再びのプラハ (20060204)
機会があって、昨年の春に引き続いてプラハを訪れた。前回はパック旅行であったが
、今回は出張旅行である。出張先はプラハから列車で1時間弱の所にあるパルデビッチエという古い街である。そこはプラハからの電車の便もよく、休みの日
を利用して予ねて見たいと思っていた冬のプラハに2回訪れた。幸い両日とも晴れで、冬のプラハを満喫できた。しかしそれ以上の感動は
、出張先の人々や見知らぬ現地人との交流である。それらはパック旅行では得がたい良き思い出となった。
そのいくつかを紹介しよう。
その1
プラハへの電車の中で、2人の孫を連れた70歳の老人に会った。彼は孫たちと週末を自分たちの家で過ごし、孫たちをプラハまで送るところであった。終戦後ロシアの捕虜として2年間収容所にいたらしい。その証明書を見せてくれた。「日本は終戦後アメリカの支配下ですぐ民主化ができよかったね。チエコは大変だったよ、ここまでくるまでに」という彼の言葉は非常に印象深い。プラハの駅では、老人の息子が彼らの到着を笑顔で待っていた。彼はトンボ帰りでまたパルデビッエに戻るらしい。
その2
今回出張先の工場長ALANは、私が30代後半に勤務していたスコットランドのOKI
UKのメンバーを良く知っていた。当時私が補佐していたIE課長は、かってHP時代に2年間彼の上司で、工場一番の美人であったANNは彼の親友の奥さんになったとか。宴会のおり、2人で「世間は狭いね」と笑ってしまった。彼の口から出る久しぶりに聞くスコットランドなまりの英語もなっかしかった。会議の最終日、部下の前で叱咤激励の一席をぶったあと私の顔を見て「OK? これでいいんだろう(日本語のニアンス)」の一言は忘れがたく、より一層親しみを覚えてしまった。帰るときには、わざわざ挨拶に来てくれお土産までいただいた。彼はスコットランドからの単身赴任者であるが、異国に来てもよきスコットランド魂は残っているようだ。
その3
どこの国でも喫煙者は疎外されつつある。出張先の工場でも喫煙所は工場の端にあった。受け入れ責任者のQC課長は私が愛煙家と分かると、ある従業員を紹介してくれて、「今度タバコを吸いに行くとき、この方を誘って」と、スキンヘッドの若者を紹介してくれた。彼の名前はブラッド(本名はブラジーミルというロシア系の名前)。スロバキア出身で、チエコに来て4年、軍隊経験あり。現地のトヨタでの勤務経験もあり、日本にも研修で来たとかで、片言の日本語を話せた。彼から現地のタバコを教わる。SPARTAというマイルドセブン同等品が185円で買えた。温泉と富士山が好きらしい。「温泉は裸になるけど大丈夫?」と聞くと、「へっちゃらさ。軍隊では大勢の前で裸でシャワーを浴びてたよ」と、屈託のない答えが返った来た。一緒に飲んだ席で、1968年の「プラハの春事件」に関して聞くと、俺もよく歴史を知らないけどと
言いながらも、いろいろ教えてくれた。彼の話では、ドゥプチェクの死は交通事故でなく、政治的暗殺とか。東欧を旅行する場合は、歴史の知識は必須で、そうでないと、「見た、食べた」で終わり、「理解」するまではいかないと、改めて自分の教養のなさを痛感した。
その4
空港での出迎え、毎日のホテルと工場間の送迎をしてくれたのは、工場の運転手ミッチエルである。彼には帰国前日もプラハのホテルまで送ってもらった。私はいつも助手席に座っていたので、お互いによく片言に英語で話をした。一見若く見えたので年齢を聞くと、48歳で28歳と26歳の息子がいて、長男は今年結婚予定とか。まるで私と境遇が同じではないか。「二十歳で結婚したの?」と聞くと、そうだと答え、家族の写真を見せてくれた。若いときはハンサムで結構もてたのだろう。彼は「もう若くないよ」としきりに言っていたが、だったら56歳のこの俺は?
それにしてもプラハの街は一方通行が多く、まさにそこはカフカの迷路の世界と言っていい。彼は散々苦労したあげく、ホテルを見つけてくれた。おそらくタクシーに乗っていたら、相当ぼられるか、途中で降ろされていたかも知れない。
その5
真打は、モルダウ川ツアーのガイドの80歳のお爺さんである。約2時間の昼食付きのツアーであったが、私が食事もろくに取らず写真撮影に熱中していると、傍へ寄ってきていろいろ説明してくれた。日本では現在定年65歳の時代を迎えようとしているが、80歳の高齢になってもなお元気で仕事をしている生き方に感銘を受けた。ツアーの終点が、街の中心から少し離れていたので、途中まで付いて来てくれ、帰り道を丁寧に教えていただいた。
その6
番外。ヨーロッパを旅行して一番困るのはトイレが必要なときに見つからないことである。深夜、カレル橋付近でトイレに行きたくなった。やっと見つけたトイレも既に扉が閉まって閉店(みなみにトイレは大半が有料)。丁度隣がミュージックPUBで、呼び込みのお兄さんが、うちの店のを使えばいいよといってくれた。「階段を下りて、右」。すっきりした気持ちで、「ゲクユ(ありがとう)」と彼にお礼の挨拶をして、私は夜のカレル橋を後にした。
概してプラハ市民は観光客には親切なようだ。但し英語はあまり通じないのでチェコ語の辞書は必携。下手に話すより、辞書で指差したほうが早い。チエコ語の発音は世界の言語の中でも難しい部類に入るようだ。