往復書簡 ’04年2月〜5月
投稿時間:04/02/26(Thu) 23:00
投稿者名:たけどん
タイトル:「No.316」・・・汝、罪なし
「神の名において、我これを鋳造す、汝等罪なし・・・」
ちょっと前の「ひとりごと」のワシントンポストと英会話教室の件、
おいら的に、とても<香ばしい>話題なのですが、
もうちょっと置いとこ。
ビケ♪さん、その場では、どうアクションされたのでしょうか?
おなじ東洋人でも、中国人韓国人ならば、それこそ
<口角泡を飛ばして>反論したでしょうな。プラス、顔真っ赤にしてね。
言いたいことがあってもなくても。
「戦争に反対するのは悪いことではない」
そりゃそうだ。総論は賛成だけどねえ。
各論は別物。
テレビ見てるとさ、いましたよね「イラク派兵反対」の連中。
自衛隊の船がいよいよ出航ってときに、あるいは駐屯地に
押し掛けて行って、「海外派兵反対」「イラクの民衆を殺すな」ってのは、どうよ?
・・・って、お分かりになります?
おいら、ずっと違和感感じてた。 ( ゚д゚)ポカーン?
おいら昔、アルバイトで江東区かどっかの市民センターかなんかの
完成引き渡しの清掃作業をしたことがあったのだ。
なんか住宅街のど真ん中で、間近まで民家が迫ってる感じで立ってんの。
そんでおいらが、外壁の汚れを落とす作業してたら、その真ん前に建ってる
家からおばちゃんが出てきて言うんだ。
「そんなの止めちゃいなさいよ!」
そんでコイツが建てられるに際して、住民側と悶着があったこと
話し始めたんだな。「ゼッタイ反対だったの! 清掃なんてしなくていいっ!」
おいらに言われてもね〜。おいらこの仕事の元請けの社員でもない、孫請けくらいの
トコのアルバイトだからね。たとえおばさんの話に納得したとしても、
作業、やめられんわな。仕方なく別の場所に移動して後にしようと思ったんだけど、
別の場所、終わって戻ってくると、また出てきて・・・「やめちまえ!」って。
つまり、本気で派遣(派兵)反対なら、自分の選挙区の政治家や、せめて
国会議事堂にむかってデモするなり、シュプレヒーコール上げるってなら
まだ、分かるけど。実際に現地に派遣される自衛隊に向かって
「行くな! 反対!」ってのは、なんの意味もねえー、ってことですよ。
欺瞞を感じる。 (`・ω・´)
その行為で達成されたのは、その運動体、その組織の存在を
世間にアピールできたってことだけじゃん?
のんきに「コロスナー」「ハンターイ」とか言ってる若者たちが画面に出てたけど
召集かけられた会社や組合の人は別にしても、「まあ、正しいだろな」
「戦争は嫌だよな」
くらいの感覚で参加しているのか・・・?
ちょっと飛ぶんだけど、おいら前に
「次のファシズムは<戦争反対>の声と共にやってくる」って言いましたよね。
なんで? 戦争反対ならいいじゃん。ファシズムなんか関係ないじゃん、と思ってない?
一方の意見が他方の意見を圧殺するっての、
それには、少数派だからとか、多数派だからとかも、戦争するとかしないとかとも
直接には関係がないのだ。ファシズムだから戦争するわけではない。
ファシズムは、過ぎ去った20世紀帝国主義戦争の生んだ奇形児で、
絶滅してしまった過去の遺物、などではない、ということなのだ。
今、民主主義の国家だからこそ生まれる危険性があるものなのだ。
「『戦争反対』はゼッタイの正義なのだから、派兵に賛成するヤツらは右翼」 (話がスライドしてる)
「憲法9条を改正しようなどもってのほか、論議するのもダメ!」 (これホントに言った政治家がいた
コレって、言論封殺じゃないの?)
自分の反対者に、ワカリやすい<レッテル>を貼るのが得意な人間、にはご注意!
あ、また余計な話で・・・。もうすこし暖めておこ、おいらの中で(・・・腐るかも)
ビケ♪さん「チェンバロ復興史」研究中とのこと。やるな・・・。 (*^ー゚)b グッジョブ!!
プレイエルがヒストリカル楽器の復興には関心がなかった、というのは
「なるほど。そうだろうな」という感じですね。ん〜。
おいらも自分なりに、貧しい資料をあさってます。
立場的に、一次資料どころか二次資料にも当たれないので、ビケ♪さんの
研究の足しにはならないでしょうが、なんか書く。
((φ( ̄Д ̄ )カキカキ
モダンチェンバロの設計の段階で「モデルになった楽器」というのは
あるのでしょうか? 構造的には別物にするとしても、
レジスター配列(ディスポジション)の構成などのモデルになったものがあるのではないか?
いわゆる「バッハ・モデル」とゆーやつは?
おいらが資料で見つけたのは、復興時(ランドフスカモデル)のモデルになったかどうかは分かりませんが、
日本へ入ってきたモダン楽器のディスポジションのもとになった(だろう?)
ベルリン楽器博物館の収蔵品である「No.316」(2段鍵盤、黒塗り)。
この楽器が、今回からのお話の主人公のハズだったのだが、
前置きが長引いたので(誰のせいだ?)次回なのだが、
そうだ、思い出した。
あのぉ〜、ビケ♪さん。
音域の表し方を教えてほしいんですけどぉ?
あれあれ、FF〜d3(←指数)みたいなのですよ。
まんなかの「ド」って何になるんですか? C?c?C1?
「そんなことも分からないでいたのか〜っ!!」と、お怒りでしょうが〜? ヽ(`Д´)ノオラ~
そうそう(あわてて)、「昼と夜の祈りの時間のための鐘」
これが一連のディスクの中で唯一、モダンチェンバロが
モダン楽器として自分の声で、何か訴えてきた曲だった、とおいらも思います。(好きか嫌いかはべつ)
モダン楽器の特性を活かした楽曲、作れるはずですよね。
今回は、もういつもにまして・・グズグズ〜な終わりかた〜。
ヽ(゚д゚)ノ ええじゃないか
投稿時間:04/02/27(Fri) 14:31
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:取り急ぎ、音高表記の件
一点ハ音(真ん中のド)は、小文字c1ですよ〜〜〜
日本語表記と比べた場合・・・
カタカナ=小文字 点の数=数字
と覚えましょう!つづきはまた!
投稿時間:04/03/04(Thu) 04:49
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:「No.15」と 「No.316」
プレイエルが、チェンバロ復興の「参考」にしたのは、
ラッセルコレクションNo.15のタスカン1769年作。
「チェンバロってこんな楽器」をぽちっとクリックすると・・・
現れるのは、実は、この楽器。
2段鍵盤8’8’4’ハープストップつき。
・・・ところが・・・
「進化論的価値観」が蔓延していて、
ヒストリカルなチェンバロ=壊れやすいし調律も持たないし
音も小さい=遅れた改良の必要な楽器
ということになり、その可愛そうな虚弱な楽器を
当時のハイテク楽器「ピアノ」に匹敵する機能を備えて
生き返らせてあげよう!!!
・・・という善意によって、世に言うモダンチェンバロbyプレイエルが完成した訳。
さて、ドイツでは、ベルリン楽器博物館「No.316」の
バッハが所有したと信じられていたチェンバロが、
注目を浴びた。
この楽器、グレーに塗られたり、黒く塗り変えられたりしたが、
現在は、塗装を落とされた状態で保管されている。
8’8’4’16’。
16’は、のちにプラスされたものである可能性があるのにもかかわらず、
ノイペルトなど、ドイツのメーカーに採用された。
ベルリンの博物館の鍵盤楽器カタログには、モダンチェンバロの
「おなか」の写真も載っていて、底板がなく、
響板(時にはローズも下から見える状態)が
むき出しになっていました。
これは、楽器の下からも直接音を出して、
少しでも音量を増やすための工夫とのこと。
たけどんさんのおっしゃるとおり、
ピアノに用いた技術をそのままチェンバロに移し変えた
証拠でもあります。
お返事遅くなりました。今日はこの辺で!
投稿時間:04/03/04(Thu) 20:21
投稿者名:たけどん
タイトル:ありがとん
こちらこそ、お礼が遅れましたね。
ビケ♪さん、ありがとん。 (* ̄・ ̄)ちゅ♪ッ (←ナメとんのか?)
音高表記で、「真ん中のド」(う、ぞくっぽい表現)は「c1」となるから〜、
1オクターブ高い「2点ハ」は、「c2」となるのですな?
では、「c1」より「1オクターブ低いハ」は? これが「C」(大文字)ですか?
それでもって、「2オクターブ低いハ」は如何?
さらにさらに、本にあった「FF〜d3」の<FF>とは、大文字二つ重なるとはこれ如何?
「あらら、なあ〜んにもご存じナイのネェ〜?」 ンー( ̄-  ̄ ) コマッタモノダ・・・
現在、鋭意研究中の成果を、ご披露いただき感謝です。
そのうちまとまった形で、当サイトにて大公開していただけると
おいらたちも大喜ぶ、ってやつですね。 ( ̄ー ̄)ニヤリ (日本語が乱れとるね)
ラッセルコレクション「No.15」を元にした「ランドフスカ・モデル」
ベルリン楽器博物館 「No.316」を元にした「バッハ・モデル」・・・
ビケ♪さんも原文にあたられたかも知れませんが、
ハリーハスケルの『古学の復権(The Early Music Revival A History)』
を読むと、ランドフスカは、いわゆる「ランドフスカ・モデル」が誕生する前から
チェンバロによるバッハ等の演奏であちこちを回っていたということらしいですが。
「ランドフスカ・モデル」の仕様に関してはかなり彼女の意向が反映されている
らしい、とおいらには読めました。
以前、おいらが書いた予想は間違ってたわけです。(まだ、ざっと読み、なのですが)
そして今、おいらは (なんだ?偉そうに)
「ランドフスカ・モデル」と「バッハモデル」(あんど、いわゆるモダン・チェンバロ)、
この2者の間には、実は何か<違い>が存在するのではないだろうか?
「ランドフスカ・モデル」はひょっとしたら、オリジナル楽器ではないにしても、
後に隆盛する「ノイペルト」「アマー」などとは、
ちょっと違う楽器だったのではないだろうか?
・・・・今、そんなことを思ったりもしています。(なぜ、そう思う? :今はひみつ?)
