12.ホテル 花村は、建物1階の駐車スペースに車を進めた。 屋根をひっきりなしに叩いていた雨音がピタリと止む。 ドアがたくさん並んでいて、そこに前向きで車を停めるようになっている。 そんなコンクリートの通路が暫く続いている。 満室・空室の表示があり、3部屋置きくらいに満室の方に明かりが ついている。それぞれの部屋の内装写真にも明かりが灯るように なっている。 「どこにしましょうか?」 花村は、半ば恋人気取りだった。 「どこって」   「じゃ、ここで、いいですね」 ダブルベッドが真ん中にある部屋の ドアの前に車を停める。 「もっとよく部屋を選びませんか」聡美が躊躇った。 「二人に合う部屋・・をですか?」花村が嬉しそうに笑った。 「いいえ、ダブルベッドじゃなくて」 「ここは、ラブホテルなんだから、どれもダブルベッドですよ、 さあ、行きましょう」 そういうと、鞄を取り出して、さっさと 先に下りてしまった。 聡美は、脱いだ自分の衣類を抱え、鞄を 肩にかけて、ゆっくりと下りた。 ドアを閉める音がコンクリートの 天井や壁に当たり跳ね返っている。 ドアの中は、靴脱ぎ場になっているだけで、部屋は2階のようだ。 聡美は、ドアを閉めると、ロックをして、階段を上がっていった。 正面には、締め切ったドアが一枚あり、そこから管理人が出入りする のだろう。右側のドアは、開け放たれている。 部屋の中に入ると、もう風呂場のほうで勢いよく湯を出す音がしていた。 花村は、Yシャツを脱いで、上半身裸になり、腕時計を外して ベッド脇のテーブルに置いた。 聡美は、バッグを抱えたまま、そこに立っていた。  花村は、いつもの笑顔で、ほほえましそうに、それを見ている。 「聡美さん、そんなこわばった顔しないで、座ってくださいよ」 そう言いながら、ベッドの縁に腰掛けた。 聡美は、おどおどとした足取りで壁際のソファに歩み寄る。 視線は、花村から一度も離すことがない。  「もし、おかしなことしたら、大声をあげるわよ」 「わかってます」  花村は、枕元のつまみをひねって、BGMを選曲した。 「お風呂に入ってきます、聡美さんは、おうちに電話してください」 そう言うと、脱衣場に入っていき、ガラス戸を閉めた。 磨りガラスの内側の花村の影が下着を脱ぎ、風呂場に消えたのを 確認してから、聡美は、電話をダイヤルした。 「あ、お母さん」 「聡美、どこにいるの?」 「うん、ごめんなさい。 台風に見舞われて、今、こっちのホテルに  いるの。」 「山梨の? それは、大変だったわね」 「それで、美実のことなんだけどー」 「何も心配する必要は無いのよ。 一日ぐらい聡美がいなくたって、  お母さん達は、美実の世話ぐらい何でも無いわよ。 ゆっくりして  らっしゃい。 このところ、夜眠れてないんでしょう。 わかっている  のよ。 」 「ありがとう。 じゃ、そうさせてもらいます」 聡美は、電話を切った。 濡れた服をハンガーに掛けると、洋服掛けにぶらさげた。 下着類は、後で風呂で洗ってからドアイヤーで乾かそうと思った。 家に連絡をし終えて、ひとまず安心した。 聡美が、ラブホテルに最後に泊まった記憶は、大学時代だ。 大野とドライブに出掛けたときのことだ。 その時に、聡美のほう から別れを切り出した。 大野は、スポーツマンで交友関係も広くて 誰と一緒にいても飽きさせない雄弁家だった。 包容力もあったし、 多少粗っぽかったけれども、優しかった。その分、聡美以外の女の子に もよく慕われた。 大野は、聡美と真剣につき合うつもりでいたが、彼女の潔癖さとヤキモチ をうっとうしく感じるようになった。  「もう貴方を縛りたくないから」 箱根のドライブを最後の思い出にしたのだ。 風呂からあがった花村は、ホテルのバスローブをつけていた。 「聡美さんも、入ってくるといいですよ」 聡美は、黙って脱衣場に入った。 風呂場のドアは、内側からしっかりロックした。 それから、シャワーをひねり、頭から湯を浴びた。 「なんだ、さっきとそんなに変わらないじゃない」 昼間、雨に打たれていたときの感触が一気に戻ってくる。 それと同時に、遙香への気持ちもわき上がってくるのだった。 