パッヘルベル アルビノーニ テレマン

 

ヨハン・パッヘルベル(独)

Johann Pachelbel

*1653ニュルンベルク +1706同地

パッヘルベル、といえば、カノン。「パッヘルベルのカノン」は、クラシックのBGMの中には、どうしていつも?って思うくらい、必ず入っている曲ですよね。もはや、バロック音楽だっていうことはすっかり忘れられて、ほとんどポピュラー音楽になってしまっています。

「カノン」って、何でしょう?実は、「輪唱」のことなのです。「かえるのうた」とか、「静かな湖畔の森のかげから…」などの歌のように、同じメロディーを、何小節かあとから、追いかけて歌って、それでちゃんときれいに聞こえるという、高度な作曲技法の一つなのです。パッヘルベルは、50小節あまりのこの曲を、2小節ずれて追いかけあう3つの同じメロディーと、たった2小節を延々と繰り返す伴奏部(オスティナート・バス)だけで作曲したのでした。

パッヘルベルは生地ニュルンベルクに42才で戻ってくるまでの間、おもにチューリンゲン地方で活躍しました。チューリンゲンは、旧東ドイツの南西にあり、美しいチューリンゲンの森は、「緑の瞳」といって、ドイツ人が誇りにしています。

チューリンゲン地方はまた、バッハ・ファミリーの本拠地としても知られています。パッヘルベルが、アイゼナハ(24才)、エアフルト(プレディガー教会オルガニスト、25才)、ゴータ(市のオルガニスト、39才〜42才)で活躍する間に、、かの大バッハ、ヨハン・セバスチャン・バッハのお父さん、ヨハン・アンブロジウス・バッハと、親しくしていました。1690年に生まれたアンブロジウスの娘、ヨハンナ・ユディッタの洗礼に立会人として参列したり、アンブロジウスの長男、ヨハン・クリストフ・バッハの音楽教育をしたり、1694年、ヨハン・クリストフが結婚した時に、アンブロジウスともう1人のヴァイオリン奏者と3人で、ヴァイオリンを合奏したのではないか?、とも言われています。ヨハン・クリストフは、オールドルフのオルガニストになりましたが、パッヘルベルは彼のもとを、仕事やプライベートで、何度も訪れています。

42才〜52才で亡くなるまでは、生地ニュルンベルクの聖セバルドス教会のオルガニストを務めました。聖セバルドス教会は、ゴシックとロマネスク、2つの建築様式が混ざり合っていて、美しい建物です。(ちなみに、ニュルンベルクに行ったら、短くて細い、12本セットのニュルンベルガー・ソーセージを食べましょう!おいしいよ♪まったく余談で失礼!)そこで彼は、コラール・フーガ、コラール・パルティータなど、大バッハにも影響を与えた数々のオルガン曲の様式を確立したのでした。

 

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