プレーヤーの上に置きっぱなしの「ランドフスカの平均律第2巻」を聴かなくちゃ。
(きっと聴いても分からないだろけど)
あ、そうそう。今度の7日(日本時間)の日曜日。
音楽の花束シリーズvol.13の「3台の鍵盤楽器の『饗宴』というコンサートを聴きに参ります。
八百板正己さんの演奏で、チェンバロのほか、な、なんと
「ヴァージナル」と「クラヴィコード」の演奏が聴けるのだよお立ちあい。
<なまヴァジ>と<なまクラ>は初めての体験なので非常に楽しみです。
「耳をだんぼ」にして聴いてこようと思っておりますどすえ。(←喜びがにじんでる)
その体験記もそのうち大アップしていきたいっ! (他の人には迷惑でも)と思っておりまする。
では、お礼まで〜。 (⌒0⌒)/~~ ほんじゃ
投稿時間:04/03/05(Fri) 07:59
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:Re:
ありがとん
またまた取り急ぎですが、
c1(小文字)の下のドは、c(小文字)、その下がC(大文字)
そのまた下がCCあるいはC1、次がCCCあるいはC2・・・
と続くんじゃなかったかな。
だから、FFは、ヘ音譜表下第4線上の音ということになりますね。
それから、プレイエルがNo.15を参考にして第1号を作ってから、
ランドフスカモデルが生まれるまでには、時差があります。
その間に、ランドフスカモデルとは違う楽器も
生まれているはず。ただ、基本的には、いわゆる
「モダンチェンバロ」なのですが。
ちゃんとまとめようと思うと、時間がかかりますね。
読んだものが自分の中で熟成される時間も必要だし、
やはり、情報に正確を期したいですし。
でも、音楽学者の方々の研究成果も、
日々更新されているものなのでしょうから、
それを調べて書いた情報も、いつか古くなる可能性もあるかも・・・
なんて、まだぜんぜんたいしたこと書いていませんけど・・・
投稿時間:04/03/12(Fri) 00:14
投稿者名:たけどん
タイトル:耳が痛くなるほどの・・・
3台の鍵盤楽器の「饗宴」
なんてこったあ〜、今日は雪。
こんな日によりによって山奥へドライビングするはめにっ! ドヒャーヽ( ̄Д ̄)ノ
好きこのんで遭難するヤツはいない。
だが、その日その時その場所へ行かないと、聴けない楽器があるときた。
それらはな、「クラヴィコード」と「ヴァージナル」ってんだ。
おいらも名前は聞いちゃいる、レコードCDで、音も知っちゃいるが、
現物は見たことも聴いたこともねえ。
こいつぁー、行かねぇって法はねえーってもんさ。
なぁ! くま公よぉ? (江戸っ子になってきてるぞ)
おいらのぼろろん号で友人と山奥にむかって走ると
舞い落ちる雪で前が見えねえ、道も田んぼも空も境目がねぇ。
すべて真っ白の画用紙(カンバスと言えない)に変わっちまって、
道の境目どころか遠近感もねえ。
そんな冬の田舎道で、ふいの対向車におどろいて、車は道を外れる
土手から転げ落ちる、川に突っ込む、はい上がる、車を捨ててずぶぬれのまま走り出す、
会場にむかってな。
そんな幻想が頭をよぎる、が、出かけていきたい。
それが、古楽器愛好家の「こころ意気」ってもんだい! (`・ω・´) シャキーン
んで、無事に着いたよ。(雪道の経験値はヒジョーに高いんでな)
こんな雪の日にゃお客もさぞかし少ないことで・・・少なくねえ。
2時開演なのだな。1時半を少し回ったばかりだが、
もう駐車場に5,6台は停まっている。(マズい・・)
急げ! わけアリだ。
足早に受付に飛び込む。
「ああこれこれ、予約しといた、たけどんだが・・」
「あ、はい2名様の」
「うむ、はい2000円」。
お一人様1000円というしかけだ。あいかわらずリーズナブルだね。
会場はいつものホール。三方がガラス張りで、外の景色が丸見えだ。
今日は周りにある庭園も、わた帽子に雪化粧、
そのうえ降り止むことのない雪花が舞い降りて候。
この風景をバックに3つの古楽器の饗宴だ。 (*´Д`*) 美すぃ・・
左手に「チェンバロ」、中心に「クラヴィコード」、右手に「ヴァージナル」
席数は100足らずだろう。まだ10人も入場していない。
右側の入り口に近い方、ヴァージナルの真ん前の席から埋まり始めている。
あと左手のチェンバロに近い席も何人か座っている。
真ん中部分の席は、クラヴィコードと異様に近い感じがするせいか
まだ、空いたままだ。 ( ̄ー ̄)ニヤリ
なぜに、なぜに真ん中から座らんのかね? きみたち。
クラヴィコードだよん? 日本人は遠慮深いのう。 ( ̄-  ̄ ) ンー ソリャイカン
おいらたちは真ん真ん中の、一番前、は、避けて二列目に座った。
一番前はもう、八百板さんの背中のすぐ後ろ、ってかんじだったのでな。
一列目には親子連れ(母親と2人の子ども)それと年輩の男性、
その方々がほぼ、おいらの前に陣取ったな。(一列7人掛けくらいだったか)
開演時間間近になっても、客席を見渡すとちらほら空席がある。
ま、こんな天候では、これなかった人も出るだろなあ。
「クラヴィコードって、これかあ〜?」
制作者の高橋さんが、かの楽器の調律を終えて、ヴァージナルの方を
調律しに移動すると、おいらの前に、楽器の全貌(というほどでもない)が
現れたね。完成したのはちょうど一年くらい前という話だったが
外装の見た目は、古びた感じの木だよな。
材料に使った木が良く枯れた材料だったのかも知れないな。
んでもって 見た感じは、無塗装の板張りで、装飾もないっ、てもので、
・・・・えーと、んーと、
「荒巻さけ入れる箱のおっきなの」・・って感じれす。 ( ´D`)ノ
長さは1メートル2,30センチくらい。厚さは20センチ無いか?
音域は、えーっとね、黒鍵が2,3、2,3、2,3、2,3で、4組と、あと
鍵盤がちょっとあるから4オクターブ強、
ビケ♪さんに教えてもらったから、音域は「C〜d3」だな。
あるいは、1オクターブずれてるかもな。(おいらの見立ては信用ならん)
さて、目黒館長の恒例の挨拶の後、八百板さんの登場となる。
この人、しゃべりもできるんだよな。地方局だがNHKにも出演してるしな。
さて「耳の痛いほどの・・・」とは、いったい何のことだったのだらう・・・?
(つづく)
投稿時間:04/03/15(Mon) 14:00
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:Re:
耳が痛くなるほどの・・・
わぁ・・・雪化粧をした庭園を背景に、鍵盤楽器三昧・・・
そのシチュエーションを想像しただけで・・・もう、
酔えてしまうコンサートですね・・・うっとり・・・
続きを楽しみにしてます!
こちらは、SEHKSの年次例会で、
NCのデューク大学のコレクションを堪能してきました。
主に、フォルテピアノでしたが・・・
今回の講義&演奏テーマもフォルテピアノだったから、
チェンバロ工房の展示もあまりなく、
金曜日に演奏会なのに練習できなーい!
(去年は、展示楽器で思いっきり練習してた人←私)
中2日弾けないのはちょっと痛い!とあせっていたところ、
博物館の中に、試奏可能なクラヴィココードが一台。
立って弾いていたら、20代前半のキュレーターがやってきて、
「そこら辺のいすを持ってきて使ってください。ところで、
この楽器は、for saleなんです・・・」
for saleって、いったいいくらかな〜〜〜
むちゃくちゃ、食指が動いてるんですけど・・・
あの、若くて可愛いキュレーター嬢の名刺をもらっておいてよかった。
投稿時間:04/03/16(Tue) 20:17
投稿者名:たけどん
タイトル:コンサートの前には
・・・うっとり・・・
> 続きを楽しみにしてます!
ええ、すばらすいロケーションの元でのコンサートでした。
続きをお楽しみにね!(たいじょぶかな)
> 立って弾いていたら、20代前半のキュレーターがやってきて、
> 「そこら辺のいすを持ってきて使ってください。ところで、
> この楽器は、for saleなんです・・・」
おおっ? 「存分にいじったら、それ買いなさいよ」ビームを
その可憐な両のまなこから発していたのだな?
〜コンサートライフに疲れたプロのあなたの心を癒す、
他人(ひと)のためでなく、あなた自身の心に語りかける楽器〜
・・・みたいな。
> むちゃくちゃ、食指が動いてるんですけど・・・
かって!かって!かって!かって!こうて〜〜〜〜!!
って、その子(楽器)、言ってませんでしたか?
> あの、若くて可愛いキュレーター嬢の名刺をもらっておいてよかった。
ええっ! わかくてきれーな・・・・?
よっしゃ!わいが買うたろ ムッハー!(*゚∀゚)=3 (←おやじモード)
冗談はさておき、コンサートの前の演奏者の心境って、
どんなものなのですか?
一概には言えないものだとは承知していますが、
不安? 楽しみ? 緊張? そのないまぜになった混濁した心境?