「雨・・・」 聡美は、暖かい湯を浴びながら、再び、学生時代の事を 思い出していた。  それは、8月の昼下がりのことだった。 二人で、夏休みに吉祥寺を歩いていると、ショーウインドーの中の 可愛い水玉模様の傘が目に付いた。一つはグリーンで、もう一つは 赤だった。 二人とも、そんな好みも似ていて、そこを暫く覗き込んで いたが、結局立ち去りづらくて、それを買ってしまったのだった。 遙香が赤を、聡美がグリーンを選んで、包装紙を巻いてもらった。 帰りに、それを片手に歩いていると、雨が降ってきた。 空は晴れていて、辺りはまぶしかった。 遙香は、傘を開いて、子供のようにはしゃぎだした。 「晴れているのに雨ー。 晴れているのに雨が降ってるー」 聡美もつられて、新しい傘を開いて一緒に踊っていた。 「通り雨ー。わーい、水玉の傘ー」 夏の日差しは、なぜか白くて、その中を歩いていると、自分もとけ込んで しまいそうに思えたものだった。                ☆ 風呂から上がり、脱衣場の籠からバスローブを取り出し、ためらわずに 羽織る。ドアを開け、部屋に戻ると、クーラーの利いた部屋はひんやりと 冷たかった。 花村は、長い髪をタオルで包んだ聡美の頭や、ローブから 突き出た細くて白い足を食い入るように見つめた。 その視線を素早く感じた聡美は、自分を軽率に思った。 さきほど のスエットパンツとTシャツをもう一度着ようと、脱衣場に戻った。 ついでに、備え付けのドライヤーで、髪や下着を時間をかけて乾かした。 部屋の時計は、10時半だった。 「明日、スタンドの車が給油に来てくれるそうです」 「そう。 よかった」 ドアのノックの音がする。  「あ、だいじょうぶ。 おむすびを注文したんです」 花村は、ドアを開けてトレーを受け取り聡美に手渡した後、自分の 分を受け取って、ドアを閉めた。 にぎりめし3個とみそ汁、漬け物に ほうじ茶が載っていた。 それを、ベッドの上に運んで、聡美にもその横のスペースを勧める。 「テーブルのほうがいいんじゃない?」 聡美はそう言ってから、テーブルの大きさを目で測ってみた。 トレーが二つ並べられるサイズではない。 仕方ないので、自分もそっとベッドの上にそれを載せ、揺らさない ように腰掛けた。  「もっと深く座ればいいのに」 聡美は、首を横に振った。 「どうせ、ここで今晩一緒に寝るんだから」 花村は、ボソッと言った。 「え?」 聡美は、口に飯をほうばったまま、考えた。 「私は、ソファに寝ますから」 花村は、肩を揺らして笑った。 「聡美さんのそういう所、可愛いですね。 好きです」 「好きって、 会ってこうして話をするのは、2度目でしょう」 聡美は、むっつりした。 花村は、撤回しなかった。 まるで、以前から知ってます・・そう 言いたげな表情をしていた。    「花村さん、今日、どうしてあんなところにいたんですか?」 心に引っかかっていた単純な疑問である。 「聡美さんこそ、どうして、台風の日に、独りであんなところを歩いて  いたんですか。」 「私は・・」そう言いかけて、遙香の事を口にしてよいものか、迷った。 「僕は、群馬や長野に知り合いが多いんです。 昨日の夜から友達の  ところで飲んでいて、今日は帰る途中でした」  「偶然・・。でも貴方が通らなかったら今頃どうなっていたか。とにかく  助かりました・・」 花村は、みそ汁を吹き出しそうになった。 「本当に、助かったと思ってるんですか?」 今置かれた状況を考えると、そうでもなかった。 けれども、あの時、 風雨にさらされて、とても不安で、本当にすがる思いだったのだった。                 ☆ 食事を終えて、11時を過ぎても、あまり眠くはならなかった。 最近、眠れなくて、夜更かしの癖がついているのと、さっき車の中で 睡眠をとってしまったからだ。  花村は、すこし疲れた様子で、ベッドの右半分に横たわり、毛布をかけて うつらうつらしはじめた。 それを見て、聡美は少し安心した。 テレビの下のビデオラックを開けてみる。 スタンドバイミーや スターウオーズの人気作品が3〜4本並んでいて、後の残りは、いかがわ しい響きのタイトルばかりだった。 