往復書簡 ‘03年10月〜’04年2月

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投稿時間:03/10/23(Thu) 23:22
投稿者名:たけどん
タイトル:
新たなる、もう一つの「鼓動」

はいはいはいはい。聴いてます、聴いてますよ。
もーすこし、もう少しでね「書けそう」なの「CD試聴記」。
おいらの場合、文を工夫しようとするとかえってダメなのっ。
生まれてくるのを自然に待つのよ。「いける!」って感じになるまで。
それまで何度でも聴きますよ。ええ。(あり? じゅんじ?)
これじゃ、コンサート視聴記なんて書けないね・・って、
書いてんじゃんっ!!

でも意外と即興もイケる、と自分では思っている・・・。
(書き始めると何時も、即興みたいなモンだけど)


そんでもって、ですねえ。
知り合いからパソコン、もらえることになったんですよ。
それも「ウィンドウズマシン」です。
「マックばっか何台も持ってんじゃねえよ、このタコ!」ってな
もんでしてね。彼がオークションで落としたのだが、今は使っていない
マシンを、おいらめにくださる、と言うわけだそうで。

来ましたよ、マシン。メーカー製のマシンじゃないですよ。
ショップか、自分で自作したようなマシンなんですよ。
でね、それも「本体」だけ。

そ、「ディスプレーなし、キーボードなし、マウスなし」んでもって
なんと、「電源コードなし」と来た日にゃ、おいら笑うしかないってもんだ。
おまけにカバーが開いたままの状態でおいらの部屋に
置き去り(起き逃げ?)にされてた。
おいら部屋の中でそのマシンと、しばし「にらめっこ」状態でしたな
つっ立ったまま。 ・・・・( ゚д゚)ポカーン

そのマシンといえば、フロッピードライブ、CD-RW、DVD-ROMがついてまして
まあまあ、使えそう(おいらウィンドウズだって扱えるんだぜい)。
カバー開けてみると、なんと! 
「ハードディスクドライブがぶら下がってる・・・」ベイ(ドライブを固定する
フレーム)に入ってすらいない。ネジもない。ただケーブルが繋がっているだけ〜。
・・・おいおい、動くのかよ、コレ?

   
ウィンドウズ用のキーボード(マックとはキーの配列とか微妙に違うし
USB{今は全部このタイプ}じゃないと、コネクターの形状も違う)は
持ってるから、いいとしても・・・。
そんなこと考えながら、カバーを閉めようとしたら、「え? 閉まらない」
よくみたら本体の下フレームが歪んでる。これじゃ閉められないハズだ。
トンカチで叩いてまっすぐに直してカバーをはめ込んで気がついた。
カバー閉める「ネジ」、も、ない・・・。

後日ショップへ行って、ネジ類やコードを買ってくるついでに
「PC自作の鉄則」というパソコン自作の本も買ってきました。
「う〜む、勉強になるなあ」。
それにウィンドウズ用のパーツって「やっすいの〜」
マザーボードなんか1万いくらで買えちゃうの。
おいらのマックがボード交換で6万円とかなんとかと、次元が違うの。
こっちはデファクトスタンダード(実質的な世界標準機)なの。
シェアの広がりが違うの。安いし種類も豊富。
でもね、現在は自作よりもメーカー品のほうが安いものが出てるから
コストは自作のメリットじゃなくなってるみたいですけどね。

メリットは性能が劣ったパーツを最新のものに換装できるってこと。
それ以外は今までのバーツを使用可能ですからね。
メーカー品ではこうはいかないですよね。


一度、パソコンをバラバラにして全部のパーツを外してみたら
スピーカーのコードが端子の部分で断線してる。
ひさしぶりに「ハンダごて」持ちましたよ。
古いハンダ、こてで溶かして、イラックスチューブで吸い取って
端子穴をスッキリさせる。
その後からコードむいて、端子穴に絡めようとしたら長さが足りない。
ギリギリ、穴に差し込んでハンダづけするしかない。

ハンダごてのコツはね(誰も知りたかねーよ)、
まずハンダをつけようとする部分を、ちょっと熱しておくんですよ。
でね、ハンダが溶けて、こてに乗ったらすぐに
目的の箇所にもっていく。
するとね、「しゅっ」とハンダがその箇所に移るんですよ。
こてが熱すぎてもダメなんです。こてにハンダがまとわりついて
目的の箇所に乗らないんですよ。だからこて台にはこて先を冷やす
スポンジ(水を含ませておく)を置く場所がついてるんですけどね。
これ、慣れですよね。場数をふむこと。

そんなこんなで組み上げ、所々足りなかったネジを足して締め、
カバーを閉めてネジ止め。完成。(歓声〜) 

さて、電源コードを差し込んで、スイッチオン!
おおっ、回ったハードディスクが回転してる。
ハードディスクのアクセスランプが点いた。 
うむ、動くようだな・・・。  ( ̄ー ̄)ニヤリ

でもディスプレーがないから起動画面もへったくれもない。
これ以上の操作はできない。OSの種類もわからない。
95なのか98なのか、それとも2000なのか。(XPは、ないだろな)

おいらの希望としては「Windows2000」なんだけどな。
Macとファイル交換の都合があるからね。
98やMeは設定が面倒だし、XPだとプロフェッショナルエディションで
ないとな。 2000のディスク付けるって言ってたんだけどなあ。
(でも、それってさあ・・・)
明日、友人からディスプレーを借りることにしました。

はたして起動しているのか?画面は映るのか?
どんなソフトが入っているのか?
なぞです。わかりません。
それよりも使用することは可能なのか?
以降のことは保障できません。

はたして、たけどんの家に「ウィンドウズ・マシン」が、その
レゾンデートル(存在意義)を獲得する日は来るのか、来ないのか?

 

投稿時間:03/10/24(Fri) 03:00
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:
Re: 新たなる、もう一つの「鼓動」

とうとう、たけどん家にウィンドウズが導入(乱入?)されたのですね!

> でね、それも「本体」だけ。
>
> そ、「ディスプレーなし、キーボードなし、マウスなし」んでもって
> なんと、「電源コードなし」と来た日にゃ、おいら笑うしかないってもんだ。

・・・これって、顔も体もなくって、脳味噌だけ
むき出して置き去りにされたってことですよね?
擬人化すると、かなりグロテスクだわぁ・・・

はんだごての使い方、チェンバロのメンテの役に
立つかしら?例えば、どうしようもなく緩んでしまう
プレクトルムをジャックに固定してしまうとか。。。
(↑おおよそチェンバロ弾きにあるまじき発言。
というか、一昨日のこと、まだ根に持ってるな?
よいこはまねをしないでね!)

それにしても、マシンを自作するなんて!
もともと機械音痴で、ソフトに頼りっぱなしの私には、
とても信じられません!
でも、消耗したパーツだけ変えられるというのは、
コストの面だけでなく、環境にも優しくて、いいですね〜。
そして、手がかかったものほど可愛いと言うもの。
これは、マシンも楽器も同じですよね。
(自分で作らなくとも、例えば、時間をかけてきれいに
タッチをそろえた後の楽器などは、限りなくいとおしいもの♪)

さて、その「脳味噌」、たけどんさんがどの程度、
使えるものなのでしょうか?どきどきですね!

 

投稿時間:03/10/28(Tue) 22:50
投稿者名:たけどん
タイトル:
「陣痛」でも、未だ・・

おうおう、そういえばチェンバロも「キット」があるとか
聞きましたけど(あ、読んだ、だ)。
ボストンとかのフランク・ハバドが、フランスの「タスカン」の
レプリカを始めとして、楽器のモデルのいくつかを「キット」として
販売するようになったのだとか? 今現在でも販売、しているんでしょうか。

でも、きっと素人が手を出せるような「キット」ではないんでしょうね。
ハンダ付けが出来る程度では、ちょとムリね。(関係なさ過ぎ)
っていうか、メーカーっていうか、プロ向けのキット販売なのかな?

パソコンの方、ハードの方はもう準備OKなのだ。(たぶん)
あとはソフト待ち、友人に聞いたら、システムディスクから起動して
いっそのこと初期化してハードディスクをまっさらにした上で、
新たにOSをインストールした方が手間的は簡単だよ、と言われた。
だがね、初期化したらCD-RやDVD-ROMのドライバは消えちゃうじゃん。
どうすんの、って聞いたら、

「インターネットにつないでドライブのメーカーの
 ページからダウンロードするしかない」んだと。

だからさ、ADSLに接続するのにLANつかってるだよ。LANのドライバも
消えちゃうんだろ。どうやって接続すんのさ?

「普通はCD-ROMが付属してるんだが・・・」
それがないっちゅーの! 
これなむ「ジレンマ」ってやつか。  ヽ(`Д´)ノウワァァァン 

うう〜。結局、手間がかかってもコマンド打って修復するしかないな。
やる。やってやるさ! (やったことナイけど)どんとこい。
このくらい障害でも何でもないわっ!
ふふん、おいらはウマくいかないことの、ひとつや、ふたつや、
みっつや、よっつや
いつつや、むっつや
ななつや、やっつや
ここのつでは、キレたりせぬわ〜っ!

アッヒャッヒャ!ヽ(゚∀゚)ノアッヒャッヒャ!  (←イッちゃってる)


そういえばパソコンくれた方に「お礼がしたいである」
と言ったら、かく申された。
「それではプラモを作ってくれたまい。
 お題は『ZZ(ダブルゼータ)ガンダム』だ。よろしく頼む」

よりによって分離、合体、変形するヤツだ。しかもパーツ数の多いキットを・・・
自分で作れなかったらしい。
それはいいが、表面処理とエッジ処理と塗装だけだぞ。
改造はしないぞ。
おいら的にはプロポーションもいじりたい部分もあるのだが、
目をつぶって耳をふさいで息を止めたままで完成させてやる。
(ホントは、気に入らない部分は改造したくてたまらないのだが)
もらったマシンの完成度を考えれば、無改造で十分だ。

なんか、またワケがわかんないですか?
いえ、ビケ♪さん。ご心配には及びませんぞ・・・

わたくしは、冷製だっ! (←まちがってるぞ)

 

投稿時間:03/10/31(Fri) 14:30
投稿者名:ビケ♪こと管理人
Eメール:
URL :
タイトル:
Re: 「陣痛」でも、未だ・・

> ボストンとかのフランク・ハバドが、フランスの「タスカン」の
> レプリカを始めとして、楽器のモデルのいくつかを「キット」として
> 販売するようになったのだとか? 今現在でも販売、しているんでしょうか。

してます。日本でも、大阪(だったっけかな?)の
オワゾリールハウスが、どこかの輸入キットを扱っていたと思います。

> でも、きっと素人が手を出せるような「キット」ではないんでしょうね。
> ハンダ付けが出来る程度では、ちょとムリね。(関係なさ過ぎ)
> っていうか、メーカーっていうか、プロ向けのキット販売なのかな?

両方あると思います。私の英語の先生(趣味のチェリストでもある)は、
ハバドのヴァージナルのキットを買われたそうで、目下、組み立て中らしいです・・・
「助けが必要だったら、近所のチェンバロ製作者を紹介して!」
と言われています。

> 「それではプラモを作ってくれたまい。
>  お題は『ZZ(ダブルゼータ)ガンダム』だ。よろしく頼む」

こっちの方がずっと楽、というか、作るの楽しみなのでは?
あ、でも、改造しないから、ヘビの生殺し状態??

完熟トマトとバジルの「冷製」たけどん、一丁出前よろしく!
(本当にデリバーされたらどうしましょ?)

 

投稿時間:03/11/06(Thu) 00:14
投稿者名:たけどん
タイトル:
起動? たけどんwin

「へい、おまちっ!」
「冷製たけどんの、レッド・Winソースがけ」100人前ですよ。
お届けにあがりました。 召し上がってもらいましょ。
なにしろ、こちととら日本からわざわざきてるんでぃ!
え〜? 留守・・・日本へ帰ったあ?

え? 頼んでない? いやいや、 それでもお届けしますよ。
あなたのこころに。 (ちょと怖いぞ)

それでは、食べてもらいやしょー・・・。


役に立たない。動かない場所を取るだけのマシン。
どうするよ・・・?
思案に暮れてたおいらに天啓がっ!
「そうだよ。リナックスがあるじゃん。タダ、いや本代だけじゃん」

「リナックス」というOSをご存じでござるか?
ウィンドウズやマックのような企業が開発しているOSとはちがって
ソースコードがオープンにされていて改変、配布が自由な
フリーOSなのだ。
なんじゃそりゃって? ぶっちゃけ、世界中の物好き、いやひまじん
もとい、有徳の士が日夜開発してくれていて、しかもOS自体はフリー
(無料)っていうOSなのだ。OSとは本来フリーでオープンであるべき
だっていう考え方をしている人も多いのだ。

その代わり、なんか問題があっても、メーカーは存在しないから
責任やサポートなどはない。自己責任なのだ。が、
ネット上には様々なリナックスサイトが存在しているから安心だ。

ってなわけで、書店へ直行して「Red Hat Linux入門」って本を
買ってきた。CD3枚付き、1500円だ。 OSはフリーでも
書籍代やパッケージはタダではないからな。
「Windowsユーザーも無理なく操作できる」とやら書いてある。
ほうほう。おいらマカー(マックユーザー)だが大丈夫か?


さっそくマシンにインストールだ。
マシンのHDとは別に今まで使ってたiMacのHD(6GB)
を取り出して、マシンに移植。
こいつにインストールするのだ。これならリナックスに
問題が起きてもウィンドウズの入っているHDには影響がない。

CD3枚、とっかえひっかえでインストール完了。
起動っ! 動いた。デスクトップはウィンドウズにさも似たり、だ。
オープンofficeというソフトも付いている。マイクロソフトofficeと
そっくりじゃん。それにだね、各種ドライバがそろっているので
ちゃーんとLANカードも認識してあっという間にインターネットにも
つながったよ。 すっげえ。さっそく自動アップデートをしてみるか。
最新ソフトやドライバに更新するのだ・・・え?「SLLエラー」???