うーん、なかなか大人(おやじ)になってしまったおいらには
体験できない心模様に、興味津々ですな。
そのへんの演奏者の気持ちも、次回続編でとらえていきたい。
(できるもんならな)
金曜日のコンサートを前にした、今のビケ♪さんの心境をぜひ
一言・・・。
投稿時間:04/03/18(Thu) 12:49
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:Re:
コンサートの前には
コンサートの前・・・
これが、毎回違うんですね、どんな気持ちかって。
ある意味、クレイジーになります。
私は、人にはそう見えないらしいのですが、
とても緊張するタイプです。
緊張して見えないのは、学生時代から、共演者がいる場合、
相手に不安感を与えないように、ポーカーフェイスの癖がついています。
でも、実際には、緊張しないと、いい演奏ができないので、
私には、「追い詰め系」の持って行き方が、合っているようです。
弾いても弾いても、不安だったりします。
練習で100パーセントできても、本番で必ず100パーセントできるとは
限らないから。
ただ、経験をつんだことで、緊張しつつも、100パーセントに
なるべく近く、実力が出せるような、
本番への臨み方が、ちょっとずつ出来るようになって来ました。
毎回そうできるようにするのが、今後の課題です。
投稿時間:04/03/18(Thu) 23:32
投稿者名:たけどん
タイトル:耳が痛くなるほどの・・2
音もなく雪が降り続けている。
真っ白な庭園をバックに、いにしえの古楽器が鎮座している。
拍手とと共に頭を上げた。八百板さんは
新巻鮭のはこ・・いやクラヴィコードの説明を始めた。
「昔はチェンバロなどを所有できるのは宮廷などお金持ちだけで
バッハといえども、若い頃はこういうクラヴィコードなどを
自宅に所有して練習に励んでいたのでしょう」
なるほど。
「このように雪景色をバックに演奏会を楽しめる、なんていうのは
東京ではちょっと不可能ですね。この景色を背景にしながら古い時代の音楽を、
いつものチェンバロとともに、
高橋さんが昨年制作された「クラヴィコード」という楽器と、
私の所有する「ヴァージナル」、三種類の楽器で演奏するという
たいへん贅沢な趣向になっております」 (←内容は大意。以下同)
「まずはクラヴィコードの演奏で、十六世紀、当時大変流行しました
ジョン・ダウランドの
『最も神聖なるエリザベス女王陛下のガリアルド』
『涙のパヴァーヌ』『アロー』を演奏いたします」
クラヴィコードの前に座ると、静かに演奏が始まった。
おおおおお・・・・。
「なってこったい〜〜っ!」(゚Д゚;)
みんな、特に左右両脇に広がった席に座った方々は、満腔の後悔に
身もだえたに違いない。
真正面、前から二列目に座ったおいらにして、こうだ。
「音、ちっちぇえ〜〜〜!」
チェンバロが広い大ホールの演奏会に向かない楽器であることを
なんとなく知っていた人々も、クラヴィコードのその音響の、かそけきこと
その音の小ささがコレほどとは、予想できなかっただろう。
「聞こえない〜! 聞こえねえ!」
みなさんの心の叫びが聞こえるようだったよ。
おいらが真正面の二列目を選んだ理由はこれだ。
そのおいらでも、まさかこれほどとは・・・。
くぎの細いので、弦を突っつく、それだけの音。
楽器から離れるとたちまち、減衰していく音響のはかなさ。
(なぜ一列目じゃないのかって? 一列目じゃ
八百板さんの背中見ながら演奏聞くことになるんだな。それほど接近してたんだよ。
それだと、おもわずおいらの両手が、演奏中の
八百板さんの腋の下を、両手で「ずむっ」・・・
「うぎゃははっ!・・・!!」
急停止する演奏、両わきを両手で押さえて、新巻鮭の箱の中に頭を突っ込んだまま
固まって、アタマから煙を出している八百板さん、
沈黙の観客全員・・ ガ━━(゚Д゚;)━━ン! ・・止まったままの時間。
こんな事になりそうだったので、やめたのである)
Ψ(`∇´)Ψワキワキ (←あくま)
♪〜 Flow my tears, fall from your springs,
Exiled forever let me mourn
Where nights black-bird, her sad infamy sings,
There let me love forlorn;
(流れよ わが涙、泉より滝となりて、
追放され、永遠に嘆き悲しむわが心。
夜の黒い鳥がもの寂しく暗い歌を歌う場所で、
ひとりわびしく恋し続けるわれ)
「涙のパヴァーヌ」(『流れよ、わが涙』訳:忘れた)
出だし部分の音は、「Flow~」から、「my tears」に移ると当時に
下降する音型になっている。
リュート歌曲であるこの曲だが、音の小さなクラヴィコードでの演奏では
その音の微小さ、デリケートさに、全員が耳をそばだてて聴き入ることになる。
そこでは涙、耐えていた感情が、こらえきれずに
そっと両目から溢れ出て、頬を流れ落ちるのだ。
それは激しい嗚咽ではなく、人知れずの涙なのだ。
我々は、気づく。
現実には聞こえるはずのない落涙の音、
気づくはずのない他人の感情の動きまで
かそけき音に耳を澄ますことによって今、聴いているのだ、
ということに・・・。
(聞け! 暗闇に宿る陰よ、光を拒むことに慣れるがよい。
幸運なのは地獄に堕ちた者、この夜の苦痛を感じることもない・・・) 「同上」
演奏が終わった後の、しばしの沈黙。
降り止まない雪、外の景色には舞い落ちる雪以外に、動きをもって
我々の視線を奪うものとて、ない。
拍手の後、八百板さんが語り出す。
「この、小さな音しか出せないの楽器を演奏すると、みなさんがまるで
息を止めたようになって聴き入る、という風になるのはどこの会場でも同じです。
演奏が終わったあとで、空調の音がうるさく聞こえるほどの、
<耳が痛くなるほどの沈黙>を感じることができるのは、
音楽演奏のコンサートとはいえ、そうあることではありませんね」
おいらの右前に座ってるじじ・・(いや、人生の経験を数多くお持ちの、年輩の男性)は
一番前の席だけど、耳に手を当てて聴いていたよ。
その後、ヴァージナルに移って、
バードの『涙のパヴァーヌ』『人影のない森を散歩しませんか』
スヴェーリンク『涙のパヴァーヌ』『半音階的ファンタジア』
ダウランドの大ヒット曲、はやりの旋律を他の作曲家が料理すると、
こんな風になりますよん、って感じか。
ヴァージナルの音になるともう、クラヴィコードとは大違い。
ふたを開けると、装飾された内蓋や側面が現れて、ぱっと感じが変わる。
フタ閉めてるとね、<細身の小さな棺桶>ってかんじ。
いや、八百板さんご本人も、そう言ってたんだってば。
でもさすがにクラヴィコードを<新巻鮭の箱>とは言いにくかろ。
自分の楽器じゃないし、制作者が近くにいるからね。でも・・・
それよりも、なんか昔の<大工道具入れ>ってほうが図星のような気がしてきたな。
時代劇に出てくる大工の熊さんとかが、肩に背負っているようなヤツね。(なんかドンピシャ)
スヴェーリンクの「涙」は理屈っぽいとか、八百板さんは言ってたけど、
おいらはバードのよりスヴェーリンクのほうが好きだな。
クラヴィコードもヴァージナルもそうだけど、結構メカノイズが出る。
実演だと、そう気にしないで音楽だけに集中できるけど、
レコードやCDだとそうはいかないんだな。
人間の耳(ってか脳)は便利なモンで、ノイズと意味のある音を
峻別して聞き分ける、あるいは一方をノイズとして無視することができるんだ。
だったらCDだって同じでしょ? っていうかもしれないけど、違うんだな。
特に実物を知らない楽器、音の出方を知らない楽器のディスクを聴いたら、
そんな腑分けは出来ない。どれも等価の情報としてしか脳は処理できない。
(視覚の助けもないし、あるいは処理がもたついて疲れる?)
だから楽器のメカノイズが目立つ、めだつ。耳障りなことったら。
特にクラヴィコードなんかたぶん、10人が10人とも音量上げすぎ
で聴くに違いないから一層、その傾向は強調されるよね。きっと。
(クラヴィコードの実物を聴いたことが無くて、適正なヴォリューム
で、かの楽器のCDを聴いている人は、まずいるまい! ( ̄-  ̄ ) ンー、オト、チイサイッテシッテタ、オイラデスラ)
ここで演奏された音楽はいったい、なんのために生まれて演奏されて
きたのか。
(またわけのわからないこと言って、煙に巻こうって算段かい?)
いえね・・・
三枝成章(字、こうでしたっけ?)氏が、
「日本人は音楽をエモーショナルなものと捉えているが、
欧米人は音楽をロジックと捉えているんですね。もう完全に・・・」
とかラジオで言っていたのを聞いたんですよ。
違和感を感じましたねえ。
「ホントかねえ?」
すくなくとも「音楽のふるさと」って番組で、シャルル・デュトワはすくなくとも
そんな風には、言ってなかったゾ。
「昔から人間は、あらゆる感情を表現するために・・・」とかなんとか。
おいらもそう思う。
そんな風には思えないんだな。音楽をロジックでしか捉えていないなんてさ。
感情、情動なくして音楽が生まれるかね?
それとも古典派、ロマン派を経た現代のヨーロッパ人はそうなのかな。
ビケ♪さん、そうなんですか?
三枝氏のまわりのヨーロッパ人だけじゃないの?
なんかモーツァルトの「なんとか協奏交響曲」とやらの補筆完成の話の中で
出てきた話だったし、コンテクスト上、フランス人のことを言ってたのか?
ちょっと憶えてませんけど。
そんなに、けーしきが好きなら何時まででも<ソナタ形式>とやらを
<きぬのハンカチ>で磨いてりゃ、いいんじゃないの?
あ、また脱線だ〜。ヽ( ̄Д ̄)ノ つ・づ・く〜。
投稿時間:04/03/26(Fri) 00:47
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:Re:
耳が痛くなるほどの・・2
原稿を書いています。
うーん、ちゃんとした雑誌に、形として残ることを書くとなると、
いちいちデータを正しいかどうか調べながらなので、
進まないです〜〜〜あーーーー!!!
(フラストレーションたまるの図)
フラストレーションと言えば、
クラヴィコードの演奏会、だいたい、演奏会っていう形を
成り立たせるための楽器じゃないでしょ、
あーーーーーー!!!(音ちいせぇ〜〜〜!)な気分の方の
気持ちは、お察し申し上げます。
でも!でも!!!
雪の降る夜に、たった一人で自分の内なる声に耳を傾けながら・・・
私だったら弾いてみたい!
そこに広がる世界を独占したい!
クラビちゃんほしい!キュレーター嬢と一緒に拉致して来ればよかった!
(注。私はオヤジではありません・・・彼女の知識がほしいだけ。)
西洋音楽は、客観的といわれます。
ドイツで演奏会のあと、ある批評家とお電話でお話した時、
「東洋人にバッハは無理」なる、
若い演奏者のためを思ってのことか、
非常に温かいお言葉を頂戴したことがありました。
(それはもう、彼の偏見でしかない言い方でしたが)
私個人的には、何の情感もなく、音は出せないです。
情感・・・といえるものなのか、音の秩序が作り出す、「何か」・・・
感動を呼ぶものが必ずしも、「情感」とは限らないかもしれませんが、
心に訴える「何か」を探して、いつも弾いているのだと思います。
最後に。。。
NCのカンファレンスでのクラヴィコードの演奏会の時。
演奏が終わりました。みんな、拍手はしないのね。かわりに、
手をすり合わせて、「しゃわしゃわしゃわ・・・」
誰が言うこともなく起こった、その場にふさわしい感激の表し方でした。
投稿時間:04/03/28(Sun) 00:56
投稿者名:たけどん
タイトル:雑説 (暴論?)
原稿の方は、めでたく脱稿の運びとなったようですね。
ヨカッタ、ヨカッタ。
「日本人にはバッハは無理」ですとお?
ほおほお、ほほおおおおお〜。
言ってくれるな、ドイツ人。
あひゃ! ビケ♪さんの大切な<Annaおばあちゃん>のお国だが、
あえて言わせてもらうぜ。
その前に、「ちゃんとした雑誌に、形として残る」記事を
書くのに資料にあたるとは、見上げた態度です。(ホメてんの?)
そんなん、おいらは学生時代以来ナイな。
請求書とか見積書作成するときとかにゃ、数字に注意するくらいか?
だいたい評論家とか、学者先生の文章をはじめとして新聞雑誌にいたるまで
資料ってか、他人の書いた文章、他人の言った言葉とかまともに
引用したり、意味を正しく取ってないモノが結構散見、いや、多すぎる。
(ワザと曲解している? いや、キット他人書いたモノなど読んでもいないのだ)
学者のクセして、昔の定説に対して何の疑いも持たないで、古びた情報、学説を
雑誌や新聞に記事書き飛ばしている輩(やから)が目立ちますな。(そういう輩だからこそか)
「今時、そんな事言ってるヤツ(学者)お前以外いないよ」ってなもんですな。
こっちがシロートだと思ってんのか、イイ加減なモノとか結構目についたりする。
<一字いくら>で書いてるわけでもないんだろうけど、タダの「字数かせぎ」としか
思えないようなモンもある。
あるいは、自説を補強するため、あるいは他人を誹謗したいため
他人の書いた文章記事、資料を<文脈を無視して部分取り、結合>
<曲解、ねつ造>など、さして珍しいことではなくなってますな。
それに比べりゃ、ビケ♪さんの態度は大いに<良し!>と言えましょう。
ま、いい加減な仕事しても平気のへいざ、批判するヤツぁぶっつぶす、なんてのは
<その道の権威>であるからこそ、なせるワザなのかもしれませんな。
(たとえば、とあるノーベル賞文学者とか・・・) ( ̄ー ̄)ニヤリ
それにつけてもニュース、ワイドショーなんかで出てくる「コメンテーター」って何なんだよ?
ただの芸能人や歌書き、、デザイナーだか医者だか、なんでそいつらが
大きな顔して、ど〜んな事件に対しても、コメントすんだ?
