ピルモント グライヒェン伯爵   

 1187年、トルコのサラディン王は、イスラム教徒軍を指揮し、エルサレムを占領しました。エルサレムはキリスト教の人々にとっても聖地だったので、何とか取り戻したいものだと思いました。そこで、ローマ法王は、十字軍を新設し、エルサレムの奪回を目指しました。ドイツ皇帝フリードリッヒ・バルバロッサは、この十字軍に参加を決め、自分の軍隊を指揮することになりました。しかし、聖地、イェルサレムに着く前に小アジアのサレフ川で、皇帝は溺死してしまいました。

 この物語の主人公、グライヒェン伯爵は、友人のシュヴァーレンベルク伯爵と共に、キリスト教ではない信仰をもつ人々から聖地を取り戻したいと思い、皇帝の軍隊に参加しました。エルサレムまで、誰もが行き着けたわけではありません。疫病が流行し、多くの騎士は、途中でその犠牲となりました。生き残ったもののみ、聖地に到着し、アッカにある敵の要塞を征服する戦争に参加できました。グライヒェン伯爵もシュヴェーレンベルク伯爵も無事、パレスチナまでたどりつき、敵と戦いました。しかし、帰り道、小アジアでトルコ軍の奇襲攻撃にあってしまいました。彼らは勇敢に戦い、グライフィェンは伯爵だけは幸運にも怪我一つせず、奴隷としてトルコ王のところへ連れて行かれました。そこで庭仕事などをすることになりました。

 グライフェン伯爵は、すてきな男性だったので、ハレファという名前のトルコ王の娘は、伯爵に好感をもつようになりました。ハレファは庭を散歩中、グライフェン伯爵によく出会い、いつしかお互い言葉を交わすようになりました。友達からやがて、真実の愛が芽生え、2人はなんとかここから逃げたいものだと思いました。ハレファは、航海できるような船を持っている船長にお金を渡し、乗せてもらうことに成功しました。キプロス、クレタを越え、とうとうイタリアまで来ました。長い船旅を通し、ハレファと伯爵は多くの時をともに過ごし、お互いの信仰について語り合いました。ハレファはトルコの王女でしたから、イスラム教を信じており、当時、キリスト教徒の敵と思われていました。一方、伯爵は命をかけて、十字軍に参加するほどの熱心キリスト教でした。2人がローマに来た時、ハレファはすでに愛する人と同じ信仰をもちたいと思うようになっていました。こうして、ハレファの洗礼はローマ法王自らの手で行われました。

 その後、グライフェン伯爵は、ハレファとアルプス山脈を越え、故郷に着きました。故郷のグライフェンベルクでは、伯爵の奥方、エレニカが待っており、元気な夫の姿に大変よろこびました。エレニカは夫とはもう二度と会えやしないと覚悟を決めていましたから。
十字軍に参加することはそれほど危険なことでした。しかし、一緒にいた美しいトルコの娘を見た時、ショックを受けずにはいられませんでした。そこで、伯爵はハラファの勇敢なる行為、自分の国を捨て、危険な逃亡を企てた話をしました。自由な身となり、故郷に帰れたのもすべてハラファのおかげなのだと。グライフェン伯爵は、どうかハレファを一緒に住まわせてくれないかと、エレニカに頼みました。ハレファがもし、トルコに帰れば、死刑になってしまうのです。
「私のためにトルコの王女は、もう二度と国に帰れなくなってしまったのだよ」
伯爵は言いました。エレニカは、はじめはハレファに強く嫉妬をしていましたが、いまや、そんな気持ちより夫を助けてくれたという感謝の念でいっぱいになっていました。エレニカは最後にはそのことを理解し、ハレファは伯爵の第二夫人として、城に一緒に住み、三人で暮らしました。

                                                           Nach Chr.Voigt 1882
 

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