何度やっても、エラー。RedHotのページを見てみる。なんだかの
ファイルをダウンロードして・・・英語じゃん!  
ざっと概要しか分からない。日本語のページ見ると。  Σ( ̄□ ̄;)
なに! リナックスをやるには英語は避けられないって? いやじゃん!

ま、とりあえず、今は不自由なく使えるからいいか? 英語やるよりな。

そんでもってRedHatで起動してシステムのプロフィールを見る。
そんで各ボードの製品番号、できればメーカーをメモる。
そんでもってそのメーカーのサイトを覗いて、ダウンロードの
ページから該当するハードのドライバをダウンロードするのだ。
このくらいの英語ならわかるぜ。
外国のホームページでも、何の問題もない。 ( ̄ー ̄)ニヤリ 


その日の晩。OS、98と2000入手
マシンに元々はいっているHD(12GB)を初期化してマッサラに。
そいつをパーテーションを切って、CドライブとDドライブ
(6GBづつ)に分け、それぞれに98と2000を入れてダブル、いや
トリプル・ブートにしようって寸法よ!

つごう、HD2台に
一台目 Cドライブ:98、Dドライブ:2000、
二台目 Eドライブ:RedHatリナックス
 (各6GB)ってことになるわけだが・・・。

Dドライブの2000はすんなり起動、案の定ドライバ類は
入っていないか、マシンのハードに対応していない。
マックから落としたドライバ類をフロッピーでマシンに入れ
「デバイスマネージャ」でドライバ更新。

「やった・・・!」
LANカードドライバも認識してインストール完了。
思ったよりも簡単にネット接続が可能に!

しかし、悪魔は罠を張っていたのだ。 問題は98だった・・・・。


・・・ウィンドウズで「チェンバロ弾き」のページ見ましたよ。

特に、掲示板2。そ、おいらの書いたヤツ。
見づらいの!
フォントの関係かな? 文字が細っこくて詰まってるから
目が疲れるのだ。
友人が、「長いと読むのがタイヘン」とい言ってた意味がよく分かる。
上下の文字の間隔がないので詰まって見えて読みにくいったら。
ナンダこれ。「MSPゴシック」か? どこがプロポーショナル
ゴシックなんだよ?

システムのフォント変えたら読みやすくなるのかな?
マックの「OSAKA」や「ヒラギノ」フォントだともっと
読みやすいんだけど、これじゃ拷問だわ。
ビケ♪さんも、レス大変なわけだな〜。

あ、え? つづくのか。これ・・・?

 

投稿時間:03/11/12(Wed) 23:57
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:
Re: 起動? たけどんwin

> 「へい、おまちっ!」
> 「冷製たけどんの、レッド・Winソースがけ」100人前ですよ。

100人前で、おなかいっぱいです・・・
リナックスって言うのがあるんですね。ちょっと勉強になったような・・・
そいでは、おなかいっぱい過ぎてすっかり眠くなったので、
この辺で失礼します〜〜〜!    がんばれ、たけどん・マシン。

 

投稿時間:03/11/18(Tue) 23:14
投稿者名:たけどん
タイトル:
「作品」

いや〜、まいった。
ここ2週間、突貫だった。
夜更かしだった。
プールもランニングもさぼっちまった。
ビケ♪さんのコンサートも終わっちまっただわ。

「何してた」のかって?・・・またウィンドウズかって?
ちゃうちゃう! もうパソコンは完全に起動しております。
一台のマシンで「ウィンドウズ2000・98・RedHatリナックス」
3つのOSで、起動できるようになっとるですよ。(もー、DVDも映画も見た)
ま、これ以上いじるには、もちっと勉強しないと状態、だす。

パソコンもらったお礼の「ZZガンダム」作ってたの。

とりあえず「表面処理と塗装」だけ、で完成させるってことで
おいら自身が、気に入らない部分が、そこここあるけれども
今回は目をつぶって「無改造」で完成させたのですわ。突貫でね。
普通、おいらが作ると2か月から半年以上かけるのが通例なんですけどね。
でも、いい加減に作った、ってわけじゃないよん。
「考えなくてもいい」ってところが、大きかったんでしょうなー。

う〜、背中がいてて・・・。腰もちょっと。
運動してえ〜〜  ヽ(`Д´)ノうぉおおお〜!


パーツをランナーから切り離して、仮組み。
もう一度ばらして腕、胴体、足、ランドセル分けて
各部分ごとに表面処理をしていく。

サーフェーサーを吹いてパーツを灰色一色にして
ペーパーで擦ると、へこんだ部分に、サーフェーサーの灰色が残るので
パーツのゆがみが判る。軽度なものは、目の荒いペーパーで全面的に削って
しまい、その他はプラパテをもって硬化するのを待ち、平らなものに
巻いたペーパーで削る。もう一度目の細かいペーパーで表面を平滑にする
仕上がったらもう一度サフ吹きする。

全350パーツ以上あるはずだけど(組んでしまえばグッとパーツ数は
少なくなるが)その8割くらいは作業したと思う。

歪みへこみを平面にする作業と同時に「角出し」も行う。
プラパーツはエッジが甘いので ピシッと角を鋭角にしておくと
仕上がりがグンと違うのだ。地味だけどその積み重ねが
あとあと、完成時に効いてくるってわけ。

地味な作業だし、完成した作品には全く、作業の痕跡が残らないから
やりがいってのがまったくない。塗装とか改造部分とかは
凝れば凝るほどその効果が誰にも分かるけど、
表面処理ってのは塗装に隠れてしまうし
やらなきゃやらないで、素人には全く分からないもんだしね。
(プラモってそんなもんだろって思ってるから)
でもね、その効果を知っている人間にとっては避けて通れないんだな。
いい加減には出来ない。

そりゃ分かってるけど、やってると「イヤ」になってくるんだってば
ヽ(`Д´)ノウワァァァン
指は痛くなるし、終わったと思ってサフ吹きすると、まだ平面に
なってなくてやり直しとかね、そーゆのザラ。
塗装終わった後に、気づくこともある   ・゚・(ノД`)・゚・。ウエーン

「他人のために作る」っての、初めてだったから、最初は
「よーし、うまく作って、唸らせるよーな作品にしてやるっ!」とか
思ってましたよ、ええ。
でもね、いやンなってくるの。疲れるの。
疲れると肉体だけでなく精神もやられるの、根気がなくなるのさ。
たかだか基本工作だけでもね。

肩凝るし、お尻は痛いしね。「も〜寝る・・・」ってなるのさ。
でもね、ここが完成度の高さの分かれ目なんだわ。
この地味な作業をどうこなしたかってのがね。
「もーいーや」で先へ進んじゃうと、後々絶対後悔するんだ。
分かってるんだけどもう体が「やめろよ」って言ってくるんだよ。

「これくらい、分かんないよ」ってね。
そりゃ、ひとつひとつは大した作業じゃないわさ。
でもね、300以上パーツがあるんだ。
おいらも10や20くらいなら真剣にやるさ。慎重にね。

それにね、今のプラキットは各パーツが多色型成だから色なんか
塗らなくても一応完成できるんだし、相手もそれ以上のことは
望んでいないかもしれない。
「サフ吹いてるよ」って言ったら、
「そ、そんなことまで・・オークションで高く売れるよ」って言ってやがった。

・・・売る気ぢゃないだろなっ!  (@_@;)


完成した後では、もう何言っても言い訳なんだよな。
わかってるけど、なかなか肉体ってのは超えられないもんだよ。
疲れってのはね〜「精神が肉体を凌駕した」なんてマンガとかアニメ
ではよく見るけど、そんなの凡人にゃできゃしゃしないぜ。
第一モチベーションが、ねェ!

そこで思ったのさ。どんな言い訳しようと出来上がった作品が
おいらなんだ、おいら自身を表してしまうんだって。
作品をあげる相手は、おそらく分からないかもしれない。でも
おいら自身は分かってるはず。
完成品、まじまじ見て。不完全だったとこ。
自分に言い訳して、再作業をスルーした部分。

完成した作品、「提示された完成品そのもの」だけが
すべてを物語っているんだ。
たとえ作業を十分したつもりでいたのに完成後にその不備に気づいたとしたら。
それは、今までその作品に対しておいらが掛けた手間と
その姿勢の表れ、ひいてはおいらっていう人間性の現れであり
作品は、それを超えたのものは語らないんだ、と。

そこでリテイクするか、しないかも含めて、だ。

だからおいらは、「おいらという人間」、を作品という
具体的に「目に見える形」にするんだっていう気持ちで
作業を続けた(つもりだ)。
「後での言い訳はきかないのだ」と思って地味な作業を続けた。
このペーパーのひと擦りがおいらの心、人間性をこめているのだ
と思いこんで・・・(おおげさ)

だから、今回はおいらの主観の現れであるキットに対する改造は行わなかった。
不満があれば、受け取った相手が改変を加えればよい。
いっこうに構わない。おいらはあげたものについてはどうされても
文句は言わない。
(そりゃ、大事にしてくれる方がうれしいに決まってる)


「あのとき、疲れがたまってたし」とか
「これくらい分からないし」とか
「いや、おいらが本気出せば」とか
「いつもはこんな小さな見落としはしないさ」とか
「もっとうまくやろうと思えばできるけどね」とか。

違うんだ!「今ある作品の完成度」それだけが今のおいらなんだ。
おいらの実力なんだ。
誰でも、時間を無限に持っているわけはないし、
いつも体調万全の状態で作業にかかれるわけでもない。
限られた時間、様々な状況のなかで表現されたもの、それがその人間の「実力」なんだ。

パーツ修正したいんだけど塗料が乾かなくて一晩置かなきゃいけない。
でも 塗料の乾燥が待ちきれなくて、パーツつかんじゃって「あーっ!!」Σ( ̄□ ̄;)
じっと待つことも大事なことだねえ・・・。


おいらもまだまだ人間が出来てねえってことか・・・ (´・ω・`)ショボーン

拡大鏡のぞきながら1センチくらいのパイロットを塗って、
各パーツのモールドラインに墨入れ(パネル分割ラインの表現ね)して完成。

これ以上の塗装表現はしないでおく。
デカール(シール)貼らないし、トップコート(艶を整える仕上げスプレー)も
吹かない。あとでの修正が効くようにだ。

おいら的には78〜80点の出来。
完成度としては7割程度の状態でしょうかな。
なんだかんだ理屈こねて、自分を納得させながら作業を続けました。
よくやった。おいらをほめてやりたい。
この完成品を見て、まあたいていの人は「ほぇええ〜」と思うだろうが、
自分で模型を作ったことのある人の方が、手間のかかり具合がわかって
さらに感動してくれるだろな〜、なんて自己満足していまふ。んふふふ。

どう評価するかは受け取った本人しだい。おいらとしては、
「おい、パソコンどうもありがとう」ってとこですな。

うう、嫁に出す父親の気持ちとやらが分かりそうなヨカーンが。

 

投稿時間:03/11/22(Sat) 13:59
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:
Re: 「作品」

たけどんさん、パソコンのお礼とはいえ、
お疲れ様でした。
プラモを、こだわる人はどんなに手間隙かけて仕上げるかは、
以前のカキコで、しっかり勉強させていただきました。

今回のたけどんさんのお言葉で、とても深く心に残ったのは、

> そこで思ったのさ。どんな言い訳しようと出来上がった作品が
> おいらなんだ、おいら自身を表してしまうんだって。
> 作品をあげる相手は、おそらく分からないかもしれない。でも
> おいら自身は分かってるはず。
> 完成品、まじまじ見て。不完全だったとこ。
> 自分に言い訳して、再作業をスルーした部分。
>
> 完成した作品、「提示された完成品そのもの」だけが
> すべてを物語っているんだ。
> たとえ作業を十分したつもりでいたのに完成後にその不備に気づいたとしたら。
> それは、今までその作品に対しておいらが掛けた手間と
> その姿勢の表れ、ひいてはおいらっていう人間性の現れであり
> 作品は、それを超えたのものは語らないんだ、と。
>
> そこでリテイクするか、しないかも含めて、だ。
>
> だからおいらは、「おいらという人間」、を作品という
> 具体的に「目に見える形」にするんだっていう気持ちで
> 作業を続けた(つもりだ)。

そう、自分に言い訳したって、出てきたものが結果であり、
それが自分自身。これって、まったく演奏の作業にも
当てはまることです。

いくら準備時間が限られていても、いくら体調が悪くても、
舞台の上に出てきてしまったもの、それが自分。こわっ。
改めて、気づかせていただきました。

> うう、嫁に出す父親の気持ちとやらが分かりそうなヨカーンが。

さて、ちゃんとお嫁に出せるのでしょうかね〜、たけどんさんの作品?

 

投稿時間:03/11/24(Mon) 00:18
投稿者名:たけどん
タイトル:
名器と歴史と現代楽器

♪〜きぃーんらーんどぉ〜んすううのぉ、
 おびぃしぃめぇええ、なーあがぁらぁあ・・・なんてな。

「ダブルゼータガンダム」無事お輿入れ〜。
渡すまでアナログプレーヤーの上に置いて置いたんだけど、
眺めるうちに段々、不満が出てきたぞ。
いつものことだけど。「あーもしてぇー、ここも直してぇ〜」みたいな。
でもここは我慢。もう、おいらのもんじゃないもん。

 〜車んなかで変形させてんじゃねーよ! 壊すのがオチだろが〜


あへえ、さて。だいぶ間が空きましたが、
「たけどん対チェンバロ弾き(南海の大決闘)」ですが、何か?