お前らは<人生の達人>ってか?
名の売れた成功者は、一般人より見識が高く、知見が広いってか?
おいらからすりゃ、
「おまえ、その筋の専門家でも、なんでもねーじゃねーか」、みたいな。
専門家だからって、話、ウノミにゃせんけどな。
例えばこんなコメントが最近あったよ、ツマンナイ例ですけどね。
「これをめぐってはね、政治家や国民の間で、ケンケンガクガクの議論をね・・・」
「ケンケンガクガク」・・って、なんだよ?
『喧々囂々』(けんけんごうごう)、『侃々諤々』(かんかんがくがく)ならある。
作詞家のくせに(特に名は伏す)、政治の話題に知ったかぶって、
どっかで聞いたコムズカシソウな言葉なんか使うからそう言うことになるんだよ。
しかも、この誤用って、こいつが初めてじゃないんだよな。
こんなんじゃ話の内容ってのも、推して知るべし、ですよ。
こういうヤツに限って、あの「すべからく」(須く)を<すべて>の高級表現だと
思い込んで、使い回したりすんだわな。きっと。
(あー、おいらも誤用、よくやるか?) アヒャヽ(゚∀゚)ノ
また、やってひまいまひた・・・脱線。
ネットなんかでニュース情報拾ったりもしてるんで、そんな目で
テレビのニュース番組なんか見ると
「なんでこのニュースやんないんだ?」とか
「その報道の仕方はおかしいだろ」なんてのが、毎日のようにあるですよ。
そんなことよりおいらずっと、思ってたんだ。
なんで、おいらはベートーヴェンに対して、あんま感心がないんだろ、って。
なんで、ドイツはバッハの国なのに、古楽にたいしてイマイチ関心が低いんだろ、って。
独善的な話ですので、ご批判はお受けいたします。ビケ♪さん、皆さんもご存分にどーぞ。
ベートーヴェンの交響曲なんか聞くと、本当に良くできてるよな〜と思うんだな。
ウマく出来てる。なんか感情を高ぶらせるよな〜。
でもな〜、なんか、<心に響いた>って事があんまりない。
結構好きだけど毎年年末に聴きたいとは思わない。
CD持ってない(フルトヴェングラーのレコードは一枚ある)。
そりゃ、フルベンとかトスカニーニとかの名演は違うのかもしれんけど、(持ってんだろ?)
特に『第9』の第4楽章フィナーレなんか、あのシラーの『歓喜に寄す』の
歌詞読んだだけでおいらはその、表現の大げささに「鼻白む」になっちまう。
ピアノソナタとか他の作品についてはあんまり知らないし語れないから
それでもってベートーヴェンのすべてを決めつけるのも、どうかとは思うけど。
でも、なんでだろ?
ドイツが18世紀ヨーロッパにおいて、文化音楽学問のさまざまの面で
後進国(いなか)だったというのはドイツ人が言うようにドイツ30年戦争のせいだけではない
のだろう。
フランス、イギリスなどが絶対王政による絶対王政による統一国家として
中央集権化が確立していたのに比べ、
小さな諸邦が寄り集まっていたドイツには様々な面で、
文化の発展を阻害する要素(戦乱等)も多かったに違いない。
だが、それを言うなら、イタリアはどうか?
ルネサンスが花開いたかのイタリアは、これこそ分裂国家群ではなかったか。
そのイタリアが、音楽を始めとする文化のあらゆる方面でもアルプスの北を
リードしていた、というのは、ドイツ人にとっては苦々しい事実だったかも知れない。
18世紀から19世紀のドイツ人はイタリア、フランス、イギリスなどの先進国に
文化の面で追いつけ追い越せ、つまり明治維新の日本と同じような状況だったらしい。
いやそれ以上に「世界に冠たるドイツ」を目指していたのね。
だから軍事的な面だけでなく、文化面でも他国に劣っているのは我慢ならなかっただろう。
カント、ヘーゲル等「ドイツ観念論(イデオロギー)」で哲学の面でも
欧州に名声をとどろかせたドイツは哲学を音楽の面にまで、
その解釈を広げ<ソナタ形式>に<弁証法>を重ねたのだ。
第1主題と第2主題の対立と葛藤、その後に訪れる調和を昇華とみる。
(アウフヘーベンですな)
それゆえにソナタ形式を音楽の最高の形式と位置づけ、
「形式は入れ物である。偉大な精神を入れるには、大規模な入れ物(形式)が必要」と
「交響曲を」音楽の最高のものとした。その最上のモデルがベートーヴェンである・・・っと。
(重厚長大ばんざいっ!)
イタリア人がうつつを抜かしている「オペラ」など歌ものや、協奏曲などは
演奏者、独奏者による、<不確定要素>がある、
つまり「不純な音楽である」という考え方。
ぶっちゃけて言うと、「楽譜が音楽である」と。
形式論による音楽の発展史、それも器楽演奏曲の発展を「音楽史」として
世界に広めることに成功した・・・。
・・なんて事を書いた本を最近、読みましたが。
クラシックほど、演奏家が軽視されるようになってしまった音楽ジャンルは
ありますまい?
つまり、音楽を評価する項目から、「演奏家」は不確定な要素であるとして
排除が可能なのだと。音楽の価値は「楽譜」を見て研究すれば比較検討が可能なのだ、と。
そんなバカな! どこの世界に表現者の介在を、作品の価値判断から排除する芸術がある?
演劇の台本だけ見て、その演劇の価値を判断できるのか?
そりゃシェークスピアなんか文学として価値は十分あるだろうけど、
作品が感動を与えてくれるかどうかは、演者の介在をなしには語れまい?
振り返って、音楽はどうだ? 作品はいつも、いつまでたっても作曲者のモノか?
バロックの頃はそうじゃなかったはず、
かえって即興できない演奏者、歌手は「無能」の烙印を押されたのではなかったか?
「オレ様の書いた音符は、ひとつたりとも変えさせない」と言い出したのは
ベートーヴェンだろう(きっと。確証はないが)。
音楽の価値は、その楽譜を見ればすべて判るのだ。
かつてのドイツ人はそう言っていたに等しい。(今は知らないケド)
バッハの音楽は、計算みたいだとか、数学だとか言われるけど(だれに?)
作り物っぽいって意味なら、
おいら的にはベートーヴェンの方が人工的に感じる。
いやね、パッションとかエトースとか理念的なところがさ。
おいら的に、聴いても「心がワクワクドキドキしねえ」んだよ。(そりゃ、おまいの勝手だ)
ん〜、つまり。
国家にたとえたりするとぉ、<人工国家>。
<人工(実験)国家>っていうとまあ、かつての「ソ連」とか、共産国家
思い出すだろうけど、実はアメリカもバリバリ<人工国家>だ、ってことなんだな。
それは、国民が共有する神話、つまり歴史も 血縁民族的なつながりもない多民族国家が
「自由」と「平等」とかいう<理念>で結びつけられて出来あがっている様(さま)に
ベートーヴェンの音楽は似ている気がするって話ですわ。
(意識{ムリ}して出来上がってるって感じか) ( ̄-  ̄ ) ンー?
『第9』なんかだと、そのへんのワザとらしい盛り上げが、大げさな詩とあいまって
よくデキてるけど、心にヒビかないって感じかな〜?
人工国家の理念は、国家の構成要因(国民)が
それを信じているかぎりにおいて成立する国家ってこと。
いまおいらたちも「自由、平等」はすべての人間に与えられた、
不可侵の奪うことの出来ない権利のように考えているけれど、
これだって、「そうだ」っておいたたちが信じているから
成立している政治的な概念に過ぎない。
つまり「平等」も「民主主義」ももとを辿れば、その根拠は科学的に
実証できるモノではなく「形而上学」つまり「検証不可能」。
キリスト教神学と同様、「信じる者だけに通用する」ってことなのだ。
(アメリカの独立宣言とかに「自由平等は神から与えられた権利・・」とか書かれてなかったっけ?)
〜これも余談だ〜。
その辺の音楽に対する考え方。
「音楽は形式、楽譜に書かれたもので価値が決まるのだ」ということ。
(これだとドイツは世界一ということになっているから)
つまり、
<その音楽が演奏された当時の演奏習慣、スタイルを再現再現すること>に
ドイツの演奏家、学者は価値を見いださなかったのではないか?
という推論に到達するのだな。
(あるいは最後までガンコに抵抗した?)
古楽演奏の発展は、過去の音楽史観から抜け出せなかった
「音楽の父バッハの国、ドイツ」ではなく、
オランダ、イギリスに古楽のオーソリティが生まれ、イタリア、フランスでも
発展することにったが、ドイツはまたも後塵を拝する形になったのではないか?・・・と。
(もちろんドイツも、演奏それ自体を特別軽視していたわけでは決してないだろうけど)
ドイツの現状については、おいらはほとんど知りませんし、留学なさっていた
ビケ♪さんには反論もあろうかと思います。
(そんな偏屈な国だったら、ビケ♪さん、留学せんわな?)
でも前のレスを見ていて、おいらが「ふと」思ったのは、その「評論家の先生」は
はたしてドイツ至上主義的な音楽感から抜け出していたのだろうか?
という疑問を持ったのですわ。
(ふと、でこれだけ書かれたらかなわん)
長文になったので、途中論旨がおかしなところもあるかも知れません。(イヤある!)
ちょっと一気に書いて疲れたので、見直ししたくないのだ。
添削おねがいしま〜す。ドイツ、ほんとは好きなんだよ〜。
ヽ( ̄Д ̄)ノ ワガママ~
『ゴルトベルク変奏曲』が、バッハ作曲『ビケ♪のゴルトベルク変奏曲』として
聴衆から認められる日が来ることを夢見て。
それと・・・遠く離れて、おいらの耳には届かなかったけれど、
綺羅のように渋く輝いていたに違いない、Annaおばあちゃんの人生(演奏)。
その静かな終焉に際して、これを贈ります・・・。
「しゃわしゃわしゃわしゃわしゃわ・・・」 (注: 決してふざけているのではナイ!)
(´-`).。oO
投稿時間:04/04/07(Wed) 14:04
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:Re:
雑説 (暴論?)
遅くなりました。いつものことですが・・・^^;;
Annaおばあちゃんのこと、心に留めてくださってありがとうございます。
わたしたちの「しゃわしゃわしゃわ・・・」は、きっと天国の
おばあちゃんの心に届いていることでしょう。
おばあちゃんの娘さんが、素敵なおばあちゃんの写真を送ってきてくれました。
さて、お返事ですが〜
> その前に、「ちゃんとした雑誌に、形として残る」記事を
> 書くのに資料にあたるとは、見上げた態度です。(ホメてんの?)
・・・資料に当たるっていうのは、おおげさだったかしら。
私が調べるのは、スペル間違いがないか、生没年はあっているか、
そういうのを人名辞典などで確認する作業ぐらいです。
あと、英語からの訳語が、一般的に音楽界で使われているものに
適合しているかどうか、など。
(分かる人は分かってくれると思うのですが・・・やはり、
どんな人が読むか分からないから、確認します)
とにかく、もう送ってしまいましたから、あとは編集部の方、
お願いしまーす!っていう感じです。
去年のよりは、読みやすいと思います。良かったら見てくださいね!
