藤本孝一氏について アフガンハウンド・ナショナルのBOB獲得犬
アフガン・ハウンドの繁殖にあたって Ch. Genesis Red Cloud の系統図
1981年アフガン レビュー(アメリカ)ランキング
   
Mr.Afghan            ◆ 藤本孝一氏について ◆

Mr.Afghan 藤本氏は、日本のアフガンハウンドのブリーダー、第一人者である。
まだ日本でイギリスのアフガンハウンドが全盛の頃、アメリカの血統のアフガンを日本に最初に入れた人物。
血統書に「Fujimoto」と名のつくアフガンを探すのは容易な事であろう。
さて、藤本氏とはリボンが我家の一員になって以来のお付きあいをさせて頂いている、かれこれ7年。
お世辞は言わないし、風貌はあやし気だ(ゴメンナサイ)。かなりユニークなおじ様である。
藤本さ〜ん「弟子にした覚えはないよ」と言われそうだが、我家のお師匠様なのだ。
アフガンの血統を理解 し大切にしている
繁殖にポリシーがあり、イマドキ じゃないかも知れないが 『ロマン』 がある
何でも知っている。解りやすく解説してくれる

最後に、藤本氏は犬の気持ちがよくわかる。
ひょっとすると藤本氏の前世は犬に違いない、それもアフガン。。。だったりして。

藤本氏とサルーキ。 最近は Mr.Saluki ?
実は、ニューファン・レスキューにも興味があるとか。
by kazu

   

                           

アフガン・ハウンドの繁殖にあたって                                             by K.Fujimoto

アフガンハウンドのスタンダード
アフガンは、本来一切カットはしてはいけない犬種である。では、展覧会を見るとよく分かるのだが、どうしてカットしている感じなのに文句がでないのだろうか。
それは、アフガンは成犬になるとサドル部分、首横部分の絹糸状の被毛が抜ける事になっている(剛い毛が残る)。また、抜けなくでもかまわないという原則もある。

イギリスでは、スタンダードの解釈どおり、抜けるのも当たり前、抜けなくても当たり前ということで、そのままで展覧会にも出陳されている。アメリカにおいては、抜けなくてもよいが、抜けるのが当たり前という考え方が強いのと、首抜けが良く見える、トプラインがきれいにみえる、すっきりしてあか抜けている、品がある、立ち姿・歩様まで良く見える等の理由で、自然に抜けてように見せる為のカットがほとんどのアフガンになされている。

日本のアフガンの場合、数パーセントのアフガンを除き、ほとんどのアフガンがアメリカの系統であるので、アメリカの真似そのものである。アメリカの真似でもよいが、絶対に分かっていなければならないのが、アフガンのサドル、首の部分がどういうふうに抜けるのが一番当たり前なのか、ということだ。何十年もアフガンを見ていれば分かってくるのだが....

まず、そのことを頭に正確にたたきこんでから、自然に抜けたようにしていかないと、方向性の間違った形のアフガンを、格好が良いと思うアフガンファンシャー、ハンドラー、そして審査員までもが増えてきてしまう。
自然に抜けた様に見えるカットというのは、アフガンにとって非常に大事なことであるということを念頭に入れ、カットをして頂ければほんの少しはアフガンのスタンダードに対する言い訳となるであろう。

1957年のウエストミンスター展で、アフガンで最初のベストインショー(BIS)に輝いたCHシアカーン・オブ・グランジュアーの快挙は正にアメリカアフガン界の事実上の幕開けであった。CHシアカーン・オブ・グランジュアーの持つ構成、テンペラメントなどがアメリカアフガンのスタンダードを確固たるものにした、大きな意味を持ったアフガンであったと思う。
また、本犬は、アカバス・ジジイン・ホワイトとの間に、アカバス・ローヤルブルー(以下、ローヤルブルーという)という後世に引き続く息子を作成した。 

このローヤルブルーの息子にアカバス・ジェロニモブルー(以下、ジェロニモブルーという)がおり、このジェロニモブルーとCHコーストウィンド・セレンディプティとの間にCHコーストウィンド・ネペンザ(以下、ネペンザという)と、CHコーストウィンド・ハーミット(以下、ハーミットという)などがいる。このネペンザのほうは一世を風靡した、あまりにも有名なCHコーストウィンド・アブラカサス(以下、アブラカサスという)の父であり、ハーミットのほうはCHジェネシス・ケーラス・オブ・ジャフナの父であり、それぞれこの兄弟の血液が現在のアメリカアフガンたちに深く輝き続けている。