エラートの「クラヴサン=その歴史と名器」のディスクは
もう何度も、聴いたってか、聞いてました。
プラモいじりながらとか、パソコンいじりながらとか・・(ふざけんな〜っ!!)
今も流しているんだよ〜ん。

歴史的楽器をレコードに記録しておくってのも大事なんでしょうな。
良い時代になったものです。実際に目の前で演奏した音とは、もちろん
違うのでしょうがね。めったに耳に出来ないオリジナルの楽器の
音色を聴けるというのは貴重な体験でしょうから。
(あくまでもマスプロダクツ、お手軽にって意味でですが)

貴重な楽器を、補修して保存しておくっていうことも大事な文化事業ですな。
しかし、その貴重な楽器を演奏するってことは、
結構「危険なこと」だったりもするらしいですな。
それどころか、その「補修作業自体」が貴重な楽器、資料等を
危険にさらすこともあるのだとか。
バッハの自筆譜だったか、日本の和楽器だったか、接着剤だか、なんかの
新素材とやら、で接いだか、補強したか、コーティングしたか (忘れたんかい!)
したら、作業した当時はよかったのだけれども、その後の経時劣化で、もともとの
素材を侵したとか、インクを風化させたとか、補修が利かなくなったとか
あるらしーですな。

そんなこんなで「保存するための補修」ってものにも
結構慎重な態度、配慮が必要なようで、素人が勝手なことをするのは禁物らしい。
(ここで言う「素人」というのは、博物館等に務めているの人のことですけどね)
専門家でも慎重を期する作業っていうことでしょうか。
先々の状態まで考えた補修と保存環境が必須、なのでしょうな
 そんなあたりから見ると、「歴史的楽器を演奏する」という行為は
畢竟(ひっきょう)「出来るだけ避ける方がよい」行為、ということになりますな。
だからといっておいらは、このディスクの在り方を非難しているわけでは
ありませんぞ。だからこそ「貴重」である、と・・・。


1580年製バッフォ・チェンバロによる4声のカンツォーナ「ロランダ」
を聴くと、400年以上前の楽器の状態が、気になったりして。
結構、改造歴も重ねているんだろうなって思う。
(付けられたり、変更されたり、取り去られたり・・・?)
この楽器のどこまでの部分がオリジナルなのかは定かではないが、
ハープストップ(か?)をかけた演奏部分では、他の高音部の弦が共鳴を
起こして、ちらちらその音を響かせていたりもする。
ご愛嬌ですな。

同じリュッカースでも、スピネットの方がチェンバロよりも
音が響きを伴って豊っていうか倍音が豊かな感じがしたのは
面白かった。チェンバロの方がひとつひとつの音の形は
大きな楽器のそれなんだけれども、スピネットよりも音が軽い感じがする
選んだストップのせいかな・・・?
録音環境のせいだろうか、スピネットの方がオンマイク(楽器に近い)
のだろうとは思うけれども。


1751年エムシェと、1968年ハバト&メルシエの、2台による
クープラン2曲。
こういう2台による合奏はおもしろい。
でもなんか高い弦が、やせてるっていうか、硬い感じがするけど? 
それと演奏が、なーんか素人臭い感じがする。2曲とも。 
こういう感じもきらいではないけどね。

歴史的楽器での演奏は、カプラーを使った演奏箇所で、部分的に
音が揃ってない箇所が出て来るみたいだけど、これもご愛嬌でしょ。

演奏スタイル等については、ビケ♪さんは専門家(怪獣退治の?)だし
おいらはよくわからないんだけど・・・。
クープラン「キュテーラ島の鐘」

ハバト&メルシエによる演奏。これはオリジナルのレプリカだろうけど
ヴェイロン=ラクロワの演奏が、ノイペルト(モダン)を演奏したアルバムの
同曲のスタイルと全く同じ。
カリヨンの演奏を聴いているようイメージがある。
このスタイルでノイペルトを演奏すると、
まるでオルゴールを聴いているような感じになる。

妹にノイペルトの演奏を聴かせたとき、手近にあった同エラートの
「名器の響き鍵盤楽器の歴史的名器」のジャケ写真に載っている、
スピネットを目に留められ、
「兄者、これがこの演奏に使われた楽器であろう」そう申された。
おいらが、ノイペルトとはそれとは全く違う「モンスター」であることを申し述べ
「これなむ、ノイペルト」と別ジャケットを指し示し申し上げると
「あな、おそろしや」とぞ申されるようにて・・・あり?

なんか響きが乏しくて? ビケ♪さんに倍音の違いと言われたっけか。
モダンチェンバロの演奏は思ったより小さな楽器だと思ったようだ。

鐘の鳴り響く様を描写的に描こうとしているのか。そんな感じがするけど?
一方、クリストフ・ルセの演奏だと鐘のテーマはあくまでも
音楽の素材として扱っているに過ぎない。
鐘の鳴り響いているところを描写することが第一義なのではない。
あくまでもモチーフに過ぎない(んん〜?)
ルセの場合、その前にアルバムとしての統一感があって、
その中の一曲としてこの曲が存在している、他の曲と連続で
通して聴いていても、違和感を感じない演奏になっている。

どちらが好きとか嫌いとか、ちょっと言えないかな?

モダンチェンバロがその特性を遺憾なく発揮したのは
オアナ「昼と夜の祈り時間のための鐘」
まさしくこの楽器のために作曲されたものだけに
音響的には違和感がない、どころか本領発揮!
しかしこの「プレイエル」って楽器。
このプレイエルの「バッハモデル」が「最も進化したチェンバロである・・・」
なんて書かれてる本が売られていたのもそんなに大昔のことじゃないんだよなあ。
(´-`).。oO 


さて、ちょっとまとめの言葉が見つからないのと、
ノイペルトによるバッハが残っているし、もう一枚もあるし、なんですけど
なんか疲れてるし今回はこの辺にしてしまいたい。


あ、そうそう、ビケ♪さん。「パイプオルガンと政治」をお読みになった由、
参考までにこのサイトを訪れてみてくださいませ。

「パイプオルガンと音楽」http://pipeorgan.jp/index.html

このページの、
「特集」、では東京芸術劇場のガルニエオルガンについての問題。
「図書館」、では草野さんの前掲書にたいする書評、とくに下方に掲載されている
「管風琴音楽百選」佐々木裕二さんによる「本書の詳細な書評」は必読ですよ。

では、また。

 

投稿時間:03/11/27(Thu) 05:10
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:
Re: 名器と歴史と現代楽器

対決ッたって、手元にCDがないんですよね〜〜〜
思い切って日本に注文してしまおう!
モダンは響きが乏しい・・・というご意見、
その通り。基音しか鳴っていないような。
それから、オリジナル楽器を、弾けるような形に
「修復」するとき、どのくらい「オリジナル」の
「オリジナル」たる音が残るのか・・・
サウス・ダコタ大学の楽器は、ある製作家の手が入れられているが、
その製作家の音が、0.1パーセントでも加味されたものを
オリジナルと呼べるのか・・・
楽譜などの修復に関しては、現在の技術は確かなものだと
信じたいです。というのは、DCの議会図書館の修復室で
インターンをやっている日本人のお友達がいて、以前、
彼女の修復室に乱入し(いや、許可はちゃんと貰った)、
修復について質問攻めにしたことがあり、
その、何重にも手間をかける手法や、何百年先を考えた
修復材選びなどに感嘆したもので。

さて、例の「オルガンと政治」についての、
たけどんさんに教えていただいたHP、少しずつ読んでいます。
うーん、私が普段いかに物を読んでいないかが、
とてもよく分かった・・・
そのほかにも、現在、たけどんさんご要望の、
「決定版!チェンバロ大解剖!(仮題)」製作中。
画像をふんだんに使い、ビケ♪お手製の図解もたくさん。
そろそろこのHPの容量も、足りなくなる危険が・・・

 

投稿時間:03/11/27(Thu) 23:11
投稿者名:たけどん
タイトル:
いざ、決戦か?

> 対決ッたって、手元にCDがないんですよね〜〜〜
> 思い切って日本に注文してしまおう!

うわっ!
びびびビケ♪さんが、対決する必要はないっすよ。(←ヘタレ)
(しまた、やぶへびら。タイトルがまずかった)

へへへ、むかし「デビルマン対マジンガーZ」ってマンガ映画
あったじゃないですか? 知らない? 
んで、映画ではデビルマンとマジンガーが戦うんじゃなくて、
ふたりが今日力して兄弟なてきにだね・・・(←激しく動揺)

ビケ♪さんと対決したら、おいらの負けは必定だぜ。
おいらのうすっぺらさが、天下のもと、まる判りにっ!
 ガ━━(゚Д゚;)━━ン!
くわばらくわばら、
たけどんは無益な戦い(←負ける戦い)はしないのだ。
だから、たけどんは最強なのだ。
強い相手に負けない鉄則とは
これすなわち「すたこら」なのだっ! (って、それをバラしてどうする)


てへ。
プレイエルの「バッハモデル」ってどんなモデルだよ?
ありゃ「ランドフスカ・モデル」ですたね。

おいらの個人的な意見ですけど、補修、改修の手が入って
いてもオリジナルはオリジナルと呼んで差し支えないのではないでしょうかね。
現代に至る前にも、音楽の傾向が変わったりするたびに
改変を加えられたり、作ったメーカー以外の修理を受けたりも
してるでしょうしね。そんなことから
腑分けする事には意味がないように思います。

おいら的には、「オリジナル楽器」というものの在り方として
あくまで展示、研究対象であり、博物館で展示される上で
必要な補修等が行われていることが重要であって、
「オリジナル楽器」が現役の楽器として使えるかどうか、とか
今回のように「これそが真のオリジナルによる演奏だ」というディスクが
あったとしてもむやみに有り難がろうとは思いませんけど。
オリジナルの扱いに関しては、まず第一には、研究者、音楽学者の範疇だと思います。

レプリカ、コピー楽器であっても、見事な楽器(演奏する上で)
であるなら問題なし、と考えます。
オリジナルであっても「大したことのない」楽器というものもあるでしょうしね。
ストラディヴァリでも、モダン楽器への改造を免れて、オリジナルの形で
残った楽器があるそうなんだけど、改造されなかった理由ってのが
楽器として出来が良くなかったからだ、なんて話をきいたこともあります。

おいらにとって大事なのは、その楽器で演奏された音楽が「どうなのか」
ってことだしぃ。

楽譜に関しても、研究者はオリジナルにあたりたいらしいですからね。
ファクシミリ版では、書き直しとか、見えにくい透かし番号とかが
判別しづらいのだとか。それがベルリン国会図書館だったかが
バッハのオリジナル楽譜を・・・なんかしたらしい。(ソース当たれよ)
新技術を試すなら、19世紀の楽譜で、まず試して欲しいものですな (個人的に)
たくさん、有象無象の音楽家がいたわけだし。

では、次回「チェンバロ弾きの逆襲」・・・近日公開っ!!
(その次は「チェンバロ弾き対キングコング」で、「モスラ対チェンバロ弾き」かもしれない)

アッヒャッヒャ!ヽ(゚∀゚)ノアッヒャッヒャ!

・・・・「チェンバロ大解剖」たのしみですね。 (なんだ? 取って付けたように)

 

 

投稿時間:03/12/01(Mon) 23:37
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:
出会い。

> びびびビケ♪さんが、対決する必要はないっすよ。(←ヘタレ)

あ、そうなの。。。でも、たけどんさんのカキコを読んで、
本当にそのCD、手に入れたくなりました(LPを聞ける環境が
ないのでねぇ・・・宝の持ち腐れ・・・)。

この前のお返事、私の書き方がちょっと分かりにくかったですね。
一般に、「オリジナル楽器」と言う場合、イコール「ぺリオド楽器」と
言う意味で使われることが多いですよね。
私が言いたかったのは、そうした一般的な意味の方ではなくて、
博物館や、一部の奏者・研究者が所蔵している、
たとえば「1686年、ニコラス・ブランシェ作」だの、
本当に17・18世紀に作られた楽器のこと。
そうした楽器を、修復して演奏可能にした場合、
元の楽器の痛み具合によって、その楽器ができた「当時」の
音が、一体どの程度残っているか、ということは、
「???」の場合もあるかな、と思ったのです。

たけどんさんのおっしゃるように、奏者と研究者では、
立場が違い、そうした楽器が持つ意味も違ってきます。
しかし、少なくとも、古楽器奏者としては、当時作られた楽器が、
一体どんな音がしていたのかと言う興味は、尽きないものです。

> おいらにとって大事なのは、その楽器で演奏された音楽が「どうなのか」
> ってことだしぃ。

それは本当に、おっしゃる通り。
それでもなぜ、私が博物館に乱入(おいおい^^;;)してまで、
その当時の音がするかどうかも、
ましてや演奏会に使用可能かどうかの
保証もない楽器に触りたがるか・・・
それは、「知」の部分を満足させたいからだけなのかもしれません。
でも、そうした興味(好奇心)の積み重ねが、いつかきっと、
演奏に反映されてくるものと、私は信じています。

実際の演奏には、とにかく演奏中にトラブルがなく(←懲りてる人)、
自分の音楽を表現しやすい楽器を選んでしまいますね。
それが許される状況であれば・・・
いくら、音色が良くても、調整が悪かったり、
ある人にとっては最高でも、自分とっては合わない楽器は、
なるべく避けたいものなのです。

ところで、旅先であった、予想外のうれしい出会い。それは・・・
チャールストンの「歴史的豪邸」見学で、
可愛らしいスピネットに出会ったこと。
それが「1686年ニコラス・ブランシェ作」だったのです。
アメリカにも渡ってきていたのですね・・・
しかし、演奏できる状態ではないとのこと。
もし、演奏可能なら、見学者立ち入り禁止のロープをくぐって・・・
(うそです、そんなことは間違っても・・・するかもしれない?!)

 

 

投稿時間:03/12/06(Sat) 00:29
投稿者名:たけどん
タイトル:
楽器に対する「愛」なくして・・

新コーナー見ましたよー。きれいな写真ですねー、おいらも行ってみた〜い
 (掲示板1ふうカキコ。↑しかも、まちがったいる)

おつかれさまでした、新コーナーっ!! 早速拝見しました。
た、たた 大変な力作っ。
未だかつて、これほど、チェンバロに接近したサイトがあったであろうか?
(イヤない:反語表現)

しかも、ほーふなデジカメ写真とともに解説つき。
まさに肉迫っ! 接写っ! せまりまくるビケ♪のレンズっ・・・!(敬称略)
それに被さるように襲いかかる、鋭いまでの解説、くりだされる用語の数々。
数百年綴じられたままだった歴史のベールが今!
一枚、また一枚はぎ取られ、むき出しになりかかる真実。
今ここに、いにしえの楽器の「真の姿」が明らかにっ!!
各メディアに驚愕の声!