> それにつけてもニュース、ワイドショーなんかで出てくる「コメンテーター」って何なんだよ?
> ただの芸能人や歌書き、、デザイナーだか医者だか、なんでそいつらが
> 大きな顔して、ど〜んな事件に対しても、コメントすんだ?
> お前らは<人生の達人>ってか?
全く同感です。
たけどんさん、世に言う100万ヒットサイト、
覗いてみたことありますか?
暇つぶしには最適です。刺激があります。毎日たくさん更新されてます。
でも、読まなかったからってなーんの害もない。麻薬のように毎日クリックさせる何かはある。でも、毒にも薬にもならない。
そんなサイトが、100万ヒット・・・
一般大衆に受けるものが、必ずしも質が高いものではない、なんていうのは
分かりきったこと。視聴率を稼ぐために、日本語もまともにしゃべれないような
コメンテーターとか、見た目だけのお飾り女子アナとかを出しているのに、取り合っちゃいけません。
女性が肌を見せた写真をいっぱい載せた雑誌で稼いで、
そんな雑誌よりも、ぜんぜん売れない学術書に予算を回している
出版業界は、それよりはまだいい、かもしれません。
ホームページを始めたことにより、自分も文章を書くようになり、
どういう文章がよみやすいか、おもしろいか、自分なりに考えるようになりました。
私はたけどんさんみたいに、読書家じゃないのですが、それでも、
他人の書いたものは気になります。飛行機の機内誌などで、
「もしかして私が書いたほうが面白いかも〜」などと、
密かに思って読んでいる旅行記事など、実はありますのん。。。
後半についてのお返事は、また今度にしまーす
投稿時間:04/04/10(Sat) 01:50
投稿者名:たけどん
タイトル:かの思い出と、その「暴論」
そっ! そうなのだよ〜。
> Annaおばあちゃんのこと、心に留めてくださってありがとうございます。
> わたしたちの「しゃわしゃわしゃわ・・・」は、きっと天国の
> おばあちゃんの心に届いていることでしょう。
そうそう。そー。
人間って、そうやって生きてきたんだ。
「死んだ人に会えるはずなんかない」。
理屈では分かってる、でも、心のどこかで思ってる。
「いつかまた天国で会えるかもしれない」「きっと、どこかで私を見ていてくれる」。
人間の造ってきた文化も、そんな<幻想>(〜論理的に不整合であったり、
検証が可能な科学的実証性を持たないが、多くの人間が共有できる、
あるいは、してきた考え方、というくらいの意味だと思いねえ〜)が、
<人間>ってものの、おお元にあるってことは知ってる。
社会を作り上げる「共同幻想」に、男女間には「対幻想」とか。
(う、こんな雑な取り上げ方をしてはいけない。許して、吉本隆明)
でもね、でもでもね。
<幻想>だからって、壊しちまって構わない、とか、
無視しても構わない、とか、いい加減なモンだとも
思ってはイナイのだおいらは。モチロン。〜これは、とてつもなく<重い>のだ〜
(おいおい、ベートーヴェンが人工的だから好きになれないとか言ってたのは誰だ?)
人工的、造りモンだから嫌い、だとは言っていない。
その突出しているかのような、理念的な部分がおいらには合わないと言ったのだ。
神話も文化も人間の作り事かもしれんが、時の積み重ねとか歴史とか
で<練り上げられ>てない。一時代、一人の人間が作り出すモンなんて
どんなに優れた理屈の上に設計されたとしても、
おろし立てのタオルみたいに、肌にしっくりこないモンなんだ。
理屈ばっか突出して、人間の<肌>に対して<優しくナイ>もんばっかだ。
もっとも歴史重ねてりゃ、イイってもんでもないが、歴史のあるモンには
尊重するに足る価値があるものが多い、ってこったい。
絶対王政が終焉を迎えて共和制政体の時代になり
市民階級とやらが、歴史の主役になった? まだ早い。
大抵こういう歴真の転換点は、オピニオンリーダーってか、哲学者や
なんかが理論的な裏付けみたいなこと、するんだけど
みんな、舞い上がっちまって、あとから考察すると、
言ったこと書いたこと、なんだかとっても「恥ずかすぃ・・・」
熱に浮かされて、徹夜で書いたラブレターみたいなモンで、
翌朝、読み直すと顔が「真っ赤」と「真っ青」の繰り返しになるようなもんだ。 (ノ∀`)アチャー
「苦悩の末に、泥まみれの勝利をつかむのだ!」みたいな
大げさな物言いに聞こえっから、
聴いてるコッチが、「恥ずかすぃ〜〜っ!」になっちまうってんだよベラボウめ!
まるで、自分の若い頃の「のぼせあがりぶり」を見せつけられてるようだでよ〜。
いたたまれん。
大体なんだ、第四楽章になって突然、
「友よ、それではない。もっと歓喜に溢れた歌を歌おう」・・とか言って。
書く楽章の主題を否定してさ。
今まで聴かされた、長大な三楽章はいったい、ナンだったよ?
(あ、「第九」のことね。どっちかってーと、おいらは三楽章までの方が好きだ、
それと、キューブリックの『時計仕掛けのオレンジ』も好きだ)
(んで、何が言いたいの?) えーと・・・。
そーゆー、青年期の、アドレッセンス特有のにきびづら・・じゃなくて
音楽の生まれた背景にあったであろう、時代のもたらす思想的な<青臭い部分>が
肌に合わないな。ってことかな? (おいら的には、だ)
同時代人であったなら、受け取り方も違ったかもね。
んで、時が移ろうとも、時代が変わろうとしている時、
民衆が新たな希望に溢れている(かに見える)時、
または、苦悩を抱えている(かに思える)時。 (これは個人の中の<歴史>においてもだが)
時代が下り、どのように世界が変わろうとも、
これからも繰り返しルードヴィヒ・ヴァンの音楽は
演奏され歌い継がれていくのですかそうですか。
だいたいおいらは、「正義」だの「正論」だのを声高に呼ばわるヤツは
信用しない。うさんくさい。恥ずかしい。だーっとれ、と思っとる。(ふだん)
自分は「正義を背負って苦悩している(ふう)」な御仁とはつき合いたくない。
(♪〜たとえそいつが〜世話になったヤツでも、古い友達でも〜、つき合いたくない。
だけどそいつが「アレ」を持ってたら〜、おいらはサベツしない。う〜ん、ツキアイた〜い♪)
〜 RCサクセション「つ・き・あ・い・たい」ちょっち改変〜
〜もう、ぐずぐず。
> たけどんさん、世に言う100万ヒットサイト、
> 覗いてみたことありますか?
今回初めて覗いてみますた。すごいですねえ。どこから見てったらいいのか
迷いますねえ。後ほどゆっくり巡回してみますか。
翻って、一方おいらがよく覗いているサイトは、
あの、悪名高き『2ちゃんねる』なのです悪しからず。
(ま、たけどんにはお似合いだ)
とてつもなくぶっとんだヤツや、センスの良いヤツがいて笑ったり、
感心したり怖かったり、 舌なめずりしたり、腹立てたり、
勉強になったりならなかったりしています。
でもおいら自身はカキコはしてませんケドね。
> 私はたけどんさんみたいに、読書家じゃないのですが、
おいらも読書家ではありません。だいたいおいらは中学生の頃でさえ
定番の世界の名作、著作(小説とやら)は、ほっとんど、読んどりゃせんばってん。
面白くないんだも〜ん。あんなもん。(絵がないし)
「ベートーヴェンの生涯」とか無理やり読んだが、感動もしなけりゃ憶えてもいない。
だれだっけ書いたの。ノーベル文学賞もらったやつだ。えーと?
あ、ノーベル賞っていや「海と老人」も、読んだ分かんなかった。
夏の感想文で、これについて書いたけど感動なんかした覚えない。
あ、夏の感想文っていや、今では、でーきれーな大江(ノーベル賞つながり)の
「我らの時代」ってので書いたら、なんか賞もらったっけ。
でも題材に選んだのは面白かったからでも感動したからでもない。
なんであんなの題材に選んだんだろ? わからない。
こんな風に、読んでも感動どころか文章を味わってもいない。
そのくせ、高校ぐらいまで「新聞や書籍に書かれていることにウソはない」と
思いこんでたオメデタさ。(ホントなんだぜ。おめでたいっ!!)
その反動でしょうかね。いまこんなに、ねじくれ曲がってんのは。
しかも知識の方もどれ一つ、系統立てて研究してるわけでもないからバラバラ。(雑多で散漫)
アッヒャッヒャ!ヽ(゚∀゚)ノアッヒャッヒャ!
本といや、「速読法」に関する本は4,5冊読みましたね。努力しましたっけか?
そんで結果的に速読の技術っての、現在、何ひとつとして身についていませんがなにか?
今は読みかけの本が、10冊近くパソコンの横に積んであります。
(うち2冊は県立図書館からかりたる本)
全部読みかけ。進まない。同時並行進行状態のまま停滞中(小説なし)。
ヽ( ̄Д ̄)ノハルウララ〜
> おばあちゃんの娘さんが、素敵なおばあちゃんの写真を送ってきてくれました。
そんなおいらでも、いろんな人たちから<心>をもらって生きている。
だから、わかる。
Annaおばあちゃんの写真はモチロン、おばあちゃんで自身ではないけれど
心あるビケ♪さんが、それを見るとき。
おばあちゃんがビケ♪さんにたくした心(魂といってもイイ)が、
ビケ♪さん自身の心の中から抜け出て、その写真に宿るのだ。
そして再びビケ♪さんの中に帰る。まるで光の反射のように。
そうだ。おばあちゃんの写真は、ビケ♪さんの心の光を写し出すのだ。
だからビケ♪さんが写真を見るたびに、
ビケ♪さんが、心に光を抱いている限り、
いつでもおばあちゃんは、そこに、<いる>。
そして、写真なしでもおばあちゃんに会えるようになる時が来るかもしれない。
日本人は人の写真を「タダの物体」とは考えない扱えない、というのは
未だに呪術的な考え方から抜け出ていないからだ、という説がある、が
おいらは、こんな風に考える。
・・・おかしな考え方、だろうか?・・・
西洋人はこのような考え方をしないだろうか? それとも単なる、おいらのデッチあげか?
人の心を大切にしない社会なら、「正義」だの「平等」だの「自由」だの
いくら標榜しようともそんな社会は、誰も欲しくはないはずだ。
なぜ、初めは崇高な目標を立てた政治的な運動、宗教が変質して
民衆を苦しめ殺戮していくものになるのだろう?
政治家や運動家とやらは、なぜ歴史から学ばないのだろう?
いったい何が、欠けているのだろう?
それともこれは人間に与えられた、逃れられない<不条理>なのだろうか。
「愛は世界を救う」???