健全なタイトルの映画を2本ほど 取り出して、デッキに差し込んでみた。気持ちにゆとりを感じ始めて、 部屋の照明を少し暗くする。 冷蔵庫のドアを開け、缶入りトマトジュース を1本出して開ける。それを、ベッドの上に持っていって、膝を丸めな がら映画を見始めた。 1本見終えたときに、振り返ると花村はすっかり寝入っていた。 聡美は、安心して、その左脇に、毛布を掛けて横になった。 花村が眠っているのを良いことに、その寝顔を観察してみる。すっきり 通った鼻、涼しげな目、育ちの良さを感じさせる美しい顔立ちだった。  いつしか、緊張感がほぐれ、聡美も眠りに落ちていた。 時々意識がハッキリすると、心なしか花村の体がこっちへ近づいているよ うに感じられる。 その度に相手の寝息を確かめてみた。 相変わらず、外は雨の音が激しく、風は唸っている。 近くで雷の落ちるような、けたたましい音がした。 そんな事を繰り返しながら、段々と意識は遠のいていった。 突然に頬に暖かい肌が触れるのを感じて、目が覚める。 花村の左の頬だ。 次の瞬間、彼は、聡美の右手に自分の左手を絡め、いきなり反転してきた。 そうして、すっかり彼女の上に覆い被さってしまった。  「大きな声を・・」 あげますよ、そう言おうとしたが、口を手で ふさがれてしまう。  「しーっ」 花村は、そのままの姿勢で、聡美の顔を見下ろしている。 「声をあげたら、殺す」 怖い声だ。 ・・殺す? ・・まさか。 「本当だよ、僕は、もう1人、人を殺してきたんだから」 そう脅しながら、熱い息遣いで、聡美の首筋に舌先を這わせる。 「やめて」 手で塞がれていて言葉にならない。  聡美は、力を振り絞って、相手の股間を蹴り上げようとしたが、ベッドに 体が沈むばかりで、力が込められない。  首を左右に振りきって、ようやくその手を払いのけた。 「私は、貴方の名前も職場も知ってるわ。 そんな事したら、強姦罪で  訴えるわよ」  花村は、怯まず聡美の両手首をがっしり掴んで押さえ込んだ。 なにか途轍もない感情が彼の中から湧いてきそうだ。 聡美の瞳をじっとみつめて男は目をそらさない。 ・・このまま殺される? 目の前の男の顔があふれる涙でゆがんで見えなくなっていく。 代わりにストラティスや美実の笑顔が浮かんできた。 ・・夢なら覚めて! 男が、体の力を抜いてシーツに顔をうずめた。 「お願いだ・・」 右の頬を聡美の頭におしつけてくる。  「少しだけ・・、こうしていて・・」 聡美の体は、花村の体の重みを受けとめたまま、ベッドに沈んでいた。 その体勢のままで二人は動かなかった。 胸に花村の鼓動が伝わってくる。 さっきまで、殺すと脅していた強姦魔の肩が、母にすがる乳飲み子のよ うに震えている。 聡美の心のガードが次第に甘くなっていく。 美実をあやすようにその腕で花村の頭を包みたくなった。 自然にその手で髪を撫でていた。 時々、短い泣き声が漏れてくる。 聡美は、指先で、彼の背中を軽くリズミカルに叩きだした。 思わず、子守歌を口ずさみそうになる。  聡美の母性と、花村の得体の知れぬ思いが、秒刻みでとけ込んで・・ 二人はそのままの状態で眠りに落ちていた。              ☆ 次の朝、雷の音が止んで、辺りは静かだった。 窓の木の引き戸を開けると、外側のサッシからまぶしい明かりが差し込んで くる。 二人は、黙って身支度を済ませ車に乗り込んだ。  暫く白い霧に包まれて走っていた。   中央道を、まっすぐ東京に向かう。 聡美はときどき、花村の視線を感じていたが気づかない振りをしていた。 彼女のほうから言葉をかけることが殆どないまま高円寺の駅に着いた。  聡美は、何も言葉がみつけられずに、ただ、 「・・じゃ」とだけ告げた。 花村が、 「聡美さん、また会いましょう」と言う。 聡美は、何も答えずに黙って歩き出した。   背中に視線を感じて、なにげに一度振り返ると、彼は同じ場所で 微笑みながら手を振っていた。 聡美は、笑みを返すこともなく実家へ 向かって歩いていった。  (つづく)



(話の続きへ)


メニューへ


Hosted by www.Geocities.ws

1