「世界の【チェンバロ弾きホームページ業界】を震撼させる」 (アカヒ新聞)

「・・・きみは、【8'】の意味を知っていたか?」   (月刊つめきり)

「まさに【チェンバロまるはだか!】」         (週間清朝)

 

新コーナー、「チェンバロを近くで見てみよう」
みんなもさっそく見れ!! 急いで見れっ。とにかく見れ! 近かよって見れ!

一回読んだくらいで、分かんなくても分かっても、
不安になったり安心したりしてはいけない。
何度でも読め。三日に一回読め。
そして分かんなかったら質問だ。必ず答えてくれるから安心しる。
そして、その後は風呂だ。
ふろは、とてもさぱーりする。

・・・と、それくらい感激したってはなしですよ、ええ。
だからみなさんも、ぜひ見てくらはい。


あーわるのりした〜φ(`∇´)φカキコカキコ♪


まだ、ざっと目を通しただけですけれども、大作ですね。
じっくりと何度でも読みたいと思います。ビケ♪さんに感謝感謝感謝・・・。
賛辞賛辞賛辞、賞賛賞賛・・・(もーえーっちゅうねん)

ビケ♪さんのような演奏者の耳は、楽器から流れ出る音から受け取るものも、
きっとおいらたちとは違う、さらに多様で微妙、繊細な「色風景」なのでしょうな。
 (注:長い文は、読みにくし、意味が取りにくくなるので避けること)

ピアノなら、今時どこの会館にもあるけど、チェンバロはそうないだろうし
楽器の違いっていうのも、工場で大量生産されているピアノなんかよりも
繊細な手工芸品のイメージの強い、チェンバロの方が重大だろな、
ってのは、分かるような気がしますが・・・。
でも、きっと所詮シロウトの理解でしかないんだろう、キット。

演奏者の立場からするとけっこう微妙で難しい問題なんだろな。
「アタシには合わないわ」って言っても演奏しないわけにはいかないって
ビケ♪さんも語ってたし。
工業製品の感のあるピアノといえども、当の ピアニストにすれば、
やっぱり気に入った楽器もあれば、「これダメだ」って
楽器もあるのかもしれない。ミケランジェリみたいに
「おきに」の楽器空輸してまでコンサート、なんて誰もが出来るわけでないし。

でも大部分のシロウトにゃ、違いなんか分りゃしないんだけど
演奏者が楽器に対して、エエ印象で演奏に望んでいるかどうかってのも
そのコンサートの出来不出来におおきくかかわりそうな気もしますが・・・・
そこを乗り越えて、駆け抜けていくのが「プロ」ってもんかしらん?

「オリジナル」に触れてみたくなる、というビケ♪さんの気持ち、
かような楽器ならばこそ、理解できる気がします。
いままで数え切れないほどの楽器に触れてきたビケ♪さんではありましょうが、
やはり、その時代に生まれた楽器に触れてみずに入られない。

(おいらも、もしバッハに会えたら彼の鼻の穴に、おいらの指を突っ込んでみたいし! ←まじ)

「ああ、あの時代、あの刻の空気の中で、生きていた音楽を奏でていたであろう
 楽器に・・・あの時代を呼吸し,生きて、そして今もなお、
 ここに存在している、時代の証人の声を聞いてみたい」
そんな考えるのは、ごく自然なことのように思います。

きっとその声は、ビケ♪さんには聞こえても、おいらには聞こえない
ものなのだな〜と思ったりも・・・。

(ガンダムにも乗ってみた〜い :えーかげんにせい)

 

 

投稿時間:03/12/07(Sun) 01:20
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:
Re: 楽器に対する「愛」なくして・・

早速、見てくださってありがとうございます!
アカヒ新聞にも、月刊つめきりにも、週間清朝にも
お褒めの言葉をいただけて、恐縮でございますわ〜♪
これで一応、一旅行好きではなくて、一チェンバロ弾き的うえぶさいとに
見えなくもなくなってきたかな〜と・・・(いや、まだまだ・・・)

本当に、何度か繰り返して見ていただかないと、
分かりにくいかもしれませんね。用語も多いし。
たけどんさんも、もしなにか、お気づきの点などあったら、
じゃんじゃん教えてくださいね!よろしくお願いしますです。

> ビケ♪さんのような演奏者の耳は、楽器から流れ出る音から受け取るものも、
> きっとおいらたちとは違う、さらに多様で微妙、繊細な「色風景」なのでしょうな。

そんなに大げさなものではないと思いますが、愛情を持って、
毎日触れていることで、培われるものはあると思いますよ。
たけどんさんも、PCのことは、ファンの音で機嫌の良し悪しが、
わかったりする(?)ように・・・

では、またご意見お待ちしていますね〜!(掲示板1風締めくくり)

 

 

投稿時間:03/12/16(Tue) 22:16
投稿者名:たけどん
タイトル:
チェンバロ弾きの逆襲(きた〜)

「チェンバロを近くで見てみよう!(びっくりマーク付き)」を君は見たか?
まだ見てない? 
みそしーるで顔を洗って出直してこーいっ!

アメリカ在住の、旅行好き、おいしいもの大好き、の
旅行コラムニスト、ビケ♪氏(お、チェンバロ奏者でもあった・・・)が、
渾身の筆致でお送りする、古楽器探求ロマ〜ン。
きみたちのご意見ご感想、大募集中だ。


・・・てなことを書いて、しばらくほったらかしにしといたら
フセインが、とっつかまっちまった。(が、おいらのせいではない)

これについて言いたいこともあるが、今はほっとく。
ただ、一言だけいうなら、ひげだるまは「あっさり」とっ捕まったのではない。
ここに至るまでの米軍諜報部の、地道(で強引)な情報収集分析、
それによる追跡のたまものなのだろう。が、
発見された場所が
人ひとりがやっと入れるようなあなぐらだった、ってのが、
あの、麻原と同じ結末のようで、何かみじめやら、情けないやら、おかしいやら。
縦横に権力を振るっていた、独裁者の末路としてはあまりにも・・・。
お金まで持ち込んでいた、ってーのも、「そんし」と一緒。

おいらの感想は「よく見つけるよなぁ」であった、が。
それにしても、同様に追跡されているはずの、ビン・ラディンは
しぶとい。おおよその地域までは分かっているらしいのだが?
それにしても、おいらがを最も衝撃を感じたのは、実はこれなのだ!

「忍耐強いアメリカ人」・・・???? (「今日の一人ごと」より)

アメリカ人って、忍耐強いんだ?  ( ゚д゚)ポカーン
「アメリカ人=わがまま」って思ってましたが。
不見識ですた。
もっともコンサート聴きに行こうっていうハイソな人たちは
人種に関わりなくそうかもね。
おいらのような貧乏人と違って、余裕ってもんが身に付いてるね。 
あるいは、自分の楽しみのためなら、多少のことには耐えるのさ、ってか?
そいつあ、どこの国でもそうだわな。
あ、忍耐強いってのと、不当なことに文句言わないのとは違うか。



さて、チェンバロ弾きが、逆襲にきたよ。

 (=゚ω゚)ノぃよう (←逆襲にきたチェンバロひき)

 
これはこれは、今回はなんですかな? 受けて立ちますぞ。
「クラヴサンその歴史と名器」の姉妹盤とも言える「名器の響き鍵盤楽器の歴史的名器」
ですか。にたよーな、タイトルで困りますな。
そんで聴いてみた・・・。

こいつぁ、困った。うーむどうしよう。・・・これ、すきだ。

カベソンの「シャンソン」に「変奏曲」? クラヴィコードによる演奏だ。
これは、まるでリュート曲ではないかい。
我とわが心に語りかけるという、この楽器の面目躍如だ。
かそけき、たちまち消え去る音の雰囲気が、醸し出されていて、すてきだ。
「わびさび」の世界がここに、と言いたいところだが、
わびさびが分かるのはお金持ちなのだ、という説もあるな。
(マックびんぼーのおいらにゃ、わからん世界さぁ)

そ、普段贅沢なもの食ったり着たりしているからこそ、
わびの世界が理解できるって、はなし。
貴族なんかも、戦争がなきゃ、マターリとした日常に退屈の極み。
変化もない、贅沢にも飽き、喜びも驚きもない生活の中での、「メランコリー」とやら。
恋愛、恋患いも、人生のスパイスなのさ・・・みたいな?


リュッカース・チェンバロによる、クロフトの「グラウンド」
あーもーっ。なんてこったい!

バフストップの左手によるベースの動きの上に
ノーマルの8'を重ねただけの単純な曲。
かーっ! それなのに、心にしみた。  ・゚(つД⊂)゚・。
まるで、しょーゆのように、洗濯しても落ちにくい、しみになっちまった。
もー、どうしてこんな見え透いた手に、
おいらは、ウマウマと、はまってしまうのか?  

〜かつて、ゼントラーディー軍の戦力を壊滅状態に追い込んだ「超兵器」。
その超兵器の驚くべき正体は、「歌」であった。
戦いだけが存在意義であった、彼らの戦闘本能を破壊したそれは、
時代を超えて歌い継がれた名曲、だったのではない。

遠い昔に失われた、恋を歌っただけの戯れ歌。
単なる「流行歌(はやりうた)」であったにすぎない・・・。
(「愛は流れる」だったっけ?「超時空要塞マクロス」ね)


パスカル・タスカンのフォルテピアノによる
バルバストル「デリクール」、チマローザ「ソナタト短調」
おいおい、こりゃあなんて曲だい?
ただメランコリックで、なにやら悲しげな旋律。
こんなの普通のモダン楽器でやられた日にゃ、他のお方はどうかしらんが
こんな曲を演奏するコンサート、おいらは見向きもしないだろな

だが・・・。
フォルテピアノのくすんだ音色、ひなびたような歌い方に
ぴったし合ってるんだな、これが。

フォルテピアノを不完全な楽器と見るか、モダン楽器を行きすぎた「機械」と見るか。
おいらの見方じゃ、この曲に関しては両立はありえないと思う。
この曲に関しては後者を取るな。
同様に、両方の存在価値を両立させることもできない。
(それぞれの楽器の演奏にも価値がある、ってやつ)

でも、考えてみりゃ、くすんだ音色だの、なんだのってのは、
現代に生きるモダン楽器を経験したおいらたちの、
勝手な言い草だよなって気もする。


文化も宗教の素養もない、おいらたちが過去の音楽を勝手な嗜好で
つまみ食いしている、というならその通りだ。
王侯貴族のための音楽が、単なる貧乏人のおいらなんかに分かるのか?
っていわれりゃ、異論もない。
だがね、それまで料理人と同列か、職人と同列に考えられていた
楽士が、雇い主の思惑以上の自我意識を持ち始めたのが、このチェンバロ
の最盛期にあたるんじゃないのか?って思う。
(げーじゅつかの誕生か? 普遍へ一歩踏み出したのだ。文末を参照↓)

王侯貴族領主様、司祭様のお覚えがめでたいってだけでは
満足できない何かが、音楽家の中で芽生え育まれていった時代。
形式だのルーティーン・ワークで作られた音楽になんの興味があるかい?
昔と今は、完全に断絶しているわけでもない。
過去の文化の積み重ねの上に今があるんだし、
たとえ文化圏が違っても、人間の「悩み、苦しみ」ってもんにゃあ大差ねーよ。

でも時代も人も変わっていく、というのも間違いない。
歴史は繰り返すってーけど、決して過去のものと同一ではあり得ない。
では、人の歴史は、文化は進んでいるのか?(決まってんじゃん)
それは、「良いこと」なのか?

楽器は、「進化」したのか?

今回のディスクは、たいへーん勉強になりました。
そこで次回(いつかは分からないが)は、この余勢を駆って
同シリーズ、「クラブサンのためのフランス古典音楽集成」編 (カキコのタイトル未定)
ロランス・ブレの演奏。
1960年代後半とあるから、きっとモダンチェンバロの
演奏だ。まちがいない! (まよったが、買った)

はたして、モダンチェンバロなんぞに存在意義はあるのか? (←暴論か?)
いまや、駆逐され絶滅の宿命を背負った薄幸の楽器、
「ノイペルト」で、クープランその他、を聴いてみようぢゃないの!

<何かを得るということは、何かを失うってことかもしれないよ?>
そんなことが分かるかもしれない (し、分かんないかもしれない)
おいらたちにとっちゃ、どうでもいいことかもしれないが、
この「歴史的楽器シリーズ」、
作曲当時の楽器を通して演奏されたからかな?
作曲家が、いったい作品に何を託そうとしていたのか、
ちょっと考えてみたくなるアルバムだったな。 (結局おいらにゃ分からんかったが)



「音楽が、王の楽しみのためでも、神のためでもないのだとしたら、
 音楽とは、いったい何のためにあるのだと思うね・・・?」 (サント・コロンブ) 

( ゚Д゚)ハッ

 

 

投稿時間:03/12/17(Wed) 13:17
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:
Re: チェンバロ弾きの逆襲(きた〜)

そうそう、たけどんさんがお留守の間に、
とッつかまっちゃった。フセインくん。
もちろん、私だってアメリカが、諜報機関やらモグラやら伝書鳩やら
はては魚群探知機まで動員し(たかどうだかわからないけど)、
どんなにか、手間隙かけてお金かけて犠牲を払って
彼を探しあてたかについて、思いをめぐらせなかったわけではありません。
フセインくんが、抵抗もせず(交渉を持ちかけたというが)
疲れ切った姿を(メディアを通してみると)あっさりさらしたことに、
単に驚いただけなんです。はい。
息子達は、壮絶な最後を遂げたのと比較するとね・・・

さて、アメリカ人ウォッチングの話ですが、アメリカ人は、
忍耐強いのは、本当です。今回のコンサートのことに限らず、
スーパーのレジ、郵便局の窓口などで、その傾向は顕著に見られます。
接客が、明らかに「遅い!」のに、文句を言わず、ちゃんと待っている。
その心は、自分の時にもそれだけの時間をかけて欲しい、
また、それだけ丁寧にやってもらえることが保障されている、
ということでしょうか。

コンサートの開演が1時間遅れた場合、日本だったら、
「お金返せ〜!明日の朝、早いんだぁぁぁ〜〜」とか言って、
騒ぐ人が、きっといるような気が・・・(←私?)