<「愛」は地球を救わない絶対に。地球を滅ぼすことはできても>
おいらは常々、こう考えている。
この一見パラドキシカルに見える命題を、克服することが果たして
人間には可能なのだろうか。はなはだ心許ないとしか言いようがない。
これは球体である地球において、面積も方向も方位角も
すべて正しい世界地図(平面図)を作れというのに等しいのかもしれない。
実際には、どれかの要素の欠落なしに、世界地図は作製できない。
すべての要素が正確に再現された地図。
それが可能なのは、ひどく限定された<面積の小さい地域図>だけ、なのだ。
「愛」のもつ甘美さ、ぬくもりを知る故に、それを世界に広めれば
平和になる、と誰もが安易に考える。出来そうな気もする。
だが、人類のこれだけの歴史を持ってしても、若者たちの革命の情熱を
持ってしても理想は実現はしていない。
やり方が間違っていたのか? 誤差があったのか? 計算違いか?
まだ人類が成熟していない所為なのか?
おいら、
命題の立て方が間違っているんじゃん? 命題の構成要素にすでに
バグが入り込んでいるんじゃん? くらいに思ってますがね。
だから、いくらいじくり回しても絶対に解決(証明:真か偽)は不可能だろな。
バグが入り込んだままのモンを、むりやり積み上げ広げると
絶対に矛盾を起こして、あとあと大爆発、大災害を引き起こすんだ。まちがいナイ!
あれれ〜? とーんでもないところまできちまった。
脱線しすぎ。
東京行きのはずが、男鹿半島くらいに来ちまったな〜。
もう収集つかないや。ビケ♪さんごめんなさい。
今日はもう遅いから、男鹿半島で一泊して、明日帰ろ。
・・・・っていうくらいに、おいらをほっとくと暴走するという例でした。
それにしても、演奏会の話のつづきが、まだ。
そうだよ、雪の日の話なのだ。
もうサクラが満開になるってばさ。あ〜あ・・・。 ┐(´ー`)┌
投稿時間:04/04/27(Tue) 02:31
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:再投稿!
・・・この前までの題名だと、たけどんさんに失礼なようなかんじが
とってもしてきたので、変えました。(なんつー日本語じゃ!)
あーんど、ちょっとマイナーチェンジ。
> 音楽の生まれた背景にあったであろう、時代のもたらす思想的な<青臭い部分>が
> 肌に合わないな。ってことかな? (おいら的には、だ)
> 同時代人であったなら、受け取り方も違ったかもね。
ここで考えてみました。自分の好きな音楽(他の芸術でも)の
傾向が、自分自身の人間性とかかわりがあるのだろうかと・・・
私の好きなバロック時代は、それこそ豪華絢爛、へたするとキッチュな
時代だったりするのですが、陰謀にまみれ、表面だけ華やかな世界を
作り出すのに、一般市民が苦しむことには見て見ぬふり・・・
あ、イメージ的にはフランスですけど、これ。
そういう時代背景を持つ音楽が「好き」ってのは、私の中にそれを許容する素質があるからなのでは・・・
信じたくないケド、深層心理だったりしてね・・・
付けボクロをして、美食で出っ張ったおなかを
コルセットでぎゅうぎゅう締めて・・・
「私の生活を彩るためには、あなた方が苦労するのは当然なのよ〜
おっほっほ〜」(イメージ的にはマリーアントワネット?)
・・・けっこう、イヤかも、それ。
そういう時代がはじけちゃったお陰で、たけどんさんのキライな、
「にきび面」の正義感に満ち満ちた時代がやってくるわけですが。
先日、第2次世界大戦を扱ったプロコフィエフの第5番を聴いてきました。
時代背景を映し出したもの(作曲家が生きた時代が、いやおうなしに
作品に滲み出すのではなく、故意にそうした場合)は、
純粋に音楽として楽しむのが難しいことって、ないでしょうか。
ベートーヴェンの場合も、彼が音楽を作るうえで、
故意に、ではないにしても、かなり時代に問題意識を持っていて、
それが見え隠れすることが、もしかしたら、「とっつきにくさ」の原因かもしれません。
第7番は好きですけど。個人的には。(誰も訊いてませんね)
「幻想」と「音楽」について・・・
「心」は、脳の化学物質の移動でしかないのですが、
人間として生きている上で、それが作り出す「幻想」に
救われる場面は多いと思います。
恋愛をするのも、よからぬ新興宗教に走るのも、人間だからなせる業。
故人を偲んでお墓参りをする哺乳類も、地球のどこを探しても、
人間しかいません。
「良いお仕事をされていますね」といわれると、私は、こう答えています。
「人間が生きていくのに、絶対に必要なものかどうかは
わかりませんけどね〜音楽聴いてもおなかいっぱいにならないしー。」
上の答えはもちろん冗談で、「心」や「幻想」を持つ人間にとって「音楽」は・・・
お墓参りと同じくらい、大事なものではないかと思いまーす!
・・・ぜんぜん大事さ、伝わってないですかね・・・ ^^;
(ちょっと100万ヒット日記サイト風にしてみた)
投稿時間:04/04/28(Wed) 01:19
投稿者名:たけどん
タイトル:「ウラ」がある (暴論3くらい)
「ロマン・ロランだっ!!」・・・え? あ、かの「ベートーヴェンの生涯」
を書いたとゆー、ノーベル賞受賞作家ですよ。
そうっすね。ネタ、くりだしすぎ、たか。
あ〜れでは、ビケ♪さんもレスしづらかろ。うんうん。・・・って、あれ? レスなくなってんじゃん。
あ、再投稿ですか。
いやぁ〜。たけどんごときに、失礼だから、とは恐縮です。
いいですよぉ、「男鹿半島」でぇ。恐れ入りますう。
ビケ♪さんのご意見はごもっとも、ですよ。うん! (o^ー')b
いま、図らずもフランスバロックについて書かれた本を
マッタリと読んでおりますのでそのうちに感想でも書きたいと思います。
タイトルは『バロック音楽はなぜ癒すのか』(竹内節子著 音楽之友社)っての。
あ、感想なんて書けるほど知識ナイや。オペラ、バレエの振り付け
ダンスの話から盛りだくさんで、アタマぷぅ〜〜〜!
通り一遍、学校で習っただけの(それもエーカゲンね)、歴史知識だけで
音楽、芸術などの特定分野に切り込んでイケナイな。
当時の様々な事象を語るなんてのは、<短絡的な結論>に陥るのがセキノヤマ、だって分かった。
歴史を語るには、まだまだ知識という<糧>がたりない・・・。
「でしたらぁ〜、おかーしを食べたらよろし〜んじゃないのよ、あ〜ん?」(゚Д゚)y─┛~~
今回は、語りたいことがあふれかえっている口を、グッとつぐんで
一つ、二つに絞り込んで、
おいらの「でーきれー」な、<正義を語るヤツら>を
見下して、こきおろして、辱めて、ちゃかしてみたい↑、みたい↓(←イントネーションが違う)。
ネタは新鮮な内に、だね。(いや、もー旬は過ぎてる)
イラクに乗り込んで捕まって人質になって解放されて帰ってきたら、
<PTSD>とやらになったお三人に対する、世間、マスコミの意見は毀誉褒貶はなはだし、
・・・どころでなく、彼らが拉致されている時点から世間的(ネット的)には
<非難する声>の方が大きいように感じられたわさ。
ところが、三人が帰国した当たりから、
「退避勧告を無視して入国しようとした甘さ、に対しては
非難の余地はあるが、救出にかかった費用を負担させるというのは
おかしい。 救出するのは国の義務ではないか?」
「自己のためでなく、イラクの人たちのため活動しようとした三人を
日本にいて、何もしていない者たちが、非難するのはいかがなものか」
「これを機に与党から危険地帯への<渡航禁止令>を出そうとする動きがあるが、
これはジャーナリズム活動に対する妨害にほかならない。
これに従うなら、情報はアメリカ、政府の一方的な報道だけになるではないか。
危険地帯だからこそジャーナリズムの働きの重要性があるのだ」
などなど・・・etc。
三人が、っていうか<この誘拐拉致事件>が、
世間的に同情をよばずに「おかしいぞ?」って思われ、非難されることになった<きっかけ>は、
あの三人自身の行動がどうだったか、はとりあえずさておいて、
事件が発覚したすぐ後に、マスコミの前に登場した三人の「家族たちの行動の異様さ」
が原因だったんじゃないの?
あの家族の<言動の異様さ>だよな。
(三人の行動についての批判は、まー、おいておくとして)
拉致発覚後の記者会見(記者会見するってのもどーよ?)で、まず口をついて出たのが
「犯人の要求通りに自衛隊を撤退させろ」
「自衛隊撤退を解決案から排除するのは、人命尊重を軽んじている。人権侵害だ」
こんなん真っ先に言うか? フツー。
一般的に、このような場合、家族が公に出たらまず口から出るのは、
「みなさまにご迷惑をおかけして、すみません」、だろがーっ!
ここで、この家族らは、一般世間を敵に回してしまった。
だが、彼らはそのことに、ちぃーっとも気づいていなかったようだ。
唯一、まとも(政府や国民のみなさんに「ご迷惑をおかけします」と
頭を下げた)だったのは、
郡山というフリーカメラマンの家族だけ。
そのうち「三人を24時間以内に解放する」という情報がでたにもかかわらず
三人は解放されずに四月十一日は過ぎた。
翌、十二日に突如、家族の姿勢は変わる。
一転、自分の息子、姉が迷惑をかけたことを謝罪し始めたのだった・・・。
(もーおそい。世間の見方は変わらなかった)
裏情報はいろいろあるが、確証がなかったりもするのでおいとこう。
確かなのは、あの家族たちに近づいて背後から助言、支持していた
であろう一団、グループがいた、ということだ。
拉致された三人を解放する条件として犯行グループが提示した条件、
「自衛隊を撤退させろ」という要求を、
「自分たちの家族を解放してくれ」という、肝心カナメのメッセージを差し置き
家族たちに発言させていた。
その後、屋外でテレビカメラの前でのメッセージ。
首相官邸、国会前でのデモ。
三日間で五万人の署名を集めたあ・・?。
家族とその周りの人々だけで、できるものではない。が、
こういうことはよくあるのだろう。
というのは、
国や行政、企業などを攻撃する材料を提供する「事件」の被害者に対しては、
「訴訟を起こしましょう」「運動を起こしましょう」と、近づいてくる
ヤツラが存在するんだな、ということなのだ。
そのような団体が家族の背後に存在したことは、五万人の署名というやつが
「五人の解放を・・・」ではなく、「自衛隊の撤退を」要求する署名だった
ことからも明らかだ。
だが、「24時間以内に解放する」というメッセージが履行されなかったことで
家族らと、その支援団体とやらの間にも齟齬(そご)が生じたらしい。
それまで家族ら(今井、高遠の二家族)は、自分たちのメッセージが
世間的に理解賛同を得ている、とでも思っていたのだろうか?
