただいた。フランス国立農林水産学院ナンシー校(ENGREF-Nancy)のG.ビュトゥー教授(林政学)にはフランスにおけるゾナージュの考え方についてコメントをいただいた。これらの方々に深い謝意を表したい。なお、ありうべきすべての誤りが筆者自身に帰することはもちろんである。

英文論題
Zoning : Concepts and Analytical Framework

英文著者名
FURUIDO, Hiromichi
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『林業経済』誌所収論文の訂正(著者のミスその他による)
  1. 19頁下段:「G・レーゲン」→「G.-レーゲン」(本HPでは修正済)
  2. 20頁上段:「考えれられる」→「考えられる」(本HPでは修正済)
  3. 21頁下段:「図2-1 不安定な区域区分」→「図2-2 安定的な区域区分」(本HPでは修正済)
  4. 21頁下段:「図2-2 安定的な区域区分」→「図2-1 不安定な区域区分」(本HPでは修正済)
  5. 22頁中段:「N・G・レーゲン」→「N・G.-レーゲン」(本HPでは修正済)
  6. 24頁下段:「図−3 …マトリスク」→「図−3 …マトリクス」(本HPでは修正済)
※ページ割付に影響するような訂正はありません。引用して下さる場合、当該箇所のページ数は、『林業経済』誌をご参照ください。(『林業経済』誌所蔵機関一覧(Webcat)
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