ところで、たけどんさんの今回の書き込みを見て、決めました。
CD注文します。
ただし、船便だから届くのに2〜3週間だって・・・(TT)
Amazon.co.jpで、在庫を調べました。すると、「名器の響き」の方は、な、なんと!
たった1枚しか残っていない!
そんな非常時に!私は、アンケートに答えてギフト券をもらって、
500円浮かそうと(せこい!)、そのギフト券待ち。
あー早く来ないと、なくなっちゃうよー!
(だったら正規の値段払えって)

ところで・・・Amazon.co.jpに載っているCDの
レヴューを書くと、3000円のギフト券プレゼント、っていうのも
やっていますよ〜。
たけどんさんは、利用なさったことないでしょうか?
抽選で、だったかな?
まだ、「クラヴサンその歴史と名器」も、
「名器の響き 鍵盤楽器の歴史的名器」も、
だーれもレヴューを書いていなかった!これは、チャンス!

・・・別に私、Amazonの回し者じゃありませんよ〜。

さて、モダンチェンバロの意義を問う、
「チェンバロ弾きの逆襲・工事現場にも5分の魂(仮題)」楽しみにお待ちしています♪
(↑いやじゃ〜そんなタイトル〜 byたけどん)

 

投稿時間:03/12/18(Thu) 00:15
投稿者名:たけどん
タイトル:
お椀ちゃんの「おなか」

ええっ!! さ、さんぜんいぇん、だってええええええ??! Σ( ̄□ ̄;)
amazonって、聞いたことがあるどころか、覗いたこと、あったよな。
でも、おいらごときのレビューじゃなあ。
なんでも、とりあえず書いてありゃいいのかな?

でも、ビケ♪さんや他の人にも、鼻で笑われてるような文章だしな。
こいつ、音楽マルでわかっちゃいねーよ、みたいな。
生半可な、読み、聞き囓りの知識をコラージュしてスパイス振りかけて
ごまかしてるよーなヤツに、レビューなんぞ・・・やろうかな?

あ、もう書いてる人、いるかもな。
聴いてもいないのに、おいらの文章下敷きにして。 (たとえばおいらの友人のA君とか)
いーなー、3000円かあ〜 
 
  (*´Д`*) ほすぃ〜 (←正体は、ぜにゲバ)



> さて、アメリカ人ウォッチングの話ですが、アメリカ人は、
> 忍耐強いのは、本当です。

Oh~! なんてこったい。そうかぃ、そうだったのかぃいい〜〜〜。
でもでも、東部のエスタブリッシュメントはそうでも〜・・・(←悪あがき)

> 接客が、明らかに「遅い!」のに、文句を言わず、ちゃんと待っている。

おとなですよね。自分の権利が尊重されるためには、他人の権利を
尊重する必要があるんだって、分かっているんでしょうね。
そこいくと、おいら含めた日本人はどっちかって言うと、
余計なトラブルを避けるため黙ってるだけかな。

必要なときに声を上げないで、いらんときに必要以上の主張をするって気もする。
酔っぱらってとか。

でもアメリカ人だって「コロラド人」はわがままだと思う。
特に「サウスパーク」のあたり・・・(と、この辺で笑ってもらいたい)
あとコロンバイン高校のあたりとか。(「ボウリング・フォー、コロンバイン」)
ジョンベネちゃん事件もコロラド州じゃなかったっけか?


それはさておき、
ヒストリカルとモダンの違いってのと、関連するんですけど
お椀ちゃんの「おなか」(っていうか底板)が見たいと思うんですけども。(写真ね)
せくしーなラウンドテールは堪能しましたので。

たしかモダンは、ピアノみたいにフレームが出てて底板がない、と思ったんですけど?

ここ、ヒストリカルとモダンの、一目で分かる、
一番の構造的な相違だと思うんですけど
どうなんでしょうか?
ヒストリカルは、大きな弦楽器を横に寝かせたようなイメージだと思って
いるんですけど、それから考えると、モダンチェンバロは、
もう全く違う構造の楽器ってことになる気がするんですよ。おいら的には。

この辺、響き、あるいは入れ物(会場、観客のキャパの違いによる)差異、
それによる、音をどう処理するかの考え方が
典型的に出ていて、何を優先させるかその時代時代の考え方で
変わってきたのだろうな、と思うんですけれども。

モダンの場合は、発音機構もまったく異なる「ピアノ」っていう楽器の
構造をそのままに、「チェンバロの」発音機構を載せただけという
まことに折衷的っていうか、あるいは、
最新のピアノのフレーム構造に、発音機構だけチェンバロのものを載せれば、
過去の楽器よりもより大きな音の出る(っていうのを目指したのかは分からないが)
より完成された<近代的チェンバロ>になるはず・・・・??

つまり、そのよーな安直な考え方が、そこに表れているように
おいらは考えるんですけどね。(実際どうだったかはしらん)
この辺も、この機会にちょっとお勉強してみたいですね。

あと、おいらの意見ですけど、
ジャックの解説のコーナーなんですけども
できれば「ジャック」の大きさが分かりやすいように、
何か、比較物と一緒に写っている写真もあるといいな、と思います。
たとえば、マルボロ(たばこ)と並べるとか、
ビケ♪ダンナさんが、ジャック持って「ニヤリ」とか。( ̄ー ̄)ニヤリ

そ、それと、「お椀ちゃん」は、ぶんりがったいは、できるんでつか?

いったい何いってんだ?

 

 

投稿時間:03/12/18(Thu) 23:43
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:
Re: お椀ちゃんの「おなか」

お椀ちゃんのかわいい色白なおなかは、
こともあろうに、アメリカへのお引越しのときに、
「傷物」にされてしまったのよねぇ・・・
しかし、底板があったから、助かったわけなんですね。
楽器としての致命傷にはならなかった。
もし、底板がなかったら・・・なんて、
怖くて考えたくないですね・・・

さて、モダン楽器のおなかは・・・どうだったかしら?
先日、近くのマダムのお宅で弾いたノ○ペルトの楽器には、
底板、ありましたが、いわゆるフルサイズのモダンチェンバロ、
もう何年も見ていないし、学校にあったモダンチェンバロの下に
もぐって遊んだ記憶もないし・・・うーん・・・

今度、スミソニアンにでも行って、楽器の下に手鏡をシャーッと
滑り込ませて見てこようかな?(その前に警報器鳴るだろうな)
その前に、スミソニアンにはモダン楽器は展示してなかったような記憶が・・・

お椀ちゃんは、楽器本体がスタンドの上に乗っていまして、
そのスタンドは、分解可能です。
4本の足が、上下の枠で固定されていて、上枠の上に、
楽器本体を載せて、かるく固定してあります。
(足をそのまま本体にねじ込んでいる形ではありません)
4本の足+上下の枠+足を安定させる丸い器具4つ=10パーツに
分けられます。
楽器本体は、分解不可能です。

ジャックの説明についてのご意見をありがとうございました。
何と比較するか、検討したいと思います。
本当に、割る前の割り箸と比較したら、ギャグになってしまうかしら?

 

 

投稿時間:03/12/20(Sat) 23:34
投稿者名:たけどん
タイトル:
5分の魂

「チェンバロ弾きの逆襲・工事現場にも5分の魂」

モダン・チェンバロの存在意義を問う。笑激の問題作。

ビケ♪さんより下賜されしタイトルなれど。
およ? 「工事現場にも5分の魂」ってなんだろ?  (?_?)


1.
・・・あ、車乗っていると、工事現場ってのは非常にイラツキの原因
になりますよね。そうだよ。そんなときに「5分間」くらいで待てる余裕を
持とうじゃないか、と。そうだ、レジで嫌になるくらいまたされても
文句を言わない「メリケン国民」の大人ぶり(魂)を学ぼうじゃないか、と。

へー、それとモダンチェンバロの存在意義を問うのと、どういう
関係があるわけ?

?( ̄-  ̄ ) ンー・・・??

2.
そうさな、きっとビケ♪さんは、モダンチェンバロの音を工事現場の
騒音のようだと、思っているのだ。(確証はない)
そんなふうな楽器でも、きっとよくよくよくよく聴き込んでみれば
五分くらいの良いところがあるさ、という・・・。
「盗人にも三分の理」というが、それよりは、モダンにも聴く意味があるゼ、と。

3.
いやいや、「工事現場」というのは、モダンチェンバロのことではなくて、
実は「たけどん」の音楽鑑賞力のひどさ、あるいは表現力の乱雑さ、
を意味しているのだ。
工事現場で、なんやら言われても、聞きとれんじゃないの。
まあ、そんなやつのいうことでも、この冬の夜長、
クリスマスまでの時間つぶしくらいにゃ
使い道もあろう(五分の魂)ってもんだい、みたいな。 (゚д゚)ウマー

4.
いやいや・・・映画「ファインディング、ニモ」のことを言っているんだ。
おまえごときが、チェンバロについて語る愚に気づいていないのは、
まあ、大目に見よう、だが一旦やるとなったのなら、「気構えを持て」、と。
工事現場で危機一髪に陥った「ニモ」(なんで?)、
この小魚ですら「魂」がある。
危機を打開するには、魂を込めた一撃が必要なのだ、と。
「映画を見ろ」・・・と。 (おいら観てないよ)

生半可な態度では、この「チェンバロ弾き」が逆襲するぞ、と。
おいらは、「ラスト・サムライ」が観たいな? 


なに書いてんだ?
さて、おいらはまだしも、皆さん、っていうか、一般の人たちは
モダン・チェンバロって、ご存じなんでしょうかね?
たとえば、ビケ♪さん所有の「お椀ちゃん」。この子は
現代において制作されたから、「モダン・チェンバロ」だ、なんて
思っている人はおらないでしょうな?   ((φ( ̄Д ̄ )ホォホォ

最近、バロックや古楽をお聴きになり始めた方なんかは、
きっと「モダン」楽器自体を、ご覧になったことも無いかもしれませんね。
ま、音くらいは、もしかしたらお聞きになったことはあるかもしれないけど、
もし聞いたとしても、
「あれ、このCDのチェンバロの音、へん!」と気づく人もいれば
「そういう楽器なんでしょ」で済んじゃう人もいるかもな?

「じゃ、モダンチェンバロって、なんなんだよ?」とお聞きになるか?

・・・ふっ、世の中、知らない方が良いこともあるんだぜい。 
あ、いやこの辺、ビケ♪さん、どう思われます?

(う、自分で自分の首を絞めてる気がしてきた ←長くなるって事さ)

 

 

投稿時間:03/12/22(Mon) 12:09
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:
正解は2.ピンポーン!

たけどんさん、悩ませちゃってごめんなさい!
たけどんさんの答え、No.2のとおり、私がチェンバロを始めたときは、
もう、専門で学ぶ場では、オリジナル楽器ばかりの時代になっていましたし、
「モダン楽器なんて・・・」という評価が定着していた世界に
いたもので・・・
ただ、ぺリオド楽器の復興の本当の草分けは、モダンチェンバロから
始まり、例えばランドフスカの演奏は、楽器云々の前に、その演奏を
高く評価する人も多いので(もちろん、今のチェンバロの奏法とは
かけ離れています)、
もしかしたら、たけどんさんの買われたCDの中から、きらっと光る
小さな魂を見つけ出せるかもしれませんね。

そうそう、500円割引券が来たから、CD注文しました!
モダンのは、やはり、買いませんでした・・・

オリジナルとモダンの違い、ちゃんと書いた方がいいですね。
質問コーナーにでも。

とりあえず、ざっと書きます。
チェンバロという楽器は、18世紀後半に、フォルテピアノに
取って代わられ、音楽史上から完全に姿を消してしまいます。
(誰も演奏しないし、誰もそのための曲を書かなくなった)

20世紀に入って、「作曲家が活躍した時代に存在した楽器を使い、
その頃なされていたであろう演奏方法で演奏しよう」
という動きが現われました。
しかし、完全に廃れてしまっていたチェンバロは、
現在使われているピアノの音量と耐久性を追求され、
17・18世紀当時に使われていた楽器とは、
全く違った姿で、「復元」されました。
ピアノと同じく、鉄骨のフレーム(弦を支える枠)を持ち、
弦をはじくプレクトルムは、金属製、また、ストップ(鳴らす弦の
組み合わせ)を変えるためのペダルを5本も備えた楽器なども作られました。

この、復興初期のチェンバロを、「モダンチェンバロ」といいます。

さらに時代は進んで、楽器の研究もさらに進み、
「モダンチェンバロ」は、当時使われてた
楽器と似て非なるもの、ということがわかり、
数少ない、残っている楽器を参照して、パーツの材質・寸法などを
忠実にコピーしたものが、現在「オリジナル楽器」と呼ばれているものです。
古楽(Early Music)の演奏現場で使われているのは、現在はほとんど、
「オリジナル楽器」ということになります。

こんな感じで、みなさまにお分かりいただけるかしら?
取り急ぎ、なので、またあらためて、本コーナーでも
解説します。

 

 

投稿時間:03/12/25(Thu) 12:34
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:
年末のご挨拶

今年も一年、この掲示板を盛り立ててくださって、
ありがとうございました。
書き込む方も、ロムする方も、この場を通して、
楽しんでいただけているのであれば、
管理人として、とても嬉しいと思います。
また来年も、どうぞよろしくお願いいたします。
それでは、良いお年をおむかえください!