分からないが、少なくとも
自分たちがいかに、世間の反発を受けているかを、よく知らなかったようだ。
情報提供を求めて、家族らがいる「北海道東京會舘」の電話ファックス番号を
テレビ上で知らせたところ、
(ナンで海外の事件に、国内の情報提供が必要なのかワカランが)
9割が非難のメッセージだったことが
彼らを動揺させたのは確かだ。
十二日の会見で、これまでの主張を控え、拉致事件と政治問題をリンクさせることよりも
まず、家族等が頭を下げようというシーンがみられたのは、家族らの焦りと
これまでの反省もあった結果なのだろう。
ここで家族らと支援団体との間に、食い違いが生じることとなった。
・・・・と、まだ書き足りないが、こりゃ長くなるで、割愛。
問題にしたいのは、
このように世間的に有名な事件の背後に、訴訟や運動を起こして
政府や国を糾弾しようとする一団の行状。(ま、思想信条は自由だが)
自分たちの普段の主張を展開する好機であるとして、
キャンペーンを張ったマスコミの態度だ。
三人の行動にも非難すべきところは、多いが、ね。
三人が無事(いろいろあるが)に、帰国した後、
マスコミの論調は、三人を非難する声に対し、「それはいかがなものか?」という
反論に終始しているといっていい。
三人が非難されるきっかけとなった、家族らの言動、
それが世間的に反発を呼んだことには触れずに、だ。
いや、もう家族らがどうだ、という話は、マッタク聞こえない。
(家族らが、最初から、もっと殊勝な態度だったなら、解放後帰国もスムーズにいって、
まー、いろいろあったが、とりあえずヨカッタな。という空気になっていたハズなのだ)
解放された三人を迎えるため兄弟がアンマン(だっけ?)に飛ぶと聞いた
とき、弁護士も一緒に行ったという。
なんで弁護士が?
帰国後、行われるはずだった三人の記者会見が中止され、
代わりに家族らが行った会見を仕切っていたのは、とある人権派弁護士。
ヒーロー、ヒロインとなって帰国、と考えていたかもしれない三人に
日本の世論の現状を伝えりゃ、そりゃストレス障害(PTSDとは違う)くらいにゃ
なるわなぁ?
危険地帯である、として十回以上に渡り退避勧告を出していたにも
かかわらず、イラクに入国しようとした三人。
たとえそうであっても「邦人の保護は国の義務」なのは当然、なのだ。
それは当然としたうえで、三人の責任、自覚を問うているのだ。
今回の事件に限らず、海外で活動する日本人は、そういうリスクを背負って
いるのだ、という<自覚>が必要だ、ということなのだ。
(イラクでなくともどこの国においてでも、人質に取られ政府に対する要求
を突きつけられる可能性があるということだ、ビケ♪さん)
「渡航禁止の法律」などできるわけがない。
民主国家である以上、それはできない。
それに禁止したとしても入国するジャーナリストはいるだろうし、たとえ法律ができ、
そのうえで拉致されたとしても、やはり国は被害者の安全を図り、解放への努力はするだろう。
一部のジャーナリストたちが言うように、
入国禁止法によって「報道の自由を規制する」などという話ではない。
これは論点ずらし、に他ならないではないか。
「勧告しても行きたいなら、行ってください。でも、自分の安全を図るのは自己責任ですよ」
おかしいかな?
こうは言っても、何かあったとき保護しないと政府は言ってないし、
言えるわけがない。これで国を非難したジャーナリストたちはおかしい。
「行くのは我々の自由だ。だが、何かあったときは国家の責任に置いて保護するのが義務だヨ」・・・?
(lll゚Д゚)ヒィィィ ふざけんなっ!
三人が「自分のためでなく、イラク人のため」に活動していた・・・?
ストリート・チルドレンは世界中にいますが、なぜ<イラク>に行ったのか。
それも、わざわざ退避勧告の出ている<危険なこの時期>に。
<劣化ウラン弾>についての「絵本」を作るために調査したかった。
それもなぜ<この時期>に?それに劣化ウラン弾の付近に近寄っても被爆などしない。
粉塵を吸い込めば重金属としての毒性はある。だがたとえ手に取っても
皮膚で遮断できる程度の放射線しか出さない。ストロンチウムなど
半減期が35年(だったかな)というものとは危険性が違う。
決して安全とは言わないが、どうも劣化ウラン弾に関してはおかしな
情報が多すぎるのだ。それはともかく。
なぜ、高校卒業したばかりの「子供」を危険なイラクに行かせたのだ。
親に理解があった? それにしても旅費は自分で稼いだのか?
彼は高校時代からそういう人権左翼団体に接近し、文章など書いていたというが、
その影響か? カネも出たのか。(勘ぐりたくなる)
彼らのデモで、よくかかげられている反戦プラカードの文句、
「子どもを戦場にいかせるなー!」というスローガン。
今回、十八歳の子どもを、危険な戦場に行かせたのは、いったい誰だ? (`・ω・´)
当の三人にしても、
「エライねー」「スゴイね」「立派だね〜」と言われたいから
注目の集まるイラクへ行った、と勘ぐりたくもなる。
ま、そーゆースタンドプレイ精神が悪い、と断言もできないが、時期が悪すぎ。
今回の事件で、一番、直接的な迷惑を被ったのは
真面目に現地で活動し、危険情報などを自分たちで管理してきた
まさに、NGO、NPOの人たち自身なのだ。
彼らの所為で十把一絡げに「NGOのやつらはいいかげん」
というイメージを持たれ、資金集め、移動に制限が課せられることに
なる可能性が高まっちまった、からだ。
マスコミは、「自己責任」とゆー言葉で、三人を糾弾するかのような、
政府やネット上の意見、一部マスコミの意見を
(あくまで世間の一部分の意見であり、国民の大勢ではない、としたいらしい)、
「国民が外国で危機に瀕したとき、救出するのは<国家>の義務」とか
「彼らのような、イラクのために活動したボランティアを非難するのはおかしい」という、
<外国メディア>とかのコメントを使って、非難する。
あいかわらず、日本人は外国人に弱いってか? ナメてんな相変わらず。
一般論ではその通りだ。
だが、海外マスコミがこの三人家族の背景まで知ったうえで
コメントしていたとは思えない。(中には知った上で言うのもいただろうけど)
今回、人質解放に絡めれば、自衛隊撤退を実現できるだろうと
踏んだ支援団体とやらの誤算は、
「被害者の家族が訴えれば、政治的要求にも社会的賛同が得られるハズだ」
という読みマチガイをやったことだ。
被害者家族であっても、何を言っても許されるということにはならなかった。
テロリストを非難する声明もなく、解放を訴えることよりも
ひたすら政府批判、自衛隊撤退を訴える姿は、かえって社会的反発を食らってしまった。
自分たちの味方と思っていた<一般庶民>の感覚から、
いつの間にかズレまくってますな。
「世間の風がヨメテいるの??」(゚д゚)ホカーン
もー、「人権」とか「市民」とか「平和」とか「反戦」とか
掲げるヤツラを、一般の人たちも「ナーンカおかしいよ」と
思ったんじゃないかな。(おいらはもともと信用してないが)
一般人と、社会、政治に対する感覚が、ズレまくっとる。
民主主義のナイ国に限って、国名に「民主主義」を入れるようなモンでしょうかね。
「反戦」「平和」を無条件に正しいとは言えない、とおいらが言うのは
その文言自体ではなく、それは、団体の<スローガン>に過ぎないから、
実体は反体制、反国家なヤツラが、お題目をとなえていることがほとんどだから、ですな。
保守的なことが全部正しいとは言わないが、
一般の国民、民衆の生き様を見ない、視点を置いてなんかいないくせに、
実に安易に「グローバル」だの「世界市民」だの、ウサンクサ過ぎる。
・・・ってことですな。
そーゆーご清潔、生真面目なことゆー(本人ら自身が清潔でも真面目とゆーわけでもない)
ヤツらに限って、万が一政権取ったりすっと
「弾圧」や「恐怖政治」やったりすんだよな。
自分たちと意見が異なるヤツラに対して。へーきで。
連合赤軍をみたいにね、彼らの高邁な理想の追求の結果が「内ゲバ」だしょ。
「自ら危険な場所へ行って信ずることをやりたいという人を政府が強制的に止めることはできない。
しかし、多くの人に迷惑をかけるのに、十分な注意も払わずに自分の主義や信念を通そうとする人に、
それを勧めたり称賛すべきだろうか」
福田官房長官のこの談話は、極めて妥当なモノじゃないのかな。
「二十歳までに左翼思想に共感しない者は、熱情が足りない。
だが、二十歳過ぎて左翼思想に共感する者は、知性が足りない」 ・・・チャーチル?
おいらが<青臭いにきび面>が恥ずかしいというのは、個人の容貌についてではなく
思想的な面でいう未成熟なものの持つ危うさ、
つまり
反戦、反暴力を掲げながら、暴力的であることの矛盾にも気づかない未熟さ、
それを自覚しようともせず、自分の正義を確信する、厚顔さがキライだからだ。
(青年期にある人間が自覚するのは、ま、不可能だが)
おぢさんになったおいらは、昔の自分のアツサ、を恥じているからかもしれない。
「若さってものは、実は<醜いもの>なのかもしれない」という自戒自省すらしない。
年齢を重ね、いい年をしてながら
人間はアプリオリに平等であるとか、自由(実は自分のわがまま)を夢見ている
<エエオトナ>が
たまらなく恥ずかしくて、見ていられないのだ。
反戦平和を訴えながら、極めて好戦的なのはなぜだ?
自分で信じてるんならそれもしょうがないや。好きにせい。
それだけならまだしも、周り、特に若者を利用すんじゃねーよっ。 「恥を知れ〜!」ヽ(`Д´)ノ
今回の話題は、こんなとこ・・・で。
それと・・・
音楽が、人間が生きていく上では必要不可欠なモノではない。
そーですけど。生きていけたら、それでいいのだろうか?
生きていくだけなら、ものくって、出して、それでも「生きてる」っていうよね。
病院のベッドで意識がなくて生命維持装置つけられてても「生きて」ますわな。
生物学的には。
だから、「音楽が人間の生きる上で必要か」って問うことは、
人間が、「人間らしく生きる」って、どういうこと? って問うことですよね。
「お墓参り」をするってことは、
自分の祖先、それと自分の属する文化伝統を大切にしてるって、ことですよね。
それって、人間が人間らしく生きていく上では、必要不可欠なことではないですかね?
だ・か・ら、ビケ♪さんのおっしゃる通りだと思います。
もう命を失った残滓を惜しんでいる、というのでは決してナイ。
・・・音楽は人生にとって、必要なものなのだ・・・
「アハハ、ウマく表現してるよな〜」って、思いましたよ。ホント。
投稿時間:04/05/01(Sat) 06:00
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:Re:
「ウラ」がある (暴論3くらい)
・・・ははぁ、そういうことだったのですねー。
日本のニュースといえばもう、毎日その話題ばっかりだった、
ピークの時期を少し過ぎてから、たけどんさんのこの件に関する分析を
読んだら、どういうコトになっていたのかが、よーく分かりました。
ありがとうございます〜!
要点:
今回の人質事件に便乗して、自衛隊を撤退させようと
裏で操ろうとしていた人たちがいた。
被害者家族が、撤退を訴えれば世論が動くだろう、と思っていた
彼らは、被害者家族の「振り付け」を間違えた。
それは、「空気が読めてない」彼らの認識不足がなせる業であった。
・・・というところでしょうか???