アメリカの系統
1960年代後半、アメリカより日本に輸入された AmCHクラウンクレスト・ミスタータージョンの血統書には、イギリスCHホーニンシー・タイガーズ・アイなどの子供たちが記され、イギリスからアメリカに輸入されていたのが分かる。この頃から、後には、ほとんどイギリスからは輸入されていない。

アブラカサスのほうは、当時首の長いイラストから抜け出てきたようなトップラインのきれいな、とにかく美しいアフガンを作り続けた。
CHザファラ・ブラザーラブは直息子であり、その子(系子)CHサンディナ・スペルボンドは1979年の全米ランキングNo.1のアフガンであり、当時ランキングの10番以内の7頭〜8頭がアブラカサスの直子か孫で占めた事もあり、アブラカサス全盛の頃でもあった。
しかし、アメリカ以外のアフガンファンシャーの中には、ハウンドとして持ち合わせていなければならない頭部、体全体の構成が華奢であり、などとボロクソにいうアフガンファンシャーも多くいたことも事実であった。

しかし、アメリカアフガンのなんともいえない美しさを表現したアブラカサスの息子たち、孫たちは、立派に後世のアフガンたちの中に生きている。このアブラカサス全盛の頃、このアブラカサスの美しさにプラスして、ハウンドの頑丈な部分を肉付けして、よりよいアフガンの作成を夢見、アブラカサスのオジにあたるハーミットからその母体となりうるアフガンがいるか調べたことがあった。
それは、容易に見つかった。ケーラスであった。早速、ジェネシスケネルのハンクネーブ氏、ルーグェレロ氏にその話をしたところ、ジェネシスケネルではとっくに私の考えた以上のことを実行に移していた。

それはCHメッカズ・ブルーシルクズ・カルとメッカズ・ツランドット・オブ・アバンシャーの子供で,CHサシャ・オブ・シェーラザードとCHアカバス・ローヤルゴールドとの子で、CHシャングリラ・パラウ・ガンドーラ(ローヤルゴールドの父はローヤルブルー)と、ハーミットの系統としてケーラス。このフォルスタッフの系統、ガンドーラの系統、ケーラスの系統を、ジェネシスケンネルとしては3大系統として、これらをアレンジして美しく、ハウンドとしての持ち味を失わない、良いアフガンを作成していきたいとの話を聞いて、私もそれに乗る事にしたのである。話は私事になったので、本題に戻す事にする。
いずれにしても、血統を逆上り、どの系統と交配してどのような子ができるか、試行錯誤して一生懸命良いアフガンを作る夢を見続けてゆくのである。


変化するアフガンの系統
1960年前後は、シアカーン・オブ・グランジュアー、クラウンクレスト・ユニバース、ホーリーヒルドラコ、アカバス・トップブラスなどが活躍していた。
1970年前後はコーストウィンド・ガゼボ、シャングリラ・パラウ・パエドラ、カヤムズ・アポロ、パンジェット・オブ・ストームヒルなどが活躍していた。そして1977年にはコーストウィンド・アブラカサスがBOBを獲得している。
グランジュアー犬舎の犬からアカバ犬舎が多くの名犬を作成し、コーストウィンド犬舎はアカバ犬舎の良犬の血液をもらい、有名犬舎となった。

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Ch. Genesis Red Cloud の系統図

コーストウィンド犬舎の血液が多く出まわり、種牡として未来を展望できそうなアフガンをと考え、使われていたなかで、救世主的存在となったのが、CHメッカ・フォルスタッフであった。当時はちょっと良い子を出すな、ぐらいだったのが、子供にCHズベンダ・リナゲード・オブ・エスファファン、その子供に,CHズベンダ・ラジムとつながり、その子に、CHジェネシス・レッド・クラウドと続き、このフォルスタッフからレッドクラウドまでの4代だけでもそれぞれ種牡として、ものすごい良いアフガンを出し続けた。
子供、孫、曾孫とその枝葉は限りなく、アメリカアフガンの中に、フォルスタッフの系統といわれるまでになった。