 

 

投稿時間:03/12/30(Tue) 23:52
投稿者名:たけどん
タイトル:
「モダン」との出会い

管理人さんの「年末のご挨拶」で、本年度中のこの掲示板も
終わりかと思っておられる諸氏もおありかと思いますが、
たけどんに年末攻勢は、まったく関係がないのでカキコいたしますゼ。
(年賀状も書いたしね。でも掃除まだ)

ここのところ、本掲示板で話題集中の「モダン・チェンバロ」ですが、
楽器についてはビケ♪さんも、別コーナーにおいて改めて解説等
してくださるそうなので、よかった。 

そこで、モダンによる「フランス古典音楽集成」の試聴記の前に
おいらなりの「モダン・チェンバロ」にたいする考えをまとめときたい
なんて考えたわけで。(年賀状も終わったしね〜 :そりゃ聞いた)


おいらがラジオなんかで「バロック音楽の楽しみ」を聴き始めたたころは
まだ
ヘルムート・ヴァルハ(ヴァルヒャ)、
スザナ・ルージッチコバヴァ、
ロベール・ヴェイロン=ラクロワ、なんかのディスク(もちLPね)が、
バンバンかかってましたな。

もちろんモダンチェンバロが当たり前の
時代。たまにレオンハルトの演奏で、オリジナル楽器の音を聴いても
楽器の音響の差には、全くと言って良いほど気づいてはいなかった
ように思う。 (正味な話が)。
もっとも音源は、ポータブル・ラジオでしたけど。
今の耳ならポータブルでもモダンとオリジナルの違いは判る、(と思うけど)
でも、当時子どもだったおいらにはわかんなかった。

それよりも演奏が終わった後の「ガシャッ」っていうアクションの音が
変わってて面白い、って思っていたのを覚えてる。
それに当時は「ハープシコード」って呼び方がラジオでは一般的で、
おいら「ハープシコード」って楽器、現物を聴いたこともなければ、
写真ですら見たことがなかったから、「いったいどんな楽器なんだ?」
って思ってた。

「ハープシコード」って楽器名から、勝手に「ハープ」に似たような楽器なんだ
と思いこんでた。
でも演奏されている曲種から(ピアノで演奏されてる曲もあったので)
ピアノのように演奏する楽器か? とも思ってたり。
その辺、ガキのころのおいらのアタマの中では、理屈の
整合性が取れていないのだが、別段、矛盾も感じていなかった、ってか、
ま〜「あまり深く考えてなかった」んだろうな。

 こどもって、のほほ〜ん( ̄-  ̄ ) ンー ヘイワ


そんな時期に、放送中に「ハープシコード」についての解説が
服部幸三先生の回にあって。「ハープシコード」とは、

鍵盤楽器であるらしいこと。
「ジャック」とやらが、弦をはじいて音を出すこと。
小さいものは「ヴァージナル、スピネット」などと呼ばれること。
「チェンバロ、クラヴサン、キール・フリューゲル」等、<別名>があること。
 ・・・などを初めて知ったのであった。

そこで初めて、ウチにあった「平凡社世界大百科事典」で、(コラーッ!あったんかい)
「ハープシコード」を調べ、初めてその姿を知ったのだ。(なんで遅いのか!)


当時のチェンバロに対する世間(おいらも)の認識は、まさに<通俗的>、
「ピアノの前身」楽器だったさ。
形も似てたし、華奢なところが、いかにもメカメカしいピアノの
前段階ってかんじ、がしたのだな。

「んとね・・これからおいら、ピアノってしろもんになるんだい」みたいな。

音なんかも「ガッガガ〜ン」ってなもんで、ピアノみたいな
ハック力ある低音響かせていたもんね(きっと16'の音だね)。
高音部は、はやいパッセージになると「ピコピコピコピコ」って聞こえたんだけど
これも「この楽器はこーゆーもん」って思ってたな。
今から考えるとかなり、<金っ気>が強い音だったんですな。

チェンバロの音って、<やすらぐ>から好きだってゆー友人に
Derek Adlamのモダンによる、バッハのパルティータ第3番の
「ファンタジア」聴かせたら、あっさり
「こんな音の楽器は好きになれない」といわれた〜。
ダイナミックで、これもイイじゃん?


いつの間にやら、時代は変わりモダン・チェンバロは姿を消し、
演奏者のラインナップも、
レオンハルトを筆頭に
トレバー・ピノック、スコット・ロス、ケネス・ギルバート、
クリストフ・ルセ、ピエール・アンタイ、リナルド・アレッサンドリーニ他多数。
驚くべき事に、日本にも注目すべきチェンバリストが
たっくさん出てきちまった。
鍋島元子、渡邊順生、曽根麻矢子、武久源造、中野振一郎、
桑形亜樹子、岡田龍之介、ビケ♪・・・etc

いまではモダンの音を聞くこともなくなりましたな。
たまに映画や、テレビドラマのBGMや、効果音(むかしのね)くらいかな。
今、思いつくのは「キャンディ・キャンディ」のオープニングと
ポランスキーの「吸血鬼」でチェンバロが演奏されてるシーンだな。
両方とも音はモダンのそれだったなって思ったけど?
BGMに使うってのは、結構効果的かもね。音が刺激的だし。



聴く側としては、モダンから入った(意識的にではないが)けど、
気がついたら、周りはみんな「オリジナル楽器」全盛で、
いつのまにやら「モダン・チェンバロ」って楽器は姿を消していたって状況。

別に、モダンからオリジナル楽器に変わっても、
どっちの音がいいとか悪いとか、なんてぜんぜん気にしてなくて、
ってか、<判ってなかった>・・・ような気がする。 
時代の変化に、気づいていなかったってのが本音かも。 (ノ∀`)アチャー

ヽ(゚д゚)ノええじゃナイカ

おいらが生の演奏を聴くために、コンサートに自分一人でも
いけるような年齢になったときは、もー、モダン楽器なんてありませんでしたしね。
だからおいらは、「モダン・チェンバロ」っての、現物見たことない。
ただし、スタインウェイは下に潜り込んで響板のあたりを触りまくったことがある。
(↑なんでもさわりたがるヤツだ)(゚Д゚)y─┛~~


いまの耳で聴くと、「確かにモダンの音ってよ〜」ってな感じだし、
オリジナルの音の多彩さ、驚くほどの表現の多様性(知ってる?)を
知った今は、モダン楽器には戻れない。
それはわかってる。だが、その前にだね・・・。

今のおいらを考えてみると、昔の反動かどうか知らんけど、
「モダン・チェンバロ」って聞いただけで、もう「けっ!」って
無意識に思ってしまうんだな。
・・・それで、良いんだろうか? 本当に?

それじゃランドフスカやヴァルヒャの演奏は、もうおいらにとっては
無価値にで、聞く価値のないものなのか?
それって、世間の風潮が大勢がこうだから、大勢がこう言うから<正しいんだ>
ってのと同じじゃないのか?
それでは、昔の人を笑えないよね。
大げさな言い方だけど、ナチスは民主的な手法(選挙)によって
合法的に選ばれて政権を取ったんだってことを思い出したよ。
(今は「戦争反対」「平和・平等」の声の中にファシズムの芽があったりして
とても判りにくいけど、でも、昔だって真実のわかりにくさはキット同じだよね)
でもだからって、
少数のほうが「真実が見えている」んだ、とも言い切れないけど。

あ、また脱線しちまったよ。
とにかく、おいら自身がこの「楽器」について、
どう考えてきたのか。そしていまどう思っているのかを
はっきりさせときたい、って。
他人や、世間の評価はいったん、お・い・と・い・て・・・

今もう一度、「モダン・チェンバロ」について
考えてみたい、って思ったんだな。

(つづく・・・)

 

 

投稿時間:04/01/07(Wed) 23:22
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:
Re: 「モダン」との出会い

たけどんさん
今年もよろしくお願いいたします!
ついに!アマゾン.co.jpより、件のCDが届きました!
私も、今一度モダン楽器による演奏について、
ちょっと考えてみようかなと思います。

どんなお正月をお過ごしでしたか?こちらは、
壊れたシャワールームのドア修理の手配・お客様・
コンサートの準備などなど、年明け早々から、なんだか忙しく
(こっちでは、普通は2日から仕事だったらしい
←私には関係ないですが)、
まだ、落ち着いてCDを聞く暇がありません。
でも、じっくり聴いてみます。

2004年がたけどんさんにとって、健康と幸福に恵まれた
素晴らしい年となりますように。

 

 

投稿時間:04/01/10(Sat) 21:15
投稿者名:たけどん
タイトル:
モダンとおいらと正月と

さてさて、ビケ♪さん、みなさん「おめでとうございます」。

遅ればせながら、新年のご挨拶とともに、このサイトならびに
この掲示板をごらんの、<ごく>限られた方々のご多幸を
心からお祈り申し上げさせていただきますぜ。
(あ、あとビケ♪ダンナさんもね)

しかし
三が日が過ぎるのは相変わらず、早いですなあ。
それにしても「Happy New Year」ってーのは「明けましておめでとう」とは
ちょーっと違うようですな。
この間、車でNHKの「基礎英語・」を聞いてたらだね。
生徒たちが新年初めての英語の授業で先生に
「A Happy New Year Mr.Smith(スミスってこう?)」っていったら、
「Happy New Year?・・・」と言った後に、
「あめるりくぁデワぁ、そのことバは、年まーツか元日以外には、いわナイでスいず」
とか英語でいっとった。(じゃなんだ↑のヘンな訳は?)

「しるかっ!」
こちとら、15日までは許容範囲でい。
きゃつらにはきっと、クリストマスと新年が「セットもの」なのでしょうな。
きっとクリスマス休暇で一気に新年明けまで会えなくなるから。
お別れの言葉としてきっとくっついちまったのかもしれませんな?
そして合理的とやらを信条にしとるやつらのこと、元日過ぎたのに
「Happy New ・・は、いかがなものか?」となるのかも知れませんな。
きっと「I wish "あんたが幸せな新年を迎えること"」とかゆー、意味で使う
「Happy New Year」なのかな・・と。


話は変わりますけど、おいら的には「基礎英語・」が好きですな。
ちいっとも英語を習得しようなどとは思っとりゃしませんがね。
フランス語講座とかドイツ語講座もたまにテレビで見てますが、
覚える気はまったくない。今年度も「100語でスタート」とかいう英語番組を
見てましたが、覚えたのは「Does it grab you (どうよ!)」一語ぐらいなもん。
(一年間で、だ)


今日、HMVへ行きましたら、新年早々からワゴン・セールをやっとりまして。
帽子かぶったどっかのおやじさんと、ならんであさってみました。
なんとボックスもの、が2000円台からある。
おいらが目を付けたのは
マリナー指揮、アカデミー室内管の「ヘンデルの合奏協奏曲(全曲)5枚組」1990円
と、トン・コープマンの「バッハオルガン作品集6枚組」2380円

どっちかひとつだ。あなたならどうする?
ヘンデルはもちろんモダン楽器の演奏だ。「水上の音楽、王宮の花火の音楽」付き。
むー。「おちゃらけおやじのコープマンのオルガンかあ?」
「今時、モダンの演奏のヘンデルもな〜?」

あ・・・、いかん。これだよ。
古楽器であれ、モダン楽器であれ、関係ないとか言ってたくせに?
正体見たりだね。世評に流されてるよ〜。
コープマンのバッハはいくつか持ってるし、
彼の演奏で新しいものが聴ける気もあんまりしないしな。
それに、こんな機会でもなけりゃヘンデル買うこともないかもな?
・・・・ってことで、アカデミーの「ヘンデル合奏協奏曲集」に決定。
(安い方だからじゃないの〜?)


そんなんでモダン楽器の演奏によるヘンデルにも挑んでみたい。
録音は1993年。音源はドイツ・ヘンスラーだ。
発売元はBRILLIANT CLASSICS
どこの国だ?

モダンのオケの響きにも捨てがたいものがあるよな、と。


そんなこんなで、もう一度「モダン楽器」を振り返って
見直してみようじゃん、という年の始まり。
モダン・チェンバロについてはまた次回に繰り越し、先送り
転送しますぜ。

見なおすったって、おいらは無理やりいいトコ見つけて
「ホメ」たりゃしないよ。
感性で聴くものだと思っている音楽。そして
音楽に対する評価眼(ってか耳?)が、 知らぬ間に世評に踊らされている
ってことに対するおいらの「脳内カウンター」、なのだ。



では、これにて。 本年が、皆様に取りまして良い年となりますように。

 

 

投稿時間:04/01/23(Fri) 02:06
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:
Re: モダンとおいらと正月と

例のCD(エラート・アニバーサリー50シリーズ)、
「クラヴサン(WPCS-22067)」と「名器の響き(WPCS-22068)」、
ようやくじっくり聴く時間ができて、昨日聴き始めました。
今日は「クラヴサン」を一度通して聴いて、続けて「名器の響き」・・・
ところが、集中して続けて聴きすぎたのか、
グジョン作チェンバロによるバッハの平均律まで来たときに、
もう耳が疲れてダウンでした。
このバッハは、ラクロワの演奏で、「クラヴサン」では、
いわゆる16フィートの入った「バッハチェンバロ」で、
同じ曲を弾いています。
ところが、「名器の響き」の方のグジョンのオリジナルでも、
演奏内容がほぼ同じっていうのは・・・???
私はあの「演奏」だったら、モダンチェンバロの方が断然合っていると思います。

耳が疲れる原因・・・
@ フランス人がフランスものを弾いてるのに、ぜんぜん舞曲のリズムじゃ
ないって、どういうこと?とか思ってしまうわけですね。
あのサラバンドじゃあ、絶対こけます・・・そのまえに、踊れない!
どの拍がタイミング的に一番長くなるかの予想がつかない!
チェンバロは、体に優しいように弾かなくては、どんなにいい楽器を
使っても、うるさいだけに陥りやすいものだと、私は思います。
A 調律がまずいのも、せっかく素晴らしい楽器なのにもったいないな〜
オリジナルがモダンっぽく聞こえる原因のひとつは、
4フィートの調律が非常に甘いことにもあると思います。
古典調律とか平均律とか以前の問題。