私は、前の書き込みで、たけどんさんが「にきび面」に喩えたものが、
フランス革命前の時代思潮と勘違いしていましたが、
たけどんさんがおっしゃりたいのは、
> 反戦、反暴力を掲げながら、暴力的であることの矛盾にも気づかない未熟さ、
> それを自覚しようともせず、自分の正義を確信する、厚顔さ
をさらけ出している、エエオトナの人たちのことですね。
人質になった人々が、なぜイラクにこの時期に行ったのか・・・
イラクの人たちのために、命を懸けても働こうと思う気持ちと、
そのことによって、自分の「名」を挙げたい、と思う気持ちと、
天秤にかけたら、どちらが重くなるのか・・・
若さは、ポジティヴなイメージばかりではなくて、
未熟で醜いもの、という捉え方もあるのだということにも、
改めて気が付きました。
「名を挙げたい」あるいは「自分の存在意義を見出したい」という、
一見「美談」に包まれていそうな彼らの思いが、
「若さ」に加速度をつけられて、突っ走った結果、
「美談」どころか、誹謗中傷の的となってしまったのでしょう。
今回の経験を、これからの人生の教訓にして、PTSDからも早く立ち直って、
より成長していって欲しいと思います。
(偉そうですね・・・すみません^^;)
(やっぱり、脳みそのシワがカバ並の私にとっては、
これくらいのボリュームがGoodでした!)
投稿時間:04/05/03(Mon) 12:40
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:関係ないひとりごと。
たけどんさんがよく見にいらしているという、
2chを覗いてみました。
どこに行ったらいいのか、いまいち分からなかったじょ。(T0T)
ま、それはいいとして・・・
私、ネットの世界でいつも思うのですが、
第3者が見ていても、不快になるような、
他人に対する誹謗中傷を平気で書けるのは、
匿名だからですよね?
海外生活を送っていて、本当に誰にも相談できないことが
たまってくると、心にブラックホールが出来て、
どこかにぶちまけたくなります。。。たまーに、ですが。
ああ、道の向かいの桜の樹に、ちょうどいい大きさのうろが・・・
「王さまのミミはロバの耳!」「おうさまのみみはろばのみみ〜」「オウサマノミミハロバノ・・・・」
そして次の日、ワシントンDC中の人が、
ビケ♪がトリルを3回間違えたことを知ったとさ。(完!)
・・・このお気楽人生、私の悩みなどそんなもの!(でも大問題)
時々考えます。どうしようもなく煮詰まった時、
もし、実名を公開せずにサイトを開いていたら、
私は、日記やBBSにぶちまけていたのだろうか、と。
また、ハタと考える。
それをしたとしたら、2chの不愉快な書き込みをする人と、
同じではないか、と。
匿名だから、実生活では絶対しないこと(言わないこと・表現しないこと)を
何でもしてもいい、っていうのは、どうなのだろうか。。。
結論がでない問いかもしれませんね。
これをお読みの方、どう思われます?
投稿時間:04/05/09(Sun) 01:39
投稿者名:たけどん
タイトル:社会生活のインフラ
ありますね、不快な書き込み。
するヤツもするヤツだが、それを喜んで読んでいるよな、おいらみたいな
ヤツも、それらに劣らず「くそやろー」(失礼!)だな、と思う昨今でありますが。
(・・・なーんか、脅迫めいたことを<2ちゃんねる>書き込んだ、
高校生が逮捕されたそうで: おもしろ半分にそーゆことするからじゃ、こども!)
人間生きてりゃ、腹立ってしょーがないことや、
しょーがない輩(やから)、出来事、あり様にであうのは避けられませんな。
「いやいや、そんな風に考えちゃいかん・・」などとは、俗人であるおいらは
思ったり思わなかったり、悟りの境地には至れません。どうしたらよいのでしょう?
「人間生きてりゃ・・・?」
人間が生活する、<都市>には必要不可欠なものがいくつかあります。
でんき線だったり、みずみちだったり、どーろだったり。(あ、ガス管も)
もっと高度な社会生活を送るとなると、みどりだ〜、自然が必要だ〜、公園だ〜と
なりそうですな。が、忘れちゃならんのが
<衛生設備>、そう「下水道」など、でげすよん。
君たち気取った<都会人>とやらゆー人種が、大量に産出する「ごみ、排出物」を
運搬し、集積し、処理する設備、システムです。
人間の社会生活のなかでも最近とみに活発となっている情報のやり取り
(なんてんだ?横文字とかで)でも、必要なんですよ。
衛生設備が。っていうか「下水道」ってより、「ハケ口」ですな。
もー、いるんですよ。言いたいことがあるやつらが。
様々なことに対してね。情報も、マズメディアから受け取って
ため込むだけが能じゃない、情報は交換せんとな、ってんだか、どうかしらんが。
とにかくオレの言うことを聞けおまいら!、みたいな。 (お、おいらもそうじゃん?) (@_@;)
情報ハイウェイ行き交う下には、いろんなもんが吹きだまってたり、
どぶ川がよどんだり、流れたりしてるんでさあ。
でも下水道だからって、手に余ったペットのワニなんかを捨てちゃイカン。
毒物を流しちゃ、やっぱいけませんや。
汚いものが集まるところとはいえ、そこはそれ設備なのだからな、
管も傷むしね。
「2ちゃん」を「下水道」と言い切ってしまうことは、
おいらとしてはちょっと躊躇するところもある。
(確かに失礼なヤツも非常識なやつも少なくないいや、多いが)
そーね、下水道ってより、やっぱ「吹きだまり」かな。
お宝もあるですよ。たまに、いや、しばしばね。
あの「トマソンと少年」も「ポーランドの難民孤児の話」のフラッシュアニメも
2ちゃんねらー(2ちゃんねるの住人たち)が作ったものです。
それに、学問系の<板>
(入り口の左側のウィンドウに縦に並んでいる各項目のこと。
各<板>の中にある、個別の書き込みをする、それぞれ特定の話題を<スレッド: =スレ>という)
〜では、いいかげんなことを言うヤツは「ソース出せよ」と
はじかれてしまったりして生半可な知識ではカキコはできない・・・と。
2ちゃんねるの内容について、問われているのではない、っと。
第三者がみても「不快」を感じるカキコがあるのは事実。
ビケ♪さんもそのようなカキコをみて、不快を感じたのでしょうね。
それと、自分自身の中にもある、そのような匿名性に隠れた他人を傷つける
かもしれない「本音」、たまった憤懣の出口としてのネット掲示板。
その存在は「是」か?「否」か。 もちろんそれを「自分自信の中で認めるかどうか」だが。
人間の心も老廃物を生むのですよ。
心が生み出すものは、きれいなものばかりではない。(ご存じだろけど)
善人も良いことばかり考えているわけではないし、その逆もまたある。
心に、老廃物をためこんではいけない。
適時に排泄してクリーンにしておかないと、心自身が腐ってしまうかもしれない。
自分で選んだのではない環境下で、心に毒物を溜めちまった人も多いだろけど。
そう、心に毒物をためるのもよくないわな。
「だからって、他人を中傷してもいいのか?」
では、どこに。いったいどのようにして心をメンテしたらよいのだろうか?
さあ・・・?
ひとり一人、みんな違うじゃろーね。 ワカラン( ´ー`)y-~~
おいら的には、ある一定の基準をもってその範囲内なら
大目にみるべきだと思う。多少の悪口雑言は、ね。
それは大部分の人たちが「不快」と考え、あまり覗いたりする
機会もない「下水道」と同じだ。
「私は下水道なんか、見るのも臭いも不快だ!」と言う人が大多数でも、
「下水道をなくしてしまえ!」という要求はしないだろ? 必要なもんだろ?、と考えるからだ。
それは、たとえ「下水道」自体を無くしたとしても、
「下水、汚水」はけっして無くなることはないし、
それは、すべての人間の生活する場所から生じ、絶えず流れ出し続けるものだからだ。
ま、自分ちの敷地内で処理できる程度の量しか出さない人には、関係はないわな。(シアワセ・・・)
流れる場所をなくした下水は、地下に浸透するか、ところ構わずあふれ出すか?
一度、快適な汚水処理設備を知ってしまった後は、それなしでは
やっていけなくなるだろう。(他に同じようなモノができるだろってこと)
キイタ?( ゚o゚)オクサン(゚o゚ )アラヤダワァ
だが、いくら下水道だからって、手に余ったワニを逃がしたり、
毒物や、外来の魚を放ったりしてはイカン! そりゃイクらなんでも「ルール違反」だ。
そんなんで、「下水道」を利用するかどうかはあなた次第だ。
たとえ匿名で名前を知られることはないといっても、
「自分の家から出たゴミを覗かれるのはイヤ」という人いるだろう。
そういう人は自分で、他の処理方法を考えるしかないな。
他人が利用している姿を、どう思うかは様々ですが、「かわいいやつらだ」とは
思わないまでも、「なま暖かい目」で見てやって欲しいくらいには思っていますが、
ダメですか、そうですか。
おいらですか?
おいらはカキコはしてませんが、さかんにゴミ箱漁り、
みたいなことに
精を出しております毎日ですが、何か?
結構、情報源として効率が良かったりしますんでね。
さまざまな関連のページにリンク張ってあったりして。
(単一の情報源から結論を出す愚行を避けやすい)
思わぬ拾いモノもある。一連のフラッシュアニメとか。
必要な書籍名とか、他の人の意見の載ったページとか。
ビケ♪さんの問の答えにはなりませんでしたね。
最後に、近頃、「泣ける2ちゃんねる」って本が出てて、
おいら書店で、タダで立ち読みしてたんですけど
読んでるうちに、急に目の前が曇って
本のページが歪んだと思ったら、
もうそれ以上、
その場で読み続けることができなくなって、
顔歪めたまま下向いて、急いで店の外に飛び出しちまった。
なんで? なんでって・・・
いい年こいて〜〜〜 ・゚(つД⊂)゚・。
投稿時間:04/05/17(Mon) 12:11
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:Re:
社会生活のインフラ
某掲示板サイトを、下水道にたとえられたこと、
とても分かりやすかったです。
あそこに書き込まれたものは、人間の、「生」の姿なのでしょうね。
加工も装飾もされていなく、
きれいな部分も、汚い部分もひっくるめて、すべてがそこにある。
「泣ける2ちゃんねる」が、なぜ「泣ける」のかといえば、
それは、うそいつわりのない「生」の人間の姿を映し出したものから
より抜かれたものだからなのでしょうね。
たけどんさんは、「ゴミ箱あさり」にたとえられていましたが、
どうしようもなく「生」の人間像の中だからこそ、
「光る」何かを探しあてることが出来るのでしょうね。
ただ、それにかける時間に見合っただけのものが見つかる確率が、
どのくらいあるのか・・・
その時間と、見つけたものを天秤にかけたとき、それは釣り合うものなのか、
と、考えたりはします。
だって、読んでるとあっという間に時間がたってしまいますものね。
しかし、前に教えて頂いたAAみたいに、それはもう、人生を変えるくらいの
力を持ったものを見つけたら、それにかけた労力も報われるでしょう。
インターネットが始まる前にだって、悪口・陰口などは、
実生活で普通に行われていたこと。
そういったものが、ネットの世界になって、公開され、
それも、世界中の人に見られる規模のものになっただけであって、
歴史が始まって以来、人間のすることというのは、
たいして、変わっていないものなのかもしれませんね。
奇麗事だけでは生きていけない、悲しい人間の姿。。。
その吹き溜まり。
そういうものとの付き合い方も、自分しだいですね。
お返事ありがとうございました。