CHパーラビ・パッティン・オン・ザ・リッツ(タコ)は、フォルスタッフの系統を代表する一頭であるし、タコ自身種牡として多く使われ、良い子を作り出している。これから先にタコの系統と呼ばれる時代が来るのか、レッドクラウドがレッドクラウドの系統といわれはじめたが、この先どういう評価が下されるのかは、まだ誰も分からない。
父=CHエーモン・ホール・ノマド、母=CHカヤムズ・キスム・オブ・シェーラザードとの間にできたCHカヤムズ・アポロとCHカヤムズ・アレスの兄弟も、ウェストミンスター展でグループファーストを獲るなど、当時評判の良かったアフガンではあったが、その子たちの活躍が少なく、ほとんど消えてしまっている。

1957年,CHシアカーン・オブ・グランジュアーがウェストミンスター展でアフガン最初のベストインショーを獲得してから、25年ぶりにCHカビックス・ザ・チャレンジャーが見事2頭目のベストインショーを獲得した。
当チャレンジャーはカビックス犬舎の名台牝CHカビックス・ミンディーとCHカビックス・スタンディング・オベーションとの間にできたわけだが、ミンディーの父はフォルスタッフであり、チャレンジャーもフォルスタッフを利用して、できあがったといえる。

アメリカアフガンの私なりに目についた部分の血統の流れを書いたわけであるが、クラウンクレスト犬舎、ストームヒルズ犬舎、コーストウィンド犬舎、グランデュアー犬舎などのアフガンについてもっと書かなくてはと思うが、長くなるのでまたの機会とする。
我々アメリカ系統のアフガンを手がけている者としては、アメリカの犬舎は繁殖に対する考え方がしっかりしているので、我々後からやていく者としては、安心してついていけるのである。

良いアフガンの見方のエピソードをひとつ。
1979年、全米アフガンのトップランキングのCHサンディナ・スペルボンドを作った、サンディナ犬舎の Mrs. Glorvina Schwartz が、アフガンの小犬を見せて、「この子はすごいでしょ」という。しかし、見せられた本人は良い犬とは思うが、何がすごいのか分からないでいると、その子の内腹を見せて、「こんなに黒い(濃い)の。こうでなければいけません」と。
つまり、アフガンの色素のことを言ったのである。アフガンに限らず、色素の濃い子の見方としては、一般に目ぶち、鼻鏡、足の裏(パッド)、肛門の色、 内腹、爪、皮膚などがある。アフガンの場合、マスクのない、ホワイト、クリーム色でもよいが、他は黒でなければいけない。皮膚の色はブルースキン、濃い方が良い、となっている。

サンディナ犬舎のグロウビナ・シュワルツさんの色素を大事にするやり方、こういうやり方がアメリカアフガン界をリードしていてくれるので、他犬種によくあるように、目ぶちが白かったり、鼻鏡が真っ白だったりするアフガンは非常にすくないわけである。
他犬種の色素の弱いのを見るたび、アフガンの先輩ブリーダーに感謝したいと思うと同時に、我々も1に色素、2に構成の順にブリーディングを心掛け、後輩ブリーダーに肩身の狭い思いをさせないように頑張りたいものだ。


1981年アフガン・レビュー(アメリカ)ランキング(1位〜20位まで)
〜    この頃の、CH.Jonathan L. Seagull Jedashi, CH. Karzak's Apocalypse, CH. Cavu's Flying Circusのすごいヘビーコートは、アフガンの大きな魅力の一つで感心しきりだったのをなつかしく思い出します。皆さんも、古いアフガンレビューを一度ごらんになってあなたがたの今お持ちのアフガンの先祖をたどってみて下さい。            - K.Fujimoto     〜


フジモト・ショー・ドッグ訓練所       藤本孝一
埼玉県比企郡都幾川村大附252−1 
(Tel)0493−65−2221      (Fax)0493−65−5175


〜   これは、「1994年3月 グルーマー No.12 − ペットライフ社」発行に寄稿されたもので6年前のものだ。インターネットの進化のように、犬の世界の移り変わりも目を見張るものがある。 アフガンの歴史を紐解きながら、昔のアフガンへ思いをはせるのも、これ一興哉。             kazu

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