ラクロワの演奏が、合わないのか、それとも、
録音したチェンバロ(マイクの位置が近いような?)を
聞き続けることが、体質に合わないのか・・・

楽器の音のことや、その他の演奏については、また書きますね。

 

 

投稿時間:04/01/25(Sun) 21:24
投稿者名:たけどん
タイトル:
モダンのなぞ

うーん、なんだかウィンドウズ関連の本が増えてきちまったな。
パソコンは、買ったままか、必要最小限のソフトだけを使っている限りは
「な〜んの問題」も起こらないんだよな。安定してて、きっとね。
NHKの「パソコン講座」見て、それで<何んか>作って満足してりゃ
幸せなのだよお。

おいらみたいに「さらなる高速化」だの「レジストリの最適化」だの
「もっと便利なウィンドウズの使い方」だの、考えない方が、余計な
不幸を呼び寄せないで済むってもんだい。
「あ、これよさそーじゃん」と思ったらやってまう。でも・・・。

「あ〜、あのとき何であんな事考えたんだろ?」とか
「なぜENTERを押してしまったのだ〜」とか
「もっとよく記事を読んでいたら・・・」とか
その繰り返し。 ヽ( ̄Д ̄)ノアララ~

なんだかんだ、ネット上から便利そうなソフトぶちこんじゃって
さらなるシステムの不安定化に、にちや邁進しとる。
そうやってシステム太らして、そのうえで安定化させようと
レジストリ書き換えたり・・・って、<悪循環>じゃ〜ん!
 ヽ(`Д´)ノウワァァァン

おいらが使ってるウィンドウズ2000って、98やMeみたいに
「安定化」とか「エラー撃退」をテーマにした、ムックみたいな
本ってあんまり出てないんだよなあ。
世はXPだけど、旧OSユーザーってのも多いらしいしね。

それに9x系OS(95、98、Me)はトラブルがあるのが当たり前みたいな
もんだし(特にMe)、それにブロードバンド環境なんて想定していない
時代ののOSなんだよな(これはMeは除く?)。

でもマイクロソフトは98のサポートはやめちまった。2000も
2005年でサポート終了らしい。OSも商品としての寿命があって
ユーザーは順次、新しいOSへ移行していってもらう、というのが
マイクロソフトの方針らしい。2005年に出る次世代OS、
コードネーム「LONG HORN (ロング・ホーン)」は・・・もういいか。

雑誌とかで2000の記事が載ってたりすると、早速買って
あっちゃこっちゃいじりまくり(たいのね)。
でも、その意味では、「ウィンドウズ」っていじり甲斐があって、
おいらのようにトラブルを「自ら呼び込ん」で(たがって)いるトホホ者には
楽しく遊べる部分が多くてよろしい。σ(^_^)
パソコン初心者には「マック」の方ががお勧め、だと思うな、やっぱ。

とは、言っても。
ビケ♪さんトコのマシンも不調をきたしたようですね。
まあ、普通に使ってても故障するときは、しますわな。
そのうえ、旅行記のまとめもありーの、
友人の来訪ありーの、多忙な日々に加え、
「名器の響き」シリーズの「とぅるるる〜」な(?)響きが
ビケ♪さんにとどめを刺した、のかもしれね・・
   _, ,_  
 ( ‘д‘)  パーン!
    ⊂彡☆))Д´)     (←たけどん :不謹慎な)

まったく、お金まで払って船便待って、挙げ句に大迷惑だわさ!



バッハの「平均律」もですが、ラクロワの演奏については、
おいらもあの「シテール島の鐘」。
モダンを演奏している別アルバム、を持ってるんですけども(前にも書きましたけど)
お・・・同じ演奏スタイル。(ちなみに、モダン演奏の方が愛らしい音色で、おいら的にすき)

60年代から70年代のころは、モダン、オリジナルの「楽器の違い」が
今のようにはとらえられては、いなかったのかもしれませんね。
楽器によって、演奏のスタイルを変えよう、なんて思いもしなかった?
つまり、モダンとオリジナルが、<全く異質の楽器である>という認識が
演奏者には無かったんでしょうかね。それとも彼だけ?

仕方がないこと、だったんでしょうか?

それぞれの舞曲の正しいリズムに基づかない、おかしなフレージング、
アーティキュレーション(なのか)による演奏では、ビケ♪さんが
聴いていて、ずっこけたり、調子狂ったり、体調崩したり、
家が停電したりも当然だ?
(そりゃ、パソコンも機嫌を損ねるっちゅーねん)
おいらなんか、それぞれの舞曲のリズムなんてのをはっきりと
認識してなんか聴いてないからな〜。 ヽ( ̄Д ̄)ノワカンナイ〜

一方、バッハの組曲では、同じように舞曲集とはいえ、舞曲としての
<しばり>から逸脱しよか、っていう意志が見えたりするから困りもの。
ジーグの限界を超えたジーグみたいな・・・。
だから同じバロックだから、同じ舞曲だからって、同じようには演奏
できないだろな、なんて、素人なりに思ってたりもしますが。
バッハが規則から逸脱しようとしてるからって、フランスの舞曲を同じようには
できないじゃろ、ってトコですか?  (ココ難しいですね)
音楽の父がこうだからなんてのは、今は通用しないゾ。(60年代はヨカッタのか?)

おいらなんか、音が揃ってなかったり、調律が甘かったりなんか
よくワカンナイし、分かっても「めずらし楽器」集めた特別企画だから
これもご愛嬌で「アリ」かな、って思っちゃうけど、ビケ♪さんたち
プロからすれば、「素晴らしい楽器なのにぃ〜。残念」と思うのでしょうかね。
でも、非常に勉強になりますので、是非とも続きをお願いします。


あ、モダンの話しなきゃ。
って、もう結構字数いっちまったしな。

ランドフスカがチェンバロでバッハを演奏する、と考えたとき、
オリジナル楽器のレプリカを用いずに、モダンチェンバロを選んだのは
なぜなのか? って理由を考察したときに、
彼女が、オリジナルとモダンを、音響や機構の面などを熟考したうえで
モダンを選択したのだ、あるいはその選択の上で、ランドフスカ自身の
意志が選択の上で大きなウエイトを占めていた、とは、今現在のおいらは思えない
のだが、どうか?

その辺の話は、古楽の復興史の本なんかを読んでみても、おいらは
寡聞にしてはっきりとは確認できないのだが
(ランドフスカというピアニストが、
バッハをチェンバロで弾き始めましたとさ、くらいの記述しかない?)、
なぜ、チェンバロ復興にピアノの構造が取り入れたれた、あるいは
ピアノの構造、部材を捨て去ることが出来なかったのだろうか?

その後のモダンチェンバロのもたらした混乱(?)と、モダン自体の衰退を
見ていると、誕生の出発点から誤謬があったとしか言いようがないのだが・・・?


クラウディオ・アラウがピアノでバッハを弾くことを止めたのは
ランドフスカのチェンバロによるバッハの演奏を聴いたからだ、と読んだ
ことがある。もちろんモダンチェンバロによる演奏だ。
(だが、彼は生涯の最後にバッハのパルティータを録音した。未完のまま終わったが)

フルトヴェングラーは、モダンチェンバロについて、
「こんなモノで音楽など、できない」と彼のオーケストラにチェンバロ(モダン)を
加えることを拒否した。


モダンチェンバロの誕生にまつわる謎、そしてアラウとフルトヴェングラー。
アラウとフルトヴェングラーは同じモダンチェンバロという楽器を
聴いたのではないのか?
なぜ、2人の評価が違うのか? 
彼らはモダンチェンバロを通して、別のモノを聴いただろうか?
(とくにおいらは、アラウが聴いた事の方に興味がある)


おいらなんかには解き得ないナゾだということは承知。
だが、解けなくてもナンカ書く・・・。 φ(`∇´)φカキコカキコ♪

 

 

投稿時間:04/02/23(Mon) 15:35
投稿者名:ビケ♪こと管理人(渡邊温子)
タイトル:
ご意見を募集します。

「モダンチェンバロ」について、ご意見を募集します!

古楽ムーブメントの初期から古楽ファンでいらした方々に、
ぜひお伺いしたいことがあります。
モダンチェンバロによるバロックの演奏が、
次第にあるいは突然、ほとんどすべてヒストリカルチェンバロの演奏に
取って代わられていったことを、どのように捉えていらしたのかを、
ぜひお教えいただきたいと思います。
私がチェンバロを志した時点では、モダンチェンバロを見る機会も
ほとんどない時代になっていて、これまで見向きもしなかったのですが、
上記の定例会で、新作チェンバロ作曲コンクールの発表が行われることもあり、
少しモダンチェンバロに目を向けてみています。

どうぞ、たくさんのご意見をお寄せくださいませ。
よろしくおねがいいたします。

 

 

投稿時間:04/02/22(Sun) 05:05
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:
Re: モダンのなぞ

たけどんさんの、先日の書き込みにヒントを得て、
皆さんにも意見を募集してみました。

昨日、2003年に出版されたチェンバロ史の本を見てきました。
チェンバロの復活の場面が、生き生きと描かれていて、
英語も分かりやすく、とても参考になりました。

要するに、プレイエルは、ヒストリカルを研究したが、
時代思潮の影響で、そのものを復元する気は、さらさらなかった
わけですね。
時代の流れは、チェンバロが不完全な楽器だと断定してしまいます。
調律も不安定、繊細で壊れやすい・・・・

時代の流れと結びついたさらなる固定観念
工房で人の手でつくるチェンバロ=時代遅れの過去の遺物
工場で機械で作るピアノ=時代の最先端をいくもの

・・・長くなりそうなので、とりあえず今日はこのポイントだけに
しておきますね。

モダンチェンバロは、現代においての「過去の遺物」になってしまったのでしょうか・・・

 

 

投稿時間:04/02/15(Sun) 23:00
投稿者名:たけどん
タイトル:
うぃんと英語とにく

くわっ! また買ってしまった。
オリヴィエ・ボーモンの「クープラン名曲集」。
最近なんだかんだ。チェンバロを追求(いい加減だが)しようという意識が
あるんだかないんだか。
さらに研究しよう、などと思ってランドフスカの「平均律第2巻」と
ドルメッチの「平均律」のレコード、レコードプレイヤーの上に
載っけたまんま・・・いまだに、聴いてない。(ちょと聴いた)

それもこれも、「ウィンドウズ2000」のせいだ〜。ヽ(`Д´)ノウワァァァン

またまたまたウィンドウズ2000とXPに「穴」が見つかった。
もう2,3か月おきに見つかってるよね。(結構重大なやつが)
それでもって、アップデートのページから「アップデータ」をダウンロードして
再起動してみたら、あらビックリ。

起動プロセスが終わって、デスクトップ画面が現れ・・・ない!
いきなり「ブルー・スクリーン」に変わっちまったい。
これはウィンドウズでは、結構深刻な状態らしい。みなさんは
見たことがないかも知れないし、見ないことを祈りたい。


その「プルー・スクリーン(バック)」は、なんやら英語で書いておる。

「おめー、ナンカおいらが知らん、ハードかソフト入れたんちゃうん?
このメッセージが最初なら再起動しなせ。
もし、2回目以降なら、それはずぜ。
それでもダメなら、それ作ったメーカーに相談するか、トラブル回避のマニュアルを・・・」
とか書いてあるようだ。
(ようだ・・というのはおいらの意訳だからだ)

外したさ。・・・ダメ。おんなじブルー状態。
ディスクから起動して、修復用フロッピーを入れてシステムの修復。
なんとか起動するも、なんか挙動がおかしい。そんなこんなで数日。
CPU(中央演算装置:パソコンの頭脳、一応ね)交換してから、止まって
ばっかり。さらにハードディスク増設カード入れて、ハードディスク
3台、計180GB載せてるから、電源もきびしい状況だったのも影響あったかも?
そんな半病人状態の上に、こんかいのアップデートで「とどめ」だった。

もー我慢できん。
「クリーン・インストール」じゃ! 初期化してまっさらの「システム」に
入れ替えましょうぞ。そのほうが早い。
データ類は、別ドライブに入れてあるので「システム」ドライブには
データだのは、保存しないようにしておる。
システムの入れ替えは容易なようにしてあるのだ。
(ふっふっふっ・・・おいらはパソコンなぞ、心底から信用してはいないのだ。
いつか、こうなる日が来ることを予想し、備えなかったわけがない)

結局、システムを入れ替え、アップデータかけて、最低限のアプリを
再インストールして半日くらいかかった。でも・・・。
動きが「カルいことカルいこと」やっぱりものの本に書いてあるとおりですよ。


 「安定したシステムのコツは、アプリケーションを『入れない』こと」(@_@;)エエッ


ま、不必要なモンはいくら便利そうだからって、安易にインストールしない
ことですな。一度入れちゃうと、アンインストールしたとしても、
「ゴミ」が必ず残っちゃうんでね。
これ、ウィンドウズでは避けられない宿命なんだな。

さいきんパソコン話が多いから、このくらいにしたいけど、
みなさんもアップデートのサイトは定期的に覗くか、
自動アップデートするようにしておいた方がいいですよ。
ネットにつないでいると、どんなヤツがあなたのパソコンに、どんな攻撃を
しかけてくるか分かりませんからね。
見つかった「穴」は、極力ふさいでおくようにしましょう。(特に、XP、2000)

おいら、ファイヤーウォール立ててるから分かるんだけど、
結構な頻度で、外部からアクセスしようとして来てる、って「メッセージ」が
出ますよ。それとね、アプリの中に潜り込んでる「スパイウェア」が
外部に発信しようとするのを「遮断しました」ってメッセージも出ますモンね。

「スパイウェア」自体悪いものばかりじゃないし、これ外すと動かなくなる
アプリもあったりするんで、一概に除去できないものなんだけど。
ま、あなたの知らないウチにでも、ケッコウ、
パソコンは外部から侵入を試みられたり、内部からでも
知らないウチに外部に通信しようとしてる「場合がある」ってことですな。
ま、その意味でも余計なモノはインストールしない方が「吉」ですね。


そんなこんなで、最近ケッコウ「英語辞書」ばっかり引いてましたな。
まず単語が分からない。文法なんかもうロクに覚えちゃいないんだけど
それより真っ先に単語を知らない。

ビケ♪さんのお話だと、音楽の文献を読むには限定された「語彙数」でも
可能だとかいうこと(でしたっけね)ですけど。
分かる気もする。なんでかっていうと「単語」が分かるとそれなりに
読めちゃったりするから。きっとマニュアルなんかは、小難しい表現なんて
取らないからだろうけど、けっこう読めるもんだす。
英語ばっかの増設カードのマニュアルも、インストール方法や注意事項も
読めたモン、このおいらでもね。(と、思っているだけ?)

