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静まり返ったオフィスには、彼女がパソコンを叩く音だけが響いていた。煌々と灯る蛍光灯が眩しい。土曜日の夜だというのに、彼女は差し迫っている大きな会議の為に、連日連夜書類の山と闘っていた。それに今日はヴァレンタインだわ…彼女はカレンダーを見て、軽く溜息をついた。カレンダーの隣に置いてある写真たての中で、コリンが彼女に向かって微笑んでいた。コリンからはディナーの誘いがあったのだが、仕事のせいで彼女はそれを断っていた。今頃蝋燭の灯の映るワイングラスを前に、楽しい時を過ごしていたはずなのに…彼女は軽く頭を振ると、パソコンの画面に視線を戻した。その時デスクの電話が鳴った。
「はい」
彼女は少し不機嫌そうな声で答えた。
「…僕だよ、コリンだけど…今、ビルの入り口にいるんだ。少しでいいから降りてこられる?」
コリンからの予期せぬ電話に彼女は驚いた。いつまでも聞いていたい彼の声。仕事に追われ、最近はなかなか連絡をとることすらできていなかった。久しぶりにコリンの声を聞くと、彼女には胸に込み上げるものがあった。
「コリン…ごめんなさい、本当に時間がなくって」
「5分だけ。それだけでいいから」
「…わかったわ、今行くから」
彼女は受話器を置くと、オフィスの鍵を手にし、コリンの待つビルの入り口へと向かった。オフィスビルのホールは既に明かりが消され、外の街灯の光がかろうじて届いていた。入り口の扉の前に、背の高い男が立っているのを彼女は見つけ、その扉を開けた。
「コリン」
彼女が呼びかけると、コリンは振り向き、嬉しそうな顔をした。
「ごめん、忙しいのはわかっていたんだけど」
そう言うと、コリンは彼女に大きな薔薇の花束を渡した。その甘い香りに彼女は一瞬むせ返った。ビロードのような真紅の薔薇。
「ハッピー・ヴァレンタイン」
「ありがとう…こんなに素敵な花束を…」
彼女はコリンの優しさに涙が出そうになった。今、彼の胸に飛び込むことができたら…彼女はコリンにその気持ちを悟られないように軽く俯いた。
「ごめんなさい、私、あなたに何も用意していなかったわ」
コリンは彼女に優しく微笑んだ。
「じゃあ、とっておきのものを」
彼女が不思議そうな顔をすると、コリンは彼女の顎に指で触れた。
「キスを」
彼女は微笑むと、コリンの唇に指を当てた。
「…知ってる?それは一番高価なプレゼントよ」
コリンは彼女の唇に自分のそれを軽く重ねた。それから2人は暫く見つめあっていたが、彼女は自分の気持ちを振り切るかのように言った。
「…もう戻らなくっちゃ」
コリンは指で彼女の頬にかかる髪を梳き、頬に優しく触れると、温かい笑顔を向けた。
「あまり無理しないで」
「ええ、わかっているわ…おやすみなさい」
「おやすみ…また時間ができたら、連絡して」
彼女は頷き、鍵で扉を開けた。コリンのほうを振り向きたい衝動を抑えつつ、早足でエレベーターへ向かった。オフィスへ向かうエレベーターで薔薇の香りに包まれると、知らず涙がこぼれた。コリンに触れられた感覚が彼女の頬には残っていた。
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