でも、おいらは英語をナメちゃいない。
「会話」はできない。テキスト読むより、こっちの方が難しいですよね?
ラジオ聞いてると、「今日の表現を使って次の日本語を英語で言ってみてください」
とかあるけど、ワカラン。
でも解答を聞くと、ケッコウ簡単な表現だったりもするんだな。
これ学生の時から思ってたんだけど、難しく考えてるのかもね。
答え聞くと「あ〜あ、なんだそう言えばいいんだ〜」っての多いもの。

なんにせよ、「必要なら身に付くモン」なのだな〜、と思いましたけどね。
ま、努力が必要なのはどの世界でも、アタリマエなんでしょうけども。
(「おいら、英語が身に付いたよ」とは言ってないゾ〜) ヽ( ̄Д ̄)ノア~ア


吉野屋、松屋とも「牛丼」「牛めし」休止。
連日、テレビではこのお話のニュースが続きました。
米国が「全頭検査なんぞデキっか〜!」とつっぱねているので
日本政府も「じゃ、ダメ。入れない」といきがっているとか。

日本が米国に楯突くなんて「やるじゃん」と、言いたい気持ちもある。
これまでオレンジ、牛肉など農産物関連では国民の健康よりも
米国さまのご機嫌、を気にしてきたイメージがあるからね。

おいら、もう何年も「牛丼」なんぞ口にしてないけど、無くなるって
話を聞くと「喰ってみて〜」気分にちょっとなった。
でもナイなら無いでもいいや、再開されたら食べてみてもイイかな?くらい。
米国がダメなら、豪州があるじゃん?とか考えるけど、
豪州は、「一頭まるまるじゃないと売らないよん」とか言ってるとか?
牛丼なんか、クズ肉みたいな部位でいいわけで、まるごとでは
ムダが多いってことなんだろうか? その辺、他の食品産業との連携を
取ればやれそうな気もするんだけど、どうなんだろうか?

でもさ、おいら前にウチで焼き肉やろうとして「オージービーフ」買ってきて
思ったんだけど、悪いけど、「ウマいとは言えない・・」んだこれが。
国産豚肉より味が落ちるってイメージがあるんだわ。
高級ステーキに使うような部位は知らないけど、この味を基準に考えると
吉野屋が他の食品業界と連携して輸入ってのも、疑問符が付くかな?

それができるならさっさとやってる訳だし、やらないってことは・・・。
危険部位を除去して、っていうけど除去しようとすると、危険部位の
「汁がとんじゃって危険」とかも言ってるし、プリオンは熱分解しにくい
(もうしないって言っても良い)からね。
鳥インフルエンザとは訳が違う。
(鶏肉は加熱すれば心配はないのだが、産地イメージの問題の方が重要)

米国の日本に対する牛肉の輸出額が約10億ドルで、全頭検査の費用が
6〜7億ドル超くらいになるので、「やってられねえ」となるらしい。
(数字についてはうろ覚え)
日本はこれを農業問題と捉えているが、米国は通商問題と捉えている。
ま、落としどころがウマク決まれば「輸入再開」の運びになるのだろうが
だからといって牛肉が「安全」になったって訳でもない。
ハッキリ言って、完全に「安全な食品」などナイ、と考えるしかない
のが現実なのだし、
人間に対する毒性も「急性毒性」と「慢性毒性」の
違いもあったりしてひとまとめに「危険だ」とさわぐのも「危険」なのだ。

たとえば醤油は、一度に大量に飲んだら死ぬ。
これが急性毒性の致死量の問題になる。ところが少量ずつなら、
一生摂取しつづけてもそれが原因で死ぬことはない。
「急性毒性」の実験は、マウス、ラットなどを「殺すため」の実験である。
これだけの量を与えたら、被験体が死亡したという毒物の量を計測するための実験なのだ。

一方、「慢性毒性」の方は生涯(ラットなどは約2年)を通じて
継続的に摂取しても死亡しなかったと言う量を量るための実験である。
そのうえで「一日の摂取許容量」などが決まる。が、ラットのそれが人間に
ただちに適用されるわけでもないのは当然。

「動物実験によって急性毒性が認められた」ということがあっても、
ただちに危険である、とは言えないということなのだ。(醤油も急性毒性はある)
あり? またわけの分からない話にそれちまった。
なんでかっていうと、以前にこれを煽るような本がベストセラーに
なったことがあったからだ。
おいらたちはそういう知識に疎いから、ある一流企業の食料品について、
「ラットで変異がみとめられた」だの「急性毒性がどうの」とか
言われると、すぐにブルっちまって「これ買うのよそ」ってなるからね。
まんまと、おいらたち一般庶民はその無知と恐怖心を煽られて
その本を買って、その出版社を儲けさせたってわけだ。
恐怖心をあおるのも「ウマイ商法」だ、ってことね。


パソコンも便利な道具ではあるけれども、
それを使いこなさないと、役に立たないどころか「有害」なのだ。
おいらみたいに、便利だからってナンでもカンでもつっこんで
挙げ句の果てにその復旧のために時間つぶして、パソコンに振り回されて
るようじゃ、ね。

情報に関しても、「リテラシー」というのが求められているってのは
ホントだ。それがないと無益、利益がないどころかかえって「危険」なのだな。


好むと好まざるではなく、そういう世界においらたちは生きているんだってことか・・・。


 ・・・まとまったか?  ( ̄-  ̄ ) ンー?

 

 

投稿時間:04/02/16(Mon) 10:15
投稿者名:ビケ♪
タイトル:
すみませーん、結論がまだ・・・

前のにお返事を書く前に、書いていただいてしまいました。
遅くてゴメンナサイ・・・
モダンについての、疑問を、まだ自分の中で解決していなくて、
また、例のCDは何度も聞いていますが、私などが演奏について、
書くのはどうなのだろうかと・・・
所詮、モダンなんて・・・の世界で育ってしまった私は、
まだまだ、偏った耳でしか聞けないし。
でも、いつかちゃんと、お返事書きたいと思いますっっ!

 

 

投稿時間:04/02/16(Mon) 23:07
投稿者名:たけどん
タイトル:
昔のことが、今わかるかい?

うう〜む。そうですよねえ。
モダン・チェンバロについて、現代のプロ・チェンバリストの
ビケ♪さんが考える、というのも
ビケ♪さん自身にとっては、いささかもメリットがナイ気がしましょ?
おいらはそう考えますた。
そいでもって、一転、別話題にふってみたってわけさ。(=゚ω゚)ノフリフリ

あまりモダンの響きに耳をさらしていると、大切な演奏家としての
聴覚と、お体を壊しかねないので控えた方がよろしいかも知れません。
モダン・チェンバロについては、おいらがナンやらカンやら
書きますので、それについて、
「そーじゃねー」、とか。
「わかっちゃいねーな」、とか。
「音楽を語るにゃ、半万年と四日早ぇえ」、とか
ご感想をいただければ、と思いますが、いかが?

そのうち、なんかの拍子にご自分の見解らしきものが
見つかるかもしれない(・・・し、みつかんないかもしんない)。(ノ∀`)アチャー


おいらも、事、バロック古楽の演奏に関して、モダン・チェンバロを
使うことは、現代においては分が悪すぎるよな、とは思ってますのでね〜。
おいら的には、バロック、古楽を聴き始めたときにチェンバロと言えば
「モダン・チェンバロ」であったものが、おいらの知らぬ間に(断りもなく)
駆逐され、「オリジナル」楽器に取って代わられてた、とゆー(苦い?)経験が
今でもおいらの心を攻めるので、(なんで?)
とにかく、その辺、おいら自身『脳内決着』を付けないとな、と思って
いたのでありんす。

(実は、きわめて個人的な問題だった、に巻き込まれた被害者ビケ♪さんの図→) ガ━━(゚Д゚;)━━ン!


おいらたちは物事を考える上で、いんや「感じる」とゆー、感覚の問題でさえも
生きている社会、世界観、常識からは自由にはなれないもの(だしょ?)。

昔の出来事、歴史的事件、社会情勢、常識、宗教観、風俗、なんかをみて
「うわっ! 信じらんね!」と考えるのは、よくある話。
人間に対する、残虐な行為の数々、異教徒、他民族は同じ人間とは見なさない
傲慢さ。自らの正義のために、神のためにと称し、
なされた「悪魔のような行為」の数々。

むかしの江戸では、夕方堀の中に死体が浮いていることなど、さして
珍しくもなかったという話を読んだ。
死にたいする考え方、以外と身近にある「死」とそれを受け入れた上での「生」
身分制度は厳然と存在はしたが、差別に対しては運命として「受け入れて」
いたようだ。
現代の感覚で「差別はいけない」とか「おまえがその時代に生きていたら
我慢できるというのか?」という考えや論法は、歴史を考える上では、的はずれなのだ。

う、考えなしに書いてたら、また話が横滑りした。

モダンの響きが耳に合わない。音楽的な美しさを感じないという話は
人間の「感受性が変わってしまったから」でも「パラダイム、習慣、時代の美的感覚」
の問題でもない。(きっと)
これはバロック、古楽を演奏する楽器としては、明らかに失敗作
時代の生んだ徒花、「鬼子」なのだ。(そこまで言うか?)
そこまで了解しているとして、なお、モダン・チェンバロについて
語りたいというのはなぜだ?・・・・。

と、ここまで書いてきて、おいら自身、えらいことに首つっこんでるな
と思ってしまった。やめよかな。(おいらの手に余るよな)
ま、いいや。出たとこ勝負だ。
締め切りも、ないしね。 

歴史に触れたついでに、最近読んだ「本」について。
集英社新書「死刑執行人サンソン」。
これはいいですよ。読み応えアリ!
主人公はルイ16世を処刑した「シャルル・アンリ・サンソン」
当時、死刑執行人はサンソン家が独占して世襲でその任にあたっており、
本家のシャルル・アンリは「ムッシュ・ド・パリ」と呼ばれていた・・・。

彼がいかに知識と知恵に富み、信心深く、国王を敬愛していたか。
若い頃、伊達男であったこと。昔の恋人を処刑しなければならなかったこと。
アンシャンレジュームが矛盾に満ちていることを実感していた彼が
革命に期待し、そしていかに、その期待が破られていったか。
ロベスピエールの死刑廃絶の演説(知ってました?)に、どれほど期待していたかを。

革命裁判所によりあまりに、あやまった処刑命令が下されているかを
一番知っていたのは彼であった。
国王処刑後、「国王追悼のためのミサ」を続けていたこと。
ナポレオンと邂逅したときの逸話・・・。

テルミドールの反動後、ロベスピエールらとともに革命裁判所所長の
フーキエ・タンヴィルも処刑されたのに、シャルル・アンリを断罪する声は
聞かれなかった。それは彼がいかに受刑者たちを最後まで人間として
扱うことに気を配っていたか、を、誰もが知っていたからである・・・。


死刑執行人という存在がいかに当時の社会から扱われていたのか?
恐れられ、町はずれの赤く塗った家に住まわされ、その家の娘と
知ると、若い男たちは・・・。
など、など。 興味のある方は、ぜひご一読を!

あ〜脱線しっぱなし。モダン・チェンバロね。
まあ、まったり、マターリといきましょうか。

 

 

投稿時間:04/02/23(Mon) 15:30
投稿者名:ビケ♪こと管理人
タイトル:
Re: 昔のことが、今わかるかい?

> モダン・チェンバロについて、現代のプロ・チェンバリストの
> ビケ♪さんが考える、というのも
> ビケ♪さん自身にとっては、いささかもメリットがナイ気がしましょ?

最初はそんな気もしました。が、ふたを開けてみたら・・・
・・・そんなことはありませんでした。
たけどんさんもおっしゃっていましたが、これは随分、
奥の深い問題とつながっているようです。
ちょっと調べるつもり・・・が、深みにはまりそうな予感。
モダン楽器の演奏を聴きつづけることは、ちょっと辛いかもしれませんが、
19世紀以降のチェンバロ史を紐解いていくことは、なかなか面白そうです。

例の2枚のCDの中で、私が一番気に入った演奏は、どれだと思います?
Maurice Ohana(1914-1992)作曲の「昼と夜の祈りの時間のための鐘」。
こういうのを聴くと、楽器の性能だけが音楽の生命を左右するのではなくて、
楽器+時代思潮+演奏スタイルがマッチした時に初めて、音楽は命を授かって動き出す、ということが分かりますね。

19世紀前半の人たちが、ヒストリカルチェンバロを過去の遺物と
レッテルを貼ったように、私達は今、モダンチェンバロに
「過去の遺物」のレッテルを貼っていると思います。だからといって、
自分自身がモダンチェンバロを弾くことはないでしょうが、
もしかしたら、モダンチェンバロ全盛期の時代に書かれた作品が、
書かれた時代に、モダンチェンバロを使って録音されたものの中には、
魅力が溢れているものが少なくないのかもしれません。

せっかく他の話題にふってくださったのに、ごめんなさいね。
でも、たけどんさんのお陰で、面白いことをいっぱい発見しています!
ありがとうございます。

> 歴史に触れたついでに、最近読んだ「本」について。
> 集英社新書「死刑執行人サンソン」。
> これはいいですよ。読み応えアリ!

この次にアマゾンで買う本は決まり!
(もう少しほしい本がたまったら注文しようっと!)

 

 

 

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